第七話 護りたい人
第七話 護りたい人
部活が終わって、時間があったらうちに来て。
それは六限目の終わりのこと。鞄に荷物をまとめながら、不破さんは真面目な顔で、久遠にそう告げた。
無理そうなら、夜に電話でもなんでもいい。大事な話があるの。
言葉を紡ぐ中のその眼差しの真剣さに、久遠は悟る。
きっと、昨日のことだ、と。
襲ってきた敵。かつてと同じその姿。私が力を取り戻した、理由。その相談と、話し合いなのだと察せられた。
そうして、バスケ部の練習を終えて。朝と同じ、彼女の家までやってきたのだけれど。
「えー。味気ないよ不破さん。っていうか、せんせー」
「……相変わらずそういうとこ、失礼よね、久遠は」
通された彼女の部屋は、なんというか、──シンプルで。
ネイビーカラーの布団のベッド。
本棚。座卓。それとクッションがふたつ。小物入れの小さな引き出しの棚に、薄型のノートパソコン一台。以上。とくにカラフルでもなく、いずれもがありふれたそれである。
というわけで、飾り気というものがあまりに乏しかった。片付いてはいるけれど、そもそもモノがなさすぎる。
「ミニマリストかっ」
「いや、あんなに極めてないから」
しょうがないでしょ。越してきたばかりなんだから。
ほら、とっとと座る。お盆に載せてきたオレンジジュースをテーブルに置いて、私服姿の不破さんは自らもクッションへ、どっかと腰を下ろす。
「──あ」
「なに?」
「え、へへ。今の座り方、昔の先生そっくりだった」
「──べ、別に。そっくりもなにも前世では本人だしっ」
部屋の設備は、あとは備え付けのクローゼットにエアコン。蛍光灯くらい。テレビやラジオも置いてないんだ。まあ、パソコンがあればある程度こと足りるか。今どき、そんながっつりテレビも見ないし。
「それで。今日呼んだ理由、もちろんわかってるわよね?」
はい本題、とばかりに手を叩いて、不破さんは話題を変える。
うん。わかっているとも。
「昨日のやつのこと。それと、私のこと。私たちのことでしょ?」
* * *
目下のところ、襲撃者の正体はわからない。
「でもあいつは前世でわたしたちを殺害しただけで終わらなかった。生まれ変わり、再会したこのタイミングでまた襲ってきた」
「──先生。嫌なこと訊くかもだけど。最初にあいつに襲われたときはどういう感じだったの?」
「……ええ」
かつて。『ヴォル』だった頃。その、最期の日。
クオンの外出を早朝に送り出して、それから再び眠った。襲われたのは、その寝こみだった。
「ああ、先生ねぼすけさんだもんねぇ。ぐーすか寝てたんだ」
「それ、あなただけには言われたくないわね。それに今は違うし」
「まーまー。似たもの師弟だったってことで。……それで?」
どうやって侵入してきたのかはわからない。
最低限、家の周りには生物を感知する結界を、騎士という身分の、当然の自衛として張り巡らせてはいた。しかしそれに一切反応することなく、気配もなく奴は、いつの間にか侵入を果たしていた。
「最初の一撃がほぼ、致命傷だったわね」
急所への一撃。それの振り下ろされる刹那に辛うじて、風の動きに反応はしたけれど。
咄嗟でかわせるほど、それは鈍くはなかった。おそらく相手は、暗殺特化型。
あとは、ジリ貧。屋内という閉鎖空間、そのほぼ全域をひと振りに薙ぎ払える大鎌を前に、治癒魔術を使う暇も与えられることなく。血を失っていきながら、あちこちを、切り裂かれながら。力尽きていった──……。
「だから、昨日。あなたが仇を討ってくれた」
「──うん。私と先生、両方の仇を、ね」
だが、これで危機は去った。安直にそう考えてしまっていいものだろうか?
