第一話 その時世界は一変した
高校に入学して、初めての夏休みに家業の手伝いをする羽目になったことが全ての始まりだった。
椿 春虎。現在15歳。腰まである長いサラサラの髪は、非常に珍しい燃える様な炎髪をしていた。この髪色は、椿家の血筋に現れる髪色で、父と兄も同じような髪色をしていた。
小さな顔には、長いまつげに縁取られた、意志の強そうな少しつり上がり気味の大きな茶色の目と、小ぶりな鼻、小さな桜色の唇。
身長は、15歳にしては小さめであるが、本人はこれから成長すると思っているので気にした風もない。胸も年の割にささやか?だが、本人はこれも、これから成長すると信じて気にしていないというか、気にしないようにしていた。
一般的にみて美少女な春虎はごくごく普通の家庭に生まれた。ただ、家業がちょっとだけ特殊だった。
それは、椿流忍術の本家、つまり忍者だ。現在は今風に言うところのSP、つまり要人警護を生業としている家だった。
ひと昔前であれば、闇討ち、暗殺と言った仕事や、潜入調査なども行っていたが、現在は主に要人警護を行っている。
ただ、昔からの顧客などにはたまにだが、それらしい仕事を請け負うこともあるとかないとか。
春虎は、幼いころからの英才教育の賜物か、12歳の時には、免許皆伝。上忍として家業を手伝うこともあった。
ただ、学業に支障をきたさないように、時間のかかるような仕事は学校が長期休暇、つまり夏休みや冬休みなどに受ける様にしていた。
家は、現在21歳の兄、弥生が次期当主と決まっているため、春虎は比較的自由にすることを許されていたが、弥生はとある理由から春虎に仕事を押しつけることが多かった。
春虎は、ある意味忍術馬鹿なところがあるため、仕事中は常に変化の術を使い容姿を凡庸にし、さらに認識疎外の術で周りに認識されないように徹底していた。
春虎は、弥生が面倒がっていつも仕事を押しつけると思っているが、実際は、「はるこの可愛い顔を見られるのは俺だけの特権」と言って、春虎の容姿を隠すために仕事をさせていると言った状態だった。
普段も血筋のための特殊な髪色を誤魔化すために、認識疎外の術を常時発動させているが、変化の術は使用していないので、耐性のあるものには、素顔を晒していることになる。
それが、我慢ならないため、弥生は常に変化していて欲しいと思っているきらいがある。
夏休みに入って、数日。夏休みの課題が片付いたので、これからの予定を考えていた春虎に、弥生はいつものように仕事を押しつけてきた。
「はるこ!!楽しいお仕事の時間だ!!今回は何と海外だぞ!!」
弥生のテンション高めの声を聞かなかったことにして、夏休みの計画を練る。
「はるこ!!お兄ちゃんを無視しないで!!仕事が終わったら、そのまま旅行してもいいんだぞ!!やったな!!」
「それなら、自分受ければいい」
「ぐぬぬ」
(なにがぐぬぬだ。はぁ、私の夏休み……)
「はるこ~。今回の仕事は、他の仕事の都合で俺が受けられないんだよ。そうなると、後はお前にしか頼めない。他の上忍もみんな仕事を受けてるから、手が足りないんだ」
「なら、断ればいい」
通常は、受けられる者がいることを確認したうえで、依頼を受けるため手が空いたものが居ないということはあり得ないのだ。
「本当は、別の者が受けるはずだったんだけど、珍しく依頼が長引いていてな」
「はぁ?ないない」
「ううう。これは内密な。村上の仕事が押してる」
「揚羽さんが?」
「そう、何でもとある小国の王子様の護衛任務をしていたらしいけど、トラブルがあったらしく、絶賛延長中だ」
「ふむ。揚羽さんのためなら仕方ない。分かった、受けよう」
揚羽は、春虎の教育係をしてくれた上忍で、姉のように慕ってる女性だ。そのため、最初はしぶっていた春虎も、揚羽のためならと思い直し今回の仕事を受けることを決めた。
「はぁ、はるこは俺にはつれないのに、揚羽には甘いのな」
「日ごろの行い」
「お兄ちゃんにもっと優しくして!!甘やかして!!はるこのいけず~」
「うざっ」
弥生の事をうざいと一刀両断した春虎は、そんなことよりも、今回の仕事について確認することにした。
「それで、愚兄。今回の仕事の内容を聞こう」
「ううぅ。お兄ちゃん、はるこのそういうドライなところも好きだよ」
「……」
「無視しないで~」
「……」
春虎の冷たい視線に耐えられず、弥生は仕事の内容を話すことにした。本当は、もっと構って欲しかったが、これ以上は危ないと判断したうえでだ。
「コホン。それで、今回の仕事だが、某大学の教授をイギリスのとある場所まで護衛することだ」
「とある場所?」
「それなんだが、不思議なことにまだ特定できていないということだ」
「なにそれ?」
「研究内容について詳しくは話せないってことだ。何でも、今回の目的の場所は、現地で調査して判断するとか何とか」
「ふ~ん。でも、ただの大学教授を護衛って……」
