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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
Bonobo(ボノボ)掃討作戦
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十三話 猿の目


大尉は確実にブライの首を率先して狙っていた。

己の左目に重傷を負わせたあの男の剣を、帯刀していたからだ。


四方で飛び回る煩わしい蠅などどうでも良い。

ただ、あの憎き男の首だけはこの手で刈り取る。


だが、蠅は予想以上に厄介だった。

いや、寧ろ想像以上に想像以下だったのは────己の弱さ。


静かに抜刀の構えをとるあの男に、何故か己の手が届かない。



蠅を振りほどく手は力の始点から受け止められる。

そして常に的確な隙を突いて体に与えられていく微細なダメージ。


幾ら走れど、男の元へ辿り着くことはないのだ。


大尉がそう悟ったのは足の筋肉が痙攣し仰向けにぶっ飛ばされた時。

薄暗い天井を呆然と見つめ、己の非力さを深く味わった。



大尉は、間もなく己を克した。

煮え滾った心は立ち所に冷たい漣へ、膨張した怒りは克己心へと収束する。


最早どうでもいい。

王朝もBonoboも己を待ち受けるこの先の数奇な運命さえも。

ただ単純に、己に刃を向けた目の前の敵を殺すことに比べればどうでもよかったのだ。



「俺はただお前らを殺したいだけだ。」


大尉はゆっくりと立ち上がった。

そして、戦況を冷静に把握する。


目の前に男と女が一人ずつ、そして奥には男が一人。


金髪の男が正面から剣を振り上げ斬り掛かってくると同時、女がその輪郭の後ろで素早く視界から消える。


男の体で死角を作り、そこから攻撃の基点となる場所へと移動する。

実に巧みな連携だ。

だが、大尉にはしっかりと見えていた。


そして、男の剣を左腕で受け止めながら、死角に潜り込んだ女の次の行動を読む。

十中八九、後ろから斬りつけてくるだろう。


大尉は片方の腕で男の頭に掴み掛かった。

そして、後方から来るであろう攻撃をこの男に浴びせようと画策する。


だが、女がいた場所は、上であった。

頭に伸ばした手の上腕を剣が貫いた。


女は身を翻し、上から自重を利用して大尉の腕に剣を突き立てたのだ。

大尉が後方からの攻撃を予測するだろうということを、更に予測した攻撃。



「ぐおぉぉぉ...!」


上腕三頭筋が断ち切られた。

つまり、腕立て伏せの要領で俯せの状態から体を起こすことはもう不可能になった。

それどころか「右腕で押す」という動作は封じられたのだ。


そして、目の前にいた男は、怯んだ大尉に対し追撃を浴びせることはなく、横にずれた。


その刹那の時間の中で大尉は後悔した。

あの男への警戒を一瞬だけ解いたことに。


大尉の目に映ったのは横にずれた男の後方で、静かに剣を引き抜く男。

天井をぶち抜いてこの盤面に躍り出てきたあの男が、忌々しい長尺の剣を引き抜く姿。


大尉は死を覚悟した───

いや、この戦闘狂はそんな器では無い。

この男を取り巻いたのは、寧ろ歓喜の情念かもしれない。


男から大尉までの距離で考えると、剣の実体は此処には届かない。

ならば大尉に傷を負わせるのは極限まで研がれた衝撃波ということになる。


「上等だ...」


大尉は手を広げ、真っ向から受ける準備をした。

男女二人はその一帯から離れる。


「すまんな、俺は戦闘狂なんだよ。

こんなにも最高の窮地、生涯二度と無いだろう...!」



「受け止める...つもりか...」


ブライは真正面で構える大尉を見て少し驚いた。

だが、これはまたとない機会だ。

逃す術は無い。


ブライは歯が削れる程強烈に食い縛り、夕喰を鞘から引き摺り出す。

莫大な摩擦力が鞘の内部で熱エネルギーに変換され、煙を発し始める。


そして、剣という物体によって圧縮された空間、そして外部から無理矢理加えられた暴力的なまでの負荷により、鉄原子は凄まじい微振動を引き起こす。


そして、ブライはそれを力の限り引き抜いた。


引き抜かれた夕喰は空を切り裂き、物体の超高速移動により生じた衝撃と鞘から放出された爆発的なエネルギーが同じ位相で組み合わさり、大尉へ向けて発進した。



