013 学園が大変ですがそんなことより私の出番が無いみたいです
シレーネは、幼馴染のラーシュナ、そして友人のパーシカの失踪原因を探るため、夜の魔術学園に足を踏み入れた。
魔術学園には二つの棟がある。
東が魔術科棟で、西が技術科棟だ。
二つの科は授業内容が全く違うため、異なる施設で学んでいる。
だが渡り廊下で繋がっており、さらに食堂は共通であるため、違う科同士のシレーネとラーシュナでも、休み時間に会うことはできた。
しかし、魔術科であるシレーネが、技術科棟そのものに入ったことはほとんどない。
地図は頭に叩き込んであるが、宿直や、徹夜で研究室に引きこもる人間の行動パターンまで読むのは不可能だ。
それだけに、慎重な行動が求められた。
ただでさえ謹慎中だ、見つかれば退学の危険だってあるし、それ以前に“暗部”に触れれば、二度と外に出してもらえない可能性も考えられるのだから。
まずシレーネは校舎の裏側に回る。
表よりも更に暗いその場所で、窓に手を伸ばし、鍵の開いている場所は無いか一つずつ確認していった。
正面玄関は開いているが、夜は事前に許可を取った者、あるいは教員しか出入りはできない。
謹慎中のシレーネが、堂々と通れるはずもなかった。
背伸びをして手を伸ばし、窓枠を掴み――を繰り返していると、校舎の中央より少し奥に進んだあたりで、窓がレールを滑る間隔があった。
「ビンゴっ」
運動神経もなかなか悪くないシレーネ。
彼女は飛び上がると、フレームにしがみつき、棟の中に侵入した。
そこは技術科棟一階の、魔術具実習室のようである。
広めの、腰ほどの高さの机が九つ並び、壁際に並んだ棚には授業で使われる器具や見慣れぬ薬品が収められている。
そのせいか、独特の鼻をつくような匂いが充満していた。
右手には準備室、中にはさらに専門的な道具が詰め込まれている。
「ここには何も無さそうかな……いや、念のため見とこう」
もし、技術科棟のどこかで秘密の研究が行われているのだとしたら、そしてラーシュナはそれを見てしまったばかりに誘拐されたのだとしたら――研究室は、普通の生徒が立ち入らない場所にあるはず。
四つん這いになり、机の下や教壇の裏、そして床をくまなく探索していくシレーネ。
だが、この部屋には何も無いようだった。
次は準備室へ。
実習室よりは広いが、物が多く、実質的に倉庫として使われているようだ。
棚の中には危険そうな薬品や、薬液に漬けられた魔術核の入った瓶が並ぶ。
「これ、死体の手から摘出したものなんだよね……」
思わずシレーネは自らの魔術核を撫でた。
これが切り取られるなんて、考えたくもない。
「そういえば、コアハンターなんて話もあったなあ。おっかない噂だと思ってたけど……ラーシュナとパーシカのこと考えると、あながちただの噂でもなかったりして」
コアハンター――それはミーネの郊外で、手首の無い死体が発見されたことに端を発する、一種の都市伝説である。
とは言え、死体が見つかったのは一度のみ。
そのときは切り取られた手首は近くで見つかっており、一説によると高価なブレスレットを引き抜くために、犯人が強引に切断したのではないかと考えられている。
しかし、数ヶ月前からミーネで失踪者が増えているのは事実だ。
それがラーシュナやパーシカと関係あるかはさておき、町ではその失踪者たちも、コアハンターの仕業だと言われ恐れられていた。
「……ここは何も無さそうかな」
一通り探索を終えると、準備室を出て実習室へ戻る。
そして内鍵を外し、実習室から廊下へと移動した。
ここの鍵が開いていることがバレたら、警備の人間は侵入者の存在に感づくかもしれない。
あまり長居はしない方がいいだろう。
今日は一階だけにターゲットを絞り、シレーネは隣の部屋のドアに手を伸ばした。
だが、開いていない。
よく考えてみれば、無事に校舎内に侵入できたところで、部屋に入れるわけではないのだ。
「考えなしに動きすぎたかな……」
シレーネはそういうところがある。
友人二人が失踪し、冷静さを欠いている今、やらかすフラグはきっちり立っていた。
とは言え、だからと言って諦めるシレーネではない。
その気になれば鍵を溶かせばいいだけだし、ひょっとすると他にも鍵を閉め忘れた部屋があるかもしれない。
