個体
求められなければ意味がない。
智和は珍しく嘆きたくなった。
第二情報管理室でロイ・シュタイナーと瑠奈によく似た少女について調査していたが、まったく手掛かりが見つからない。
自前のノートパソコンを持ち込んで色々と探ってみたが、どうもはっきりとした情報を掴めていないのが現状だ。
「これだけやる気なくす作業は久しぶりだ……」
ノートパソコンと共に持ち込んだコーラを飲みながら腕時計に目を向けると、針は一時二十二分を指していた。とっくに昼休みに入り、終了まで八分しかない。
「昼飯も食ってねぇな……」
空腹と疲労が入り混じり、溜め息を漏らして再び画面に目を向けた。
(ロイ・シュタイナーの大まかな研究内容はある。出生も間違いなく本物だ。だが行方不明以降は一切情報がない……。IMIでさえ情報を掴めていないってことなのか?)
ロイ・シュタイナーが作り上げた栄光や挫折などのことはネットでも検索できるのだが、行方不明以降の情報を調査してもまったく出てこない。
日本IMIはまだ海外についての情報は充分ではない。ロイ・シュタイナーを調査できない要因の一つなのだろうが、それ以外にも何か理由があるのではと智和は考えていた。
「…………駄目だ。まったくわかんねぇ」
お手上げで、ついに投げ出してしまった。
「仕方ない。昼飯食って新一にクラッキングでも頼んで――」
恐ろしいことを後輩に頼もうかなどと考えていた時、携帯電話に着信がきた。
知らない番号が表示されていたが、なんの疑いもせず通話ボタンを押した。
「もしもし」
『私よ。ララ』
「ララ?」
意外な相手から電話に眠気が吹き飛んだ。
「何からかけてる?」
『昼休み中に買ってきたのよ。今は寮の部屋。瑠奈からパソコン借りてる。送りたいデータがあるんだけど、手元にパソコンあるかしら?』
「何だ?」
『今朝言ってたロイ・シュタイナーの情報。ちょっと気になって、ドイツにいる友人に電話して調査してもらったの』
「……その友人は合法か?」
『そこを聞くの?』
少し笑いながら言われたということは非合法なのだろう。
『“ちょっとだけ”ネットに詳しい友人』
「わかった。もう聞かない」
『ありがと』
触らぬ神に祟りなし。余計なことに首を突っ込めばろくなことにはならないと、エリク事件で散々思い知らされた。
『それでね、集まったからデータを寄越してきたの。そのデータを今から送るわ。アドレス教えて』
ノートパソコンのアドレスを伝え、すぐに瑠奈のパソコンからデータが送信されてきた。
智和と瑠奈の二人はパソコンを持っていることは知っていたが、アドレスは交換していなかった。ほぼ毎日顔を見て、携帯電話でも話をする。これだけ充実していればパソコンのメール機能は必要ない。
『ちゃんと届いた?』
「ああ。ちゃんと痕跡は消しとけよ。あれでも人並み以上に調査できるんだからな」
『わかってるわよ』
のんびりしている瑠奈だが優秀な人材だ。普通の生徒がこなせることはそれ以上に上手くこなす。彼女とて特殊作戦部隊という最高峰に所属する、智和が認めた一人である。
ララも充分弁えている。わざわざ瑠奈に用事を頼んで部屋を空けてもらい、パソコンのデータをすぐさま消去して“表面上”ではカモフラージュした。
表面上というのは、データを消去したとしてもまだパソコンに記憶されている為だ。専用の技術やソフトを用いれば消去したデータを修復できる。
ノートパソコンに受信されたメールを開くと、ララが言っていた通りロイ・シュタイナーに関する情報が送られている。
内容を見ていくと、確かに普通のネットでは検索できない情報がある。細部に至る研究内容。所有していた研究室内部の画像。研究成果を纏める前の段階と思われる数えきれないメモの山など、メールで送るには危険かと思ってしまう内容ばかりだ。
「…………あ?」
だがそれよりも。
スクロールしてメール内容を見ていき、最後に記載されていた文章を見て怪訝な表情を浮かべた。
「ロイ・シュタイナー。二十年前に“死亡”……?」
ロイ・シュタイナー。享年二十五歳。《7.12事件》にて死去。遺体は発見されておらず。
最後の文章にはそう記載されていた。
『当時、彼の研究をテロなどによる利用を危惧して監視していたCIAの諜報員チームがいたらしいの。当時は《7.12事件》が起こった年で彼を見失い、三年も探したけど見つからなかった末に死亡と書類上には記載した』
ララは少しだけ声の調子を落として問う。
『ねぇ智和。貴方はいったい誰を探しているの?』
「…………いや待て。ん、いや……どういうことだ……?」
智和でさえ言葉に詰まる結果に、向こう側のララも自然と緊張した声に変わってくる。
『これは私の友人が元CIA局員と協力して手に入れた情報よ。テロが起こった年の情報は莫大過ぎて探すのが手間取ったけども、確実性は保証できる。
だから私にも教えて。貴方が見たって言う映像に映っていたのは、本当にロイ・シュタイナーだったの?』
「…………嘘だろオイ」
冗談のレベルを通り越している。これは個人が調査できるような簡単なものではない。諜報保安部など組織単位で動かなければいけない内容だ。
死んだ幽霊を見つけるにはそうしなければ探すことはできない。
それなのに、智和が見た映像には確かにロイ・シュタイナーという書類の顔写真と同一人物が存在していた。
「…………“書類”?」
『どうかした?』
「映像と同時にロイ・シュタイナーの書類を琴美さんに渡された。だが封筒には教職員が受け取った際の判子が押されていた。長谷川が受け取った書類だ」
