013 明日部太郎6 ──学習性無力感
僕は「ジャミング症候群」という言葉を知ってすぐ、ネットで病院を探しだし、予約を入れた。
診察では脳波の検査、そして知能テストのようなものと、生育歴に関するインタビューが行われ──幼少期から現在に至るまでを、根掘り葉掘り、聞かれた。
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──二週間後の診察で、拍子抜けするほどあっさりと、診断が下りた。
「典型的な、ジャミング症候群ですね」
担当の女医はカルテから視線を外し、僕の目をまっすぐに見詰めて、そんな言葉を口にする。
その瞬間、曰く言い難い感情が、心の隅々を満たしていった。
……誇張でもなんでもなく、彼女が宣託を携えて現世に舞い降りた──女神のように神々しく目に映る。
今でも僕の鼓膜と網膜に、あの日の先生の言葉と姿が、鮮明に焼き付いている。
僕は自身の生きづらさの根本原因にようやく辿り着けた! と大いに喜び、打ち震えた。
これが人生の突破口になる筈だと、希望に心を羽ばたかせたのだ。
会計が済み、病院のエントランスを外に出ると、来た時には気が付かなかった大きな桜の樹が目に飛び込んだ。
正門脇に聳つその桜は、枝葉を縦横に広げ、目に鮮やかな新緑を溢れんばかりに芽吹かせていた。
その生命力に満ちた若葉の息吹を見ていると、心の内に明るい希望が滾々と湧き上がる。
──その後の僕は、貪るように、ジャミング症候群に関する本を読み漁った。
なんとか、社内での立場を改善しようと必死だった。
もの忘れや進捗管理対策に、メモの取り方を工夫したり、エクセルで独自のTo Doリストを作ったり。
手順の複雑な作業は、紙にすべて書き出して、確認しながら作業を進め──。
会議にはメモ帳の代わりにボイスレコーダーを持ち込んで……
……思いつくことは全て試した。
だが、そんな努力のほとんどは──無意味だった。
……特に……手続き記憶や、コミュニケーション能力、感情制御能力の拙さに関しては、どうすることも出来ない…………
診断直後に感じた光明は、あっという間にどこかに消えた。
ひと月後、僕は元の抑鬱状態に戻っていた。
努力しても希望の光は一向に見えず、何をしても無駄なんだという──『学習性の無力感』が頭を擡げ、僕の人生に蓋をしてゆく。
まるで、“社会”や“組織”が────抗うことの出来ない、“巨大な車輪”のように感じられた。
ちなみに、通院の成果は……皆無だ。
ジャミング症候群に対する根本的な治療法などはそもそも無く、ただ日々の困りごとを淡々と聞いてはカルテに何かを書きこんだり、適当な抗欝剤を処方してくれるだけだ。
僕は自らのことが、“ジャミング症候群という名の罪を背負い、会社勤めという罰を受ける、一介の咎人”であるように思えた。
──気がつけば、職場全員が一丸となって結束していた。
知らない間に──僕を、依願退職に追い込む包囲網が出来上がっていたのだ。
僕は抵抗することなく、離職を選んだ。
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