第2話:勇者、辞める決心をする。
さて、そろそろ俺がどうやって勇者を辞めたかという事について、纏めるとしよう。
とりあえず俺達はガルガンドの王の謁見を終えた翌朝、予定通り兵士に見送られながらガルガンドを発ち魔王領の広がる西へと向かった。
そしてこれまた予定通りにその日の夜には野営中のガルガンド兵の一団と合流し、その作戦会議に参加することになったのだ。
予め聞いた話を要約すると、ガルガンド兵達は策も弄さず真正面からぶつかるつもりらしい。だが、改めて千里眼のスキルで魔王軍の防衛拠点を探ると、一般の兵士からすれば途方も無い力を持つオーガやミノタウロスといった大戦力を控えていた。しかもよく見ると身につけた鎧からは軍の部隊長クラスだということが判り、もしこのまま正面からぶつかり相手が本気で潰しにかかったならば数分と持たずに俺達以外は全滅を迎えていた事は容易に想像が出来る。
とは言え、この布陣を見る限り、魔王軍も恐らくは大きな戦力差を見せつけて戦意を喪失させた上で適当に相手をして追い返す事を想定している布陣だな。
こっちは騎士と呼べる隊長格が数人いるけど騎士としては新米レベル、あとは雑兵だらけ。
「作戦は至って単純である!勇者様達が少しでも消耗せずに敵将を討てる様、我々が正面切って突撃を仕掛け、敵の前線に穴を開けるのだ!」
…などと、騎士が拳を作って会議に参加している兵士達に声を張り上げていた。
うん、絶対無理。俺達いなきゃ勝てっこないだろうし…俺達がいなきゃ成り立たないっていうか、何なら詰まる話が俺達任せって事だろ?
俺達がいるから無駄に士気上がってるし、最悪決死の特攻とかしかける気じゃないかコレ。
いやいや待て待て、冗談じゃない。こちとら勇者辞める気満々なのに俺達が原因で人が死ぬとか寝覚め悪いじゃん。責任感じちゃうだろ。
「…一つ、いいでしょうか?」
「どうされましたかな、勇者殿?」
「いや、ええと、魔王軍の布陣なんかは既に確認できてるのかなーって思いまして」
「ええ、ミノタウロスとオーガを確認しておりますな。…ですが、勇者殿であれば彼奴らなど物の数にもならぬでしょう!我々は命を賭して、勇者殿が奴等を蹴散らす為の露払いを引き受ける所存にございます」
うーわ、勝手に"命を賭してー"とか言っちゃったよ。しかも周りの兵士も乗り気じゃん。
死をも恐れない俺カッコいいとか思ってないか? 無駄に死なれたんじゃ残された俺達は寝覚めが悪いんだよ、だったらまだ俺達に任せて最初からここで待っててくれた方がマシなんだけどな。
いくら部隊長クラスのオーガやミノタウロスがいようと俺達が負けることはまず無いし、他のゴブリンやオークがいてもさして変わりはない。
打ち破るだけなら別に俺達だけでもいいんだが、恐らく魔王軍側も元々こいつらを追い返すだけで無駄な血を流す気はなく、血気盛んなのはこいつらガルガンド兵だけだ。
さてさて、問題はここから。魔王軍のオーガやミノタウロス、ゴブリンもオークも種族は違うが、実を言えば普通に生活を営む魔王領の住民であって、決して知性のない魔物とはまるで違う。野心に満ちた人間が攻めてくるから彼らも無抵抗でいるという訳にもいかず、止むを得ず軍を構えているに過ぎない。この戦いの目標は如何にしてお互い血を流す事なく、平和裏にこの戦いを終わらせられるか。そして出来ればそのどさくさに紛れて野心に満ちたガルガンドを懲らしめつつ、勇者の使命を放り出せるかだ。
とりあえず、勇者の使命を放り出すという俺個人の目標は置いておいて、どうやってこの戦いで両軍が血を流さずに終わらせられるか、それについて考えていくとしよう。
まず、実際に会わないとわからない事ではあるが、今まで魔王軍と戦ってきた事から向こうがそれほど戦いを望んでいない事はまず間違い無い。彼らはあくまで自分達の生活が脅かされるから戦いに応じているのであって、自分達から積極的に戦いを仕掛けてくるような野蛮な存在ではない。人間達が自分達と容姿の違う魔族達を恐れ、勝手に危険で野蛮な魔物と同一視しているだけなのだ。
