盗む皇女。後悔する男爵令息。僕は君を愛している。
ああ…こんなつもりではなかった。
あの人は黒のドレスを着て、覚悟したかのような眼差しで、呟いたんだ…
さようなら…ラルフ。
そう、呟いたんだ。
ごめん。ごめん…こんな事になるなんて…
ごめんなさい。
僕は君を助けたい。
絶対に助けたいよ…
ラルフ・レートン男爵令息は、男爵家の三男で、茶髪の冴えない容姿の青年である。
男爵家の三男なんて、いずれは家を出なくてはならないし、ろくなもんではなくて。
そんな中、王立学園で懸命に勉学に励んだおかげもあって、ラルフは王宮の事務職へと採用が決まり、それはもう天に上る心地だった。
王宮の事務官になれば、少なくても食べるのに困らないだろう。
そう、はりきって就職したのだが…
今、やっている仕事ははっきり言ってパシリである。
先輩事務官が調べたい事があれば、王宮図書館へ行き、書物を借りて来る。
お茶が飲みたいと言えばお茶を淹れ、他の部署に届け物をしてくれと言われれば届け物。
おかしい…こんなはずじゃなかった。
仕事を覚えるどころか、仕事なんて教えても貰えない。
いつ首になってもおかしくないパシリだなんて…
希望に燃えて就職したのに。ラルフはがっくりと項垂れた。
そんな中、王宮図書館で書物を借りる時に、ちょっとした楽しみが出来たのである。
図書館の館長は、この国の皇女アリエッテ様。橙の髪の鮮やかな綺麗な人だ。
歳は20歳。ラルフより二つ年上である。
彼女は働きたいと、まだ婚約者もおらず、図書館長を勤め、国のあらゆる書物を集めて研究する学者達に貢献していた。自らも有名な恋愛小説作家であり、彼女の書く恋愛小説「燃える愛のレビーナ。秋」は今や、ベストセラーである。
そんな有名人とラルフは顔見知りになったのだ。
いつもは、他の図書館員が応対してくれるが、とある日、アリエッテ皇女自ら応対してくれて。
「ごめんなさいね。今、受付が席を外しているみたいだわ。わたくしが探してきますからお待ちになって。」
「も、もしかして。皇女アリエッテ様っ???」
「そうよ。わたくの事、よくお解りね。」
「それはもう。その橙の鮮やかな髪は皇族の証ですし、貴方様は有名人ですから。」
アリエッテは鮮やかに微笑んで、
「わたくしの恋愛小説を読んでくださっているの?」
ラルフはその綺麗な微笑みに思わず見惚れて、真っ赤になる。
「いえ、僕は男ですから、恋愛小説はちょっと…」
「男性でも読んでみたら、きっと…女性の気持ちが解ると思うわ。」
「そうかもですね。有難うございます。今度、買って読んでみます。」
嬉しかった。有名人と話が出来たのだ。
それはもう、綺麗な皇女様と。
今日一日この出来事だけでとても幸せに思えた。
それから、ラルフは図書館へ書物を借りに行く用事が楽しみになった。
アリエッテ皇女は、受付にいなくても、探せば図書を整理していたりして、図書館にいる事が多いのだ。
ラルフは受付で図書館員に必要な書物を探して貰い、そのついでにアリエッテ皇女に挨拶をする。
「この間はどうも…あの…読んでみました。【燃える愛のレビーナ。秋。】僕でもとても楽しめて、とてもドキドキしました。恋する女性の気持ちが解ったというか。」
「まぁ。読んでくれたのね。有難う。」
鮮やかに微笑むアリエッテ皇女。
身分違いは解っているけれども、もっとこの微笑みを見ていたい。
でも、今は仕事中だ。
ラルフはアリエッテ皇女に、
「また、図書館へ来た時に話しかけていいですか?」
「よくってよ。貴方のお名前、この間、書物を借りる時に書いてくれたわね。
記載帳に。ラルフ・レートン。」
「はい。男爵令息です。すみません。こんな下の身分の僕が、皇女様と話をしてしまって。でも、もっと話をしたくって。」
「それなら、どう?今度のお休みにお茶でもしない?わたくしも貴方とお話したいわ。」
「えええっ??いいんですかっ?」
「ええ。王宮の近くのカフェでお茶しましょう。」
お茶の約束をしてしまった。
ラルフは本当に幸せだった。
約束の日、待ち合わせたカフェで、先に席に座って待っていると、アリエッテ皇女が現れた。だが、声をかけられるまで誰だか解らなかったのだ。
眼鏡をかけて、髪は茶髪にし、目立たない水色のドレスを着ていたのだから。
席につくとアリエッテ皇女は、
「わたくしの髪、目立つでしょう。だから、変装してきたの。」
「成程、これなら、アリエッテ皇女様と解りませんね。」
「さぁ、わたくしに聞きたい事とかあるんではなくて?」
「聞きたい事。ううううん。ただ、貴方に会いたい。そう思っただけなんです。」
