第5話:元勇者は生活基盤を築き始める。
リルとの生活を始めて最初の夜はこの水場に囲まれた不朽の魔食大樹、別名世界樹ユグドのうろの中で過ごしていた。
とりあえずの急場凌ぎで寝床にはしたが、最低限俺だけが眠るには十分な広さがある。ついでに屋根があり雨風をしのげるだけでもありがたいし、そのあたりに生い茂る背の高い草を雑に敷き詰めるだけでもかなり眠りやすい環境だ。
更に外にはリルがいる為、魔物達も近寄ってこようとはしないのでいちいち魔物の気配に起こされもしなければ夜の間にしっかりと眠る事も出来る。
久しぶりに十分な睡眠が取れた為、寝覚めもいい。リルはまだ眠ったままだが彼女は気が向いたら起きて狩りに出向き、腹が満たされればまた眠るという毎日を繰り返しているそうだ。
現状この辺りの生態系の頂点となる存在である為、かなり気ままに暮らしているらしい。
さて、俺も今日からここに住み着く訳だが、いつまでも木のうろで寝泊まりする野生児というつもりもないし、リルもいずれ出て行く可能性も無いではない。
一人でも快適に暮らしていける環境を作る為にも先ずは住む家、そして採取と狩猟ばかりの原始的な生活を早く抜け出す為にも野菜や穀物を栽培する畑の準備からだ。
行動指針が決まれば即行動、昨日リルに魔食大樹の枝で強化してもらった魔道具を斧に変え、それを何度も人喰いの森の木々に打ち込んでいく。
強化前の魔道具の斧ではあれだけ苦労していた伐採だが、今ではそれが面白い様に伐り倒せてしまう為、つい調子乗り、この水場の一角から南方向へ森が一直線に20メートル程拓かれてしまった。
少し伐り過ぎたかな? まぁ端材を優先的に回すにしても薪はそれなりにあって困るものじゃないしな。
暖を取るにしろ、料理するにしろ、薪の備蓄はしておこうと思う。
薪の件は一旦置いておいて…伐り倒した丸太を建設予定地に運びだした後、用途に応じて切り分けていく。とりあえずの家は掘っ建て小屋の様なイメージなんだが、何か忘れている様な気がしてならない…。
魔道具をノミに変え、大雑把に太さを揃えた柱用の丸太を4本、そして壁用の木板を粗方作ったところで忘れていたものが何か漸く思い出せた!
釘だ!釘を持って来ていなかった!
これではせっかく切り出した木板も壁には出来ないぞ!
どうしたものかと悩んでいたが釘は製鉄でもしない限り手に入れ様もなく、それが出来る技術を持った人間はここにはいない。無い物をねだった所でどうしようもないので俺は作った木版を嵌め込む為に柱の丸太に溝を作る事にした。
「ふあぁ…、おお、精が出るな」
「ああ、随分と遅いお目覚めで」
昼前になって漸く起きて来たリルは大あくびをしながらやってきた。そしてその直後に今度は別の音が鳴り出す。
「う…むむぅ…!」
何かを絞り出す様な音だがその正体はリルの腹から聞こえてくる腹の虫の鳴き声だ。
幾ら齢2500を超え、また人間ではないフェンリルという種でも、空腹が音で知られてしまうのは恥ずかしいというのは同じ認識なのだろう。
「ふむ、腹が減った。私はこれから今日の糧を仕留めて来るとしようか」
「ああ…」
「む? どうした、歯切れの悪い」
「いや、フェンリルって何を食うのかなって思っただけだ。やっぱ生肉?」
こうは言っても姿はデカい狼、食事量も体格に見合ったものだろうが、やはり仕留めて来た魔物をそのままガツガツと齧り、血肉に食らいつくのだろうか?