重要であるかないかに関わらず、書類を受け取った教職員は確認の判子を押す義務がある。それは例外ではない。宅配便と同じようなシステムだ。
受取人がいるということは、差出人がいるということでもある。
隅に寄せていた封筒を確認すれば長谷川の判子が押されており、その上にはIMI本部から送られたサインが書かれていた。
「本部か。さすがに差出人は書いていないな」
『差出日は?』
「……ロイ・シュタイナーが入国する一週間前。長谷川は……一昨日に受け取り? この時間差は何だ?」
長谷川の説明ではロイ・シュタイナーともう一人は先々週辺りに入国したと話していた。しかし長谷川はその説明の前日に受け取っている。不自然な時間差に疑問は増すばかりだった。
長谷川がロイ・シュタイナーの入国に感付いて書類を送ってもらったのなら納得はできる。しかし、本部から書類提供が遅れたとしてもこの時間差は不自然過ぎる。遅くとも一週間で送られてくる。
そこを考えるならば、長谷川はロイ・シュタイナーについては気付いていなかった。第一、彼女が智和の思う通りに優秀ならロイ・シュタイナーについて独自に調査し、死亡扱いということまで辿り着ける筈だ。
「長谷川は何も知らない。調べる暇すらなかった」
『教職員全てが本部から書類提供を申請できるの?』
「いいや。まず普通科目の教師達は無理だ。軍事科目の教師達でも部隊担当だったり、海外のIMI合同任務時に関する情報だけだったりと、国内に対しての情報提供申請は一般的に無理だ。国内は諜報科や諜報科編成部隊で調査しているからな」
『……もっと上の立場なら?』
「だとしても利益になるかわからない情報提供なんて、本部に得はないかもしれないぞ。運搬中に書類を奪われたら最悪だ」
ネットの進化に伴ってクラッキングなども進化してきた。今や世界中でネットの中による“諜報戦争”が音もなく勃発している。
イランの核兵器工場にコンピュータウイルスを仕掛けられたが、工場のパソコンはネットには繋がれていなかった。内部の何者かがUSBメモリでコンピュータウイルスを仕掛けたのだ。故に重要案件の保管などは、今後も紙媒体が主となるだろう。
『他に申請できる人物は?』
「他って言ってもな、あとは学園長だとか本部に深い関わりがあるだとかしかないだろ……」
だとしても、何故ロイ・シュタイナーの情報を取り寄せたのかという謎が解けないのならば、申請した者を探しても意味がない。
まして智和に任された仕事は犯人捜しではない。ロイ・シュタイナーともう一人についての調査だ。最初から学生一人がどうすることもできない事態だったのだ。
「……探っても意味がないな。おとなしく居場所を突き止めるしかない」
『そう簡単に突き止められるかしら? 幽霊みたいな存在なんて』
「傍らにいた瑠奈に似た人物についても調査しなきゃならないんだ。そっちの方は随分と行動的だからな」
『それでも姿を隠すのは得意な連中よ。実際見つかっていないのだから。どうやって見つけるつもり?』
「一応は当てはある。まぁなんとかするさ」
『そう。頑張ってね』
「他人事だな」
『智和を手伝っても別にかまわないわよ? だけど瑠奈が感付くでしょう』
「だな。だからお前は瑠奈を頼む。普段あんなだが、こういうことに絡めば辿り着くのは早いぞ」
『それも知ってる』
「それじゃ切るぞ。まだ昼飯食べてないからな」
『ええ。またね』
ララとの通話を終えた智和は携帯電話を自作ポーチに片付け、財布と学生証、カードキーを持って昼食を済ます為に第二情報管理室を出た。
――――――――――◇――――――――――
智和との通話を終了したララは携帯電話をテーブルに置き、瑠奈から借りたノートパソコンに目線を戻し、メールをちゃんと削除したかもう一度確認してからシャットダウンした。
「ふぅ……」
ノートパソコンを閉じると同時に小さな溜め息が漏れた。
リビングで一通り無事に終えて携帯電話はテーブルに置いたまま、借りたノートパソコンをテレビの隣に置いて寝室へと移動。自分のベッドの上に転がっているガンケースと、床に置いていた小さな段ボールを持ってリビングへ戻る。
先程まで座っていたソファーに再び腰を下ろし、ガンケースを開けて収納されていたMP7を取り出す。
調整を済ませ、次に段ボールへと手を伸ばす。
段ボールにはMP7の四十連マガジンが二十本。4.6mm×30専用弾薬が詰まった弾薬箱が、新品同然で詰め込まれていた。
保管所での使用説明を受けた後に弾薬とマガジンを注文していた。在庫があればすぐ受け取ることができ、なければ銃の製造会社かIMI同士で連携して送ってもらう。
授業を終えて寮に戻った際、受付から段ボールを受け取って確認できたということは在庫があったということだ。
在庫があったことは良かったと安堵していた。
もし銃撃戦が必要となるような緊急事態に陥ってしまった場合、拳銃は常に携帯しているので対応はできる。しかし拳銃だけで対応できない場合を考えると、やはりMP7も携帯しておいて損はない。
マガジンを左手に持ち、右手で箱から弾薬を取り出して装填していく。
手慣れた手つきで作業を進めていき、あっという間に四十発分の弾薬を詰め込み終えた。
この作業を黙々とこなしていく。
(…………そういえば)
五本ほど詰め込み終えた時、ふと気になることを思い出した。
(受け取ったデータの情報……どこから持ってきたのかしら?)
