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第十一話 焔は水に挑みゆく 2

 

            第十一話 焔は水に挑みゆく 2



 半ば意識が、途切れかけていた。


「……う……」


 ぐにゃぐにゃと、視界が歪んでいる。脳震盪のような状態らしい──粗く乱れた呼吸に、こみ上げてくる嘔吐感が重なるのを久遠は、それでもどうにか堪える。

 震える両腕に、両膝に。出来得る限りの力を込める。

 立て。立ち上がれ。まだ敵は倒れてはいない。殆ど無傷同然だというのに。お前がこんな、一方的に倒されてどうする──脳裏に響く、自分自身の叱咤の声は、朦朧とした中にあって滅裂なものではなかったろうか?

 人型をしていたゲル状の敵が、その下半身を不定形の軟体に戻して、その足元を這わせるように波打たせながら、久遠倒れ伏すプールへとゆっくりと降りてくる。


「……まだ、まだ……っ」


 流血に滲む紅い視界を持ち上げ、辛うじて上体を起こす。

 まだ、やられてはいない。まだ、自分はやれる──……。

 

「私は、負けてない……っ」

 

 軟体の人型が、両腕を広げる。放たれた飛沫は鞭のように弧を描き、しなって、軌道をつくる。

 そしてそれは干上がりかけたプールの水底に取り落とされた、久遠の二刀に届いて、拾い上げて。押し流していく。

 そうしてプールの側壁、その両サイド。右隅と左の隅、すなわち「久遠から最も遠い場所」に、その武具たちを、まるでそれ自体が糊や接着剤でもあるかのように張り付け固定する。

 今の久遠の状態で。この機敏な敵を前に、致命的な隙を晒さずに双方を回収するのはほぼ、不可能。

 

「ダメ押し……して、くれるじゃん……っ」

 

 口の中を切っていた。じんわりと広がってくる鉄じみた塩の味を飲み込んで、口角をぬぐって。久遠は愉快とは程遠い笑みを、その表情に苦しげにつくる。

 

「いいよ──来るなら、来なさいよ」

 

 武器がなくたって。徒手空拳で戦えないほどヤワじゃない。

 ぐらり、と今にも崩れ落ちそうによろめきながら。がくがくと揺れる両膝に、無理矢理自身の体重を支えさせ、久遠は立ち上がる。

 

「!」

 

 瞬間、星の光に煌くものを見た。

 それは逃れようのない攻撃。いつの間にそれは放たれ、待ち受けていたのか。途切れかけの意識ではそのことすらわからない。

 同時、悟る。……これは、私をすぐに殺すための攻撃じゃあ、ない。

 それは、檻。

 プールに残された僅かな水。それでも足許を幾分かは沈める程度には残された、ヒトひとりに対してならば遥かに十分すぎるほどの量の、敵生物にとっては申し分のない武器の源泉。

 久遠の四方を囲むそれらプールの残滓が、その水面から放っている。

 高圧力に圧縮された、水の刃を。久遠を閉じ込める、触れるだけで切り刻まれる鉄格子として夥しいまでに、乱れ撃っているのだ。

 

「あ、ああああぁぁっ!」

 

 ケープが。スカートが。ニーハイが。ひび割れた鎧までもが切り裂かれ、ずたずたに破壊されていく。

 頬を、大腿を。精一杯ガードに持ち上げた両腕を──刃の擦過が、無数の傷を刻み、久遠の血を周囲に散らす。

 そう。これは殺すためでなく。嬲るための攻撃。

 じわじわと、彼女から抵抗する力と、その意志と。そして意識を刈り取っていくための。

 まず、い。

 このままじゃ。なにか、突破口を。焦燥の中に、久遠は打開策を探す。

 探しながら、甚振られていく。

 それは果たして、ゲル状生物自身の嗜好だったのか。

 それとも。あの黒ローブ同様、それを操る者がいて。そいつのやり口なのか。

 わからぬまま、ただ久遠は、苦痛の檻の中に囚われ続ける。


                 *   *   *

 

「──久遠ッ!」

 

 そうやって、意識がまさに消えていこうとした刹那、だった。

 

「目を閉じて! ……そのまま全力で、つっこみなさいっ!」

 

 大切な人の声が、稲妻のように耳を貫き、全身を奔っていった。

 直後、周囲は眩いばかりの閃光に包まれ、白一色に染まる。

 これは、間違いない。私の魔力。私の炎。そこに込めた、目くらまし。閃光弾の術式。

 先生に──不破さんに渡した、万が一のための保険。

 その理解と行動、どちらが先に久遠自身に訪れたのかは曖昧だった。

 かつて師であった少女の、あちこち伝線したストッキングや、着乱れたブレザーの、全力疾走後の有様が見えたわけではない。

 炎の閃光弾を投げ込んだ彼女の隣に、眼鏡をかけた幼なじみがいたことにも久遠はけっして、気付いてはいない。

 彼女たちがあちこち傷ついて、その着衣を汚しているなんて。彼女たちが何故一緒で、彼女たちになにがあったかなんて。気を留める余裕など、久遠にはありはしなかったから。

 ただ、反射的に身体が動いた。

 残った活力のすべてを振り絞るように、両脚に渾身の力を込めて。

 足許を、踏み切る。

 もう一度。自分自身を矢と、弾丸と化す。

 

