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野次馬の生徒達は、状況をよく理解していないようだった。当事者の俺でさえ理解してないんだから当然だ。
分かっているのは、フィリップとアレンが相対しているということだ。
「どけ、怪我するぞフィリップ」
「どかない。アレン、君今日ちょっとおかしいよ」
「何だと」
「いつもの君じゃない」
「そいつが舐めた真似するからだ」
「あ? 俺のせいかよ!」
前に出ようとするが、フィリップに手で制される。
いや、何かニッコリしてるけど、アレンにフィリップが勝てるのか? 体格が違うし、喧嘩するの危ないよ。
「おい、フィリップ。俺の邪魔すんならお前でも容赦しないぞ」
「そう熱くなるなよ。それに、君ほどの相手だと、僕も手加減できない」
「面白い。お前とは一度全力でやりあいたかったんだ」
「アレン……本気か?」
「勿論」
「…………グレイス、下がってて」
「お、おい、嘘でしょ」
一瞬にして、両者の殺気が食堂を満たした。まるで殺気というものが具現化したように、濃密で絡み付くような異様な空気に、ここに居る全員が気圧され、息をするのもやっとだ。
二人の実力を完全に見誤っていた。幾度も修羅場を潜り抜けていなければ、この空気は出せない。屋敷に居た時、レオとヤンの模擬戦を何度も見たことがあるが、殺気に関してはそれ以上だ。
アレンの右手は腰にある剣の柄に伸びた。対するフィリップは、何もアクションを起こさない。武器を持つでもなく、手を翳すでもなく、ただアレンの一挙一動に目を凝らしているようだった。
いつだ、いつ、どっちが仕掛ける?
俺を含め、野次馬は両者の成り行きを見守っていた。
しかし、幸い二人が衝突する前に横槍が入る。
「アレン、フィリップ! 何してる!」
マーカスは相対する二人と、野次馬を見て察したのか、厳しい表情でツカツカと歩いてきた。
「説明してもらおうか。何故こんな場所で決闘紛いの事をしていた」
「マーカスには関係の無いことだ」
「関係はある! 私は生徒会長であり、お前達は生徒会執行部員だ。生徒会は法令順守が基本だ。学園の内外問わず、生徒同士での無許可な戦闘行為は許されていない。良く分かっているはずだろう。
フィリップ、アレンは話す気が無いようだが、お前は説明してくれるな」
「アレンがこの子と喧嘩してたんだ。最初は分かんなかったんだけど、彼女に魔弾を使おうとしたんで、僕が止めたの」
「この子……?」
「……どうも」
マーカスと目が合う。彼の綺麗な青い瞳には、入学式の時のような強い力は無く、何を考えているのかが伝わってこなかった。俺の身を案じているようにも見えるし、俺の事を思い出しているようにも見える。
「すまない。アレンは厳重に処罰しておく。怪我はないか?」
「え、いや、別に無いけど」
「一応医務室に行くといい。サヴァナ・ノールズ、彼女に付き添ってくれるか」
「は、はい」
マーカスはフィリップとアレンを連れ、どこかへ去って行ってしまうと、食堂には肩透かしを食らったような微妙な空気が残された。
***
体の痛みも無く、学園でやらなきゃいけないことはもう無いというので、俺はサヴァナに断りを入れて学生寮に行くことにした。
「ごめんね、俺のせいで今日は散々だったね」
「うん、ちょっと疲れちゃった。でも、あなたと居ると退屈しなさそうだわ」
サヴァナの優しさに、俺は苦笑で返すしかなかった。
王都サピュタントに着いてまだ二日目だというのに、この絶望的な疲労感。入学初日に学園トップ3の一人とやりあってしまった。しかも負けた。両親とヘーゼルに何と言えばいいのだろう。
背景ご両親、私は入学早々問題児認定されてしまいました。これからの学園生活、お先真っ暗かもしれません。
サヴァナに連れられ、学生寮にやってきた。二つの大きな建物があり、男子寮と女子寮で別れているらしい。一つはどこか古びた印象を受ける、はっきり言ってしまえば汚らしい建物だ。もう一つも古臭いが、比較的新しく感じる。どうやらこっちの新しいものが女子寮のようだ。
中に入ると、暖炉とそれを囲むようにソファや低いテーブルが設置されていた。何人かの女子生徒が愉快なトークに興じていた。
「ここは、寮生共有の談話室」
「へえ、広いね」
「人数が多いから。それよりグレイス、寮の部屋分かるの?」
「ん? 確か、女子寮の203号室だって。誰かと相部屋らしいけど」
