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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
Bonobo(ボノボ)掃討作戦
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十八話 一時終幕


「さぁて...掛かってきな。」


シンザンは芒野を踏みしめ、立ち上がる。

もう結構な時間が経った。

自分に残された仕事はあと一つ。


アジトから尖兵達が帰ってくる頃には上人の体力を消耗させておくこと。

というのも人質を連れながら上人との闘いに移行するのは少しリスキーだからだ。


概ねシンザンの計画は順調に進んでいた。

ギリギリまで話し合いで時間を稼ぎ、そして頃合いを見て体力を消耗させていく。

ここから負け筋があるとすれば、上人が想像よりも遥かに強かった場合だけだ。



「......」


上人は両手の拳を握り、顔を下に向け精神を研ぎ澄ませていた。

そして、合気の試合直前のように、顔の前で腕を交差させたのち拳を上から腰元に叩き降ろした。



「戦型<(いくさ)>。」


その瞬間、上人の周辺半径1m程の円柱内空間がバチバチッと弾けた。

まるで空気中の埃や塵が激しく焼き切れたかの如く。


凄まじい気の放出が今目の前で為されたのだ。



「ひゅっ...」


シンザンは鋭く息を吸うと、前傾姿勢を取り一気に間をつめる。

そしてスライディングの要領で懐へ飛び込むと、肝臓部を肋骨の下から抉る下突きを繰り出した。


だが、その腹の余りの硬さに驚愕することとなる。

シンザンの計算ではこの一撃で上人は一歩二歩後ずさる予定であった。

故にシンザンは連撃を加える為にすかさず一歩踏みだしていたが、上人は一歩も下がることはなかった。



「...ッ!!」


そのまま上人の足に引っ掛けるように踏み切ってしまったシンザンは後ろ向きにバランスを崩してしまった。



「連技<降り龍>。」


まるで雲間から龍が天下るかのごとく天空から落とされた上人の拳が、シンザンの額を押し、後頭部を地面へ叩きつけた。


と、その反動でシンザンの下半身が若干浮いた。

シンザンはそれを利用し、間髪入れず前屈みになっている上人の腹に前蹴りをお見舞いする。


その感触はまるで、山肌であった。

加えた力の分だけそのまま押し返してくるあの感覚。

シンザンは寝ながらの攻撃は不利だと踏み、急いで起き上がった。



「硬え...」


シンザンが立ち上がり作戦を練ろうとするが、一瞬の気の休みもなく猪牙舟>による攻撃が始まる。



「ぐっ...こ...の野郎ッ......!」



シンザンは揺れ動く残像へ向けて拳を放った。

すると先程のように腕に何かが纏わりつく感覚に襲われる。

連技<落雷>の予兆だ。



「連技<落......ん?」



シンザンは膝を曲げ踏ん張っていた。

<落雷>は相手の腕を支店として一回転させることにより相手の体を浮き上がらせる技だ。

つまり攻略はかなり単純で、要するに浮き上がらせなければそれで良いのだ。


連技の銘を呟く声が途切れた瞬間、今までシンザンを圧迫していたオーラが一気に掻き消された。



(コンボが止まると一気に効力を失うのか...よし...)


