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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
雇傭試験
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十三話 来る者と去る者

対テロ戦も最終局面を迎えつつある。

少しずつ、だが着実に王朝の形勢は持ち直し始めている。


しかし、Bonoboの抵抗は一層甚だしく、まだ国家転覆の可能性は十分にあった。


それは、テント前にて。

救世主たる面構えで颯爽と現れたブライであったが、彼もまた背水の陣であった。


今日だけで抜刀は二回行っている。

鍛錬を積んでいた時代とほぼ同等の火力が出せたのには良い意味で予想を裏切られた訳だが、筋肉の耐久は大方"予想通り"だった。


ブライ自身、三角筋が悲鳴を上げていることを薄々感じてはいた。


だが、あと一回だけ、思い人を守るが為と己を奮い立たせ、精神力を以てして筋肉を繋いだ。



時間の流れが徐々に引き伸ばされてゆく。

指数関数に似たグラフが描けそうだ。


時間の流れが遅くなる───結局の所、実際に時間軸に何らかの干渉があった訳ではなく───時間というものの長さは単なる認識の話であるため、やはりブライの感覚は極限まで研ぎ澄まされていたらしい。


(目の前の男。

腕相撲の時はご親切にどうも。


だがこうなってしまったからには恩を仇で返す他ない。

お前は俺の目的に協力してくれたが、俺はそうする訳にはいかないんだ。)


ブライは無限に広がるとさえ錯覚してしまうような時間の中で夢と未来を描いた。

彼等に残された虚栄の権利を拒絶するかのように。


(一発だ...)


鋭く息を吐く。

肺に貯められた今迄の空気を全て吐き出すかのように。

前王朝滅亡後、ずっとグズグズ燻っていた時の自分からの脱却を決める。


覚悟は────完了した。


(一発で決める!)


目を大きく見開いた。

外界の乱光が一斉にレンズ体へ飛び込んでくる。


そして正面の黒い影、笑う猿目掛けて剣を抜く。

莫大なエネルギーを生み出す工程で必要とされるのは即ち相応の力だ。


エネルギーというものは他の物体へ仕事を及ぼす能力のことを指す。

今、左手でと腰で支え、右手で引き抜こうとするこの剣に途方もなく大きなそれを与える為には相応の力が必要とされるだろう。


はち切れそうな右肩の三角筋に鞭打ち、凄まじい速度で剣を引き抜く。

鞘の内部では膨大な摩擦力が熱エネルギーへ変換され上部から白煙が上がる。


(これで俺の腕がぶっ壊れても構わねぇ、だから、今だけは...!頼む!!!)


そして、剣は完全に鞘から離れた。

右腕上腕に亀裂が走る。


皮膚が余りにも鋭い空気抵抗に滅入ってしまったようだ。

血管が肥大化し皮膚に浮き出る。

そして血の飛沫が舞う。


しかしブライは止まらなかった。


渾身の一撃を、男に目掛けて放つ。


一瞬、フワッと浮いたような肉体への衝撃と共に、暫く世界は全くの音を無くした。


ブライの眼前に赤い幕が下ろされる。


そして衝撃波がテントや王城に届いた瞬間、唸るような轟音が一帯をうねらせた。


(やったか...?)


巻き上がる旋風の中、ブライは赤いカーテンの中を覗いた。

皆様も周知の通り、"やったか"は最上位回復魔法だ。


男は腕を無くしたのみで、死には至っていなかったのだ。


(は...外した...!?)


今度は目の前が真っ暗になる。

次にブライを襲うのは果てしない自己嫌悪。


正念場で毎度しくじる自分が心底情けなくなったのだ。

両親が殺された夜、眠りこけていた自分に、

仕えていたザギが殺された時や、隊の兵士達が武装蜂起を起こした時、ただ突っ立って何も出来なかった自分に。


男は左腕を付け根から失い、壁に叩きつけられた。


対して、ブライは膝から崩れ落ちる。

最早もう一発放つ力など残されている訳が無かった。


完全に三角筋が断裂した。

もう腕は上がらない。


壁に叩きつけられた男は腕を失って尚もゆっくりと立ち上がった。


「...やはり我々の計画を脅かす存在。

それも我々の想定していた幹部クラスや隊長格でもない、ただの受験生が...」


ザッ、ザッ、と男の足音が近づいてくる。


(クソ!動け!動けよ!もう一度だけチャンスを...)


解そうが、引き伸ばそうが、念じようが、願おうが、動かないものは動かない。

切れた筋肉で腕を動かすのは、不可能。


「貴方はここで殺しておくべきだ...」


男は残った方の腕の拳を固く握りしめる。

大剣は持っていなかった。


そして座り込むブライの前まで歩みを止めぬまま、大きく振りかぶった。

急所の延髄を狙う的確な一撃。

それを以て手短に殺す。


その時、男の歩みが停止した。

その腰元は血と埃でまみれた手でひしと掴まれていた。


「...まだ生きていましたか。」


「まだ終わっちゃいねぇ...戦いは!」


ヴィレが再び立ち上がったのだ。

救世主さえも敗れた世界で、その男の誇りは失われてはいなかった。


「黙れ、虫が。不愉快なんだよ。」


男はしがみつくヴィレに容赦なく攻撃を加える。

思わず目を覆いたくなる凄惨な現場だ。


骨の砕ける音、沸き上がる血でゴロゴロと鳴る喉。

だがその目の輝きだけは何者にも穢されはしなかった。


「ブライ、俺ごとごいつを...ゴボ...殺れ...その抜刀を...もう一度放つんだ!」


涎の混じった粘着質な血を迸らせながら必死に呼び掛ける。


「動け、動けよォォ!!!」


ブライは絶叫した。

このまま動けない状態でヴィレの覚悟を無駄にするなどという始末は到底許されるべきものではないと思ったからだ。


しかし断裂した筋肉は筋肉痛を経ないと復活することはない。

絶対に動くことはないのだ。


(左腕はまだ動く...だが...)


