第十七話 友の言葉に、少女は決める 2
第十七話 友の言葉に、少女は決める 2
「──そう、ね。前世に関して言えば、わたしの手は汚れている。いったい何人、悪人たち、罪人たちをこの手で斬り捨ててきたのか、わからない」
聖騎士なんて、虚名もいいところよね。──この世界に生まれ変わり、育まれて。この世界の常識をはっきり理解している今だからこそ、そう思える。
そういう自分だから、反動としてこの世界では虚弱に、運動音痴に生まれてきたのかもしれない。
かつての価値観の中では煌びやかで、それに誇りを持っていた自分だからこそ。そんな過去の自分を捨てるために、そう生まれなければならなかったのかも、しれないのだ。
「先生。それは」
「でも、久遠は違う。まだ彼女は見習いだったから」
稽古は、繰り返していた。任務に付いてきたこともあった。けれどまだ、その手は汚れていない。かつてのヴォルや、騎士団の面々が。未熟であった彼女にそうさせることを良しとしなかったから。
「彼女は、身ぎれいなまま。この手が血に染まってるのはわたしだけよ、律花」
いつきは思う。
きれいなまま戦っているのは、久遠だけ。
わたしは汚れていて。なのに戦えもしない。
これで、友だちなんて呼べなくなってしまうだろうか。でも、仕方がない。
かつての現実を、偽りたくはない。
それが今ある現実の価値観とは大きく乖離しているとしても、そうやって生きてきた自分が背負わねばならぬことだ。
ただ、久遠を巻き込みたくはない。久遠まで律花に同じ目で見られるようなことは、あってはならない。彼女たちは、彼女たち同士でひと足先に出会っていたのだから。わたしが壊していいものじゃない。そう思う。
「そんなこと、言わないでよ。私はいつきちゃんを責めたいわけでも、前世での価値観を、私の知ってる価値観で非難したいわけでもない。だいたい私、そんな断罪ができるほど偉くないよ」
対する律花の声は、穏やかだった。
「自分の矜持を、そんな風に蔑まないで」
その、静かな声で。いつきに向かい諭すように言う。
言葉の選び方が、地頭の良い律花らしかった。
「いつきちゃんは前世で、そのときの久遠を立派に育て上げてくれた。だから今、こうして三人とも無事なんだよ」
すごく強くて、立派な人だったんでしょ。
久遠が、私の一番古い幼なじみが、思い出を口にするたびに何度だって目を輝かせてるんだよ。
私には前世の記憶なんてない。ただ普通に生まれて、久遠と一緒に育って。今も一緒にいる──ただの凡人だ。そんな私にでさえ、そのくらい、わかるよ。
それらの律花の言葉は優しくて。少し、泣きそうになる。
自分の無力さをただ思うばかりであった、ささくれた心を癒してくれるように思える。
「律花」
「なにより、さ。私ら、もう友だちじゃん。前世でもなんでもなく、今ここで」
こうやって、ランチを囲んでいる。
「せっかく出来た友だちの自虐なんて、聞きたくないよ。自分は違う、みたいに引け目に感じないで。私から訊いておいて勝手かもしれないけど──久遠だって、そう思うでしょ?」
自分の先生には、胸を張っていてほしいものじゃない?
「ごめん。──ありがと、いつきちゃん。話してくれて」
そうやって微笑む律花に、いつきはこのところ感じていなかった安らぎと、「許された」という感覚を憶える。
ああ、神様。
わたしと久遠をこの世界に、記憶を残したまま導いた気まぐれな神様。
少なくとも、今わたしは自身の力に恵まれていなくとも、友には恵まれている。
そのことはきっと配材をした、天にあるあなたの見えざる力に感謝しなくてはならないのだろう、と思う。
「苦しかったよね。いつきちゃんだって」
そう。このときたしかに、律花という存在に出会えたこと。そのことに対し、いつきはただ、深く深く、感謝をしていた。
だからこそ、なおのこと思った。
わたしは、この子も護りたい。
今は久遠ひとり、護る力すらないわたしだけれど。それでも。
彼女たちふたりをこの手で護れるくらいの力が、欲しい。
* * *
「すごい。広いね、この道場」
部活のあと、律花を誘った。ふたりで話をしたかった。
自室に招くつもりだったけれど、道場に興味を示した律花の希望を受けて、ひっそりと静まったそこにふたり、足を踏み入れた。
口数の少ない孫が、この短期間に久遠に続いて新たに友だちをつくり、連れてきたことがよほど嬉しかったのだろうか、祖母は昼間焼いたというパウンドケーキを切って、紅茶と一緒にお盆に載せて、道場に向かう道すがらのいつきに持って行かせた。
靴を脱いで、それぞれストッキングと黒のソックスとだけになって、板張りの道場に上がる。
「昼間は、ごめんね。なんか偉そうなこと言っちゃってさ」
「ううん。わたしは、すごく……すごく、助けられた気がしたから。素直に、嬉しかったよ」
「そう言ってもらえるとちょっと安心できる、かな。よかった」
誘ってもらえて、嬉しかった。私もいつきちゃんとはもっとたくさん、話したかったから。
なんだか楽しげに、律花はそう言ってくれた。
屈託のないその笑顔が、いつきにも嬉しい。
「食べよ。お腹すいちゃった」
