十四話 死によって紡がれるもの
王朝軍がBonoboアジトに突入して3時間が経った。
サルタは書斎に戻り新聞を読んでいた。
新聞といっても民間に流通するような代物ではなく、所謂裏の情報を取り扱った物。
無論、この新聞は集金を目的とした物ではない。
革命軍時代から昵懇な間柄であった王朝眷族企業のとある新聞社が、一般新聞の印刷の裏で取り扱う極秘情報誌だ。
一応、金を積めば民間でも手に入れられる物ではあるが、そもそも存在を知らないという人が多いだろう。
何故、新聞社を一枚噛ませるのか。
それは、取り扱う情報がかなりセンシティブな物である為、それらを手に入れる過程は必ずしも清潔なルートとは限らない。
それを受け、王朝としては自らの手を汚すことなく情報を仕入たい訳だ。
また一般人でも入手可能な新聞としての位置づけをしているのも、表向きとしてはクリーンなイメージを保ちたいということ、そして多方面への取材内容を取り扱う新聞としての情報の方が国勢を知るためにも有効だと踏んだのだ。
サルタはコーヒーを一口飲みこみ、足を組んで椅子に腰かけた。
先程、エントランスで嘆き続けていたゼンジを何とか宥めて一旦家に返し、不機嫌なアドラをモロクに一任して今に至る。
確かにアドラの気持ちも分かる。
人質が居るのに何故戦力を出し渋る必要があるのかと怒るのも無理はないだろう。
だが、まだだ。
(まだ時は熟していない...)
サルタは背凭れに体重を預ける。
背凭れが心地よい反発を示し、腰が軽くなる。
『壬を襲う─ネフケル=コンクェスト─の脅威!
諸侯を纏め上げた新統率者の動向はいかに...!』
ソル語系ネフケル族(Neffker)。
壬の国北西部の遊牧騎馬民族だ。
因みに、壬国の9割を占めるスクロヴ人もソル語系である。
元は一つの民族であったのが、第2戦紀初頭に分裂し、スクロヴ人は壬という国家を形成、ネフケルは昔ながらの文化を保持し遊牧を続けた。
その後、度々壬国に侵入し国家を脅かしてきたこのネフケルが再び襲来したらしい。
(ネフケル=コンクェスト(ネフケルの侵略)...つまりコンキスタドールとして表現されるネフケルの勢力はかなり大きいということか...)
新聞に書かれていたのは第五次王権奪取戦争後に壬を統一した謎の統率者について、そして侵入したネフケルについて。
謎の統率者については殆ど、前王であるカントール四世だろう。
(しかしよく金だけでここまでの情報を集めたな...)
王朝が経済支援をしているとはいえ、断交状態である壬の情報をこれだけ集めるのは至難の技だ。
恐らくは、国境のドラグ運河を越えて絶えずやってくる移民に対して交渉を持ちかけているのだろうが。
「ふぅ...」
(王朝の立場でこんな汚い真似は出来ないからな...新聞社に任せておいて正解だった。)
サルタはカップの半分くらいになったコーヒーにシロップを追加した。
サルタのコーヒーの飲み方は独特で、最初の一口はブラック、その後どんどんシロップを追加しながら飲み進めるのだ。
本人曰く、「一度のコーヒーでも味わい方は何通りでもある、私はそれを楽しみたい。」とのことだ。
「ネフケルの侵入は我々としては僥倖だ。
取り敢えず、Bonoboに割ける時間にも余裕が出来そうだ...」
サルタはそう言うと、役員本部が纏めた経済動向のグラフを手に取った。
✝️
薄暗い地下通路を、一人の少年が壁に寄り掛かりながら歩いていた。
所々が崩落した通路に、赤い斑点が滴る。
「フゥー、フゥー...」
既に光を失った目は遠方を見つめていたが、生きる意志は確かにそこにあった。
少年は勇ましく息をする。
だが、とうに限界を超えた体は、意志だけではどうにもならない程に衰弱していた。
