第八話 放課後のプールにて 1
第八話 放課後のプールにて 1
いまどき、ニュースなんて携帯電話一台持っていればいくらでも探せるし、勝手に入ってくるものだけれど。
やっぱり朝はテレビをつけて、ニュース番組を見てしまうものらしい。
特に、祖母のような年代の人にはテレビと新聞とが確実なのだろう。
父から携帯を買って渡されているとはいえ、さすがに祖母の年齢や生活スタイルの中では最低限、電話くらいでしか使っていないようだし。
この日もそうやって、祖母の作ってくれる朝食の準備の間。テレビが朝のニュース番組を伝えていた。
出来上がったサラダのボウルを食卓に持っていく中で、なにげなくその画面をいつきも眺めていた。
──やけに真剣な面持ちのレポーター。その様子が、カラフルで軽薄なスタジオの様子と対照的で、目に留まったのかもしれない。
昨今の、エンターテインメント色に彩られ、ショーアップされた雰囲気の強い番組の中にあってしかしそれは、低い声で、淡々と語られていく。
昨夜起こったという、深夜の通り魔事件。
通り魔といっても、人間の犠牲者が出たわけではなく。
曰く、ブロック塀がまるで、蝋や飴細工で作られたそれが破壊されたかのようにぱっくりと断ち割られ、鋭利な断面を晒し崩れ落ちていた。
無数の猫や、蝙蝠や。寝入っていたであろう鳥たちや、近隣の飼い犬たちや。夜間そこにいた動物たちが一匹や二匹では利かないほどの数、無惨に切り刻まれ、殺害された。
電柱が根元から真っ二つにされ、電線が断ち切られて周辺には一時、停電までもが発生した──……。
そういった無差別な、殺害・破壊の事件。それが昨晩で、この街だけで三件目だと、レポーターは告げていた。
原因も犯人も、なにもわかっていないと。
ただ現場付近にはいずれも、周囲をひどくずぶ濡れにして、中身を洪水のあとの如く溢れさせた、マンホールが残されていたという。
「……まさか」
そう。──まさかとは、思うけれど。
ひっかかるものを感じた。
* * *
「いやいやいや。ベタすぎでしょそれ」
体育の授業中である。
体操着の、ハーフパンツ姿でのふたりひと組。バレーボールをトスし打ち上げては、キャッチしあう。
久遠としては別にどうということはない、ウォーミングアップにもならないくらいの運動だけれど。一方、ペアを組んだ不破さんは自称運動音痴に違わぬレベルで、明後日の方向に打ち上げたり、飛んできたボールを弾いたり。顔面キャッチをしてみたり。
うーん。この子、ほんとにヴォル先生なんだよね。密か、内心で苦笑する。
「でも。あんなの、人間業じゃないっていうか」
「いや、うん。私も見たよ? ニュース。たしかに得体が知れないし、不気味だし。一理あるかな、とは思うけど……絶対にそうだって決めつけるのは早いんじゃない?」
マンガじゃあるまいし。
いやまあ、マンガみたいな事態に私も不破さんも、巻き込まれてるんだけどさ。
マンガか、っていうような異世界転生、しちゃってるんだけどさ。
「そう……かな」
ゆるく投げたボールを、不破さんは一瞬掴み損ねて。あたふたと抱き着くようにしてどうにか両腕で確保する。
「久遠はなにか、感じないの?」
「うーん、今のところはとくには」
あれ以来、久遠も不破さんもあの黒ローブやほかのなにかから、襲撃を受けたり、命を狙われたりということはない。あれ以来、身の回りは平和なままだ。
一応、不破さんの家以外にも身体に負担のかからない範囲で、感知用に魔力を撒き散らしてはいる。主に通学路や、行動範囲内に限られるけれど。
それでも今のところ、それになにかがひっかかった感覚はない。
正直、あまり好きな技術ではないというのもある──気になるところに自分の魔力を残していくって、なんか犬のマーキングみたいで。前の人生ではこういう感性はなかったから、転生するってちょっと面白い。こんなふうに自分って変わるんだな、って。
このまま平和になにもなく、記憶の中に風化していってくれる出来事だといいのだけれど。
「ほんとに? ちゃんと魔力を感知するように設定してる?」
「してるよー。生物感知なんかにしてたらいちいち引っかかってキリないじゃん」
やれ通行人だ、近所のちびっ子だ、チャリンコの学生だー、って。
不破さんの打ち上げたボールが、ふらふらと大きく右側へ逸れる。小走りにそちらへ寄って、軽くジャンプして。片手で受け止める。
「ま、ちょっと注意しておくよ。魔力も全然まだ余裕あるし。バラまく魔力の数も増やしとく。差し当たってはそれでいいんじゃない?」
「え。でも、見回りとか。わたしだってそのくらいは」
「私は部活が遅くなったー、で親もお姉も誤魔化せるけど。実際遅くなることあるし。でも不破さんどーすんの? 部活入ってないよね?」
