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 翌朝、アップルガース家のメイドに手伝ってもらい、身支度を済ませて食卓へついた。

 朝食の準備はすでに出来ており、ヘーゼルはニコニコしながら俺が座るのを見ていた。


「お待たせしてしまいましたか」

「いいえ、年寄りは朝が早いのです。お気になさらないで」

「はあ」


 朝食は、やはり故郷のものとは違っていた。お皿に盛られた真っ白いふわふわのパン、見たことも無い果物、何かの肉。小さな杯のようなものに乗せられたこの卵は、どう食べれば良いのだろう。


「ふふふ。そのドレス、やはり良くお似合いですわね」

「え、あ、ありがとうございます」

「本当は学園の制服が宜しいのですけど、仕方がありませんわね。急に入学が決まったものですから」

「制服があるのですか」

「ええ、ですが今日は入学式ですから、多少おめかししても何も言われませんわ」


 そういうものか。だが、この可愛らしいドレスのせいで、お腹が締め付けられてせっかくの朝食も満足に入らない。その制服とやらが、動きやすい服であることを祈ろう。


「今日から貴女は寮での生活になりますからね。荷物などは運ばせておきますわ」

「何から何まで、すいません」

「あらやだ、謝る事なんて無いですのよ。貴女は可愛い孫のようなものですもの。これくらいのことは当然ですわ」


 ヘーゼルはまるで聖母のように笑った。母といいヘーゼルといい、貴族の女性というのは皆こうおっとりしているんだろうか。

 

「主人は朝早くから学園に行ってしまわれましたわ。入学式は九の刻ですから、貴女ももうお出になったほうがよろしいわね」

「はい、行ってきます」


 朝のサピュタントは活気があった。多くの人や馬車が往来し、既に店も開店準備に取り掛かっているようだ。城壁内の街でさえこの状態なのだから、外の街はもっと人でごった返していることだろう。

 アップルガースの豪華な馬車から見える外の風景は、やはり新鮮そのものだ。まあ、昨日の今日で慣れろというのも無理な話だが。


 我々と並んで大通りを行く馬車を、よくよく見てみると、俺と同じように学園へ向かっている貴族のご令息やご令嬢を乗せているようだ。歳若い少年少女がめかしこみ、緊張の面持ちで道を歩く姿もある。


 正に入学式当日の朝、って感じだな。まあ、俺が知ってるのとは大分違うが。


「グレイス様、到着いたしました」

「お、おお、ありがとう」


 御者によって馬車の扉が開かれる。外へ降りると、大きな門とその奥に広い庭園が広がっていた。門から続く一本道の奥には、巨大な城が我々を迎えるように大きな口を開けて聳え立っている。

 綺麗な洋服に身を包んだ貴族の令息、令嬢達が大勢居て、流石に場違い感が拭えない。しかも俺以外の人間は皆何人かの集団になって歩いている。ボッチなのは俺一人か。


 というか、浮いているのは俺の着ているドレスのせいじゃないだろうな。服装なんて全くの無頓着だったから、今着ているドレスがどういうものなのか、客観視して初めて分かった。

 血のように染まっている真紅のドレス。金色の髪が映えるわぁ、とかなんとかアップルガースのメイドが言っていたが、流石に入学式に着ていく色じゃないだろ。


 周りを見てみると、灰色のローブを着ている生徒がほとんどで、ドレスは居れども赤なんて派手な色は一つもない。


「まあ、綺麗なドレス」

「舞踏会と間違えたんじゃないか?」

「真っ赤なドレスで入学式に出るなんて、聞いたこと無いですわ」

「どこのご令嬢かしら、見たことないけれど」

「高等部から入る子なのかな」


 案の定注目の的だ。俺みたいな田舎者がこんな派手な格好するのは、分不相応なんだ!

 四方八方から向けられる視線に耐え切れず、早く歩き去ってしまおうと自然と足の回転が速くなる。なるべく視線を合わせないように、目線を下に向ける。目の前でこれまた真っ赤なハイヒールが地面をこつこつと鳴らしていた。

 ああ、もう。ヒールなんかで歩いてくるんじゃなかった。歩きにくくて仕方が――


「――痛っ」


 何かに衝突し、体が弾き飛ばされる。

 馬鹿か。下を向いて歩いてるんだから当然だ。


 自分がぶつかった物が人だと分かったのは、慣れないヒールでバランスを崩し、地面にへたり込んでしまってからだ。一瞬で恥ずかしさが臨界点に達する。


「ああ、失敬。大丈夫かな、お嬢さん」

 もはや、手を差し伸べてくれるその人の顔も直視できない。

「ご、ごめん! 大丈夫、自分で立てるから」

「え?」

「こう見えて体は丈夫だし、山で育ったから転ぶなんて日常茶飯事で、もうすぐ立ち上がれるから。ほら!」

 俺はあまりの恥ずかしさから、すぐに立ち上がって「なんでもないだろ」と両手を広げて見せた。


 おい、いきなり何言ってんだ? 馬鹿じゃないか?

