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アニソン・クエスト  作者: 谷崎春賀
4/7

三・逃げたウサギは、どこへ行った?

    《 三・逃げたウサギは、どこへ行った? 》



 質素ながらも王の威厳だけは最小限に保っているマードロの執務室に、想定外の情報がもたらされたのは、未湖たちが逃亡して二時間後のことだった。

 薬で眠らせた未湖を、激戦区と化した戦場の最前線へと強制輸送していた部隊から、緊急連絡用の伝書鳥が放たれた。その足には手紙の入った細い筒がくくりつけられていて、なかには小さな手紙が入っていた。

 その暗号化された手紙を受け取ったマードロは、内容を確認して我が目を疑った。

「…と、逃亡、だと? まさか、そんなことが…」

 兵士たちに馬車を囲ませて、未湖が目覚めたときに再び薬を嗅がせて眠らせる役の兵士も同乗させていたというのに――どういうわけか、救世主の少女は兵士の一人を連れて逃亡したという。

「おい、これはどういうことだ? あの小娘が敵前逃亡しないように万全を期したのではなかったのか?」

 手紙を握りしめて立ち上がるマードロの低い声に、書類の整理を手伝わされていたオットーが面を上げた。

「ええ、そのように手配したつもりですが」

「確か、担当は第五警備隊とか言っていたな。お前の直属の部隊だろう。何故、こんなことになった? 手紙によれば、逃亡の手助けをした兵士がいたそうではないか!」

 ばんっと大きな執務机を叩くと、その反動で広げていた書類が床に散った。それらを拾いながら、のほほんとした口調でオットーが答える。

「落ち着いてください。今も救世主様の捜索は続けているのでしょう? ならば、見つかるのは時間の問題ですよ。それで、陛下。救世主様逃亡の手助けをしたのは、何という名の兵士ですか?」

「ん? 名前か?」

 あまりのことにそこまで確認していなかった。

 握り潰した小さな手紙を広げて、その名を確認する。

「アレク・リスモンドとかいう新兵らしいな。どうやら、あの女と同乗していた兵士らしい。急に馬車を降り、馬を強奪してそのまま小娘と逃げたそうだ」

「…あー、彼ですか。これはまた、厄介なことになりそうですねえ」

 オットーが柔和な顔に珍しく苦渋の色を浮かばせる。

「そんなに厄介な男なのか? 新兵なのだろう?」

 未熟な新米兵士を追い込むのに、何をそんなに思い悩む必要があるのか、マードロにはわからない。

 拾った書類を執務机に置いたオットーは、吐息まじりに言う。

「彼は、少々規格外なんですよ。兵士訓練を受け始めたのは十五歳と遅いのですが、とにかく武術一般の技能が素晴らしくて。ええ、いわゆる天才という奴です。ですから、本来ならば貴人の推薦がなくては入れない、城内警備隊の見習いとして雇うことにしたんですよ。人材不足の今、貴重な逸材ですからね」

「…そんな有望な人材を、何故、あんな小娘につけたのだ? 手元に置いて育てればいいだろうに」

「ええ、最初は別の部隊に行かせる予定だったのですよ。ですが、彼がどうしても救世主様の供をしたいと言い出しまして」

「そんなもの、拒否すればよかったではないか」

「もちろん、反対しましたし、そういう内容の上官命令も下しましたよ。そうしたら、今度は兵士をやめて一個人として出立すると宣言したもので、やむなく第五部隊をつけたのです。こんなことで彼のような才能ある若者を失いたくありませんからね」

「――ふむ、納得はいかんが、事情はわかった。しかし、何故、アレクとかいう者はそこまで救世主にこだわるのだ? よもや、旧知の仲というわけでもあるまいに」

 マードロの質問に、オットーも首を傾げる。

「そこが私にも謎なんですよ。思い当たる、というか、何かあったとすれば、救世主様の部屋の前で警備をしていたことがありますので、そこで何かしらあったのかもしれませんが…」