実際、鍛えられていない魔族と人間達がぶつかればまず間違いなく魔族が勝つだろうが、それは人間同士だとしても体格や能力に恵まれた人間とそうでない人間が争ったとしても同じ事だ。人間が魔族に戦争を仕掛ける理由にはならない。
魔族も言葉が通じる以上、話し合い手を取り合えるのに人間が戦争を仕掛けるのは魔族を危険視するという理由よりも一部の野心家が領地の拡大を、一部の差別主義者が魔族の排斥を目論んでそうしている、というのが俺が勇者として旅を続けてきた中で見出した結論である。
その前提で考えるとするならば、何とかしなければならないのは目の前で魔王軍を打ち倒してやろうとしている血気盛んなガルガンド軍だろう。
彼らは皆、瞳に自分達の勝利を信じて疑っていない、そんな確信めいた煌めきを宿している。
あとは仮に自分が倒れても勝利さえ手にすれば、生き残った仲間達が自分の武勇を持ち帰り、名誉の殉死として語り継がれる、のだとか考えている筈だ。
じゃあそうさせているのは何だと言えばそれは間違いなく俺の存在だろう。勇者というのはそういう存在だということは今まで嫌でも目にしてきた。
俺がいるからガルガンド兵が奮い立つ、そうでなければこの戦力差の魔王軍に真正面から突撃などただの犬死でしかない。ガルガンド側もそんな兵の浪費みたいな真似はしない筈だ。
魔王軍も士気の低い兵士達相手なら無茶はしないだろうが、このガルガンド兵達の士気は現在最高潮にある。そしてガルガンド兵の士気を支えているのは俺の存在で、俺がいなければその戦意はいとも容易く折れると俺は見ている。
と、なれば俺という心の支えが無くなれば彼らも戦意を失いガルガンド軍も魔王軍も致命的な衝突は避けられる筈だ。
「勇者殿、何やら難しい顔をしてどうされましたかな?」
「あ、いえ、少し考え事を。…しかし、俺達が楽をする為にみんなが命を賭けるだなんて言うのがどうにも申し訳なく…」
「はっはっはっ!何を仰られる、我々は勇者殿がいるからこそ命を張れるのです!ガルガンドに栄光あれ、…などよりも、勇者殿と肩を並べ戦える、役に立てる、それこそが最大の誉れなのです!名前はもちろん、この戦いも歴史書の一欠片にも載りはしないでしょうが、その事実だけで我々は命を投げられるのです!」
オーケー、オーケー。よぉ〜っくわかった。とりあえずこいつらのガルガンドへの忠誠心は殆どない。多分俺達がいないでこの戦いに投入されていたなら今頃ここは葬式ムードだろう。んでもって、俺がこの戦いから血も流さずに逃げる様な事があれば恐らくはかなり失望させてしまうだろう、俺自身の名誉も一気に地の底だ。
どうしたもんだろうな、凄くめんどくさい。
こうなるといきなり朝を迎えて戦闘に突入したら、もう止まらないだろうし、俺達も止めようがなくなる。手を打つなら夜の間になんとかしないとな。
「そう仰られると俺達も頑張らなければなりませんね…。とは言え、俺達の為にみんなに死なれるのも心苦しい、そこで俺も一つ提案というか、とりあえず、最初の突撃については少し待っていただきたい」
「我々の事を気遣って頂けるとは…。しかし、何か他に良い案が?」
「良い案、という訳ではありません。ですが、いきなり突撃といっても今回はこちら側が攻め入る戦だと、ともすれば、敵方も相応の備えをしていると考えるのが自然な流れでしょう」
「ううむ、なるほど…。しかし奴等にそんな事を考える様な頭が…? いや、しかし勇者殿は魔王軍との戦いを何度も経ている筈…」
よし、騎士に疑念を抱かせられた!
…こいつら本気で魔族が知性のかけらも無い魔物と同じに見てるからな、それこそ幹部級が出てきたら罠だらけの防衛線を張り巡らせてる事だってあるんだぞ?
そりゃあ大半は徒らに戦闘を長引かせて兵糧切れを狙ったり、殺さず生け捕りを狙い双方最低限の被害で済ませようとするものではあるけど、彼らが本気でやろうと思えば一介の兵士程度なら剣を交えるまでもなくゴミでも掃除するように簡単に排除することも難しい事じゃあない。このガルガンド兵達はそんな事、露とも思ってないんだろうな…。
何にしても疑念を抱いてくれたなら突撃を思い留まらせるのにもう一押しという所だ!
