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アニソン・クエスト  作者: 谷崎春賀
6/7

五・アレクとアルベルト

    《 五・アレクとアルベルト 》



 パチパチと小さな音が静かな夜に響き渡る。

 アレクは、焚き火から少し離れた場所に座り、周囲を警戒していた。

 頭上には雲一つない星空が広がっているが、月の姿はない。星の光だけでは視野が限られるため、警備するには少々心許ないが、物音や、周囲に人気がないかどうかを探ることくらいはできる。

 ――誰もいない。

 追っ手らしき気配もなければ、動物が近づく様子もない。

 どうやら、ひとまずは安全のようだ。よかった――そこまで考えて、ふと忘れかけた疑念が頭をもたげる。

 何故、自分はこんなところで見張り番をしているのだろうか、と。

 そもそも、国を裏切る気もなければ、命令に背く気もなかったはずなのに、気づけば救世主の少女と二人きりで逃避行している。

 一体、何をどう間違って、こんな破天荒な展開になってしまったのだろうか。何度考えてもわからないが、こうなってしまったものは仕方ない。

 未湖が言っていたように、どんな言い訳をしようとも、自分のしでかした行為は変わらないのだ。正直、逃げれば逃げるほど罪が重くなっていく気がしないでもないが、それでも、不思議なほど後悔はしていなかった。それどころか、今の行動が正しいような予感がしているのはどうしてだろう。

(そういえば、何度か、こういうことがあったな…)

 してはいけないはずのことをして叱られたのに、どういうわけか反省する気になれない。そういうときは、決まっていい方向へ物ごとが流れていくのだ。

 まるで、何かに導かれるようにして。

 善悪さえ超えた意志に背中を押されるみたいに。

 だから、今回の行動は、きっと正しかったのだと思う。

 そっと、身体を丸めて眠る小柄な背中を見やる。

 救世主という重荷を背負うには、あまりにも華奢すぎる少女。どう見ても、戦闘向きな人間ではない。一緒に馬に乗っていて感じたことだが、彼女には生活力そのものが備わっていないのではないだろうか。手は荒れておらず綺麗だし、細い手足にはろくに筋肉がついておらず、体力もなければ忍耐力もない。

 正直、こんな頼りなさでよくも今まで無事に生きてこられたものだと思うが、世間一般の女性というものは、アレクが知らないだけで、意外とこういうものなのかもしれない。

 その点、アレクはいろいろと苦労して育った。両親の死後、十歳で親戚に引き取られ、工房にこもって靴職人の修行に明け暮れた。しかし、どうしても肌に合わずに兵士に志願したのが、十五の頃。それからはずっとあてがわれた兵舎を中心に暮らしてきた。兵舎にいるのは男が九割以上を占め、残りのわずか一割未満の女性兵士は、男以上に豪傑で怖い存在だった。城内勤務になってからは、たまに貴族令嬢なんかを見かけたが、未湖のように苦労知らずでありながらも、常に腹黒い欲望を隠し持っていて、何となく薄ら寒く感じたものだ。

 よって、アレクにとっては、ごくごく平凡な女の子に出会ったのは、これが初めてだった。もっとも、未湖は、崇めるべき救世主様であり、異性であるという意識はまるでなく、保護対象という認識しかないが。

(…それにしても、何故、救世主様は逃げているんだろう?)

 未湖本人は、自分は救世主なんかではないと言うが、アレクにはわかっている。

 彼女こそが、人類を救うべく選ばれた救世主なのだと。

(…あの歌を聞けば誰もが納得するに違いないのに)

 彼女の歌声を思い出しただけで、胸が熱くなる。

 これまで体験したことのない、あの衝動的で強烈な熱情。あれは、未湖が救世主としての能力で生み出したに違いないのだ。

 ただ、未湖に言わせれば、それはいわゆる『萌え』にすぎないのだが、異世界人の彼が、そんなものを理解できるはずがない。だからこそ、アレクは未湖を救世主と信じて疑わず、何があろうとも傍で仕えたいと思っている。