「う」
「なんなら入ってみる? バスケ部」
そのままボールを両腕の上に転がして、軽くヘディングをして。人差し指の上に戻す。くるくる回るそれを見せながら、不破さんへと首を傾げて訊いてみる。
「……やめときます」
でしょうね。やめといたほうがいい。
「いやー、しかし」
これがあのヴォル先生とはなぁ。
「ほんっと不破さんって運動、苦手なんだね。かわいーなぁ」
かつての師であった同級生は久遠の言葉に、真っ赤になって俯いた。
* * *
そうやって弄られたことが、あんまりにも悔しかったらしい。
「だからって行動早すぎでしょ」
放課後。夕焼けが最高潮を迎えて、その時間が過ぎて。少しずつ暗くなっていくそのはじまりの時間。オレンジがほんの僅かに陰って、そこに微かに紫色を帯び始める頃合いだ。
部活帰りの道を、久遠は不破さんと並び歩く。
まっすぐ行けばご帰宅。だけれど右に折れて、住宅街の中を進んでいく。
この道の先には、律花と通った母校、小学校がある。
そう。今日も一日の練習を終えて。ほかの部員たちとともに校門を出て。その瞬間に、門柱のところで待っていた不破さんから声をかけられた。
文芸部、入ってきたから。これで大丈夫だから、って。
「いいでしょ。わたしだってなにか、やりたいの」
ほっとけないよ。久遠だけに任せて自分はじっとしているなんて。
カチューシャの少女はつんと拗ねたように前を向いて、その長い髪を風にたなびかせる。
「あれ? でも文芸部ってんなら、律花は?」
「家の手伝いだって。彼女、おうちなにかやってるの?」
「あ、そっか。配達だ。あいつの家、酒屋なんだ」
うちにもときどき、儀礼用のお酒届けてくれるんだよー。
言うと、きょとんとした顔を不破さんはこちらに向けてくる。──ああ。
「そっか。言ってなかったっけ。うち、神社なの。お神酒とかに必要だから」
「えっ」
ぴくりと、その足を止める。
え、なに。そんなに驚くこと? 坂の上の、焔小路神社。あれ、うちの神社なんだけど。
「……知らなかった」
まあ、まだこの街に来たばっかりだからねぇ、先生は。
じゃ、仕方ない。
「え。じゃあ、巫女さんとか?」
「やってるよー。私もお姉も。ときどきだけど。あと、お盆やお正月は忙しいから手伝ってる」
「へえ」
すごい。初めて見た。そう言われ苦笑する。
べつに、単なる家業だし。なんにも大したこと、してないんだけどな。
それこそ先生が騎士をやってて、そこに拾われて。当たり前に同じものを目指したように──。
「でも、ほんと。無理はしないでね。先生は記憶はあってもまだ、力が戻ったわけじゃないんだから。荒事は私に任せて」
「わかってるわ。でもわたしだって少しくらい。身体がきっと憶えて──」
「憶えてても、たぶん追いついてこないっしょ?」
「うぐっ」
──ま、信じててよ。
「私、犬好きだし。猫も好きだし。ワンちゃんたちがこれ以上巻き込まれるの、見てられないもんね」
既に感覚は、町内に子機としてばらまいた魔力たちに完全同調を果たしている。なにかあれば、動く。
……と、思っていた。身構えては、いた。
「?」
だが変化はまず、魔力を介した感覚にではなく。
肉体的なそれに対し、まず訪れた。
響いたものが、あった。
「今、なんか音しなかった?」
「音?」
そう、なにか甲高いような──、
「!」
遅れ、再びそれは鼓膜に届く。
今度は久遠だけでなく、不破さんにも。ふたりの耳に、たしかに聴こえる。
「あっち! 学校……小学校の方向!」
それは、悲鳴。助けを求める、声。女性の声だ。
「ごめん、先生! 先に行く!」
察知してしまえば、そこからの行動は早かった。
まずは救助をすること。それを第一に。意識が騎士のそれに塗り替わっていくのが自覚できる。駆け出しながら、即座指先を振って。不破さんの目線の高さに炎をひとつ、松明のように残す。
「念のため! 魔力なくても使える目くらまし! ヤバくなったら私が戻るまでそれで乗り切って! 使い方は憶えてるでしょ!」
振り返らず、喉を涸らして叫び伝える。
一瞬面を食らって立ち止まった不破さんは、なにかを言いかけて、けれど無言に頷いて。久遠の背中を見送ってくれた。
こういうとき、場数を踏んでいる、意思疎通のとれている相手だと助かる。優先順位もわかっているし、こちらの意図も、多くを言わずとも理解してくれる。
「さあ……行ってくるよっ!」
ここからは私の仕事。
聖騎士、ヴォルの教えを受けた、騎士の力の見せどころ。
あの黒ローブの仲間がなんだろうと。なにをしようとしていたって。好きになんかさせるもんか。
今はこの街が、私と先生の居場所なのだから。
(つづく)