008 ひとまず決着がついたみたいです
全てのヴィーリスを奪取した私は、残り一体のゴーレムを求めてアスフェン卿の屋敷へと向かいます。
その途中、私はピリピリとした空気を察知しました。
感覚が鋭くなってるみたいです、これも核の中にいるみなさんの力のおかげでしょうか。
「スノウさん、さすがにバレちゃったみたいです」
『そうか、九機も奪っておるからのう。仕方ないじゃろ』
『残りはあと一機ですわ、お姉さまの力があれば問題ありません』
「そだね、大丈夫だとは思うんだけど――」
気になるのは、最後の一機だけが屋敷の敷地内にあるということです。
あそこ、巨大なゴーレムさんを隠せるような場所はなかったと思うんですが。
私はエネミアの教会をてっぺんまで登り、高い位置からアスフェン卿の屋敷を見下ろしました。
すると――ゴゴゴゴゴ、と周囲に地鳴りが響き、屋敷の庭から砂煙があがります。
『お姉さま、なにか出てきますわ!』
「あれは……!」
庭が開き、下から何かが出てきているではないですか。
砂幕が晴れ、その向こうから現れたのは――赤いゴーレムさんでした。
ずんぐむっくりなヴィーリスとは違い、よりスマートになった、神話に出てくる不死鳥を思わせるフォルム。
胸部のコクピット周辺には、ミスリルとは明らかに異なる鉱物で作られた、エメラルド色のパーツが取り付けられています。
ヴィーリスと異なり、腕部の魔術砲も腰にさげられた魔術剣も見当たりません。
代わりに、その両手には二又に別れた赤い剣が握られていました。
『なるほど、あれが切り札というわけじゃな』
『アナリア様、まずは隠れた方がいいですな。あの機体、どうやら探知魔術と同じ類の機能を持っているようですので』
ティサは見ただけでそれに気づいたみたいです、さすがですね。
私はすぐに教会のてっぺんから降りました。
そして建物の影に隠れてその様子を覗き見ると――ゴーレムさんの青く光る瞳が、こちらを見ていました。
ですがざっくり教会周辺を見ているだけで、私が隠れていることまでは見抜けてないみたいです。
『対ゴーレム用に作られたものですので、精度が人間サイズの物体を追えるほど高くないと思われます』
『つまりアナリアさまはまだ見つかってないってわけだな!』
次々と核の中からアドバイスが聞こえてきます。
ひとりじゃないって心強いですね、私だけだったらとっくに見つかってたと思います。
『どうする、逃げるか? それともヴィーリスで応戦するか――』
「スノウさんはあのゴーレムさん、どう思います」
『明らかにヴィーリスよりも高性能機じゃな。関節を見よ、束ねた糸のようなものが見えるじゃろ?』
スノウさんに言われて初めて気づきました。
確かに、関節部からは鈍色をした太い糸が見えます。
『あれはおそらく、ミスリルを糸状にして束ねたものと思われる』
「そんなもの作れるんですか?」
『どうなんじゃ、ティサ』
『理論上不可能ではありません。しかし王国の持つ技術では再現不可能ですな』
『だ、そうじゃ』
ヴィーリスは、そのままミスリルの塊をくっつけたような機体です。
なので人間と同じように動こうとしても、ぎこちなさが出てしまうんです。
あれだけの巨体ですから、仕方のないことだと思っていたのですが――あの赤いゴーレムさんなら、その問題も解決できるのでしょうか。
「となるとますます、あのゴーレムさんが欲しくなっちゃいますね」
私は自分が乗るところを想像して、思わずにやりとしてしまいました。
『発想が山賊のそれじゃな』
『ワイルドなお姉さまも素敵ですわ!』
どんなときでもポジティブに褒めてくれるテーリアが私も大好きです。
それはさておき、奪うと決まれば、戦うしかありません。
できればアスフェン卿には顔を見られたくありませんし……と、領内の人に気づかれるのもできれば避けたいですね。
いきなり巨大なゴーレムさんが現れたことで、町の人々は混乱しています。
すでに避難を始めている人もいますし、早いところヴィーリスに乗り込まないと。
『アナリアよ。どうせ乗るのなら、奪ったばかりの新品を使うとよいじゃろ』
『今日のためにアスフェン卿のクソ野郎が綺麗に整備してくれていたそうですから』
「まあ。それならしっかり使ってあげないと、ゴーレムさんもかわいそうですね」
ゴーレムさんも、私たちの領地を一方的に破壊するよりは、同じゴーレムさん相手に戦った方が本望でしょうから。
私はひとっ飛びで町の外まで移動すると、無能核の付いた手をかざし、ヴィーリスを呼び出します。
そして気づかれる前にコクピットに飛び乗ると、すぐさま魔術砲を敵ゴーレムさんに向けました。
ドウンッ!
