二・この国には、ろくな男がいない!
《 二・この国には、ろくな男がいない! 》
城内外は、大混乱。
あちこちを兵士が走り回り、何だかとんでもない事態に陥っている様子。
未湖は、血相を変えた兵士たちが駆けていく様を、分厚いカーテンの隙間から見ていた。
「あらら、こりゃヤバいかしらね」
演説を後悔するつもりはないが、まさか、ここまで騒動が大きくなるとは予想していなかった。
「…うーん、今、出てったら袋叩きにされるわね…」
ただ、素直な自分の気持ちを語っただけなのに、何故、ここまで大騒ぎする必要があるのだろうか。
実のところ、未湖は、マードロたちに何を頼まれたのかすらろくに理解していなかった。初対面のときよりは低姿勢になった彼らに、救世主なんかやる気がないと断言したら、とりあえず、しかるべき場で指示通りの話をしたらあとは自由にすればいいと言われたため、衣食住の確保を条件にそれを承諾しただけなのだ。しかし、いざ演説となったとき、とんでもない事態に陥った。事前にもらったカンニングペーパーを見てみたら、まったく文字が読めなかったのだ。これはもう、アドリブでやり通すしかない。だが、話すべき内容を把握していなかったため、とりあえず、思ったことを喋ることにした。我ながら、上出来だったと思う。そもそも、ぶっつけ本番で大人数の前で演説なんて、普通はできっこない。未湖にしてみれば、あれだけ大勢の人前で臆することなく話せたことのほうが驚きなのだ。
「やっぱり、マイクを持つと落ち着くわー」
とはいっても、未湖の手にあるのはマイクではなく、同じくらいの太さの笛のような楽器である。カラオケ愛が高じてか、マイクかそれに似たものを握りしめていないと大きな声が出せないため、奏者のお兄さんに頼みこんで借りたのだ。
「………このまま、しばらく隠れてたほうがいいわね」
冷静にそう判断した未湖だったが、カーテンの隙間からスカートの端がわずかに覗いていたことには気づいていなかった。
「…あ、あれえ? ここ、どこだっけ?」
未湖は、やけにガタガタ揺れる馬車のなかで目覚めた。
硬い木の床板に直接寝かせられていたせいか、身体中がギシギシと痛む。
「…お目覚めになられましたか、救世主様」
声は、頭の上から聞こえてきた。
「…救世主? あー、そっか。そういうことか」
カーテンの裏に潜んでいたのがバレてしまい、薬を嗅がせられて意識を失ったところまでは覚えている。そして、今は、馬車に乗せられてどこかに移動中ということらしい。
「うまく隠れたつもりだったのになあ。っていうか、どこに向かってるの、これ?」
訊きながら、身体を起こす。大きな石でも踏んだのか、がたん、と大きな音がして身体が傾ぐが、転ぶことはなかった。近くから伸びた手が支えてくれたのだ。
「ありがと。って、あれ? あんた、確か私を見張ってた兵士のお兄さんだよね?」
礼を言って見やった顔は、見知ったものだった。
召喚後、未湖が部屋に閉じ込められていたとき、部屋の扉の前で見張っていた警備兵の一人だったのだ。
褐色の肌に、短めの淡い金色の髪。目は神秘的な深緑色で、光に当たると少し青味がかって見える。濃紺と白の隊服の上には革製らしい薄手の鎧を装着していて、腰にはなかなか立派な刀剣がぶら下がっている。どこか頼りなげな口調で喋るのが欠点の彼の名前は、確か、アレク。年齢は十九の未湖より一つ年上だとか言っていた気がする。
「アレク、だっけ。ねえ、ちょっと状況を説明してくれない? 今、私、どういうことになってんの?」
アレクの隣に移動して訊ねると、彼はにこやかに答えた。
「今、我々は国境近くの町に向かっています。ちょうど、魔族軍との攻防が激化している地域ですね。そこで、救世主様に御力をふるっていただき、敵を殲滅していただきたいのです」
「……は? 魔族軍? 敵を殲滅? 何言ってんの、あんた?」
いきなりすぎる展開に、ぽかんとしてしまう。