そんな単純な疑問を頭に過ぎらせていると、リルはくっくっ、と笑いを堪えている様子だった。
「大概は想像の通り、仕留めてきた魔物をそのまま食らうな。とはいえ、とはいえだ。人が作る料理の美味さも知らんではない」
「そうなのか…。でもものによっちゃ食いにくいだろうし人間基準の量じゃ全然足りないだろ?」
リルの体躯は人間に比べて相当に大きい。魔物でいうなら熊型の魔物でも特に大型のギガンティックグリズリーを更に一回り大きくしたくらいの体躯であり、彼女の脚の膝の高さが俺が同じくらいだ。
「ふふん、この姿でならばな」
「どういうこった?」
「久しぶりにやるが…ちと見ていろ」
リルがニヤリと笑い、全身の魔力を活性化させているのがわかる。
そして煌びやかな白銀の長い体毛が揺らめきながら青白く強い光を放ち始めていた。
流石に見ていられずに目を瞑ってしまうが、次に目を開いた瞬間、俺はあらゆる意味で衝撃を受けてしまう。
「ふふん、どうだ──」
「前隠せ!」
「ぬおっ!?」
目を開けた時に視界に映ったのは銀髪と大きくふさふさの尻尾の生えたスタイル抜群の妙齢の女性だ。しかも所謂絶世の美女というのはまさにこのことだろう。
不要な騒ぎを招かぬように人里に紛れる事もあるのだろう、人化の魔法というべき魔法を用いたリルだが、普段は完全な狼の姿である為、人化すれば衣服の類は一切身に付けていなかった。
丁度手元には剥いだばかりの大きな木の皮があった為、下手に動かれる前に俺は思わずリルにそれを投げつけていた。
「全く、何をする!」
「"何をする!"じゃねえ!人の姿になるんなら先に言え!その顔、その身体!健全な男にその姿を晒されたらそれは完全に地獄だろうが!」
「ははぁん? さては貴様、人化した私に欲じょ…ぶおっ!?」
「いいから何かで隠せ!俺の荷物にマントぐらいあるからそれ着てろ!人の姿になるなら人並みの羞恥心ぐらい持て!」
リルが悪い顔をしていた為、何か良からぬ事を仕掛けてくる前に俺はもう一枚木の皮を顔に見舞ってやる。
頼むから服着てくれ!いや着てください!色々辛いから!
2枚の木の皮をそれぞれの手にリルは一応俺の言った通り身体の前面は隠してくれているが、その表情は何やら悪戯を思いついたかのように妖しく艶やかに笑みを浮かべている。
「ふむ、さては貴様、女を…」
「やかましい!早くマント着てこい!」
「ぷっくくっくっ…!わかったわかった、あの木のうろに荷物を置いておるのだろう? 着てきてやるから少し待っていろ」
そう言ってリルはこちらに背を向けて俺が寝床にしていた木のうろへと歩きだす。
ぶふぉぅっ!
ちゃんとマントを着てくるだろうかと思って背中を睨んでいたら、リルは何を思ったのかその大きな尻尾を持ち上げて挑発でもしているのか、尻を振りながら歩いていた。
その後、リルはちゃんとマントを着用してくれたのだが、こちらの作業に度々割り込んできては"動きにくい"だの、"落ち着かん"だのと文句を挟みに来ていた。
俺もいい加減、作業をいちいち止められるのが面倒で、最後には"だったら狼の姿に戻ればいいだろ"と反論はしたが、そちらについては首を横に振る始末である。
リルの言い分では人化を最初にさせたのは俺であり、狼の姿に戻るならば俺の料理を食ってからとか言い出し始めていた。
「メシ作れってのはまぁわかったけど、狩りはどうすんだ。その格好じゃまともに…」
「何を言っている。確かに速くは動けはせんが、動かずとも狩りくらいできるに決まっとろうが。…ほら」
「…ピィッ!?」
「なるほど」
人化したリルは狼の姿と比べて見た目には爪も牙もない為、明らかな戦力低下だと思っていたが、存外そうではないらしい。
ほら、と言いながら彼女が虚空を撫でるように手を振るだけで風の刃が森の方に放たれ、草葉の陰に隠れていたホーンドラビを仕留めていた。
そういや魔法も使えるの忘れてたわ。
リルは払われた茂みに入り、既に息絶えたホーンドラビの屍を掴みあげると、俺に投げ渡してくる。
「デカい獲物は処理に困るからやめろよ?」
「言われんでもわかっとるわ。美味い食事を期待しておるからな?」