そう前向きに考え、探索を再会した。
結局一階は諦め、二階へ移動。
途中で見回りの警備員と遭遇しそうになるも、階段の陰に身を隠してどうにか回避した。
どうやらこのフロアには、まだ残っている学生がいるようだ。
シレーネから見て奥の方にある部屋から明かりが漏れている。
学生のいる階で、わざわざ機密を扱うだろうか。
優先度が低いと考え、二階の探索は後回しに。
次は最上階――三階へと移動する。
階段をのぼると、角に背中を貼り付け、廊下の様子を伺う。
見ていると不安になるほど、ひたすらに真っ暗だ。
聞き耳を立ててみても、聞こえてくるのはシレーネ自身の吐息だけである。
誰もいないことを確認し、一歩前へ――出ようとした瞬間、どこからともなく“カツン”という足音が響いた。
自分のものではない。
慌てて再び角に身を隠すシレーネ。
そして同じように廊下の方を覗き込むと、奥にある階段から、誰かが三階までのぼってきたようだ。
「先生……!?」
それはシレーネの担任教師、スフラ・フォロックスであった。
眼鏡にキツイ目つき、そしてピンと伸びた背筋――いかにも“できる女”といった風貌のスフラだが、シレーネは彼女が何かを隠していると確信していた。
でなければ、ホームルームのときにあそこまでわざとらしく『休学しました』などとは言わないはずである。
どうやらランプを持って、彼女は何かを探しているようだった。
まだ距離はある。
それでも緊張から足は竦むし、冷や汗がだらだらと流れている。
見つかれば、友人たちと同じく消されてしまうかもしれないのだから。
だが、その友人の行方を知るチャンスだ。
ギリギリのラインまで、逃げるつもりはなかった。
カツン、カツン――ヒールが床を叩き、スフラは少しずつシレーネに近づいてくる。
このままどこの部屋にも入らず、こちらまでたどり着くのか。
それとも、秘密の部屋への入口を教えてくれるのか。
後者であることをシレーネは祈る。
すると彼女は、廊下に置かれた金属製のボックスの前で足を止めた。
それは掃除道具箱だが、普段は魔法で掃除を行うため、滅多に使われることはない。
昔の名残で置かれ、そのまま放置されているので、かなり錆びついていた。
スフラはランプで縦長の箱を照らし、じっとそれを見つめた。
やがて大きく息を吐き出すと、取っ手を握り、立て付けの悪い扉をガタガタと揺らし、強引に開けた。
すると――ずるり、と人の体が中から現れる。
「ひっ……!」
シレーネは思わず声をあげ、すぐに手で抑えた。
しかしもう遅い。
「だ、誰かいるのっ!?」
スフラは声に気づき、ランプをこちらに向けた。
まずい――そう思ったシレーネは、脱兎のごとく一階まで駆け下り、そして入ってくるときに通った実習室に滑り込んだ。
幸い、警備員はまだここを通っていないのか鍵は開いたままである。
そして窓から外に出て、寮を目指して駆ける。
「あれ、死体だった……」
あんなに力なくだらりと倒れ込んだのだ、そうに違いない。
やはりスフラはあちら側の人間だったのだ。
ラーシュナとパーシカの失踪にも関わっており、次はシレーネがターゲットにされているに違いない。
友人を助けたいという気持ちは確かにある。
けれど、怖かった。
立ちはだかる敵は、十六歳の少女が立ち向かうには、あまりに大きすぎたのである。
◆◆◆
スフラ・フォロックス、二十九歳独身。
艶のある青い髪に、整った顔つき、出るとこは出ており、引っ込むところは引っ込んだ、理想的な体型。
唯一のコンプレックスは、鋭い目つきぐらいだろうか。
彼女は、我ながら悪くない外見だと思っている。
だがなぜか、昔から後輩に『お姉様』と慕われることはあっても、異性から言い寄られることはなかった。
ゆえに、いまだ男性との交際経験はなし。
そうこうしている間に三十路前。
知人たちが次々と結婚していく中、ただただ焦りだけが、彼女の中に積もっていった。
ちなみに彼女、外見のせいでキツい性格だと思われがちだが、実際は非常に臆病で不器用で、かつ天然な女である。
具体的に言うと、かつて魔術学園に通っていたころ、親友だと思っていた相手が、実は自分と交際しているつもりだったことに三年間気づかなかったりした。
