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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
Bonobo(ボノボ)掃討作戦
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十二話 ヤスという男


クロウリーは残った銃弾を確認した。

あと三発。


この三発で確実に前の二人を仕留めなければ、もう残された道は"死"。

クロウリーはサプレッサーを外し闇に投げ捨てた。


剣を持った敵はクロウリーの視界からの脱出を図る。

忽ちその位置は分散し、再び囲まれる形となった。


だが、クロウリーは静かに佇んでいた。

その心に揺らぎは全く無いように見えた。


眼球に瞼という暗幕を降ろす。

そして、景色が闇に放り込まれた代償として、クロウリーは空間認知能力を獲得する。

急速に脳がこの状況に適応しようとしていた。


一気に自分の足元から垂直に交差する直線が方眼のように地面に張り巡らされる。

視界が支配する領域は精々前方150度程だ。

だが聴覚、触覚、嗅覚から得た情報により張られた座標軸は、クロウリーを中心とした同心円内を支配した。



「......」


息遣い、足音、衣服の擦れる音、空気の流れ。

生物は、後苗断絶の危機に瀕して始めて進化への緒を掴む。


光以外の外界の全ての情報が、クロウリーに敵の位置を報せた。

驚くほど的確に、後ろで敵が剣を振り上げたことを察知する。

と同時に、前方の敵は此方へ走り出したようだ。


クロウリーはまず後方から脳天へ振り下ろされた剣を横に避け、敵の後ろへ回り込んだ。


そして、そのまま敵の肩に小銃を置き、走り掛かってくる敵へ銃弾を放った。


銃弾は、敵の心臓を貫いた。

弾力のある心臓で弾は落ち着き、血流は逆行する。


敵は二三歩歩いた後、前向きに倒れた。


また、顔の真横で弾を発射された男は、マズルフラッシュにより目が潰れた。

マズルフラッシュとは、弾を撃った時に生じる閃光のことで、敵の目を眩ますことに有効な時もあるが、射手の視界も犠牲にしなければならないものだ。



「ぐっ...お前...目を犠牲にして...」


男は膝を付き、手探りでその場から這い出ようとする。


クロウリーは頭を鷲掴みにし、そのまま後頭部を撃ち抜いた。

男は勢いよく前方へぶっ飛び、足を上に曲げたまま痙攣し、じきに静止した。



「俺の目はとっくに光を失ったさ...」


クロウリーは失明していた。

脳は極限状態を乗り切る代償として視覚を捧げたのだ。


クロウリーがよろよろとヤスの元へ歩き寄ろうとしたその時、発砲音と共に下腹部に激痛が走った。


「...?」


下腹部を手で触ると、温かい液体が流出していることに気付いた。

更に、研ぎ澄まされた嗅覚は、乾いた草の臭いが己の体から醸成されていることを認識した。


腸の臭い────そう言えば、人質にとられてからまともな飯は食っていなかった。

だから異臭は控えめなのだった。


(やられたか...)