「これでも...食らえオラァ!」



シンザンは拳を硬く握り、その拳の方に体重を乗せて全身を傾ける。

そして浮いた足を凄まじい勢いで踏み落とし、渾身の一撃を上人の顔面へ叩きつけた。

上人は空中で激しく縦回転し、そのまま地面へ膝をついて踞った。



「ハァ、ハァ...しまった...呼吸が...」


身体に命令を出す為の道具の一つである呼吸は、乱れていた。

戦型<研体>が途切れた今、戦型を練り直す為の最も簡単な方法が潰えたのだ。



「ならば......」


上人は自分の手首に噛み付いた。

血がピュッと吹き出、芒を赤く濡らした。

自傷行為により体に命令を下す方法をとったのだ。



「戦型<山颪吹く野>。」


上人は後屈立ち手刀の構えをとった。

まるで山から吹き下ろされる風により野原の草が激しく揺れ動くかの如く、全身の細胞を奮い立たせ、活発化させる。


じわりと熱気が空間に広がり始め、再び降り始めた雪は、上人の領域に入った瞬間に溶け落ちる。



「まだここまでの"気"を隠し持ってやがったか......」



「連技<黄昏の飛翔>。」


上人は夕焼けを知り何処かへ飛び去ってしまう烏のように、素早く空中へ身を投げ出した。



「飛んだか...」


シンザンは空を見上げ、上空から回転しながら落下する上人を見据えた。

そして上人が自分の顔辺りまで落ちてきた段階で身を翻し、蹴りによるカウンターを仕掛ける。

だが、上人は両足を曲げて柔軟に着地し、その体勢のままシンザンの蹴りを両手で受け止めた。


その瞬間、脛に激痛が走る。

電流の如くそれは身体中を駆け巡り、後はじんわりと広がる鈍痛だけが残った。

脛にヒビが入ったのだ。



「ぐあ......っ」


シンザンは顔をしかませながらもヒビの入った足で踏ん張り、再び地面を蹴り出すことによりしゃがんだ状態の上人の顎を上へ蹴りあげた。

上人の首がビンと張る。



「......連技<戴天>...」


顎を上へ蹴られた衝撃でバランスを崩した上人はしゃがんだまま後ろへ倒れていく。

だが、咄嗟に出た両手が地面をがっしりと掴む。

そしてその両手へ体重を掛けていき両足を浮かせ、一気に両手で地面を押し出しシンザンへ攻撃を加えた。


そのまま勢い良く立ち上がり、上人は首を回した。



「このまま畳み掛けるぞ...戦型<猪牙舟>。」



上人の両足により胸を思い切り蹴り飛ばされたシンザンは体勢を建て直し、猪牙舟へ対抗しようと構えを取る。



(<落雷>ならもう俺には通用しねえが......)