「203? あは! 何だあたしと同じ部屋じゃない!」
「え、本当?」
「うん、案内するよ」
何という偶然。何という天の采配。サヴァナが女神に見える。
聞くところによると、寮は基本的に二人部屋で、在学日数が長い者と短い者でペアになるらしい。ほとんどの場合先輩と後輩なのだとか。サヴァナが中等部の時相部屋だった先輩が卒業してから入居者が来なかったため、ずっと一人で部屋を使っていたという事だった。
「ここが203号室。階段上がってすぐだから、出入りしやすいでしょ」
中に入ると、想像よりずっと広い部屋だった。ベッドと机、衣装箪笥が二つと大きめのソファが一つ置いてある。
ヘーゼルの言っていた通り、俺の荷物は既に運び込まれていた。
「わあ、朝起きたときより狭くなってる。あ、ローブが届いてるみたいよ」
畳まれた灰色のローブが、ベッドの上に置いてあった。灰色のローブの裏地は暗い緑色で、下に着るシャツも同じ色だった。同色のブーツまで一揃いである。
「ねえ、サヴァナ。この色って、何か意味あるのか?」
「学年ごとに色が違うの。今の一回生は緑、二回生は赤、三回生は青。初、中、高等部って、段々色が濃くなってくるの。あたし達は高等部一回生だから、一番濃い緑色」
「へえ」
兎にも角にも、俺は自分の帰る場所を手にしたわけだ。
サヴァナに手伝ってもらいながら、いの一番に忌々しいドレスを脱ぎ、いかれたように腹部を締め付けていたコルセットを外す。
コルセットを外すと、今まで気付かなかった鈍い痛みが鮮明化したようだ。
下着を全て外し、鳩尾の下あたりを見ると、大きな青紫の痣が出来ていた。
「酷い……」
「あいつにやられた時のか、気付かなかった」
「女の子にこんなことするなんて、痕になったらどう責任取るつもりなのかしら」
「あいつの魔法、見えなかったな」
「絶対にちゃんと謝罪させるべきよ!」
「大丈夫だよ、次は油断しないから。魔法の事、教えてくれない?」
「……話聞いてる?」
「ん?」
「やっぱり医務室に行こう」
「え、大丈夫だよ」
「駄目! ちゃんと治さないと! ほら、ローブ着て!」
「い、良いから、本当に。心配しないで」
「……じゃあ、魔法教えてあげるから、じっとしてて」
「な、何?」
「いいから……エセ……ィマチ……コウィ……チ……」
サヴァナはローブの袖を捲くり、両手を痣の部分に翳して、何か呪文のようなものを繰り返しブツブツと唱えだした。
最初、何をしているんだろうと不思議に思ったが、変化は徐々に現れた。
見る見るうちに、患部の痛みが引いていくのである。少しずつ腫れや痣が薄くなり、数分後には跡形も無く消えてしまった。
「これで大丈夫」
「す、すごい」
痣があった場所を触ってみるが、まだ痛みが少し残るものの、予想していた鈍い痛みは帰ってこない。
魔法だ。紛れも無い魔法だ。今まで見たことが無かった。村にも医者は居たが、治癒魔法なんて話でしか聞いたことが無い。御伽噺の中のような出来事が、目の前で起こったのだ。
驚きで声も出ない俺に対し、サヴァナは得意げだった。
「本当は授業以外での魔法使用は原則禁止なんだけど、誰も守ってる子なんて居ないの。でも、先生とかには内緒よ?」
「い、今のって、何したの?」
「治癒魔法。中等部の時に習ったの。成績はあんまり好くなかったんだけど、初歩くらいは出来るのよ。上手くいってよかった。痕になったら大変だもんね」
彼女は愛想の良い、可愛らしい顔でニッコリと笑った。
こんなに面倒見が良くて、性格の良い可愛らしい子なんだから、さぞや男子からモテるんだろうな。
そういった関係でもし困ったことがあったら、力になってあげよう。
サヴァナから「そろそろ服を着なさい」というご尤もな意見を受けた。確かに初秋に差し掛かった今、ずっと裸の状態でいるのは風邪を引いてしまう。
俺はとりあえずローブを着た。
「さて、夕食まで大分時間あるけど、どうする? 何する?」
「そうだな、俺はもうちょっと荷物整理しようかな」
「そっか……じゃあ、あたし邪魔にならないように、図書館でも行ってるね」
「あ、あのさ」
「ん?」
「えっと、ありがとう。色々と、本当に」
「うん!」
部屋を出て行く彼女の後ろ髪を見送る。
バタンという音の余韻を、急な訪れた静寂の中でしばらく感じていた。
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