腹部を撃ち抜かれたのにも関わらず、心は静寂な池のように閑かだった。



目の前に人の気配を感じた。

その人は声にならない声で自分の名を呼んだ。


そして、手を握られた。

血液で温まった掌の熱が、その冷たい手に吸収されていく。


「クロウリー、お前は行け...後は俺がやる。」


ヤスの声が、穏やかに耳に入る。


この男は、この期に及んでまだそんな自己犠牲に執着するのか。



「ヤス...お前...ここまで来て俺がそそくさと帰る訳が...」


クロウリーがそう言いかけた瞬間、前の方で天井が崩落する音がした。

そして男の発狂する声が延々と谺する。


ヤスがコンクリートの塊を首に命中させ、動きを止めていた敵が復活したのだ。

そして奇しくも、そいつが最も厄介な敵であろうことは今の崩落で窺い知ることが出来た。


ヤスはそのことをいち早く察知し、手負いのクロウリーを逃がそうとしているのだ。



「奴は俺が一人で引き受ける。

クロウリー、お前は早く逃げろ...」


ヤスの冷たい手が肩に乗る。

この手を離せば、本当に最後の別れになってしまうかもしれない。

クロウリーは最早働きを失った目から涙を溢し、必死に引き留めようとした。



「...死ぬつもりだろ、お前。

ふざけんな、自分の命を軽々しく思ってんじゃねえよ...!」


ヤスはより強く、クロウリーの肩を握り締めた。

顔は見えないが、恐らくやりきれない感情を噛み締めているのだろう。



「...クロウリー、お前には未来があるんだ。

俺みたいな情けない奴よりも何倍もな。

だから、頼む。命の襷を、受け取ってくれ。

───俺が生きた意味を、お前に託したいんだ...」



「違う...!

お前はもう臆病者なんかじゃねぇだろ...!

ゼンジさんの元へ戻ってやらなきゃならねぇんだろうが!!」


肩に載った手が、突然ふわりと浮かび上がる。


クロウリーは必死でその手を掴もうとした。

この手を逃せば、もう二度と会えなくなるような気がしたからだ。


だが、もうそこには人の気配は無かった。



「ありがとう。

ゼンジはこんな俺でも許してくれるよ。

だってゼンジは優しいからさ...」


そう言った声からは全く覇気というものが感じられなかったが、彼の去って行く姿の寂しげな様は鮮明に認識出来た。


クロウリーは暫く立ち尽くしていたが、奥で剣の打ち合う音が聞こえ始めると逃げるようにその場から走り去った。








✝️







動悸が激しくなってきた。

囮を買って出るなどという身の丈に合わないことをしたのが運の尽きだった。



「ふぅ...」


だが後悔はしていない。

自分が渡した命の襷は、絶対にクロウリーが引き継いでくれる。

その事実だけで、ヤスの死への恐怖は和らいでいた。


大剣を振り回して暴れ回る男を静かに睨む。

投石による被弾で怒り狂っているようだ。


ヤスの存在を認識すらせず、ただ殺しの快感を得る為だけに男は暴れていた。


(こんな奴を放っておくわけにはいかないよな...少なくとも...

人質達が安全な場所へ辿り着くまでは...)


勝ち目は無い。

距離を詰めれば即肉塊と化すことになるだろう。


だが、少しの時間は稼ぐことが出来る。

奴が、ヤスの肉体で遊ぶことに飽きるまでの間だけでも。



ゼンジに会っていなければこんな結末を迎えずに済んだのかも知れない。


ゼンジに会うこともなくただ路地裏で平穏に暮らしていれば、今頃はゆっくりと家で寛いでいたのかも知れない。


確かに、それは事実だ。


(ああ、ゼンジと出会ったことで、俺がここで切り刻まれることになったとしても。

平穏な百年よりも、ゼンジと出会い、共に過ごした十年の方がよっぽど良いぜ。だからこの選択に後悔などあろうはずがねえだろ!)


ヤスは思い切り剣を男に投げた。

剣は真横に円を描きながら空中を遊泳し、いとも簡単に大剣に弾かれた。


ヤスは気にせず素手で突進する。

通天流での弱々しかった自分を殺すために。


男と接触する。

瞬間、既に千切れかけていた肩が裂け、腕が掖がれる。


色を失ってゆく視界の中、意識を失う直前に走馬灯がヤスに見せた光景は、


────ヤスが避け続けてきた記憶。








✝️








気付けば路地裏の一角に佇んでいた。


辺りはもう夕暮れ。

紅い日は家々に遮られ、光の届かない路地裏は薄暗く紫がかっていた。


(ここはどこだ...?)


辺りを歩き、拓けた所に出る。

囲繞地と言うべきか、そこは家に囲まれた箱庭のようだった。


雑草が生い茂る中、自転車や衣服などが積み上がった山があった。


(あれは...)