反動とともに放たれた光る球体は真っ直ぐに敵に飛来し――しかし、振り払った剣に弾き飛ばされてしまいます。
流れ弾は山に当たり、地面をえぐって地形を変えてしまいました。
『くっくくく……ふはははははははっ! 送還者よ、ヴィーリスごときでこのアスフェン・トレミュラー操る“エルプティオ”に太刀打ちできると思ったか!』
エネミアの町に、アスフェン卿のハイテンションな声が響きました。
あ、やっぱり乗ってるのは彼なんですね。
もちろん私は返事しません。
『だんまりか。よかろう、ならばコクピットをこじ開けて、無理矢理にでもその正体を暴いてやるぞ、送還者!』
そう言うと、エルプティオと名乗ったゴーレムさんは、走りながらこちらに近づいてきます。
――足元には、逃げてる領民がいるっていうのに。
「アスフェン卿、あなたという人は……!」
兄様を殺そうとしたり、アノニス領に攻め込もうとしたり、人の命をなんだと思っているんでしょう。
『さっきから彼が言ってるディポなんとかって、何なのかしら』
『我にもわからん、追い詰められて頭がおかしくなったのではないか?』
「だったら頭をひっぱたいて、正気に戻してからもう一回ひっぱたきます!」
戦いとかはあんまり好きじゃないですけど、あの人だけは許せません。
近づいてきたエルプティオは、握っている剣の一方をこちらに向けました。
すると割れた刃の間で、バチバチと音を立てながらエネルギーが充填され始めます。
『なるほど、魔術砲が無いと思ったが、あれが代用品か』
あれは剣だけでなく、銃としての役割も持っている――
『サベージブレード・ガンモードだ!』
バシュンッ!
その先端から、矢のような形をした紫色の魔力が放たれます。
私の操るヴィーリスは横に飛び回避しました。
すると背後にあった地面が、じゅっと溶けるように消失しました。
『魔力増幅率も上がっておるようじゃのう』
それでも、まだ私のヴィーリスの方が強いです。
確かに動きは早いかもしれない、でもそれはA級魔術師のアスフェン卿が操っている割にはというだけ。
私は着地と同時に一気に距離を詰め、金属の拳でエルプティオに殴りかかりました。
『ぐっ……ヴィーリスのくせにこのスピードは!?』
そしてゼロ距離で、拳の当たった肩に魔術砲を発射。
ゴガァンッ! と敵を吹き飛ばします。
「腕ぐらいは持っていけると思ったんですが」
『魔術皮膜の強度も上がってるんですわ、どこまでも憎たらしい男ですわね』
機体に罪は無いんですが、乗ってるのが彼なんでそうなっちゃいますよね。
ヴィーリスの表面にも、操縦者の魔力の高さに応じた、魔術皮膜が薄く広がっています。
それで、ある程度の敵の攻撃は止められるのです。
しかしエルプティオのそれは、魔力増幅率が向上したおかげか、さらに丈夫になっていました。
『チッ、ラートはまだなのか……いや、奴ばかりを頼りにはできん。私が一人で、送還者を倒してみせようではないか!』
ほんと、でぃぽーたーって何のことなんでしょう。
ラートとか知らない人の名前も飛び出してきましたし――彼の裏にいる組織とやらが関わってるんでしょうか。
『エルプティオの真なる力を見せてやろう!』
まだちょっとしかやりあってないんですが、見せるの早いですね。
アスフェン卿はそう言うと、両手に握った剣を前に突き出し、そして重ねて一つにしました。
すると剣が変形し、一つの巨大な剣――いや、巨大な銃へと形を変えます。
『サベージブラスター!』
バチバチと二又刃の間で魔力が音を立てながらスパークしたかと思うと、彼の握る剣は根本から一気に岩に包み込まれました。
先端は尖っており、まるで私を狙う矢じりのようです。
「地属性魔術……!」
『確かあの男、地祇核のA級魔術師だったな?』
「そうだったはずです」
ゴーレムさんは、魔術具の延長線上にあるもの。
ただ何も考えずに魔力を注ぐだけで、誰でも力を振るえる、それが利点だったはずです。
しかしその代償として、個人の持つ属性を活かすことはできませんでした。
例えばヴィーリスには魔術砲と魔術剣武装がありますが、そのどちらも、注がれた魔力を熱量に変えて放つという単純なものです。
しかしあのサベージブラスターとやらは違います。
操縦者の属性に応じた力を扱うことができるのです。
『喰らえぇいッ!』
放たれる巨大な岩の塊。
それは魔術砲と同程度の速さでこちらに迫ってきました。
『さすがにあれは受け止めるには危険じゃ!』
スノウさんがそう警告しますが、私には避けられない理由があるんです。
背後には、逃げ惑うエネミアの人々が――トレミュラー領の領民だとしても、見捨てるわけにはいきませんでした。
ガゴォンッ!
