02-04 おまけ的補足情報
※読み飛ばしOK
今回の該当範囲を示す地図と、今回の探訪範囲であった鉄道聯隊の材料廠の情報を投稿します。
なお第二章となるこの材料敞編は、未だ続きます。
◇◆ 該当範囲Map ◆◇
◇◆ 材料廠(敷地)の遍歴 ◆◇
一九〇八(明治四十一)年 鉄道聯隊の椿森転営に伴い、『鉄道聯隊材料廠』を建設
一九一八(大正七)年 鉄道聯隊改組に伴い『鉄道材料廠』として独立
一九二三(大正十二)年 廃止
同 年 『千葉陸軍兵器支廠』発足
一九三三(昭和八)年 敷地の一部にて千葉女子商業学校(後の千葉経済大学附属高校)着工(?)
※実際に現地であったか詳細不明
一九三四(昭和九)年 千葉女子商業学校創立
一九三九(昭和十四)年 『千葉陸軍兵器補給廠』に改組
一九四五(昭和二十)年 東京陸軍兵器補給廠に併合され、『東京陸軍兵器補給廠千葉分廠』となる
同 年 終戦に伴い大蔵省(国庫)資産に
同 年 国有鉄道に貸渡され、国鉄千葉レールセンターに
※当初から千葉レールセンターであったかは不明
一九四八(昭和二十三)年 市立女子高校(後の千葉東高校)移設
一九五六(昭和三十一)年 敷地の一部にて市立弥生小学校分校(後の轟町小学校)開校
一九六一(昭和三十六)年 敷地の一部にて市立轟町中学校開校
一九七八(昭和五十三)年 敷地の一部にて市立第二養護学校開校
一九八五(昭和六十十)年 国鉄千葉レールセンター廃止(?)
千葉経済学園の所有に
一九八八(昭和六十三)年 敷地(国鉄千葉レールセンター)の一部にて千葉経済大学開校
同 年 煉瓦建築物が千葉県指定有形文化財に指定
二〇〇九(平成二十一)年 敷地の一部に置かれた千葉県警機動隊施設解体
※最終は第三機動隊
この続きは、また暫く間が空いてからの投稿となると思います。