第十三話 『三人目』は少女たちを待つ
第十三話 『三人目』は少女たちを待つ
「どうかしたの、椿さん」
ハンドルを握るその女性が時折、視線を流してはサイドミラーを眺めている。
最初の配達先の荷を下ろし終えて。そのことに律花が気付いたのは、次の配達先へと向かうその、道すがら。
「……いや。今日は照り返しが強いなって思ってね」
「そう?」
とん、とん。ハンドルに添えた人差し指で、彼女はリズムをとる。
「ああ、よーく見ないと、ここから見ないとわかんないくらいだけど、今日は反射が強いよ」
いろんなとこに、きらきら見えてる。
彼女のそんなぼやきを受けて、なにげなく律花は助手席から外を眺めてみる。
とくに律花にはわからない。たしかに夕日は眩しいけれど、特段いつも見るそれとなにかが変わった風には思えなかった。運転していると、見えるのだろうか?
「目、いいんだ。椿さんって」
「まあねー」
「いいなー。眼鏡の人間としては。なかったらほんと、全然見えないし」
彼女の目に見えていた、小さな、小さな光の粒。
眼鏡というフィルターに遮られた律花の視界に、それが届くことはない。
たとえそれが、親友によってばらまかれた光だとしても。
今の律花はまだ、気付けない。
知る由も、ない。
* * *
それは俄かには、信じがたい言葉であったのだろう。
「私たち、以外……? そんなのが、あり得るの……?」
ベッドの上。クッションを抱いたまま、久遠は困惑の声を彼女に向ける。
「わからない。でもたしかにあれは、わたしでもなく、久遠のものでもないほかの誰かの力だった」
襲い来る黒いローブの襲撃者、二体。
戦う術のない女子高生ふたりで、切り抜けるための方法を必死になって探した。
それでもきっと、……律花を逃がすので精いっぱいだったろう。少なくとも今こうして、無傷同然に久遠と会話を交わしてなど、おれなかったであろう結果が待っていたはずだ。
自分は犠牲になってもよかった。半ばそのつもりで、律花を突き放した。そして迫る二体の敵の前に、この身をさらけ出した。
だが、その直後。敵は粉砕された。
何者によってか。それはわからない。少なくともその行為に及んだのは、いつきではない。
なにがそうしたのか、は明白だった。
不意に、突然に。二体の黒ローブは押しつぶされていった。
いつから上空にあったのか。どうやってそこに生み出されたのかも定かではない、ふたつの巨大な氷柱によって。
圧倒的な質量と重量とを持つその氷塊が降り注ぎ、命中をし。
敵は粉々に砕き潰された。
影は抹殺とともに消失し。あとに残ったのは落下の衝撃と、自重とによって砕け割れた、夥しいほどの氷の残骸ばかり。
「いったい誰が……?」
「わからない。でもあの状況なら、そのままわたしや律花に襲い掛かろうとすれば容易にできたはず。新しい敵に対応する余力なんてありはしなかったし、混乱もしていたから」
楽に、わたしや律花を討ちとれたはずだ。そしてそのまま、久遠だって。
「もちろん、だからといって助けられた、味方だ、なんて短絡的に判断はできない。けれど単純に敵だと決めつけられる状況でもない」
水を操る、ゲル状生物。そして黒ローブたちを粉砕した氷──つまり、これも水。水の形態変化と呼べる、同質の術。
ならばこれは、同じ術者によるものなのだろうか?
