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大海の鯱、井の中を知らず  作者: 異端(ヰタン)
戴冠式
30/85

九話 年災月殃の日

まるで時が止まったかのようだ。


ヤスが酒に呑まれて一人芸を行ったために創り出された世界線。


千歳飴を顔面に食らった男はゆっくりと体勢を立て直した。


身長180近くあろうと思われる体を屈め、地面に落ちた千歳飴の欠片を拾う。


(やっ、ヤス、逃げた方が...)


千歳飴を構えたまま固まっているヤスに近くの男が小声で話しかける。


しかし千歳飴を食らった反グレ風の男は飴を手に載せ眼前に迫っていた。


そしてその足は土木会社多田の座敷の畳というサンクチュアリに踏み込まれていた。


店内の酒に呑まれていない人間は事の成り行きをじっと凝視している。


「これ、貴方のものですよね。」


見た目に反して意外と丁寧な口調でヤスに話しかけた。


会場の人間は一見悪そうに見えてよくよく見ると普通の社会人に見えなくもないなんてことを考え始める。


「え、あっはい。

私のです...」


ヤスは顔の前で片手掌を立て、軽く謝罪する素振りを見せよそよそしく男の掌から千歳飴を受け取った。


会場は何事も起こらずに事が済んだという安堵に包まれた。


しかし、オヤっさんはまだ安心しきれていないのか鋭い目で状況を見る。


(......あの刺青...)


オヤっさんは丁重な対応で会場の人間からの信頼を受け取ったこの男の肩に刻まれた刺青を睨んだ。


子供が喜びそうなデフォルメ化された猿の顔の刺青が三角巾に覆い被さるように掘られている。


簡素な猿の顔の刺青は嫋嫋(じょうじょう)とした雰囲気と共にどこか不気味さも漂わせていた。


オヤっさんは焼酎を口に含み、一瞬目を閉じた。


見覚えのある猿の刺青を思い出そうと試みた。


目の前にいる男の本性を暴く緒になると考えたからだ。


だがその必要は目を閉じたその一瞬の内に無くなってしまった。


オヤっさんの瞼が閉じたと同時に、ゴトッと鈍い物音がした後周りの客だろう女の悲鳴が耳をつんざく。


何事かと目を開いた時にはもう遅く、レンズ体に写し出されたのは周りの客が蜘蛛の子を散らすように店から逃げていく様と硬直する自分の部下達。


と地面に頭から叩きつけられたヤス。


残念ながら読みは当たってしまったらしく丁寧な口調で油断させた所を襲う狡猾なやり口だ。


肩に猿の刺青をした男は床に突っ伏したヤスの後頭部目掛けて踵落としをしようとした。


その時、何者かが横からタックルをし、男は片足を上げた状態での受け身はままならずぶっ飛び壁に勢いよくぶつかった。


(カウンターに立っていた男...やはり見張り役だったか。)


タックルをした男は店のカウンターに何もすることなくただ立っていた人達の内の一人だった。


「酒の席での横暴は御法度だ。」


男は倒れているヤスを軽々と持ち上げ、土木会社多田の社員がいる席へと運んだ。


店の制服というラフな格好をしていたが、かなり体が鍛えられていることが確認出来た。


見張りの男は拳を鳴らし、首を捻った。


気がつくと店の関係者達も現場の様子を見守っている。


壁にぶつかり、少しめり込んでいた男がフラフラと体勢を立て直す。


「いきなり体当たりとは...やってくれるな。」


男は体についた埃を払い、見張りの男と正対する。


見張りの男は口から鋭く息を吐き、縮地で間合いを一瞬で詰めた。


そして反グレの顔面目掛け大きく振りかぶり拳を飛ばす。


静寂の中放たれた一撃は空を切る音を店内に響かせた。


が...


5フレーム程の間に形成は何故か逆転していた。


オヤっさん含め会場の人間の意識が捉えたのは敢えなく膝を抱えて声にならない声を発する見張りの男であった。


「な...」


オヤっさんは眼前で繰り広げられる全く予想だにしない展開にただ口を閉じるのを忘れ見入ることしか出来ない。


「店のボディーガードなら俺らがどういう人間かってこと、分かるよね?」


反グレの男が膝を抱えて悶えている男の顔を強引に掴み、肩の刺青を見せた。


(俺"ら"だと...)


オヤっさんは推理モノの十八番のような言質を取った。


(ということは...まだ何人か潜んでいるのか...?)


