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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
Bonobo(ボノボ)掃討作戦
67/85

五話 タダとヤス


シュッ......シュッ......シュッ。


ひんやりと物静かな牢獄に、人のしゃくりあげる音だけが断続的に鳴っていた。


一齣り泣き尽くしたヤスが鼻水を啜っているのだ。


ヤスは鉄格子にしがみつき、目一杯力を込めてみた。

当然、ピクリともしなかったが。


日はとうに暮れ、月明かりが窓から差し込んでいた。

幻想的な青白い光は正面の牢屋の中にまで入り、少年の寝転がる姿を写し出す。


「はぁぁ...オヤっさんならこんな鉄格子っ...!」


ヤスが鉄格子を握りガチャガチャと音を立て始めると、少年が話しかけてきた。


「なあ、もう諦めろよ、どうせ助けなんてものは来ないんだ。

耳を澄ましてみ、何も聞こえやしない。皆、諦めているんだよ。俺だってそうさ。」


そう言うと少年の部屋から一冊の薄い本が滑り込んできた。

題目は「厭世」、短編小説のようだ。


「兄ちゃんも、いつか解放される時まで、現実から出来るだけ逃げた方が楽だぜ。」


少年は仰向けに寝転がったまま、突慳貪に吐き捨てた。

それから暫くの間沈黙が続いた。


「...なあ、オヤっさんってのは誰なんだ?」


奥の部屋からパタッと本を閉じる音が聞こえ、少年は体を起こした。

話し相手になってくれるようだ。


しゃくりも少し落ち着き、ヤスは漸く現実を受け止めることが出来た。

そして、静かに目を閉じ、自分の歩んできた人生を思い出した。


決して楽しい物なんかでは無かったが。



「見ての通り、俺はこんなんだ...何するにも頼りない貧弱な人間だ...」


ヤスは薄暗い闇に仄かな蝋燭の光を灯すように、緩やかに語り始めた。

そしてその光は、徐々に二人の闘志を温かく照らし始める。



ヤスは貧乏な農家に生まれた。

農家といっても、路地裏に小さな畑を持つくらいの貧相な物で、自給自足なんてものはとても出来てはいなかった。


父親が早々に病死した為、母が一人で出稼ぎに行き何とか生計を立てていた。

それでも、母は一人っ子であったヤスに沢山の愛を注いでくれていた。


その証拠に、ヤスは6歳から通天流という武道の流派に通い始めていた。

そこには、息子に強く育って欲しいという単純な願いが籠められていた。


だが、たったの一度もヤスが試合で勝つことはなかった。

身長も高いわけではなく、肉付きの悪い体では到底勝ち目などなかったのだ。



「今でも覚えているよ。試合の舞台に出る前のあの感覚。

吐き気がするくらいに緊張して、結局試合が始まっても、一分もしない内に仰向けにぶっ倒されるんだ。」



それでも母は続けさせた。

だがそれは同時に、自分は軟弱な人間であるとヤスに刷り込ませる要因にもなってしまったのだ。


そして4年が経った時、ついに武道から距離を置くことになる。

母親の病死、それを以てヤスの通天流での稽古は突然終わりを迎えたのだ。



「で、母が最後に残した言葉が、『あんたがこの先強く生きていけるか心配だ。』ってよ。死にかけの母親に心配されるって、本当に俺は情けない人間だろ?」


ヤスは素っ気ない笑いを溢した。



その後、数ヶ月間路地裏で残飯を漁って過ごした。

当時、衛生の悪い路地裏ではヤスのような孤児は多く、そういった子供達の面倒を見てくれる心優しい人達も居た。

そういった人を頼って、弱冠10のヤスは惨めな生活をしていたのだ。


そんな時に出会ったのが5つ年上のタダ・ゼンジだった。






✝️






「ねえ、何してるの?」


見上げると、歴々と積み重なったゴミの山の頂上で一人の男が木の棒を振り回している。


何度声を掛けても一向に返事が無いので、少年はゴミの山を登ることにした。


この時、少年は何故か無性に彼のことが気になったのだ。

あの薄汚い半袖シャツの男が、今後の人生において大切な人となることを本能的に察知したのかもしれない。


「ねえ、聞こえてる?」


少年は頂上付近まで登り積めていた。

一軒家くらいの高さはあり、路地裏の薄暗い景色を見渡すことが出来た。


その時、足場が崩れた。


弱冠10の少年はゴミの山から落ちた。

が、何者かに力強く服を掴まれ、頂上まで引き揚げられた。


「おい、大丈夫かよ。お前。」


坊主の男は煤に汚れた頬をニッと上げた。

少年は状況についていけないままぼけっと口を開けていた。


「おい、返事しろよ、俺の儀式を邪魔しやがって。」


男は持っていた棒をゴミに突き立てた。


暫くして少年はハッと我に返り、捲し立てるように質問を投げた。


「ねえ、何してるの?」


「んーっとな、宇宙人と交信してるんだよ。これはその道具さ。」


坊主は木の棒を抜き、それを思い切り前方に投げた。

棒は槍投げの要領で真っ直ぐ飛んでいき、誰かの家の屋根の上にカランと音を立てて落ちた。


「ああ、残念。今日はハズレだ。いつもなら虹色の空間みたいなのが空に浮かんで、棒が跳ね返されるんだけどなぁ。」


坊主は肩を落とし、ゴミに腰を下ろした。


だが、彼の発した宇宙人、虹色の空間という単語は、少年にとって嫌に魅力的に聞こえたのだ。


「ね、ねえ、僕もやりたい!」