そう言って森の中へ入っていくリルを見送りながら、俺は受け取ったホーンドラビの屍の処理に取り掛かる事にした。
とりあえず頭と各脚先を落とした後、適当に柱を立ててそこに吊るしておく。しばらく血を抜いた後は皮を剥がして腹を開いて内臓の処理だ。捨てる内臓は大きな葉で適当に包み森の中に放り込んでおけば後は勝手に魔物が処理してくれるだろう。逆に近くに捨てると魔物を近くに呼び寄せてしまうので、それは困るしな。
一応皮は剥いでいるけどなめしたりとかそういった処理の仕方は俺もとりあえずは保管だけしておいて置いておこう、最悪変装でもして魔王領か連合国領の村や街に持ち込んで加工してもらったり、売りにも出せる筈だ。
さて、リルがどれだけ食うのかがわからないけど、基本的に肉は好きな筈だ。
俺も肉は好きだがこのホーンドラビはリルが仕留めた獲物。少しだけ分けてもらうが、その肉の大部分はリルの物として確保しておこう。
あとは料理なんだけど今現状は調味料も持ち込んできた塩が少しあるくらいでかなり貴重だ。なんとかこの周辺で確保できれば幸いではあるんだが…。
それはそれとして、この辺りのホーンドラビはよく肥えているな。肉付きもそうだが脂乗りも申し分ない。もしかすると森の植物自体がそもそも栄養が豊富な可能性も考えられそうだ。
森に入って数日の間は持ち込んだ食糧を節約する方針で歩き回っていた為、野草や果物、木の実と食べられそうなものはだいたい食べている。その上でわかったのが食糧にはまず困らないという事実である。
少し森を歩けば野草が、木の実が、果物が、茸が辺りにいくらでも生えており、幾らでも手に入る。魔物も数多く生息している為、ある程度の実力があるならば肉にも困らないほどだ。まぁその実力が無ければそれこそこの森の名前同様に喰われてしまうのだろうが。
そんな事を考えながらも俺は周辺の料理に使える野草を摘んでいた。
勇者に転職したと言っても元は農民、食用に使える香草などの知識は多少持っている。ついでに種子が取れるものも回収だ。これがなけりゃ始まらない。
さて、そろそろ昼食の準備に取り掛かろう。摘んできた香草を石で潰し、持ってきた塩と一緒にホーンドラビの肉に揉み込んでやる。
摘んできた香草はかなり強い香りを放つ為、これで匂い取りと風味付けを同時に終わらせる形だ。
本当は肉を寝かせて味を馴染ませたい所だが、時間もないので今回はここまでにして荷物から調理器具を出してくる。
平鍋に下拵えの済んだ肉を乗せて火にかけてやると、肉の脂が溶け出し香ばしい匂いが辺りに漂いだす。
人間からすればそれこそ食欲をそそる良い香りなのだが、魔物からすれば強い匂いは忌避する傾向が強い。
今回使用した香草もまさにその類のもの、少なくとも周囲には魔物が大勢うろついているが、調理しながらいても集まってくる気配は一向になかった。
「あ、そういえばリルは…!」
「…私を呼んだか?」
完全にリルが元々フェンリルだというのを忘れていた。
そう思った時には仕留めてきた獲物だろう、鹿の魔物を引きずりながら鼻をつまんでいたリルが俺を睨んでいた。
「ちと匂いが強すぎるぞ」
「やっぱフェンリルだけあって強い匂いは駄目なんだな…」
「…人の姿ならまだ耐えられる。ただ風下に移動した辺りでここから酷い匂いがしているのを嗅ぎつけて戻ってきたのだが…襲撃ではなく料理だったのだな」
リルの発した言葉とその表情に戸惑い、思考が一瞬止まる。
匂いそのものは得意ではないという点は置いておくとして、襲撃? 一応は心配してくれているという事だろうか。
「しかし…酷い匂いだが人間はこんなものを食うのか?」
「あー…これに関してはフェンリルには合わんかったかもな。人間の感覚でいうとこの匂いはむしろ食欲を刺激するんだけど…なるほど、鼻が利くってのも困りものだ」
人間や魔族からすればハーブ類はその香りで気持ちを落ち着かせたり、気分を高揚させたりなどの影響を与えるのだが、フェンリルからすれば匂いが強過ぎるのかどの匂いも悪臭に感じてしまうのかもしれない。
その事を少し加味してリルの分は肉を洗うだけに留めておくべきだったな。
「フェンリルがここまでに匂いに敏感だとは思わなかったんだ。直ぐにホーンドラビを仕留めて作り直すよ」
