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前回の更新から気付けば一か月以上も経っていたんですね。大変お待たせいたしました。
夢を見た。
いつもの帰り道を、ヤンと二人で歩いてる。見慣れた田畑や家、優しい風がゆっくりと俺達の頬を撫でるように吹き抜けていく。
ヤンが隣で話している。よく聞き取れないし、意味も伝わってこないが、他愛もない話だろう。愉快そうにこちらに話してる。
しかし、いつしかヤンが寂しそうな顔をしている事に気付くのだ。本当に辛そうな顔をして、しきりに何かを訴えてる。何を言ってるのか、やっぱり理解できないが、謝ってくれているんだというのはぼんやりと分かる。
そこで俺は、謝らなくていいよ、そんな顔しないでいいよ、と言うんだけど、こっちの言うことも何でかヤンに伝わっていないみたいだ。
突然、柔らかく暖かいそよ風が、針の刺すようなビル風に代わってしまう。すると赤い髪の少年の姿は消え、長閑な田園風景も消え去った。現れたのは冷たい灰色の巨大な建物が立ち並ぶどこかの街。鉄の塊が人を乗せて、凶悪な速さで駆け回ってる。
ついでに俺の姿も、可愛らしい女の子から、何の面白みもない男子大学生に変わっていた。
なるほど、そういうことか。今までのが夢だったんだ。別の世界で女の子として生まれ変わるっていう、一風変わった夢を、俺は見ていたのだ。
考えを巡らせてみるが、やっぱりちょっとおかしい。
だって、これは明らかに夢だ。
何で?
何でって……、何でだ? そうだよ。これは、俺が見てる夢。
どっちが?
……俺はグレイス・ブライアーズじゃない。
それってどっち。本当の俺は誰?
本当の俺は、今目の前に来てるトラックに撥ねられて死ん――
目を覚ますと、寮の天井が見えた。寝返りをうつと、一メートル挟んだ隣のベッドにサヴァナが寝ている。
意識が覚醒していくにつれて、夢の内容が頭の中で徐々に溶け消えていくのが分かった。しかし俺はそれに抵抗しなかった。抵抗しようとも、そんな事出来るとは思えないし、そもそもその夢に何の執着も無い。パジャマからローブに着替えようと、ベッドから立ち上がる頃には、夢の存在自体が頭から抜け落ちていた。
熟睡中のサヴァナを起こしていいものかどうか迷う。朝ではあるがまだ授業開始までにはだいぶ時間があるし、サヴァナの寝起きは破滅的に悪い。無理やり起こされるとその日の最初の授業が終わるまではずっと不機嫌なままだ。
やはり起こさないのが得策だろう。
俺はサヴァナのはだけた布団をかけなおすと、ドアを鳴らさないように静かに外に出た。
東の空はもう明るい日が昇っていた。横から射す黄色い朝日が、俺の影を長く伸ばす。
俺は朝日とは逆方向にある校門へ向かった。
「グレイス」
ヤンは校門の脇に寄り掛かって待っていた。
「おはよう」
「おはようございます。今日は一段と冷えますね」
「どうってことないだろ。まだ雪も降ってない」
「そうですか。ならそんなに重ね着しなくてもよかったのでは?」
「……女子は冷え性なんだよ」
重ね着と言っても冬用の厚いドレスに、学園のローブを羽織っただけだ。ヤンみたいなほぼ夏服と変わらないような格好の方がおかしい。
「じゃあ、行きましょうか。時間が惜しいですからね」
俺たちはまだ藍色の空が広がる城壁の向こう側へ向かった。
城壁の中の街は、人の通りは極端に少なかった。内側の人間は朝早くから起きる必要性が無い。この時間から動き出す内側の人は、俺達を除いたら、早朝訓練がある騎士やごく一部の商店の従業員、屋敷で働く使用人だけだ。そんな人達は大通りなどを歩いたりはしないので、実質街中には俺とヤンの二人しか居ない。
いや、街に満ちたこの暗くて寂しい空気は、それだけが原因では無いだろう。
二か月前、林間学校で遠征をしていた神聖ディーヴァ王国の皇太子、マーカス殿下が襲撃されるという暗殺未遂事件が起きた。事件自体は未遂に終わったが、刺客を送り付けた黒幕とされる隣国のディーヴァ共和国との緊張が今までにないレベルに達してしまう。
共和国側の主張としては……要約すれば「そんなこたぁ知らん。どうせおかしな政治ばっかやってるから、国内の反乱分子も抑えておけないだけだろう」と、まあ完全な挑発体制な訳だ。
襲撃者が全員死んでいたので、国際関係での証拠は無いに等しかった。当然のごとく黒い男達は、身元を調べて分かるような真っ当な人間ではなかった。
事件による犠牲者も出てる。マーカスと同じ班員だった学生二人……ミアとイーサン。
