十七話 上人
通天流ブーム、それは第四戦紀中期から末期にかけてヴァクティニア国民の間で起きた。
キャッチフレーズは「通天流六百四十年の歴史。その真髄を会得せよ。」だった。
中でも目を引いたのは、そのキャッチフレーズの隣に小さく書かれた文字。
「開祖はまだご存命。」
無論、ヴァクティニアの平均寿命は八十歳前後であり、百年ならまだしも六百年も生きる人間などまずあり得ない。
これが人々の好奇心を掻っ攫ったのだ。
また、第四戦紀中期に王位についたヴィクトルの父に当たるドゥーク・カントール(King Cantor Ⅲ)が通天流の生徒であったことも、更にこのブームに火をつけるきっかけとなった。
通天流は「あらゆる体術、手段を用いて戦闘学を追究する合理格闘術流派」である。
柔術、合気等の基本的な格闘術に加え、居合、棍、弓、乗馬、拳銃、レイピア等の武器や馬を用いた物まで多岐にわたる戦闘術を学ぶことが出来る。
入会後一年で一通りの格闘術の錬習を終えると、師範による「属性」の剪定が始まる。
そして生徒達はその属性に従い、分岐してただ一つの格闘術を究めていく。
「私は合気と診断された。この戦型も合気の一環として体得したものだ。」
通天流では分派した後、それぞれの格闘術において"戦型"という一種の命令法を学ぶことになる。
命令法、つまり自分の体に"戦型"の流れを命令することで体をその動きに順応させるという物だ。
例えば、先程上人が用いた「戦型<猪牙舟>」。
これは猪牙舟のような左右に揺れる足取りをすることにより、自分の輪郭を曖昧にしていき相手の視覚情報を撹乱する戦型だ。
上人は戦型<猪牙舟>と実際に発声することで体に命令を下し、戦型を実行させたのだ。
「私は通天流にいた十数年の間、あらゆる戦型を覚えた。
その中でも私が黒帯となってから初めて会得した猪牙舟は合気で最も難易度の高い戦型と言われていたものだ。」
白から黒まで、6段階ある帯の色の中で、難易度別に会得するべき戦型が割り振られている。
戦型<猪牙舟>はその体の緩急やバランスの難しさから、中でも超高難易度の戦型として黒帯専用の技に位置していた。
「それに加え、"連技"。
私はこれも全て網羅した。」
戦型がバフだとすれば、連技はコンボだ。
戦型で体に特別な動きを指定し、その中で連技を組み合わせて用いてゆく。
正に、その組み合わせの数は無限に拡散していくとも言える。
そして、かの上人が最も得意としたのが、戦型<猪牙舟>から連技<落雷>のコンボだ。
猪牙舟で相手との距離を詰め、反撃してきた所を落雷で墜とす。
当時の上人は公式戦においてもこのコンボを用い、連勝を重ねたのだ。
「ふーん、それで何時から自分に、"本気を出してはならない"なんていう枷を嵌め始めたんだ?」
「私は余りにも天才過ぎたのだ。」
上人は揺れる芒野の上で自分の拳を見た。
「天才...ねぇ。」
シンザンは上人の身の上話に出来るだけ乗っかるようにしていた。
シンザンとしてはアジトに放った尖兵達により人質が解放される迄時間が稼げればそれで良かった。
出来ればここで倒しておきたい相手だが、先程のやり取りでもわかる通り実力は五分だ。
ここで倒しきるのは難しいだろう。
「そう自分で言える程に...私は強かった。
戦型や連技も教えられればその分だけ吸収し、実戦でも完璧に応用することが出来た。
だが────何も持っていない奴以上に、全てを得てしまった人間は苦労する。
お前も分かるだろう?」
「いんや、どちらかと言えば俺は何も持ってねえ方だからよ。」
シンザンはゆっくりと芒野に腰を下ろした。
雪は少し止み、雲間から太陽の光が射し込んだ。
「私には親友がいた。
通天流に入会した頃からの親友が。共に合気の道にも進んだ。
だが、彼は良い意味でも悪い意味でも、凡庸な男だった。
私が戦型を十覚える間、彼はたった一つを覚えるのにも苦戦していた。