シンザンは先程と同様の攻撃を仕掛ける。

だが、闘いにおいて全く同じ攻略の手段は通用する筈がなかった。



「連技<春嵐(しゅんらん)と蛇>。」



瞬間、多少のぼやけ程度であった上人の輪郭が、嵐のように拡散した。

あらゆる方向から気配を感じる。



「チッ...厄介な...」


黒い残像に四方を囲まれ、シンザンは身動きが取れなくなってしまった。



「こういう時こそ、精神を集中させねばならん。」



シンザンは嵐の中で座禅を組んだ。

徐々に拡散していた気配が一点に収斂していく。

墨汁のような黒々しい気配が帯をひいて自分の周りを動いているのが分かった。


だが、その瞬間背中に強烈な衝撃が走る。

麻酔をして表面的な攻撃による痛覚は失われている筈だが、この時の一撃は確実に"痛んだ"。


遂に上人の攻撃が内臓へ届いてしまった。

真に本気を出させてしまった報いだろうか。


集中が途切れそうになる。

まるで嵐の中を舞う蛇のように、鋭い攻撃が時折シンザンの体をめった打ちにする。



「......仕方がない。中途半端だが、これで見えるようになったぞ.....」


外部からの圧力により集中が完全に切れてしまう前に、自分で中断しその感覚を保持する。

微かだが嵐の中を舞う蛇の姿がそこには浮かび上がっていた。



シンザンは気配を頼りにしながら上人との距離を逐次算出しながら闘っていた。

荒れ狂う気流の中、一筋の姿を捉えるのは至難の業であった。


だが、この男は伊達に王朝の精鋭軍に所属している訳ではない。

その肩書きには確かに実力が備わっているのだ。


一瞬、眼前を一陣の黒い風が吹き過ぎる。

そして瞬きを一回挟めば次にはその気配は後方へ達していた。

シンザンはしっかりとその風の動きを眼で追うことより知っていた。

また、攻撃は必ず死角からやってくるということも。


後方から迫る毒牙を、シンザンは左手で食い止め、右手で釘を打った。

遂に嵐を縫い付けたのだ。



「捕まえたぜ......」


だが、右手で掴んでいた筈の上人の手首はするりと抜け落ちてしまった。

まるで実態の無い影を相手にしていたかのように、掴んだ腕の感覚は無かったのだ。

いや、シンザンが捕まえたのは実に上人の影に過ぎなかったのだ。



「連技<影繰>。」



後方から低い声が聞こえた。

この時点でシンザンの不利は極まった。

嵐は止んでいない。

唯一の勝ち筋と見えた捕獲も、影と本体の見分けがつかないのでは不可能に近い。

彼を取り巻く状況は思ったよりも厳しく見えた。



「まだだ...」


シンザンは上人に背を向けたまま話した。

この闘いの中で、シンザンはこれまでに無い程集中していた。

最早上人の居場所は手に取るようにわかる程に。


エネルギーを持たない影との判別さえ、<影繰>さえ攻略出来れば撃破はもう少しなのだ。



「俺は諦めねぇ。お前の......」



その瞬間、上人の気配が忽然と消えた。

嵐は収まっていない。

つまり自分の近くにいることは確かだった。

だが一向にその気配が掴めなくなってしまったのだ。



「なっ......」



「戦型<(しずか)>。」


嵐がピタリと収まり、増して降り注ぐ雪が作り出した白銀の世界が目に飛び込んだ。

そして上人はシンザンの延髄に王手をかけていた。

シンザンはぴくりとも動かず沈黙している。



「私の勝ちだ。勇敢な男よ。」


そう言うと、上人はシンザンの延髄に手刀を振り下ろした。

が、それは思わぬ方向からの衝撃により外れることとなった。


横向きにぶっ飛んだ上人は雪の絨毯へ体を埋もれさせた。

そして立ち上がろうとしたが、ふらふらとバランスを崩し、膝を付いた。



「ぐっ...はぁ、はぁ、ここ...まで来て...」


シンザン同様、上人自身にも体力の限界が来ていたのだ。

自傷にて奮い立たせた細胞が遂に悲鳴を上げた。


上人にタックルをかました男はおそるおそる上人に近づいた。


その男は覇気の全く感じれない顔で上人を見つめていた。

後ろに救出した人質を連れて。



「あ、あの、彼はBonoboの人...ですよね...?」


ホーソンは自信無さげに細い声で周りの兵士達に問い掛けた。

上人は猿の刺青をしていないという特殊なタイプであった。



「...つくづく運が悪い。」


上人は分の悪さを悟ったのか、最後の力を振り絞って立ち上がると踵を返し、アジトへ歩き去っていった。



「あっ、」


ホーソンは兵士達にガン無視された挙げ句、上人を逃がしてしまった。

 


「ふぅ、どっと疲れたぜ...」


ホーソンの横で、シンザンが脱力しながら崩れ落ちた。



「大丈夫ですか!?」



「ああ、なんとかな。

いやぁ、ホーソン、大手柄だぜ。人質の救出と保護、ご苦労さん。」


シンザンはそう言うと気絶してしまった。



「いや~、それほどでも...って、シンザンさん!?」


ホーソンは図体のデカいシンザンを引き摺りながら兵士達の集まりへ進んだ。









✝️










この第一次征伐において、驚いたことに重傷者はいたものの死者は出なかった。

大尉の手によって昏睡させられていた兵士達も何とか復活し、こうして自分の足でアジトから帰還していた。



すっかり積もった雪に足を埋もれさせながら、大役を務め上げた"落ちこぼれ"と呼ばれた尖兵達、そして救出された10名の人質達は確りとした足取りで帰路についたのであった。




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