「ひゅっ...」


大尉は男が剣を引き抜いたのを確認し、軽く息を吐いた。

そして広げた両手を勢い良く前方で叩き合わせる。


研ぎ澄まされた衝撃波の先端と、激しく衝突した両掌が真っ向からぶつかる。

そして、衝撃波の殆どは、空中に分散した。


大尉は両手を叩き合わせることで楳質を攪拌し、衝撃波の威力を消したのだ。


だが、磨耗して尚も衝撃波は大尉を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。



「なんつーべらぼうな威力だ、オイ...」


大尉は壁にめり込んだ体を起こした。

そして、無慈悲にも止めを刺しにくる二人の男女を目に映した。



「ロズマ、今よ!

この化け物を倒すなら、今しかない!」



壁から抜けて膝を付いた大尉に、すかさずカレンが攻撃を入れる。

急所を両手で塞ぎ、必死にガードする。


両腕、肩、太股、脛、脇腹。

あらゆる部位から痺れるような痛みが走る。



「てめぇ...適当に斬りやがって...」


大尉は少し体力を回復すると、再び立ち上がり女の顔面目掛けて正拳突きを繰り出す。

それを割り込んできた男が剣で受け止める。


中指から血が吹き出、刀身が指の骨に(あた)りコツッと衝撃が伝わる。

だが、大尉はそのまま拳に圧力を加え続け、骨と剣を()ち合わせたまま男を押し込む。


「お前...まだそんな力を...」


ロズマは心底嫌そうな顔をした。

足を踏ん張らせて拳を弾き、距離を取る。


「そろそろしつこいぞ...本当に...」


ロズマもカレンも息は絶え絶えだった。



「...」


大尉は対峙した二人の奥後方で、再び男が夕喰を構えている姿を発見した。


(あの狂った威力の攻撃、クールタイム無しかよ...)


大尉はイライラし始めた。

戦闘狂は闘いその物、そして適度な窮地を好むが、自身が本当に危険に晒されるような戦闘は望まない。


そして眼前の二人の執念も大尉からすればかなり鬱陶しいものだった。



「フン、あの男の力を借りるのは癪だが...」


大尉は左手を顔の前へ挙げ始めた。


「仕方ねェよなァ...?」


そして親指を立て、爪を左目の瞼に合わせて切った。

傷痕を残し、閉じられたままだった左目が、遂に開眼した。


そこに現れたのは、猿の顔が描かれた"義眼"。



数年前。


フォウルによって機能を失った左目の埋め合わせとして手術で付けた義眼。


それは、とある男が"試作品"として持ってきた代物だった。

そして大尉は彫師に頼んで、その眼にBonoboの象徴である猿の顔を描かせたのだ。



「猿の...眼...?」


カレンは猟奇的な光景に一瞬たじろいだ。



「見える...見えるぞ...!

世界が、こんなにも鮮やかに...!」


大尉は感動を体で表現し、天を仰いだ。

そして、瞼を切られ開き放しの左目をギョロりと二人に向けた。



「カレン、怯むな、今まで通りやるぞ。」


ロズマはそう言うと剣を構えて突進していく。


「...わかったわ。」

(そうよね、ブライの一撃をアイツに当てさえすれば倒せる筈だから...)



「ブライの一撃...

そうか!!あの男はブライという名なのか...!!!」


大尉は得意気に叫び、向かってくるロズマを相手取った。


「はぁッ!!」


ロズマは身体中の力を振り絞り、大尉に斬撃を浴びせ続ける。

だが、剣は体を掠めもしなかった。


まるで、大尉は攻撃が来る場所を既に知っているかのように。



「首を左上から切り下ろし...その流れで胴体...

そして鳩尾を突き、下から顎を切り上げる...か。」


大尉はそう言うと顎を切り上げる剣を指で止めた。


「...」

(俺の攻撃が完全に読まれている...だと!?

そんなことが有り得るのか!?)


ロズマは動揺を気取られまいと表情は変えない。



「それが有り得るんだなァ...

なぁ、"カレン"ちゃん?」


大尉はロズマに背を向け、後ろから攻撃を仕掛けようとしたカレンを蹴り飛ばした。



「ぐはっ...」


(何故だ!?死角から攻撃をした筈なのに...!?)



「フッ、フハハハハハッ!!!