クラッキング犯罪者の友人に頼んで情報を貰った時には気にしなかったが、よく考えればどこから探り出してきたのかララは知らなかった。
信用できる友人だと確信しており、ドイツでも気楽に受け取っていた為に今更悩む必要はないが、友人と共に作業した人間が元CIAというだけで、別にCIAから情報を取ってきたということにはならない。詳しいことはなにも聞いていない。
ではこの情報。ドイツにいる二人はどこから拾い上げてきたのだろうか?
深く考えることはなかったが頭の片隅に引っ掛かって悩みながら、ララは弾薬の詰め込み作業を進めていた。
「ララちゃんたっだいま~」
リビングに聞こえてきた甘ったるい語尾が伸びた口調の瑠奈が戻ってきた。手には食材が入れられた買い物袋が握られている。
「お帰りなさい」と挨拶はしたが顔を向けるなどということはせず、ララは作業をしたまま続ける。
「今ちょっとリビング使ってるけど片付けたほうがいいかしら?」
「ううん、大丈夫~。そのままでいいよ~」
「ありがとう」
瑠奈は台所に向かって隅に置いてある冷蔵庫に食材を片付けていく。休日になると食堂を利用することはできず、自分達で調理しなければならなくなる。その為の買い出しだ。
冷蔵庫には飲み物だけが入れられていた。飲み物はララが調達してきたものであり、瑠奈と相談してミネラルウォーターやスポーツ飲料を二本ずつ買ってきた。
簡単な買い物だがララにとっては慣れていない買い物だった。日本で買い物をしたことはなく、また日本円で買い物するのも初めてだ。そういった知識も一応は頭の中に入っているが、ララとしては日本円よりドルでの支払いがまだ慣れている。余談だが、携帯電話は飲み物を買う前に購入した。
「何か飲む~?」
「今はいいわ」
素っ気なく返答して作業を続け、瑠奈は食材を入れ終えてリビングへと向かう。
「手伝おっか~?」
「お言葉に甘えて手伝って貰おうかしら」
「りょ~か~い」
「悪いわね」
「大丈夫だよ~」
嫌な顔をせず笑顔の瑠奈はもう一つのソファーに座って作業を手伝う。
普段使い慣れている銃ではない為かララより少し遅いが、それでも充分早いペースで弾薬をマガジンに詰めていく手つきは、様々な銃を知り尽くして実際に使用している経験者のものだった。
そして瑠奈は日本IMIで最も優秀な部隊の一員でもある。こんな作業など呼吸するに等しい。ララもだ。それだけ彼女達は銃と深い付き合いを持っている。
「そういえばパソコンありがとう。助かったわ」
「いいよ別に~。因みに何に使ってたの~?」
「ちょっと調べ物。すぐ見つかった」
「そっか~」
平然と嘘をつけるのは流石と言ったところだ。顔色一つ変えず作業も自然な動作のまま続けていたので瑠奈にはバレていないようだった。
――――――――――◇――――――――――
IMI正面入口にて、スーツ姿のドイツ人が身体チェックを受けていた。
金髪碧眼のその男。細身ながらも貧弱を思わせない体格を有しており、落ち着いた大人の魅力を感じさせる顔立ちとも合わさり、モデル稼業であれば黄色い喚声を浴びることはまず間違いない。
男は持っていたSIGザウアーP226拳銃とマガジン二本を警備員に手渡し、自身も金属探知機でチェックされていた。
その後は書類にサインを書いて拳銃とマガジンを受け取る。この間は常に武装した警備員が二人係で見張り、対応している警備員も含めて計三名が行動を逐一見張っている。
「確認しました。お手数おかけしました」
「いえいえ」
流暢な日本語で答えたドイツ人の名はレオンハルト・ローゼンハイン。エリク事件最大の被害者にてララの兄であるその男は、拳銃を腰のホルスターに、マガジンを上着の内ポケットに片付けながら微笑んだ。
レオンハルトが準備を整え終えた時、警備室に一人の女性が歩いてきた。
男物の黒いスーツに黒いシャツと黒いネクタイに身を包んでいるその女性は、今まで太陽の下に出てこなかったかのような白い肌だ。日本人に近い顔立ちだが、どこか日本人離れしている印象がある。ショートカットの黒髪でなければ外国人と思ってしまいそうだった。
「レオンハルト・ローゼンハインですね」
「貴方は?」
「日本IMI学園長の秘書をしている吉田千早と申します」
吉田千早は間髪入れずに続ける。
「日本語、上手ですね」
「職業柄、というものでしょうか。現地の言葉を話せなければいけないもので」
「日本語で会話ができるのならば助かります。大丈夫ですね?」
「もちろん」
「それでは着いてきてください。学園長室へご案内します」
――――――――――◇――――――――――
「学園長。レオンハルト・ローゼンハインをお連れしました」
学園長室まで吉田に連れられてきたレオンハルトは、書類でしか見たことのなかった男をその目で捉えた。
如月隆峰。元傭兵であり、元企業の兵隊であり、数々の戦場を渡り歩いた“死神”。その威圧感を感じ取りながらも、レオンハルトは表情を変えることはないまま足を踏み入れた。
「はじめまして。レオンハルト・ローゼンハインです」
「如月隆峰だ。腰を下ろしたままですまない」
冷静な表情の如月は椅子に座ったままレオンハルトを出迎えた。古傷のことは前以て書類で確認しており、老体に鞭打つほどレオンハルトは外道な人間ではない。
「いいえ、かまいませんよ」
「撃たれた傷の具合はどうかね?」