「まぁ、どうして?」
店員が注文を聞きに来たので、珈琲と、ケーキをそれぞれ注文する。
ラルフはアリエッテ皇女の笑顔を見つめながら、
「その、貴方があまりにも綺麗だから…」
「嬉しいわ。わたくし、ずっと前からここのカフェでお茶したかったの。一人で入る勇気がなくて。貴方が一緒で、お茶出来て嬉しいわ。」
「僕が一緒でですか?」
「そうよ。」
幸せだった。彼女と一緒にいる時間がとても幸せで…
その後、アリエッテ皇女と色々と話をした。
「わたくしは、全国から図書を集めて、研究者の役に立てたいの。
埋もれていた書物が見つけ出される事によって色々な事が解るわ。
わたくしはこの仕事に一生を捧げるつもりなの。」
「素晴らしい生き方ですね。僕もお手伝い出来ればいいのですが。」
なんて高い信念を持っているのだろう。
アリエッテ皇女は嬉しそうに。
「そうね。貴方は貴方の仕事がある。王宮の事務官の仕事は大変でしょうけど、わたくし達皇族を始め、国民達の役に立っている素晴らしい仕事なのだから。頑張って欲しいわ。」
「そうですか。僕はまだお茶くみですけどね…頑張っていつか胸を張って皇女様に仕事の事をお話したいです。」
ラルフは気が軽くなった。
アリエッテ皇女が書いている小説の事も聞いてみる。
「あの小説に出て来るヒロインは激しい恋をしていますね。僕も激しい恋をしてみたい。
今まで、女性に縁が無くて、冴えない男爵令息なんて誰も相手にしませんから。」
「そうなの?貴方、話をしていてとても楽しいわ。もっと自信を持ちなさい。」
「アリエッテ様が楽しいと言ってくれるだなんて。とても嬉しいです。」
身分違いは解っている。だけど、ラルフは好きな気持ちを抑えられなかった。
思い切って頼んでみる。
「また、機会があったらこうしてお話したいです。」
「わたくしもよ。また、お会いしてお話しましょう。」
アリエッテ皇女が何を思ってそう言ってくれたのか、解らない。
ただただ、ラルフは幸せだった。
ラルフはアリエッテ皇女に恋をしたのだ。
恋をするとすべてが輝いて見える。
辛かった毎日だって、アリエッテ皇女の顔を見る事が出来れば、その日一日、幸せで。
たまにカフェでお茶に誘われる。
美味しい珈琲とケーキを食べながら、話すひと時。
それは凄く幸せな時間で。
ラルフは本当に幸せだった。
この時が永遠に続けばいい。
恋人とか結婚とか身分違いだから、望めない。
ただ、ただ、会ってアリエッテ皇女の笑顔が見られればいい。
それだけで良かったのだ。
そんな日々が一月程続いた頃、アリエッテ皇女の誕生日が近いと聞いて、ラルフは何かプレゼントをあげたいと思った。
給与が安いので安い物しか買えない。
綺麗なピンクの花をあしらった小さな花束を買って、誕生日の日の朝に図書館へ顔を出した。
朝早いから誰もいない。
もしかしたらアリエッテ皇女も来ていないかもしれない。
図書館の中を探してみる。
ふと、奥の部屋から灯りが漏れているのが見えて。
奥の部屋にいるのかな…
早く花束を渡してお祝いの言葉をのべたい。
そう思ってラルフは奥の部屋の扉を開けてしまった。
机の上に積み上げてある明らかに古そうな書物の前で、懸命にペンを動かしているアリエッテ皇女。
ラルフを見て、立ち上がり、真っ青な顔をして。
「何故、入って来たの。出て行ってっ。お願いだから出て行って。」
「あの、お誕生日おめでとう。お祝いを言いたくて。」
「いいから、出て行ってっ。」
アリエッテ皇女がドアを指さそうとした拍子に積みあがっていた本に手が当たり、ばらばらと机から落ちて。
ラルフはその本を拾い上げ、思わず中身を見てしまった。
そう…その本の中身は…
「この本って…【燃える愛のレビーナ。秋。】にそっくり…この書かれているセリフも…」
アリエッテ皇女が縋りついてきた。
「お願いだから、誰にも言わないでっ。」
ラルフは気が付いてしまった。
盗作だったのだ。
古い書物から写して書いた盗作。
ラルフは首を振って。
「貴方は全国から書物を集めて、研究者の役に立てたいとおっしゃった。
この書物を自分の物にして満足ですか?本当にこの書物を書いた人は悲しんでいます。きっと。例え、この世の人でなくても。この書物の事を正直に研究者や国民に報告すべきだと思います。それが、王宮図書館長の貴方の仕事ではないですか?」
アリエッテ皇女は泣きながら、
「そうね。貴方の言う通りだわ。わたくしが間違っていた。
この書物の事を皆に話します。ごめんなさい。ごめんなさい…」
アリエッテ皇女はラルフの胸に縋って泣き続けた。