襲撃の実行犯の人数は、見張り役含めしめて十一人居た。それだけの人数が居て、犠牲が二人だけというのは奇跡だったと、様々な新聞は報じた。
曰く「マーカス殿下の勇猛無比な活躍で、襲撃者達はたちまち返り討ちにあった」と。
見事なまでに嘘くさいプロパガンダだ。だがこういうのを求めている国民が居るのも確かで、ヤンが表に立つのは嫌だというので、大人しく利用された。別に俺が困ることは無いし、実際後の事などどうでもよかった。
俺とサヴァナには、ミアとイーサンが目の前で殺された事の方が、ややこしい国際政治よりも遥かに重い問題だった。
死に直面したのは初めてじゃなかった。小さいころワイバーンに村が襲われたことがあったし、前世で実際に死んでいる。
しかし今回のような恐怖を感じたのは初めてだ。さっきまで話していた友人が死に、これまで感じたことのない殺意を向けられた俺は、情けないことに恐怖で身体が固まって動けなかった。
今後このような事がまた起きないとは言い切れない。そのために身を守る術を身に着けておく必要があると思った俺は、ヤンに協力を申し込んだ。
王都サピュタントの城壁の外側は、内側とは打って変わって早朝でも騒がしかった。
そんな忙しい町を東に抜けると、開けた場所に出る。
「ここで良いでしょう。前回と同じ場所ですが」
「ああ、問題ない。始めよう」
協力というのは他でもない、戦いの手解きをしてもらうのだ。
ヤンは二か月前の事件で、黒い襲撃者十一人をたった一人で屠った。俺のボディガードなんだから、弱いわけじゃないだろうと思っていたが、これは本音を言うと予想外だった。十年間で、俺が襲われたことは無いし、ヤンが戦っているところは見ていない。父親のレオと訓練しているのは見たことあるが、ど素人の俺には何が何やら分かるものではなかった。
ヤンは落ちていた短い木の棒を右手で拾うと、腰に置くように構えた。
「避けてください」
そう言うや否や、ヤンが棒を突き出してきた。いきなりの事で体が硬直してしまい、動くことができずに棒がそのまま俺のお腹に当たった。
「避けてと言ったのに。これがナイフだったら死んでましたよ」
「そんないきなりで避けられるわけないだろ!」
「グレイス、人を殺そうとする人は、いっきまーすなんて言いながら襲ってきませんよ。いつ襲われても対処できるようにしないと」
ヤンは「ほらほら」と、木の棒をナイフに見立ててグサグサ俺を刺した。
「お前は出来んのかよ」
「やってみます?」
差し出された木の棒をむんずと掴んだ。
「いつでも来ていいですよ」
「吠え面かかせてやる」
俺は間髪入れずに襲い掛かった。ヤンの喉元目掛けて棒を突き出す。
しかし棒が当たる寸前で、ヤンの体が消えた。そして次の瞬間には、顎に手が伸びグリンと頭を捻られ、なすすべなく俺は地面に転がった。
「大丈夫ですか?」
ヤンに手を引っ張られて起き上がる。
「ローブが汚れちゃうじゃんか」
「仕方ないでしょう」
「他の技にしろよ。だいたい何でこんな普段着でやらなきゃいけないんだ。動きやすい格好でやれば良いだろ」
「普段と同じ格好で出来なければ意味がないでしょう。ほらもう一回突いてみてください。ゆっくり説明しますから」
俺はヤンの言うとおりに、木の棒を先ほどと同じフォームで、ゆっくりと突いた。
「まずは自分の体を相手の外側に避難させなければいけません」
こうです、とヤンは俺の右側に弧を描くようにして移動した。
「その時に、相手のナイフを持つ腕を、自分が移動する方向とは逆に逸らします。これは同時にです」
ヤンは左手で俺の右手を抑える。
「そうすれば相手はもう攻撃できません。ナイフを持っている手を掴んでしまえば動かせませんし、逆側の手はこちらから遠い場所にあります。こっちはもう一方の手で反撃できます」
空いている右手で、俺の顔面をパンチするような仕草をしてみせた。
「なるほど。分かったからやらせろ」
「……ちゃんと聞いてました?」
「聞いてたよ、ほら来いよ」
「まったく……ゆっくり行きますからね」
***
ヤンとの練習の後、外側の町を歩くのが密かな俺の楽しみになっていた。
城壁の外の町は、早朝だというのに毎日祭りのような賑わいを見せる。大声で自分の店の存在を知らせようとする露天商。誰が早く商品を手に入れることを競っているかのように押し寄せる女。頭に重そうな荷物を載せて走り回っているの子供達は、手伝いと遊びを混同しているのだろうか。
俺はとにかくこの賑やかな場所が好きだった。人が生きて、動いているというエネルギーを感じられる。俺も出来ることなら、あの騒ぎの中に入いっていきたい。迷惑がられるのが明白だからやらないが。