腹に空いた穴を必死で押さえるが、はち切れんばかりに圧縮された内蔵を押し込めるほどの力は最早残っていなかった。
「グァッ...」
歩けと命令を出し続けているのに、足は非情にも崩れ落ちた。
衝撃で腹から白い紐のような物が道に垂れ下がってしまった。
「...こんな所で、死ぬ訳には...いかねぇだろうが...」
何とか動かない足を引き摺ってでもこのアジトから脱出しなければならない。
少年の命は、最早少年一人だけのものではなかった。
臆病者だった男の生きた意味をこの身に背負った。
英雄から命の襷を受け取った。
「俺は...ヤスの死に、意義を手向けてならなければならないんだ...!」
少年の名はクロウリー。
嘗て口減らしの為に路地裏に捨てられ、孤児として生きてきた。
誰かに愛されたという記憶も無い。
誰かの為に生きようと本気で思ったことも無い。
そんな感情を知ることなく生きてきた少年は、ヤスに出会った。
そして生かされた。
弱い癖に格好付けて死んでいったあの男に。
クロウリーは両足の機能が失われたことを確認ふると、次は匍匐前進でただ死に物狂いに進んだ。
「ハァ、ハァ、俺は...まだ...死ねない...」
腹に砂利が入り込み激痛が走る。
血でベタベタになった肉に砂利が貼り付き、地面と擦る度に内臓を抉るのだ。
既に腸はだらしなくクロウリーの後を引き、腹からは謎の透明な汁が絶えず流れていた。
だが、クロウリーは諦めなかった。
暫く視界の失われた中、匍匐前進で進んでいると、急にガクンと上半身に浮遊感を覚えた。
どうやら穴に差し掛かったらしい。
クロウリーは背筋に鞭を打ち、何とか穴から体を戻した。
「...クソッ...こんな時に...」
手探りで辺りを確かめると、かなり大きい穴であることが分かった。
目が見えているならまだしも、盲目の状態で穴へ落ちずに先へ進むのはほぼ不可能だった。
信念ではどうにもならない事実が、そこに立ちはだかっていたのだ。
「はぁ...」
クロウリーは壁に凭れて項垂れた。
「俺、無理そうだ...」
生還への執着を捨てた途端に体は一切の力を失っていった。
筋肉が強張り、ただ耳鳴りが続く。
死の直前、脳の自己融解はもう間もなくに思えた。
だが、激しい耳鳴りと頭痛の中、穴の下から音が聞こえてきた。
「何の音だ...」
闇に吸い込まれかけていた意識を今一度戻し、耳を澄ませる。
激しい金属音と、人の呼吸音が聞こえる。
そして、時々軽快な高笑いが響いた。
───フハハハハ!!愉快愉快!!お前達では、俺には勝てない!!!
「...チッ、誰だよ。」
誰かが下で勝ち誇っている。
今、歓喜の絶頂を迎えているのだ。
沸々とクロウリーの中で消えかけていた灯火が燃え始めた。
徐々に感覚機能が取り戻されていく。
「...ふぅ、下の状況を知らなければ...」
クロウリーは全身に残された余力を全て注ぎ、視覚以外の感覚を拡張した。
先程闘った時のように、自分を中心とした座標軸が穴の下の世界へ広がっていく。
そして、穴から吹き出る空気の流れ、音から穴の中で奮戦する三人の姿を捉えた。
ホーソンの着ていた服と照らし合わせ、敵味方を判別する。
(一人が相手の二人を一方的に攻撃している...さっきの高笑いはこの一人の方か...)
───ブライには手を出させない...!!
その時、一人の女性の声が響き渡った。
そしてクロウリーの頭の中で、その女性が剣を構えて勇敢に立ち上がった。
まるで、あの時自分を逃がして立ち向かっていったヤスのように。
その時、クロウリーは決意した。
ヤスから受け継いだ命の襷を託すべきは、この二人であると。
(ヤスは未来がある俺に命を託してくれた...
でも...)
「すまねぇな、ヤス...