「――何かって何だ。よもや、あんな色気もクソもない小娘に籠絡された、というわけでもあるまい?」

 未湖は、男をたぶらかせるような魅惑的な容姿ではなかったし、言動も粗野でいいところなど一つもない。少なくとも、マードロはそう思っている。救世主でなければ、速攻、不敬罪で首をはねているところだ。

 そんな女のために、国を敵に回してまで罪を犯す男がいるとは到底思えない。

 となると、アレク自身に何かしらの思惑があったと考えるべきだろう。たとえば、実は救世主を欲している他国の密偵だった、とか。

 その辺を確認してみるが、アレクの上官であるオットーは首を横に振った。

「城内で働く者たちは、例外なく厳しい身元調べを受けますし、定期的に行っている抜き打ち検査でも、彼に怪しいところはありませんでしたよ。私個人の感想を言えば、彼は素直すぎる性格で、とても隠しごとをしたりよからぬことを企てたりするようなタイプではありません。もし、問題を起こすとすれば、外部からの干渉があった場合ではないかと」

「…つまりは、他国が干渉してきているということか?」

 この世界に救世主を欲する国は少なくない。それがいるのといないのとでは、国民感情や兵士の士気が違ってくるのだ。となると、救世主の召喚に着手したことを嗅ぎつけた他国が、王城に密偵なり協力者を送り込み、彼を利用したとしてもおかしくない。

(…儀式は、三ヶ月にも及ぶ大掛かりなものだったからな。完全に隠しきれたとは言い切れん)

 準備期間を含めた半年ほどの間、警戒を怠ったことはないが、どこにでも抜け道はあるものだ。知らないうちに間者が紛れこんでいる可能性もなくはない。

 真剣な顔つきになる王を見やり、オットーは目を閉じた。

「――とにかく、本人から事情を訊くまでは、真実はわかりません。ここであれこれ推論したところで時間の無駄です。陛下、個人的に追跡部隊を編成し、捜索させてもよろしいでしょうか? 問題のある娘とはいえ、救世主様を失うわけにはいきませんから」

「ああ、許可する。すぐにあの小娘と件の兵士を捜し出せ」

 彼女が来てからというもの、ストレス性と思われる頭痛と胃痛がひどくなった。このままでは、政務にも支障が出かねない。

 マードロは眉を寄せ、机の上に置かれた書類の束を見下ろした。

「あの小娘に関する全権は、お前に預ける。好きにやってくれ。あと、王城の警備強化も忘れるなよ。これ以上、余計な面倒は御免だからな。わかったら、さっさとさがれ。私は、早急にこの書類どもを片付けねばならんのでな。いい報告を期待しているぞ、オットー」

「…はい、お任せください」

 王の言葉に、オットーは恭しく頭を垂れながら心のなかで思った。

 こいつ、面倒ごとから逃げたな、と。

 しかし、政務が滞っても困るので、オットーはおとなしく退室して、手早く新たな捜索部隊を編成して指示を出したのであった。



       *        *        *



「…んじゃ、もう一回確認するわよ?」

 細かな砂利でできた河原近くの木陰で休憩しながら、未湖が言う。

「町に行ったら、まずは変装するための服を買う。残ったお金でご飯を食べて、まだ余裕があるようなら、宿屋に泊まる。もちろん、偽名でね。ここまではいい?」

 いわずもがな、資金はすべてアレク持ちである。その点に関して、彼自身、異論はないようで、財布の中身を確かめながらすんなり受け入れてくれた。

 作戦を再確認する未湖に、馬に川の水を飲ませていたアレクが頷く。

「はい。ええと、我々は兄妹って設定で、救世主様はミラージュ様、自分はアルベルトという偽名でいいんですよね?」

「うん。私、こっちの文字は全然読めないし書けないのよ。宿帳にはあんたが名前を書くことになるんだから、ちゃんと間違えないようにしてね」

「はい、大丈夫です。任せてください、救世主様」

「…だから、救世主じゃなくてミラージュって呼びなさいって言ってるでしょう? どこでボロが出るかわかんないんだから、今から呼び慣れておかないと。ついでに、その敬語もやめて。兄妹で敬語っておかしいから」

