宇宙飛行士の夢
星屑による、星屑のような童話。お読みいただけると、うれしいです。
ひだまり童話館開館2周年記念 参加作品。
使用お題は、「にょきにょきな話」「とろとろな話」「ぷくぷくな話」です。
秋の夜でした。
それも、ぷくぷくと太ったまんまるのお月様が暗い夜空にぽっかりと浮かぶ、そんな十五夜の夜のことです。
いつものようにお父さんとお母さんに「お休み」を言った4年生のタカシは、夜の10時にベッドに入り、スヤスヤと眠りについたのでした。
それから、何時間もたったときのことです。
タカシは、ベッドの中で夢を見ていました。真夏の太陽のもと、友だちと原っぱを駆けまわる夢です。
さわさわ、むずむず。
そんな楽しい夢なのに、なぜか急に鼻がむずがゆくなった、タカシ。
それも、そのはずでした。
夢の中とはいえ、風に乗ってふわりふわりとやって来たサッカーボールほどもあるタンポポの綿毛が、まるで掃除機に吸い込まれるように、すっぽりとタカシの鼻の穴の中に入って来たからです。
さわわわ、むんずむず!
タカシは、そのあまりのむずがゆさに、夜中に目を覚ましてしまいました。
「ぶあーっくしょい!」
体がベッドからぼわんと浮き上がるほどの大きなくしゃみをしたタカシが、指でこすりこすりして、その目を開きました。
すると、自分の目と鼻のすぐ先に、真っ白い綿のかたまりのようなものが落ちていることに気づいたのです。
(何だ、これ?)
起き上ったタカシが、人差指を突き出して、つん、とつついてみます。
すると、その白いかたまりは「うひゃっ」と声をあげて、むくむくと動き出しました。そして、にょきにょきと2本の耳のようなものまで生やし、ぴょんと真上に飛び跳ねたのでした。
「何すんだよ!」
こちらを向いた白いかたまりは、長い耳をパタつかせながら、眼を真っ赤にして、ぷんぷんと怒っています。
どう見てもそれは、雪のように白い、1羽のウサギでした。
(ウサギ? ウサギがしゃべっているの?)
でも、ウサギがしゃべっていることよりも、自分のベッドにウサギがいることの方がおかしい気がしてきました。
(うん。きっとこれは、さっきまで見てた夢の続きにちがいない)
タカシは、うすらぼんやりした頭を、左右にぶんぶんと振ってみました。
けれど、夢から覚めることはありませんでした。あいも変わらず、目の前でウサギがしゃべり続けるのです。
「おいこらッ! キミ、まだぼんやりした顔をしてるな。分かっていないようだから、もう一度言うよ!」
「はあ……お願いします」
やっとのことで、ここが夢の世界ではないことが分かったタカシ。ウサギの勢いに押されるように、大きくうなずきました。
「うん、やっと本当のことだと分かってくれたようだね。よろしい。
ボクは、こう見えて地球のウサギではなく、『マダ・ラスティ』という名前の、立派な月の人類、月人なんだ。
地球人でいえば、ボクは君より少し年上ってところかな。
ついこの前まで月で平和に暮らしていたのに、たまたま見かけた地球の探査船が気になってこっそり忍び込んだら、このありさまだ。まちがってそのまま、地球に連れて来られてしまった、というわけ」
それこそ、タカシには分かったような分からないような話です。
タカシは、「そ、そうなんだ……」としか答えられませんでした。
「これは、地球人のキミに責任とってもらわなくちゃいけないね」
「ええ? 僕が?」
「で、キミの名前は?」
「……タカシ」
「じゃあタカシ、よろしくな!」
「そ、そんなあ……」
最後には、「将来は宇宙飛行士になって、マダ・ラスティを月に送り返す」ということまで、タカシは約束してしまいました。
「ここって、タカシの部屋だよね? じゃあ、今日からお世話になることにするよ」
「うわわわ。本当に?」
――こうして始まった、タカシとマダ・ラスティとの生活。
が、それはタカシにとって、すごく大変なことでした。
なぜって?