 たとえ、あの絶望的に無責任な演説を聞いたあとでも、それは変わらない。

 国家反逆罪に問われそうな今も、彼女を守らなければという使命感は同じ――いや、むしろ増しているかもしれない。

 何故なら、今、この世界で彼女の護衛役は自分しかいないからだ。

 あの天使の如き愛らしい声を持つ未湖を守るということは、アレクの心に不思議な満足感をもたらしてくれる。いや、それどころか、自分が兵士になったのは、このためだったと思えるほどのやりがいを感じている。

「……うーん」

 じっと見つめていたせいか、居心地悪そうに未湖が寝返りを打った。

 ぱちりと火の爆ぜる音がして、焚き火に目をやったアレクは、小さな声を耳にした。

「…うう」

 未湖の声。どうやら、夢にうなされているらしい。

 再び彼女の寝姿に目を向けたアレクが、起こしたほうがいいのか迷っていると、視界に見慣れないものが映った。

(――…涙…?)

 未湖の閉じられた上下の瞼の境界線から、わずかに滲んだ透明な雫。視力のいいアレクは、目ざとくそれを見つけてしまい、慌てた。

 ――きっと、泣くほど恐ろしい、もしくは悲しい夢を見ているに違いない!

 すぐにでも起こして差し上げなければ。そう思って近づいたアレクは、思いがけない言葉を耳にして動きをとめた。

 未湖は、眠ったまま――涙を滲ませたまま、こう呟いたのだ。

「…アルベルト様。いつになったら会えるの…?」

 アルベルト。それは、未湖がアレクの偽名に選んだ名前だ。しかし、今、彼女が呼んだのは、アレクではない。他の誰かだ。

 未湖は、アレクをアルベルトと呼ぶが、決してアルベルト様、なんて言わない。もちろん、涙を見せたりもしない。

(……一体、誰の名前なんだろう…?)

 弱みを見せない強気な未湖が、涙を流して切なげに呼ぶ名前の主。本物のアルベルトという名の人物は、どういう男なのだろう。

 うなされている未湖を起こさなければと思うのに、何とも心がもやもやしてしまって、結局、彼女を起こしそびれてしまった。



        *       *       *



「…うーん、まぶしい」

 自分の体内時計を信じるなら、まだ朝の五時かそこら。ジリジリと朝日が眠い目を攻撃してくる。ぎゅっと固く瞼を閉じても眼球を刺激してくる強烈な光に耐えきれず、未湖は、パッと目を開けた。

 降り注ぐ陽光は、真夏のようにぎらぎらと輝いていて、それは、とても朝日とは思えない力強さで――。

「…あ、あれ? もしかして、もう昼だったりする…?」

 見上げた太陽は、空高くまで上がっている。ということは、今は早朝どころか、昼だ。

 ぐう、と空腹を訴える音がして、思わず腹をさする。

「…お腹空いた。っていうか、もう昼って……ヤバくない?」

 空腹も問題だが、追われている身としては、とっくに出立していなければいけない時間帯だ。こんなところでぐうたらしている間にも、容赦なく追っ手が迫っているのだから。

「んもー、何で起こしてくんないわけ? これで捕まったら、あんたのせいだかんね?」

 近くの樹木の根元に腰を下ろしているアレクを睨むと、彼は何やら思案顔のまま、じっと地面を眺めていた。

「…ちょっと! 何、無視してんのよ?」

 何だか、様子が変だ。

 近づき、傍にしゃがんで顔を覗き込んでみると、そこでようやく未湖の存在に気づいたらしいアレクが、驚いて面を上げた。あまりにも勢いよく頭を動かしたせいで、がんっと後頭部を木の幹に打ちつけてしまう。

「うわ、いったそー…」

 たんこぶができてもおかしくない音がした。

「いっ、ててて」

 アレクが後頭部を押さえて涙目になる。相当痛かったようで、しばらく無言のままプルプルしていた。未湖は、その震えがとまった頃を見計らって口を開いた。

「で、さっきの話の続きだけど。何で、起こしてくれなかったの? おかげで、朝ごはん食べ損なったじゃないの。さっきからキュウキュウ言ってる腹の虫をどうしてくれるわけ?」

