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過ぎた日々に戻る  作者: 紫電
第一章 先輩と私
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先輩の、部下

新キャラが登場します。

情報が少しずつ洗い出されてきています。


珍しく晴れた梅雨の合間、好機とばかりに職場へ向かった。久々に外での情報収集もしたいと思っていたところだ。


「おはよう。最近やたら仕事熱心じゃない?」

「そう?…ちょっと、気になることがあってね」

「もしかして、この前の?」


察してくれる勇希の言葉に頷く。職業柄、やはり気にかけておきたい問題だし、此処へ来れば何かしら新しい情報が掴めると思ったのだ。


「それもいいんだけどね。もうすぐ夏だけど、なんか予定入れたら?」

「…夏季休暇かぁ」


毎年の夏季休暇といえば、仕事も何も無くなれば家に籠ってゲームをするか、急に出かけたくなって知らない電車に飛び乗ってみたりなど、両極端な生活を楽しむ。

いずれも一人でいることが多い。だが、今年はきっと、彼と夏を過ごす気がする。


「心当たりでも?」

「そういう勇希こそ」

「あんたが引き籠ってるうちに、抜け駆けさせてもらったわ」


お、と私も興味を示す。勇希の顔を意味ありげに見やれば、待ってましたとばかりに自慢げな表情。

羨ましくないと言ったら嘘になる。特別な存在がいることの安心感は、何事にも代え難いものだ。


「どこの誰よ?」

「ここの広報部門長」

「…え、佐倉顧問!?」


思わず声を上げてしまった私に、彼女は人差し指を口もとにあててウィンクする。だとしたら、よくやったものだと思う。合コンか、それとも伝手でもあったのだろうか。そう思えるほど佐倉という人間は人望もあり、何しろ顔が良い。


「今日この後暇だったら、紹介するわ」

「ぜひ…」


話したことはあるのだが、覚えられているかは微妙なところだ。残念ながら部門が違う私は、入社以降最初の研修くらいでしか接点がなかったのだ。

しかし彼なら、と私は僅かな期待を持つ。先輩のことを、もしかしたら聞けるかもしれない。


「だから、残念だけど今年の夏もあんたには付き合えそうにないわ…」

「気にしなくていいよ、いつものことじゃない」


毎年毎年、勇希には誰かしら相手がいる。変わらないこともあれば、ころころ変わることもある。彼女くらい美人でコミュニケーション能力があればそれくらい容易いのかもしれない。

それと、行動力があれば。


「あんただって、興味さえ出れば何処へだって飛んでいくくせに」

「私にとっては必要なことってだけで…」


向いているベクトルが違うのだから、仕方がない。違うからこそ、彼女とは長いお付き合いが出来ているのだろうとも思う。

互いの領分を侵さない。取り合いにならない。


「今年はどこか出かけたら?なんか最近、やけに元気みたいだし?」

「…え?」

「梅雨だってのに、顔色良いなんて春乃にしては珍しいことよね」


そう言われてハッとする。そういえば、今年はいつも悩まされる偏頭痛を、そこまで感じない。多少痛むことはあっても気にならない程度で済んでいる。


「なんでだろう」

「なんか良いことでもあった?」


何故だか分からない。分からないけれど、急に顔に熱が集まるのを感じた。別に誰の顔を思い浮かべた訳でもなく、ただ、彼女の言う“良いこと”に思い当たる節があることが恥ずかしくて仕方なかった。


「な…ない、そんなの、全然」

「へぇ~」


頬杖をついて、勇希はニヤニヤとこちらを見つめてくる。絶対にあらぬ誤解を生んだ、そんな気がする。

どこにでもありそうな女同士の会話の中で、どこにでもありそうな図星に自らが該当してしまうという事実が、どうしようもなく恥ずかしいのだ。


「いいんじゃない、そういうのも」


彼女は言うが、私にそれは必要ないと思っていた。

見たことや聞いたことはあるが、感じたことも無い。目に見えない感覚に頼るような感情は、どうしても受け入れ難いと思い込んで拒否していたからだ。

それが、今まさに私の目の前に突き付けられて、晒されて、敗北を悟る。


「誰も咎められないんだから。人間である証よ」

「人間…ね」


人間をモデルに、人間でないものを使役しようとする私たちが、否定できないものがある。人間は利器を駆使して自らを成長に導く。そんな努力は、生きている以上誰にも否定できない。

例え無意識に行われている努力だとしても、望まなかった努力だとしても、それは同じだ。


「さて、そろそろ行きましょうか」


そう言って連れられたのは、いつもは滅多に訪れることの無いスペース。無断で入っていけないことも無いのだが、自分以外の領域は何しろ緊張する。


「失礼しまーす。佐倉さーん」


パーテーションで区切られただけの休憩スペースだが、テーブルがいくつかと自動販売機、隅には喫煙ブースもある。きょろきょろと周辺を見渡していると、一人でパソコンに向かっていた男性が顔を上げた。