「…勿論、これまでの経験も考慮して、ですよ。突撃を仕掛けても魔王軍が罠を張り巡らせていたら? 突撃をいなされた後に待っているのは一方的な殺戮です、とても皆さんが考えている様な名誉に満ちた最期すら遂げられません。ですので、俺達が魔王軍の偵察を行った上で改めて作戦を立て直してはと。時間については1時間あれば十分です。少しだけ、俺達に時間を頂ければと思います」
「ふぅむ…そこまで仰られるならば…ですが…いや、しかし…」
よーし、悪くない悪くない。ここまで迷えば十分だ。もうこいつに俺達を止める判断力は無い!ここでトドメの一言を叩きこんでやるぜ!
「まぁまぁ、そう迷わずとも、ここでどっしりと俺達の帰りを待っていてください。じゃあ俺達は偵察に向かいますので!」
「わ、わかりました!間違ってもいきなり仕掛けるような事にはならぬよう!」
それをするのはお前達だけだよ、失敬な!
…とりあえずこれで突撃には待ったを掛けられたし一安心だ。俺はハザクとダイアナ、アウロラを連れ立って司令室となっている天幕を出る。
天幕を出た後はそのまま見張りの兵士にガルガンド軍の野営地の外へ出ると伝えた。
「…さて、このくらい離れれば十分か。ハザク、尾行られてはないよな?」
「自分の目でみりゃ十分だろ、あいつらに盗賊の技能持ちはいねえ、隠遁スキルなんざ誰も持ってねえよ」
闇夜に紛れ声も姿もガルガンド兵達に気取られない場所まで離れた所でハザクに誰もいないか尋ねると、当たり前だ、言うまでもない、と眉を顰められてしまう。
「で、どうする? 別に偵察などせずとも魔王軍の様子はあの野営地から見ていたのだろう?」
「まあね。防衛拠点と言っても木柵を巡らせてるだけで罠も無い。確かにあの魔王軍の防衛部隊、大半は周辺の集落から掻き集めた村人だろうな。オーガやミノタウロスだって多分軍で鍛えられてはいても隊長候補の一兵卒、実戦経験を積ませる為に送られてきたクチだよ」
天幕の中から一応見ていたが、魔王軍の兵士達の装備はちぐはぐで、鉈や斧、鋤や鍬などを持っているものも少なくない。ダイアナにそれを伝えると彼女もやはりな、と指を顎に当てていた。
「だとしたら蹴散らすのも可哀想ねぇ〜…。ただこっちは完全にやる気だしぃ〜…」
「ああ、だからちょっと俺一人で向こうに乗り込んでくるよ。魔王軍も俺が好戦的じゃないのはもう解ってるだろうし、いきなり戦闘にはならない筈。なんとか話をつけてくるよ。だからみんなは少しここで待機しててくれ」
「ん、了解。おせんべでも食べて待ってるわぁ〜」
俺が一人で交渉に向かうと聞いてもアウロラは一ミリも心配すらしておらず、鞄からシートを広げておやつを食べ始める始末だ。魔王軍とガルガンド軍の衝突寸前で呑気か。
「じゃ、行ってくる」
そう仲間に伝え、俺は単身、ひとっ走りして魔王軍の防衛拠点の前へ辿り着く。
魔王軍の兵士が櫓から俺を見つけたらしい、一応弓を構えてこっちを睨んでいたので、俺は両手を広げて無抵抗を示してみせた。
「や、夜襲か!」
「夜襲て。こんな真っ正面から剣も抜かずにここまで近付く夜襲があるか!」
「だったら人間が何の様だ!」
んー、ごもっとも。一応敵対者だもんな、警戒はして当たり前だ。
声を掛けてきたのは見張り役のゴブリンの青年だ。夜襲かと聞いてそうだと答えてたらどうしてたのだろう。
「あー、えーと、一応勇者なんだけどさ、ここの一番偉い人に会わせてくんない? 交渉に来たって伝えて欲しいんだ」
「勇者だと!? ちょ、ちょっと待ってろっ!」
「あー、騒いでもらうのはあんまり望んでない、みんなにも言ってくれて構わんけど騒がない様に頼むな? 俺も立場ってのがあるしさ」
「わ、わかった…!」
ゴブリンの青年は俺が勇者と聞いて、一瞬慌てた様な素振りを見せていたが、無抵抗の構えを見せたまま交渉に来たと聞き、不思議そうに首を傾げて拠点の奥へと消えていく。