 未湖のうんざりしたような指摘に、アレクは慌てて言い直した。

「す、すみません、救世主様!」

「……あんた、わざとやってないわよね?」

 アレクは、馬鹿ではないのだが、とにかく呑み込みが悪い。

 追っ手を撒くために作戦を立てても、彼はわかっているのかいないのか、同じ失敗を繰り返す。何度、敬語を注意しても直らないし、救世主扱いのまま未湖に接しようとする様には、苛立ちを覚えてしまう。

「はあっ。これじゃ、兄妹というよりは、お嬢様と使用人が駆け落ちしてるって設定のほうがしっくりくるわね。それなら、様づけも敬語もおかしくないし」

 仕方なく妥協しようとすると、彼は慌ただしく目をしばたたかせた。

「えっ、じ、自分が救世主様の恋人役ですかっ!? そんな、恐れ多いです! っていうか、自分としては、お兄ちゃんと呼ばれるほうが嬉しいのですが!」

「……あんた、ガチで妹萌えだったのね」

 ちょっとそんな予感はあったが――あまりにもベタすぎて、面白味に欠ける。

「とにかく、あんたが敬語やめないんだったら、恋人ってことで話を進めるから。わかったわね?」

「…うう、はい」

 頷きながらも、じーっとこちらを恨めしげに見つめる視線に負けて、未湖は溜息をついた。

「あー、もう、わかったわよ。一日に一回は、あんたの好きな声でお兄ちゃんって呼んであげるから。それで我慢しなさいよ」

 未湖の提案に、アレクは目を輝かせた。

「ほ、本当ですかっ? で、できれば、自分としては一日三回ほどがいいんですが!」

「調子に乗らないで。さ、休憩したら行くわよ。いつ、追っ手がくるかわかんないんだから」

 言いながら足を前に出そうとしたら、ちょっと頭がふらついた。

 よく考えれば、あの演説からこっち、ろくに食事をとっていない。というか、水すら口にしていない。

 それに気づいたのか、アレクが慌てて近づいてきて、木製の水筒を手渡してきた。

「飲んでください。あと、これを」

 言って差し出したのは、小さな麻袋。絞ってあった口を開けてみると、なかには赤い木の実が詰まっていた。

「非常食です。そんなに腹は膨れませんけど、栄養価は高いですから、少しは力が出ますよ」

「…ありがと」

 素直に礼を述べて、水を一口、少し硬めの木の実をひとかじりする。水分と甘味が、じんわりと身体に染み渡っていくのがわかった。

「……ん、甘酸っぱくておいしいわね、この実。イチゴみたいな味がする」

 ちなみに、イチゴは未湖の好物である。

 つい、二個、三個と食べてしまって、あっという間に非常食はなくなった。

「あ、ごめん、一人で全部食べちゃった」

 さすがに悪いなと思って謝った未湖に、アレクはおっとりと微笑んだ。

「いえ、いいですよ。元気が出たならそれで」

「……そ、そう…?」

 てっきり、非常食は大事に食べてくださいとか注意されるかと思ったのに、あまりに寛容すぎる反応に拍子抜けしてしまう。

(…うーん。アレクって、優しいっていうより、お人好しすぎるわよね…)

 別に、それは悪いことではないのだが、少し心配になってしまう。

 もし、未湖の世界に生まれていたら、悪徳商法だの詐欺だのに片っ端から引っ掛かるに違いない。もちろん、未湖に彼をどうこうしようという悪意はないし、そういう裏表のない彼だからこそ安心して一緒に行動できるのだが――逆に考えれば、悪人に利用され易い性格ともいえる。そう考えると、常に主導権は未湖が握り、彼の行動をしっかりと管理する必要があるだろう。