 はっきりいって寝坊した自分が悪いのだが、いつも目覚まし時計と母親に頼っている未湖にしてみれば、目覚めなかった自分よりもアレクが起こさなかった罪のほうが重い。

 理不尽な未湖の怒りに、アレクが後頭部を押さえたまま目をしばたたかせ、

「……す、すみません。起こしそびれまして」

 と視線を逸らす。

「? 何で目を逸らすわけ? あんた、まさか、寝てる私を前に、いやらしいこととか考えてたんじゃないでしょうね? それとも、何か後ろめたいことでもあるとか?」

 あまりに彼らしくない不審な態度に、未湖がうろんげな目を向ける。

 すると、アレクはあからさまに動揺して、首を激しく横に振った。

「う、後ろめたいことなんてないです! 寝言を聞いてしまったのは、不可抗力というか、偶然耳に入っただけで!」

「…寝言? え、私、何か言ってた?」

 自分が眠っている間のことなんて、知るはずもない。もしかして、恥ずかしいオタク発言でもしていたのだろうか。

 ひやひやしながら訊くと、アレクは急に視線を落として、ぼそぼそと小さな声で言った。

「…その、アルベルト様といつ会えるのって…」

「!! マジで、そんなこと言ってた?」

 恥ずかしい!

 確かに、夢のなかでアルベルトに会っていた。彼と相思相愛になりながらも、とある貴族令嬢の嫌がらせで離れ離れになり、涙に暮れながらもまた会える日を夢見て涙する――という夢を見ていた。あまりにも切なく悲しかったせいで、その内容は嫌というほど覚えている。

 そんな妄想たっぷりの夢を覗き見られたような気がして赤くなる未湖とは対照的に、アレクはひどく暗い表情をしていた。

「……あの、アルベルト様って、誰なんですか? 自分の偽名と同じ名前ですよね? もしかして、あちらの世界での――こ、恋人とかですか?」

「え、恋人?」

 一瞬、麗しいイラストと声が蘇って、未湖が赤らんだ頬に手を当てる。

「まあ、そうね。こんな世界に来なければ、今頃、彼と熱く愛を語り合っていたところよ。美しい庭園を一緒に散歩したり、綺麗な星空を眺めたり――」

「……ど、どういう御方なんですか?」

 何故かアレクが真剣な顔で詰め寄ってくる。未湖は、そんな彼の様子を疑問に思ったが、陶然とした面持ちで愛するアルベルト様について語り始めた。

「アルベルト様はね、眉目秀麗で何をやってもスマートにこなしてしまう、紳士のなかの紳士なの。しかも、頭もよくて性格もいいのよ。公爵家に生まれて、いろいろと苦労もあっただろうけど、努力と才能で素晴らしい男性に成長したの。容姿も素敵なんだけどね、私としては、声のほうがポイント高いわ。マジでヤバいわよ、あの声! ああ、あんな素敵な低音ボイスで甘く愛を囁かれた日には、たいていの女は一発KOされちゃうこと請け合いよ! ネットで公開されてたセリフをいくつか聞いたんだけど、これがもー、ヤバくってさー! あまりに興奮しすぎて、酸欠になりそうだったわよ! 何で、アルベルト様みたいないい男が独身なのって、誰もが思ったに違いないわ! でも、まあ、乙女ゲーだもんね。ありえない設定ってのが普通にごろごろしてて当然だし、そこに突っ込みは無用よね。でさ、アルベルト様の好きなものがこれまた意外性にとんでて、可愛くって」

 語り出すととまらない。しかも、途中からは公式設定ではなく、完全に未湖個人の妄想による偽情報にすり替わっていたが、本人は気づいてすらいない。

 とにかく、嫌いなところが一つもないキャラクターのため、飛び出す言葉のすべてが賛美。崇拝しているといっても過言ではないレベルなので、延々と小一時間も大好きなアルベルト様について語り続けてしまった。

「――というわけよ。わかった?」

 上機嫌でアレクを見ると、彼はひどく気落ちした様子で頷いた。

「…はい、わかりました。要するに、アルベルト様というのは、公爵子息で、眉目秀麗、性格もよくて紳士的で女性にモテている、と。ですが、過去の悲しい恋愛が原因で人を愛せなくなったものの、救世主様の愛の力に救われ、今では仲睦まじい間柄、ということですよね?」

「そう。だから、何としても元の世界に戻りたいわけよ。私にとっては、アルベルト様がすべてだもの」

「………そうですか」

 何故か、先ほどよりも落ち込んだ様子のアレクに、未湖は首を傾げた。

 そこまで落ち込むような話をした覚えはないのに、明らかに傷心している。

 そういえば、未湖が起きたときから彼は元気がなかった。昨日までは、無駄なくらい張り切っていたというのに、どうしたのだろうか?

