第五十七話 煉獄に待つ死地に 3
不破 いつきの目の前に、既に視界はない。
感じるのは両の瞼に奔る、電流のような痛みと。涙の如く滴り流れ落ちる、自らの鮮血のこと。
開くことは、できなかった。
開いても、真っ赤に染まったそれはなにものをも、映し出してはくれなかった。
避け得なかった流体金属の刃によって放たれた斬撃は、いつきの戦いから視野と呼ぶべきものをすべて、奪っていった。
「ま、だ……っ!」
それでも彼女はなお、戦う。
なにも見えぬその瞼の裏側を見据えながら歯を食いしばり、己が感覚の出来得るかぎりのすべてを研ぎ澄ませて。
「ぐ……っ!」
横薙ぎに迫る流体刃。その刃と、自身の身体との間に剣を滑り込ませ、受け止める。殺しきれぬ勢いに押し流されながら、大地を踏み切り咄嗟の距離をとる。
着地点に迫る銀髪刃は、投げ放たれた騎士槍の挟み撃ちは、避けきれない。渾身を込めて、投槍を打ち払う。肩口の深すぎる傷口から、一層夥しい出血が噴き出す。腹部を、脚を──その傷口から全身へと、激痛が駆け抜ける。
一方はどうにか、これで防いだ。しかしもう一方は──剣を振るうだけでは、防ぎ得ない。
「こ、のぉっ……!」
魔力で即座組み上げた、防御壁を展開する。
銀髪刃は対人的な殺傷力は高くとも、対物的な破壊力では一枚劣る。無論それでもただのブロック塀如きであれば容易く切り裂いてしまう威力を秘めているが──しかし。いつきの魔力で組み上げられた防壁ならば、防ぎきれる。
そしてそれはいつきも、敵の側も重々承知していること。
故にいつきは出血にふらつく身体を鞭打ち、防御に徹したその位置をもまた、瞬時跳躍し離れていく。
「それは……読んでいる……っ!」
自身の展開した魔力防壁をそこに残し。
直後、それは不自然な輝きを放ち、歪んで──やがて、爆発を起こす。
「へー。しぶといねー」
それは、ハートの能力。魔力を爆破する、その作用によって。周囲を巻き込み砕け散る。
「当たり前……っ。こんな──こんなもので! わたしが、斃れるわけにはいかない……っ!」
背後より迫る、二体の雑兵。それらを横一文字の、振り返りざまの一閃で切り払いながら、いつきは吐血まじりの咆哮をあげた。
たとえ、ここで斃れるとしても。
それは今じゃない。
* * *
その人とは、数えきれないくらいにいくつもの思い出を一緒につくってきた。
楽しかったこと。
苦しかったこと。
喜び。悲しみ。いろんなこと。
いたわってくれたこと。痛かったこと──ほんとうに、ほんとうにいっぱい。
「やっぱり──先生は、つよい、ね」
そして、もうひとり。
その人とはこれから、同じくらい。ううん、もっと。
もっともっとたくさん、思い出を一緒に、この世界でつくっていくはずだった。
一緒の、通学路。
学校での、こと。
苦手なテスト勉強。彼女の苦手な、体育の授業。
放課後のカラオケボックス、ドーナツ屋。クレープに、カフェ。
お互いの家で過ごしたり。一緒にショッピングに出かけたり。
そんな日々を過ごせたのだろう。そんな日常が待っていた──「はずだった」。
「一対一でだって、私じゃてんでかなわない。どうやって勝ったらいいかなんて、てんで見えてこないよ、先生」
ふたり同時に相手にして。今の自分が及ぶわけがない。そんなの、わかってる。わかりきってる、ことだ。
この深層意識の世界で、立ちはだかるふたりの「先生」を目の当たりにして。そして、戦いを挑んで。──ううん、挑む前から、そんなのわかっていたこと。
振るわれる刃を受けて、傷ついて。かわしては、切り裂かれて。
魔力を撃ち合い、相殺して、直撃を浴びて。
既にこちらは、ボロボロだ。
鎧はもはやヒビの走っていないところのほうが、少ないほど。着衣は焼け焦げ、引き裂かれて──伝線だらけ。拭った口の端からは、手の甲に紅い血が滲む。
殆ど無傷の、ふたりの「先生」を前に。あまりにも自分は造作もなく、追い詰められている──……。
「でも、」
──そう、でも。
「でもね、先生。負けない。負けないよ、いつきちゃん」
それで折れてしまうようには、育てられていないから。
前世で教えられ、刻まれた騎士としての姿は、生まれ変わった今なお、ここで膝を屈する者を騎士として認めるものではない。
そして、私は。──騎士だ。
「先生に教わったことだけで! 自らのものへと研鑽し昇華せずに戦い抜こうとするほど、騎士としてのあなたを! あなたの教えを軽んじちゃいないっ!」
押さえた脇腹から、血が滲みだす。その出血が、傷がたとえ現実のものでなくとも、今この瞬間に感じる痛みだけは間違いなく、感覚としてそこに在る。
負けるものか。こんな痛みに。
幻の中の師に敗れる自分を受け容れる騎士で、あってなるものか。
ほんとうの先生が、私なんかの想像どおりの力にとどまるような、ヤワな存在であるはずがない。
ほんとうのいつきちゃんが、私の知る範囲のままの力に甘えるような人物で、在るはずがない。
ほんとうのふたりは、もっと強い。
だったら自分は。先生の教えを受け騎士となった自分は。
「記憶の中の、私の決めた範囲内のあんたたちに負けてなんかいられない! ほんとうの聖騎士は、もっとずっと先にいるんだから──……!」
久遠は、両手の剣に炎を灯す。
負けられない。勝てない相手だって、負けるわけにはいかない。
勝って、いかなくちゃ。ほんとうの「先生」が待っている、世界へ。
久遠として。
クオンとして。
今ここにあるふたりは、なにがあろうと超えていかなくては──!
