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遅れてすいません

 もうどれほどの時間、こうしているのか分からない。窓から顔を出し、ただじっと景色を見つめている。馬車の車輪が何かを踏むたびに、顎を自分の肘にぶつけてしまう。

 馬車はブライアーズ男爵領を出て、山路をひたすらに走っている。右は崖があり、左には馬車一台がぎりぎり通れるほどの道幅だ。地を流れる川は遥か下に見え、視線をまっすぐ向けると、遠くの山と目が合った。日は既に大分傾いて、空をオレンジ色に染めている。

 

 退屈だ。遊び道具の一つでも、話し相手の一人でも居れば話は別なのだが、生憎と俺が居る空間には暇を潰せるような玩具無く、居るのは悪路を進むのに必死な御者だけだ。


「あたっ!」

 一際大きく馬車が揺れた。ガキッ、と歯と歯が衝突する音が聞こえ、顎にこれまで以上の痛みが走る。

 くそっ! いつまでこうしていなきゃいけないんだ、もう日が暮れるぞ。山路に入ってからほとんど景色が変わっていない。前を見ても横を見ても後ろを見ても、目に入ってくるのはどこまで続いているのか分からない山々だけ。華々しい王都の欠片も見えてこない。


 

「おい、一体いつ着くんだよ。もう何時間走ってる」

 流石に痺れを切らす。お尻は痛いし、さっきので顎もズキズキしている。この状況がいつまで続くかも知らされていないのだ。

 認識が甘かった。馬車での長旅がここまで辛いとは……早く、終わんないかな。


 しかし、御者の答えは信じがたいものだった。


「ええっと、多分日没までには、山の野営地に着くと思います」

「……は!? 野営地!? 何だよそれ、聞いてないよ!」

「え」

「日没までに王都に着くんじゃないのか?」

「ははは、それは無理ですよお嬢様。順調にいっても、サピュタントに着くのは十日後くらいかと。大丈夫、入学式には間に合いますよ」


 そんな遠いの……? 聞いてないよ!



***



 王都サピュタントが遠望出来るようになったのは、昼時のことだった。


 山道にある野営地では、ほとんど疲れが取れてはいなかったが、既に山の悪路ではなくいくらか平らな農道に入っていたので、今までよりは楽だ。

 農道の両脇には、既に収穫を終えたライ麦畑が広がっている。家はまばらで、人も少ない。たまに見るのは落穂拾いをしている農婦だけだ。

 

 御者が王都が見えると言うので、窓から顔を出し前方を眺めると、確かに遥か遠くに街のようなものが見えた。

「ここからなら、夕時までにはあそこに着きますよ」


 走る道が農道から石畳の街道に変わる頃には、その全貌が明らかになった。中央の巨大な灰色の城壁、それを取り囲むように家々が立ち並び、人々の喧騒が聞こえてくる。道を行くのは農夫だけではない。行商人や露天商、甲冑を着込んだ衛兵に、走り回る子供達。

 故郷の村ではありえない数の人々が、故郷の村では見られないような格好をして、故郷の村では考えられない熱量で生活を営んでいる。

 

 馬車が進むたびに、人や家の密度が増して行き、大きな道幅の街道でさえ、大勢の道行く人で、馬車を通らせるのがやっとなほどだ。

 あちらこちらへと忙しく流れていく人の波に、俺はすっかり萎縮してしまった。

 

 こんな人ごみ、前世でも経験していない……。


「もう夕暮れの鐘だ」

 御者が呟いた。低い鐘の音が鳴り響いている。視界がオレンジ色に染まり、人々の動きが少しゆっくりになっている。それぞれの家の煙突が煙を吐き出し、どこかの母親が子を呼ぶ声が聞こえてきた。まるで、街全体が夕食の支度をしているようだ。