この時のブライは右腕による抜刀だけを極めた為に左腕を用いた剣術は最早素人同然だった。

このまま出ていっても無闇に敵を刺激するだけだ。

誤ってヴィレを斬る可能性だってある。


完全に力が抜けた。

もうこの世に希望など何も残ってはいない。

ブライはヴィレに"ツクリワライ"をしてみせ、心は"深い闇に落ちた"。




その時、スラッとした弾力のある脹ら脛がブライの横を通り過ぎた。

そして花の心地良い香りが漂った。


それは、サラサラな茶色の髪を翻し、男とヴィレの下へ歩み寄る。


ヴィレが命を賭けて守り抜いた存在。

後ろからなので確認は出来なかったが、彼女の目はきっと輝いていた筈だ。


「...皆、ごめん。」


そうとだけ呟くと、彼女───カレンはヴィレを貫かないように横へ回り込み、男の脇腹に剣を突き刺そうとした。


「女...貴様ァッ...!

私はあの男を殺せぬまま......死ぬ訳には...」


死に際の文句を聞くこともなく、カレンは横から思い切り剣を突き出す。

すると、突如男は回転し、剣はヴィレの背中から突き抜けてしまった。


「...な、何で...」


「グ...地獄への道行きは、この方と...ですかね。」


剣は男にも届いていた。

確りと腸を一突きしていた。


「嫌...そんなの...」


カレンは少しだけ剣を引き、男の腹からのみ剣を抜いた。

こういった場合、抜かない方が出血が抑えられる為安全なのだ。


ヴィレは手をぶらりと地に垂らし、倒れた。


「フ...ククク...」


男は壁に凭れ掛かり、微笑んだ。


「ハァ、ハァ...これで終わりだと思わないで下さいよ...

Bonoboは不滅だ...グッ...国家の存在する限り...!

ハァ...ハハハハ...」


男はカレンを見下し高笑いした。


「ガハッ!カハ...」


左腕に剣を持ったブライが男の腹に剣を突き立て、止めをさした。

男は笑い顔のままゆっくりと崩れ落ちる。


ブライは最後の力を振り絞りヴィレの元へ歩み寄った。


カレンの目からは涙が流れていた。


「気に病むことはねえ。姉ちゃんよ...」


ヴィレは震える唇をおもむろに開いた。


「それとブライ、煙草...くれ。」


ヴィレは自分のポケットの中に視線を遣った。

ポケットから煙草を出して吸う。

そんな力も残っていないのだろう。


箱とライターをポケットから出し、煙草に火をつけて口に咥えさせる。


(あぁ、眠たくなってきやがった。)


ヴィレは夕暮れの空を見つめる。

子供の頃は自由に空を飛んでみたいなんてことをよく夢見たものだ。


(いつから俺はこうなっちまったんだろうな。

母が逝ってからか...?)


ヴィレの母は娼婦だった。

誰とも知らぬ父はとうにどこかへ消え、誰の子かも解らないような彼を母はたった一人で育てていた。

だが、ヴィレが10の時に彼女は強姦の末、木に吊るされた。


(そう言えば夢なんてもんはとうの昔に捨てたんだったな。

そっからは革命軍に拾われて殺伐とした毎日だった訳だ...)


ヴィレは不器用な男だった。

Bonoboとの抗争等において何度戦場から逃げ出したことか。


(生きることに何の夢も、希望もなかった。)


自分の横で泣きわめく二人の人間を見る。


(そんな俺でも、やっと目的を見出だせたっていう矢先にこれだからな...

神様はよっぽど手厳しいらしい。)


煙草を口いっぱいに吸い込み、吐き出す。

茜色に染まった空に白い煙が立ち上ってゆく。


「死にたくねぇなぁ...」


ふと、思いがけず言葉が漏れた。

死に際くらい格好付けたいと思っていたが、ここでもドジを踏んだ。


(俺の閉ざされた世界にやっと光が差し込んだ...

やっと生きる意味を見つけたってのによ...)


涙が溢れる。


「へへへ、この煙草、やっぱリラックスなんてしねえじゃねえか。」


些か血が流れすぎたようだ。

先程まで自分を温めてくれていた血も、気化熱で体温を奪い始めた。

寒気がしてくる。


「ダメだ...死んじゃダメだ...もう少しで助けが来る筈だから、まだ死なないでくれ...」


ブライは手を強く握る。

だがそんな刺激はもう届かない。


(まぁ、俺にはこんな結末がお似合いか。煙草を吸いながら格好良く退場する、そんなもんは到底似合わなかったってことだ。)


迎えた最期。

煙草を思い切り吸い込んだ。


そして、二度と息をすることはなかった。

ブライを瓦礫から守った時のように、煙に噎せることも。


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