私はサベージブラスターを、クロスさせた両手で受け止めました。
しかし皮膜は気休め程度、ヴィーリスはその破壊力をモロに喰らい、大きなダメージを受けてしまいます。
「ぐうっ!」
私も激しい揺れに、思わず苦しげな声を漏らしてしまいます。
『お姉さまぁっ!』
「大丈夫です、テーリア。怪我はありませんから」
ただし、ヴィーリスの両腕はダメになっちゃったみたいですけど。
どうしましょう、足だけで相手できますかね。
『どうだ、これがエルプティオの必殺兵装サベージブラスターだ! これを食らってしまっては、ひとたまりもあるまい!』
勝ち誇るアスフェン卿が限りなくうざったいです。
自分の領民を手に掛けようとしたこと、この人わかってないんでしょうか。
すると遠くから、別のゴーレムさんの足音が近づいてきます。
色はヴィーリスと同じくミスリルむき出しの銀色。
しかし全体的に細く、かなりの軽量化が施されているようです。
色はヴィーリスに近くとも、形はエルプティオに近い――そんな外見をしていました。
『アスフェン卿、助太刀いたします』
『これがプレティオーサ……ふん、本当に第二世代量産機なのだな。まあ、勝てればなんでもいい。送還者よ、これで三対一だ、素直に敗北を認めるべきではないのか?』
確かに大ピンチですね、両腕の使えないヴィーリスでは、あの三機を相手するのは難しいでしょう。
ですが、私が負けを認めることはありません。
『返答ナシ……か。ならば私直々に、貴様にトドメを刺してやろう! このサベージブレードでな!』
エルプティオが赤い刃を振り上げると、流し込まれた魔力によって光る刃が作り出されました。
彼はそれを躊躇なくヴィーリスに叩きつけ――私の乗っていたゴーレムさんは、ずばっと斬られてしまったのでした。
『くははははははっ! ざまあ無いな、私に逆らうからこうなるんだよ! さて、さんざん邪魔をしてくれた送還者の面を拝んでやるか』
アスフェン卿は、裂けた装甲から見える操縦席を覗き込みます。
『……無人、だと?』
しかしそこには、誰もいません。
なぜなら斬られる直前に核の中に逃げ込み、そして――今度は三機のヴィーリスで出撃したのですから。
『ヒャッハー! あたしの力を見せてやるぜい!』
『人間どもに、魔術師としての格の違いを見せてあげましょう』
「よろしくお願いします、フレイ、アイシャ!」
もちろん、これらのやり取りが聞こえているのは三機の間でだけです。
アスフェン卿には、いきなり音もなく敵が現れたようにしか見えていないでしょう。
『馬鹿な、どこから現れたっ!?』
核の中からですよ――なんて言っても、わからないと思いますが。
不意打ちに対する戸惑いからか、エルプティオが一歩後ずさりました。
ニ機のプレティオーサも同様に反応しきれず、
『フレイブレェェェェド!』
一機はフレイの魔術剣に斬られ、
『撃ち抜かせていただきます』
もう一機はアイシャの魔術砲で射撃され、
「てええええぇぇいっ!」
そしてエルプティオは、私の渾身のパンチを顔面に喰らい、大きな損傷を受けます。
『くそっ、こちらは第二世代機だというのに、なぜパワー負けする!?』
『フレイとアイシャは、人間で言うところのSS級魔術師並の力じゃ。機体の差だけで勝てるわけがなかろうよ』
アスフェン卿の疑問に、スノウは得意げに答えました。
