数年越しの
死者が世間に受け入れられてきました。ちょっとずつ環境も気持ちも変わっていきます。
夏休みの予定だけど、と切り出したのは私の方だった。
「どこ行くか決めたのかい?」
「日帰りで親戚に顔を出してきます」
「日帰り…」
何か言いたげな視線を無視して、パソコンの電源を入れる。リビングにある方をわざわざ使うのは、彼にも共有したい情報があったからだ。
死者戻りについての話題は未だ冷めやらず、今や各局が競うように新情報を出し続けている。怪奇現象、超常現象とかそっち系の専門家まで出て来ている。普段スポットが当たりづらい存在だからか、みな生き生きしているように見えた。
「私から、どれくらい離れられるんですか?」
「試したことは無いけれど…少なくとも君の会社までは平気そうだ」
会社まではそう遠くない。とはいっても面倒ごとを避けるために隣駅のマンションを借りたのだが。
「親戚の家は隣県…いけるかな」
距離にして約五十キロもある。死んでこの世に戻って気が付いたら私の家の前にいたというくらいだ。何かしら制約があっても不思議じゃないし、ネットのまとめサイトにもそれらしき話題がちらほら見られる。
「大丈夫だと思うけどね。安心して行っておいでよ」
「…分かりました。そうします」
案外あっさり、彼は承諾した。画面を覗き込んで、私と同じ記事を食い入るように見つめている。
ついてくる、などと言われなかったことに案外ホッとしている自分がいた。
「ゆっくりしておいで」
いつものように優しく笑う顔から、目を背けた。
気まずくなった私は、話題を切り替えようとキーボードを叩く。
「先輩、ここ行きませんか?」
「ここは…」
覚えているだろうか、と少し緊張する。
特に話題の観光地でもない、海水浴ができるくらいの何も無い海岸。
「ああ。いいね。またやろうか、あれ」
「…!」
顔を上げた彼は、目を輝かせて私に言う。
覚えていてくれた。彼にとっては些細なことかもしれない、けれど、私にとってはかけがえのない思い出になった、あの場所。
真夏の夜の、たった数時間の出来事だけれど。
「覚えているよ。君が、初めて好きな物を教えてくれた場所だ」
「だから…何でそんなことばっかり覚えてるんですか」
ここから電車一本で行ける、都会の海。だが、とても静かで、私たち以外誰もいなかったあの海岸で、花火をした。
線香花火を灯しながら現実味の失せた世界でたわいのないことを語り合っていたら、うっかり口を滑らせた。普段だったら絶対に言わないような戯言を。
「いつものお礼をしよう。僕が買ってくるよ」
「お礼…?」
多分、居候のことを言っているのだろう。だとしたら、ご飯は作ってくれる掃除もしてくれるし贅沢づくしなのはこちらの方なのに。
だが、彼は気にした風もない。
「そろそろ梅雨も明けそうだよ」
「暑くなりますね」
話が切り替わったのを察して、私はまたニュース記事を漁り始める。この機に応じてホラーゲームが流行しているだとか、そんなものを見て顔を見合わせて笑う。
そして、新しいニュースに目を止めた。
「何だいこれ…死者に、人権?」
関連する記事に次々飛んでいくと、どうやら死者に人権を与えようという運動が目に入る。確かに私たちと変わらぬ人間であるならば、それは認められるべきだろう。人間であるなら、だが。
「君はどう思う…?」
私は数秒間、彼の顔を見つめて、諦めたように首を振った。
「理解できませんね…何しろ、私の目の前に現れた死者は自分を殺せと迫ってくるような人でしたから」
「言うねぇ」
「だって人権なんかあったら、私が殺人罪で捕まります」
確かにね、と彼は悪びれることなく頷く。
彼は私を殺人犯にしようとしていることに気が付いているのだろうか。
「死者とはそもそも人間だ。端から人権が無いなんて、誰が決めたんだろうね」
その問いは、どうしてか腑に落ちた。死んだ後にも人権が適応されるかどうかを唱えた人間はいなかった。だからといっていつも蔑ろにされてきた訳では無い。
亡き者の意見として優遇されることも、時として少しばかり冷遇されてしまうこともあっただろう。だが、等しく生きた人間として扱われたかといえば、そうではなかった。
「深く考えなくていいのに。だって、一度は死んでいるんだ。あるのは人権じゃなくて尊厳、そうだろう?」
「尊厳、ですか」
死者の尊厳を守るための人権、ということだろうか。