「よくわからん。ただ、昔から付き合いのある顧客からの強い推薦もあってな」
「なるほど、つまり接待護衛」
「まぁ、何か危険があるって事はなさそうだからそうなる可能性は高いが」
「分かってる。手は抜かない。万全の態勢で臨む」
「頼んだ。俺も、自分の仕事が片づいたら後を追う」
「了解」
こうして、春虎の夏休みの予定が決まった。
◆◇◆◇
今回の仕事は、比較的危険は少ないと判断したが念には念を入れて、護衛対象の自宅まで迎えに行くことにした。
春虎は、得意の変化の術で、少年に見えるように術を使っていた。
変化中の春虎は、どこから見ても平凡な、というか印象の薄い小柄な少年にしか見えなかった。
護衛対象の住むマンションに到着した春虎は、チャイムを押し到着を知らせた。
現れた人物は、最初に資料で確認した通りの痩せた顔色の悪い男だった。
男の名は、城 晋太郎。
実に不思議なことに、常に周りを気にして挙動不審な男だった。口数も少なく、最初に挨拶をした時に返事をしたくらいで、全く話さない。
(私もおしゃべりな方じゃないけど、この気まずい空気……。こんなこと考えるのは駄目だと思うけど、早く仕事を終わらせてしまいたいところだ)
そして、気まずい空気の中、現在はっきりしている目的地のイギリスに到着した。
到着後、街を観光するでもなく、海や森、草原といった、何もないところにばかり出掛けて行く依頼人について、春虎も一緒に行動したが、護衛を依頼するような危険なことは一切起こらなかった。
依頼人は、言葉もしゃべれるので、通訳が欲しくて護衛という名目で依頼したのではなく、一人での海外旅行が怖いため、依頼したのだと勝手に判断した。
因みに、現在の仕事はグローバル化も進んでいるので、複数の外国語を話せることは勿論、読み書きもマスターしている。
依頼人に付き合って、数日。弥生から今夜合流できると連絡があった日の晩。珍しく、夜に出掛けると言うので、弥生に行き先を伝え現地で合流できるように連絡を取ってから、依頼人の後をついて、海辺の切り立った丘に到着した。
そこで、依頼人は言った。
「やっと、着いた。ここが目的の場所だ。後は時間が来るのを待つだけだ」
依頼人の言葉を聞いて、こんな場所に何があるのかと不思議に思ったが、何も言わず周辺を伺った。
その日は見事な満月で、雲もなく月明かりがとても綺麗だった。
依頼人は、目的の場所と言いつつも、周りをきょろきょろするだけだったので、不思議に思っていると、微かに何かが聞こえた気がした。
笑い声?小さな子供の歌うような声がした気がして、春虎は一気に警戒態勢に入った。
しかし、周りに人の気配がない。
そうしていると、依頼人がふらふらしながら崖の方に歩いていくのが見えたため、とっさに腕を掴んで引きとめる。
「城さん。そちらは崖で危険です」
「うっ、うるさい!!すぐそこにアレの入り口があるんだ!!邪魔をするな!!」
そう言って、春虎の掴んでいた手を振り払った。
振り払われるとは思っていなかったため、油断した春虎は振り払われた反動で片膝をついた体制になったため、とっさに影縫いの術で依頼人の動きを止めることにした。
このままでは、崖から依頼人が落ちてしまうと判断したためだ。
何とか術により、依頼人の動きを止めることが出来てほっとしたところで、足に何かの気配を感じて視線を向けると、複数の小さな手が足にひっついているのが見えた。
ぎょっとしつつも、何とか術を保ち依頼人の動きを止めた状態で、足に群がる手について考える。
(妖怪か?しかし、悪い感じはしないように思う……)
そんなことを考えている間も、足に群がる小さな手は消えてくれない。力ずくで何とかできるだろうかと春虎が考えていたところで、依頼人がこちらを見て鬼のような形相で叫んだ。
「そっ、それは私の妖精の輪だ!!貴様!!」
そう言って、暴れ出した。予想を超える暴れ具合のため、とっさに掛けた術は霧散してしまい、依頼人は自由となった。
自由となった依頼人は、春虎に掴みかかってきた。
「私の!!私のドアだ!!何故、貴様のような小僧が選ばれる!!」
そう言って、掴みかかった春虎をがくがくと揺する。その間も謎の声と、小さな手は消えることはない。
困惑していると、遠くから弥生の叫ぶような声が聞こえた気がしたが、耳元で小さな子供のような声が聞こえ、それに気を取られた一瞬の隙に世界は一変した。
「お前さえいなければ、そのドアは私のものだ!!」
そう言った、依頼人に崖に向かって春虎は投げ出されていた。
しかし、それを防ぐ事も出来ず、耳に残る小さな子供の歌うような声がただ反響するだけで、抵抗もせず春虎は茫然とゆっくりと上空に見える、綺麗な月が遠くなるのを見ることしかできなかった。
「見つけた、見つけた♪可愛い子をみぃ~つけた♪それなら、こっちおいでおいで、この指輪と取り換えっこし~ましょ♪」