第1話:元勇者、役割を放棄して人知れず森へと逃げ込む。
お久しぶりでございます。彼岸花です。
連載途中の作品もありますが、筆が進まなくなりまして改めて新規に連載を始めたいと思います。
前作の方を応援してくださっていた方には本当に申し訳ないとは思いますが、まだまだ連載再開には至りませんが、どこかでまた再開したいと気持ちはありますので長い目で待って頂ければと思います…!
今回はほのぼのハートフルなハーレム開拓記という事で以前とは少し方向性を変えた作品となります。
初めてとなるジャンルとなりますが、是非応援頂ければ幸いです。
「…もう俺は知らん!」
そうぼやきながら俺は国から命じられた役割を放り出し、道なき道を歩いていた。
今頃あいつら大慌てだろう、いい気味だ。
俺はディラン、ディラン・ハイランド。元農民で3日前まで勇者、そして現在はただの放浪者だ。
手元にあるのはいくつかの野営道具と保存食、最低限の路銀と武器でもある魔道具だけ。故郷の国から持たされた勇者の証を始め、殆どの荷物は仲間に押し…預けて深い深い森の中へと逃げてきた。
今俺がいるのは連合国の領内から北に位置する通称、人喰いの森。奥地に踏み入れたが最後、誰一人として戻ってきた者はいないと言われている森だ。
その恐ろしい名前とは裏腹に、森の中は木立の間からの木漏れ日と吹き抜ける爽やかな風が気持ちいい。
「はー、誰にも文句も言われず指図もされずに気楽に流れるだけがこんなに楽しいとはなぁ…」
事の発端は旅の途中、いよいよ魔王の領地へと攻め込もうと立ち寄った辺境の都市を訪れた時の話だ。
─────
「勇者ディランよ、面を上げられよ」
「はっ」
俺は都市を訪れるなり、仲間と共にその地を治める王に城へと召集されていた。
「…ふふ、この国が魔王軍との戦争において最前線に位置する事は知るところであろう。我が国はもうかれこれ10年余の間、彼奴等との一進一退の攻防を繰り返し何とか今日まで堪えてきておる。だが、今日でそれも漸く終わりを告げる。この意味が分かるな?」
「はぁ、自分にはよく解りかねます。勇者だと持て囃されてはおりますが、元は一介の農民ですので。多少なり旅の中で見聞きした事で世界の事は学ぶようにはしておりますが…」
俺達が召集に応じた王城で謁見した王はそれはそれは野心に満ち溢れた老人だった。
俺が農民上がりだというのも既に聞き及んでいるのだろう、俺が謁見の間に通されて跪くなり、物を見定める様な目で俺を見ていた。
「ふふん、謙遜せずともよい。其方の武勇はこの辺境にも十分に届いておる。話を戻すが、我が国の騎士も兵士も十分に鍛えられた精鋭ではあるのだがな、しかしなかなかどうして彼奴等もしぶとい。魔物の癖に生意気にも必死の抵抗をみせておる、その所為で押しきれずにおるのだ」
「…なるほど、では我々もそれに加わりもうひと押しの為の一助になれ、ということですか」
勇者として国から送り出された頃ならば俺も喜び勇んで"私にお任せを〜!"だとか、"有難き幸せ〜!"だとか、恥ずかしげも無く二つ返事で安請け合いしていたんだろうな。確かに思い出したくもないがそんな顔から火が出るような事を言っていたと思う。当時の自分の無知さ加減にも嫌気がさすし、こいつらの能天気さにもいい加減反吐が出る。
そんでもってこのアホ面ぶら下げたジジイは俺達が攻め進んだその後から自分の軍を送り込んで領土を広げようとか考えているんだろう。ついでに言えば横のカーテンの陰に隠れている騎士団長なんか、そこにいの一番に乗り込んで俺達のおこぼれに預かる気だ。隠れてるつもりだろうが俺の《千里眼》のスキルでくっきり見えてるからな?