とりあえず無抵抗なのは伝わったみたいだし、勇者だと言うことはまだ疑問に思っているだろうが、軍の兵士が出てくればそこは何とかなる筈だ。
そうして少しすると、大きな足音と共に二本の捻れた角に厳しい牛ヅラのミノタウロスが松明の炎に照らされながら姿を見せてくる。
「見張りから勇者が来たと聞いたが…証拠になるものはあるか?」
「ああ、ほら、剣と証。これでいいか?」
「…確かに。しかし、その剣を抜かない保証は無いだろう?」
剣と証を見てとりあえずは俺が勇者って事はわかってくれたみたいけど、まぁ不安だよなぁ。単独とは言え人間側の最高戦力だし、剣を振り回せばこんな小さい防衛拠点なんか吹っ飛ぶもんな。
「じゃあ大きい布でもくれたら剣に巻きつけてすぐ抜けなくするし、交渉の間は預けててもいいよ。本当に話し合いに来ただけだ、切った張ったは俺も望んじゃいない」
そう伝えてやるとミノタウロスの男は直ぐにゴブリンの青年にテント用の余った布を見張り台から投げてきた。
俺はそれを受け取ると、鞘に入れたままの剣にぐるぐるぐると巻きつけ、最後に紐で縛り、すぐに抜けない様にする。
そうしてる間に俺の事を聞きつけたのか、魔王軍の兵士達がぞろぞろと集まり変な目で俺に視線を集めていた。
まぁ、妙な光景ではあるだろうし否定はしない。布を巻き付けた剣を手に近付き、そのまま剣を預けると、彼らは恐る恐るとそれを受け取る。
「噂には聞いていたが…本当に戦う気が無いのだな?」
「そりゃあまぁ…以前は何度も魔王軍とやり合ったけどな。ただ…そうしてるうちに色々思うことが出来た、そんな所だ」
剣を預けて魔王軍の兵士達に拠点のテントへ案内されている途中、ミノタウロスの兵士にそんな事を聞かれたが、話せば長い為に簡単に話してやると、まるで肩透かしを食らったような表情で角を掻いていた。
魔王軍にとって最も恐るべき存在、それが勇者となる訳だが、その勇者が話し合いの為に簡単に丸腰になり、世間話に軽く応じてきてはまぁそんな気にもなるか。
「戦闘の意思がない事はわかった。かけてくれ。剣も直ぐに返させる」
「ああ、俺も騙し討ちみたいな事は考えてない。信じてこの場を設けてくれてありがたい」
「あとは申し訳ないが、城や街ではない為、出せる茶も無くてな、もてなせない無礼については目を瞑って頂きたい」
「お構いなく。もてなしてもらう為に来た訳じゃないし、むしろお願いを聞いてもらいに来たんだ、それで怒りなんてしないよ。あとそんな畏まられても困る」
「そう言ってもらえるならば幸いだ。…とは言え話し方については身に染み付いたものだ、いきなり崩せと言われてもなかなかな…」
「あぁ、根っからの兵士か、だったら仕方ない」
簡単なやり取りの間にこちらの立場を伝えるとミノタウロスの兵士は少し安堵したように息を吐いていた。
まだ士官と言う立場でもないのだろう、恐らくだが魔王軍も人材不足で参っていると見える。一兵士の立場で現場の指揮を任されているこの男には少し同情したくなる。
「まずはこちらの自己紹介をしておこう、勇者って言うのはわかってもらえたと思うけどまだお互い名前も名乗ってないしな。俺はディラン、ディラン・ハイランド。用件としては一応ガルガンドの王命でガルガンド軍に合流はしたけど何とか衝突を回避したいと思っている、その上で協力を頼みに来た」
「驚いた、包み隠す気も無しか…」
「包み隠して遠回しに言っても伝わらなきゃ意味がないし、協力を頼みに来た以上信用して貰わなきゃ無理な頼みだしな。嘘も隠し事も一切する気は無いよ」
ミノタウロスの兵士は俺の話をちゃんと聞いてくれているのだろう、最早、納得を通り越して呆れて拍子抜けしている表情だ。
「…誠意には誠意で返すのがミノタウロス族のしきたりだ。私もこれから頼まれる事については正直に応じたいと思う。私はミノタウロス族のブラウン、魔王軍の一兵卒に過ぎないが一応はこの拠点の指揮を任せると上から遣わされている。勇者と一兵卒では立場が釣り合わんが急な会談故、容赦頂きたい」
