二十三話 悠久よりの帰還
(風が吹いている。)
見渡せば、一面黄金色の背の低い麦が揺れていた。
ただ漠然と。吹き抜けるからっ風は、灌木を凍えさす寒風か、それとも私の漂泊を嘲っているのか。
(私は、何に突き動かされここに至ったのだろうか。
室に籠り精神を摩耗させ...解放された今もこうして内なる衝動の儘...)
今朝は凍えるような冱さだったようだ。
踏みしめる土は、霜柱で持ち上がっていた。
盛り上がった部分を踏み潰すあの感覚は、気味悪くも心地好く。
(私を寄る辺なく疲れさせる情...
それは私自身。私の────)
執念。
先に貧相な駅舎が見えた。
焦げた茶色の木造駅舎がまるで水彩画の如く淡い薄色の情景に浮き上がっている。
自分は無意識の海の中、憮然としてそこへ向かっていたらしい。
馬車の発着は疎、そこに人気は全く無いと言って差し支えはない。
扉越しに中を覗くと、一人の中年の男が椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。
机には菓子詰めが無造作に配置されている。
軽く戸を叩くと、男は物珍しそうな顔を此方に向けてきた。
男の片の袖は力無く垂れ下がっている。
「すみません、馬車は...何時頃出ますかね。」
声を掛けると、中年男性は眠たそうな目を擦り、コーヒーを一口。
そして扉を開けた。
「ふむ、今日は珍しいな...客人がまた来るとは。
しかしお前さん運が悪いぜ。馬車はさっき行っちまったばかりさ。」
「そうですか...」
「ま、そう落ち込みなさんな。
ちょっとした暇潰しには付き合ってやるからよ。」
中年は横に座ると、片腕で器用に菓子詰めを広げた。
「食うか?煎餅とかもあるぞ。」
「いえ結構ですよ、お気遣い有難うございます。」
中年がそうかい、と一言発したきり、沈黙が場を包んだ。
新聞を捲る音と、煎餅を食う音のみが乾いた部屋に谺する。
「そういえばよ、さっきも珍しい客がここにやって来たんだよ。」
思い出したかのように中年が話し始めた。
「珍しい客ですか。
もしやそれは...神父のような格好をしていたのではないでしょうか。」
「おお、そうだ。なんだ、お前さんの知り合いだったか。」
「いえ、知り合いとまではいきませんよ。私"は"彼を知っているが彼は私を知らない、ただそれだけの関係です。」
(成る程、思い出しました...彼は神の宣託を信じ、遂にグラナダを出ましたか。
恐らくは今頃王城下町行きの馬車...)
「ま、その表現は些か気になるが、俺は人のことには首を突っ込まねえ主義だ。何も言いやしねえ。」
四畳程の駅の休憩室の中。
周りを見渡すと、食料や新聞などが散らかっており、他にも生活の跡が散見された。
「貴方はこの後何か予定でもあるのでしょうか、」
「いんや、俺はずっとここだ。」
男は胡座をかいて座っていた床を掌で数回叩いた。
「俺はもう55になるんだが、息子は既に送り出して行方知れず、家内は数年前に逝って。最早俺には野心どころか、人生を楽しもうとする気概すら無い。言わば人間の絞り粕ってとこだ。」
男は乾いた笑みを浮かべたが、成る程その目の光はとうに喪われているようだ。
「んで...自らあっちに行くってのも神さんに失礼だと思ってよ、時化ちまった俺にはお誂え向きのこの場所で適当に暮らしつつ、緩やかに幕を引くっつう訳だ。」
「成る程...」
始終私の視線は無意識に男のその片腕に向けられていたらしい。
男は軽く咳払いをした後、一言呟いた。
「もう30年も前の話だ。
ほら、知ってるだろ?
コホン、"♪三日天下のルシュマ朝~"ってな。」
これは「興隆した組織がものの数年で衰退する様」を歌った童謡だ。
約30年前、第3代ドゥーク・カントールの没後、その宰相らによってヴァクティニアに反駁する形でルシュマ朝は建てられた。
当初はヴァクティニアを飲み込まん勢いで急伸していたが、その後王権を担った若き日のヴィクトルによりヴァクティニアの国力は復活し、それは見事に打ち砕かれたのであった。
今ではそのルシュマ朝の盛衰を揶揄し"いつぞやのルシュマ朝"という慣用句までも民間に広まっている。
「その頃の俺はルシュマ朝との国境ラインに住んでいたこともあって早速徴兵の餌食になった。まあしょうがねぇから家内は南の王城近くへ移らせて、戦線へうって出た。
当時のキングは流石猛将と呼ばれただけあって凄まじい狡猾さを持っていたさ。」
男は突然億劫そうに床を這い、奥手の引き出しを漁り始めた。
そしてかなり年季入りの新聞を一枚取り出した。
「見てみろ、第4戦紀342年2月10日、戦争がおっ始まる間際の新聞だ。」
目を遣ると、"ルシュマ朝、ついにプルードン地方編入か"という見出しがまず飛び込んできた。
その下には経済情勢のグラフ等が陳列されており、どうやらヴァクティニア第4王朝の総生産を新興のルシュマ朝が追い抜いたようで、当時の騒然とした様子が文面から伝わってくる。
丁度私が象牙の塔に引き籠っていた頃。
「この年は滞納していた死刑も一気に執行された。それも公開でな。」
男は新しい煎餅袋を机に置いて居直り、残る片方の腕で足の裏を掻いた。
固い背中を無理矢理に曲げ、苦しそうな表情を浮かべている。
「くっ、ふぅ...一つの欲望を満足させる為には何か一つの欲望に我慢してもらわねばならんことも屡々だ。」
男は次は伸びをした。
「当然こいつもヴィクトルの案だろうよ、連日執行される公開処刑にはやっぱり民衆が集る。怖いもん見たさって奴だ。だが最初は"怖いもん見たさ"だったもんが何時しかスペクタクルに変化していくんだ。そして最終的に民衆共は老若男女問わず徐々に殺人への抵抗が無くなっていく訳だ。
最も戦況を左右するのは兵士達の士気だ。そして、その士気を最も左右するのが"慣れ"だ。突然非日常世界に引き摺り込まれるのと、日常の延長として戦うのでは意味が断然違ってくる。ヴィクトルは死刑囚を利用して民衆にとっての殺人を日常化したんだ。」
俺もその一人だったんだがな、と男は笑った。
友達と話すにも話題は次の死刑囚はどんな殺され方をするんだろうとか殺伐とした内容だったらしい。
まぁ、夢みたいな話だ。
或いは己の死期を既に悟っているのかも知れぬが、男は堰を切ったの如く当時の状況を語る。
私が出来ることと言えば、ただこの憐れな独り身の自白と向き合うことであった。
馬車は未だ来ない。