「あ、向こうに小屋がありますね。人家ではなさそうですが…行ってみますか?」

 ふと、アレクが目を凝らして言った。

「え、小屋って……何も見えないけど」

 未湖が眉をひそめると、彼は前方を指差した。

「この川に沿って進んだ先ですよ。ほら、青色の屋根の。見えませんか?」

「見えない。何か森っぽいのが見えるだけで」

 川の流れに沿って進んでいくと、やや鬱蒼とした木立に囲まれた場所に出る。そこまでは、未湖にも見える。しかし、その先にあるという小屋は、木々が邪魔しているのか見当たらない。

「本当にあるんでしょうね?」

「ありますってば。見た感じ、伐採小屋、もしくは狩猟小屋のようです。うまくすれば、食糧なんかが手に入るかもしれませんよ」

「…そうね。他にも何か役に立つものがあるかもしれないし、行きましょうか」

 とりあえず、簡単な水分補給と栄養摂取を終えた未湖を馬上に上げて、アレクがその後ろに乗る。

 そして、半信半疑の未湖を乗せたまま、馬は十分ほど川沿いに進んでいき――未湖は、驚きの声をあげた。

「わ、マジであった!」

 青い屋根の建物が、視界の端に見えた。

「あんた、こんなのよく見えたわね。普通なら見えないでしょう、木が邪魔して」

 小屋の周囲二メートルだけは木がなかったが、それ以外の場所には葉を茂らせた木々が立ち並んでいる。

「自分、目はいいんですよ。よく、上官にも褒められます」

 アレクが、ちょっと自慢そうに言って、馬をとめた。

 未湖は、地面に降ろしてもらうと、きょろりと周囲を見回した。

 そこは、周囲を木立に囲まれた、なかなか閑静な場所だった。目の前にある小屋は小さめで、どこかのキャンプ場の簡易コテージみたいに見える。壁も屋根も木製で、やや古びているものの、それなりに手入れされているようで、あちこちに修理のあとがあった。周囲にある伐採された木の株には、何か液体のようなものが塗ってあって、何だろうと不思議に思っていたら、その液が防腐剤のような役目をするのだとアレクが教えてくれた。

「さ、なかに入ってみましょうか」

 小屋には鍵がかかっていなかったため、勝手に屋内を物色し始めたアレクの背中を追って、未湖も小屋のなかに入ってみた。

 窓はなく、屋根の近くの壁に幾つか換気用の穴らしきものが開いているだけで、室内は薄暗いうえに埃っぽく、やたらとごちゃごちゃしていた。気をつけないと、足をとられて転びそうだ。

「あ、ほら、見てください。あそこに、大きな袋がありますよ」

 アレクは、奥のほうにあった大きめの麻袋を見つけて外まで引っ張り出すと、袋の封を解いて中身を広げた。

「…また、袋が入ってるわね」

 大きな麻袋のなかには、さらに袋が三つ入っていた。

 そのうちの一つを開けてみると、先ほど未湖が食べたような木の実が、二つ目の袋には、穀物らしきもの、最後の一つには乾燥キノコと干し芋が乱雑に入っていた。

「……うーん、すぐに食べられそうなのは木の実と干し芋くらいね」

 ちょっとがっかりする未湖を見やり、アレクは明るい声で言った。

「これだけあれば、大丈夫ですよ。自分に任せてください、救世主様」

「救世主じゃなくて、ミラージュでしょ」

 ぴしりと言う未湖に、アレクが慌てて言い直す。

「ミ、ミラージュ様。自分が食事をつくりますので、少し待っていてください」

「え、食事? ……いや、わざわざそこまでしなくていいわよ。別に、ガッツリ食べたいってわけじゃないし」

 身体は疲れていて、栄養を欲しがっているとは思うが、追われている緊張感のせいか、食欲はあまりない。飴とかチョコとか、甘くて口に含めるものがあれば満足できるのだが――やけに張りきっているアレクは、未湖に小屋で隠れているように言ってから、馬に乗って、どこかへ行ってしまった。