「あいつがただ私と先生をずっと付け狙ってただけなら、これで終わりなんだろうけど」
「一度死んで。またこうして生まれ変わってなお、襲ってくる相手だからね──実際戦ってみて、どうだった? あれは」
「……正直、あの黒ローブ自体からは意志とか、生物らしさみたいなものは感じなかった。最後に十字に切り裂いたときもそう。実体のある感じはしなかったよ」
使い魔とか、遠隔操作とか。そういう類に近いものだと思った。
「ってことは、やっぱり」
「うん。まだ、後続がいると思う。操ってるやつがいる」
真剣な面持ちで頷く久遠。けれど一瞬、彼女はふっと、その表情を崩して。
「……なんか、懐かしいな。昔もこうして先生と、こういうときはこうだ、この戦況なら、みたいにいろいろと戦い方について教わったし、話し合ったよね」
「そういえば、そうね。なんだか昔に戻ったみたい」
その懐かしさは、いつきも感じていた。自分の中にあるかつての騎士の記憶がくすぐられて、安らぎめいたものを胸に抱く。
「ただ、あの頃と違うのはいまのところ、戦えるのがあなたひとりだけということよ、久遠」
だが、過去は過去。もう完全には戻ることはない。
あの頃と違って、今の自分には戦える力はない──いつきは自嘲気味に、その事実を心の中、再確認する。
「あれから、身体の具合はどう。魔力はまだ、あなたの中に残っている?」
不意のタイミングで久遠の身に宿った、かつての力。「クオン」としての炎。なぜそれが蘇ったのか、それもまだ判然としていない。
あるいはなにかのきっかけで自分も、と思わないではなかったけれど、不確かなものを当てにするわけにもいかない。自分自身を戦力と数えるのは不適当だろうと、いつきは思う。
「うん。全然まだ残ってるし、昔みたいに大地そのものから魔力をもらってる感覚があるよ。この世界に生まれてから、はじめての感覚だよ」
言って、久遠は指先に小さな炎を灯してみせる。
ゆらめくその火は、心許した者を焼き焦がすことはない。久遠自身の魔力によって生み出された炎だ──彼女の心理が、そこには織り込まれている。
大地の生みだす魔力を、異世界『ディ=クス』では、エーテリア、といった。
対して生物が体内から、生命エネルギーとして生み出す魔力をマーナと呼称し、区別していた。……まあ、魔導の学者様の論文でもない限りは往々にしてひとくくりに「魔力」と呼ばれることも多かったのだけれど。
あくまで、厳密な区分としては、だ。
そしてそれらを駆使し、使い分け。使いこなす。そして鍛えた各々の剣技に織り交ぜ、人々を災厄や悪人から護るために戦う。それがかの世界における、騎士という存在だった。
久遠の──クオンの得意としたものは、炎。見事、昨日ふたりの身を護ってくれた、あの灼熱の劫火だ。
「わたしにはまだ、魔力を使う者としての感覚は戻ってない。記憶の中にはあるけれど、生まれ変わったこの身体に体感として刻まれていないの。記憶のおかげで頭ではわかっていても──そうならない限り魔術や魔力というものを完全には理解できていないと思う」
だからわたしはまだ、戦えない。戦力として数えることはできない。いつ戻るのか、それとも永遠に戻ることはないのか。自分から取り戻すためにはどうすればいいのか。それすらわからない。
「ごめんなさい。あなただけに危険を押し付けてしまうかもしれない」
教え子に、いつきはそう言って頭を下げた。
「ううん。私は平気」
私は、大丈夫だから。久遠の言葉には力があって。
「むしろ、嬉しいよ。先生を護れるんだもん。私が今度は、先生を護っていける」
頷く少女の表情は、頼もしかった。
* * *
不破さんは、気付いていただろうか?
「──大丈夫、だよね」
彼女の部屋で、炎を灯してみせたのはただ自分に力が戻ったことを示すためだけではなかった。
あの炎に紛れさせて、自身の魔力を密かに「撒いた」。
不破さんやその周囲に危機が迫れば、反応をするように。術式を織り込んだその粒子を、最低限ではあったけれど、残してきたのだ。
襲撃があの黒ローブだけで終わらないのであれば、狙われた際のリスクが最も高いのは必然的に、戦闘力のない彼女だ。
できることなら、すぐ傍にずっといて護ってやりたい。かつてともにひとつ屋根の下暮らし、過ごしていた日々のように。
けれど今は、そうもいかない。不破さんには不破さんの家族がいて、自分にも同じように、両親や姉がいる。学生生活を送る現代日本の高校生という、れっきとした身分がある。
それは前世にあったものではなく、現在進行形として目の前にあるもの。
十七年というけっして短くないこれまでの人生を送ってきた中で、この世界で慣れ親しんだ一般的生活のルールというものは、そうそう捨てられるものではない。
誤魔化しながら四六時中、一緒にはおれない。
日常生活を送りながら、注意深く護るしかない──久遠にもそのことはよくわかっていた。
だから自分の魔力を最低限のセキュリティとして残してきた。
願わくば、それが危機を伝える事態など起こらぬことを願いながら。
「私が、護るんだ」
たった今、出てきた不破さんの家を振り仰ぎ、見上げながらひとりごちる。
この世界にたったふたり生まれ変わり、再会した師弟なんだから。
きっと、護りきってみせる。
(つづく)
世界観や設定に関しては今回みたいにちょっとずつ明かせていければと思っております。