「う、ああああぁぁぁっ!!」

 

 目くらましが有効に働いたのかどうか、それはわからない。

 だが戦場にそれは闖入をした。ゲル状生物に視覚があろうとなかろうと、そのことだけは認識したはず。そしてそれが、炸裂をしたということも。

 潰される視覚がなくとも、一瞬反応をせざるを得ない。

 その一瞬を、逃してはならない。

 これは好機であり、逃せばもうない、逆転の目なのだから。そのことを久遠は直感的に、肌で感じ取っていた。

 だから飛び出す。つっこむ。駆ける。

 閃光弾に気を取られ、反応の遅れた敵に向かって。

 技や攻撃などあるわけではないその突進は、ただ敵を捉えるためのもの。

 小細工はいらない。できる余裕もない。

 閃光の先に佇むその姿に、強引に組み付く。

 

「ぐ、ううううぅぅっ!」

 

 四方から放たれた水圧の刃が、背中を、肌を切り裂いていく。水分に満ちたその表皮の組成を変化させたのか、ゲル生物に組み付いた四肢が、その触れている部分から、薬品に焼かれているような痛みを強烈に、久遠の痛覚へと突き刺してくる。

 

「燃え……上がれぇッ!!」

 

 耐えろ。そして、焼き尽くせ。

 この状況でやれることは、ひとつ。こいつを倒しうる攻撃、それは。

 

「地獄の──劫火! ……『煉獄炎〈インフェルノ〉』ッ!!」

 

 久遠の全身を、炎が包み込む。

 それは騎士装束への変身時によく似ていて。けれど遥かに猛然と燃え上がる。

 熱く。激しく。久遠だけでなく、組み付いたゲル状生物までもを、呑み込んで炎上する。

 その炎は、一種の自爆技。

 こちらのダメージをも覚悟した、もろともに燃やす紅蓮の炎。

 

「からっからに……蒸発させてやるんだからっ!」

 

 水分に満ちた、ゲル状生物の表面がぼこぼこと沸き立つ。沸騰しているのだ。

 密着している久遠にも、その熱量のダメージは襲い掛かってくる。自らの炎と、敵生物の断末魔ともいえる熱湯化とに灼かれながら、しかし久遠は劫火の一撃を止めることはない。

 

「自分の炎で死んだり、するもんかッ!」

 

 灼熱の中、久遠は叫んだ。


                 *   *   *


 そして、炎が止んだ。

 煙が。触れるだけで火傷をしてしまいそうに熱い、高熱の水蒸気が舞い上がり揺蕩う。

 そんな干上がったプールに、幼なじみがいる。

 

「久遠」

 

 まるで漫画か、おとぎ話の騎士のような紅い衣を身に纏って。

 その衣ともども、血と、煤と、火傷に塗れたボロボロの姿で、立ち込める蒸気の煙の中、佇んでいる。

 

「久遠っ」

 

 茫然と見つめるばかりだった律花の脇を抜けて、いつきちゃんがプールサイドから飛び降りる。

 長身で、運動の苦手な彼女は、濡れたプールの底に何度も足を取られそうになりながら、それでも満身創痍の久遠に駆け寄っていく。

 そうだ、私も行かなくちゃ。

 遅れて我に返る律花。

 状況はやっぱりまるで呑み込めていない。

 いつきちゃんを襲っていた連中。

 そしてここでは、久遠があんなに、傷だらけになって。

 戦っていた──いつきちゃんは、そう言っていた。

 いったい、なんなんだ。戦うって、なにと。

 

「久遠! 久遠、しっかり!」

 

 ぐらりと揺らめいて、久遠は力なく、いつきちゃんの腕の中に倒れこむ。それは糸が切れたように、という形容がふさわしいほどにぷつりと、彼女の精魂全てが尽き果て、力尽きたように、その四肢から自らを支える力すら喪失して。

 同時、彼女の身に襤褸雑巾同然にまとわりつくばかりだった、紅の衣が消失する。見慣れた、いつもの制服姿の久遠が戻ってくる。

 ああ。ほんとうに、久遠だった。

 あれは、久遠だったんだ。

 長身であっても、非力ないつきちゃんは久遠を支えきれない。両膝を曲げて、辛うじて一緒にその場に座り込む。

 いったい、なにが起こっている。そして、何者なんだ。

 あの姿の、久遠は。昔から一番よく知るはずの、幼なじみは。

 いつきちゃんは。──いろんなことを知っていると思しき、この転校生は。

 そして。──そして。

 いつきちゃんと私を、あの黒ローブの死神もどきから救った、アレは。なんだったのだ。

 今にも襲い掛からんと大鎌を振りかぶり、迫る二体の襲撃者。

 それを頭上から、いつの間にそこにあったのか。瞬時圧し潰していった──巨大なふたつの、氷の塊は。

 わからない。

 なにも、わからないよ。久遠。

 

 

          (つづく)


薄氷勝利の、第十一話でした。

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