「経過は良好です。素早い応急措置のおかげで感染症の心配はありません。措置をしてくれたIMI学生には感謝しています。もちろん他の学生にも」
「それは良かった。学園長としては嬉しい限りだ。だがお世話はもういい。本題に入ろうか」
「私もそれを望んでいますので」
二人の雰囲気が一気に冷たくなる。察してか、吉田は自然な足取りで足音をたてずに壁際へ移動する。
「率直に言います」
レオンハルトが切り出す。
「ロイ・シュタイナーに関する調査をやめていただきたい」
「随分と直球な要求だ」
「回りくどいのは嫌いなもので。ロイ・シュタイナーに関する情報をIMI本部から送らせるよう仕向けたのは貴方でしょう?」
「仮に私だとしよう。君に何の影響が出る? いや、言い直そう。“君達”に何か問題でも?」
先程から表情や調子を変えることはないが、腹の中では互いに牽制し合っていた。
この様子ではおそらく両者共、互いの目的を把握しているだろう。
「私と、私達に影響などありませんよ。第一、私は仕事で来ただけですので」
「それにしては随分と早いようだが」
「性分です。それについ先程、上司から連絡がありまして。『機密情報に関するデータが閲覧された』とのことらしく、それにロイ・シュタイナーが絡んでいるらしいです。私は知りませんがね」
「IMIが盗み見た、と?」
「まさか。そこまで疑ってはいません。それに先程も申した通り、私は上司の言葉を告げに来ただけなので。詳細は知りません。これだけです」
「成る程」と如月は頷く。
「ロイ・シュタイナーに関する君の上司の伝言は確かに聞いた。その上で問おう。ロイ・シュタイナーは二十七歳で行方不明となっているが、私の“友人”の話では二十五歳で死亡しているらしい」
レオンハルトの表情がほんの僅か、睨むような変化をしたことを如月は見逃さなかった。まだ追い討ちをかける。
「さて、どういうことだろうか? IMI本部の書類では二十七歳で行方不明となっているのに、二年前に、テロで死んだということらしい。この違い、君はわかるかね?」
レオンハルトはすぐに笑みを作り、悩む素振りを見せる。
「…………さて、私には少々手に余る問いのようです。情報を扱う者がこのようなザマでは、まだまだ未熟者というらしい」
「別にかまわないさ。それに君は優秀だ。変わりはない」
「すみませんがそろそろ時間です。問いに答えられないこと、大変申し訳ない」
「君もご苦労だったね。千早に送らせよう」
「お気遣いは結構。少し個人的ですがIMIの学生に会いたいので。かまわないですか?」
「大丈夫だ」
「それでは」
深く一礼し、背中を向けて部屋を出たレオンハルトの表情は、笑みが消えて焦りが出ていた。
「やはり死んでいたことを知っていたか……。となると、狙いはやはり……」
ある程度の予想が浮かび、頭の中で整理しながら学園長室を後にした。
そして学園室に残った二人。
「良かったのですか?」
訪問者のいなくなった学園長室に、少しの間だけ流れた沈黙を吉田が破る。
「レオンハルト・ローゼンハインにロイ・シュタイナーの資料を取り寄せたことを話しても」
「ああ。今の彼にはなにもできない。それに彼は私達――いや、企業の目的にも気付いているだろう」
「だとしたら尚更まずいのでは?」
「そうだな。彼は優秀な諜報員だ。あの若さでエリク・ダブロフスキーの正体を見破ったほどに優秀で、後々危険な存在となりえる」
「しかし」と如月は区切る。
「彼らは公にはしたくないのだよ。わざわざレオンハルトを差し向けてきたことがその証拠だ」
「ロイ・シュタイナーが生きていることを、ですか?」
「だろうな。彼らにしてみれば脅威と恥に等しい存在だ」
「企業に連絡を入れますか?」
「必要ない。無闇に動けばレオンハルトが感付いてしまうだろう。今はまだ生徒に追わせればいい。その先にロイ・シュタイナーがいれば、自ずと企業が求める物が現れる」
やはりこの人はIMIの人間ではなく企業の人間だ。胸の中に潜むモノを知っていた吉田は、改めてそう思った。
――――――――――◇――――――――――
一通りの作業を終えたララと瑠奈は食堂に出向いていた。買い出し諸々で昼食はまだだった。
買い出しの先に昼食を済ませれば良かったのだが、二人は昼食を済ませることはなく買い出しを優先していた。
寮の隣にある食堂に行けば昼休み時のピークは嘘のように消えており、まばらの人数しかいない。その人数も生徒より教師の数が多い。
昼食はバイキング形式だった。食堂の負担を減らす為に、一週間に数回はバイキング形式で一日を済ませる。
昼休みのピークでほとんどの料理は余り物のような扱われ方だが、それでもIMIの食事は美味である。
「何でお前達がここにいるんだ?」
料理を選んでいる時、智和が二人に話し掛けてきた。
「私は貴方がここにいることの方が不思議なんだけど。あっちの食堂には行かなかったの?」
「諜報科の新入生の目線が気になって食えねぇよ。それと気分転換だ」
「そう」
気分転換の理由を知っていたララは追及することはなく、素っ気ない返事をして料理選びを再開する。
この場には瑠奈がいる。少しでも話題を出せば感付かれる可能性があり、わざと話を終わらせた。智和にも伝わったらしく、なにも言わず料理を選び始めた。
「トモ君久しぶり~」
「昨日会っただろうに」
事情を知らない瑠奈はいつものように挨拶する。