白帯の一番最初に教えられる、戦型<研体>でさえもな。」
戦型<研体>、体への命令の手段として最も初歩的な物である呼吸のリズムを駆使し、攻撃、防御、敏捷性を底上げするという技だ。
合気白帯の一番最初に教えられる戦型で、謂わばただの呼吸法に過ぎず皆は何ということなくこれを会得し、帯の色が進むと最早通常の呼吸のように用いられるレベルだ。
「彼はこれに苦戦し続けた挙げ句、遂に戦力外通告を受けてしまった。」
通天流の公式戦では、全国に無数にある通天流道場がそれぞれの地位と名声をかけて戦う。
上人が通っていた道場は、かなり公式戦での成績の良い道場で会員もかなりの人数が居た。
その為、練習用器具も飽和状態に近く、最も易しい戦型でさえ覚えられないような者に割く余裕はなかったのだ。
「要するにベンチ行きだ。こうなれば練習すらもまともに出来ない為、這い上がることも出来ない。その癖、指導員達は親の前では彼を褒めたのだ。通天流を続けさせ出来るだけ会員費を払わせる為に。
そんな状況が続けばそいつはどうなると思う?
道場では落ちこぼれのレッテルを貼られ続け、親に相談しても叱咤激励されるばかりで脱会することさえ許されない。」
「まぁ、精神的にキツくなるだろうな。」
シンザンは顎を撫でた。
「それに比べ、私は公式戦でも活躍し続け道場の看板を背負う存在にまで成り上がっていた。私は彼と接する時は出来るだけ驕った態度を取らないように心掛けてはいたが、彼の劣等感は次第に増幅していった。
というより、彼の前で驕った態度を取らないよう心掛けていた時点で、私は彼を内心では見下してしまっていたのかも知れないし、そんな私の心を彼は見破っていたのかも知れない。」
「で、遂にその友達の怒りが爆発した...と。」
「ああ、私は親友を失った。他でもない私自身の才能の所為でな。
通天流だけではない、裕福な家庭に生まれた私は学校にも通っていた。
そこでも私は何の努力もせずに一位を取り続けた。
努力して努力し続けたのに毎回私に勝つことが出来ない奴は、私を心底憎んだだろう。
じきに私の家や、父親の仕事先までにも嫌がらせが勃発した。
その結果、父親は自殺し、母親は精神を病んだ。
母親も間もなくして死に、当時17だった私は家を売り払い、その金を持って路地裏へ駆り出て今に至る訳だ。」
上人はふっ、と少し笑い、虚ろな目でシンザンを見た。
「私の才能は、私に幸せを与えるどころか、私から全てを奪ったんだよ。
だから私は決意した。自分で自分に枷を付けようと。」
上人は両手を上げ、天を仰いだ。
その姿はまるで世界をその両手に納めようとしているかのように。
「私は、"本気を出してはいけない"んだよ。」
「......」
シンザンは黙って上人の話に耳を傾けている。
「私が本気を出しさえしなければ、皆が幸せになれる。
誰もが、自分より上の存在を知ることなく有頂天のままでいることが出来る。
私は皆の幸せを何時も願っているのさ。
一切の自利を顧みることなく、利他のみを望み続ける。
────"上人"とは、そういう人間の事を言うのだろう?」
「くくくっ...ふはははは。」
シンザンは一通り聞き終えると、空虚な笑いを溢した。
「何がそんなに可笑しい?」
「そんなことしててお前は楽しいのか?
本当の"上人"ってのはな、自分がやりたいことをやって、気付いたらそれが他人の為になっている、そんな人間の事を指すんだよ。少なくともアンゼル教ではな。
それに、お前の自縛はただの自己陶酔の裏返しに過ぎない。」
「自己陶酔...か。
何故そう思う?」
「お前には分からんと思うが、弱い人間が一番されたくないことってのはな、自分よりも強え奴に情けをかけられることなんだよ。
散々にこてんぱんに叩きのめされて眼前に聳える高い壁を、身を持って実感する、だからこそ人は強くなれるんじゃねえのか?