故郷も祭りの時は人が集まってどんちゃんしていたが、ここはそれ以上の喧騒だ。
「グレイスはいつも変な事にご執心ですね」
「変な事ってなんだ。早く都会に慣れるために、わざわざこういう場所に出向いてるんだよ」
「壁の内側で暮らしているのだから、こんな場所に来たって大した意味はないですよ」
「下々の人達の暮らしを視察するのも、上に立つ者の義務だろ?」
「上に立つ者……グレイスに一番似合わない言葉ですね」
ヤンのなめた態度ににいちいち付き合ってたらキリがないので、睨んで足を踏むだけに留めておく。
壁の内側へと繋がる大通りの途中に、他にも増してわんさと人があつまる中央広場がある。ここには旅の大道芸人や吟遊詩人が歌を歌い、沢山の屋台も出ていた。
その中にお気に入りの屋台がある。野菜と魚を薄い生地で包んで、ぐつぐつ音をたてる油が入った大きな鍋に放り込んで豪快に揚げた名も無い料理を売っている屋台だ。若い兄妹が営んでいる店で、気弱そうな兄――最初は弟かと思っていた――が素手で揚げたそれを、気立て良さそうな妹が売っている。
サクッとしたキツネ色の生地を割ると、中から流れ出す油と共に分厚い白身魚が顔を出す。油が滴り落ちる前に嚙り付けば、程よい魚の塩味と野菜の心地よい歯応えが幸福感を作り出す。何といっても申し訳程度に入った香辛料が素晴らしい。香辛料は高いから使いたくても使えないのだと言っていたが、むしろそのくらいの量の方が素材を殺さない。金にものを言わせて香辛料をどかどか入れるのは、スパイスの何たるかが分かってないバカだ。
俺はその名も無い料理に「ギョウザ」と名付けた。もちろん意味はない。
たった二人で切り盛りする屋台だが、兄妹二人が暮らせるくらいは儲かっているらしい。
今日も彼らの屋台に目当てのギョウザを買いに来た。
彼らの屋台には十数人の客達が列を成さずに群がっている。屋台の横には板が立てかけており、音標文字で「ギョウザ」と書かれていた。俺が態々木炭で書いたものだ。
「あ! グレイス様!」
妹の方が俺を見つけて駆け寄ってきた。
「いいのかよ、店の方は」
「え、ああ、まだ揚がるのに時間かかるから大丈夫です。でも、グレイス様とヤンさんのは残しておきましたよ。はい、ギョウザ」
「そう、ありがとう。それにしてもいつにも増して盛況だね」
「グレイス様があの看板書いてくれたおかげですよ。文字なんて読めもしないのに、あれがあるだけで買っていく人が増えたんです」
「それは何より」
愉快そうにケラケラ笑う妹と対照的に、屋台では兄が客に急かされあたふたとギョウザを揚げていた。素手で鍋に手を突っ込んでギョウザを取り出しているところは、いつ見ても熱くないのかと心配になる。あたふたしているだけで熱がっている様子がないのが不思議でしょうがない。
「あ、そうだ!」妹の方が何か思い出したように手を叩いた。
「ついさっきグレイス様に会いたがってた人が居たんです。今日は来てないか、って」
「え? 俺に?」
「ええ。今日はまだ来てないって言ったら、黙ってどこかに行ってしまいましたけど」
誰だろうか? ここの兄妹以外、外側の町に知り合いは居ないはずだけど。
「どんな奴だった?」
「旅人風の人でしたよ。楽器を持ってらしたので、吟遊詩人か何かじゃないですかね」
「吟遊詩人か……」
「グレイス様の事を詩にするつもりなのですかね。そうだったらとっても素敵だわ」
そう言って彼女はうっとりとため息をついた。
娯楽に飢えたこの町の住人にとって、吟遊詩人の詩は食事の次に重要な生活の要素らしい。
しかし残念ながら俺を詩にするという理由は、あながち間違っていないかもしれない。
「教えてくれてありがとう。それよりそろそろ戻った方がよくないか?」
俺は屋台で客の圧力で泣きそうになっている兄の方を指さして言った。
「ああ、そうみたい。ごめんなさい、戻らなくちゃ」
「行っておいて」
「じゃあ、また来てくださいね!」
兄妹と別れた直後に、朝を告げる鐘が城壁の中から聞こえてきた。ようやく内側も活動を開始するらしい。
「戻るか」
「ええ。ですがよろしいのですか?」
「ん? ああ、まあそのうち会えるだろ。この町に居るのは分かったんだから」
「そうですか」
「それにしても、何の用なんだろうな? コーネリアス叔父さんは」
案の定、俺はその日の一時限目を遅刻することとなった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。