七話 戴冠式前日束の間の休息
サルタとアンジェラがディスペンサリーに潜入していた間、王朝役員やアウトソーシング先の土木作業員達が戴冠式の準備およびその翌日に控える雇傭試験の準備を煕々と励んでいた成果もあり、1日が過ぎ戴冠式前日になると準備はほぼ終了の段階に入っていた。
およそ2日前まで戦禍をその体に刻んでいた城壁も完全にとは言えなくとも外面は洗練された様相を取り戻していた。
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朝6:20。
王城下町からは距離にして新橋横浜間程離れた中都市の都心に構える一軒家。
この家の主にして元王朝直属の兵士、砲撃隊長だったこの男、ブライ・フライブルクは前職の影響あってか時間には几帳面である。
起きる時刻から5秒過ぎぬ内に凄まじい速度で布団から手が伸び、頬をぶっ叩いた。
そして5秒程自我と戦い唸った後、勢いよく跳ね起きる。
季節は冬。約7時間溜めに溜めた体温を程よく保温している布団から出るのは容易なことではない。が、この男は気を奮い起たせ飛び起きることを常としている。
一度布団を出ると瞬く間に白魔の外界へと生身を晒すことになるのは天の理地の自明也。飛び起きる時に発生する運動エネルギーを即座に熱に変えて命がらがら体温を保つ業だ。
などと考える内にブライの脳は目覚めた。
また、体だけ目覚めた状態は学習においてはゴールデンタイム。
この男ブライのストイック性ははかり知れぬ物がありこの勘も欠かさず虚の脳に勉学のあれこれをぶち込む。
(......ふぅ、今日も一日が始まってしまった。)
凍える足先をベッドから下ろし、リビングへ歩き出した。
その時
「今日はあま...目玉焼きがいいぃ...。」
隣の部屋から木製ドアを隔て力無き声が届く。
ブライの妹の声だ。
もう18になる癖に働きもせず兄たるブライの脛に齧りついている。
「はいはい。」
目玉焼きがいい、というのは所謂食パンの具だ。
朝ごはん以下三食はブライが作るので注文が入ったという訳だ。
ブライは階段を降りリビングへ出ると灯油式の暖房器具を付けた。
まだ開発段階にある"電気"は民間での実用には到っておらず、民間で使用できる電気器具は精々電池式の物のみだ。目覚まし時計なんてのも電池式であり最新技術の代物であるらしい。
とはいえども前回のディスペンサリー会場のようにどこぞの無名企業やらサイエンティストは既に電気という技術をモノにしていたりする。
何事もテクノロジーが民間に曁ぶのは最後だ。
ブライは前王朝の崩壊と共に職を失った為、現在は貯金を切り崩して生活をしている。
前王朝軍兵士で戦争を生き延びた者は自殺しているか貯金崩し生活を強いられていることだろう。
元より前王朝の雇傭の門は中々に狭く、だから路地裏住まいの破落戸やばたやが急増したのであってこちらの給料は悪くなかった。
そのためブライは貧乏という訳では無かったのだが先述の通り働かぬ妹という桎梏を抱えており、ままならないのである。
この一軒家は父母から譲り受けた物だ。
両親はとうに死んだので返す必要も無くなってしまったが。
ブライはアルコールをコンロ下のタンクに注ぎ、スイッチを押して火を付けた。
どうやら貴族の家等ではガスなるものが出回っていると聞くがこの世界の一般人が手を出せる物ではない。
卵を二つ慣れた手つきで片手割りしフライパン状の鉄板の上に落とす。
鉄板という表記にしたのはこの世界ではそれらしき物があってもそれがフライパンとは呼ばれていないからだ。
冷蔵も店から氷を買う氷室式だ。そのためブライ個人的には四季の中で冬がお気に入りなのである。
適当な有り合わせを冷蔵庫から取り出し皿に盛り付けていく。
路上市場はこの国において最も盛んな風物詩といっても過言ではない。
毎日どの時間帯に出向いても必ずといっていい程人が密集していて賑やかだ。
金さえあれば飢饉の恐れは無いのだろう。
食パンを炭火でゆっくり焼いていく。大した火力は出ないためカリッとはしないが香ばしいしなやかな舌触りになる。
そうこうしていると、目玉焼きも完成し、一通りの朝食が揃った。
(さて...7時前か。クソ妹を眠りから覚ますか...)
ブライは怠そうに階段を上がり、妹の部屋の前に立つ。
軽く二回ノックした。反応がない。
次は力強くノックした。反応はない。
「入るぞ。」
ドアノブに手をかけると、回らない。
(チッ)
ブライはポケットから合鍵を持ち出しこじ開ける。
案の定妹はだらしなく眠りこけていた。
「......」
ブライは無言で妹から毛布と掛け布団を引き剥がし、部屋の窓を全開にした。
冬はつとめて。冱寒の颪が窓から入り込んでくる。
一瞬にして部屋の空気が一新されていく。
「ぐっ、ぐあああああ...」
妹は目を頑なに閉じたままブライとの布団の引っ張り合いを持ち掛ける。
(ここまでアクティブならもう起きてるだろうが...)