卒業後、同棲を提案されたときそれに気づき、相手を号泣させたらしい。
余談だが、その相手とは今でも親友で、たまに変な視線で見られるのが悩みなんだとか。
それはさておき、他にも彼女の天然エピソードはいくつもある。
王宮魔術師の試験会場を間違え受けることすらできなかったとか、パジャマで出勤してきただとか、一時間まるまる予定と全く違う授業を行い生徒を困惑させたりだとか――
最近は件の親友が隣に越してきたおかげでずいぶんと表に出ることは減ったようだが、それでも彼女のポンコツっぷりは衰えることを知らない。
その姿を一番近くで見てきた親友は、彼女のことを『ハリボテ女』と呼んでたりするぐらいである。
さて、そんなスフラには、最近大きな悩みがあった。
それは――『なんだか気づかないうちに大きな陰謀に巻き込まれてる気がする』、というものである。
最初の発端は、魔術科と技術科の学科長たちが物陰で話しているところに、軽く挨拶をしにいったとき。
正直、彼らが何の話をしているのかよくわからなかったので、スフラは適当に相槌を打っていた。
するとどうやら、彼女はこちら側の人間と思われてしまったようなのだ。
それから他の教員にも紹介され、さらにわけのわからない話に巻き込まれ、極秘で開発されている機兵を見せられたりと――気づけば、学園の“闇”にがっつり巻き込まれていた。
とはいえ、それでも自分が巻き込まれるだけなら、適当に流しておけばいいだけだ。
学科長からも気に入られてるようだし、これでボーナスが上乗せされるならそれでいいかな、ぐらいに考えていたのだが……生徒が失踪したとなると、話は別である。
まさか同じ学園で働く教員が、生徒の命をも奪うような人間だと思っていなかったスフラは、酷く困惑した。
隣に住まう親友は、そんな彼女を落ち着かせようと、家飲みに付き合ってくれた。
そのどさくさで親友に押し倒されたが、軽く張り倒したらしい。
おかげで気持ちは晴れたが、それでも悩みが解消されたわけではない。
しかし、ここで自分が味方でないことがわかれば、スフラの身も危ない。
結局、現状維持で身の安全をキープするしかないのである。
だが、そうして日和っている間にも事は進み――ついに、自分のクラスからも犠牲者が出てしまった。
魔術科の学科長からは、『いやはや、また休学者が出てしまったようだ。嘆かわしいことだねえ』という言葉と悪そうな笑みとセットで押し付けられた。
それが彼らの仕業であることは明らかだったが、スフラには、言われたとおりに生徒たちに伝えることしかできなかったのである。
シレーネに睨まれるのは当然のことだ。
自分はそれだけのことしている。
罪悪感に押しつぶされそうで、けれど逆らう恐怖もあって、板挟みになった彼女は――
『よくわかんないけど落ち込んでるスフラがエロいから押し倒すね』
という親友の一言に背中を押されて、生徒の捜索を開始したのだ。
ちなみに襲いかかってきた親友は本気のビンタで撃退された。
そうしてやってきた、夜の校舎。
手にはランプをぶら下げ、警備員から借りた鍵をポケットに入れ、スフラはラーシュナの通っていた技術棟から調べることにした。
仲間と思われているのなら、直接本人たちから聞けばいいだけの話なのだが――不思議と、誰もラーシュナの行方については知らなかったのである。
流れていたのは、ただ『消された』という事実だけ。
つまり手がかりを探すためには、スフラが自身の足で歩きまわり、情報を稼ぐしかなかった。
「夜の校舎って、なんでこんなに怖いのかしら」
ランプを握る手が震えている。
それでも生徒たちのことを想い、足に力を込め、スフラは三階の探索から開始することにした。
部屋の中を淡い明かりが照らす。
ちなみに、秘密の研究室へと繋がる扉は、一階のとある部屋に隠されている。
彼女が三階を最初にしたのは、最後に本命に向かうためだった。
つまり、このフロアに何かがあるとは思っていなかったのだ。
ダメで元々、何も見つからないだろうと高をくくって廊下を歩き、
「ぅ……」
掃除用具箱から聞こえてきたうめき声に、声も出ないほど恐怖した。
(う、ううう嘘、よね? まさかここでいきなり何か出ちゃうなんて。もしかして、ゆゆっ、ゆゆゆ、幽霊……とか?)
