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過ぎた日々に戻る  作者: 紫電
第二章 私の事情
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悪魔の子

昔の話。


破壊しなければ、隠さなければ。


これさえ無ければ、両親は解放される。

幼い私は何食わぬ顔で、パソコンのキーボードを叩いた。これから待っている、何からも解放された未来は明るいはずだと信じ切って。


「春乃、そろそろ準備はいいか?」


それは確か、研究拠点の一つがあるオーストラリアからの帰国の日。

私は必要なデータの一部を、自身に買い与えてもらったパソコンに移し、また、大好きな絵本には、いくつかのスクラップを仕込めるよう細工を施した。

準備は万端で、まるで今から世界でも救おうかというような気になっていた。


「日本に戻ったら小学校に通うことになってるから。楽しみにしておくんだよ」


母親の言葉にとびきりの笑顔で頷いた。

何しろ私はヒーローだ。きっと楽しい学校生活が待っているに決まっている。

幼子にしては大きい荷物に、誰も何も疑わなかった。だってあの両親の一人娘だ。今から何に興味を持っていて、何を考えているかなど、誰かに計り知れるはずないのだから。

既に何度も乗り慣れた飛行機は、口を開けて待っていた。

慣れた手順で、検査にも引っ掛からず、無事に搭乗して私は安心する。第一関門クリアだ、と。

この時まで、生きてきたった五・六年間で、私は自身の人生が輝かしいものであると、なぜかそう思っていた。これからもこの幸せは続くものだと、この作戦が成功すれば、もっと幸せになれると。

そして、誰もが不幸と無縁になれるのだと、私は信じてやまなかった。




だから私はあの日、人生で一番の過ちを犯した。




「おやめください…!」


女性の小さな叫び声に、私は読んでいた絵本から顔を上げた。

静かだった飛行機内で、何か不穏な空気が流れる。一瞬静かになった時、一発の銃声が機内に響いた。

それを皮切りに、一人の女性の悲鳴。合図になったかのように、客たちに一気に同様が広がる。パニック状態になり、思わず立ち上がった人は、すぐに撃たれて静かになった。隣にいた父親と母親が、必死に私に覆いかぶさって隠そうとしていることだけが分かった。

我に返った私は、血走った眼をした覆面の男が、そして血で汚れた誰かの、恐れおののく絶望の色が、現実であるということを思い出す。

急に息苦しくなり、父も母も遠く感じる。狭まった視界とくぐもった音。その中で、覆面の男の声がやたらはっきりと耳に届いた。


「騒ぐな…この飛行機は我々がジャックした」


悲鳴や怒号でなかなか静かにならない乗客にしびれを切らしたのか、覆面の男は、一番近くにいた私の母親の腕を掴んで無理やり立たせた。それを見た父親が、母の名を呼び、覆面の男に掴みかかろうとする。


「…やめて!」


銃声が二・三発響いたところで、私の記憶は途切れている。


気が付いたら、飛行機は無事日本に着いていて、私は自身の荷物と共に毛布に包まれていた。服も顔も、誰かの返り血がこびり付いているような悲惨な状況は理解できた。けれど、わずかに残った荷物を、離さずに抱えていた。両親がどうなったかも、しばらく分からず、ただ呆然としていたのだった。


「君が、乙葉春乃ちゃんだね?」


しらない子どものような声にただ頷く。聞いた感じは少年だと思った。


「あいつはたくさんの人が運んでいったようだ。良かったね」


私の心配でもなく、両親の心配でもなく、あの覆面の男の脅威が去った、という事実だけを正確に伝えてくれた。その声で、私の頭は勝手に働いて物事の整理を始める。薄汚れた両掌を見下ろすと、それは何故か震えていていうことを聞かない。

