一・救世主、逃亡する
《 一・救世主、逃亡する 》
「……何ということだ! 民に希望を与えるはずの救世主が、よもや絶望をもたらせるとは! 前代未聞の事態だぞ、これは!」
やや硬めの茶髪をがしがし掻き乱して怒鳴る若き王を前に、宰相であり教育係でもある白髪頭の老人が失望感のこもった息を吐きだした。
「…よもや、民衆の前であのような発言をなさるとは思いもよりませんでした。これから、どうなさいましょう?」
宰相・ドーウェルの声に、王・マードロは感情任せに怒鳴りつけた。
「即刻、とらえて首をはねてしまえ! あれは、国に仇なす罪人だ! 救世主などではない!」
「しかし、あの娘は、我が国の守護神であらせられる女神・イシュリュートル様のお導きになった聖なる娘。容易に悪と断定するのは、いささか早計やもしれませぬ。もしかすると、何かしらの深い意図があって発言なさった可能性もないとは言い切れませんし」
「意図だと? とてもそうは思えんがな!」
王は鼻息荒く怒鳴りつけ、執務室内を歩き回る。
イライラすると、つい身体を動かしたくなるのは、代々受け継いだ性分といっていいかもしれない。父も、祖父も、曽祖父もみんなそうだった。
かつかつと、ブーツの底を鳴らしながら硬い床を蹴る。本来ならば、ここには厚手の絨毯が敷かれているのだが、今は取り払われている。
マードロは、気質的に機能的でないものは好まない。客を招く必要のある場所こそ豪華絢爛に飾り立てているが、自分と見知った相手しか入らない場所には、最小限のものしか置かない。第一、絨毯なんてものは、マードロにとっては無駄でしかない。床に座るならともかく、歩くためだけの場所をフカフカにしておく理由がわからないのだ。特に、毛足の長い絨毯はゴミが蓄積しやすいし、危険だ。というのも、子供の頃、素足で歩いていて、絨毯の毛に隠れていた木くずを踏んづけたことがあるのだ。もっとも、掃除が行き届いていなかったわけではなく、マードロ本人が木を削って遊んでいて、そのまま放置したせいなのだが――とにかく、どこに危険が潜んでいるかわからない。あれが毒針だったら、それこそ大変なことになっていた。よって、マードロは絨毯というものを忌み嫌っている。今では、執務室だけでなく寝室にあったものも取り払ってしまっていて、何とも殺風景というか、寒々しい部屋になってしまっていた。
マードロは、うろうろ歩きながら、救世主として召喚された娘を思い出していた。
――そもそも、第一印象からしてよくなかったのだ。
彼女――沢田未湖という娘は、実に軽率で馬鹿そうな娘だった。やや艶を失った黒髪に、黄色みの強い肌、眠たげな目元からして、美人とは言い難い。身体つきは小柄で、救世主という重い役目を背負わせるには少々頼りなく、何といっても、姿勢の悪さが気に入らなかった。猫背気味で、不審なくらいに周囲を気にしながら入室する様は、まるで犯罪者のように見えた。
そして、謁見の間にやって来た彼女は、玉座に座るマードロを一目見るなり、こう言い放ったのだ。
「…あんたが王様? うわ、美形期待してたのに、がっかりだわー」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
もちろん、言語は通じている。彼女がこちらに召喚された際に、翻訳機能を果たす印を施しているので、あちらもこちらの言葉が理解できるはずだ。
「……き、救世主殿、その、今、何と言われたのだ?」
一応、相手は、国を守護する偉大なる救世主様。礼を失するわけにはいかないが、先ほど聞こえた言葉の真意は何なのか。戸惑いつつ訊ねると、彼女は、失望の色を隠すことなく真っ正面からこちらを見つめ、
「ねえ、この国には格好いい男はいないの? さっきから、どいつもこいつも人並み以下なんだけど」
「………」
その言葉に、その場にいた誰もが沈黙した。
