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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
雇傭試験
53/85

十五話 アレス、胎動

彼は──────存在した。


確実に、"居る"。

延々と続く闇のような途方もない予感が、道化を取り巻いた。


高貴な魂を奪ったことに起因するエクスタシーは忽ち終わりを告げた。


後方から押し寄せる圧力。

これは単なる思い込みによる重圧などではなかった。


実際に、道化の背中は後方から発せられる謎の力に押し潰されそうになっていた。



それは、後方に"居る"何者かの存在。


それの作り出す"場の力"だった。




凄まじい質量を持つ物体は、重力場という物質全域に作用するエネルギーを持った空間を作り出す。


そして作り出された場は無限遠方までの道程の中で0に収束していく力を物体に及ぼす。



───正にそれだった。



およそ人間には作り出せないような物理量を持った何者かが、確かに後ろに存在した。


道化は、後ろを振り返った。


観客を楽しませるには、喩え際限無い恐怖心がそれを拒もうと、演技を続けなければならない。


そこには、アロハシャツを着た白髪の男が立っていた。

年齢は三十くらいだろうか。


風貌からはそれまでの恐怖を全く感じさせないような頓狂な物だったが、そこには体が痙攣し始める程の力があった。



これ程までの重力場を作り出すには相応の質量が要されるが、人間では到底不可能な領域だ。

つまり、目の前の者が人道を外れた王朝幹部(バケモノ)であることを意味していた。


証憑はあった。

現に光速の2乗で割っても莫大な質量が尚残る、そんなエネルギーが目の前の男からは感じられる。



「貴方は...王朝の幹部...」


目を見開き、その全貌を確認する。

発光こそしていないものの、重力場による圧力と、場を包む膨大な熱エネルギーがその男の実態を示していた。


「...」


ただひたすらに無言。

足元に転がった精鋭兵の死体を見ても表情一つ変えず。


体に内蔵するエネルギーとは裏腹に冷えきった目で道化を見据えていた。



「フッ、ククククク...」


道化は嗤った。

どれだけ死力を尽くして推し進めた計画も、ただの一瞬で粉々にされてしまうのだと。

自分を待ち受けていた下らない運命を。


嗤い続けた。



「余りにもあっけない。これではそこに転がっている男が命を賭けた意味もクソもない。フッ、ハハハハ...」


暫くして、

拳を握りしめ、全身の筋肉を隆起させる。


「ウオォォォォォオオルァァァ!!」


雄叫びを一発。

まるで猿のように。


そして目の前の男目掛けて右足を踏み込んだ。

右太股の筋肉がはち切れそうな程に膨張し、そのまま体を前傾させ豪速で駆け出した。


男の腸目掛けて右手拳を突き出す。


一連の動きは無駄の一つも無く、物理的に完全であった。

道化のステータスで披露できる最高速の一撃。


更に言えば、全人類の中でも至高の動作だ。



だが、目の前の化物にそんな常識は勿論通用しない。

突き出した拳はすんなりとかわされ、前方向へ進む道化は真横へ回られる。


そしてそのまま頭頂部をふわりと掌が覆ったかと思った瞬間、道化の体は地面にめり込んだ。


頭頂から加えられた鉛直下向きの力が道化の体を沈めた。

最早下半身の神経が働いていないのか、何の信号も送られてはこない。


道化の下半身が地面を突き破って塔の下の階に突き抜けたのか、それとも圧縮されて消え去ったのかさえも判らない。


そして道化が状況を呑み込めぬまま瞬きを一回挟んだ後、顔面を真横に蹴りあげた一撃によってその魂はあっけなく消滅した。


そこで繰り広げられたのは、単なる一方的な暴力だった。





✝️




『多々益々弁ず』


そんな言葉がロズマの脳裏をよぎった。


相対する人間が多いほど上手に捌くという意味であるが、ロズマに押し寄せる大群は一人一人が手練。

そんな上手い事は出来る筈がなかった。


満身創痍という言葉では形容出来ぬ程、体と精神は摩耗していた。



ロズマは、姉のカレンが革命軍に所属していたという要素もあったものの、その実力を持ってして革命軍に戦後飛び入り参戦したといういわゆる天才だった。