元軍人の力を遺憾なく発揮し完全に妹の体を空気と触れ合わせる状態にした。
簑虫の外殻を剥ぎ取って殺すのと同じ原理だ。
「んっ、んんんんんん...」
ブライは最終手段に出る。
妹の右手をとり、親指第一関節仏の目の部分を爪で刺す。
眠気冷ましのツボであり妹は特にツボがよく効くのだ。
「んんんん...こ...の...」
突然妹が暴れだした。18の女の体、体長約160弱が暴れ足裏がブライの腹にクリティカルヒットした。
「グ...」
「クソ兄貴いいいい!」
ツボが効き妹がベッドの上で起き上がりブライに止めを刺した。
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「...あのな、お前も18なんだから少しは就職とか...」
机を隔て向かい合いながら朝食を食う二人。
兄からの説教は日課だ。
「確かにまあ...ここ最近は戦争とかゴタゴタあったしな仕方ない所もあるけどよ...」
「俺の貯金だって無尽蔵な訳ではないし一応雇傭試験は申し込んだけど受かるとも限らない訳であって...」
「あと俺の私物勝手に売るのやめろ!服売っただろ貴様!」
「あのさ、思い付きで話ダラダラ続けるのやめてくれない?
...まあ私もずっと兄ちゃんの脛齧り続けるのもよくないと思ってるけどさあ。」
妹の名はサラ・フライブルク。
両親が死んだ後親戚の家で暮らしていたが、ブライが独り立ちする時に無理矢理着いていった。
「"七つの習慣"ってあるだろ、あれを身に付けろ。この先生きていく上で絶対に必要だぞ。」
その後もベラベラと説教が続き、サラの皿は目玉焼き残して副菜は全て芟かれていた。
「はぁ...お兄ちゃんもう少しボリューム増やしてくれないかな、全然足りないじゃん。...まあ味はいいんだけどね...」
「まず一、主体的であることだ。」
「じゃあ主体的に行動して肉焼いてきますわ。」
サラは席を立ちキッチンへと向かっていった。
「お、おい話はまだ...」
「別に料理しながらでも話は聞けるでしょーが。」
「...まあいい。
次に、まず終りを考えることから始めるということだ。俺が仕えていた前王朝の王は王朝がいつか滅びるなんてことは思いもせず悪政を敷いた。だから滅んだ。」
「そして三つ目は最優先事項を優先することだ。」
「はーい、私の最優先事項は腹を満たすことでーす。」
「ならそれで良し。」
ブライはキッチンを背にあぐらをかいて飯を食いながら淡々と話す。
「え?...あぁそう...」
サラは俎の上に味付けした生肉を置き、庖丁で切ろうとするが中々切れない。
「四つ目、winwinを考えることだ。自分と相手、双方にとってメリットのある戦略を提示するんだ。」
「お兄ちゃんは今考えてるの?私は今心地よくないけど、」
「これはビジネスではない。一方的な説法だ。」
ブライはメインディッシユの食パンを頬張り始め、一時の静寂が訪れた。
サラは目玉焼きのみ残して食パンを先に食べてしまった故に皿には目玉焼きしかない。
肉を焼いてから贅沢に食う魂胆だろう。
サラもこの馬鹿真面目で口うるさい兄を疎ましく思いながらも料理の伎倆は認めている。
「五つ目は理解に徹する、そして他人からも理解されることだ。」
「へぇ~、お兄ちゃん軍人時代によく変な女の子家に連れて来ては料理振る舞ったりしてなんか女の子を迎えに来た兵士達に訝しまれてた癖にぃ?」
「ぐ...あの子は上司だ...それに兵士達との淫行が目に余ったから保護して連れてきただけのことだ...」
「...そして六つ目」
無理やり話を転換しようとしたのが見え見えだがサラは敢えて指摘せず流した。
「シナジーを考える。シナジーとは相乗効果のことだ。互いに影響しあって高みへと登っていく。」
「ふーん、確かにそれは分からんでもないわ。」
サラは台所の棚から砥石を取り出した。
「あのなサラ、お前は七つの習慣という言葉も知らんのだろう、いつも家で本だか情報収集だか知らんがやってるけどな身に付いてなかったら意味ないだろう。」
「最後の七つ目が最も重要といえる。」
ブライは食パンを平らげ、皿を台所のシンクに持ってきた。
そしてそのままそこにいるサラに近づき説教タイムに入ろうとした。
「七つ目は...」
「"刀を砥ぐ"でしょ?」
サラは砥石で庖丁を砥いで見せ、それから肉を切り始めた。
「へ?...なんだよ、知ってたのか。」
「肉も断つしビジネスの土俵にも立つのよ。今私は文字通り刀を砥いでる最中なの、口出しは無用よ。」
サラは兄を黙らせたことに気を良くしたのか鼻歌混じりで刻んだ肉を鉄板に並べて焼き始めた。
非常にぎこちない造作ではあったが。
「...まあいい。俺はこれから明日の戴冠式の下見と、試験会場も敷設されたらしいからそこも偵察しに行く。」
「戴冠式当日はお前も一緒に行くだろ?一世一代の大きな祭典だぞ、凄腕の芸者も多数登場するらしいし。」
「考えとく。」
サラは焼き終えた肉を鉄板に載せたままリビングのテーブルへ持っていき、皿の上に盛り付けた。
少し焦げている。
片手にはどこから召喚したのだろうか、俗にいう成功者の著書を持っていた。
如何にも誰でもこの極意を身に付けていれば成功出来ると豪語したようなキャッチコピーがデカデカと表紙に書かれている。
(......そんな物は才能ありきで読むものだろうが。サラよ、お前はビジネス本ばかり読み耽って実践できない典型的な書蠹になってしまうのか...?)
ビジネス本なんて物を買う時点で著者の印税云々によるマーケティング策にまんまと嵌まり掌で転がされているということだ。
無論そんなことにも気付けないような輩がいくら本を読んだ所で豚に真珠、左巻きにビジネス本、ということだろう。
ビジネス本の著者の策略に嵌まりたくない知識人は立ち読みでサッと読み流すくらいで満足するものだ。