王はもちろん、宰相に側近、近衛騎士。不細工判定された人々は、一様にこう思った。
お前が言うな! と。
彼女が絶世の美女とか、可憐な美少女だったなら、その発言も許されたかもしれない。しかし、目の前にいるのは、十人並みにぎりぎり手が届くだろうと思われるビジュアルの少女。人の顔にケチをつける前に、自分を何とかしろと言いたい。
しかし、マードロは我慢した。
これでも、一国の王なのだ。いちいち、つまらない言動に腹を立てていては話が進まない。とはいえ、傍若無人な相手に何と声をかければいいのかわからない。思わぬ救世主の発言で、言うべきセリフを見失ってしまったのだ。
そんな王の心を読んだ忠臣・ドーウェルが、不機嫌な主の代わりに未湖に話しかけた。
「申し訳ありません、救世主様。我が国では、見目よりも中身を重視して採用しております。顔はともかく、信用に値する者ばかりですので、どうか、お許しください」
「え、あー、別に許すとかそういう問題じゃないんだけど。ま、それはともかく、さっきから救世主がどうとか言ってるけど、それ、何なの? 私、ただのニートなんだけど」
「ニート、ですか? それは前の世界のご職業か何かでしょうか?」
ドーウェルの問いに、彼女は何故か居心地悪そうに視線を泳がせた。
「え? うーん、職業じゃないけど……まあ、一般的には無職って言うわよね。それのカッコイイ版がニート、みたいな?」
「……はあ、要するに無職ということか」
マードロはすぐに納得した。
王の前で無礼千万の発言をし、悪びれたふうもないこの娘の言動からして、雇う者がいないのもよくわかる。誰だって好き好んで、面倒そうな女に関わりたくないだろう。
しかし、彼女が救世主である以上、無関係ではいられない。とりあえず、手短にこちらの事情を話して聞かせることにした。
今、この国を含めた周辺諸国は、魔族との戦闘により疲弊し、消耗している。同盟国もこちらに援軍を送れるほどの余力はない。どこの国も自国を護ることで手一杯なのだ。このままでは、長く持たない。そう判断して、やむなく禁忌とされる召喚術で救世主を呼ぶことにした。古代の秘術だったため、成功する確率はゼロに近く、さほど期待していなかったのだが――運よく、というべきか、一人の少女を召喚することに成功した。それが、未湖だったのである。
「救世主殿には、我々の軍の先頭に立ち、我が国を勝利に導いていただきたいのだ」
マードロの言葉に、未湖は興味なさげに目をすがめた。
「は? 何で、そんなことしなきゃいけないのよ。だいたい、無力な女を戦場に放り込もうとか、正気の沙汰じゃないわよね。まさか、女が無残に殺されるところを見て喜ぶ趣味でもあるわけ? マジ引くんですけど」
「なっ、そんな悪趣味があってたまるかっ! だいたい、救世主とは、請われずとも民のため国のため、しいては世界のためにその身をもって戦い抜くものであろうが!」
「だから、それが間違いなんだってば。私、救世主じゃないから。っていうか、私の推測が正しいなら、あのとき、事故に遭いかけてた女子高生が、本物の救世主だったんじゃないかと思うのよね。本当なら、あの子が死んでたわけだし。つまり、人違いだったってわけ。わかる?」
頭を掻きながら言われて、マードロは憤然と立ち上がった。
「人違いなど、あるはずがない! あの儀式は、我らが国を挙げて執り行ったものなのだぞ!?」
儀式を行うのに、どれだけ苦労したか。百名以上の学者・術者たちを集め、三ヶ月もかけて行った秘術に、間違いなどあるはずがない。
それなのに、彼女は軽い口調で言う。
「あのねー、何ごとにも間違いとかアクシデントはつきものでしょ? 今回が、それよ。だいたい、私、何の力もないし、そもそもやる気がないの。国を救えとか言われたって、まったく心が動かないのよね。っていうか、王様にできないことが一個人の小娘にできるわけないじゃない。常識で考えてモノを言ってほしいもんだわ」
