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食料調達組が帰ってきた時には、すでに満天の星空が広がっていた。大勢が一斉に森に入ったせいで、獲物が遠くへ逃げてしまったが、粘りに粘ってやっと小鹿一匹を狩ることに成功したらしい。
イーサンは着いた途端にその小鹿を解体し始めた。仕事が早いと言うのか、単にお腹が減ったのか。とにかく凄まじいスピードだった。フィリップが「先輩、何か手伝いますか?」と言っても「すいませんが、居ても邪魔になるだけです」的な事をボソリと言って突っぱねた。
そんなイーサンの見事な職人っぷりのおかげで、思ったよりも早く食事にありつけた。何のことは無い、鹿の肉を焼いただけのものだが、空腹は最大の調味料とはよく言ったもので、ほとんど味付けしなくても十分に美味しく食べられた。
鹿肉をさっさと片付けると、俺とサヴァナはすぐにテントに入った。他の五人は何か話があるらしく、まだ焚き火を囲っている。おおかた、夜のうちの見張り番などを決めているんだろう。
そんな事をテントに映る影を見て思っていると、焚き火の傍に居た一つの影がこちらのテントに近づいてきた。
「入っていい?」
ミアの声だ。サヴァナが「良いですよ」と声をかけると、ミアはテントにするりと入ってきた。
テント内は意外と大きく、比較的大きな女が混じった三人組でも余裕のある広さがある。
見張りは交代性で、二、三回生の五人で回す事になったらしい。
「私は一番最後になったから、結構時間あるの。だから、女子会しよ」
寝袋を敷くなりそんな事を言い出した。図体に似合わず女の子らしい性格のようだ。
見張りに備えて寝なくちゃいけないんじゃないかと思ったが、ミアはアレンにばれなければ大丈夫だと言い張り、サヴァナが乗り気で既にお話を始めているので、俺は黙ってその女子会に参加することにした。
「ミア先輩って、イーサン先輩が好きなんですか?」
「ええ? 何で!」
「いや、何となくそんな気がして」
「べ、別に好きとかそういうんじゃ」
「ふーん……」
「何よその顔。そういうサヴァナちゃんだって、好きな人居るんじゃないの?」
「居ませんよ私には。学園の居る奴なんて、軟な男ばっかりじゃないですか」
「へえ、じゃあもっと男らしい人がタイプ?」
「そうですね、イーサン先輩みたいな」
「ええ!?」
「あはは、嘘ですよぅ。でもやっぱりその反応は……」
「もう! からかわないでよ!」
…………こういう時、どういう顔をしているのが正解なのだろうか。
少なくとも今しているような無表情でないのは確かだ。
どうにかこのままやりすごそうと黙っていたが、恐るべき女子トークの矛先は無慈悲にこちらに向かってきた。
「グレイスちゃんも、黙ってるなんてずるいぞ」
「そうよ、話し聞かせなさい。好きな人居るんでしょ?」
ぐいぐい来るな。
「お……私は特に、居ないかな……」
「ええ、嘘だぁ。マーカス様と良い雰囲気だったじゃない!」
そこには触れないでほしかった。
「そんな、私なんかマーカス様には似合わないというか」
「そんなことないよ!」ミアはぶんぶんと音がなるほど首を横に振った。「お似合いだと思うなぁ、グレイスちゃんとマーカス様」
「そうは言っても、あっちは王子様だし」
「そうよね、いくらグレイスが気に入られてるからって、王子様と男爵令嬢じゃ――」
「大丈夫だよ!」
隣のテントにまで聞こえてしまうんじゃないかという、一際大きな声だった。
ミアはハッとして口を噤み、少し声のボリュームを落とした。
「グレイスちゃんとマーカス様は運命の糸で結ばれた二人なんだよ、きっと。今日の二人を見て私確信した!」
小さくても声には力があって、目がキラキラと輝いていた。学園唯一の女性騎士候補とは思えない、少女のような目だ。
「そうは言っても……」
俺は別にあいつに運命の糸なんぞ感じてないし、そもそも偏狭の男爵令嬢と王子様が結ばれるなんて有り得ない。ミアの素敵で逞しい妄想は結構だが、現実離れしすぎてる。
ミアは俺の目をジッと見ていたかと思うと、悲しそうに目を伏せた。