愉快だ!圧倒的な力というのは、こんなにも愉快なのか!」


大尉はロズマを殴り倒し、肝臓の位置を踏みつけた。


そして、ブライは辛抱たまらず三発目の抜刀を放ってしまった。


衝撃波の速度を視覚的に捉えてそれを回避することは不可能だ。

だが、事前にそれを知っている人間ならば、造作もないことだった。


大尉はいとも簡単に衝撃波を避けた。



「ブライ...無闇に撃つな...」


ロズマが苦しみながら声を出す。



「へぇ、あの攻撃は5回までしか撃てない...のか。」

大尉は口角を上げた。


「なっ...何故...」



「フッ、何が窮地だ、何が戦闘だ...

結局、こうやって力で捩じ伏せるのが一番楽しいじゃないか...!!!フハハハハハ!!!」


この瞬間、大尉は元来の自分を完全否定した。

戦闘の中で繰り広げられる機微な駆け引き、そして窮地に追い込まれた時の極限状態。

その全てを以て戦闘その物を求めてきた自分を、否定した。


"猿の目"。

その圧倒的なまでの力を得たことにより、知性を得た人間の如く、大尉(ボノボ)の人格は崩壊した。



「感謝するぜ...科学者さんよ。

お前が綴り、俺はそれを知る。

お前がここに文を書くことで、俺はこいつらの考えていること全てを知る。


即ち...今、この場面において、俺に勝てる奴は───居ない!!!」



大尉がロズマから足を放しブライの元へ駆け出した瞬間、カレンが間に立った。

その足は震え、息も途切れかけていた。



「はぁ、はぁ...」


「お前...まだ俺に楯突くのか...?」


「ブライには手を出させない...!!」


カレンは剣を構えた。

体全体がガクガクと震えている。


「へぇ...要するに、そいつが俺を打ち倒す要だからってことだろ...?

...いや、お前の場合、別の理由がありそうだなァ...?」


大尉はニヤリと笑った。



「止めろォォッ!!!」


ブライは我を忘れて大尉へ特攻した。

そして、ろくに使えもしない剣術で、ぎこちなく大尉に斬り掛かる。


「おい...お前...」


大尉はブライの攻撃を避け、距離を取った。



「ブライ...ごめん...」

カレンはブライの背後で崩れ落ちた。



「お前...あの時俺に傷を付けた男じゃねェよな?」


大尉は声を低くして問い掛けた。


「ああそうだ。

俺はブライ・フライブルクだ。

お前が言っている男は、もうこの世には居ない。」


ブライは内心は怯えていた。

だがまだこの男に勝てる可能性が無い訳ではなかった。


それは、ただ勇敢に目の前の敵に立ち向かい、時間を稼ぐこと。

敢えて挑発的に会話をし、少しでも隙を作ること。



「ふーん、そうか。」


大尉はそれだけ言って、拳を鳴らした。


「...」

(仇に執着が無いのか...!?

さっきまであんなに憎んでいたのに...)



「くくっ...反応があっさりし過ぎてて困惑したか?

確かに、以前の俺なら仇がこの手で討てないことに心底怒り狂っただろうな。」


大尉はブライに顔を近づけた。


「でもなァ...今はただこの力でお前を叩き潰すことで頭が一杯だァ...」

大尉がブライ眼前で高らかに笑い声をあげる。


「つーことで、早くやろうぜ?」


そう言うと、ブライの胸を殴り、吹き飛ばした。

"抜刀しか"出来ないブライは、全く反応出来ずに地面に転がる。


「ぐはっ...」


ブライは痰を吐いて体勢を戻した。

大尉はゆっくりと此方へ歩いてくる。


「はぁ...ははは、でも気を付けた方が良いぜ...

圧倒的な力に魅入られたら最後...俺みたいになるからよ...」


ブライは時間を稼ぐ為、何とか会話に持ち込もうとする。

まともに戦えば、1分と持たないだろう。



「大丈夫だ、俺、普通でも強いからよ。

...ふーん、援軍がやってくるまで時間稼ぎってか。」


大尉は塵を見るような目でブライを見下し、嘲る。

そして、ブライの顔面に向けて拳を飛ばし、止めを刺そうとした。



その瞬間、一発の銃弾が大尉の後頭部目掛けて撃ち放たれた。





国家の陰で暗躍する男の足跡が少しずつ見えてくる頃

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