(…とにかく、このままじゃマズイわよね)

 追っ手が近くまできているかもしれないし、空腹も我慢の限界に近づきつつある。さすがに、この重い空気のなかで木の実をかじる気にはなれないし、何といっても、アレクの機嫌をとって安全地帯まで連れて行ってもらわなくては、生命にかかわる事態に陥る。それだけは、何としても阻止しなくては。

 そう思った未湖は、一つ咳払いをして、愛らしいロリ系妹キャラの声で話しかけた。

「ねえ、お兄ちゃん。急に静かになっちゃってどうしたの? 悩みがあるなら、言ってほしいな」

「!」

 さすが声フェチ。どんなに落ち込んでいても、好みの声には即座に反応する。

 ぱっと面をあげて、赤らんだ顔でこちらを見やる。

 そのまま、血走った目でガン見されて、未湖は若干引きながらも質問を続けた。

「ど、どうしたの、お兄ちゃん? 黙ってたらわかんないよ? 悩みがあるなら、教えてほしいな。未湖、お兄ちゃんのこと、何でも知りたいんだ」

 自分でも、ドン引くようなセリフに鳥肌が立つ。こんなセリフも気遣いも、柄ではないとわかっている。しかし、この逃亡生活が終わると死地にまっしぐらなので、アレクには頑張って逃げてもらわないと困る。

 そう自分に言い聞かせて、顔面に愛想笑いを張りつかせる。

 アレクはというと、一見いじらしいセリフに感動したのか、おもむろに未湖の手を取ったかと思うと、どばーっと涙を流した。

「…え、ちょっと、何で泣くのよ??」

 わけがわからず慌てる未湖に、アレクは男泣きしながら訴えてきた。

「申し訳ありませんっっ! 救世主様の天使の如き美声が一人の男のものだと思うと、自分、耐えられなくてっっ!」

「……は? 声?」

 何を言っているんだ、コヤツは?

 より詳しく事情を聞いてみると、つまりはこういうことらしい。

 アレクは、未湖のロリッ子仕様の萌え声に惚れこんでおり、その本体――つまりは、未湖本人が他の男のモノだと知り、惚れこんだ声そのものを奪われたような気がして落ち込んでいるのだそうだ。

 それを知った未湖は、戦慄に近いものを感じて、思わず閉口してしまった。

(…出会って数日で、この執着ぶり。声フェチって怖いわー…)

 単純な奴ほど、一度、悪いほうへ転がるとどこまでも堕ちていってしまうものだ。ましてや、それが情熱を注ぐものなら、なおさら深みに嵌まる。

(――もしかして、アレクってば恋愛経験ないんじゃないの?)

 乙女ゲー好きの未湖は、仮想世界ではあっても常に本気で恋愛している気分でプレイしている。だから、ある意味においては恋愛上級者といってもいいかもしれない。そんな未湖の目から見て、萌え声に恋するアレクは非常に危うく映る。

(…下手すれば、ヤンデレに成長しそうな予感がするわ…)

 マタギの男を平然と脅していたことや感情の起伏の激しさからして、充分に考えられる展開だ。

 ビジュアルさえよければ、ヤンデレだろうがドSだろうが好ましく思う未湖にしてみれば、これは危惧すべき事態だ。

(……ここは、正しい方向へ修正しないと、私の身がもたないわね)

 この世界で生きるには、この世界の人間に助けてもらわなければいけない。アレクは、最初から未湖に好感を抱いているようなので、ここで手放すには惜しい人材だ。

 未湖は、慰めるようにアレクの顔を覗き込み、にこりと微笑んだ。

「大丈夫、何も心配しないで。私のあの声は、あんただけのものだから。約束するわ」

「! ほ、本当ですかっ?」

 ぱあっと満面に花を咲かせる、単純男のアレク。

 それに笑顔を向けたまま、未湖は頷く。

「うん、本当。私の心はアルベルト様のものだけど、それ以外は違うから」

 そう、ゲームキャラである彼に捧げられるのは、この心だけ。

 できることなら、人生そのものを委ねてしまいたいが、さすがにそこまで非現実的にはなれない。

(…まあ、ゲームキャラは私を養ってくれないしね…)