もちろん、その声が彼に届くことはないのですが。
「せいっ、せいっ、せえいっ!」
私たちは攻撃の手を緩めません。
よろめいたところに容赦なく拳を、剣を、砲撃を叩き込んでいきます。
あっという間に形勢は逆転、すぐさま二機のプレティオーサは行動不能になり、そしてエルプティオは私のヴィーリスに馬乗りになって組み敷かれました。
『や、やめろっ、やめろおっ!』
私はエルプティオの顔面を、何度も何度も殴りました。
ガスン、ガスンと金属同士がぶつかりあう、重たい音を響かせながら。
アスフェン卿の戦意がなくなり、機体を放棄して無様に逃げてくれるまで、やめるつもりはありません。
『こんなはずじゃなかったのに……十機だぞ、それだけ機兵がいれば……あぁ、ラート、ラートはどこだ!? お前も共犯者じゃないか、私を助けろよぉっ!』
泣き言なんて、情けないったらありゃしません。
『こんなのと正式に婚約してたら大変でしたわね、お姉さま』
「まったくですっ!」
私はその怒りも込めて、拳を振るいます。
『いないのか……? 誰も、私を助ける人はっ! 使用人は、領民は何をしている!? 私がここにいるんだぞっ!?』
……反省しないですね、この人。
あんまり機体を壊したくなかったんですが、仕方ありません。
私はコクピットを守る装甲をべりっと剥がしました。
そしてヴィーリスの指先を、青ざめた顔でわめくアスフェン卿に近づけていきます。
『あ……あぁ……嫌だ、私は……私は死にたくないっ、殺されるほどのことはしていないっ!』
それは結果論です。
私たちが止めたから何も起きませんでしたが、そのまま放置されていたら――私も含めてみんな死んでいたんですから。
『う、く……ひいぃっ、わかった、わかったから、もう私を……これ以上は……う、うわあぁぁぁぁああっ!』
恐怖の限界に達したのか、彼はコクピットから這いずり出て、そのまま機体から飛び降りました。
そして、転がり、砂まみれになりながらどこかへ走り去っていきます。
これで問題なく、エルプティオをいただくことができそうです。
私は彼が十分に離れたことを確認すると、ヴィーリスから降りて、エルプティオの回収を行いました。
するとフレイとアイシャもコクピットのハッチを開き、直接私に声をかけます。
「こっちのパイロットも気絶してるみたいだから、そのまま中に入れて問題ないぜー!」
「こちらも同じです」
ということなので、プレティオーサと呼ばれた二機も、核に入れて、お仕事完了。
パイロットの尋問は、スノウさんがやってくれることでしょう。
そしてフレイとアイシャ自身も、ヴィーリスごと回収し――私は、ひとまずアノニス領に戻ろうと移動を開始しました。
するとそんな私を呼び止めるように、テーリアとスノウさんが言います。
『お姉さま、それだけでいいんですの?』
『うむ、命を狙ってきた相手に対して甘すぎると思うぞ』
「そうですかね……」
ゴーレムを十二機ももらったんですし、十分だと思うんですが。
しかし二人はご不満な模様。
まだ何かをもらっていけと?
『ぶっちゃけて言うと、我らの寝床が欲しい。十人も増えたじゃろ? こやつらを雑魚寝させるのはさすがに忍びない』
「つまり、建物ですか」
『ええ、ちょうどいい建物が近くにあるではないですか』
もしかして……アスフェン卿の屋敷のこと、言ってます?