「ここまで調子が良かったですからね、日を跨がなくて良かった」

 俺は返事を返さず、ずっと流れ行く街の日常を見下ろしていた。


 眺めていた街が巨大な影に飲み込まれたかと思うと、急に馬車が止まってしまった。いや、急では無かったのかもしれない。御者に何かを伝えられたのかも知れないが、全く聞いていなかった。何が起きたのか認識しようと、俺は馬車の周りを見渡す。


 我々を飲み込んだ影の主は、瞬間に見つかった。

 巨大な灰色の城壁だ。街がこの壁によって分断されているかのように、左右にずっと伸びている。


 壁の中央には何台もの馬車が並んで行き交える街道の道幅に対して、馬車二台がすれ違えるほどの大きさという狭い門があり、御者はその脇に立っている衛兵と何やら話をしていた。

 門を通り抜ける手続きのようなものだろうか。


 我々の他に門を通ろうとしている馬車が無いのも関係しているのだろうか。ほどなくして、御者はこちらへ戻ってきた。


「通行許可が降りました。これでサピュタントに入れます」

「え、ここがサピュタントじゃないのか?」

「嫌だな、お嬢様。王都サピュタントはこの壁の向こうですよ」


 ゴゴゴ、と城門が開いたかと思うと、御者はそそくさと馬車を出した。


「これでも急いで来たんですがね、今日の門の通行はついさっき終了してたみたいで、無理を言って通してもらえることになったんですが、あちらさんちょっとご機嫌斜めみたいで。早いとこ通り抜けないと、何て言われるか」

 窓からこっそり衛兵を見てみると、確かに不機嫌そうな顔をしている。

「まあ、お嬢様みたいな男爵令嬢を通すか通さないか決める権限なんか、あんな奴が持ってるはずがないですがね」

 御者は意地悪そうに笑った。


 さきほどまでの雑多な町並みとは打って変わり、綺麗に区画された白塗りの家が立ち並んでいる。城壁に隔てられ、格差が目に見える形でそこに存在していた。

 街行く人の着ている物も、今まで見てきたものとは雲泥の差だ。至る所に見受けられる商店も、いかにも上流階級御用達、という雰囲気を醸している。 

 

 しばらくすると、馬車がある屋敷の前で止まった。あたりは大分暗くなり、東の空には星も見え始めている。

「着きましたよ」

 着きました、と言われても。

「ここどこ? 学校の寮に行くんじゃないのか?」

「あれ、聞いていらっしゃらないんですか。寮は明日、入学を終えてからですよ」

 聞いてないも何も、事情も良く分からないうちに連れて来られたんだよ!


「ああ、グレイス! 着いたのね!」

 門が開き、屋敷から一人の貴婦人がやってきた。いかにも上流階級といった言葉遣い。発音が田舎の連中とは別言語のように聞こえる。


「お久しぶりです。アップルガース子爵婦人」

「嫌だわ、いつかのようにヘーゼルと呼んで」

「分かりました、ヘーゼル」

「ふふふ、そんなに堅くならないで。いくらここが王都といっても、ここはアップルガース家。貴女は家族のようなものなのですから」

「はい」


 この人と会うのは何年ぶりだろうか。数年前までは俺の誕生日の度に、お祝いを言いに来てくれていたが、最近は手紙でのやり取りだけだった。

 ヘーゼルは最後に見たときとそれほど変わりないように見えた。顔に皺は刻まれているが、それは数年前と同じ。実年齢からしたら、驚異的な肌の綺麗さだ。


「ヘーゼル、ここは?」

「ああ、貴女がここへいらっしゃるのは初めてでしたわね。ようこそ、ここはアップルガース邸です」

「アップルガース邸……え、何故?」

「あら、聞いていらっしゃらないの?」

 ヘーゼルはこれは驚いた、という顔をする。

 