戦略も、剣術も、銃の扱いも、何もかも指示されたことは常人以上にこなすことが出来た。

だからこそ、自分を超える相手に対峙した時に柔軟に対応することが出来ない。


今迄一切の失敗の経験が彼には無かったのだ。



更に彼を陥れたのはシンザンであった。


ロズマが新人の立場にしてタメ口だったのは無意識に彼を半ば見下していた点が大きかっただろう。


しかし今自分を守りながら戦っているのはシンザン。


今度は"足手纏い"という単語が目の前に突きつけられた。

ロズマはその瞬間ハッと我に返り、再び剣を握りしめた。



しかし善戦していたシンザンも、根気と精神力で立ち向かい続けるロズマも、限界はとうに超えていた。


密集している所に斬りかかっても絶対に受け止められる。

一度攻撃が当たった程度では全然倒れない。


そんな敵が群れを成して一人に襲い掛かる。

これでは無双は成り立たないのだ。



既に見渡す程の死体の山を築いていたシンザンだったが、彼も流石に足元が狂い始めていた。


殴っても殴っても次から次へ湧いてくる敵。

視界は歪み、平衡感覚が失われていく。


そして、二人は死を覚悟した。


その瞬間、一瞬にして全くの音が消え去った。

それどころか、世界からは色彩も何もかもが抜け落ち、残ったのはモノクロの光景。


それは徐々に赤く染まってゆく。

目に血が流れ込んだからだ。


荒廃した視界の中、上空からボールのような物が落ちる。


それは、大群の真ん中辺りに落ち着いた。

全面に猿の模様が描かれたそれは、今回のテロのボスである道化の首。


ザワッと大群が後退った。


そして、塔の屋上からもう一つの影が降り立った。


着地点の地面が捲れ上がる。


そこには、白髪の男の姿があった。



「...ロズマ、どうやら俺達の見せ場はここまでらしい。」


大群が怯んでいる隙にシンザンが近づいてきた。


「何......」


ロズマは目の前の男を見つめる。

初めて見る姿だったが、即座に確信した。


彼が王朝の最高戦力である───と。


「幹部様のお出ましだ。」


シンザンは白い歯を見せた。


そこにいる全ての人間の視線がその男に集まっていた。



「......」


風が唸っている。


「一つ、」


男が低い声を出した。

非常に通る声だ。


「ここにいる役員及び受験生はここから身を引け。」

彼の発した言葉にいつもの韻は無かった。


「二つ、己はテロリストでないと証明出来る者は直ちに身柄を投降しろ。」


男がそう言うと、城門がガラガラと音をたてて開いた。

そこから軍隊が一列となって公園へ入場する。


軍靴の整った音を立てながら軍隊は公園の周上を囲んだ。


「さて、ロズマ、俺らはここで退場だ。」


シンザンは膝を付いたロズマの肩を持って立ち上がる。


「まだ...俺はやれる...」


一点を見つめながら譫言のように呟くロズマを連れてシンザンは公園を出た。



場にはテロリストと確定した者しか残らなかった。


「何故、こうなったと思う。」


白髪の男、王朝幹部のアレスはぐるりと公園を囲む軍隊に問いかける。


「それは、お前達役員が怠けたからだ。」


空気が詰まる。


「国防は、正直俺一人でも十分。つまりお前達は本来必要無い存在だ。だがそこにお前達を雇う余地を設けている。だからお前達は生きていける。


お前達がストライキを起こそうが我々が大量にお前達の首を切ろうが全く問題はない。」


ジリジリと尖兵達の顔が強張る。


「それでも怠けるのか?」


風が砂埃を巻き上げる。


遂に王朝最強戦力が、その腰をあげたのだ。


アレスが腕を挙げると、尖兵達との空間を隔てるように透明な壁が出現する。

モロクによるものだ。


「これより、国権を発動する。」


そう一言発すると、アレスの姿が消えた。


そして、一瞬の内にテロリストの大群は破裂した。


文字通り破裂したのだ。

背骨が完璧に折られ、衝撃により内臓が弾ける。


尖兵達が見守る中繰り広げられたのは、単なる殺戮だった。


そしてこの瞬間、ロズマの自尊心は粉々に砕け散ったのだった。



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