確かに、中にいた人たちは避難して外に出てますし、奪おうと思えば建物だけ奪えるでしょうけど。
うーん、やりすぎな気もしますが、でもそれぐらい奪わないと、アスフェン卿がまた何かを企む可能性もあります。
……やっちゃって、いいかもしれないですね。
私は踵を返し、地面を蹴って町を飛び越え、アスフェン卿の屋敷に着地します。
そういや、彼のご両親の姿を見てないですが、何してるんでしょう。
まあ、それは私が気にすることじゃありません。
ちゃちゃっと壁に核を当てて、『入れ』と念じると――瞬時に、目の前から屋敷が消え去ります。
残ったのは、更地だけ。
何度見ても凄まじい光景です。
『おおおぉーっ!』
中からすごい歓声が聞こえてきました。
うまくいったみたいです。
私はすぐさまその場から離れ、誰もいない山の中で、核の中がどうなっているのか確認しました。
入ってすぐに見えたのは、先ほど入れたばかりのアスフェン卿の屋敷。
山もそうでしたが、この規模の、二階建ての屋敷が中にあるって、なかなかのインパクトです。
ゴーレムもいっぱい並んでますし。
ああ、順調に国が大きくなっていく……。
「魔王城に比べれば小さいものじゃが、悪くはないのう。しかしいつかは、魔王城よりも大きな建物を作りたいものじゃ」
スノウさんは腕を組みながら、建物を見上げ言いました。
本当にできそうなので私は怖いです。
私が頬を引きつらせながら、「食料もあるぜ!」、「ベッドも悪くありません」などと各々に喜ぶ魔族たちを観察していると、テーリアがこちらに駆け寄ってきました。
そして腕を絡め、頬を赤らめながら言います。
「この中だったら、兄様たちの目を気にせずに二人きりになれますわね」
その小悪魔めいた上目遣いの表情に、私の心臓が高鳴りました。
こちらもこちらで、私は引き返せないところまで来てしまったようで。
もうテーリアをただの妹として見ていた頃には、戻れないのでしょう。
◇◇◇
こうして、私たちはアスフェン卿の野望を砕き、戦利品を手にアノニス領に戻りました。
ゴーレム同士の戦闘に、フュンネル伯の屋敷の消失――そんな大事件が兄様と両親の耳に届くまで、そう長い時間は要しませんでした。
もちろん私は、兄様に「やりすぎだ」と軽く怒られました。
やっぱりそうなりますよね。
ですが同時に、アノニス領を救ったことを褒めてもくれたので、プラマイゼロ……いや、プラスの方が多いぐらいでした。
得たものは多く、失ったものはほぼゼロ。
アスフェン卿の裏にいる組織に関してはまだわかっていませんが――ひとまずこれで一件落着、ってことでいいですよね。
でもちょっと気になることがあって……スノウさん、アノニス領に戻ってくる前に、一度「用事がある」と言って外に出てったんですよね。
今はもう戻ってますけど、何をしてたんでしょうか。
◆◆◆
「はっ、はっ、はっ……」
アスフェンは、茂みを走り続ける。
すでにアナリアは彼を追ってはいない。
しかし彼の足が止まることはなかった。
とにかく、逃げなければ。
そんな強迫観念が、彼をエネミアの町から遠ざけていた。
「はっ、はあぁっ、あ……」
息を切らしながらも走ってきたアスフェンが、初めて足を止める。
視線の先、薄暗い木陰に立つ、人影を見つけたのだ。
黒い髪に、山羊のような角――スノウであった。
「魔族、だと?」
木の幹に背中を預けていた彼女はアスフェンの方を向くと、ゆっくりと彼に歩み寄る。
その右腕はずるずると、二人の男の死体を引きずっていた。
プレティオーサに搭乗していた、仮面の男たちである。
スノウはアスフェンの前で立ち止まると、その体を彼の前に投げ捨てる。
そして、うんざりとした様子で言った。
「尋問しようと思ったんじゃが、とっくに死んでおった。前回の失敗を踏まえての反省ということじゃな」
仮面の男の一方は――アナリアとスノウが出会ったときに襲ってきた、ヴィーリスのパイロットだ。
あのとき、スノウを仕留めそこねた上に機兵まで奪われた男は、『今度失敗したら死んでもらうから』とでも脅されてプレティオーサに搭乗したのだろう。
そして無事、作戦に失敗し、仮面に仕込まれた毒針によって殺害された。
「そいつらは……お、お前は誰だっ!?」