奇しくもその読みはまた当たってしまうことになる。


オヤっさんが目を遣ると、見張り役の一人が倒れたことにより見張りとして立っていた数人が一斉に出動し、会場は乱闘状態となっていた。


既に前に居た客は全員外に避難したようで、窓から外を見ると野次馬が騒いでいる。


先程暴れていた反グレの男も流石に複数人相手だと手も足も出ず程なくして取り押さえられた。


しかし、本当の惨劇はここから始まる。


「おっ、おい店の人!気を付けろ、まだ何人かいるぞ!」


オヤっさんが勇気を振り絞って伝える。


いきなり大声を出した社長に社員達は驚く。


声を聞いた三人の見張りは即座に陣形をとる。


流石イザコザには慣れていると見える。


三人は背中会わせになり個々首をあちこちに曲げ警戒している。


が、その警戒も虚しく崩れ去ることになる。


「...これはまずい。」


オヤっさんが向く方向は丁度店のドアの陰が見える。


そこに見たのは刃物を持つ二人の男であった。


陣形を取る三人ともがく反グレの男を取り押さえる一人が盤面にいる。


土木会社多田の人間達はその盤面上の駒に逃げ身を塞がれており、中々店から逃げ出すことが出来ない。


更にドアの奥に刃物を持つ人間が居たとなれば、ここに居るのが一番安全だ。


「どこだ...居るなら出てこい!」


陣形を取る三人の内の一人が大声を上げると、それに連動したかのように状況は動いた。


突如外の野次馬の騒ぎが激化し始めた。


幾重もの人間の叫びが混じり混じりさながら轟音となって押し寄せる音の中点々と黄色い悲鳴が目立つ。


「くっ、刃物野郎が動き始めたぞ...お前ら、ヤスとアドラを連れて逃げる準備をしろ!洒落にならなくなってきたぞ...」


今思い返すと何故ヤスの千歳飴で刃物等という物騒な代物が飛び出てくるのか。


その答えは至極単純であり、元から店を荒らし回るつもりでやって来た集団に偶然にもヤスが油を注いでしまっただけのことだ。


社員達はオヤっさんの言葉を聞き、静かに頷く。


路地裏で生きてきた人達は肝が据わっているとはよくいったもので誰一人怯懦の色は見せなかった。


しかし事はそう上手いこと進まない。


やがて刃物男二人が店に乱入してきた。


既にその刃渡り30cm程の刀身には鮮血と内臓の破片らしき赤いグミのような物がこびりついていた。


内臓の粘着性は侮れない所があり、投身自殺の事後処理の時マグロ拾いの人は線路に貼り付いた内臓の破片に難儀するという。


刃物男は口元と頭にタオルを巻き、即席の目だし帽のような容貌をしており垣間見える双眸がぎらつく。


男の一人が刃物についた内臓の破片を毟り取って投げ捨てた。


陣形を組み一歩も下がる素振りを見せぬ三人の見張りと、刃物男二人は相対峙した。


そして先程暴れていた反グレを取り押さえていた見張り役もやむを得ず男の人柱に一発入れ失神させた後、膝を抱えて気絶している方を抱き上げて安置に運んだ。


10秒程睨み合いが続いた後、突然刃物男の一人が動き出した。


男は厨房に押し入り、隠れていた女性店員の首根っこを掴み無理矢理盤面に召喚させた。


「おい...何のつもりだ...」


見張りの一人が呟く。


ある程度オヤっさんとの距離があるが、周りの野次馬が静かになったのでしっかりと聞き取ることが出来た。


社員達も息をするのを忘れ刃物男と首に手を掛けられ苦しむ女性に目を向けていた。


これから始まるのは酸鼻な行為。


「──────────!」


手ぶらの方の刃物男がナイフを三人に向けて何かを主張した。


しかしタオル越しなので声量はあるものの何をいっているのか判然としない。


しかしその行為は突如として現場の人間の目に飛び込んだ。


オヤっさんの視界の左上の方でいきなり鮮紅色の色素が目に写り始めた。


別段注目していた訳では無かったのでオヤっさんの視神経に突然飛び込んできた赤という情報に一瞬困惑したが目を向けると分かることだ。


男が女性を羽交い締めにし、両手を固め立ったまま喉仏の部分を刃物でこそぎ始めたのだ。


横を見ると、土木会社多田の社員達は目を手で隠しつつもカリギュラ効果の成す技なのか、チラチラ確認しては目を隠し、を繰り返している。


女性の断末魔の叫びが店内に響き渡る。


どれだけ叫ぼうと抵抗しようと決まった運命から逃れることは出来ない。


やがて声帯が分断されたのだろう、声の音色が無くなってきた。