「ふむ…まぁいい、ただその前に食ってみるだけ食ってみよう」
「えぇ…大丈夫か…?」
丁度火が通ったホーンドラビの香草焼きの脚の方をリルはひょいとつまみ上げ、口に放り込む。
そしてやはり狼の顎の強さもあってか、骨ごとバリバリと咀嚼していた。
「やはり草の匂いさえなければだな。何で味を付けたのだ?」
「塩とこのバジルの葉だよ。人間にとっては食欲を刺激するんだけどフェンリルにはダメだったみたいだ」
「草の方はいいとして、塩…とはどういうものだ? 確か以前人里で何やら白い粉を料理に加えていたのを見た事があるが…」
そういえばリルは人の暮らす場所の近くで暮らしてた事はあっても、人と深く関わってはないんだったな。ならずっと料理というか、食糧に何か調味料を使って食べるって事はしてこなかったんだろう。それなら塩も知らないのか。
「多分だけどそれが塩だな。ただあまり多くは持ってきてないからどっかで手に入れてくる必要はあるけど…。調達するなら海水を汲んでくるか、岩塩を掘り出すか、あとは人喰いの森を抜けて商人を頼るかだなぁ…」
他にも調達する方法は無くは無いがどちらにしろ海水を汲むか岩塩を掘るに近いケースだ、現実的な所を言えば一つ目か三つ目の方法だろう。一つ目に関しては森の北がどうなっているか、三つ目に関しては人里に出なければいけないので時間がかかるし、今は取引の材料があまりないのが問題だ。
「北というのは魔王領も連合国領もない方だったな?」
「ああ、両方から見ても未開の地だから地図がない。西の魔王領側からだと険しい山脈に阻まれてるし、どうもその山脈が龍の巣になってるから空からも無理らしい。龍は縄張り意識がかなり強いみたいだしな。東の連合国側からは砂漠で入り込めはするんだけど並の冒険者じゃ手に負えない様な魔物が侵入を阻んでるんだとか。かつてはそっちに領土を広げようとした国もあったみたいだけど向かわせた兵士も冒険者も碌に調査できずに全滅したんだとか」
海を見つけられれば幾分塩も入手しやすいのだが、この森が完全に内陸部にあるなら海からの塩の調達は絶望的と見るべきか。
「ならば近い内に私が見てこよう。海を探せば良いのだな?」
「ああ。それか汽水湖でもいい、とにかくしょっぱい水が汲める場所があれば塩はなんとかなる筈だ」
汽水湖という言葉に首を傾げていたのでわかりやすく噛み砕いて説明してやると、わかった、とリルが小さく頷く。
長く生きている上に人間と距離は近くは無いが多少接していた時期もあったという事で人の生活についてそれなりに知識があると思ったが、どうやらそれ程でもない様だ。
人に近い姿に化けられるのと人の言葉は扱える上、こうして寝床を間借りしても敵意を見せたりはしないのだから恐らくは人に興味自体は持っているのだろう。
それなら俺もリルとの接し方を少し変えていくべきなんだろうな。
相手は永きを生きてきた古代の神獣でも、人間生活初心者だ。知識は子供並、色々教えていく必要はあるけどそのプライドは傷つけない様にしなければいけない。少なくとも敵対心は持たれない様にしないとな。
もし面と向かってやり合えば逃げるのも難しいだろうな。勇者の剣があっても無事に逃げられるかも怪しい。まぁ面倒といえば面倒だけど、連合国にいいように使われるよりはマシか。少なくともそこに自分の意思は存在するし。
「とりあえずは大急ぎで代わりを作らないとだし、ホーンドラビを仕留めてくるから少し待っててくれ」
そう言って俺は森に入り、ホーンドラビを探しに向かった。
ホーンドラビはその名の通り、額に生えた立派な一本角が特徴の兎型の魔物だ。
兎型の魔物は非好戦的な魔物が多いのだが、このホーンドラビはその中でも好戦的な魔物になる。
大概は群れを作って集団で生活している事が多く、外敵に襲われるとその鋭い角を突き出したまま鍛えられた後脚で猛然と突っ込んでくる。
単体ならばそれ程危険という事もないのだが、基本は群れという事もあり、小さな兎型の魔物だと思って舐めてかかった駆け出し冒険者が滅多刺しにあって命を落とす、という事もままある為、連合国領では見た目で危険性を判断するなという例によく挙げられるくらいには有名な魔物である。