「もしかして、マーカス様の事嫌いになっちゃった?」
「え、いや、そんなことは」
「あのね、グレイスちゃん」
彼女は俺の手を取り、再び真っ直ぐ俺の目を見た。
「マーカス様は、確かに我が侭で周りが見えなくなることもあるけど、本当に素敵な人なの。学園で居場所の無かった私やイーサンを、心から信頼してお傍に置いてくれた。偏見なんて気にしない、自分の信じた事を貫く、とっても強くて聡いお方。
だからね、私はマーカス様に忠誠を誓ってるんだよ。仲間の事、国の事、ちゃんと考えてくれているのが分かる。多分……いいえ、きっとグレイスちゃんの事も、本当に大事に思ってくれてるはず。
だから……」
だから、の後は続かなかった。何となくは分かる。「だからマーカス様と仲良くして」なのか「だからマーカス様を嫌いにならないで」なのか。ただ、流石にそこまでは言えなかったのだろう。彼女はただ目をうるうるさせてこっちを見ていた。
「……現状維持に努めます」
「ありがとう、マーカス様の事よろしくね」
俺の回答に一応の満足を得たのか、ミアとサヴァナはすぐにまた別の話題を持ち出した。
女子トークというのはコロコロと議題が変わっていくものらしい。
しばらくすると、話し声がだんだんと小さくなり、寝息に変わっていった。
***
何かの音で、目が覚めた。
何の音かは分からない。
ここはどこだろうか。
そうか、テントの中だ。
外はまだ暗い。
何で目が覚めたのかな。夜なのに。
また別の音が聞こえた。
テントの外からだ。甲高い、金属音。
声も聞こえる。怒鳴ってる、怖い声。
心の中に、重たい不安が沈み込む。気持ち悪いくらいの恐怖。
外に出よう。そうすれば、この怖い気持ちから逃げられるかもしれない。
まだ、怖い声と酷い音が聞こえてくる。
テントから顔を出し、外を覗いてみた。
真っ先に見えたのは、微かに焚き火の光に照らされたミアの姿だった。
ロングソードを構えている。
その奥にも、人影が見える。真っ黒い服装をしているのだろうか。陰になってよく見えない。
ミアがこっちに気付いた。
青ざめた表情をしている。
「グレイスちゃん! 出てきちゃ駄目――」
言葉はそこで途切れる。
ミアの身体から、何かが突き出たのが見えた。
その何かは、焚き火の光で朱色にキラキラと輝いている。
すると、ミアの口から液体が吐き出された。そこだけ影のように真っ黒になる。
彼女の身体が、糸の切れた人形のように、力なく倒れる。
彼女が地面に倒れたことで、全身が見えるようになった黒い人影は、さっきミアの身体から突き出していた何かを手に持って、こちらを見ていた。
「グレイス! 隠れていろ!」
マーカス、居たんだ。
辺りを見渡すと、黒い人影が沢山居ることに気付いた。マーカスとフィリップとアレンが、その人影に剣を向けている。
剣? そうか、黒い人影が持っているのも、剣だ。剣をミアの身体に突き刺してたんだ。
イーサンも居た。
焚き火の傍で横たわっている。
首から上が、身体から離れた場所に落ちている。
「何かあったの?」
「サヴァナ……」
サヴァナが、寝ぼけた様子でテントから出てこようとしていた。
出てきちゃ駄目だ。
出てきたら死ぬ。
何で?
だって、ミアが殺されたんだ。イーサンも、死んでる。
そうだ、襲われてる。襲われてるんだ。
死んじゃうんだ。今出てきたら。
「サヴァナ! 出てくるな!」
「え?」
俺はサヴァナをテントの中へ突き飛ばした。
テントの入り口を閉め、再び黒い影に向き直る。
黒い影は、剣に付いた血を自らのローブで拭うと、俺の眼前に切っ先を向けた。
「グレイス! 逃げろ!」
マーカスが怒鳴る。
こいつ、この黒い奴、ミアを殺したんだ。ミアに剣を突き刺したんだ。俺はそれを見てた。
憎い。身体全身に相手に対する憎悪が駆け巡っている。
しかし、それ以上の恐怖が、俺を支配していた。
「グレイス!」
分かってる。逃げなきゃ。でも、身体が全然動かない。全身に石を詰められたみたいに、身体が冷たくて重い。
黒い影が揺れる。
剣が振りかぶられ――
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