十六話 芒野の攻防
路地裏の一角、日の光の届かぬ芒野にて。
牡丹雪が降り頻る中、一対一の闘いが始まろうとしていた。
シンザンは精神を研ぎ澄ませていた。
左足を前に前屈立ちで構え、全身の筋肉に等しく血を行き渡らせる。
戦闘前のシンザン独自のルーティンである。
ひたすらに目を閉じ、己を取り巻く環境に身を融かしていく。
肌に張り付いた黒い戦闘服の上に白い雪が積もる。
芒の茎を踏み抜いて今ここに立っている。
足場はかなり悪い。
「ひゅぅぅぅぅぅ...」
シンザンは十数秒息を吸った。
外界の冷気を肺に馴染ませる為だ。
次に全身の筋肉に溜まった不純物を載せ、一気に空気を吐き出した。
そして、漸くシンザンは目を開いた。
内側から熱気の籠ったエネルギーが湧き出る感触。
この感触が出始める、それは即ち戦闘モード以降への合図だ。
「...よし、待たせたな、上人とやら。」
上人は律儀にシンザンの一連の動作を待っていた。
「そうか。
では始めるとしよう。」
上人曰く、最も良いコンディションで挑んで来いとのことだった。
表情一つ変わることのないそのポーカーフェイスで中々挑発的なことを言うものだとシンザンは染々と思った訳だが。
売られた喧嘩は買うのがシンザンの性分。
今まさに、シンザンは絶好のコンディション下にあった。
上人は何かを放り投げるような動きをした後、拳法家のような構えを取った。
シンザンとは対照的に、上人は右足後ろの後屈立ち。
伸ばした左足に平行に左手を出し、手刀を作る。
右手は拳を握り、腰の辺りで引き締められていた。
目線はシンザンの足先まで落ちていた。
「ほう...」
(さてはこの男、武術の心得があるな...?)
実は、シンザンは武術に関しては全くの素人。
ただ筋トレに明け暮れ、パワーだけで稚拙な体術を誤魔化してきたタイプだった。
そんなシンザンでもはっきりと判る。
目の前の男の構えからは何か────異様なオーラがあると。
「戦型<猪牙舟>。」
上人がそう呟いた瞬間、体からどっとどす黒い煙のような物が放出され始めた。
いや、実際に出た訳ではなく、シンザンの脳がそう錯覚してしまう程に、上人の醸す雰囲気がこの一瞬で一変したのだ。
「...」
(さぁ、何が飛んで来るか...)
シンザンは無意識に受け身の体制を敷いてしまった。
駆け引きにおいて相手の実力を測りたくなるのは仕方のないことだが、この場合は概ね功を奏すことはないやり方だ。
シンザンが構えを崩さず一歩後ずさった瞬間、上人の姿がぼやけ始めた。
そして、瞬きを挟んだ次にはもうシンザンの右頬が拳で深く抉られていた。
「ぐおっ...!!」
シンザンはバランスを大きく崩し更に二歩三歩と下がったが、そこで踏み止まる。
そして口内の流血を吐き捨て、何事も無かったかのように構えた。
上人は少しばかり驚いた表情を浮かべたが、すぐに距離を取り、先程の後屈立ちに再び戻った。
「効かねぇなぁ、まぁ俺も精鋭兵の端くれだ、お前も今の一撃ごときで倒せるとは思ってなかったろ?」
シンザンがそう言うと、上人は応えることなくまた横にふらふらと揺れ始めた。
さっきの輪郭のぼやけはこの酔っぱらいのような動きによるものだったようだ。
(酔拳の類いか...?
だったら...)
