十五話 縁の下では
「ヤバいヤバい...」
サラは城下町を疾駆していた。
少々整えられた髪が風に棚引く。
化粧等のおめかしは常識的な範疇で、いや、この時は申し訳程度のごく手薄なものであったが、生まれもっての顔立ちが端正な分、殆どすっぴんであっても中々様にはなっていた。
服装はカッターシャツに黒いフレアスカートで急いでいた割には意外にもちゃんとしていた。
というのも、雑把な性格のサラはこの服装で就寝しているからだった。
現在時刻は昼前。
出社時刻から凡そ二時間程遅れている。
人並みを駆け抜け、徐々に「しちや」の看板が見えてくる。
かなりデザインが奇抜な店構えなので店舗が乱立する沿道でも目立つ。
「はぁ、着いた...」
中を見回すと、店主の姿どころか客の姿さえ見当たらず、しんと静まり返っていた。
「あれ...?」
店内に響き渡る声で店主を呼び掛けても全く反応はない。
仕方ないので、無断で店の中に入ることにした。
あの店主に限ってあり得ないことだろうが、万が一泥棒に入られていたらいち早く通報しなければならない。
恐る恐る店の奥へ進む。
街道に向くように設置されたカウンターを越えると、その奥は客間になっていた。
古風な木造建築のようで、タイツの下から木のひんやりとした感触が足の裏に伝わってくる。
普段は客がここまで入ってくることは無いし、サラ自身もあまりまじまじと店内を探索したことはなかった。
「...ワクワク。」
サラはこういったオカルトチックな雰囲気のあるものに目がない。
こういった場合、体は勝手に探索を始めてしまうのだ。
ふらふらと歩き回ってみると、そこかしこに買い取った品だろうか、骨董品や絵画、玩具などが無造作に置かれていた。
ふと、部屋の隅に何ということなく配置されていた絵画が目に留まった。
特に主張激しく、といった訳ではなく何故かその絵画だけ他に比べて存在感が凄まじく感じられたのだ。
「何だろう、これ。」
周りの物をどけて、絵の全貌を晒す。
そこには真ん中にでかでかと油で描かれた赤黒い月があった。
異様な存在感の正体はこれだと本能的に察知した。
陸と海、クレーターに至るまで細部に渡って描かれたその月は、まるで複数の目で此方を嘲笑っているように見えた。
絵の下部には小さな街が仄かに描写されていた。
街灯のランプで彩られたその街は淡い橙色を滲ませていたが、夜空に浮かぶ禍々しい月に今にも覆われてしまいそうな不吉な予感を感じさせた。
気がつくと、様々な品物に触れた為、手が埃まみれになっていた。
「えーっと、洗面所は...」
部屋を出て、廊下を歩く。
木の含みのある芳香が芬と鼻を突き抜ける。
適当に扉を開くと、運良くそこは洗面所であった。
ピカピカに手入れされた鏡が正面にあり、部屋は横の風呂場と繋がっているようだった。
花の良い香りがする。
「店長って、何か変な仮面つけてて気味悪いけど、意外と家庭的なのかな...」
残念ながらそれは否。
このやり過ぎなまでの清潔感は、裏のカフェを経営しているリゲルによるものだ。
蛇口を捻り、手を洗おうとしたが、何故か水が出なかった。
「あれ...?」
(嘘...水止まってるのかな...最悪...)
仕方がないので埃を部屋の壁に擦り付けていると、玄関の方で物音がした。
(あっ、店長帰ってきた。)
勝手に店の中に入ったことを怒られるかもしれないので、颯爽とカウンターに飛び込み、平然を装う。
入ってきた店長、アヴィドは相変わらず仮面をつけたまま、カウンターで背筋を伸ばして座るサラの顔を見つめた。
その後ろにはニット帽を被ったリゲルの姿があった。
暫く睨み合っていると、アヴィドが口を開く。
「丁度良い所に来てくれました。」
「...すいませんでした!!!」
サラはアヴィドの声が聞こえた瞬間、思わず反射的に陳謝した。
が、アヴィドの発言が思ったのとは違ったものだったので困惑した表情で顔を上げる。
「丁度良い...と言いますと...?」
「実は、今日はいつもとは違う仕事をしてもらうつもりだったのですよ。」
そう言うと、アヴィドは後ろのリゲルに合図を出した。
そして暫くするとリゲルが大量の水入り2Lペットボトルを引き摺って帰ってきた。
「えーっと、これは一体...?」
そのペットボトルの量にも驚いたのだが、特に驚愕したのはこの重量の荷物を涼しい顔で引っ張ってきたこのリゲルという女性だ。
見た目は華奢な方、寡黙、白い睫毛と丸眼鏡の下から覗く透き通った青い目が特徴的な美貌。
それでもって怪力とは、一体何者なのだ。
「今日は、三人でこの水を周辺住民の方々に配ります。」
そう言うと、アヴィドがサラにハンドタオルを渡す。
これは紛れもない肉体労働の合図。
そして遅刻したサラに拒否権など無かった。
「...りょ、りょーかいひまひた...」
地獄の水配りの開幕だった。
「あの...何かあったんですか...?」
サラは前を歩くアヴィドに質問した。
「王朝からの依頼でね。」
「王朝から...!?」
立ち話をする二人を他所に、リゲルは淡々と作業をしていた。
汗一つかくことなく、ラフな格好で水を台車に載せていく。