「…もう、いらないって言ってるのに」

 ポツリと漏れた呟きが、どこか寂しく響く。

 一人きりで見知らぬ場所にいるという状況は、どうにも人を不安にさせる。せめて、携帯ゲーム機とか漫画でも手元にあれば、何時間でもじっとしていられるのだが、ここではバード・ウォッチングくらいしかやることがない。

 そして――どれくらい待っただろうか。五分のような気もするし、三十分のような気もする。

「…一人でどこまで行っちゃったのよ、あの馬鹿は。こんなところで追っ手に見つかったらどうしてくれんのかしら?」

 小屋の外壁に背を預けて座り、退屈しのぎに文句を垂れ流していると、遠くから怪しい音が聞こえた。アレクの乗っていった馬の蹄の音ではない。もっと重くて、鈍い足音だ。

(…ま、まさか、く、熊とか?)

 ありうる。ちょっと行ったところには水辺があり、小屋の周りには木の実をたくさんつけそうな木々が立ち並んでいる。ちょっと探せば小動物なんかの獲物がいるだろうし、川には魚もいるはず。こんな快適な住処はそうそうないだろう。

 逃げることすら考えつかず、恐怖のあまり身体を強張らせた未湖だったが――音が近づくにつれ、それが人間のものらしいことに気づいた。つい、安心しかけて――ハッとする。

(…いや、待って。熊じゃないのはいいとして、追っ手かも)

 だとしたら、こんなところでじっとしているわけにはいかない。

 熊とは別の意味の緊張が走る。距離を取るべく駆け出そうとしたところへ、遠くから馬の蹄らしき音が聞こえてきた。やっと、アレクが帰って来たのだ! そう思うと、居ても立ってもいられなくなってしまう。

「もう、さっさと助けにきなさいよ、馬鹿っ!」

 思わず立ち上がった未湖の背中に、

「うん!? お前さん、どこの娘っこだ? んなとこで、何してんだい?」

 聞き慣れないダミ声が投げられた。どうやら、足音の主がすぐそこまで迫っていたらしい。

「!?」

 びくりとして振り返ると、絵本に出てきそうなマタギっぽい衣装を着た、ひげ面の中年男が立っていた。

「あ、いえ、その」

 未湖の視界の隅に、小屋から引き摺り出されたままの保存食の入った袋が見えた。これでは、どう言い繕っても、状況的には泥棒である。

「ち、違うんです、これは不可抗力というか何というか、そのう」

 おろおろする未湖の不審な様子に首を傾げた男は、引っ張り出されたままの袋を見やり、口を開こうとして――どすんと尻もちをついた。

「その御方に近づくなっ!」

 アレクが馬を巧みに操り、未湖と男の間に割って入ってきたのだ。

「な、な、何だあ?」

 目をぱちくりさせる男を一瞥して、アレクは腰にぶら下げている剣を引き抜いた。

「ひ、ひえええっっ」

 眼前に突きつけられた鋭利な刃の切っ先に、男が座ったまま後ずさる。

「ど、どうか命だけはご勘弁をおお」

 わけもわからずひれ伏す男の姿は、まさに、時代劇の一場面。しかし、悪者はこちらなので、たとえるならば、未湖は悪代官、アレクは雇われ用心棒といったところか。ここに正義の味方でも現れようものなら、問答無用で成敗されるところだが、そんなお約束はこの世界にはないようだ。