お前のその考え方はだな、『要するに自分は皆よりも強いから本気を出さないであげる』っつーことだろ?それは傲慢以外の何者でもない。」
シンザンは胡座をかき、太股で頬杖をついた。
「まぁ、安心しな。
俺との戦闘が成立している時点で、お前は言うほど強くねえからよ。
どれだけ本気を出していないにしてもな。」
「...どういうことだ?」
「居るんだよ、世の中には。
想像も絶するような力を持った奴が。
努力では絶対に越えられない壁は、確かに存在するんだよ。」
「想像を絶するような力...?」
「じゃあ今度は俺の話だ。」
シンザンは上人に言い聞かせるように話し始めた。
「俺の生まれは普通の一般家庭だ。
だが、それ故に俺はその路地裏のアンダーグラウンドな文化って奴に興味を持った。
で、親に隠れて日々喧嘩に明け暮れ、20過ぎたころには一帯を〆る喧嘩番長的な立ち位置になっていた。
その後数年間は負け無しで路地裏のドンとしてどっかり座り込んでいた訳だがよ、ある日俺にちょっかい掛けて来たBonoboの奴らをぶっ飛ばしたら、革命軍からオファーが来た。
当時の俺は暇だったし、何よりももっと強い奴と喧嘩がしたいとか痛えこと考えてたし革命軍のオファーを受諾した訳だ。
そして参加してすぐに革命軍で一番強え奴とタイマンやらせてくれと頼み込んだんだ。
そしたら誰が出てきたと思う?
寝惚けた面で出てきたそいつはよ、全く覇気の無い声で殺気だった俺の前で、側に居たレフェリーにこう言いやがった。
『おい<審判人>、こいつ<一般人>っぽいから手加減するわ。』
ふざけるなと俺は心の中で憤り、試合が始まると本気で殺すつもりでそいつに殴り掛かった。
まあ勝負にさえならなかったんだがな。
俺とそいつの間にはまるで生後間もない赤ん坊とプロレスラーくらいの力の差があった。」
「成程、その話が本当ならば、その人は私の本気をぶつけるに値するのかも知れないな。」
上人の表情が少し緩んだ。
丁度良い好敵手を漸く見つけたといった感じか。
「さあな、お前も俺と同じことになりそうだが。
で、話を戻すが、俺はその戦いを通してすっかりそいつに惚れてしまった。
......性的な意味じゃねぇぜ?」
上人は苦笑いして頷いた。
「そん時の俺は圧倒的な力が欲しいと思って、そいつにどうやればそんなに強くなれるか訊いたんだ。
『<ノミ><のみ>ぞ其を知る。』
そいつが俺に言い放ったのはそれだけだ。
何時もの韻の弾みで出た言葉なのかは知らんが、その一言は妙に俺の心に響いた。」
シンザンは胸を撫でた。
「なあ、知ってるか?
ノミっつー虫は自分で自分に限界を作る虫で有名なんだぜ。
例えば、ノミにコップを被せたとしよう。
そして数時間程放置してコップを外す。
するとどうなるか、ノミはそのコップの高さまでしか跳ぶことが出来なくなるんだよ。
つまり、何処までも高く飛べる力を持っているのに、自分で限界を設定してしまったばかりに本気を出そうとしても出せなくなる。
俺は、そいつの放った一言にはそういった意味が込められているのかと感心した訳だ。
本当の所は知らんがな。」
「要は、私が限界を設けているのはノミと同じことだと...」
上人は手を閉じたり開いたりして間接の動きを確認した。
「ああ、だからよ、一遍本気出してみ?」
シンザンは立ち上がった。
「ふふっ...そうだな。
久方ぶりに本気を出してみるのも悪くない。」
そう言うと、上人は後屈立の構えを取った。
通天流で培った全てをぶつけられる時が、遂にこの男に訪れた瞬間だった。