「そう理解しておるなら話が早い。明日、このガルガンドを発ち、その道すがら進軍中の野営地の兵と合流して魔物どもが防衛の拠点としておる街を攻めよ。勿論、後詰の兵も遣わせよう、褒美も取らせるし必要なものは用意させる、引き受けてくれるな?」
引き受けてくれるな、だと? 断れないのがわかっていて言ってる癖によく言うよ。進軍中の兵士だって俺達が来るってわかれば後詰の兵士と合流して悠々と
俺達が攻めた後にやってくるだろう。周りの目を見ればそれくらいは直ぐに見抜ける。
「…わかりました。勇者の名において、最善を尽くしましょう。それにあたり、多少の糧食さえ用意頂けたらと」
「ふむ、用意させておくが…それだけで構わぬのか? 戦いに用いる事の出来る魔道具などもいくつか用意出来るが?」
「いえ、必要ありません。我々は明日に備え、疲れた体を休めたいと思います」
どうせ断れないならこの場にいても何も得はない。とりあえずは引き受けておいてさっさとこの場から離れる方が面倒が少なくて済む。出発してからの事は後で考えれば十分だ。
「ならばこの城の客間を使うがよい、使用人も付けさせよう、好きにして構わんぞ?」
「お心遣い感謝致します。折角ではあるのですが先程申し上げました通り、私は農民の出でして…どうにもお城の上等なベッドや調度品の数々に囲まれた部屋というのは落ち着かないのです。安宿の硬いベッドや、何なら馬小屋の巻藁の方が落ち着いて眠れますので、その申し出についてはお気持ちだけ賜りたいと存じます」
はぁ? こんな野心の塊みたいな奴が治める城で休むなんて冗談じゃない!自分の財力だとかをひけらかしたいだけだろうし、使用人を付けるってのも体良く俺達を手元に置いて逃げ出さない様にする為の見張りに決まっている。軟禁されるとわかって受け入れる馬鹿がどこにいるんだと声に出して文句を言ってやりたいが、ここでそんな事を言えば余計に面倒な事になるのは明白だ。なので俺は感謝を伝えつつも、気遣いは無用だと謙虚な好人物を装いこの場を後にする事を伝える事にした。
「そ、そうか…噂に聞いた通り、農民の出が故のび…謙虚さというか…ふむ、倹約家であるのだな。ならばよい、明日の朝に街の西門に兵を集めさせ送り出させよう。下がってよいぞ」
今コイツ、"貧乏くさい"とか言おうとしただろ。その目は絶対農民の出と思って見下してる目だ。もう慣れてるから直ぐにわかるんだからな。
とにかく、下がっていいって事は話はこれで終わり、この後の事は適当な宿を取ってそれから考えよう。
俺達は連合国共通の敬礼で応じ、謁見の間を後にした。
──それから2時間程が経ち、俺達は旅に必要な物資を買い漁ってから大銅貨5枚もせずに泊まれるような安宿を宿泊先に決めた。
宿の場所は都市の中心部から離れたスラム街の奥。こんな場所を選んだ理由は簡単だ。プライバシーを守る為、その一言に尽きる。
スラム街の宿とは言え、客から信用されなければ商売は成り立たない。いくらベッドが柔らかくとも、値段が高かろうとも、信用の無い宿は利用される事は無く、潰れてしまう。
勿論タダでとはいかない、という前置きはあるが、握らせるものさえ握らせておけばちゃんとスラムの住民は裏切る事の無い人間が大半だ。
宿の主人にスラム街じゃそうそう見る事もない金貨を心付けとしてそっと握らせてやると、何を頼んだ訳でもなく気のいい従業員達を呼んでくれて俺の泊まる部屋の周りに立たせてくれていた。
大部屋に通してもらい、俺達は荷物も身体もベッドに放り出す。
数日歩き詰めからの街に入って直ぐこうして兵士に連れられ領主や各国の王に面倒を押し付けられる、その繰り返しだ。いい加減うんざりしてくる。ベッドは少し硬いものの、それでも漸く監視や外敵への警戒から切り離された俺はゴワゴワとした枕に顔を埋めてちゃんとした寝具で眠れる自由を噛み締めていた。
「おっと、そろそろ認識阻害と防音の魔法を使っとかないとな」
「ああ、悪いなハザク」
「いや、俺も周りをチョロチョロされたり聞き耳立てられてるのは苦手なんだよ。まぁお前さんと違って俺の場合は職業柄ってぇ話もあるがな…」
ハザクが苦笑いを浮かべながらそう言って念じると、周囲の気配がプツリと途絶える。