「いやいや、それはないでしょう。だいたい、救世主の力なんて、私にはないから。っていうか、人違いだって何度も言ってるじゃない。どうして信じてくんないのよ?」
そう訴えるものの、何故か、こちらを見つめるアレクの目は、キラキラした希望に満ち溢れている。
「な、何よ、その目。気持ち悪いんだけど」
未湖が、本能的に危険を察知して距離を取ろうとすると、それより早く詰め寄ってきたアレクに熱苦しい眼差しを浴びせかけられた。
ウザいくらいに目を輝かせた彼は、鼻息荒く言う。
「いいえ、貴女様は紛れもなく救世主様です! どんなに否定されようとも、自分にはわかります!」
「え、いや、何でありもしないことを確信してるのか、よくわかんないんだけど…」
「素晴らしい歌を披露していらっしゃったではありませんか。あの歌を聴けば、誰しも救世主様の御力を疑いはしないでしょう!」
「う、歌? 別に、普通に歌ってただけだけど」
未湖にしてみれば、最初こそ音楽に乗って適当に声を出していただけだが、途中からアカペラでアニソンメドレーを歌っていただけにすぎない。まあ、なかにはセリフ入りのもあるので、発音等にこだわらなければ、声をつくって喋ることもできる。妖艶な魔女からあざと可愛い幼女まで演じる自信はあるが、所詮は遊び。プロに比べれば、比較にもならない出来栄えだ。
(……あ、もしかして…)
心酔しきった瞳でこちらを見つめてくるアレクとの会話を思い出した。
閉じ込められた部屋で好き勝手に歌っているうち、ふと訪れた静寂のなか、彼はリクエストしてきたのだ。
萌え萌えのアニメ声で歌った、魔法少女アニメのオープニングを。
「…アレク、あんた、単にアニメ声が好きなだけなんじゃないの?」
確認してみるが、アニメ声というのがピンとこないらしい。そこで、やや舌足らずなロリっ子萌えボイスで「この声が好きなの〜?」と質問してみたところ、ものすごく興奮しながら悶絶したので、間違いない。
こいつ、ロリッ子萌えだ。それも、重度の。
「き、救世主様! もう一度、天使のようなそのお声を聞かせてください! できれば、王城で歌っていた愛らしい曲を歌ってほしいであります!」
こりゃ、駄目だ。
目がヤバいくらい血走っている。ここで要求に応えたら、興奮のあまり襲われかねない。
未湖は吐息して、断固拒否した。
「嫌。何か、身の危険を感じるもの」
「そこを何とかっ! 自分にできることは何でもしますから!」
がしっと肩をつかまれ、激しく揺さぶられる。
未湖は、ぐらぐらする頭のなかで、ふと名案を思いついた。
こいつをうまく利用すれば、ここから逃げられるのではないか、と。
幸い、馬車のなかにいるのは、彼と未湖の二人だけ。しかも、相手の弱点は、ガッチリとこちらが押さえている。これを利用しない手はないだろう。
「…いいわ、好きなだけあんた好みの声を聞かせてあげる。でも、その代わりに、アレク。あんた、私をここから逃がしなさい」
未湖の提示した思いがけない交換条件に、アレクはきょとんとした。
「…逃がす、とは…?」
「今、私たちは戦場へ向かってるのよね? でも、私はそこに行きたくないわけ。だから、私を逃がしてほしいの」
「え、それでは救世主様のお役目はどうなるのですか?」
さすがに、アレクが渋い顔になる。
だが、ここで引き下がる未湖ではない。
「いいじゃない、私は救世主じゃないんだもの。きっと、今頃、本物の救世主を召喚してるわよ」
「で、ですが、そんな話は聞いてませんし」
「あんた、あの演説聞いたでしょ? 本物の救世主なら、あんなこと言わないと思わない?」
「そ、それは、まあ、確かにそうかもしれませんが」
だんだんと声の小さくなるアレクに、未湖がここぞとばかりに畳みかける。
「でしょでしょ? だから、私は人違いでここに来ちゃっただけの普通の女なのよ。それなのに、ありもしない救世主の力を発揮しろとか言われても無理なわけ。むざむざ殺されに行くようなもんよ。そうでしょう?」