ホーンドラビは森に入ると直ぐに見つかった。
リルが先程仕留めた場所の近くに巣穴が見つかったが、どうやらここはひとつのコロニーになっている様だ。
詰まる話が、かなりの規模の群れがいるという事になる。
息を潜めて巣穴を観察していると、一匹だけホーンドラビが頭を出して周囲の音を聞いている。
兎型の魔物というだけあって聴覚に優れているのは間違いない。そして先程のリルからの攻撃を受けた事もあってまだ警戒しているのだろう。
真正面から仕留めにかかれば直ぐに助けを呼ばれ、周辺の巣穴に潜んでいる仲間から一斉に襲いかかられるのは自明の理だ。
さて、そうなるとどうするかだが、ホーンドラビは好戦的と言ったものの、その対応は相手による、というべきだろう。
どちらにしても近付けばその角を武器に頭突きを仕掛けてくるのだが、相手の強い弱いで単体で仕掛けてくるか、群れで仕掛けてくるかは変わってくる。
個体としてはそれほど強いとは言えず、半端にホーンドラビより強い者が仕掛けてくれば群れの力で倒そうとしてくるのがこの魔物。弱い相手にはイキり散らすってワケだ。
俺は武器らしき物を見せない様にしつつ、ホーンドラビのコロニーの側を気配を殺しながら歩く。
僅かな音に反応する程ホーンドラビの聴覚は優れている為、巣穴から周囲の様子を伺っていたホーンドラビは当然俺に気付くと、頭を振り回して巣穴を飛び出して来ていた。
誘導は成功、ホーンドラビは弱者である俺を狙いコロニーの外へと飛び出して来ている。こうなれば群れの脅威は無い。
「ギュイッ!」
「おっと」
追いついてきたホーンドラビが頭から突っ込んで来たが、ひらりと身を躱す。すると勢い余ったホーンドラビは角から木に突っ込んでいた。
「キュウ…」
「もらった!」
石柱の様に堅牢な木の幹に頭から突っ込んで脳震盪でも起こしたのだろうか、ホーンドラビは力無く地面に落ち、多少もがきはしたものの暴れられる状態ではなかった為、首根っこを掴んで簡単に捕まえる事が出来た。
他の個体や魔物の気配は無い、これで捕獲完了だ。
「さて、あとは締めながら戻るか」
首を折り、頭を落として血を抜きながら拠点に戻った俺はすぐにホーンドラビの解体に取り掛かる。
皮と内臓を除いた肉を今度は泉から流れ出る小川でよく洗い、肉の血生臭さを落とした後、今度は塩だけを揉み込んで火にかける事にした。
「うむ、これだこれ。私はこういうのを求めていたんだ!」
火が十分に通ったホーンドラビの肉を頬張りリルはすっかりその味にご満悦の様子。ただの塩焼きではあるが、これまで殆ど生肉しか食べてこなかっただろうリルにとってはそれだけで珍しく、新鮮な味わいなのだろう。
「そいつは何よりだ。…うん、こっちも美味いな、よく脂が乗ってる!」
口に頬張るとひと噛みする度に芳醇な肉の旨みが脂と一緒に溢れ出してくる。兎型の魔物の肉はこれまでもかなり口にしてきたが、人喰いの森のホーンドラビは格別だと自信を持って言える位だ。
「む、ディラン。貴様は骨は食わんのだろう?」
「そりゃあ人間だからな。リルが香草で香り付けした肉を進んで食べない様に、俺達人間も骨を進んで食うやつは殆どいないからな」
「ならば私が食ってやろう、骨は好物なのだ!」
俺が残していた骨を見て顔色を変えてリルが迫ってくるが、彼女が手を伸ばしてくるのを振り払った。この骨もまだまだ利用価値はあるんだからな。
「悪いけど骨はこっちで用がある。だからこれはやれないな」
「何だと!?」
「自分の分の骨で我慢してくれ」
リルは俺の食事の残骸である骨がどうしても食べたいみたいだが、この骨は他に利用する目的がある為、譲る事はできない。
俺は食事の残骸であるホーンドラビの骨を石の上に広げ、魔道具をハンマーに変える。
そしてまず叩いて細かく砕き、その後、塊を潰してやったあと、石の上ですり潰して粉にしていく。
粉末になった骨は一度、皮袋に入れておいて後々使うつもりだ。
「ディラン、骨を粉にしていた様だが、あれは何に使うのだ? もしやこれがさっき話していた塩という奴なのか?」
リルは俺が骨を粉にする様子を食い入るようにずっと見ていた。