「……っ」
ああ言えばこう言う。何とも腹立たしい娘の言動に、イライラもピークに達しようとしたとき、ドーウェルが口を開いた。
「貴女様がどうおっしゃろうと、救世主様は救世主様です。衛兵、救世主様をお部屋へお連れしなさい。救世主様はお疲れのご様子。ゆっくりと休んでいただくように」
その声に忠実に従った兵士の手により、不愉快な娘の姿が視界から消える。横暴だのセクハラだのと騒ぎ立てていた小うるさい声が重い扉に遮られて聞こえなくなると、少しだけスッとした。
謁見の間に、しんとした静寂が戻る。しかし、漂う空気は、救いようがないほど重苦しかった。
マードロは、ふうっと陰気な溜息をつき、親指と人差し指でぎゅっと眉間を押さえた。
「…何なのだ、あれは? あれが本当に、伝説の救世主なのか?」
思わず漏れた呟きに、幼馴染みでもある近衛騎士・オットーが肩をすくめてみせた。同い年であるにもかかわらず、彼のほうが十センチも背が高いのはどういうわけか。
「随分と伝承とは違っていますが――ああもはっきり言われてしまいますと、何も言えなくなってしまいますねえ」
ピリピリした空気をものともしない穏やかな声に、マードロは舌打ちした。
「チッ、あんな小娘に頼らなくてはならんとは、頭どころか胃も痛くなってくるな」
「どんな者であろうと、使えるモノは使えばよろしいのです」
きっぱり言い捨てたのは、宰相である。礼儀にうるさい彼は、一見して柔和そうな瞳に強い嫌悪の色を滲ませていた。
「道具と割り切るのです。そうすれば、多少のことは我慢できますぞ」
「…相変わらず、辛辣ですねえ。ドーウェル様は」
苦笑するオットーに細い目を向け、宰相は咳払いをした。
「こほん。まあ、性格に難ありとはいえ、使える道具が増えたと思えば少しは気が休まりましょう」
「休まればいいのだがな」
マードロが憂鬱そうに目を伏せる。
「…さて、とりあえずは救世主の召喚に成功したわけだが――成功した以上、国民に披露せねばならんだろう。しかし、問題は、あの礼儀知らずの娘に民草を安心させるような演説ができるかどうかだが――」
どう考えても、無理。無謀すぎる。
無責任なことを言われて、民の不安を煽るようなことになれば、ものすごくマズイ。ただでさえ、国民たちは度重なる魔物の襲撃に怯え、強い不安と恐怖に耐えているのだ。そこにさらなる脅威を与えるわけにはいかない。
「それなら、救世主様の機嫌をとってみてはいかがでしょう? 彼女、言っていたではありませんか。この国に格好のいい男はいないのか、と。要するに、救世主様は美形を御所望なのですよ。それを与えておけば、言うことを聞いていただけるのではないですかねえ?」
のんびりとしながらも的確なオットーの言葉に、マードロは苦い顔つきになった。
「……与えろと言うがな――あの娘の望むような者がすぐに見つかるとは思えんのだが」
未湖の男を見る目は、相当厳しい。
そう、マードロは見ている。
すると、オットーが思い出したように口を開いた。
「そういえば、陛下を見て、彼女、言いましたよねえ。美形じゃなくてがっかりした、と。臣下であり友人でもある私の贔屓目を抜きにしても、陛下は、かなり美形な部類に入ると思うのですがねえ」
その言葉は、慰めでもお世辞でもない。
未湖の国ではどうか知らないが、これでもマードロは綺麗な顔立ちをしているのだ。獅子のような風貌の父から受け継いだのは、硬質な明るい茶色の髪だけ。それ以外は、金に輝く女神と称されたほど美しい母親似なのだ。きっと、身長が百七十と少しでとまってしまったのも、そのせいだ。父は、百九十センチもあったので、何だかちょっと悔しい気もするが、母親そっくりの空色の瞳やきりっとした形の眉は気に入っている。ただ、どんなに鍛えてもオットーのように筋肉はつかず、細身なのは気に入らないが、総合的にはかなり高得点を叩き出すビジュアルをしているのだ。少なくとも、この国の自慢の一つに挙げられるくらいには。