 ええ、残念ながら何も聞かされないよ。


「寮に入れるのは明日からですからね。今日は貴女をここに泊めてほしい、と貴女のお父様から手紙が来ていたのよ」

「ごめんなさい。俺、何も聞かされていなくて。お世話になります」

「いえいえ、さあお入りになって」


 人生でブライアーズ男爵家の屋敷より大きな建物に入ったのは初めてだ。華美で細かな装飾がされた大きい扉。廊下の両脇には見たことも無い花、甲冑、絵画、彫刻。詳しくない自分の目から見ても、実家にあるものとは比べ物にならないほど高価なものだと分かる。


「グレイス、長旅で疲れたでしょう? 部屋に案内させるわ。明日からは忙しくなりますからね、ゆっくりお休みになって」

「ありがとう。あの……子爵様は?」

「ああ、ごめんなさいね。あの人、また仕事なのよ」

「そう」


 アップルガース子爵。父の学園時代の恩師であり、俺の名付け親だ。しかし、実は一度も会ったことが無い。

 誕生日の度に、手紙とプレゼントを贈られてくる。その丁度半年後に彼の誕生日があり、俺も手紙を書く、という文通のようなことをする関係だ。

 手紙で見えてくる彼は、知的で優しくもあるが、幼い自分に小難しい事を書いてくる意地悪な面もある男だった。


 実はここに泊まるということを聞いたときから、彼に会えるのかと少し楽しみにしていたのだが、ちょっと残念。


「そんな顔なさらないで。明日からは嫌でも顔を合わせることになりますわ」

「そうですね、今から楽しみです」


 メイドに二階の角部屋に案内された。中央にテーブルと椅子が一式置かれ、暖炉とソファが部屋の隅にある。角にはバルコニーへ続く低い階段があり、壁が一面ガラス張りになっている。


「ねえ、ベッドが無いみたいだけど……」

「寝室は隣の部屋にでございます」

「あ」 


 メイドの指す扉を開くと、確かに大きなベッドが置いてある部屋があった。


「グレイスお嬢様、お食事はいかがなさいますか?」

「ん、いや、今日は大丈夫。疲れたから、もう寝るよ」

「さようでございますか。何かございましたら、何なりとお申し付けください」


 一礼して部屋を出るメイドを見送り、俺はベッドに勢い良く寝転んだ。

 腰が痛い。ずっと堅い座席に座って馬車に揺られていたのだから当然だ。しかし、寝転んでも次は、コルセットとドレスが食い込んでこれまた苦しい。


「……あー、くそっ!」


 俺はドレスを脱ぐためにもう一度立ち上がることにした。

 何故こうも動きにくくて呼吸もしづらいこんな衣装を、都の乙女達は好んで着たがるのだろうか。絶対的にパンツとシャツの方が機能的で良いに決まっているんだ。

 忌々しいドレスを何とか脱ぎ捨て、洗面台でしつこい化粧をごしごしと落とす。綺麗に結ってもらった髪を解くのは忍びないが、これほどまでに寝るときに邪魔な髪型はありえないので、これは致し方ない。


 身に纏っていた全ての装備を脱ぎ捨て、姿見に映った自分の顔を見つめた。

 この顔、好きじゃない。両親や村の娘達は、可愛いと言ってくれる。確かに母親譲りの通った鼻をしているし、髪も綺麗だ。だけど目は、母の温和そうな目ではなく、父のような端が釣り上がった目になってしまった。

 男だったら、そりゃまあ父やコーネリアス見たいにキリッとした凛々しい目だと思われただろう。しかし、俺は残念ながら女だ。こんな凛々しい目など持っていたところで、意地の悪そうな女にしか見えない。


「何でお前は女なんだよ」


 鏡の向こうから投げかけられた言葉が、自分の中を縦横無尽に駆け巡る。自分の内側を叩き、バウンドしてまた別の場所にぶつかる。

 胃液が逆流し、すっぱいものが喉に込み上げきた。

 眩暈がする。


 俺はベッドに走りこみ、その感情の高ぶりから身を守るように、布団に包まった。


 そんなこと言われても、どうしようもないじゃないか。女に生まれてしまったんだから。答えの無い問いに対して、そんな言い訳を何度も何度も心の中で唱えた。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます

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