ヒーローになるはずだった。世界を救うはずだったこの手は、結果的に両親を殺してしまった。

私は、両親が死んでいるであろうことを、もう理解していた。

いくら逃げようとしても、冴えきった思考は現実を突きつけてくる。


「違う…違うの…私、は」


気が付けば否定の言葉が漏れる。

こんなはずではなかった。もっと上手くやれるはずだった。何も失うことなく、両親の禁断の研究を隠しさえすれば、もう大丈夫。


「ご…ごめんなさ、」


浅はかだった。きっとあれが、人生で初めての後悔だった。失敗を知らなかったのだ。過ちを、知らなかったのだ。

両親が犯した過ち、それが自身にも起こりうることを、考えもしなかった。子どもゆえの万能感と、子どもらしからない思考回路がそうさせた。才能を惜しみなく伸ばしてくれた両親を、死に至らしめてしまった。


「そうだ、君は間違ってなんかいない」


その言葉に、顔を上げた。


「君は正しい。だから僕は、君に敬意を示していつまでも味方でいると誓う」


目尻が熱くなって、涙が零れ堕ちた。

初めてだった。後処理に追われる大人たちは私のことなど放ったらかしにして走り回っている。だが彼は、真っ先に私のところへ来て言ってくれた。初めて、君は正しいと、声に出してくれた。







「そのHumanという研究の最終目標が、今でいう死者戻りを生み出すのだと、君は直感的にそう思ったんだろう。だから用意しておいた…君があの日に持っていたファイルだ」


これのせいで、両親は死んだ。誰も言わないけれど、きっとそういうことなのだ。

私はこの、倫理に背いているとしか思えない研究を闇に葬り去ろうと、あの日こうして持ち出してしまった。もしもそうしなければ、未来は変わっていたかもしれないのだ。

両親はまだ生きていて、先輩も生きていたかもしれない。


「これを持って、今度はどうする?」

「死者を…死者を全員送り還す」


私ははっきりとそう告げた。きっとこの時のために、私は両親と同じ分野に進んだのだ。罪滅ぼしのつもりだったけれど、それはいつしか決意に代わった。今となっては分からない両親の本当の目的も、私が全部無かったことにしなければならない。


「それは、人工知能を生み出す者としての責任かい?」


私はそれに答えられなかった。


「それとも…両親の仇討ちかい?」


記憶の中では、両親はいつも優しかった。惜しみなく知識を分け与えてくれた。それがいったい何のためであったかなど、何度も考えたが答えは出なかった。

私が人として、倫理に背くことを咎められるかどうかなど、分かりはしなかった。


「…その資料は、それが全てではない。そうだろう?」


その言葉にハッとすると、叔父は複雑な表情でファイルを見ていた。

確かにこれは、その中の一つだ。仕舞いきれない情報をいくつかに分散した。それは、一度に失さないための手段でもあった。


「どこかで誰かが持っているのか、もしくは…まだそこには辿り着いていない可能性もある」

「…それでも、」


死者を還せる方法は、きっと私にしか見付けられない。だから先輩は、私の元に来てしまったのだろう。早くそれを見付けろと、誰がずっと急かしている。

それはお前の責任だと、誰かが耳元で怒鳴り続けている。


「両親に戻ってほしいなんて、一度も思わなかった」


どんなに時が経っていようと、大切な人であったら思うのだろう。もう一度会いたいと思うことを、どうして咎められよう。会いたいと、思うに決まっている。

私にはまだその気持ちが残っているのに。先輩にさえ、ああして怒ったのだから。


「もしかしたら、憎んでるのかな」


私の知らないところで、私の知らない感情が育っている。気付かないだけで、興味が無いだけで、それは人知れず育っていたのだとしたら。

それは違うと、どうしても否定できなかった。


「私は、悪魔の子だから」


本当は言ってほしかったのかもしれない。幼い子どもだとしても、構わず「お前のせいだ」と罵ってほしかったのかもしれない。

だって私は、悪魔の子。そうあるべくして、生まれてしまったのだから。


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