 自分の愚かしさを後悔したところで、一度口に出した言葉は戻ってくることは無い。


「え、えっと……」


 ちらりと視線を上げると、黒髪の少年がキョトンとした顔でこちらを見ていた。歳は俺と同じか、少し上のように見える。墨で塗られたような黒髪をさらさらと風に揺らしながら、済んだ瞳でこちらをジッと見ていた。黒真珠、彼の目を見るとその言葉が浮かぶ。

 濡れた大きな黒真珠が突然笑った。


「あはは、面白い人だね!」

「な……」

 くつくつと笑いながら、「怪我は無い?」とこちらに歩みよってくる。

 思わず後ずさると、何か小さいものがヒールに当たる感触がした。


「これ」

「ああ、ありがとう」

 装飾のなされた銀色のロケットだ。俺が拾い上げたものを、彼は両手で優しく受け取った。


「母の形見なんだ」

「そうなのか。ごめん」

「いや、いいのいいの。急いでてね、首にかけないでポケットにしまってたんだ」

 軽い口調で言うと、慣れた手つきで自分の首にかけ「これで良し」と、彼は小さく呟いた。


「君名前は」

「は? 俺の?」

 肯定という意味か、彼は眉を軽く上げる。

「俺はグレイス。グレイス・ブライアーズ」

「そう、よろしくね、グレイス」


 差し出された手を握ると、以外にも掌が硬かった。都にいる貴族の息子の優男なんか、フォークより重いものを持たないと思ってたのに、彼の手は確実に剣を握る者の手だ。ヤンやレオの手がこうだった。

 しかし、顔を見ると、中性的な整った顔立ちをしていて、とても戦う人間とは思えない。王都の人間は不思議だ。


「ブライアーズというと、西のブライアーズ男爵のご令嬢かな」

「あ、ああ……いや、ええ。そうです」

「あれ? あはっ、そんな気取んなくたっていいよ」


 俺の口から咄嗟に出るのはお嬢様の言葉遣いなどではなく、片田舎の男が使うような言葉だ。こんな煌びやかな場所には似つかわしくない。


「いえ、とんだご無礼を。何分、田舎者でございますので」

 こ、こんな感じでいいのか? あー、こんなことなら、ちゃんと母さんの話を聞いておくんだった。言葉遣い一つでこんな恥をかくとは!

 少年はそんな俺の心境などおかまいなく、おかしそうに手を口に当てて吹き出すのを耐えていた。


「やっぱり面白い人だね。いいよ、そんな畏まらないでも。家柄はどうあれ、僕が偉い訳じゃないんだし」

「そ、そうか」

「ん、もしかして僕のこと知らない?」


 知るわけが無い。


「へえ、そっかそっか。いや、僕もブライアーズ家にこんな可愛らしいお嬢さんが居ることも知らなかった訳だし」

「はあ? 可愛らしい?」

「おっと、気を悪くしないで。悪気は無いんだ。ただ本音が漏れちゃっただけで」


 何だこの男、名前も名乗らないで自分でペラペラと喋って。

 俺のこの男に対する印象は、意味の分からない怪しい人間というものだが、どうやら周りの人間は違うようだ。


「おい、フィリップ様だ」

「やっぱ学園の英雄はオーラが違う」

「ああ、何せコンラッド伯爵家の跡取り。気品がある」

「フィリップ様、今日も素敵ぃ」

「ねえ、あの隣に居る赤いドレスの子は誰?」

「こんな日に真っ赤なドレスなんて」

「フィリップ様に取り入ろうって言うのかしら」


 おいおい、何だ何だ。フィリップ様? コンラッド伯爵? 学園の英雄? 知らない単語が次々とまあ飛んでくる。

 というか、取り入るって何。俺こいつにぶつかっただけなんだけど。


「そうか、まだ名乗ってなかったね。僕はフィリップ・コンラッド、エンチャント子爵だ。コンラッド伯爵家の長男。よろしく、オナラブル・グレイス・ブライアーズ」

「え?」

 彼は自分の自己紹介もほどほどに、目の前で跪いて俺の手の甲にキスを落とした。

  

 周囲の人間がざわめきだすまで、俺は固まって動けずにいた。貴族の世界ではこれが当たり前なのか? こんなこと、今まで経験が無い。手の甲にキスなんか、父さんが母さんにしていたりするのは何度か見たけど、自分がされるなんて思ってなかった。村の連中は当然、ヤンやレオも、ベネットも、俺の周囲に居た男は皆こんな洒落たことをする奴等じゃなかった。

 予想外の事象が起きると、人間はかくも無力なのか。


「じゃあ、僕はこれから入学式に向けて仕事があるので、先に失敬するよ。君のこれからの学園生活が、喜びと希望に満ち溢れていることを祈っているよ」


 スクッと立ち上がり、ウィンクしながらそう告げると、彼は黒い風のように去っていった。


「…………一体、何だったんだ?」


 俺の問いに答えられるものは、現状存在しなかった。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます

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