この結果、アリエッテ皇女がどうなるかこの時のラルフは解っていなかった。
そして、半日後…アリエッテ皇女は新聞社を通じて発表したのだ。
【燃える愛のレビーナ。秋。】は、発見された古い書物に書かれていた恋愛小説だという事を。自分はその書物を盗作していたことを。そして王宮図書館長を責任を持って退職する旨が書かれていた。
ラルフは青くなる。
先輩の事務官が、ため息をついて。
「可哀想にな。皇女様。近く病で亡くなるだろうよ。」
「どういう事ですっ???」
「ここの国の皇族は不祥事に厳しいんだ。
皇帝陛下の姉君も昔不祥事を起こしたせいで、病で亡くなった。
噂では毒杯を賜ったと言うぞ。」
なんてことをしたんだ。僕はっ…
ラルフは廊下に飛び出る。
王宮の入り口には騒動を発表した新聞社以外の記者が押し寄せていた。
他の新聞社も今回の騒動について取材をしたいのだろう。
騎士達が彼らを押しとどめて、通さないようにしているので中に入ってこられない。
「皇女様に取材をっ。」
「本当ですか?【燃える愛のレビーナ。秋。】が盗作とはっ。」
「図書館長を辞めるってっ。本当ですか?」
その時、現れたのだ。
黒のドレスを着て、アリエッテ皇女が。
アリエッテ皇女は皆に向かって、
「ええ、わたくしは盗作致しました。その件について謝罪したいと存じます。」
優雅にカーテシーをする。
そして、きっぱりと断言する。
「近いうちにわたくしは病で亡くなるでしょう。本当にお騒がせして申し訳ありませんでした。」
そう言うと、再びカーテシーをして、新聞記者達に背を向ける。
ラルフは後を追いかけた。
「知らなかったんだ。君の命が無くなるだなんて。ごめんっ。本当にごめんなさい。」
アリエッテ皇女は悲しそうな顔をして、
「いいのよ。わたくしが悪いんですもの。貴方とお茶した日々は楽しかったわ。有難う。」
覚悟したかのような眼差しで、まっすぐラルフをアリエッテ皇女は見つめて、
「さようなら…ラルフ。」
別れの言葉を告げると行ってしまった。
後を追いかけるが、騎士達に制止される。
「嫌だっーーー。アリエッテ皇女様っーーーー嫌だぁっーーーーーー」
奥の扉が開かれて、中にアリエッテ皇女が入って行く。
あの奥には皇帝陛下がいるのだろう。
ラルフは叫び続けた。
「嫌だっーーーー。お願いだから死なないで。アリエッテ様っ。僕は貴方を愛している。愛しているんだっーーーーー。」
騎士達に両脇を拘束されながら、泣きながら叫び続ける。
すると奥の扉が開いて、一人の人物が出て来た。
橙の髪で髭を蓄えた威厳ある皇帝、この国の皇帝陛下。ドリドレッド皇帝である。
騎士達はラルフの拘束を放し、跪く。ラルフも跪いて頭を下げる。
ラルフの前までゆっくり歩いて来て皇帝は立ち止まった。
「頭をあげよ。若者よ。」
ラルフが頭を上げて、皇帝の顔を見上げる。
皇帝は重々しい口調で、
「娘は罪を犯した。罰は受けねばならぬ。」
「でも、命まで取る事はないでしょう?」
「我が姉も罪を犯し、命を持って償った。これは皇族としての責任の取り方。お前ごときが口出ししてよい事ではないわ。」
「僕は生きていて貰いたい。アリエッテ皇女様に生きていて貰いたい。お願いです。お願いですからっ。」
フっと皇帝陛下は微笑んで、
「若者よ。わしとて人の親。可愛い娘の死を望んでいると思うか…」
そして、皇帝は身を屈めラルフのその肩に手を置き。
「それならば、お前にも責任を取って貰うとしよう。」
空は晴れ渡り、馬がゆっくりと藁を積んだ荷車を引いていて、
ラルフは藁の上に腰を下ろして空を見上げていた。
季節は春。うららかで、鳥が鳴いていてとても平和だ。
荷車の馬を操る農夫が、
「この調子じゃ、着くのは夕方になっちまうがいいかね?」
ラルフは返事をする。
「構わない。急ぐ旅じゃないしね。」
日傘を差した隣の女性がクスクス笑って、
「そうね。急ぐ旅じゃないわ。」
王宮の事務官になるつもりが、田舎町の図書館長に就任になったラルフ。
田舎町では古い書物が発掘される事があり、それを修繕したり、色々とやりがいのある図書館長だ。
そして、隣には日傘をさして微笑む愛しい妻がいて…
アリエッテ皇女は病で亡くなり、そして、自分はアンリーナという美人な妻を娶る事が出来た。
ラルフは愛しの妻に話しかける。
「アンリーナ。いい天気だね。空がとても綺麗だ。」
「そうね。とてもいいお天気だわ。」
二人は顔を見合わせる。
二人一緒にいればどこに行ってもきっと幸せ。
二人の先行きを祝福するかのように、空はどこまでも青く晴れ渡っているのだった。