その上で出来た粉だが、リルはこれを塩だと思ったらしい。
「違う違う、これはあくまで骨の粉であって塩じゃない。畑に使うつもりなんだ」
「畑に? 人間とはよくわからない事をするのだな。そうすればホーンドラビが生えてくるというのか?」
「ははは、だとしたらびっくりだな。でも違う、これは肥料の材料なんだよ。これを土に混ぜてやると野菜なんかが良く育つのさ」
「肥料…? ああ、確か人間が畑に糞を撒いていたが、あれと同じか」
リルは骨が肥料に使えるとは知らなかった様だが、肥料の事は一応知っていた様だ。
「そう、そういう事。だからリルが食べる分までは取らないから俺の食べる分から出た骨まで取らないでくれよ?」
「人間は骨まで食わんのは知っていたからな、捨てるつもりならばと思っていたが使うとわかったなら私も諦める」
ちゃんと説明してやればリルは子供と違い聞き分けがいいから本当にありがたい。
骨粉は普通の農村じゃ貴重な肥料だからな。それにまだここは畜産をしていないからそもそも肥料自体が貴重だ。
強いて言うなら腐葉土が採れるかというところだし、一度周辺を探索しないと。
「そういや今ので足りたのか?」
「実を言えばちと足りん。だがその分は夜に期待するとしよう。…さて、私は寝るとするか」
「ああ、そう…」
食って直ぐに寝ると牛になるとは言うが、フェンリルの場合はどうなのだろう。
まぁ人化してあのナイスバディだ、普段から狩りはしているから運動量は十分足りているんだろうな。
食事を終えたところで俺は再び家づくりと畑づくりだ。4本の柱に木板を嵌め込もうって所でリルに邪魔されたんだっけか。
柱に溝を彫っていき、木板が嵌まる様に調整を行っていく。
多少の隙間は仕方ない、後で何かで埋めれば問題は無いはずだ。候補は粘土か樹液あたりか。
壁を嵌め込んだら今度は入り口だ。開き戸は部品を作るのに手間がかかる、引き戸なら枠を作って板を削るだけなのでそれで済ませよう。あとは屋根だな。
屋根を作るにあたり困るのは雨だ。雨漏りは勿論だが、そもそも釘が無い為、どうつけるかに非常に悩む。それに雨量もだ。雨量が酷い地域であればそれだけ強い作りにする必要があるし、冬の降雪が酷い様であれば平屋根はダメだ。
「なぁリル。この辺りって雪と雨はどのくらい降るんだ?」
「む? 雨はそれほどだが雪はかなり積もるな。冬は獲物が見やすいのと見にくいのがはっきり分かれるぞ。大物が見やすくなるのは私にとっては有り難い、狩りの時間が短くて済む」
質問の意図は噛み合わなかったけど、とりあえずここは豪雪地帯という事で間違いないそうだ。この小屋は冬までに新しいのを建て直さないとだな。
そう考えると踏ん切りもつく。この小屋は一時的に使うものと考えれば、しっかりとした造りにするという考えはすっぱり諦められた。
とりあえずは雨さえ凌げれば問題無いので適当な出っ張りになる部分をつけてロープで屋根を固定しよう。
そうなれば今日中の完成は諦めて明日に備えて夜にロープでも編むとするか。
方針も決まり、少し肩の荷が下りた気がする。
あとはまだ日も高いし、出来る事を考えないとな。
とりあえずやることを地面にでも書き出そう。
まずは屋根と引き戸用の木板は用意するとして、それと屋根を取り付ける木枠だな。細かい削り出しは明日に回すとして今日は大まかな木板を切り出すだけに留めるか。固定する為のロープは夜に編んで完成は明日を目指すとしよう。
次に畑だけどちゃんと耕すのは今日は無理だな。
とりあえず少し拾ってきた香草なんかの種を植えられる小さな畑ぐらいはできるか。種蒔きと水遣りもだな。
一旦生活に関わる部分についてはこのくらいで、あとは食事に関する部分か。肉続きになるけどメインの食材はリルが仕留めてきたこの鹿…確かコイツ、サンダーホーンだっけな。
雨の日に落雷を呼ぶとか聞いたな。んで角を避雷針みたいにして帯電すると、しばらくの間あちこちで暴れまわるとか。雨の日から何日かはサンダーホーンには近付くなって聞いたことがあるぞ。
なんにせよ、サンダーホーンを捌かなきゃ始まらない。俺は魔道具を短剣の形に変え、サンダーホーンの解体を始めるのだった。