第十二話 友の姿は近くて遠く
第十二話 友の姿は近くて遠く
ごめ、ん。いまは、傷の手当てに、専念させて。
か細く、弱々しく。掠れた声で囁くように言った久遠は、いつきちゃんの膝に頭を預けたまま、苦しげな呼吸に胸を上下させている。
彼女による、彼女自身への治療がまさに今、現在進行形でそうやって、行われている。
淡い色の光が、うっすらと膜のように彼女を包んでいる。
火傷に、切り傷に塗れた彼女の肌が、次第にその傷や汚れを剥離させ、もとの綺麗な、健康的なそれに戻っていくのが暫しの間に、律花にも見てとれた。
なんなの、これ。これがいつきちゃんの言っていた、戦うってこと。そのための、力?
そんな困惑に満ちた心のまま、律花は、長身の新しい友人の言葉を聞く。
それはいずれもが荒唐無稽で、信じ難くて。
でもこの夜、目の前で起こったことを思えば信じるよりほか、ないもので。
「前世の、記憶。そんなものがほんとうに……?」
ほんとうにあるのだ、と理解するより、ない。
ふたりがかつて、同じ世界に生きていて。密接な関係で。
同じ日に死んだこと。そしてまったく無関係の「久遠」と「いつき」として、つい先日の再会まで互いの存在も知り得ぬまま、この現代社会に生まれ変わった、生まれ変わっていたということ。
その再会と、襲撃をきっかけに久遠はあの炎の力を取り戻した。
なぜ取り戻せたかはわからない。久遠自身にも、いつきちゃんにも。
しかしその力がふたりを護り、立ちはだかる敵を倒し。今はこうして、久遠自身を癒している。
「力を取り戻せたのは、今のところ久遠だけ。……情けないよね。わたしはこうして、この子を労わって、心配してあげるしかできない」
それは私だって同じだ、と律花は思う。
だけれどその無力感は、たった今巻き込まれ事情を知った、もともとは彼女たちの置かれた状況とまったくの無関係であった律花のそれとはくらべものにもならないだろう。
彼女にとって久遠は前世からの大切な存在。かつての彼女にはそれを護ることのできる力があって。なのに、今はない。悔しくて歯痒いに、決まっている。まして今の、この久遠の傷ついた姿を目の当たりにすれば、猶更だろう。
今、この世界で。幼なじみの私だって久遠の今の姿は痛々しくて、心配で。見ていられないって思えるくらいなのだから。
「アレは。あの黒マント……ローブを潰してった氷は?」
「……わからないわ」
律花の問いに、いつきちゃんは首を横に振る。
少なくとも、わたしの知る限りこの世界で、わたしや久遠の知るような力は絵空事や都市伝説、あるいは遥か大昔の神話や伝説といった類でしか周知も存在もないものだった。
だけど自然現象というには、タイミングもなにもかも出来すぎている。あれは確実に誰かによって行使された、魔力による産物。
わたしたち以外に、同じように力を使う、使える者がいる。果たしてそれが敵なのか味方なのかはまだ、わからないけれど──。
そうやって静かに紡がれたいつきちゃんの言葉は、淡々としていて。だけれど律花の心の深いところには入ってこなくて。
遠い。遠く、感じる。
信じられない。けれど信じざるを得ない。信じたい相手の言葉である。
それらみっつが、複雑に入り混じって、律花の喉へと、彼女に返すべき言葉を生み出すことを、困難にする。
「ひょっとしたらあなたは、わたしや久遠にはあまり関わらないほうがいいのかもしれない」
今日みたいに。ううん、今日以上にもっと危険な目に、遭わせてしまうかもしれないから。
それは友から律花へ向けられた案ずる言葉だ。
だけれど同時、それは律花への宣告にも聞こえて。友への距離を感じさせる。
そう、律花への。「自分たちとは違う」、第三者の、無関係の人間への──そんな障壁に遮られた、向こう側からの言葉。
うん、とも。
いやだ、とも。律花は言えなかった。
目の前にいる友人たちが、出来たばかりの友に、幼い頃からの最も親しい友。そのふたりがあまりに、遠かった。
すぐそこにいるのに。
ふたりは、ふたりだけ。
彼女たちの領域に、自分はいない。そう、思えてしまった。
* * *
そんな慄然とした感覚を抱えたまま迎えた、翌日である。
ひと晩が明けたその日、学校に久遠の姿はなく。担任に訊けば、発熱で欠席とのことだった。そのうえに、いつきちゃんはどこか気まずげで。あちらから、なにか言いたそうにしながらしかし、言葉を交わすこともなく。一線を引こうとしている、そう感じたからこちらも、無理に迫る気にはなれず。
それゆえの無為な一日だった。──その気分のままぼんやりと、家の手伝いをしている。
缶ビールの詰まった段ボール。なにげなく持ち上げようとすると、横からひょいと、割り込んで持っていく腕がある。
「──あ。椿さん」
「なんか元気ないね、りっちゃん」
高峰 椿さん。アルバイトで入ってくれている、大学生だ。高校生の頃からレギュラーで働いているから、もう二年ほどの付き合いになる。