「立場なんて飾りだよ、元々向こうの指揮はガルガンドの騎士だしな。お互いの自己紹介が済んだ所で早速本題に移らせてくれ。ガルガンド軍の方には偵察の体で1時間程野営地を離れる許可を受けてるからあまり遅くなると、騒ぎになり兼ねないんだ」
「承った、そちらの要求を聞かせてもらう」
話の前口上が終わった所で俺はブラウンに明日ガルガンド軍が攻めてからの動きについて話す。
指揮官はガルガンドの騎士ではあるものの、俺から提案すれば断れはしないだろう、それを前提とした話と、予想できるイレギュラーについてもブラウンに伝える事にする。
「…ふむ、確かにこれならば筋は通せるな」
「ああ。騎士や兵士ってのは一部の例外を除けば規律やしきたりを重んじる。面子の方が先に立つ生き物だからな」
「しかしそれではディラン殿の勇者としての面子が立たんのではないか?」
「俺はいいんだよ。勇者って立場もいい加減重くなりだして疲れてきた。常勝無敗、魔王軍を討ち滅ぼす人間達の希望の光!…その実は連合国の操り人形、侵略戦争を繰り返す連合加盟国のいい道具って立場にうんざりしてるんだ。かつての勇者がどうか知らんけど少なくとも俺はこんな立場、さっさとゴミ箱に生ゴミと一緒に放り込んで土にでも埋めてしまいたいくらいさ」
渇いた笑みを浮かべ、俺はブラウンの疑問に捻くれた様子で返してやる。ただここで話した事については全て誠実に事実と本心から話していた為、ブラウンも複雑な表情でそれに応じていた。
「現実は小説よりも奇なり、とは言うが…勇者というのも色々な気苦労を抱えているのだな…。正直、聞いていて気の毒とすら思えてきたぞ…」
「同情してくれてどうも。…まぁ、こっちは自分達でなんとかするつもりだ、ブラウン達は今話した通りに動いてくれれば助かる」
「ああ承った。いくつかのケースに応じた動きも話してくれている、こちらも明日までに全員に知らせておこう」
同情された所で行動が無ければ何も変わらないのは俺もブラウンも軍に関わるが故によくわかっている。
お互いの動きの擦り合わせを話した所で理解を示し了承の意思を示してくれていた。
「じゃあ話もまとまった事だし、俺もそろそろ戻らないとな」
「うむ、明日の件については任せてくれ、最善を尽くすと誓おう」
話を切り上げ、席を立つ俺を見送りながらブラウンは頼もしく頷いてくれた。後は俺も野営地に持ち帰り、ガルガンド兵達を上手く誘導するだけだ。
誠実に対応をしてくれた魔王軍には感謝しかない。
「なーなー、横で聞いてたけどよ、俺達戦わなくてもいーのか?」
帰る支度をしていたら、テントの中を覗き込んでいたゴブリンの青年が少し不安が入り混じった表情で尋ねてくる。
「ああ、出来るだけそうなる様に俺達も頑張るつもりだ」
「そーかー、そうなるといーなー。俺、今度親になるんだー。生まれてくる子供の為にも畑を耕さなくちゃいけないのによー、村が危ないって話だからまだ放ったらかしなんだー」
ああ、このゴブリン。こうやって戦いに駆り出されてなきゃ今頃は畑で土弄りに精を出していた筈だ。
冬が過ぎ春を迎えようとする今の季節、農民からすれば休む間もなく土を起こし、肥料を撒き、畑を耕して、種を蒔く。怒涛の忙しさを迎える時期。俺も勇者の資質に目覚め、王都から召集を受ける前はそうだったからよく分かる。
俺は勇者。勇者ディラン。勇者とは希望ある未来を望む人間に自らを顧みず勇気を与え、導き、そして救う手を差し伸べる者の事をそう呼ぶ。だが明日が勇者として生きる最後の日になるだろう。そして最後に救うのは近い未来、父親となるだろうゴブリンの青年。ゴブリンは魔族であって人間ではない? 知った事か。世界で知性を持ち生活を営むのならばそれは人間だ。魔族という括りにされていても、平和を望み、未来に命を繋げようと言うのならそれは魔族であろうと立派な人間だ。俺はそう思っている。