ここで相手の同意を得られれば勝ったも同然なのだが――アレクは、思った以上に手強かった。
「何をおっしゃるのですか! 救世主様の歌には、ものすごい力があります。魔族など敵ではありません! ですから、自信を持ってください!」
はっきりと自信満々に言われて、未湖は顔を歪めた。どうやら、使うべき言葉を間違ったみたいだ。
こうなれば、最終手段を使うしかない。
「アレク。ちょっとの間、目を閉じててもらえるかな?」
「は? 目を、ですか? 何故です?」
「いいからいいから」
いきなりの指示に困惑する彼の目元に、手のひらを押しつける。声フェチの彼好みの声で頼めば、ちょっとは心が揺らぐのではないかと思ったのだ。ちなみに、未湖流変声術のコツは、キャラ設定をある程度しっかりと固めるところにある。今回の場合は、ロリッ子萌えボイスが好きな彼の趣味に合わせて、悪漢に追われて逃げている妹キャラになりきってセリフを考える。
なるべく高めのキーで、かつ、甘ったるいミルクチョコレートみたいな声音で、
「ねえ、お兄ちゃん。未湖、怖いトコに行きたくないの〜。お願いだから、一緒に安全なところに逃げよう? 未湖、お兄ちゃんと一緒なら、何があっても全然怖くないよ。だから、ね? お・ね・が・い」
我ながらいい歳して何してんだと思わないでもないが、背に腹はかえられない。ここぞとばかりに、渾身の悩殺小悪魔ロリッ子ボイスを耳元から流し込んでやる。
すると、アレクは興奮のあまり奇声をあげたかと思うと、むんずと未湖の手をつかんで引き寄せ、勢いよく馬車を飛び降りた。
「っっっ!」
未湖は、転げ落ちることを覚悟したが、お姫様抱っこされていたこととアレクの恐るべき身体能力に助けられて無傷のまま着地に成功した。しかし、ほっとする間もなく、
「お、おい、何をしている!」
馬車のすぐ後ろで警備にあたっていた兵士が、騎乗していた馬の手綱を荒く引いて叫んだ。すると、その声に反応して、アレクが思わぬ行動に出た。
「え、え、ちょっ!?」
ひょいっと未湖を肩に抱き上げたかと思うと、腰に差していた剣を抜いて馬上の兵士に向けたのだ。
「なっ、何のつもりだ!?」
いきなりの出来事に、周囲の兵士たちは状況を把握できない。
それは未湖も同じだ。まさか、こんなことになるとは思いもしなかった。よもや、目の前で殺戮が行われるとは思いたくないが――アレクは、馬上の兵士に鋭い剣先を一閃させた。
「っっっ」
驚いて兵士が身を引いた瞬間、馬がいななき、兵士を振り落とした。その暴れ馬の手綱をつかんだアレクは、恐るべき俊敏さを発揮して馬にまたがった。
「…マジか!」
未湖を担いでいるとは思えない、ものすごい運動能力と行動力だ。これで、美形で金持ちだったら、今すぐにでも恋に落ちるシチュエーションなのだが――残念ながら、乙女ゲーで鍛えられた未湖をときめかせるには不充分だった。
しかし、このまま逃げ切れないと生命の危機に陥るため、アレク好みの声で逃亡するように促すことは忘れない。
「いやん、カッコイイ〜ッ! さっすが、お兄ちゃんだね! でも、早く逃げないと、捕まって、未湖、ひどい目に遭わされちゃうかも〜」
「ひ、ひどい目だとっっ!? そんなことは、お兄ちゃんが許さんッッ!!」
本気なのか冗談なのか、怒りで目を血走らせたアレクは、未湖を抱きかかえながらも器用に暴れ馬を操り、走らせた。少し遅れて兵士たちがついてくるが、アレクの乗馬能力のほうが高い。じわじわと距離が開いていき、手近な林を駆け抜けたところで追っ手の姿は見えなくなった。しかし、アレクはスピードを緩めることなく、馬を走らせた。
それからしばらくして未湖が振り向くと、追いかけてくる人影も気配も消えていた。ひとまずは、逃亡に成功したらしい。
「…はー、とりあえず逃げきれたみたいね。よかったよかった」