シンザンは幅広く多重化した上人の輪郭を物ともせずそのまま拳を繰り出した。
一発、放たれた右手は空気をうねらせながらその輪郭の波へ突入していく。
その瞬間、右腕の手首に何かが触れた。
恐らくは上人本体の何処か。
この時シンザンはこの上人による謎の攻撃の突破口を発見したように見えた。
感触がある、即ち輪郭のぼやけの中に本体は確実に存在するということだ。
つまり"ごり押しが効く"。
少なくとも脳が筋肉で出来たシンザンの中ではそう変換された。
だが、その後次々と右腕の全体に纏わりつくような感触が広がった。
そしてシンザンの体は勢いよく上に回転し、軽々と持ち上がったのだ。
「なっ...」
見ると、上人の手が右腕をがっちりと固定し、自分を担ぎ上げていた。
「連技<落雷>。」
そのまま地面に凄まじい勢いで叩きつけられる。
と同時、地面に背中が当たる直前、負けじとシンザンが繰り出したストレートが上人の顎にヒットした。
そして両者は相討ちとなり、シンザンは背中と内臓に大きなダメージを負い、上人は顎を砕かれ大きく仰け反った。
この両者において、ポテンシャルは別としてその耐久性と根性はシンザンに軍配が挙がったようだ。
シンザンは落雷の如く地面に激突するエネルギーを、背筋の弾力を利用し反転させた。
そして芒と背筋の間で反発が起き、シンザンは勢いよく立ち上がったのだ。
そのままの勢いでふらつく上人に連撃を加える。
流石に武術の経験値のある上人はバランスを崩しながらも攻撃を捌いていったが、シンザンの凄まじい連打全てを受け流すことは出来ず、鳩尾への一撃がもろに命中し、2m程上空へ弾んだ。
「さぁ...反撃開始だ...!」
シンザンが上人の着地点に走り寄り、構えを取る。
そして自由落下により空気抵抗を受けながらも殆ど一定の速度で落ちて来る上人に狙いを定めた。
だがその瞬間、上人の姿が忽然と消えた。
突然の出来事にシンザンが戸惑っている間に、構える手先にふわりと柔らかい風が当たったと思えば、強烈な一撃が顔面に直撃した。
勿論、シンザンからすれば何も無い所からの突然の衝撃だ。
シンザンは一歩後退り、不思議そうな顔で顎を撫でた。
(さっきの透明化マジックを再び使ってきやがったか...)
要するに、上人が構える前に行った"何かを放り投げる素振り"、それはただのブラフであったということ。
実際はずっと光学迷彩を手に握ったまま闘い、いざという時に着用して雲隠れという魂胆だった訳だ。
(頭までよく回るのか...
ってオイ、感心している場合じゃねぇだろ。)
こうしてシンザンが考え込んでいる間も、無からの攻撃は続いている。
特に顔面に集中して拳が飛んで来るようで、首がその度にガクガク震える訳だが、シンザンは何食わぬ顔で突っ立っていた。
「うーむ...少し集中が足りなかったか...」
シンザンは突然地面に胡座をかいて座った。
一瞬、攻撃が止む。
全然効いていないことに違和感を感じたのだろうか。
そしてシンザンは両手で手刀を作り、勢いよく合掌した。
空間に一発の破裂音が響いた。
それはシンザンを更なる集中の渦へ誘ってゆく。
(透明化していても俺に攻撃が当たる、つまり実体は確かにそこにあるということだ。
...雪。そうだ、雪の動きを見れば奴の姿も自然と見えてくるのか...
...待てよ、その前に奴に一個訊いておかなければならんことがあったな。)
暫くしてシンザンは大きく頷くと、立ち上がった。
「おい、上人とやら。」
再び驟雨のように攻撃がシンザンの体へ降り注ぐが、全く微動だにしない。
そのまま話を続けた。
「お前、本気出してねえだろ。」
シンザンがそう言った途端、攻撃がピタリと止んだ。
そして、芒が二点窪んだ。
その上の肩に位置する部分に雪が積もり始めた。
上人の動きが止まったのだ。
ゆっくりと上人は光学迷彩を脱いだ。
「本気を出していない...或いは...
本気を出さないことに躍起になっている...」
「やっぱりな。
おかしいと思ったんだよ。俺の筋肉が特別硬いにしても攻撃が余りにも軽すぎる。
俺は体表の神経に麻酔を入れているから表面的な攻撃による痛みはねえんだけど、今まで闘り合ってきた奴の攻撃は"ここ"に響いてくるんだよ。」
シンザンは肝臓を押さえた。
また、戦闘前に神経麻酔を入れるというのは精鋭兵の間では結構流行っているようで、"敵の攻撃による身体的欠損は起き得ない"という自負のある、所謂ナルシスト的な奴がよくやる手法だ。
要は身体的欠損の心配が無いなら痛覚など必要ないという単純な考え方だ。
そしてシンザンもその内の一人で、日々筋トレに励みひたすら表面の筋肉を固くし続けているのはこういった理由からだ。
「ああ。
確かに俺は本気を出していない。」
そしてこの二人の闘いは一幕を終え、再び話し合いに移行していく。