「だって今日会ってないんだも~ん。何してたの~? というか眠そうだね~」
「長谷川からの頼まれ事だ。諜報科に行ってた。途中から行き詰まって眠くてな」
「大変だね~」
料理を取り終わり、テーブルに着いて食べ始めた。
他愛もない話をしながら食べていた。喋るのは主に瑠奈で、時々ララが話に加わる。智和は相槌をつきながら食べる。
『――今朝早く、コンテナ倉庫で発生した火事によって倉庫は全焼。倉庫内にいた十六人が焼死体となって発見。更には倉庫周囲にいた十八人が銃殺されて発見されました』
テレビで放送されているニュース番組のアナウンサーが重々しい口調で話した後、現場の映像が流された。
ヘリコプターによる上空撮影で現場にはパトカーや消防車の群れ。その周囲には報道陣が事故現場を囲うように陣取っていた。
瑠奈とララが話している中、早くも食べ終えた智和は飲み物を口にしながらテレビに目を向けた。
現場映像から切り替わり、司会者と専門家達が話し始める。焼死体と銃殺。銃殺された人物は暴力団組員。昨日にも別の暴力団組員が殺害。一体何が行われていたのか。ただの抗争なのか――
そんな果てしない問答を、智和はただの意見交換会としか思えなかった。それ以前にマスコミの存在を嫌っていた。
マスコミのうざったさは尋常ではない。ニュースの種になるならばハイエナのように群がってくる。
その対象は日本IMIも例外ではない。特に制圧任務が殲滅任務に変更されての銃撃戦が起こると、ここぞとばかりに叩いてくる。失敗したとなれば更に叩いてくる。
だが日本IMIは完全に無視している。別に本部の意向ではない。学園長である如月が相手にしないのだ。彼も余程嫌いと見える。
智和自身もマスコミによって任務を邪魔されたことは何度もある。そしてIMIの失敗と罵る。これほど苛立つものは中々ない。
(焼死体と銃殺か……。そう言えば、偽物瑠奈の事件もマフィア絡みだったな)
論議に興味はなかったが議題には思い当たることがいくつかあった。
とは言うものの、全てに偽物の瑠奈が関係しているという保証はなかった。第一、偽物の瑠奈が全て関係しているのならば相当まずい。
単独か複数かは不明だが、偽物の瑠奈は三つ以上の裏組織を相手にしては壊滅させている。小規模組織だとしても脅威だ。加えて拷問好きという最悪な人物。
(後で詳細聞きに行くか……)
諜報保安部の生徒ならば事件に関する詳細を入手している筈だろうと思い、テレビから目線を戻した。
「やっぱりここにいた」
その声で智和だけでなく、瑠奈とララの二人も会話を中断して同じ方向に顔を向く。
「兄さんっ!?」
予想外の人物の登場に、ララは場所もかまわず叫んでしまった。
「久しぶりだね。元気そうだ」
笑顔を絶やさない優男のようなレオンハルトと、何故か隣には恵がいた。
――――――――――◇――――――――――
「本当に、何でここにいるの……」
「ごめんごめん。連絡しようと思ったけど、すっかり忘れてた」
半ば飽きれ気味に呟くララに対し、レオンハルトの表情に反省の色はない。先ほどから絶やさない笑顔だけがある。
二人は智和達と別れて食堂を後にし、寮近くにあるベンチに腰を下ろしていた。
小さく溜め息を漏らし、ようやくララにも笑みがこぼれた。
「元気そうで良かった。肩も大丈夫みたい」
「ああ。ララも元気そうでなによりだよ」
台本のような会話。数週間しか空いていないが、久しぶりに兄妹として会話したような気がしていて、ララは内心嬉しかった。レオンハルトも穏やかな表情で、妹として話せることがこれほど良いものなのかと噛み締めていた。
だがレオンハルトは兄妹として接するのは一旦中止し、ここから少し仕事として接するように切り替えた。
些細な変化を感じ取ったララは違和感を抱き、彼女も少しだけ警戒し始める。こういった気持ちの切り替えは流石兄妹、と言うべきか。
「ちょっと質問いいかい?」
「ええ」
やはり言葉に少しだけ重みがあった。ララも思わず素っ気なく返答する。
「ドイツにいる君の友達なんだけど、BNDから機密情報を盗み見た疑いがかけられているんだ。何か知らないかい?」
警戒していなければ今頃、ララの表情は変わっていただろう。表情を崩さなかったのは変化に気付いたおかげだ。
しかし意表を突かれた質問だった。まさか友人がレオンハルトが所属しているBNDから情報を取り寄せていたとは。元CIAと協力したと言っていたので、てっきりCIAから取り寄せたのばかり思っていた。それもかなりまずいことだが。
「……友人と言うと、イザベラかしら?」
「シャノンと言う男もそうだ」
イザベラがララの友人でありハッカー。シャノンが元CIA局員である。
「別に拘束してる訳じゃない。盗み見たかもしれないと言う曖昧な疑いだけだから、ちょっとした注意かな」
諜報員が注意だけで済ませるのか怪しいところだが、わざとらしいぐらいに言ってくることを考えれば、レオンハルトは二人の延長線上でララも関わっているだろうと見当がついている筈だ。
しかしわからない。
何故レオンハルトがこの場所――日本にいることも含め、日本IMIにいるのかがわからない。
ララが情報提供を要求したのは昼過ぎ。バレてしまったのならまだいいが、レオンハルトが直接出向く理由がわからない。
てっきりドイツにいると思っていたのだが、何故レオンハルトは島国にいるのだろうか?