このハザクという男は俺が勇者として国から送り出されてから、その旅の途中で出会った盗賊だ。
年齢は30、頭にターバンを巻き、口髭を蓄えたやや痩せぎすのナイスミドルであり、俺の良き理解者でもある。
「…で、ランディよ。引き受けざるを得なかったのはわかるのだが、実際どうするのだ? どう見ても私には奴が私利私欲の為に我々を利用するつもりにしか見えなかったぞ」
「わかってる、わかってるよダイアナ。正直面倒でしか無いし、困ってる人がいる訳でもなさそうだしな…」
「かと言って断れば刃を向けてきただろうからな、辺境とは言えあれで王なのだから実に嘆かわしい」
この堅苦しい話し方をしながら頭を抱えているのは聖戦士のダイアナだ。
元は故郷の国の精鋭騎士の一人であり、話し方通りの当時は本当に融通の利かない堅苦しい奴だったが、旅の先々で俺に押し付けられる面倒に巻き込まれ続けてきた所為か、最近少しばかり擦れてきた印象がある。
容姿端麗、頭も良くおまけに顔までいい。そして剣術と光魔法に精通しており、黙ってドレスでも着ていれば誰もが一目見れば振り向くだろう。年齢は25、俺と同い年である。
元々貴族の出身だが、女性で尚且つ8人兄弟の末娘だという事もあり、家督やらとは縁遠く割と放任されていたのか、騎士として生きる事には誰からも反対されなかったそうだ。
因みに最も長く俺と旅を続けている仲間でもあり、当時はよく反発し合っていたが、今では寧ろこちら寄り。頼られる事に嬉々としていた彼女も頼られ過ぎると面倒になりだしたという事だろう。
「正直なところ、魔王軍も結局一部のやる気あるのがあっちこっちで暴れてるくらいだし、大半は連合国が仕掛けてくるから火の粉を振り払ってるだけってわかっちゃうとねぇ〜…正直だるいわぁ〜…」
ベッドで仰向けになり、瞑目しながらそうぼやくのは大魔導士のアウロラだ。
元々は放浪の魔導士であり、少しいい加減な所もあるが、連合国でも有数の魔法の使い手であり、彼女を知らない国では"賢者"とさえ呼ばれている。
魔術に関する知識に関しては異名通りだが、それ以外は自分を取り巻く環境ぐらいは気にかけるものの、何につけても面倒だ、だるいだのと結ぶ困ったちゃんである。
彼女の容姿を言い表すなら、死んだ魚の目をした残念な美少女というべきだろう。よく食べよく眠り、とった栄養は全て胸に行く為、行く先々で男達の目を惹く20歳である。
「んー…魔王軍も別に連合国をどうこうしてやろうって気は無いらしいしなぁ…。魔王ってのもただ連合国が魔族の王をそう呼んでるだけで、勝手に連合国を侵略しようとしてるって決めつけて喧嘩を吹っかけてるだけだし、もうこれ以上俺が勇者としてやる事ってあんまり無い様な気がするんだよなぁ。連合国内で暴れてた魔族ってのも蓋を開けてみたら連合国と交流しようとして入り込んだはいいけど存在を知られて排除に動き出した国に抵抗してたってのが殆どだし」
結論から言えば、魔王の国と連合国は真っ向から対立はしておらず、ただただ連合国が一方的に魔王の国に怯えて排除しようとしており、魔王もただただ一方的にやられる訳にはいかない為に軍を送り抑えこんでいるだけというのがこの世界の大まかな構図である。
また、この他にも竜人の国や蛮族が治めているとされる未開の地などと言った地域もあるが、こちらも特段野心を抱いて争いを起こそうとしている訳ではないらしい。
「…だとしてどうするよ? 勇者なんて辞められる様なモンじゃあねえだろうしな」
「それなんだよなぁ。勇者って呼ばれて熱に浮かされて引き受けたはいいけど、俺ってば、結局は魔王の国に侵略戦争を繰り返す連合国の旗印みたいな扱いじゃん?」
「…確かにそうだな。かつては私も魔王軍を悪だと信じてやまなかったが、ランディと旅を続けて目が覚めた。正直、今では祖国どころか連合国全体が魔王の国を侵略する悪の枢軸にすら見えている」
「かと言って勇者辞めて魔王軍に寝返りますぅ〜…なぁ〜んて言えば益々面倒だしねぇ〜…は〜だるぅ〜…」
俺たちはこの通り、誰かに課せられた自分達の使命というやつに疑問を抱き、既にやる気を完全に失っていた。それはもう、こんな勇者の証という奴を火山の火口にでも放り込み、全てを投げ出して第二の人生を歩みたいくらいに。