 どうせ異世界に行くなら、あのゲームのなかに入りたかった。そうすれば、ずっと最愛のアルベルトの傍でご尊顔を拝しつつ、公爵夫人として贅沢三昧の毎日が送れたのに。

 笑顔の下でそんなふざけたことを考えているとは露知らず、アレクは、感動しきりに未湖の手をぎゅっと握りしめて、再びドバーッと涙を流した。

「ありがとうございます、救世主様! 自分、救世主様のためならどんなことでもします! 頑張りますっっ!」

「…うん、わかったから、手、離してくれないかな…」

 張り切っているのはわかるが、握られた手が潰れそうなほど痛い。

 ややしかめ面になった未湖の様子に慌てて、アレクは手を離した。

 その目は赤いままだったが、すっかり機嫌を取り直したらしい。よかった。

「んじゃ、元気が出たところで、軽くご飯を食べて出発するわよ」

 空腹のまま、乗馬はツライ。少しでも何か口にしておきたいところだ。

 未湖の声に、彼は忠実な愛犬のように素直に応じた。

「はい。この時間ですと、焚き火する時間はありませんから、干し芋の残りと木の実ですませましょうか。自分、水を汲んできます」

 アレクが水筒を手に出かけるのを待たずに、未湖は麻袋から木の実数個と干し芋を一つ取り出した。干し芋は食べていると喉が渇くので、水分補給は欠かせない。しかし、酸っぱい木の実を口に放り込めば唾液が出て、その問題は解消される。

 芋の甘味と木の実の酸っぱさはあまり相性がいいとはいえないが、苦痛になるほどではない。むしろ、慣れればおいしく感じるようになるかもしれない。

(…よく考えれば、あっちの世界じゃ保存料たっぷりのものばかり食べてたわよね)

 母親はあまり料理上手ではないので、たいてい、冷凍食品やレトルト食品に一味加えただけのアレンジ料理が主だった。だからなのか、素朴な味わいは新鮮で、何だか健康的に感じられる。

「お待たせしました、救世主様」

 犬というよりは猫みたいな身軽さで帰って来たアレクに、未湖がピシャリと告げる。

「救世主じゃなくて、ミラージュと呼びなさい」

 未湖自身、ちょっと忘れかけていた設定を思い出したアレクが、はっとして訂正した。

「す、すみません、ミラージュ様」

「それでよろしい――…あ、そういえば、あんたの偽名なんだけど。アルベルトが嫌なら、他のを考えるけど、どうする?」

 アレクのアルベルトへの妙な対抗心というか嫉妬を思い出して問うと、彼はちょっと考えて、そうですねと頷いた。

「…その、やっぱり他の名前のほうがいいです。その名前を聞くと、モヤモヤしてくるので」

「そっか。じゃあ――…ライナーっていうのはどう?」

 思いついたのは、以前、嵌まっていたアニメのライバルキャラの名前である。男前な面に似合わず、スイーツ好きで女が苦手というギャップに萌えたものだ。

「ライナーですか。わかりました。それでお願いします」

「オッケー。んじゃ、ライナー。食べながら、今日の予定を確認しましょうか」

「はい。今日は、時間的にあまり距離を稼げそうにありませんから、この辺りで情報収集しておくのもいいかもしれません。相手の動向がわかれば、そのぶん逃げやすくなりますからね」

