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第三十六話 眷属との遭遇 1

  

 

          第三十六話 眷属との遭遇 1

 

 

「──?」

 

 気のせいか、と一瞬思った。

 咄嗟、爪先がブレーキを踏んで。さして速度を出していたわけでない愛車は動くもののない交差点に、僅かな擦過音を残し停止する。

 

「りっちゃん?」

 

 ……の、走っていく姿があった。と、思う。右折確認をしたとき、視界の片隅にちらと見えた気がする。

 勘違いか──いや、しかし。

 

「ほかに走ったり、動いたり。そもそも起きてるコなんかいるわけないからなぁ」

 

 たしかになにかが、過ぎっていった。それは間違いない、と思う。

 じゃあやっぱりあれが、律花だったということになる。

 だが方角的に、彼女がこの辺りを動き回っているはずがないのだけれど。

 律義に一方通行を守って迂回してきた、車による移動の椿はともかく。律花が焔小路神社なり、不破家の道場なりに戻ろうとするなら、向かうべき先とここは正反対といっていい位置関係だ。

 

「……ったく。仕方ないな」

 

 手近なところでハンドルを切り返し、車体をターンさせる。

 車で追いかけるか、降りて小回りよく探すか。

 考えながら、椿は律花の姿を求め、愛車を走らせる。

 放っておくことも、できなかった。


                  *   *   *

 

 あちこちを走り回って、半ば闇雲に、自身が目撃したと思しき人影を街の中に追い求めて。

 息を切らせて手近なベンチに腰を下ろしてから、律花は自分の失敗を痛感した。

 

「まいったな……。最初から変身して、そんでもって探すんだった」

 

 そのほうが圧倒的に早かった。

 身体能力だっていくらでも強化して、あっという間に追いつけたはずだし。魔力をたよりに、探している対象を探知することだってできたに決まっていた。

 咄嗟のことに対して魔力を用いるという発想が生まれないあたりは未だ、律花自身がその力の存在に対して認識と慣熟が乏しい、それに向かっての日の浅さを象徴しているということなのだけれど。

 やむを得ない、ではなく。律花はただ自分の対応の拙さに髪をかきあげてため息を吐いた。

 

「完全に、見失っちゃった。いったいどこに行っちゃったんだろう」

 

 結構、遠くまで走ってきてしまった。

 これ以上は範囲が広がりすぎる。どうしよう、まだ探すべきか。一旦戻って、皆に生存者のことを伝えて。手分けして探すなり、また遭遇するのを待つなり、すべきだろうか。──でも、タイムリミットのことを考えると。あまり悠長なことをしてもいられない。そのこともわかっているから、律花は考え込む。

 

「いつきちゃんにひとまず伝えて、相談して──」

 

 とりあえず、状況を伝えよう。携帯電話を出そうと、ポケットをまさぐる。


 記憶にあった重みに比べて、いつしかなぜだかひどく軽い、穿いているホットパンツのポケットへ──指先をつっこんで。

 

「……あ、あれ?」

 

 そこに探しているものがないと、その段になって気付く。

 なんで。たしかに家を飛び出してくるとき、急ぎながらも押し込んできたはずなのに。

 

「え。やばっ。どこ行った、私の携帯」

 

 スマートフォンは左右のポケット、どこをひっくり返して探してみても、影もかたちも見つからなかった。

 まずい。どこかでこれ、落としたかも。

 どう走ってきたっけ。どのルートで、一体。

 おぼろげな記憶を辿りつつ、律花は立ち上がる。

 人影を探すばかりであやふやだった記憶でも、来た道を足が憶えているはずだ。戻っていけばどこかに落ちているはず。

 幸い今のこの世界では、落とした携帯を持ち去る者も、踏み敷いて砕いていく自動車の往来もない。探せば、見つかる。

 そう思い、踵を返そうとした。

 

「──ひょっとして、探してるのはこれー?」

 

 そのようにした瞬間、すっと頬の横に、見覚えのあるスマートフォンが差し出された。 

 

「え」

 

 間違いない。それはたった今探していた、自分自身の愛用の携帯電話。

 よかった、あった。ほっとすると同時、差し出されたそれを受け取る。

 

「どこも壊れてはいないと思うよー」

「あっ、はい。拾ってくれたんですね。ありがとうございま──、」

 

 いや、待て。

 

「!?」

 

 誰だよ。──いったい誰が、このすべての人間が眠りに落ちた世界で、携帯電話なんか拾ってくれるっていうんだ。あり得ないだろう。

 

「──えっ?」

 