ゴミの山、それはゼンジと出会った場所だ。


すると、反対側から若い男が歩いてきた。

ヤスは咄嗟に物陰に隠れた。


その男は、嘗ての自分だった。

ゼンジが差し伸べた手を振り払い、道を踏み外した筈のあの日の自分だった。


(一体、どういうことだ...)


男は、ゴミの山に登り始めた。

そして肩で息をしながら頂上へ辿り着くと、懐から手紙を取り出し、くしゃくしゃに丸めた。


「宇宙人、いるんだったら出てこいよ...!!!

俺はどうしたらいいのか、教えてくれよ!!!!」


男は泣きそうな声でそう叫ぶと、ゼンジが枝を投げて宇宙人との交信を図っていた、あの家の屋根に丸めた紙を放り投げた。


中に小石でも詰めたのだろう。

紙は綺麗な放物線を描き、家の屋根に落ちた。


宇宙人は、現れなかった。







✝️







瞬きを挟むと、今度は全く違った景色が眼前にあった。

場所は同じだったが、太陽は高く昇っている。


奥には、複数人の大人に踏みつけられている坊主の少年が居た。


「あれは...!」


少年時代のトラウマが徐々に甦ってくる。

もしそうならば、当時の自分は────この後少年を見捨てる。



「お前ら、その子にてを出すんじゃ...」


堪らずヤスが物陰から飛び出て制止しようとすると、向こうから一人の少年が叫びながらその集団に突っ込んだ。


「な...」


その少年の名はヤス。

ゼンジを見捨てて逃げた筈だった気弱な少年。


だが、目の当たりにしたのは記憶とは全く違った事実だった。


少年は髪を引っ張られながらも足に噛みつき抵抗し続けた。


その時、上空が虹色に輝いた。



「...何だ!?」


虹色に色づいた膜のようなものは、少年を殴る大人達の所へ徐々に降下していく。


謎の物体に気付いた大人達は物体に向かって攻撃をするが、全くびくともしていない。

そして、その壁のように硬い何かは大人達を蹴散らした。



その場に残ったのは、倒れた坊主の少年と、間抜けた顔で空を見上げる少年だった。


ヤスは歩き出した。


少年は呆けた顔のまま此方を振り向いた。

目があった途端、少年はゼンジを庇うように立ち上がった。


「お、おじさん...誰?」


辺りの雑草が日に照らされ黄金に色づき、風に揺れる。

光の差し込んだ空地の中、安っぽい顔をした少年が見たのは───

また安っぽい顔をした男だった。



ヤスは少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。

少年の頭は揺られ、目にサラサラとした髪が掛かる度に瞼をぱちくりさせている。



「まだおじさんって年齢じゃないだろ...

俺は...まぁ、ただの弱いお兄さん、かな。」



少年は後ろで倒れているゼンジを確認した。

ゼンジは目を閉じたまま動かなくなっていた。


「...ゼンジが!!」


「大丈夫だ、その子は生きているよ。」


少年は「良かった」と心底安堵したように溜め息をついた。

ヤスは少年のその細い体を抱き締めた。


「よくやった、偉いぞ...

────お前は裏切り者なんかじゃなかったんだな。」


「えっと...?」


少年が困惑するが、ヤスはその手を体から放すことはなかった。


「これからも、その友達を大切にしてやれよ。」


少年は終始困り顔をしていたが、勢いに負けて「うん」と返事をした。

ヤスは目を閉じ、このささやかな幸せを噛み締めた。






✝️






少年を抱く手に感触は無い。

抱いたのは───空。


喪った両腕の付け根がゆっくりと動く。

殆ど肉塊となった男はただ幸せそうな顔をしていた。



一人の人間の身体で遊ぶことに飽きた怪物は、大剣を掲げて唸る。


その時、天井が一斉に崩落した。

アジト内各地での激戦によりコンクリートで形成されたアジトは悲鳴を上げ始めていた。


そして怪物は、捨てた玩具と共に瓦礫に埋まった。


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