「なぁ」
「ん〜…?」
「なんだよ」
「早く言え」
完全にやる気を無くした俺が短く呼びかけると完全にだらけきった仲間達が短く返事する。
俺は枕に突っ伏し、ダイアナは椅子の背もたれに身体を預け、ハザクは床に転がったまま、アウロラは半分眠りかけながら。
「俺、勇者辞めるわ」
「ああ」
「ん〜…」
「おう」
やる気なく一大決心を宣言した俺に仲間達もやる気なく応じる。こうしてやる気を無くした勇者一行の旅はぬるりと終わりに向けて動き出す事になった。
─────
「魔王様、先日の勇者達との交戦により被った村々被害の状況を纏めました」
「わかったわ、そこにおいて頂戴」
「魔王様、こちらは先月の勇者との戦闘で大幅に戦力を失った第3機動部隊の再編案になります」
「わかった、目を通しておく」
「魔王よ、度重なる戦争で兵の士気が落ち始めている。士気の向上の為に一計を案じようと思うのだが」
「あー、そりゃマズいわね。何か考えないと…」
「姫…魔王様ー、また連合国が攻めて来ましたー!」
「勇者はいる? いるなら第2軍を向かわせて!いないなら戦力に応じた部隊を向かわせて頂戴!あ、第3軍は怪我人がたくさんいるから動かせないわよ!? え? 勇者いない? なら問題ないわ、そこなら第8重装部隊が近くにいるから指示を出してあげて!」
あー、もう無理!なんなの次から次に!報告は引っ切り無し!書類は山積み!なんでもかんでも私に投げるのホント勘弁して欲しいんだけど!?
アンタら幹部でしょうが!少しは手伝ってよ!そんな報告なんて調査含めて部下に投げりゃいいでしょうが!
軍の再編って言ってもこれ以上徴兵なんて出来ないわよ!他の部隊から移動させるしかないんだからそっちでどうにかして!
兵の士気が落ち始めてるのは問題だろうけど食料の備蓄は十分あるでしょ!飲んで食わせりゃとりあえず何とかなるし、街に出れば娼館でもなんでもあるじゃない!だいたい兵の士気が落ちてるのは戦争がどうとかよりアンタが兵を訓練漬けにしてるからよ!
また連合国が仕掛けて来たの!? あの勇者とかいうのがいるならヤバいけどいなけりゃ何とかなるんだから泣き言言ってないでさっさと行って!
魔王城は今現在、怒涛の忙しさが押し寄せてきている。それを全て一人で処理しているのは私、第666代魔王、ローズマリア。ちなみに先代の魔王は私のお父様で、つい3日前に置き手紙を残して蒸発したわ。"あとは任せた"ですって。
うふふ、このところずっとそうでしたものね?
確かにこの仕事量は嫌になりますわ。少し羽を伸ばしこられてはとは思ってましたの。勿論直ぐに戻って来られますわよね?
私もずっと横でお手伝いしていましたからよくわかっておりますわ。ですので、戻って来たらお父上もお手伝いをお願い致しますわね。
「先代魔王の行方はまだわからないの!?」
「は、はい…!未だに…!どこかお心当たりは…」
「知らないけど多分また街の酒場で飲んだくれてる筈、早く見つけて連れ戻して!」
「も、勿論そこは既に…」
「だったら周辺の村をあたる!どうせ街じゃ見つかるからって少し遠出してるだけ!基本出不精だから遠くは行かないわ!」
あー、やってらんねぇー。あのバカ親父、私に仕事押し付けてどこほっつき歩いてんだって話よ…。
…とと、いけないいけない。忙しくてつい心の底が表に出そうになってしまったわ。それにしても書類の山も処理しなきゃいけない報告も積み上がるばかりね。完全にキャパオーバー、私一人で回るわけないわ。
あぁ〜、ヤニ吸いてぇ〜。なんとか少し抜け出せないかしら? なんなら全部放っぽり出してピクニックとかいいわね。大草原のど真ん中に全身投げ出して涼しい風でも浴びながら一服とか…。
「魔王様!魔王様、しっかりしてください!」
肩を揺すられてふと我に帰ると、直ぐ横には私の子供の頃からの世話役であるメイドのアニーが心配そうな顔で私の顔を覗き込んでいた。
「え? ああ、ヤニ…じゃなくて少し寝不足でボーっとしてたわ」