「サラさんのお兄さんは確か尖兵をされていましたよね。」
「ええ...そうですけど......あっ、そうか...!」
「そうです、あまり大きな声では言えませんが、今も、こうしている間に王朝軍はBonoboのアジトで闘っているのですよ。」
アヴィドは街を歩く人々を見た。
民衆は、今この真下で闘いが繰り広げられていることなど知る由もなく賑やかに街を歩いている。
「サルガタナスさんは、どうやら今回の征伐は隠密で行いたいとお思いになっているようです。」
「...これ以上国民に心配をかける訳にもいかないよね。」
「確かに、それもあるかも知れませんが...恐らくはもっと別の理由...」
二人でうんうんと唸っていると、後ろから不機嫌そうな声がした。
「あの、店主。
私、帰っていいですか。」
びっくりして後ろを振り向くと、リゲルが立っていた。
全く息切れもせずけろっとした表情で立つ彼女の後ろには、綺麗に数十台の台車の上に陳列されたペットボトルがあった。
「相変わらず仕事が早いねぇ...」
アヴィドは顎を撫でると、申し訳無さそうな口調で話した。
「もう少しだけ...お願いします!」
アヴィドが顔の前で手を合わせると、リゲルは心底嫌そうな顔をしてため息をついた。
「はぁ...分かりました。
その代わり、ミセスドーナツを一箱ね。」
ミセスドーナツ、城下町に本社を構える大人気チェーン店だ。
意外とその歴史は古く、一説には空前の時代からドーナツの文化はあり、この店の土台はその頃からあったとも言われている。
「了解しました。
ストロベリーチョコ、増量しておきますよ。」
「えっ、ほんと??やったー!」
リゲルは先程の無愛想な態度とは打って変わり、満面の笑みを浮かべて跳びはねた。
サラは目の前で起こったキャラ崩壊の瞬間に少し動揺したが、不覚にも萌えてしまった。
アヴィドが台車の方へ歩き去ると、サラとリゲルが二人取り残された。
「えっと、サラちゃん...だったっけ...」
リゲルが話しかけてきた。
無邪気に大喜びする姿を見られてしまって照れているのか、頬を赤らめながら丸眼鏡をしきりに触っている。
「あっ、リゲルさん...」
「あの店主、極端に神経質な時もあれば、極端にズボラな時もあるから扱いに困ってたのよね。」
リゲルがニット帽を脱いで髪の毛を整える。
目が眩むような真っ白い髪が雪に映える。
「そうですかね...」
サラが苦笑いを浮かべ、向こうで作業をしているアヴィドを見た。
すると、アヴィドは台車をひっくり返し、ペットボトルを雪の上にぶちまけた。
「はぁ、言わんこっちゃないわ...
ということで、サラちゃん、これから宜しくね。」
そう言うと、リゲルは急いでアヴィドの元へ走っていった。
頑張って格好付けようとするが、何か抜けている節を隠しきれない。
サラはそんな店主に兄の面影を感じて、思わず笑ってしまった。
結局、この世に完璧な人間なんて居ない、皆何かしら抜けている所はあると。
✝️
サルガタナスがアヴィドの元を訪れたのはついこの間のことだ。
その日は霧雨が降っていて、客も少なかった。
それに、死体遺棄騒ぎがあったのもこの日だった。
いつも通りカウンターに座って街並みを眺めながら水煙草を吹かしていると、眼鏡を曇らせた黒髪の男が正面に座った。
参謀のサルガタナスだ。
「おや、サルガタナスさん...」
「突然押し掛けてしまってすまない。」
サルガタナスは傘も差さず手ぶらであった。
つまり鑑定依頼の訪問ではなく、あっち系の依頼。
「一つ、貴方に頼みたいことがあるんです。」
サルガタナスは、近い内にBonoboへ兵を出すこと、Bonoboへの遠征は大きく二回に分けるということ、そして一回目は人質の救出のみの出陣であるということを話した。
「水の配給...ですか。」
「はい。一回目の征伐は出来るだけ水面下で行いたいのですが、Bonoboのアジトが地下にあるのでもしかすると水道管を破壊してしまう可能性があります。
水が止まることによって騒ぎが起こることを防ぐために、地下の工事という設定での水の配給をお願いしたいのです。」
「成程、分かりました。
王朝の為とあれば、全面的に協力致します。」
どちらかと言えば頭の回る方であったアヴィドも、この時はサルガタナスが何を考えて一回目の征伐を隠蔽しようとしているのか余り理解できなかった。
だが、目の前の男が何の考えも無しに動くような人間ではないことは重々承知していたし、彼が俗に言う天才であることも知っていた。
だから、この時は何も言わず協力することにしたのだった。
✝️
今になって漸くサルガタナスが考えていたことが少し分かった気がする。
人質の救出における世論とのバランスの調整。
王朝の信用を失墜させない為の策略を。
そして経済の均衡を保つという名目も含んだその妙策を。
「一体あの方はどれほどの先が見えているのでしょうね...」
アヴィドは空を見上げた。
降り注ぐ雪が仮面に少し積もり、溶けた冷水が目に入った。
「あいたたたた...」
仮面を押さえて悶絶するアヴィドを、リゲルは呆れた顔で睨み付けた。