 咄嗟と言っていいほどの勢いで律花はその場を飛び退いて、振り返って。

 自身に声をかけたその相手を見遣る。

 あまりにその遭遇は、探していた側である律花にとってさえ唐突で。

 そこにある、にこやかな顔に困惑する。

 銀髪の、サイドテール。それを揺らした、整った顔立ちの少女に。

 

「なに、そんなに驚いてるのー? 探しまわってたのはあなたのほうだって、思えたんだけどなー?」

 

 ぶかぶかの、それこそ右の肩が大きく露出するくらいのオーバーサイズの長袖Tシャツ、一枚。

 リベットを打った、革のリストバンド。

 一瞬、下にはなにも穿いていないようにも見えたけれど。よくよく見ればぎりぎり、殆どショートパンツ同然の丈をした黒のスパッツが、Tシャツの裾から時折見え隠れするのが分かる。

 

「だ、だれっ?」

「だからー。きっとあなたの探してたやつだよー」

 

 その場で少女は、くるりと回ってみせる。

 

「名前はねー、うん。ご主人は『ハート』って呼んでるよー。だから、ハート。ハート=ファンディ。そう呼んでー」


                  *   *   *

 

「──なに。どうしたの」

 

 椿さんから連絡を受けて、ひとまず二手に分かれて律花を探そう、と決めて。

 焔小路家のガレージから二台の自転車を引っ張り出してきた久遠に、信じられないものを見るような眼を、いつきが向けていた。

 

「なに、それ」

「へ。なにって、チャリだけど。戦闘になるかどうかもわかんない、ただ律花探すだけならわざわざ魔力使ってあちこち飛び回るまでもないし、ただ走るよりこのほうが早いかなって」

 

 どうせ電話繋がれば、どこにいるかなんて一発だし。

 

「……それは、そうかもしれないけど」

 

 目を逸らし、なにやら俯きがちに口ごもるいつき。

 

「──……から」

「え?」

 

 なにかを、もごもごと口の中で言っている。よく聞き取れなくて、久遠は首を傾げる。

 なんだって。なんて、今言ったの。

 

「……の。……ない」

「え?」

 

 だから、聴こえないったら。

 なんだなんだ、そりゃあうるさいくらいの大声、っていう感じの人じゃあないことは、知ってはいるけど。逆にこんなに、声小さかったっけ、いつきちゃん。

 聴こえなくて、自身と、姉の自転車を支えたまま、久遠はいつきのほうに、覗き込むようにその身を傾ける。

 なになに。今、なんて言った?

 

「──だから。持ってこられてもわたし、乗れないんだってばっ!」

「へっ」

 

 ……乗れない?

 

「自転車に? マジで?」

「そ、そうよっ! 子どもの頃練習したけどダメで、そのままなのよっ」

 

 みんながみんな、当たり前に乗れると思わないで。

 自転車に乗れる運動神経がみんなにあるわけじゃないんだから──まくし立てるいつきちゃんは真っ赤になって、涙目気味に恥ずかしげに、再び俯いて。

 あ。かわいい。恥じている相手に失礼千万は承知だけれど、思わずそんなことを久遠は思ってしまう。

 そっか。運動、できないもんねえ。いつきちゃん。

 

「……魔力は?」

「使ってみたわよっ! 昨晩、家に戻ったときに。お祖母ちゃんのママチャリ、乗れるんじゃないかって!」

「で、結果は?」

「……ダメでした」

 

 マジか。肉体強化してもダメなのか。運動神経、しこたま強化しても。

 

「い、いいでしょ別にっ。無理なものは無理っ! 自転車くらい乗れなくたって生きていけるし!」

「いや、まあ。うん。いいけど、さぁ」

 

 それでもチャリで移動するつもりだったから、はて、どうするか。

 ──まあ、いいか。この際、お姉のは置いていこう。

 

「聖騎士も自転車には勝てない、かぁ。なんかとんち話みたいだね」

「ううー……」

 

 じっと俯いて赤面し続けるいつきをよそに、久遠はチャリに跨る。

 

「ほら、行くよ」

「えっ」

 

 ──でも、わたし。乗れない。行けないよ。そうやって戸惑っているいつきちゃんが、わかった。

 わかってる。わかっているから、久遠はぱしぱしと後ろの荷台を掌で叩く。

 

「乗せてってあげるから。ほら、はやく」

 

 それは胸囲に続いて──魔術や剣技では絶対に勝てない師に対する、久遠の密かな勝利であった。

 

 

        (つづく)


第三十六話、いかがだったでしょうか。

次話は作者多忙のため、8月2日夕方以降の更新となります。ご了承ください。

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