俺なんかよりも、よっぽど未来のある人に会っちまったよ...」
目こそ見えてはいない。
だが、穴の下で立った女性は、きっと輝かしい未来を望んでいる筈だ。
その顔は、生きる希望に満ち溢れている筈だ。
「だったら...」
クロウリーは穴に上半身を突っ込む状態で這いつくばり、銃を構えた。
あと一発残っている。
「俺の生の意味はこれだ...!」
クロウリーは高笑いする男の後頭部に銃口を向けた。
「今度は...外さねぇぜ...」
戴冠式の日、女王を撃ち抜くことが出来ずBonoboの人質とされた。
あの時、もしかすると内心で拒絶したのかもしれない。
女王の、嬉しそうに微笑みを浮かべた顔を見た時、無意識に気が引けてしまったのかもしれない。
でも今は違う。
「ヤス、お前がくれた命、ここで使っちまうことになったが...
許してくれよ...」
そしてトリガーを引いた。
クロウリーの衰弱した体は、その衝撃さえも受け止めることは出来なかった。
少し吹っ飛び、地面に叩きつけられたまま仰向けになった。
(お前ら...俺ももう少しでそっちに行くからな...)
✝️
大尉の後方より一発の銃弾が飛ぶ。
猿の目は、盤面にいる人間の攻撃の全てを補完するが、意識外からの攻撃には対応出来ない。
正に、誰も居ない筈の場所からの突然の一撃は、この状況下において余りにも有効。
「何ッ...!!」
大尉は持ち前の戦闘センスによってその銃弾をギリギリでかわした。
その一瞬だけ空中へ飛び上がり、足が完全に地面から離れた。
ブライは、この一瞬の隙を見逃さなかった。
大尉に打ち勝つことの出来る、最後の時機。
それは、この一瞬しかなかった。
「ウォォォォッッ...!!!」
ブライは夕喰に手を掛け、一心に引き抜いた。
「クソッ...貴様ァ...」
すぐにブライの思念を察知し、大尉は自分を狙って衝撃波が飛んでくることを知った。
だが、空中に身を放り投げた現在において、それを避ける術は───無い。
ブライの放った渾身の抜刀は、一直線に大尉の元へ飛んだ。
大尉は空中を泳ぎ少しだけ体位をずらす。
だが、衝撃波は確実に大尉を貫いた。
急所は外したものの、大尉の右半身を確実に打ち砕いた。
そして、ボコボコになった地下空間は、静寂に包まれる。
「ぐおォォォォッッ...痛い、痛いぞォォォォ!!!」
大尉はよろよろと立ち上がる。
その右半身は欠損こそ少なかったものの、皮膚が二重にも三重にも引き剥がされ、見るも無惨な状態になっていた。
だが、大尉はまだ完全に体の動きを止めた訳ではなかった。
「まだ...立つのかよお前...」
ブライは三角筋を押さえた。
少し気持ちが乗りすぎたのか、思ったよりも早く悲鳴をあげ始めたようだ。
その時、奥の通路からホーソンが現れた。
人質達を連れている。
「ホーソン...か...?」
倒れていたロズマが枯れた声で呟く。
「はい!人質を保護しました...!」
ぞろぞろと十数人の人質達が並んだ。
「そうか...」
ロズマはゆっくりと立ち上がり、大尉を見た。
「おい...ここは退いた方がいいんじゃねぇか。」
大尉はフラフラになりながらも立っている。
固く結ばれていた口がゆっくりと開く。
「ぬぅ......」
大尉の姿を確認したホーソンは剣を構えた。
「...今は、退くとしよう。
だが、この屈辱、忘れはしない...
いつか必ず、お前を殺す。」
大尉はブライを睨み、そして闇の中へ消えた。
「逃がしてよかったのかな...」
ホーソンが不安そうにロズマの元へ駆け寄った。
「ふぅ、助かったのはこちらだ。
あれほど体力を消耗していても、奴はまだ手強い。」
「ブライ、大手柄よ!」
カレンがへたりこんだブライに手を差し伸べた。
「何とかなった...」
ブライは手を取り、立ち上がる。
「カレンさん、俺...」
「ん?何?」
「抜刀以外も修行するべき...なのかな...」
「うーん...控えめに言って...やるべきかな。」
大尉という大きな試練を乗り越え、二人は人質達の元へ歩き出した。
極限状態だった為、その誰もが大尉に隙を作らせた銃弾の存在を認識していなかったが、人知れず散った二人の命は、決して無駄にはならないだろう。