(……また諜報機関の問題事?)
おそらくレオンハルトは盗み見の為に来たのではなく、仕事か何かで日本に訪れていたとしか考えられない。
そうなってくると、ララとしてはあまり関わりたくなかった。なんせエリク事件で散々振り回されたのだ。
しかし、このままではララが追い詰められるだけである。なんとか話を逸らさなければならない。
「それで、もし私が関わっていたら、兄さんはどうするつもり?」
「特にどうすることもないよ。ただの“注意”だけ」
「ふぅん」
怪し過ぎて、実の兄でも信用できなかった。
「そろそろ行くよ。まだ仕事が片付いてないからね」
ベンチから立ち上がった時に思わず安堵してしまいそうになったが、まだ表情を崩すことはできない。
「入口まで送る?」
「いいや。それじゃ元気で。無理はするなよ」
「わかってる。兄さんも」
「“火遊び”したらちゃんと消したか確認するのが常識だよ」
(……私が関わってることは確信してたってことね)
最後の台詞でレオンハルトは妹が関わっていると知っていながらも、わざと見逃して忠告までしてくれた。
あの様子では僅かな表情の変化も読まれているだろう。ララもまだ修行が足りないということだ。
「……それにしても、何でBNDにロイ・シュタイナーが機密扱いされていたのかしら?」
小さくなっていくレオンハルトの背中を見送り、晴れることのない疑問を悩み続けた。
ロイ・シュタイナーが機密扱いにされていたこと。
レオンハルトが日本に来ていること。
はたして、偶然だろうか?
「…………まさか、ね」
簡単に受け流し、やることがなくなったララはベンチに座ったまま、暇を持て余すことにした。
見上げると、相変わらず空は青かった。
――――――――――◇――――――――――
「それで、何でお前はレオンハルトと一緒にいたんだ?」
普通科校舎に隣接している体育館へと向かっている最中、智和は恵に聞いた。彼の後ろには瑠奈もいる。
「体育館から出た時にどこか困ってたから声かけたのよ。そしたらララの兄だってわかったし、ちょっと一緒に探してた。射撃場いないしグラウンドにもいないから、食堂回ってたら見つけたって訳」
「ケータイで連絡すりゃいいだろうに」
「置いてきたのよ」
体育館へと到着し、『格闘戦専用ルーム』なる場所へと入る。ここは格闘戦術を学ぶ時に使用されており、以前に智和とララが喧嘩した場所でもある。
ルームには既に学生と教師がいた。中期生の男女が三十人ほど。教師はくたびれたスーツを着用し、年は若いのに無精髭のせいで老いて見える。
「こっちだ、こっち。ようやく来たなー。遅いぞー」
「呼ばせに行かせといて何言ってるんですか、岡嶋先生」
恵は呆れて溜め息を漏らし、智和と瑠奈はまだ状況を把握できていなかった。
岡嶋は軍事教科担当の講師であり、全生徒に格闘技術を教える。日本IMIの中でも一、二を争う格闘戦のスペシャリストだ。そしてヘビースモーカーだ。
連れてこられた二人は、この時間に中期生が授業を受けているということは知っている。だが何故呼ばれたかは知らない。
「何で呼ばれなきゃいけないんだよ?」
「いや、中期生と授業してたのはいいんだけどさ、ちょうど恵が通りかかってね。研修の話題が予想以上に弾んで、その成長ぶりを中期生にも見せて欲しいって言ったんだけど、煙草臭いって断られちゃってね」
「授業しろ。生徒に絡むな」
「だから代わりに相手を探してきてもらったんだ」
「笑いながら言われるとムカつくなこの野郎」
「別にいいでしょ? どうせ暇だろうし」
「殴るぞ」
と言って、左頬に一発右ストレート。
「言ってから殴らないで!」
「何でわざわざ俺呼ぶんだよ。他の奴ら誘え」
「恵のご指名だったんだから仕方ないでしょうに……」
殴られた頬を気にしながら話す岡嶋から、準備体操をしている恵へと視線を移す。
「何で俺なんだよ?」
「智和の方が色々といいでしょ。私とまともにやり合えるのは特殊作戦部隊のメンバーぐらいだし」
「お前の相手、ねぇ……」
正直言えば、とてつもなく嫌だった。
普段ならば別にかまわない。昔からの長い付き合いで元恋人である恵の頼みならば、断ることはそれほどない。
気分が乗らない理由は今の智和の状況だ。体調は申し分ないが、長谷川からの調査任務を受けている。そちらを優先させなければいけないだろう。
しかし進み具合がかなり酷い。この先の調査が進むかさえわからない状況だ。自然と智和のやる気は下がっていた。
「…………あー、わかった。一回だぞ」
気分転換と、長谷川か琴美に個人的なことを聞いてみるついでとして、恵との模擬格闘戦を了承した。
「グローブは……なしでいいわね?」
「必要ない。これ預かってくれ」
上着と携帯電話などが入ったポーチを瑠奈に預け、袖を捲って前に出る。恵も同じ格好で前に出ていた。
「死ぬ前に止めろよ」
「当たり前だって。全員少し離れろ! こいつらの格闘戦は特殊作戦部隊でも抜け出てるから、よく見るように。参考になるぞ」
中期生達がざわつく。なんせ、日本IMIの最高峰である特殊作戦部隊のメンバー同士が模擬格闘戦を行うのだ。しかも目の前で。興奮するな、という方が無理な話だった。
二人が位置につき、岡嶋は審判として立つ。
「目潰し、喉、金的などの急所はなし。骨を折るのもなし。噛み付きもなし。半殺しにするのも当然なし」
「わかってるわよ」
「マジで怖ぇ」
リラックスした態勢の両者。特に構えはしない。
「止めに入らなくてもいいよな? 二人ならその辺のことはわかってるだろうし」
「かまわない」
「同じく。さっさと始めさせて。ぶん殴る」
「さてはお前、何か根に持ってるから俺を指名したな!?」
「試合開始!」
最後の最後に本性が露わとなった瞬間に開始の声が上がり、ほぼ同時に恵が動いた。
たった一歩の強い踏み込みで智和との間合いを詰めると、右手の掌底を放つ。
左手で掌底を受け流した智和は半歩分詰めてボディーブロー。だが恵の左手が阻止し、受け流した筈の右手がいつの間にか襟元を掴んでいた。
(ヤベェ!)