声は出ないが、ビビリ方は相当である。
固まっているだけなので、他人から見てもわかりづらいかもしれないが。
(勘弁してよぉ、生徒がいなくなったってだけで相当怖いのにいぃぃぃ!)
だが、開かないわけにもいかない。
スフラはランプを用具箱に近づけ、取っ手を掴み、開こうとしたが、立て付けが悪いのか思うように扉が動かない。
しかたないので、『ええい、ままよ!』と力づくでこじ開けた。
すると中から男の人がこんにちは。
さらには「ひっ」と引きつった女の子の声まで聞こえてきてさあ大変。
「だ、誰かいるのっ!?」
むしろ人間がいてくれた方が頼もしいんだけどなあ、なんて思いながら声のした方にランプを向けて見るものの、以降反応はなし。
一人取り残されたスフラは、恐る恐る用具箱から飛び出し、そのまま倒れ込んだ男性の方を観察した。
「ぅ……ぁ……」
呼吸は、ある。
声も、出ている。
「生きて、る……?」
ランプで照らしてみると、男性は見覚えのある顔をしていた。
一年三組の、ジェイン・ヘスナーだ。
三組は魔術学園において最も低いクラスで、彼はその中でも特に成績が悪かった。
そして一ヶ月ほど前に、授業についていけないので自主退学したという話だったはずだが――その彼が、なぜ掃除用具箱などに入っているのか。
しかも、かなり衰弱した状態で。
「まさか、あの自主退学もフェイクだったの? じゃあ一緒に辞めたソーン君も同じ状態に?」
寒気がした。
この様子だと、一人や二人だけでなく、もっと多くの人間が巻き込まれているに違いない。
ミーネの町で話題になっている“コアハンター”も、実は学園の研究に関わっていると学科長に聞かされたことがある。
下手をすれば、何十人もの人の命が奪われ、弄ばれているかもしれない。
「なんてひどいことを……」
ひとまずスフラはジェインを肩に担ぎ、彼を寮にある医務室へと運ぼうとした。
かなり重かったが、時間さえかければ動かせないわけではない。
「んっ……く、ふぅ……っ!」
引きずるようにして、少しずつ前に進んでいくスフラ。
しかし、彼女がもう少しで階段に到達するというところで、下から猫背で細身の不気味な男性がのぼってくる。
「ターティ先生」
ターティは技術科の教員で、あちら側の人間でもあった。
スフラとは異なり、なりゆきではなく、自らの意思で研究に参加しているらしい。
もしジェインが彼らの“研究材料”として誘拐されたのだとしたら、衰弱した彼の存在が表沙汰になることは避けたいと考えるはず。
しかし、スフラとしては、むしろそちらの方がありがたい。
どうにかして切り抜ける方法は無いか――一瞬で脳をフル回転させた彼女は、一つの賭けに出た。
背筋を伸ばし、いつもの『裏で何かを企んでいそうな有能な女教師』の表情を顔に貼り付ける。
そのまま、堂々とターティに告げた。
「“計画”は順調に進行しているようですね。彼の処分は私が行います、あなたは自分の役目を果たしてください」
とりあえず、それっぽい言葉を並べてみただけである。
だがそれでターティは納得したのか、スフラは無事に彼の横を通り過ぎ――そして、寮までジェインを運ぶのに成功したのだった。