ぺりぺり、とハーゲンダッツの内蓋をはがす。
片方を久遠に渡してやる。
「ありがと。……なんか、わかんないことだらけだね」
「ええ、ほんとうに」
暑い、初夏の気温の中を歩いてきたから、コンビニで買ったアイスはほどよい柔らかさにとろけてくれていた。すんなり、プラ製のスプーンが入っていく。
濃厚なミルクの味が口の中に広がる──甘くて、冷たくて。おいしい。困惑と疑問とで酷使した脳味噌が糖分を与えられて、それだけで癒されていく気がした。
「──へえ」
「ん。なに?」
「甘いもの、やっぱし好きなんだね。そのへんも昔と変わらないなーって」
「え。だって、甘いものは美味いじゃない」
出た。その謎方程式。──これまでの真剣な表情と打って変わって、楽しげに久遠が相好を崩す。
「ほ、方程式?」
「そー。甘い=美味い。これ、ヴォル先生の方程式でしょ。あっちの世界にいた頃は方程式なんて単語、聞いたこともなかったけどさ」
甘いものは、美味い。甘い=美味い。美味い=甘い。
これで証明終了。ってね。いやあ、こっちの世界の数学って便利。
スプーンを空中で振って、意地悪に笑う久遠。
「べ、別にいいじゃない。甘党で。ちゃんと食べすぎには注意してるしっ」
むっとして、そっぽを向く。それでも食べるのはやめないけれど。
だって、好きなんだもの。
「久遠こそしっかり食べないと。あれだけ血を失って、魔力だって──、」
コンビニでもらったプラスティックスプーンの先にアイスを掬ってぱくつきながら、片目を開けて彼女のほうを窺う。
「──……久遠?」
彼女はスプーンをアイスの表面に刺したまま、不意にじっと座り込み、固まっている。
「おかしい」
「え?」
「──街にばらまいた魔力の反応が、消えていってる」
「!」
言って、彼女はカーテンを開けた窓の外を見上げる。
速い。すごく──まっすぐに。規則的に、一直線にきれいに消していってる。そう、呟く。
「……先生の、言う通りみたいだ」
なにかが、いる。
* * *
ちょっと寄り道しよっか。椿さんはウインカーを点灯させると、道の左側に見えてきたコンビニの駐車場へ、車を滑り込ませていく。
「なんかてきとーに買ってきて。アイスならなんでもいーから」
そして千円札を渡される。
てきとーに、と言われても。この状況ではわりと限られないか。そう思いながら、律花は頷き踵を返す。
カップのやつは運転しながらは食べられないし。
かき氷系はたしか、頭痛くなるからって、椿さん苦手じゃなかったっけ。どーしようかな。頭をくしゃくしゃやりながら、車を離れていく。
いや。
離れていこうと、した。
「悪いね。危なくないように、するからさ」
「えっ?」
背中を向けた律花の首筋へと、椿さんの指先が軽く、ただ軽く、当てられる。
とん、と小さな音を立てて。なにかをされる。──そう、「なにかをされた」。そこまでは律花の意識は残っていた。
その先の記憶は、ない。
すべてが、暗転をして。なにも見えなくなったから。
なにも感じない、意識の暗闇の中に、律花は沈み落ちていく。
* * *
街じゅうにばらまかれていた、魔力の粒子に気付いてはいた。
「悪いね。ちょっと眠っててよ」
たぶん、この街で。気付ける存在であったのは私だけだ。
魔力という存在を知り。行使し。気付くことができるのは。
ほんの少し、首筋に魔力を打ち込んだ。これでしばらく、律花が目覚めることはない。
眠るように気を失った妹分を助手席に戻し、シートベルトを締めてやりながら、椿は頷く。
「にしても。まさかくー嬢が、ね」
顔見知りの少女を思い浮かべる。
ひょっとしたらその相手を、これから私を手にかけねばならないかもしれない。けっして愉快なものではないそんなケースを想定しつつ。運転席のシートベルトを締める。
双眸を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。
ひとつの道筋となるように、計算しながら配達の車を走らせてきた。
その軌道が、道なりがまき散らされた魔力たちを貫き、椿自身のそれが打ち消して、追いかける側からわかりやすく痕跡が残るように、だ。
更に感覚を向けるのは、異なる魔力へと。それでいて街に充満した魔力と同質のそれの動きを、読み取らんとする。
「──うん。動き始めてるね、さすがに」
こちらに向かい、動き始めたその反応は、椿にとってもよく知る少女のもの。
久遠の、反応だ。
「それにしても、なんでまたこんな突然」
数年来の付き合いの彼女から魔力と呼ばれる反応を感じたことは、これまで一度だってない。いや、彼女のみならず、生まれてこの方、自分以外のそれなんてごく稀に、ほんの微弱なものをたまたまに感じることがあった程度なのだ。
なのについ先日、椿は膨大に沸き上がる魔力の波動を、その感覚に鋭敏に感じ取ってしまった。
それは燃え上がる炎のような、猛烈なもので。同時、親しい少女を連想させた。
あり得ない、と思った。だけれど自分の感覚がはっきりと告げていた。
これは、くー嬢の魔力だ。そしてそれがなにかとぶつかりあっている。打ち勝とうとしている。それゆえこれほどに、彼女の魔力が燃え上がっているのだ、と。
「もう一個、すんごいちっちゃいけど微かに魔力がある。こうなった原因はたぶん、それかな」
新しい友だち、って律花は言っていたっけ。
「そのお友だちちゃんに、きっちり挨拶しとかないとね」
ひとまず、もっと人のいないところに行こうか。そこで待っていよう。
愛車と言っていいほどに慣れ親しんだ配達用の、馴染みの社用車──なんて立派なものでもないか、を、椿は発進させる。
追いかけてくるふたつの気配に対して、ひとときたりとも警戒を途切れさせることなく。
たとえそれが知己であったとしても。
そしてそれら以外のなにかがやってきたとしても、見落とさぬよう。
集中を切らすことなく、彼女はハンドルを握る──。
(つづく)
本日はもう一作品更新しています。
天涯孤独の、ふたりだから: https://ncode.syosetu.com/n1860fs/
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