2
子供の成長とは早いもので~、なんて謳い文句があるが、当人からしてみれば、結構長くて濃い日々なのである。
俺は四歳になった。
この年になってくると、家族や他人と話をするようになったり、様々な意思疎通をこなせるようになる。俺は最近、近所の子供たちと遊ぶようになっていた。
「グレイスちゃん、お人形さんで遊びましょうよ」
「う、うん」
「グレイス、チャンバラしようぜ!」
「いいけど」
「グレイス、おままごとしない?」
「いいよ」
数人の子供たちに囲まれ、あれをやろうこれをやろうと誘われる。俺は人気者だ。しかし、生前俺は、目立たない位置に居たためか、こういう注目を浴びるというのに慣れていないらしい。
なんだか背中がむず痒くなる。
本来。貴族の娘というのは、それはそれは大事に育てられ、皆が皆、まるで腫物を触るように扱うらしい。しかし、ここブライアーズ男爵家では、庶民と貴族の距離が非常に近い。ふつう俺みたいな貴族の令嬢が、庶民の子供たちと遊ぶというのは、とても異常なことなのである。
俺はお人形さんで遊び、チャンバラしてメイドに叱られ、おままごとで遊んだりした。なんだか、子供に戻ったみたいで――本当に戻ったのだが――意外と楽しめたのであった。
もう一人で歩けるようになり、召使に面倒をかけなくなってきたので、俺はちょくちょくブライアーズ領の色々な所に連れ出してもらえるようになった。
「ほら、グレイス。見てごらん」
俺は今回、父の仕事についていっていた。馬車に揺られながら、父が窓の外を指さす。そこには、広大な農村地が広がっていた。
「ブライアーズ男爵家はもともと、ここの大きな農家だったんだ。でも、数百年前に隣国と戦争があってね、そのせいで貴族が減って、ブライアーズ家が貴族に繰り上がったんだよ」
へぇー、どの世界にも戦争っていう歴史があるんだな。
それにしても、なんだかのどかな風景だ。何を作っているのだろうか、農家の人たちが一生懸命耕している。空は青く、遠くまで広がり、大きな鳥が空を舞っていた。大きな、とても大きな、すっごく大きな、とてつもなく大きな……あれホントに鳥か!? 燃え上がるように真っ赤な体に、遠目からでも巨大だと分かる翼を広げ、悠々と空を飛んでいる。
「父さん! あれなに?」
俺はそいつを指さして叫んだ。
「ん? どれどれ……あれは、ワイバンーン!」
ワイバーン? 俺の知ってるワイバーンと同一だったら、飛竜とよばれるモンスターじゃないか? レオナルドは焦ったように御者に引き返すように伝えた。
あれ、なんか俺、大変なもの見つけちゃった?
「ワイバーンってなんなの?」
「ワイバーンっていうのは……魔物だね、とても強い魔物だ」
父は額に冷や汗を浮かべながら、俺の頭を撫で、ごまかすように言った。……おい、なんかやばくないか?
全速力で家に戻った俺達、父は喚き立てるように家の者にこう言い放った。
「ワイバーンがこの近くまで来てる! ハンターギルドに緊急依頼を出せ!」
執事は家を飛び出し、他の者は村の人たちに伝えてくると言って出て行った。突然家の中が騒がしくなる。
「グレイス、大丈夫だからね、お母さんが付いてます」
母は俺を抱き上げ、何度もそう呟いた。おいおい、あんたが大丈夫かよ。
そんなこんなでばたばたしていると、突然何かの羽音が耳に入ってきた。窓がガタガタと音を立てる。
「来たか」
父はいつになく真剣な顔で、壁にかけてあった剣を抜き取った。
「クリスティーナ、奥で隠れてろ」
「でも……」
「いいから早く! グレイスを頼んだぞ」
そう言い残し、父は外に出て行った。大丈夫なのか? あの人が戦ってるとこなんて見たことないぞ。
俺は何気なく、おろおろしている我が母に尋ねた。
「ねえ、父さんって強いの?」
「え? ……ええ、とっても強いわ。悪い怪物なんてすぐ倒しちゃうわよ」
母さん。俺はそういうことを聞きたいわけじゃないんだ。しかし、今ので分かった。そこまであいつは強くない。そりゃあただの辺境貴族だ。本職の騎士じゃない。戦えるはずないのは、俺にも分かった。
「ギャァアアア!」
突然、耳を劈くような怪物の叫び声が聞こえた。今まで聞いたことの無いような、耳障りな大音量の金切り声が、がたがたと窓を振るわせた。
怖い。前世でトラックに轢かれたときは、一瞬の事で何も分からなかったが、今この時は死の恐怖が全身を圧迫するように圧し掛かってくる。
母が、よりいっそう俺を強く抱きしめた。まだ若い母親の胸の中で、いくらか安心感を覚えてしまった。