運動部ではない部活とはいえ、身体ではなく頭を使うかたちで、文芸部も体内のカロリーを消費するものだった。
てっきり本を読むだけの部活かと思いきや、予想外に、自分で小説を書いている部員も複数いて。その読み合わせや、感想会なんかもやっているらしい。
やるからには真剣にやらないと──生真面目に、一心不乱に原稿用紙に向かって。おおよそ一時間、集中して、目を皿のようにして文章に挑んだ。
文芸部はラクだ、と律花は言っていたけれど。今日はそうでもなかった。
だからいつき自身もまた、そうやってカロリーを消費し脳を酷使したぶん、軽い空腹感を憶えている。
「律花は、すごいね。勉強もできて、運動神経もよくて」
わたしや久遠のようにどちらか一方だけ、ということもなくて。
「そうでもないよ。バスケじゃ久遠に勝てないし、こないだの小テストの感じ、次のテストいつきちゃんに負けそうだし。──理系がちょっと弱いんだよね、私」
それでも赤点なんかじゃないし、久遠ほど全教科壊滅はしてないけど。笑って、律花は皿の上のパウンドケーキをつまむ。
「格闘技も、長年姉弟子だった椿さんに勝ったことないしさー。なんかこう、自分だけの一番がほしいなー、とは思う」
いつきも、同じようにパウンドケーキを割って、小さくしたそのかけらをひときれ、口に運ぶ。
祖母のお菓子作りの腕は、職人並み。このケーキもまさにそれに違わず、しっとりとしていて、バターがたっぷり薫って。くるみの歯触りがアクセントになっていて、ほんとうにケーキ屋さんがつくったようにすら思える見事な出来栄えだった。
「だからちょっとは、わかる。自分が一番だった力を失って、久遠の背中を見守るのが精いっぱいの、今のいつきちゃんの気持ち」
「律花……」
悔しいよね。歯痒いよね。
自分の頑張りだけじゃどうにもならないってさ。
私もそんな感じのこと、いっぱいあったから。──まあ、今もなんだけど。
一瞬表情に浮かべた苦みのある笑いを、ニカッとした笑顔に変えて。深刻さを見せず、律花は続ける。
「ま、それは置いとくとして。誘ってもらえてよかったよ。これからのこと、私もいつきちゃんとサシで話、きちんとしたかったし」
「え」
うーん、とひとつ、身体の前で両手を組んで、伸びをして。
もっと気楽にしなよ。言って、律花は両脚を投げ出す。大きく広げて、傾けた身体を両腕で支えて、こちらに笑いかける。
「いつきちゃん。お願いがあるんだ」
お願い。心の中で、鸚鵡返しに、律花の言葉を繰り返す。
そこから先を果たしていつきは、友から求められる願いとして想定、できていただろうか?
「私に、久遠と同じことを教えて」
「──……!」
久遠と、同じこと。
それはつまり──……。
「いつきちゃん自身が、力を取り戻せずに悩んでるのはわかってる。勝手で、空気読まないお願いかもしれない」
騎士を、目指すということ?
「でも、それならその悩みを。不安を私に共有させてほしい。私も久遠や椿さん、もちろんいつきちゃんもそう。その力になりたいって、思ったんだ」
細めた彼女の眼は、真剣だった。
真面目なその表情を仄かに歪めて、微笑んでいる。眼鏡の奥で彼女は真にそれを、望んでいる。
「いつきちゃんに、私の先生になってほしい」
それは少女が、心にもう決めてしまったこと。
「騎士に、なりたいってこと」
「──そうやすやすとは、言えないよ。昼間の話を聞いたら。でもただ傍観しているのはいやだ。関係なく生きたくない。だって久遠といつきちゃんが、大変なんだもん。放っておけない。手伝いたい。だったらせめて、足を引っ張らないくらいにはなりたい」
友が、襲われていた。
友が傷つき、倒れていた。
友を救える力を、持つ人がいた。
だったら友である自分がどうすべきか。それは後退じゃなく、前進すること。
進めずにいる者に寄り添い、支えあい、補いあいたいのだと。
そう決めたのだと、いつきは律花の気持ちを理解した。
けどそれは、考え抜いた末のいつきの結論とは、正反対の願い。
やはり、巻き込めない。危険すぎる。
巻き込むわけにはいかない。この優しく愛おしい、友を護るためにも。そう決めて、心に思っていたのに。
「でも、律花。あなたには魔力が」
「私に、ってよりこの世界の人は大体、使えないんでしょ。でも椿さんみたいに使える人もいる」
だったら、可能性はゼロじゃない。
使いかたを学ぶ中で、発現するかもしれない。友の言葉は続く。
「悔しかったんだ。久遠があんなに傷ついていて。いつきちゃんがこんなに苦しんでいるのに、なにもできない自分が」
椿さんが、うらやましかった。
律花の言葉が胸を抉る。
ああ、やっぱり。この子も同じ気持ちを抱えていたんだ。
大切な誰かが傷つき戦う中で、自分にはなにもできない、それが当然であるという状況に。
「お願い、いつきちゃん」
律花は、繰り返す。
きっと自分が断っても、この子は今度は椿さんのところに行く。
そのことが、察せられた。
「私に、戦うための方法を、教えてください」
(つづく)
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