 アレクは、頭を切り替えて、地図を広げた。

「おそらく、今日の夕刻までには、この町まで進めると思いますので、今晩は、そこから少し離れたところにある林に隠れるのがいいと思います」

 彼が示したのは、最終目的地の二つ手前にある町・マティルドだった。

「うん。で、情報収集ってどうやるの?」

「自分が、ひとっ走りして町まで行ってきます。できれば、食糧や服の確保もしますが、そこまで手が回るとは思えませんので、あまり期待はしないでください」

「要するに、あんたが町に潜入して、敵の動向を探ってくるってことでいいの?」

「はい。夜なら、手配書が出回っていたとしても顔を隠しやすいですし、酒場に行けば、常駐の兵士たちの世間話が聞けますから、何かしら情報が得られるでしょう」

「…そっか。そういうのは私、よくわかんないから、あんたに任せるわ。で、私は林のなかでじっとしてればいいのね?」

「はい。万が一、敵に遭遇した場合は、これを投げてください」

 言って彼が手渡してきたのは、手のひらほどの小さな包みだった。中身を確認してみると、黒々と輝く小さな泥団子のようなものがいくつか入っていた。

「…これ、何?」

 直径二センチほどのそれを一つ手に取ってみると、思ったよりもずしりとしていた。

 よくわからないまま、じろじろと観察する未湖に、彼は言った。

「落とさないように気をつけてくださいね。玉に一定以上の衝撃を与えると、爆発しますから」

「…へ、ば、爆発?」

 思わず落としそうになって、慌てて持ち直す。

「これ、火薬なの?」

 とても、そんな危険物には見えないが――。

 未湖の質問に、彼は目をパチパチさせた。どうやら、この世界には火薬というものは存在しないようだ。

「いえ、それは火炎石の粉末を加えた爆発玉です。とはいっても、その大きさですから、一時的な足どめにしかなりませんけど――それでも、二、三人の兵士相手なら充分です」

「充分って――爆発したら、私も危険じゃないの? っていうか、私、戦う能力も逃げる脚力も皆無なんだけど」

 我ながら、面倒な女だと思う。しかし、実際、アレクがいなければ逃亡さえままならないのだから、仕方ない。

 アレクは、不安げな未湖を見つめ、安心させるように言った。

「これは、直接投げることもできますが、地面に仕掛けることも可能なんです。時間差で爆発させることもできますし、使い勝手がいいのが特徴なんですよ」

「…ふうん、地雷っぽい使いかたもできるのね。でも、地面に仕掛けても、相手が踏まないと意味ないんじゃない?」

 となれば、うまい具合に誘導しなくてはいけないが――未湖の運動能力と体力を思えば、誘導する前に捕まってしまうに違いない。

 しかし、彼は言う。

「大丈夫ですよ。自分が出かけるときにいくつか仕掛けていきますが、敵を誘導する必要はありません。兵士の行動は自分が熟知していますので。ですが、ミラージュ様もいざというときのために持っていてください。投げるときは、真っすぐではなく、なるべく上に弧を描くようにして投げると、逃げる時間が稼げますよ。ただし、頭上の木の枝にぶつけないように気をつけて投げてくださいね。怪我したら大変ですから」

「…っていうか、そもそも、逃げながら投げる行為自体が無理っぽいけどね」

 まあ、ナイフとか渡されるよりはマシかもしれないが――それでも、鈍くさい自分にそんな器用な真似ができるとは思えない。

「何も、直接相手に当てなくてもいいんです。近くに落とすことができれば、爆風が足どめになりますからね」

 そうは言われても、逃げきる自信はなく、何とも不安が残る。

「ねえ、私も一緒に行っちゃ駄目?」

 一応訊いてみると、彼はちょっと困ったような顔つきになった。

「…構いませんけど、酒場とか、ちょっと危険かもしれませんよ?」

「え、何で? 酔っ払いが多いから?」

 まだ未成年なので、そういう場所に行ったことがない未湖が首を傾げる。すると、彼は溜息まじりに口を開いた。

「…ミラージュ様のように、上質な服を着た若い女性というのは、どうやっても目立ってしまうんですよ。絡まれたり口説かれたり……まあ、王都と違って田舎町なので、そこまで神経質になる必要はないかもしれませんが――万が一、騒動に巻き込まれた場合、常駐している兵士たちに取り囲まれ強制連行、なんてこともありえますからね」

「……それは嫌ね」

 やはり、一人で留守番していたほうがよさそうだ。

 何とも憂鬱になってしまうが、追っ手と鉢合わせするとは限らないのだ。何ごともなく過ぎるかもしれないので、それを願いつつ、未湖は、地図をしまうアレクの手元をぼんやりと見つめたのだった。


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