投げられると思い、力任せになんとか右手を振り払って、バックステップで間合いを広げる。
恵は格闘戦のエキスパートだ。日本IMIの“生徒の中”で相手になるのは、同性だと千里か希美だけである。また男子との格闘戦においても恵は全く引けを取らず、逆に圧倒するほどだ。
迂闊に襟元を掴まれたら、背負い投げか足払いされてからの寝技に持ち込まれる。恵の機嫌が悪い時は、関節技まで決められる。
(……そういや寝技で骨折られた馬鹿がいたな)
中期生の頃。馬鹿にした男子生徒と恵が模擬格闘戦を行ったことがある。当然だが、恵の機嫌は損なわれて最悪となり、怒りを通り越して殺す気で挑んだらしい――本人からの証言――。
結果を言うと、男子は開始数秒で鼻を折られ、背負い投げされてからの関節技をかけられ、左肩を外され、左肘、左手首、左指を無理矢理へし折られた。
事件は岡嶋と智和が止めに入った。散々やられた男子生徒は全治三ヶ月の入院。恵は一ヵ月の謹慎処分となった。
その一ヵ月の謹慎処分中に、恵は智和の部屋で過ごしていたのだ。
当時から同居人の千夏は最初訪ねたことがあったが、数日経つと全く気にすることはなかった。彼女と智和が知り合ったのも、恵が居候していると知って部屋を訪ねたのが始まりだ。
そして、智和と恵の関係が深まっていくには、充分過ぎる期間だった。
「何か面白いことでもあった?」
智和が微かに笑みを見せたことに、恵は構えずに聞いた。
「いや。昔に左腕をへし折られた馬鹿がいたなって思い出してな」
「あー、強希が馬鹿にしたやつでしょ? また懐かしいネタ掘り出してくるわね」
「本人にとっちゃ最悪だろうな」
「私にしてみれば最高のネタ話ね」
「マジで怖ぇなこの女。それでやっぱり最高だな。こりゃ惚れるのも仕方ない」
「もう一回惚れてもいいけど? というか、これはまた後で話す。今はこっちに集中」
「だな。少しばかり、本気でやろうか。“昔みたいに”」
「そうね。“昔みたいに”」
意味あり気に話した両者は初めて構えた。
(構えたな……)
「全員よく見てろ。こっからは速いぞ」
岡嶋の宣言通り、ボクシングの構えを見せた両者はほぼ同時に踏み出した。
スピードで勝る恵が僅かに踏み込みが速く、懐に潜り込んで右のボディーブロー。直撃を避ける為、智和は左手で軌道を逸らす。おかげで擦っただけに。
今度は智和の右ストレートが恵の顔を狙う。だが単調過ぎて、ほんの少し顔を横に逸らすだけで躱された。
否。躱されて結構。
伸ばしきった右腕で恵の首に巻き付くように覆い、襟を掴んで固定させる。
「っ!」
振り払おうにも智和との単純な力の差では勝てない。更に首を固定され、俯くように体が前のめりの態勢に崩されてしまえば、抜け出すのは中々難しい。
そこに容赦なく智和の左の膝蹴りが腹部へ。
「ごはぁ……!」
予想していた通りの重い一撃に、吐き出すような悲鳴が漏れる。
もう一度膝蹴りを繰り出すが、洒落にならない一撃を何度も食らうほど恵は甘くない。両手の掌で膝蹴りを受け止め、素早く膝裏に手を潜り込ませた。
「うらあぁぁっ!」
力任せにタックル。不安定なバランスの智和は踏張り切れず、恵に押し倒されてマウントを決められた。
(マジでヤベェ!)