少年はただの好奇心からそう言った。


「いいぜ。」


坊主はあっさりと少年を仲間に入れた。

仲間といっても、合わせて二人しか居ないが。


「...うーむ、そうだな...」


坊主は顎に手を当てて唸り始めた。

そして暫くして閃いたといった風に顔を上げた。


「これからお前の名前は"ヤス"だ。」


「ヤス...?」


「ああ、安っぽい顔してるからな。」


"安っぽい顔"というのは少年に取って少し不本意ではあったが、悪い気はしなかった。


「で、俺はゼンジ。将来、大企業の社長となる男だ!」


ゼンジと名乗った坊主の少年はそう言ってポーズを取ると、一気にゴミの山を飛び降りていった。






✝️






「俺とゼンジは毎日のように一緒に居た。

宇宙人との交信が成功したこともあったかな。」


ヤスが目を遣ると、少年は意外にも真剣に耳を傾けてくれている。


「でも、そんなのも全部ただの子供の日の思い出だ。俺もゼンジも、じきにそんなことは忘れ、会うことも無くなっていった。」



そして月日は流れ、ヤスは道を踏み外すこととなる。

そう、Bonoboへの参画だ。


原因は路地裏の知己達にあった。

今迄食料を恵んでくれたり、色々と世話になっていた人がBonoboの工作員だったのだ。

そして流されるがまま、首を突っ込んでしまった。


当時19歳のヤスはBonoboへの参加を決め、猿の刺青を入れにアジトへ向かうことになった。

嘗て母と生活していた家を出、ヤスは最悪の道へ進もうとしていた。




「だが、そんな俺を必死に引き戻そうとしてくれる物があった。

家の手紙入れに、ある手紙が入っていたんだ。」



そこには、子供のように乱雑な文字で想いが綴られていた。


『道を踏み外すな、お前は俺の会社のNo.2になるんだろうが。』


そう一言だけあり、下に集合場所が記されていた。

彼と最初に出会ったゴミの山があった場所だ。


ヤスは、ゼンジからの手紙だと直感した。



「俺は、ゼンジを二回も裏切ったのさ。

一回目は会わなくなった時。そしてこれが二回目だ。」


ヤスは袖をたくしあげ、少年に猿の刺青を見せた。

何度も消そうとした痕がある。


少年は少し驚いた様子を見せたが、すぐ戻った。


「でもまぁ、俺はダメな人間だ。

当然Bonoboでも上手くいかなかったよ。」


例えば革命軍との抗争の時。

武器は渡されるものの、恐ろしくてとても人を撃つことは出来なかった。

銃弾が飛び交う中、いつもヤスは物陰でビクビクと震えていた。


例えば捕まえた革命軍の人間を処刑する時。

周りの人は嬉々として吊し上げた人間を解体していくのだ。

そんなこと、ヤスには到底出来ようもなく、凄惨な光景と臭いに絶えることで精一杯だった。


シャカシャカシャカと横で鳴る音。

それは切れ味の悪い刀で骨を軋る音だ。


目の前で積み上げられている、丁寧に四肢、首、二等分した胴をコンパクトに重ねた死体。

それは自分と同じように以前まで生きていた人間の成れの果てだ。



「で、俺はそんな環境に絶えることも出来ずBonoboを抜けることを決めたんだよ。

本当に情けないよな。」


当然、Bonoboは脱退を許さない組織だ。

直ぐ様牢屋に入れられ、"没収"の順番待ちとなってしまったのだ。


「だが、ゼンジはそんな俺を、見捨てなかった。」


処刑へのカウントダウンが始まっていたヤスを、一人の男が連れ出したのだ。

たった一人でアジトに侵入し、ヤスを拐ったのはゼンジだった。


「こんな風にゼンジは鉄格子を握って、曲げたんだ。ゼンジは俺と正反対で、本当に凄い人だ。まあ力加減は相変わらず下手くそだったけど。」


ヤスは先程のように鉄格子を両手で握り、力を込めた。



そして無言で差し出された手を、しっかりと握った。

ヤスは今度こそ放さないと誓った。



「俺とゼンジは一晩中路地裏を駆け回り、何とかBonoboの追手から逃れた。

そして、行き着いたのはあのゴミ山だった。」



ヤスは、少年に背を向け、鉄格子に凭れかかった。

星が輝いている。


(あの時も、こんな感じに星が綺麗だったっけ。)



「相変わらず安っぽい顔してるな。ヤス。」


ゼンジは裏切りを咎めることもなくただ笑った。


そして、二言目には彼の思い浮かべる輝かしい未来の設計図が淡々と語られた。

最初に出会った頃から全く変わっていない、子供が考えそうなしょうもない計画だったが、この時ヤスはこの男に全力で着いていくことを心に決めた。


「......てな算段で、俺は晴れて大企業の社長となるのさ。

ヤスよ、お前は運が良いぜ。俺という男と出会えてな。」



「ああ...本当に...」


ヤスは小さく呟いた。



「だが、お前はダメな人間だ。だからNo.2はナシ。その代わり、平社員としてみっちり鍛えてやるからよ。今日から俺のことは"オヤっさん"と呼べ。」



「オヤっさん...」


(俺はやるぜ。)


ヤスは静かに拳を握り締めた。

そして、静かにその闘志に火を灯した。


そして、少年の方を振り返る。



「な、俺は情けない人間だろ?」


少年は少し笑って頷いた。


「だが、こうしても居られない...か。」


ヤスは立ち上がった。

月明かりを遮ったヤスの影が長く伸びる。



「逃げよう。ここから。」


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