「完全に外じゃ見せられない顔してましたよ…。ええと、午前の報告はこの書類で最後になりますが…昼食は早めに切り上げてまた直ぐに書類の決済を、またその後魔王の就任祝いという事で魔王様の婚約者でもありますアイゼンバーグ卿が挨拶に参られますので魔王様直々に対応をお願い致します」
「…そんなことしてる場合じゃないんだけど?」
「そ、そう言われましてもアイゼンバーグ卿は魔王軍の重臣ですし、何より魔王様の婚約者ですから…魔王様以外の者に対応させる訳にも…」
いやお祝いどころじゃないんだけど。挨拶とか手土産とかどうでもいいから婚約者なら私の仕事手伝えっつーの。あ、いいわねそれ。いいこと思いついたわ。
「わかったわ、対応はするけど昼食は後に送らせてキリのいいところまで書類を片付けることにするわ。食堂にはそう伝えておいて。以上よ」
「かしこまりました…ご無理はなされませんよう…」
アニーは不安そうな顔でそう告げると、手にあった書類の束を既に積み上がった書類の山に重ね、一礼してから執務室を出て行った。
「んっ…くぅぅ〜…!」
座りっぱなしで凝り固まった身体を解す為に椅子から立ち上がって関節を伸ばすと、それだけで気持ち良くなれそうな快音が鳴る。
「キリのいいところ…よし、ここまでにしようかしらね…あぁっ…痛たたた…あぁ〜…腰が…!」
執務をするってだけなのにこんな派手なドレスを着なきゃならないし、ずっと座り続けてて腰が痛い。
アニーにはキリのいい所までと伝えてはいたが、予定変更。書類整理は今押した判子での決済で終わりにして昼食時間までの暇潰しはヤニでも吸うことにしよう。
そうと決まれば善は急げ、身体がヤニを欲している。屋上への階段を登り切る前に私は官製品のタバコの包みを破り、その一本を咥えていた。指先には既に魔力を込めていつでも火は灯せる。
よくよく考えれば朝に起きてから今日最初の一服であり最初の屋外だ。少し遅くなったけどおはよう世界!おはよう太陽!ちょっと一服させて頂だ…。
屋上に出る扉を開けると、そこにあった筈の灰皿は無く、その代わりに大きく喫煙禁止と書かれた立て看板が置かれていた。
「ああ、これはこれは魔王様。息抜きですか? ですが、先日の陳述書に承認印がありましたので今しがた灰皿を撤去した所でして」
「え? 私そんな陳述書に判子突いたかしら…?」
突然知らされた話に私は咥えていたタバコを落としてしまう。
いや、全く覚え無いんだけど。つーかそんな陳述書出したの誰よ? 冗談じゃないわよ。じゃあどこに吸いに行けば…?
「いえね、以前からここが城内に勤めている喫煙者のサボりの場になっていましてね。先日、可能であればと陳述書を提出させて頂いたのですが、まさか迅速に決済印を押して頂けるとは思いませんでしたよ。いやぁ本当に助かりました!はっはっはっはっ…」
お前かーい!はっはっはっはっ…じゃねぇよぉ!…って言っても決済印を押したのは私か…。ああ思い出した、何処のまでは覚えてなかったけど喫煙所の撤去がどうとか…え? 魔王城全面禁煙? ああいやそれ取消で…え? もう灰皿全部廃棄した? いやぁ仕事が早いわねー…。丁度手が空いたからすぐできそうな事から手をつけた? なるほどなるほどー…
「もうやだ!私魔王辞めるっ!」
「ええっ!? 魔王様一体何がっ!?」
「本日この時を持ちまして、私ローズマリアは第666代魔王を辞めさせて頂きますっ!皆さんには宜しくお伝えくださいっ!あとしばらく旅に出ますっ、探さないでくださいっ!それではっ!」
「こっ、困りますっ!今魔王様に辞められてはっ!」
「うるさいっ!文句ならパパに言ってっ!」
私の中で何かが切れたと思った瞬間には既に背中の翼を広げ、屋上から飛び出していた。
確か別邸に多少のお金と荷物を置いてた筈、それだけ持って魔王領からさっさとおさらばよ。あとはどこに向かうか…魔王領内だと直ぐに見つかるし連合国内もそれこそ戦争の火種になっちゃう。そうなると未開地だって言われてる北側が良さそうね。確か変な名前の森があった筈、とにかくそこに行ってみましょう。
『城内の魔王軍全体に通達!魔王様が城より脱走!衝動的な行動だと思われる、行動可能な者は今すぐ魔王の追跡、確保に向かえ!』
くそっ!ホントこういう時だけ行動が早えなチクショー!パパの時は動かなかったくせに!