「スノウ・ガランサス。おぬしには、魔王スノウと言った方がわかりやすいかのう」
「アノニス領で行方不明になった魔王……! そうか、送還者ではなく貴様の仕業だったのか!」
「くかかかかっ! まあ、遠からずと言ったとこじゃな。そう思っておけばよい」
アナリアの名前は断じて出さないし、アスフェンもまさか彼女が絡んでいるとは想像すらしていないだろう。
「私を殺しにきたのか?」
明らかに怯えながら、彼は問いかけた。
するとスノウはにやりと笑う。
「どうじゃろうなあ」
「私はトレミュラー家の長男だぞ。次期伯爵なんだぞっ!?」
「そうらしいのう」
「簡単に、くたばってたまるかよおおおおッ!」
アスフェンが叫ぶと、スノウの背後で茂みががさっと動いた。
そして現れたのは――フュンネル・トレミュラーとサヴィア・トレミュラー。
彼の両親であった。
スノウが軽く腕を振ると、襲いかかってきた二人は真っ二つに両断され、動かなくなる。
腐臭が周囲に漂い、彼女は顔をしかめた。
「やはりそうか。貴様、両親を殺しておったな?」
アナリアも違和感に気づいていたが、あのとき屋敷から避難した人々の中に、フュンネル伯の姿はなかった。
真っ先に逃がすべきなのに、だ。
それに、まだ爵位を継いでもいないアスフェンがここまで好き勝手できるのも、妙な話である。
だがこれで謎は解けた。
彼の両親はとっくに死んでおり、そして死者を操る魔術――おそらく冥闇核のSS級魔術師の仕業だろう――によって生きているように見せかけられていた。
しかしこれだけの腐臭がしていれば、嫌でもバレる。
そのために、屋敷には置いておくわけにはいかなかった。
使用人たちには、別荘にでも出かけているとでも伝えてあったのかもしれない。
「だからどうした! 力のある者が権力を得る、それは当然のことだろう!」
「そう怒るな、我にとってはむしろ都合の良いことじゃ」
「都合が……?」
困惑するアスフェンに対し、スノウは邪悪に笑う。
「両親を手に掛けるほどのクズならば、気持ちよく殺すことができるじゃろう?」
そして首をかたむけながら、そう言い放った。
ぞくりと粟立つ、アスフェンの肌。
絶対に殺される――そう確信してしまうほどの、強烈な殺気だった。
「ひっ……く、くそっ!」
スノウに背中を向けて、彼は逃げ出す。
彼女はゆうゆうと歩きながらそれを追った。
「は、はぁっ、何のために……なぜ、魔族が私を殺す!?」
「強いて言うのなら、惚れた女のためじゃな」
「そんなふざけた理由でえぇッ!」
「ふざけておるのは貴様の方じゃろう、他人の力に頼ってばかりのくせに、偉そうに振る舞いおって」
全力で走っているはずなのに、スノウとの距離が変わらない。
いや、むしろ近づいているような気すらする。
向こうは歩いているはずなのに、なぜ、振り向くたびにそこに彼女がいるのか。
理解できない。
逃げ切れない。
だが止まれば殺される。
「死んでたまるか。私は伯爵だぞ、貴族だぞ、選ばれし、死んではならぬ人間なのだッ!」
必死で駆けるアスフェンだったが――突如景色が開け、道が途切れた。
崖だ。
落ちれば即死必至の断崖絶壁が、彼の逃走路を遮っている。
「くかかかかっ、神にも見捨てられたようじゃのう」
スノウの笑い声が近づく。
アスフェンの背中は冷や汗でじっとりと湿っており、これだけ走って、息も切らしたというのに、体は驚くほど冷え切っていた。
まるで、死体のように。
「来るな……」
「貴様のような人間は、何度でも過ちを繰り返す」
「来ないでくれぇ……」
「あやつが知ったら嫌われるかもしれんが」
「頼む、私は死にたくないんだよぉおおおおッ!」
「しかし、こういった連中を相手にするとのう――」
叫ぶアスフェンの肩を、スノウは軽く押した。
たったそれだけだ。
それだけで――彼の体は、奈落の下へ真っ逆さま。
「殺す以外に解決策が無い場合も、よくある話じゃ」
遠ざかる叫び声。
だがパンッという小さな音が響くと、同時に声もぷつりと途切れた。
確認するまでもなく、アスフェンは絶命した。
「……アナリア、おぬしにはいつまでも美しくあって欲しい。手を汚すのは、我だけで十分じゃ」
誰に向けるわけでもなく、スノウは独りつぶやいて――その場から、静かに立ち去った。
一章はここまでです。