乗馬特有の激しい震動のせいで、少し吐き気がするものの、それ以外は満足のいく結果を得られたので首尾は上々といえるだろう。
未湖が安堵していると、急に、馬の歩みが遅くなった。どうしたのかと気になってアレクの様子を窺おうとしたら、寝ぼけたような声が聞こえてきた。
「…あ、あれ? 自分は、何故、こんなところにいるのでしょうか?」
どうやら、萌え声効果が切れたらしい。状況がわかっていないアレクに、未湖はしれっと答えた。
「いやー、あんたって案外行動派なのねー。まさか、あの状況で私を攫って逃げてくれるだなんて。見直したわ」
「…へ? 攫うって……え、自分、何かしでかしましたか?」
顔を見なくても青ざめているのがわかる。
未湖は正面を向き、サラッとした口調で残酷な真実を突きつけた。
「あんた、命令違反して私を連れて逃げたのよ。覚えてないの?」
「――え、め、命令違反? 自分がですか? そんなことした覚えは」
「覚えがなくても、そういう状況なの。さて、これからどうしたらいいかしら? とりあえず、この国にいるのは危険よね。さっさと国を出て、どっか安全な場所に身を潜めないと」
そうなると、国境を越えるための手段と、しばらく暮らしていけるだけの資金がいる。それは、別の世界から来た人間には易々と得られないものだ。現地の人間の協力がなければかなり厳しい。
「ねえ、アレク。あんた、国境の越えかた、知ってる? あと、お金はどのくらい持ってる? いざとなれば野宿も覚悟してるけど、しばらく暮らせるだけの貯金とかあれば貸してほしいんだけど」
訊くが、返事はない。その代わり、ぴたりと馬の歩みが完全にとまった。
「アレク? 何やってんのよ、こんな何もないトコでとまってたら、追っ手に追いつかれちゃうじゃない。早く進みなさいよ」
手綱を握る手をぺちぺち叩きながら言うが、やはり、無反応。
焦れて彼の様子を窺ってみたら、やけに陰気な顔が見えた。
「もー、何、暗い顔してんのよ? 乙女ゲーだったら、胸キュンの駆け落ちシチュエーションじゃない。もっと楽しそうにしなさいよ」
「た、楽しそうにって――む、無理ですよ。だいたい、いつの間に、こんなわけのわからない状況になったんですか? 自分、これからどうなっちゃうんですか? まさか、捕まって処刑なんてことに…」
「あー、かもねー。一応、救世主の私を強奪して逃げてるわけだしー? 誰がどう見ても、国家反逆の大罪人よねー」
「こ、こここ国家反逆っっ!? そんなこと、考えたこともありませんよっっ」
「こっちになくても、あっちがそう思うんじゃないかなー。状況的に」
「!!!」
アレクが息を詰まらせた。
彼も、理解はしているのだ。記憶にないとはいえ、救世主である未湖を連れて逃避行しているという事実。そして、国を敵に回すつもりなどないことを証明しようにも、あまりにも状況が悪すぎるということ。どちらもわかってはいるが、認めたくないのだ。
「…い、今から帰って事情を説明すれば」
アレクの縋るような言葉を、未湖が容赦なくぶった切る。
「無理無理。何を言ったところで、私を連れて逃亡した罪は変わんないわよ。捕まって処刑台へ、一直線。で、首切られてサヨウナラーって展開になるでしょうね。間違いなく」
「く、首を……そ、それは嫌ですね」
想像したのか、色を失うアレクに、未湖は告げた。
「私も同じよ。死にたくないから、逃げるの。今やあんたも同じ立場なんだから、一緒に逃げましょうよ。どうせ、帰るところなんてないんだから、前へ進むしかないでしょう?」
「……うう」
アレクは、後ろ髪を引かれるように振り返ってから、ぎゅっと手綱を握り直した。
「…確かに、帰るところはない、ですね。お互いに」
「そ。だから、前向きに生き延びるために進みましょう」
レッツゴー! と前方を指差す能天気な未湖とは正反対に、病人のような顔色のアレクは、馬を操るのに専念することで現実逃避したのだった。