「──『噴き上がれ、大地呑み込む溶岩よ、我が手に宿り、我に仇為すすべて割り砕く剛力の斧となれ』」
炎は大地を沸騰させ、迸る溶岩がその手には握られていく。剣はひと振りの、武骨な。灼熱色の斧となる。
「──『脈動する溶岩の山脈よ。我が手に届かせよ、掴ませ世。粉砕の嵐呼ぶ、圧壊の鎚を』」
そしてもう一方の手にも、また。燃え上がるマグマの灼熱が集まり、剣のかたちを変えていく。
それは戦鎚。右手の戦斧に劣らず武骨にして巨大な、叩きだしたばかりの鋼をただ写し取ったかのような、四角柱の重量をその先端に頂いた、ひと振りのハンマーが、そこに生まれる。
「私の魔力は、炎。だけど扱えるのはべつに、炎だけじゃない」
そう。その本質は灼熱。紅蓮に輝く、すべてを焼き尽くし呑み込んでいくその圧倒的熱量こそが、すべて久遠の味方。久遠の司りし、力。
「呑み込めっ! 燎原焼き尽くす炎よ! 紅蓮の波よ……ッ!」
渾身の魔力をつぎこんで、久遠は大地に炎を生む。
ふたりの聖騎士は周囲の異変に気付き、背中合わせに身構える。
彼と彼女、ふたつの白き姿へと迫るのは、燃え盛る炎の波。それは三つの方向から、巨人がその腕を薙ぎ払うかのように押し寄せて。
大地に、彼らの安全な場所はない。ゆえにふたりは跳ぶ。
だから、久遠も跳ぶ。
「は、あああああああぁぁぁぁっ!! くらいなさいよ、先生ッ!!」
全力の、一撃を叩きこむために。
戦斧と、戦鎚。
それら、己が渾身を込めた必殺の一撃を、振り上げたのだった。
* * *
「ったく。多勢に無勢は、眷属のやつらのおかげで慣れてるつもりだったんだけどなぁ」
消耗に、くらくらと明滅し霞む視界にぼやいて、椿は自らを叱咤するように、こめかみのあたりを軽く叩く。
「いくら幻。実体のない、あたしの深層意識が作り出した仮想敵にすぎないとはいえ。しぶとすぎ、執念深すぎでしょ、うちのご先祖たち。──身内の軍団」
燃え盛る、瓦礫の街。その光景を踏みしめる、敵の数は未だ、数えきれない。
果たして既に一体どれほどの数を打ち倒し、屠って戦い続けてきたのか。椿自身、数えることなどとうにやめている。
それほどまでに戦いに終わりは見えず、どうすればこの先の見えない状況を打破できるのか──それが、掴めない。
「まあ──それがあたしの、力不足な部分。乗り越えるべきところってことなんだろうけど」
身を潜めていた瓦礫を、魔力弾の驟雨が襲う。
咄嗟、大地を転がり、そのまま瓦礫の合間を縫うように駆けて。濃密すぎるその弾幕から逃れるべく、椿は活路を探す。
椿の長所は弾幕による、手数。けれど敵の数によって、それすら攻防ともに上回られてしまっている。一撃の破壊力に乏しい自分では、このまますりつぶされていくだけだ。
相応に魔力を集中させようにも、その暇さえ与えてはもらえない。
「!」
考えろ。精一杯──そうやって思考とともに駆けていた。
だから、だったのだろうか。それが椿の思考能力の限界だったのだろうか?
「しま……っ!?」
駆け抜けたその先の地形を、失念していた。そこに、無数の敵の集団が待ち受けていた。
完全に、取り囲まれる。一斉に、魔力弾の輝きが、発射体制をとりこちらに向けられる。
椿の機動力で、逃れる術はない。
椿の防御で果たして、耐えられるだろうか?
「くっ!?」
目を見開き、頬にひと筋の冷たい汗を伝わせた彼女へと、天文学的にすら思えるほどの光弾の流星雨が降り注ぎ、襲い掛かった──……。
(つづく)
<大事なご連絡>
いつも読んでいただきありがとうございます。
本作『聖騎士の師父と教え子の私はこの現実世界で、クラスメートに生まれ変わった』ですが、作者の体調面の問題のためひとまず年内お休みいただきたいと思います。
というのも現在、投薬と通院によって治療を行っている病気を患っており、こちらに先立って連載を始めた作品、『天涯孤独の、ふたりだから』と二作同時に進行をすることが困難な状況です。
片方だけでも、当初3~5日程度で一作仕上げられていたペースが、7日~10日必要とするようになっている状態ですので、それゆえの判断になります。
当面は先発作『天涯孤独の、ふたりだから』の連載に注力するかたちをとらせていただきたく思います。
どうぞ、ご了承ください。
今回も読んでいただきありがとうございました。
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