間違いない、記憶の中の顔と一致している。


「ああ、勇希か。どうしたの」

「友人を紹介しようと思って。この前の話に出てきた」

「乙葉春乃です…よろしくお願いいたします」


しどろもどろに自己紹介をしながら頭を下げる。


「君のことはよく勇希から聞いてる。よろしくな」


そう言って差し出された佐倉の手を握り返す。覚えられていたどころか、自身のあずかり知らぬところで勇希に紹介されていたなんて。

人見知りが少しある私にとって、第一印象が与える影響は大きいと思っている。そこで失敗すれば後々取り戻すことなどできないくらい。


「なんたって、あの角崎さんの後輩だからな」


そう言われて、思わず顔が引きつる。多少聞けたらなんて思っていた矢先に向こうから突いて来られたからだ。そんなことには気付きもせず、彼は無遠慮に私のことを観察した。

何も可笑しいところはないはずだが、慣れないことに緊張してしまう。


「あのっ…角崎先輩、とは」

「一時期お世話になっていたんだ。本当に優秀な人だ」

「へぇ…ちなみに、今はどちらに?」


口をついて出た質問に、自分自身の心臓がドクリと音を立てる。佐倉が答えるまでの時間が長く感じられ、この場にいることに耐えられなくなってくる。

佐倉は、ああ、と思い出したように口を開いた。


「…確か、海外出張中だったような」

「そう、ですか…いつ頃帰られるんですかね」

「予定ではもう帰国しているはずだったんだけど…あの事故で予定が狂っててなぁ」


飛行機事故。不自然にドクリと音を立てた心臓を無視するように努める。そんな訳が無い。


「大きい事故だったものねー」


けれど、きっとそれ以外にはない。


「…どうかした?」

「あ、ううん大丈夫」


確か日本人が乗っていて。彼が私の元に現れたのは、今月の頭で。

悪い方向へと考えてしまう頭を振り払うように首を振った。彼の行き先と事故の詳細を探れば、すぐにでも手掛かりは掴めてしまうだろう。


「もう、一ヶ月経つんですよね」

「ああ、我々も渡航規制されてる。夏までに解ければ良いけどな」


佐倉ですら知らされていないのか、もしくははぐらかしているのか。先輩の立場を考えればそこらの情報ももう出てこないように思えた。

やめよう。そういうことを本人以外から探るのはフェアじゃ無いような気がした。


「そういえば辞令は聞いたか?」

「え…?」

「まだだったみたいだな。自分の目で確かめてこいよ」

「そうだ、ずいぶんずれたけど噂になってたじゃないあんた!」


そうだった、と思い出す。死者戻りのことばかり調べていたし、雨で外出しなかったせいですっかり忘れていた。こんな私を使ってもらえる部署があるのならどこでもいい。本当に、どこでも。


「それこそ、角崎さんが聞いたら喜びそうだ」

「へ、あ、ええ…そうですかね」


私はただ曖昧に笑う事しかできなかった。久しぶりの出社で気疲れしたのかもしれない。


「私…あれだけお世話になったのに…あまり先輩について、いえ、全然…知らないんです…」


けれど、あまりにも彼のことを知らなすぎた。ここへ来てそれを痛感している。彼のことだ、私を選ぶ何らかの理由があったはずだ。

無差別に、そんな無関係の人間から選ぶはずがない。決してない。


「君が入社した頃にはもう、随分忙しそうだったからな…仕方ないよ」

「最近は元気そうでしたか?」

「元気だな。いつ寝てるのかってくらい飛び回ってるのに、いつ会っても変わらず元気で前向きな人だ」


じゃあきっと、自殺なんかはしないんだろうなとふと思う。考えなかった訳ではないのだ。ただ、日頃私の家に居着くあの彼が、自殺したような人間には見えなかった。

元気だとしたら、病気でもない。事故か過労死くらいのものだろう。


「元気そうなら、良かったです。全然挨拶できなかったこと、後悔してます」


入社したばかりの頃は確かに、すれ違うことくらいはあった。だが数年経って、もう顔すら見ていないし、家に押しかけられたときは本当に驚いた。

私を覚えていてくれたことに本当に驚いて、そして何より、嬉しかった。


「角崎さんも君のことはすごく気にかけているぞ。何だかんだと優秀な後輩を自慢されたもんだ」

「え…っ、それは大げさです!」

「そんなことないわよ。あんたが在宅許されてんのなんか、実績ありきでしょ」


此処は結果さえ出せばどこで仕事していいことになっているし、よくある会社とは違って研究機関という場所は人が集まる時間もまちまちなのだ。

真面目に定時を守る勇希は本当に偉いと思う。


「これからが大変だが、期待してるぞ、みんな」

「あ、ありがとうございます」


私は自身の分野に関しては誰に負ける気もない。ただそれだけが、心の支えだ。いつだって信じられるのは自分の実力だけ。そのためだったら、成果を上げ続けることもやぶさかでない。

それが例えば、先輩のためになるとしたら…きっともっと頑張れるのだろう。


「激励ついでにもう一つ。角崎さんがすごい勢いで出世して行ったのには訳がある」


一度佐倉は辺りを見渡して息を潜めた。意味ありげな行為に、思わず私たちは前のめりになった。


「彼はこの研究所を作るために一役買われたそうだ。学生時代の資産とか研究成果をすべてつぎ込んだらしい」


あ、と私は口を押える。彼は、学生時代から優秀で、頭一つ飛びぬけていた。学会では数々の賞を受賞し、実際に特許を取って企業との交渉も始めていた。


「それもこれも、ヒトのことを本当に想ってるって伝わってくるよ」

「何だか意外ね」


勇希がそう言うのもなんだか頷けた。確かに、掴みどころの無い、いつも飄々と人間を観察しているような彼のことだ。


「特に此処は、人間を助けるための組織だからさ」


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