見た目は、どう見てもただのかわいらしい白ウサギですが、その正体は、肉好き、あばれん坊、その上、好き嫌いのはげしいわがままな月人。
地球の飼いウサギとは、まるでちがう性格だったのです。
もっと大変だったのは、自分の部屋に地球に迷い込んだ月の人類がいるなんてことを、家族にも言えないことでした。
こっそり夜中に家を抜け出して公園でサッカーをやったり、晩ご飯に自分の大好きなとろとろ肉の入ったシチューが出てもマダ・ラスティにあげるためにこっそり部屋に持ち帰ったりと、苦労ばかり。
それでもタカシは、マダ・ラスティと初めて会ったときに交わした約束を守るため、毎日を頑張り続けました。
☆
そんなこんなで、15年がまたたく間に過ぎました。
マダ・ラスティの秘密を守り抜いたタカシは、すでに立派な大人です。
たくさんの月日が流れましたが、子どもの頃にマダ・ラスティと交わした約束のことは、決して忘れてはいません。
たくさんの試験や訓練をくぐり抜け、タカシは念願の宇宙飛行士になっていました。
そして、ついにやって来た、タカシの初飛行の時。
行先は――なんと、かねてから希望していた『月』でした。
「研究テーマは、月での動物飼育です」
テレビや新聞の大勢の記者たちの前で、声高らかに、タカシが言いました。
と同時に歓声がどよめき、数え切れないほどのまぶしいカメラフラッシュをタカシは浴びました。そして、タカシの声をひろうためのマイクの横に、ガラス張りの大きな動物飼育ケースがひとつ、置かれていました。
ケースの中にいたのは、何羽かの白ウサギでした。
まさか、その中に月人のマダ・ラスティが混ざっているとは、地球人の誰ひとりとして気づいた人はいませんでしたが……。
その、1か月後でした。
タカシが宇宙へと飛び立つ、当日。
発射基地にそびえ立つ、巨大な宇宙ロケットのエンジンに点火するためのカウントダウンが、ついに始まりました。
月へと向かうロケットの中では、宇宙服に身を包んだタカシが、真上――いや、宇宙に向かって顔を向け、すぐ横にある透明ケースの中のマダ・ラスティに声をかけました。
二つのまん丸な瞳を金色に輝かせたマダ・ラスティの長い耳が、これから向かう宇宙へとまっすぐに向けられています。
「いよいよだね、ラスティ」
「ああ、いよいよだ、タカシ」
「故郷に帰れる気分はどうだい?」
「ああ、特別さ。本当に今まで世話になったな」
そしてその後、すぐでした。
ロケットは、耳をつんざくほどの大きな音と猛烈な火を吹き出しながら、宇宙へと飛び立って行ったのです。
月面着陸も、成功。
月面で色々な研究を行ったタカシが地球へと戻る宇宙船に再び乗り込んだのは、それから1週間後のことでした。
タカシの宇宙飛行士としての初飛行は、こうして無事に終わったのでした。
☆☆
それからまた、長い年月がたちました。
若き宇宙飛行士だったタカシも、いつしかベテランの宇宙飛行士に。
その額には何本かの深いしわが刻まれ、頭には白髪がちらほらと混ざっています。
幾度となく月や火星などを旅したタカシは、数々の貴重な実験成果を地球に持ち帰っていました。
タカシは、世界中の人々の誇りとまで言われるようになっていました。
しかし、どんな偉大な人物でも、いつかは必ず身を引く時が来るのです。
世界的に有名な宇宙飛行士となったタカシも、ついに引退をする日がやって来ました。
記者会見の会場は、タカシが初めて宇宙へと向かったあのときと、同じでした。
たくさんのテレビカメラと記者たちが、そこかしこにあふれています。
そのときタカシは、今までずっと秘密にしていた「ある本当のこと」を、世界中の人々に話すことを決意していました。それは、長い宇宙飛行士人生の中で、たった一つだけ、世界の人々から後ろ指をさされるような出来事についてでしたが――。
たくさんのマイクを前にして、タカシが口を開きました。
「私の宇宙飛行士としての一番の思い出は、初めての月飛行の時をともに過ごした、ある1羽のウサギとの生活です。皆さんがよくご存知のとおり、私はそのウサギを月で逃がしました。
地球の皆さんは、なんて可哀そうなことをしたものだと、口をそろえて私を責めました。しかしながら、私はそんな風には思っていません。きっと今でも、あの月の世界のどこかでウサギは生きている……そう、思っているからです」
地球上の人々は、口々に笑いました。
記者も学者も大人も子どもも、全世界の人々が、です。
――そんなことあるわけない、と。
けれど、月の世界では様子が違いました。
たくさんの白ウサギ、いや月人たちが、地球からの電波をとらえたテレビ中継に、てんやわんやの大騒ぎをしていたのです。
「ありがとう、タカシ。キミのおかげで、ボクやボクの家族は、こんなに幸せだ」
大勢の子どもや孫に囲まれながら、そうつぶやいたマダ・ラスティ。
地球から奇跡の生還をとげたマダ・ラスティは、月人の間では、英雄となっていました。
月面下の地中に掘られた大きな家でくつろぐマダ・ラスティの両眼には、涙があふれています。
「さあ、今日は地球の仲間の大切な日。盛大にお祝いをするとしよう!」
国をあげての大パーティーが、月人の国の大統領の言葉で始まりました。
夜空に浮かぶ蒼い月を眺めながら、月人の英雄の友――タカシの労をねぎらって、飲めや歌えの大騒ぎ。
大切な仲間に贈る、記念日のお祝いです。
月の世界が始まって以来の、それはそれはにぎやかなパーティーでした。
―おしまい―
お読みいただき、ありがとうございました。