長い時間が経った。あるいはそう感じただけで、実際にはそこまで時間は経っていないかもしれない。何度かワイバーンの鳴き声や、破裂音が聞こえたが、未だこの状況に動きは見えない。
と、思ったが、何やら大勢の足音が近づいてくるのが分かった。
「応援が来たわ」
確信は無く、期待を込めた言い方だ。しかし、その予想は正しかったらしい。
バンッと乱暴にドアが開き、父が屋敷に入ってきた。ところどころ擦り切れ、血が滲んでいて、とても痛々しい姿だ。
「あなたっ!」
母が駆け寄ると、ふと力が抜けたように父が母に倒れ掛かった。現場を直接見ては居ないが、父の無残な姿を見れば、その戦いがどういったものか自ずと理解できた。
「大丈夫!? ああ、酷い怪我……」
屋敷のメイドが忙しく動き出す。
水を汲んでくる者、包帯を持ってくる者、医者を呼びに行く者。外ではまだ怪物の鳴き声と、男達の怒号が飛び交っている。
「大丈夫だ。お前たちこそ、怪我は無いか?」
「ええ、ええ……! なんともないわ。ほら、グレイスも」
「ああ、グレイス。おいで」
「お父様……」
レオナルドはその胸に俺を掻き抱いた。汗と血が混ざった臭いで、むせ返りそうになりながらも、俺は父親の背を抱き返した。
「今、王都から到着した騎士団が、ワイバーンと戦ってくれている。大丈夫だ、もう心配要らないよ」
「あなた、もうどこへも行かないで」
「クリスティーナ……」
二人はそうして見つめ合い……その後はお察しいただこう。
騎士団によってワイバーンが討伐されたのは、それから間もなくの事だった。
***
ワイバーンによる被害はそれほど大きくは無かったが、無視できるほどでも無かった。
領地に駐在する騎士が二十人ほど増え、魔物への警戒も厳重になった。そして、男爵家の令嬢である俺の生活にも、変化が訪れた。
まず、私用の用心棒を雇うことになったらしい。ハンターギルドという、いわば仕事斡旋会社から送られてきた、傭兵一家が我が家にやってきた。
「はじめまして、私はレナータ・レンバッハ。ハンターギルドから来ました。後ろは夫のレオ、そして息子のヤン」
茶髪を短く後ろで束ね、睨んでいるのではないかというほど鋭い目つきをしている、見るからに気の強そうな女性だった。その後ろには、二メートル弱もあろうかという大男と、俺と同い年くらいの生意気そうな少年が立っていた。
「私はレオナルド・ブライアーズ男爵だ。よくきたね、王都からなら、遠かっただろう」
「いや、仕事なので」
短く言い放つ彼女の口調は、今まで聞いたことの無いようなイントネーションで、聞き取りにくい。顔立ちも両親達よりも堀が深く、体つきも角ばっている。彼女に冷たい印象を感じてしまうのは、ぶっきらぼうなその言い方だけでなく、その言葉の訛りにあるのかもしれない。
「ブライアーズ男爵、何分我々は学が無いもので、失礼な言葉遣いがあるかもしれないが、ご容赦願いたい」
「あ、ああ、もちろんだとも。言葉遣いは別に気にしないよ、好きにしてくれたらいい。なあ?」
「え、ええ、その方が私も嬉しいわ」
「では、詳しい仕事の話を」
両親は今まで会ったことの無い種類の人に、たじたじになっていた。まあ、そこは執事のベネットが上手くやってくれるだろう――
「――あたっ」
唐突、右肩に衝撃。
「えっ?」
突然の出来事に、素っ頓狂な声をあげてしまった。後ろを振り返ると、つい先ほどまで家族とともに居た傭兵一家の少年が、いつの間にかすぐ近くに立っていた。
「よう。俺、ヤン」
赤みがかった茶髪に、母親譲りの鋭い目。見るからにやんちゃそうなヤン少年は、挨拶のときに少女の肩を殴るらしい。
どんな教育してるんだ。
「……俺、ヤン。お前は?」
俺が驚愕のあまり固まっていると、ヤンは聞こえていないと思ったらしく、自己紹介を繰り返した。
「それよりも言う事があるんじゃないか」
「ん?」
ん? じゃないよ。
「レディの肩を叩いておいて、謝りもしないなんて」
「……ごめん。痛かったか?」
「べ、別に痛くない。びっくりしただけ」
まだ子供なだけで、言えば素直に聞いてくれるらしい。しかしいきなり少女の方を殴るのはいかがなものか、これから教育しなくては。
「俺はグレイス。四歳」
俺が右手を差し出しそう言うと、口を尖らせシュンとしていたヤンの顔は、嘘のようにパアっと明るくなった。そしてまた唐突に、がしっと手を掴まれる。痛いわ。
「俺、ヤン!」
うん。それ、もう聞いた。