そんなマードロを見て、彼女はズバリと一刀両断した。がっかりだわ、と。
別に、容姿をどうこう言われたくらいで傷ついたりはしないが――面白くないとは思う。
やや慰めるような眼差しでこちらを見つめるオットーを一瞥し、マードロは目を閉じた。
「とりあえず、女子供の好みそうなものを与えて機嫌をとってみよう。それでこちらの頼みを受け入れてくれるならば、安いものだ。無理ならば、早急に適当な人材を身繕い、与えればよかろう」
「そうですな、すぐに手配させましょう」
ドーウェルが頭を下げ、『救世主様の機嫌をとって国を救ってもらおう作戦』が始まった。
そして、救世主の少女が機嫌を直してくれたのは、召喚から三日目の夜のことだった。頑なな彼女の心を動かせたのは、ドレスでも装飾品でも宝石でもなく、美形でもなかった。部屋に軟禁されていた彼女が欲したのは、音楽。つまりは、奏者だったのだ。
意外なことに、彼女はあちらの世界で歌をたしなんでいたらしい。軟禁されて溜まりに溜まったストレスを、歌うことで発散するのだという。
しかし、あちらの世界の音楽など知らない奏者は、とりあえず、延々とこちらの音楽を奏で続け――彼女は、そのメロディーを記憶して、即興で歌をつくり、歌いあげた。
その歌声は、普段の彼女の声とはまるで違っていて、最初は誰が歌っているのかわからなかったくらいだ。
ときには、低く地面を撫でるような声で、ときには、空高く舞い上がるような高音で、かと思えば、幼い少女のような愛らしい声で。まさに、魔法でも使っているのではないかと思うほど、彼女の声は面白いくらいにコロコロ変わる。
そこで、部屋の前にいた警備兵が、思わず、彼女に訊ねた。
何故、そんなにいろんな声が出せるのか。
どうして、そんなに心に響く歌を歌えるのか、と。
すると、彼女はきらきらした瞳でこう答えたという。
「アニソンを極めんとする女の意地よ! 萌えソングから切ない系にパンク系、ジャズや演歌まで、たいていのものは歌いこなせるように練習したわ! 全部、自己満足のためだけど!」
あにそん、というのが何かわからないが、どうやら彼女には歌の才能があるらしい。もしかすると、彼女の救世主としての能力に関係しているのかもしれない。
途中からは、演奏抜きであれこれ歌いまくって、すっきりしたらしい彼女がこちらの話に耳を傾けてくれ、救世主として立派に演説すると、そう約束してくれたと思っていたのだが――どうやら、こちらの思い違いだったようだ。
「…よくも、あのようなふざけた真似をしてくれたものだ!」
イライラと執務室内を歩き回っていたマードロが立ちどまり、忌々しげに吐き捨てる。
やはり、あんな小娘の口約束なんかを信じるべきではなかった。
彼女は、約束を果たすどころか、国を傾けかねない、とんでもない発言をした。
しかも、あまりのことに動揺した国民の暴動まがいの騒ぎに乗じて、どこかへ姿をくらましてしまったのだ。
これでは、救世主どころか厄病神だ。
このまま逃がしてはならない。何としても、騒動の責任をとらせなければ。
そう思って今も兵士たちに城内外を捜させているが、どういうわけか、まだ捕まえられないでいる。
「…もしかして、最初からこれが目的だったんですかねえ?」
オットーがぽつりと呟く。
従順なフリをして、相手の油断を誘い、騒動を起こして鎮圧させようと躍起になっている隙に逃げる。まあ、その程度の作戦なら、ちょっと考えれば子供にでも立てられる。幼稚すぎるほど単純な企みだが――それに見事に嵌まったとすれば、自分たちはとんだピエロだ。
「何が何でも見つけ出してやるぞ! あの女め、何としても救世主として戦場の最前線へ送ってやる!」
執念に燃える瞳でそう告げたマードロは、再び厳しい顔つきでブーツを鳴らして歩き始めたのだった。