 颯爽と登場したアレクは、悪役には不似合いな善人面をこちらに向け、

「大丈夫ですか? すみません、すぐに戻る予定だったのですが」

 すっかり戦意喪失している男を横目に言う。未湖は、それにぎこちなく頷きを返した。

「う、うん、平気。それより、どこに行ってたのよ?」

 その問いに、彼はズボンのポケットから手のひらサイズの石を二個取り出した。やや赤みがかっているだけで、特に珍しいところのない石だ。

「…普通の石ね。これが何?」

 訊ねる未湖に、馬から降りたアレクが答える。

「これは、火炎石といって、河原にたまに落ちているんですよ。これを二つ打ち合わせると」

 石と石をぶつけると、ぶわっと小さな火柱があがった。

「……わ、すごっ」

 予想以上の火力に呆然とする未湖の目の前で、火柱はすぐに消えた。どうやら、これを探しに河原に戻っていたらしい。

「火と薪があれば、ちょっとした食事くらいはつくれますからね。見たところ、ウサギなんかもいるみたいですし」

「ウ、ウサギ!? ……た、食べるの?」

 未湖の表情が凍りつく。

 こちらの世界のウサギがどういうものかは知らないが、未湖の知るウサギは、食べるものではなく愛でるものだ。あんなにモフモフした可愛い生き物を殺して食べるとか、絶対に無理だ。

 未湖の反応に、アレクが心配そうな目を向けた。

「ウサギ肉は、お嫌いですか?」

「き、嫌いって言うかねー…肉自体は嫌いじゃないんだけど、ウサギよりは、野菜とかキノコのほうが好きだわね」

「そうですか。なら、キノコと野草で粥をつくりましょうか?」

「賛成……だけど、調理器具はどうすんの? 鍋とか持ってないわよね?」

 絶賛逃亡中なので、そんなものを持っているはずがない。すると、アレクは心配いらないとばかりに、ひれ伏したままのマタギ風の男を見下ろした。

「あのー、すみませんけど、そこの人。鍋と穀物、ついでに保存食をわけてくれませんか?」

 飛びこんできたときとは別人のようなアレクの朗らかな笑顔と口調が、逆に恐怖心を煽ったのだろう。

 男は、転びそうになりながら小屋のなかに飛び込んで、小さめの鍋や保存食の入った小袋、木の椀に大きめのスプーンなどを手当たり次第大きな麻袋に放り込み、アレクの前に置いた。

「ど、どうぞ。お持ちください!」

「ありがとうございます。あと、薪もいただけるとありがたいのですが」

 笑顔で追加要求するアレク。

 どう見ても、これは恐喝、もしくは居直り強盗的な何かだよね?

 そう思う未湖だったが、もらっておいて損はないので黙っておくことにした。

「あ、そうそう」

 目的のブツを手に入れた彼は、何やらマタギの男に耳打ちした。想像するに、今回の件を口外しないように口止めしたのではないかと思われる。マタギの男が、怯えきった小動物を思わせる表情でこちらを見つめてきたのが、妙に印象に残った。一体、何を言われたのだろうか…。ちょっと気になったが、答えを考えると怖くなってきたので、そこで思考を停止させた。

「さ、奥のほうで休憩しましょうか」

 アレクが、何ごともなかったかのように毒のない無邪気な微笑みを浮かべて、未湖を促してきた。そこには、善意こそあれ、悪意は感じられない。

(…うーん、アレクって実はヤバい奴なんじゃないの?)

 未湖への態度と、マタギの男との扱いの差があまりにもあからさますぎて、何だか不気味だ。平然と剣先を人に向けるところからして、キレたら何をするかわからないタイプなのかもしれない。とりあえず、今後、彼に敵認定されるような行為は避けるよう心がけるべきなのだろうが――未湖には、彼の思考がまったく理解できないので、その辺の気遣いはできそうになかった。

(…ま、心配したところでどうしようもないわよね)

 あれこれ考えても、やることは一つ。何があろうとも、前に突き進む。それだけだ。

 からりと開き直った未湖は、アレクと共に昼食を摂ることにした。


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