「それはそうですよ。あの方は数日ふらっと消えても戻って来ればちゃんと働いていただけましたから」
「ひぃやぁあっ!?」
全速力で別邸に向かう私の真横について耳元で囁かれ私は全身の毛と言う毛が逆立ち、今までに出したことの無い声を思わず上げてしまう。
よく見ると真横についてたのはメイド服の背中の開いた所から翼を広げるアニーだ。
「魔王様、いえ、ローズマリアお嬢様の考えている事は全てお見通しですから」
「私は絶対帰らないからね!連れ戻すならパパを連れ戻して頂戴!」
「そう言われるかと思いまして既にお嬢様の旅の準備は済ませてあります。こちらをお持ちください」
「そうはいかないわ!私はこれを持ってそのまま旅に…ってええっ!?」
アニーは連れ戻しに来たのではなく私が執務を放り出して魔王城から抜け出すのを後押しに来たらしい。
ありがたいと言えばありがたいのだけれどそのドヤ顔サムズアップには何故か殴ってやりたい衝動が湧き上がってくる。
「行き先の目星はついておりますが、危険な森とのことですのでお気をつけて。私は出奔中のお父上を探して連れ戻して参りますので魔王領については御心配なさらぬよう!それでは!」
そう言い残してアニーは軌道を曲げ、王都へととんぼ返りしていった。
助かったわアニー!流石、持つべきものは有能メイドね!殴りたいって思ってごめん!しばらく帰らないからパパを宜しく頼むわ!
「たまに様子を伺いに参りますが、怪我や病気には何卒お気をつけて。それとお弁当を渡すのを忘れておりました、道中でお食べくださいませ。お嬢様の大好きなロック鳥のオムレツも入れてありますよ」
「わあい、アニー大好き!…じゃないわよ!二回も驚かせないで頂戴!」
とんぼ返りしたかと思ったアニーが再びとんぼ返りして戻ってきており、さっきと同じように耳元で囁かれてついツッコミが遅れてしまった。
「申し訳ありません。丁度この先に目標が現れる様ですので恥ずかしながら戻って参りました」
「えぇ…どういうことなの…?」
「お嬢様、前をご覧下さいませ」
アニーが指差した先に見覚えのある人影が私の行く手を阻む様に姿を現わす。
両手を広げ私の前に立ち塞がったのは第665代魔王こと、バルバドス。パパだ。
「フハハハハ!我が娘よ、そうはさせんぞ!私があの地獄のデスクワークから逃れる為には何としてもお前に残って貰わねばならんのだ!さぁ娘よ、城へと引き返すのだ!私も血を分けた娘に実力行使に打って出たくはないからな!」
何言ってんだこのオッサンは…。そもそも私が城を飛び出したのはお前のせいだっつーの…!
不敵に笑い城へと追い返そうとする父に怒りが湧き上がってくる。
「うるっせぇぇぇっ!」
「バルバドス様、失礼をば!」
パパのニヤついた顔に怒りのボルテージが最高潮に達した私は気がつけば最高速を維持したまま両足からパパの顔面に突っ込んでいた。
それと同時にアニーもまた、私と表裏逆の体勢で両足から突っ込んでおり、パパの顔面は完全に歪みきっている。完璧に息の合った侍女とのツープラトンドロップキックが決まると、パパは腫れ上がった両頬で満足そうな顔をしながら真下に広がる森へと墜ちていく。
「ナ…ナイスキック…!それと母さんに似て、随分黒が似合う様になってくれた…!父さん、嬉しいです…!あとアニーはそろそろクマさんはキツ…」
「「エクスプロージョン!」」
「ヌッハアアアアッ!?」
何見てんだエロオヤジが!娘の下着見て鼻血噴いてんじゃねえ!
「クマさんの何が悪いってんだご主人様オラァッ!」
「ちょっ、アニー、アニー? グーパンはあっ、ダメッ、あっ、あっ、ちょっ、落ちっ、痛っ、痛いっ!」
あ、本気でアニーがキレてる。空中でマウント取ったまま全部顔面入ってるわ。
「ご主人様確保ッ!お嬢様、後は私にお任せをっ!行ってらっしゃいませっ!」
アニーの再度のサムズアップに私もサムズアップで応じ、私は見送られるまま北へと向かう。
少し振り向いてみると、私を追いかけてきたと思われる魔王城の幹部達が父を取り囲んでいた。それ以上追いかけて来ない様子から、執務が出来る人物を確保出来た事から十分な成果だとして溜飲を下げたのだろう。
これで晴れて自由の身だ、私は暫しの家出を楽しむとしよう。…まぁパパもいるしお城は多分大丈夫、そのうち満足したら帰る…かなぁ?