第三十五話 律花の見つけたもの
第三十五話 律花の見つけたもの
高台にあるコンビニの前で、椿は車を停めた。
レジに税込み分のお金を置いて、ショーケースの冷蔵庫からブラックコーヒーを失敬する。
いつきの言うことにはこの世界は今、同じ一日をひたすらに繰り返している状態らしく、椿たち四人が体内に摂取したもの、直接触れているもの以外は二十四時間後にはもとあった場所やかたちに戻ってしまうとのことだったから、その小銭たちは時がたてば椿の財布に戻ってきてしまうのかもしれない。そこに置いたとて所詮、椿の自己満足なのかも──だからといって堂々と無銭にてドリンクを拝借するというモラルは、椿の中にはなかった。
払うべきものをカウンターに置いて。レジの向こうに横たわっていた店員さんをレジ奥の柱のあたりに寄せて、座らせてやって。椿はそこをあとにする。
駐車場に出て、愛車のフロントドアに腰を預けて朝の空気を感じながら、缶ボトルのコーヒーの蓋をひねり開ける。
「──大丈夫かな、りっちゃん」
ひと口、苦みと酸味の液体を呷って、息を吐くとともに呟く。
一旦家に帰るという律花を送ってきた椿だけれど。そのままひとりにしてよかったのだろうか? ──本人は大丈夫だから、とやんわりと断ってきたけれど。
「ま、ひとりが心もとないのはあたしも一緒か」
こういうとき、成人していたら。愛煙者なら気晴らしに一本、吸っていたのかな、とも思う。
生憎と父がヘビースモーカーだった椿としては慣れているから、人が吸うぶんには気にならなかったけれど、自分がそうなろうという気持ちは湧かなかった。
「けど、騎士にはなろうと思ってる。不思議なモンだな」
広げた掌に目を落とす。
なにも握っていないそこに、たしかに椿は力を手にしている。
その力で、──今はまだ不可能でも、鍛え上げれば世界を救うことができる。
どこまでやれるかはわからない。けれど。やろう、という気持ちには既になっていた。
かつて世界に異端と疎まれた魔女の血脈が。今度は世界を救う側に回る。痛快ではないか、という少々意地の悪い感覚もある。
「魔女、か」
いったいご先祖様には、どんな力があったんだろう。
椿に、水と氷の力を遺してくれた──その源泉たる存在だった人たちには。
知ればあるいはもっと、……自分は強くなれるんだろうか?
* * *
放っておけばきっとそのまま、律花は死んでしまっていただろう。
治癒を施されるまで律花には意識はなく、きっとそれきりで人生も終わっていたはずだった。
いつきちゃんが助けてくれた。救ってくれたから、自分は今こうして生きている。彼女の与えてくれた魔力が律花の資質を開花させてくれた。風の魔力を扱う、この才を目覚めさせてくれたのだ。
「でも今の私じゃ、全然足りない」
与えられたのなら。使い道のある力ならば。それを遊ばせておくべきではないと思う。
自分も、戦うべきだ──そう思いながら。戦えるのか。自分にその資格があるのか、と冷めた目で見ている自分もいるわけで。
てんで、今のところはお話にもならない。
いつきちゃんに遠く及ばない、久遠にさえずっと届かない自分を、いやというほど自覚している。
「──風よ」
指先に、一陣の風を呼ぶ。渦を巻いたそれを人差し指へと纏わせ、眺めながら。こうしたい、こうしなくては、という意志や願望と、それに自分が耐えうるかという客観の部分は切り離さなくてはならない、とも思う。
いつきちゃんたちが臨もうとしている戦いは、絶対に負けられない、勝つことが絶対条件の戦いだ。
数だけそろえればいいというものじゃあない。力のなさすぎる者が加わって、足を引っ張って。結果、彼女たちを勝利から遠ざけてしまうようでは意味がない。本末転倒だ。
「今の私じゃあ。私の風じゃあ、役に立てない」
なら強くなればいい。解決方法はシンプルだ。だがそれももちろん、その域に到達できるなら、という限定府がつく。
いつきちゃんの予想。それえあひと月、ふた月。果たしてそんな短期間で、いつきやんのような領域までたどり着けるのだろうか。おまけに彼女はまだ全然本気なんて出していない。どれほど彼女の最大値と、自分の間とに差があるのかなんて皆目見当もつかないほどなのに──やれるのか。