オヤっさんが辛くも目をやると、女性は崩れ落ち刃物男はそれを抱える体勢になっている。


一見すると空から落ちてきた少女を少年が受け止める、そんな希望溢れた光景に見えるが行われているのは容赦無い殺生。


男は手こずっていた。


意外にも切れ味の無いナイフらしく、骨が切れない。


斬首映像の残虐性は刃物の犀利レベルに反比例する。


声帯が断たれたのは声で分かるがまだ首の真ん中辺りでゴリゴリやっている。


女性だった物は未だに叫び続けるシュー、シューと空気の出入りする音が鳴り響き、時々並々と溢れる血が絡んでバブル風呂のような音のソノリティが聴覚を刺激する。


"()せる"という会厭(ええん)による生きるためにプログラムされた働きも、最早生存の可能性を失った物が行うと滑稽に思える。


陣形を組む三人も目の前で行われる行為に一歩、一歩と下がることしか出来ない。


職をとるか命をとるか、その二律背反の狭間で拮抗しているのだ。


すると、人柱に裏拳を入れられ気絶していた男が起き上がった。


そして今度はオヤっさんのいる所に近づいてきた。


土木会社多田の男達は一旦刃物男から注目を外し、近づいてくる男を見る。


そしてヤスと酒に敗北して爆睡しているアドラを守る形で身構えた。


「なぁ、そこの少年よぉ結構いい格好してんじゃねえか。」


男はアドラを指差す。


「ッ...アドラには指一本触れさせはしないぞ...」


「いいじゃねえか。服とその腕に嵌めてる時計を頂くだけだ、な?いいだろ?」


男は弱者を見るような目で笑った。


「おい...そこの兄ちゃん、肩に刺青、オラオラするのは構わねえけどよお。」


ついにオヤっさんが動いた。


反グレに絡まれて大変よな。オヤっさん 動きます。


「あ?何だてめえは。こいつの着てる服が命より惜しいのか?」


オヤっさん達が危惧しているのは服よりもアドラの顔だ。もしも国の者だと知れ渡っていた場合どうなるかわからない。


「こいつは俺たちの大切な飲み仲間でよぉ、お前なんかに触らせる訳にはいかんのだよ。」


立ちはだかってみると、オヤっさんの方が数センチ身長が高いようだ。


厚い胸板を反らせ、反グレを上から睨みつける。


「ほう、そうかよ。なら死ね。」


反グレの一撃がオヤっさんの顔面に直撃した。


しかしオヤっさんは微動だにしない。


が、数秒後仰向けにぶっ倒れた。


見た目は強そうだが土木作業員、殴り合いに慣れている筈もなく時間稼ぎが関の山だ。


「へっ!なんだよいかつい面して大したことねえなぁ!」


反グレは横たわるオヤっさんの腹を思い切り踏みつける。


「てめぇオヤっさんに何するんだ!」


社員の一人が飛びかかろうとするのを周りが必死に抑え込む。


勝ち目がないからだ。


奥に目をやると、刃物男は陣形を取っていた三人をメッタ刺しにし終えており、レジから金を根こそぎ袋につめていた。


「あっちも金奪い終えたらしいな、なら俺もそこの少年ごと奪って帰るとするか。」


「てめえ...服と時計だけだと...」


「今思い出した、臓器だよ臓器。丁度欲しがってる奴がいてさあ、ほら、臓器は薬品による刺激に強く反応するだろ?」


「やめろ...触らせないぞ俺は。」


路地裏で生きてきた者達の団結力か、アドラとヤスに触れさせまいと固い守りの構えに入る。


「お前...社員に手を出すんじゃねえ...」


横たわり苦しみながらオヤっさんが声を漏らす。


「...うるせえなあ、このオッサンから一人ずつ撲殺していくことにするわ。」


そう言い残すと、反グレは容赦なくオヤっさんに馬乗りになり殴り始めた。


この瞬間、社員に反撃のチャンスが生まれたのだが何故か勝てる気が起こらなかった。


オヤっさんを犠牲にするしか方法は無いように思われた。


その時。


突然にして店の扉が開いた。


地獄の沙汰と化した店内に今更入ってくるなんて誰だと視線が集まる。


その先には先程反グレを失神させ、膝を折られて気絶していた見張りを安置に運んだ男。


そしてその後ろには仮面を着けた男。


(確かアイツは...質屋の店主...!?)


仮面の男は背中に背負ったシーシャから空気を吸い上げ、吐く。仮面の目鼻口部分にある穴から白い煙が漏れ出た。

年齢制限を付けたからには徹底的に描写します。

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