「ああ、期待しててくれ。きっとすぐ戦わなくて良くなる筈だ」
俺はゴブリンの青年にそう言って拳を突き合わせた後、預けていた剣から布を剥がし、背中に背負って魔王軍の拠点を後にした。
「…おう、丁度5分前か。で、どうなった?」
「ああ、上手く話は済んだよ。ただ後の事は多分、みんなを頼りにしなきゃならないと思う」
俺を待っていたハザクの質問に応えると、ハザクは一瞬、"どういう事だ?"とばかりに顔を歪ませたが、直ぐに察したのか、"任せろ"と頼もしく小さく頷き返してきた。
「凡そ、その段取りは考えてあるのだろう? ならば私達はその通りに実行するまでさ。後の事についてなら私達がどの様にでもディランの思う様に伝えておいてやる」
「表側はダイアナの仕事だな。裏は俺がやるとも。ああでもアウロラはどっちにする?」
「私はどっちかというと表側、ほとぼりが冷めた頃に動くつもりー。本なら得意だから任せてー」
仲間達には俺のワガママという面倒に巻き込む事になるが、それでも誰一人として嫌な顔はしていない。それこそ生真面目が息をして歩いている様なダイアナですらそうなのだから、本当に感謝しても感謝しきれないくらいだ。
「ああ、頼んだ。明日で俺は勇者を、みんなは勇者の仲間としての役割を辞め、勇者一行は解散になるな…」
「へへっ!まぁ色々あったよなぁ…それこそ楽しい日もありゃ喧嘩した日もあった。ダイアナにゃ何度も顔引っ叩かれたっけか」
「それはハザクが悪い。私とて聖戦士である前に一人の淑女なのだぞ? 減るものではないが、覗きや直に触られればビンタの一つくらいは覚悟して貰わねばな」
「ハザクだけじゃなくてディランも何度かやられてたわよねぇ〜。男ってのはどうして学ばないかしらぁ〜?」
「「それはダイアナもアウロラも美人なのが悪い」」
「あはは、やっぱ馬鹿ねぇ〜」
「確認しなくてもわかってるよ」
「うんうん」
俺達は勇者一行として各地を転々としていた日々を思い出し、懐かしんでは笑い合う。
ほんの数分、ほんの数分だけだが、俺達は久しぶりに心の底から笑い合っていた。
「はっはっはっはっ!」
「このハザクという奴はそういう男なのだ!ディランも大概ではあるが、このハザクはまさに論外、女の敵なのだ!」
「そういうダイアナは満更でもないみたいねぇ〜」
「んなっ!? そんな事はありえないっ!天地がひっくり返ったとしてもっ!」
「ムキになるなよダイアナ、図星に見えるぞ?」
「キィーーーッ!ディランまでっ!誰がこんな男とっ!」
帰りの道すがらもやはり話は弾んでいる。一歩、また一歩とこの楽しかった日々が終わりに向かうに連れてその日々を噛み締めながら。
そしてその時間も遂に終わりを迎える事になる。
「…さて、思い出話もそろそろお開きにしようか」
「…おう」
「そうねぇ…名残は惜しいけどぉ〜…」
「まぁ…そうだな。けじめはつけなければ」
思い出話に見切りをつけた俺は仲間達に明日の動きを伝える。そしてそれを聞いた後で三人は意外とも言える案に驚くと共に含み笑いを浮かべて親指を上げていた。
「なるほど、そりゃあ傑作だ…!いやぁガルガンドの騎士のお歴々はどんな顔するんだろうなぁ…!」
「こらこら笑うなハザク…!私も驚いたが…、いや…確かにこれなら奴等も…いや、私も何も言えないな…!」
「ぷ…よく思いつくわねぇ〜…!ダイアナも一緒にいるなら尚更ねぇ〜…!」
我ながらよく出来た案だと思う。この案なら無駄な血を流す事もまずあるまい。
更に"結果がどうあれ"誰も文句を言えないどころかダイアナが見ている手前、絶対に横槍も入れられない筈だ。
「じゃ、ガルガンドの騎士が待ってるテントに戻ってこの案を騎士様達に伝えないとな?」
この時点ではまだ眼前の野営地から俺の顔はわからないだろうが今は恐らく俺も随分悪い顔をしている事だろう。野営地に戻るまでにはいつも通りの表情に戻しておかないとな。