すらりと細くて、小顔で。美人だけれど力持ち。女性として出るところだってばっちり出ている。律花のそれ以上に短くこざっぱりとまとめたショートボブの髪がボーイッシュなシルエットをつくって、活発的な彼女の雰囲気によく似合っていた。
「いよいよりっちゃんも恋の病──ってわけじゃなさそうだね。なんか不景気な感じのローテンションの気がする」
「ええ、まあ。当たりです」
「ふーん。どったの?」
正直、あまり掘り下げられたくはなかった。訊かれたところで律花の口から言える部分は少ない。
しかし同時に、もやもやしてしまっている気持ちを持て余した今は、こうやってあちらから声をかけてもらえ、気にかけてもらえるということ自体をありがたくも思う。
少し、気が紛れるのを自覚する。
「ちょっと友だちと噛み合わなくて。いろいろ訊きたいし関わりたいんだけど、相手はむしろ来るなって感じでいるというか」
「ふーん。ひょっとしてくー嬢かい?」
「……ええ。それと、新しい友だちがひとり」
くー嬢。久遠のことだ。久遠もまたこの人とは顔見知り。昔からこの人は、あいつのことをこう呼ぶ。
「私が知らない、久遠の友だちが出来て。すごくいい子で。私もその子とは友だちになれたんですけど」
荒唐無稽で、一笑に付されるような部分はひとまず置いておこう。
あくまで一般論として、相談をすればいい。そうさ、それでいい。
「私が、その子と。久遠だけの秘密を知ってしまって」
「へえ。出歯亀っちゃったんだ?」
「──言葉悪いなぁ。……とにかく。私はなにか手伝いたい、もっと関わりたいって気持ちがあるんです。だけど相手はそうじゃなくって」
「ふうん」
業務用の、金属製のビール樽を台車に積んで、椿さんは律花へ、ついてくるよう促す。
今日はちょっと遠出、隣町の居酒屋まで。荷も多いし、椿さんの運転する車で行く。律花はその助手というわけだ。
「ま、いーさ。道中詳しく聞きましょ。ちょっと興味出てきた」
新しい友だちに、くー嬢ちゃんの秘密の力ね。
もっと教えてよ。
「……?」
台車を押していく椿さんは、ぽつりとそう言い残した。
詳しく、ったって。どう詳しくしたものか。まさか話にノッてきてくれるとは、思わなかった。
一般論の説明だったんだから、一般論での励ましで全然よかったんだけどな。
思いながら、律花も彼女のあとを追う。
* * *
「身体は大丈夫? 久遠」
不破さんが買ってきてくれたコンビニの袋には、ハーゲンダッツのアイスがふたつ入っていた。ひとつはバニラ。もうひとつは、……おお、期間限定品の、リッチミルク。おこずかい生活の女子高生にとってはコンビニアイスの中では、どちらも高級品である。
「うん、どうにか。傷も殆ど残ってないし、昼過ぎには起き上がれたし」
立って歩くのは少しふらつくけど。魔力が回復してくればもう大丈夫。
ベッドの上でクッションを抱いて、ロングTシャツ一枚の久遠は不破さんに、片手で小さくガッツポーズをつくる。
「よかった。メッセージも返ってこないし、担任の先生も今日はお休みだっていうから心配してたの」
そんな久遠の仕草を見遣って、安堵したように肩を落として、不破さんは大きく息を吐く。
「あんなにボロボロになって──すぐに回復に専念してくれたとはいえ、とにかく無事でよかった」
「ごめん、先生。心配かけて。でもホント、もう大丈夫だから」
姉はまだ大学の授業中。今日は研究室に泊まりだとか。両親には、……申し訳ないけれど密かに、この部屋に近付かないよう、人払いの暗示をかけておいた。幸いその程度には魔力は戻ってはいる──……。
「ううん。ごめんなさいは、わたしのほう。久遠だけに戦わせるしかない体たらくで。おまけに、律花まで巻き込んでしまった」
そうして彼女の発した言葉に、久遠は反応せざるを得ない。
わかっていたことではある。昨晩、薄れゆく意識の中で久遠自身、親友の顔をたしかに見ているのだから。気のせいでも、幻でもない。
「やっぱり……知られちゃったんだね」
「ええ──一緒に、あの黒い連中の襲撃に巻き込まれてしまった」
そして、助けられた。
「……助けられた? 先生があいつらをどうにかしたんじゃないの?」
ひっかかる言い回しに、久遠は眉を顰める。てっきり、先生が律花を護ってくれたのだとばかり思っていた。
久遠の発した疑問に、不破さんは面目なさげに、首を左右へと振って。
告げる。彼女の中では既に、昨晩の時点で辿り着いていた結論を。
律花を遠ざけるに至った、その原因を。起こった、出来事を。
「助けられたの。わたしも、律花も。わたしや久遠ではない、誰かに。誰かの使った、魔術に」
ここにいるふたり以外に。
同様の力を知る、持つ者が──いる。
(つづく)
今回も読んでいただいてありがとうございます。
新キャラ登場。年上キャラの「椿」です。彼女の立ち位置等々、楽しみにしていただけると幸いです。
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