生きているか死んでいるか、いつだってその二択でしかない。生きているという事実でしか、それは試すことができないのだ。
「僕も君も、痛いほど解かっているだろうけどね」
まるでシュレーディンガーの猫のような話だと思った。
その声を聞き流しながら、また新しいニュースを受信する。
「死者をもう一度殺す」
ぽつりと呟いた言葉は彼にも届いたようだ。
今度は、画面を覗き込んでこなかった。
「そういえば…なんであなたは最初から殺されるつもりでいたんですか?」
彼は再会のあの日から真っ先に、殺してくれと宣った。還す方法を知らない私に、殺せばいいんだと、見えない刃を手渡してきた。まるで、死者は誰でも初めから還る方法を知っていて、それしか方法はないよ
とでもいうかのように。
「何となくね。死に切れていなかったのなら、もう一度殺すしかないでしょう」
幽霊であれば、成仏させる、という手段にたどり着くと思うのだが、この死者と呼ばれる彼らは、幽霊かどうかすら危うい。冷たいことと脈がないこと、他の細かい部分を無視したら大きな違いはこの二つだけ。まるで、棺桶からそのまま出てきたような、実態を伴った存在だ。
「ゾンビとかあれに近いですかね?」
「残念だがゾンビを殺す方法なんて知らないな…」
前にも少し思ったが、異臭もしないし言語も通じるのだが、ゾンビという存在に近い気がする。
確か、よくある映画では、ゾンビ化は何かのウイルスが原因だったはず。
「ゾンビウイルスってやつだね、大体パンデミックになるアレ」
「あれ、伝染るって言ってましたよね以前。たしか」
「確かに伝染るとは言ったが、そういうつもりでは無かったんだが…」
「いえ、分かりませんよ。蔓延していくんでしょう、この現象」
実際広まり続けて数か月、始まりはどこだったか分からないが、いまだ収まりを見せない。このまま拡大し続ければ、いずれは映画やゲームのようにパンデミックになっていくのだろうか。
それって実はとんでもない一大事だ。
「君は…人間が持つ情とか繋がりとか、あれがウイルスだと言いたいのかい?」
「何か間違っていますか?」
すると彼は黙り込んだ。鋭い視線は伏せられ、いつものにこやかな表情はなりを潜めている。
「それは些か…寂しすぎやしないか?」
彼が、私の目を見ないままに言った。
耳を疑った。情も繋がりも無視をして、ほとんど縁遠かった私に白羽の矢を立てたのは、あなただというのに?
「何が…言いたいんですか?」
私は沸き起こる感情を抑えながら、低い声で尋ねていた。急に、目の前の先輩の考えていることが分からなくなった。これは恐怖だ。元より彼を理解しているつもりはなかったが、目的ははっきりしていた。
だから安心していたのに。今更彼はどんな言い訳で私を殴るつもりなのだろうか。
「うん…結論から言えば、ウイルスというのは間違っていない」
彼は私の動揺を感じ取ったように、慎重に言葉を紡ぐ。まるで急所を捉えた得物をじっと観察するように。
「でも僕は…そんな繋がりを軽視して欲しくない…特に君には」
「…あなたがそれを言いますか」
その背中を、出会った頃から追い掛けていた。目標とするべき指標がそこにあるのだと信じて疑わなかった。だから、同じ研究機関にまで所属して、いつでもその存在を意識してきた。
それなのに。
それなのに、どうして。
「そこまで私に構うくせに…どうして勝手に死んでるんですか…弔いもさせてくれないくせに…っ」
気が付けば久しぶりに声を荒げていた。
しばらく怒ったり興奮することがなかったせいか、体がそのやり方を忘れてしまったようだった。急に湧き上がって、波打つ。うまくコントロールできずに、ずっと昂っている。
「これからどうやって…生きて行けばいいんですか…」
目の前に立っていてもらわなければ困るのに。
私は堪えきれず立ち上がった。追いかけてくる前に、締め出すように自室に引き籠る。
案の定追う足音が聞こえ、それは薄い扉の前で止まった。
「…すみませんでした。忘れてください」
聞かないようにしようと思っていた。お墓のことも、言いたくないならそれでいいと思うようにした。けれどもやはり、寂しかったし、悲しかったんだ。分かっていたことを、隠していたことを指摘されて怒るなんて子どものすることだ。
「楽しみにしてて…花火」
扉越しに聞こえた声に、思わず背にしていたそれを振り返るが、去っていく足音しか聞こえなくなっていた。呆れられたかと思えば、そうではなかったようだ。
その優しさは、なんの慰めにもならないというのに。