やりたい。一緒に戦いたい。そう思う。だけどそれらの要素が律花を悩ませ続けている。
明かりを落とした自室。部屋を出て、居間を抜けて。なにげなくベランダに出てみる。
家の中も。両親も。すべてが眠りについて静かだった。
そしてそれは、外も変わらない。
ベランダ用サンダルの、靴底が擦れる音だけがしんと静まり返った街に、見下ろすその高さの風に乗って、響くだけ。
そう、街も眠り続けている。いつきちゃんたちが勝利をしなければ、このまま皆、安楽死のように消えていく。
いつきちゃん、たち。そうやって芽生えてしまった感覚を果たして自分は、「私たち」に変えることができるんだろうか。
「──え?」
手すりに頬杖をついて、眺めていた。
街の風景はなにも変わり映えがしなくって、ずっと同じで。
それに目線が慣れてしまいつつあった。微かに、交差点のあたりを曲がっていった人影も、あまりになにげなさすぎて──ああ、なんだ。人か。犬の散歩かな。そんなありえないことを思い、一瞬納得してしまいかけていた。
「──違う。え? なんで、……どうして?」
それは一瞬、後姿がいくばくかの瞬間に視界の隅を横切っただけだった。今はもう、見えてすらいない。
「私たちだけの、はずなのに」
僅かに見えただけだったその姿だったけれど、それでも今この街に生きて動いている、律花以外の三人の誰とも、それは違って見えていた。
幻、だったのだろうか。かつてそこに見たものを、ぼんやりしすぎて虚像としてまた見てしまったのか。
「──……っ」
いいや、違う。そう、思った。
もしかしたら、私たち以外にも目覚めている者がいるんじゃないか。
いつきちゃんや久遠が、魔力の使い手としての椿さんを、実際に彼女の力の行使を目の当たりにするまで認識せず、気付かなかったように。
ほかにまだ、危険な眠りから自分自身で自分を護り得た強力な魔力の持ち主がいたのではないか。
「……だったら」
だったら、逆も然り、ということもあるかもしれない。
出会わなければならない。会いに行ってみよう。
こちらのことを、さっきの人影は気付いていないかもしれないのだから。伝え、合流すべきだ。もしかしたら私よりずっと強力な魔力の使い手かもしれない。
「追いかけなきゃ」
律花は走りゆく。
戸締りもそこそこに、スニーカーをひっかけて、家から飛び出していく。
見つけたその相手を、追いかけていくために。
* * *
「──?」
そして同じ頃、庭に出て洗濯物を干していた久遠は、少し離れた足許に見えた、その異変に気付く。
「ね、先生。ちょっと」
「うん?」
手伝ってくれていた、布団のシーツを干していたいつきを手招きする。
本来ならばこれも必要のない行為ではある。
時間がたてば、久遠たちの服も、シーツも。もとのきれいな状態に戻ってしまう。今の世界はそんな状態だ。だけど、だからといって当たり前にやっていた日常を、自分たちの側から放棄してしまうこともできない、と思えた。
「これ。なんだと思う?」
物干し竿のところからは、数歩ほど離れたそこ。境内から続く玉砂利が途切れて、土のむき出しになったそこに、いつきを呼ぶ。久遠自身も膝を折って、それを間近に見下ろす。
「……これ。新芽?」
「うん。だいぶん新しいよ。朝の鍛錬のときはこんなのなかった。昨日も、見た覚えがない」
それは鮮やかな緑の輝く、新たな命の芽吹き。なんらかの趣旨の双葉が、そこに葉を開いている。
「でも、こんなのあり得る? 私たち以外、生物はみんな眠りについてるんだよね? 植物にしたって」
「ええ。最低限の生命維持、環境維持くらいで──成長なんて、到底できないはず。ツィールの遺した確定情報よ」
種子自体は、いつのまにかこのあたりに鳥だの風だのに運ばれてきたのだ残っていたのだとは思う。だが、こうやって芽吹くなんて本来、ありえないことだ。
「うん、間違いない。朝、先生とやりあう前に。律花と軽く打ち合ったもん。この辺で」
そのときの様子を何度思い返してみても、このような緑は足許になかった。
首を傾げあい、困惑するふたり。
だがロジックをどう積み上げようと、生まれたての新芽はそこにある。
たしかなものとして、それらは生きているのだ。
そしてそれは微かな希望か。あるいは──更なる警鐘、なのだろうか?
(つづく)