ここからは恵の独壇場に等しいフィールドだ。ポジションを取られ、膝で首と腕を固定されればガードできなくなる。更には寝技からの関節技などもある。抜け出すならばこの瞬間の、まだ完全に取られていない状況しかない。
案の定、恵は左足を封じたまま智和の上を取りに来た。
「ク、ソ、がオラァッ!」
力任せに、ブレイクダンスの要領で腰を軸にして回転させることで、なんとか恵から抜け出すことができた。
こんな荒技、恵にはもう二度と通用しないだろう。なんせ恵から教えてもらったのだから。それに腹部へのダメージが残り、不安定なポジションだったからこその回避方法だ。
間合いが離れた両者は素早く立ち上がり、息つく暇もなく構えて再び踏み出し、今度は小細工なしの打撃戦を繰り出していく。
さすがに直撃すると厳しい為、躱したり、直撃しないよう僅かに逸らして擦らせている。それでも、尋常ではないスピードの打撃戦を展開していった。
「凄いな……」
観戦していた中期生は二人のスピードやテクニックに目が釘づけになり、圧倒されていた。
息つく暇もなく繰り広げられる打撃戦が、二人の格闘戦術がどれほどの実力を持っているのかよくわかる。中期生が“どん引き”するレベルだ。
「なんかマジになってないか……?」
「ガチで殺しにきてるでしょう、コレ」
「というかさ……“笑ってる”よね? 先輩」
中期生の言葉通り、智和と恵は笑っていた。
その笑顔は決して良いものではない。相手に好印象を与える笑顔ではなく、戦いを愛して止まない者の笑顔だ。
楽しいのだ。
元恋人だからという訳ではなく、二人は、この模擬格闘を心の底から楽しんでいる。
そこを考えれば、二人は似た者同士という抜群の相性を持っているのだろう。
(急所なんかを狙ってないとはいえ、マジになって打撃戦やってるな……)
「いやー。前に放送してた総合格闘技みたいで面白いなー。瑠奈は?」
「トモ君とメグちゃんが楽しそうなだけで、私も面白いですね~」
「そりゃ良かった」
全く審判をする気がない岡嶋の隣で、智和の荷物を大事そうに抱える瑠奈は、二人とは違う笑顔で観戦していた。
格闘戦術に長けた二人だから、怪我などの心配は皆無だ。するだけ無駄なので、瑠奈は全く気にしていなかった。
(速ぇな相変わらず!)
恵のスピードとテクニックのパンチに予想以上に苦戦している智和は、次第に荒々しい動きになっている。
(何ていう馬鹿力だか……! 擦ってもキツい!)
それでも拮抗していたのは、一発の重さが洒落にならない攻撃力を持つ智和の攻撃に、恵の対応が遅れてきた為だ。
躱せずに仕方なく防御した際、利き腕ではないパンチでもかなり重く、沈んでくるような一撃だった。
(仕方ない……試してみるか!)
恵は打撃戦を止めてバックステップで間合いを広げ、何を思ったのか構えを解いた。体をリラックスさせて、棒立ちになったのだ。
中期生達が少しざわつくが、二人には全く聞こえない。智和は一歩で詰めて右フックを出す。
その直後。右腕を沿うよう恵の左手で軌道を逸らされ、右手の側面による攻撃を“瞬間的”に二発、脇腹へ打ち込まれた。
「しまっ――」
気付いた時にはもう遅い。怯んだ智和の足を軽々と払い、攻撃されぬよう両肩を押さえ込む形で馬乗りにされた。
――恵が何の目的で研修に行ったのか。最も理解していた智和だったが、まんまとその餌食になった。
総合格闘技のセルゲイ・ハリトーノフの如く殴ってくるかと思っていたが、恵は馬乗りの位置を胸から腹へと変えると、前へ体を倒し、智和の両頬に優しく手を添えた。
あと数センチ。吐息を感じられる位置。打撃戦で両者は体力を消耗して汗を流し、息は少し荒いが、全く不快に感じない。
「私の勝ち」
普段は表情の変化が少ない恵が笑ってみせる。
「俺の負けだ」
相変わらず、この女は色々と怖い。
笑ってみせたが、智和のそれは苦笑いだった。
――――――――――◇――――――――――
「あークソ。痛ぇ。スゲェ痛ぇ」
体育館を出て、すぐそこにある広場。ベンチで横になっていた智和はぼやく。
模擬格闘戦を終え、シャワーで汗を流した後、瑠奈の膝の上に頭を置いて仰向けで休んでいた。ついでにハンカチを借りて、水に濡らして目を隠すように被っている。
「ボッコボコだったね~」
膝枕している瑠奈に見下ろされる形で、智和はハンカチを取る。
「……アイツ、誠二さんトコの会社行ってシュワイトさんから手解きしてもらったこと、完璧に忘れてた」
恵と新一が研修に行った場所は、智和の先輩であり、師匠でもある榎本誠二が経営する民間軍事企業だ。主に警護や技術提供などをしており、今回の研修は警備会社以外にもIMIの生徒から募集していた。
格闘術は誠二も教えるが、今回は元ロシア軍特殊部隊だったロシア人が教えるということで、恵が興奮しながら飛行機に乗っていったことをよく覚えている。
教わってきたのはサンボと、個人的にシステマを習ってきた。模擬格闘戦にて、智和の脇腹に数発入った打撃がシステマに近いものだった。
あの場面で構えを解き、リラックスした瞬間に気付くべきだったのだ。
おかげで脇腹に打撃を入れられ、足を払われた際には咄嗟に受け身を取り損なって背中を強打した。
「息詰まるかと思った……」
「珍しいよね~。トモ君が受け身取れなかったなんて~」
「システマ披露するのがあまりにも突然過ぎて、本当に驚いた……。後先考えずに打撃戦やったのも効いたな……」
「岡島先生がね~、『総合格闘技より面白かった』だって~」
「危うくセーム・シュルトの二の舞になるところだった……」
「セーム…………シュルト?」
「総合格闘技の選手で、セルゲイ・ハリトーノフにボコボコにされた奴。放送禁止ものだ。後で新一とかに聞いてみろ。DVDある」
「そうしてみるね~」
「……マジで疲れた。定期的にやる必要あるな。悪いけど、もうしばらく膝で寝てていいか……?」
「うん、いいよ~」
智和が静かに呼吸から寝息へと変わっていく中、瑠奈は優しく頭を撫でていた。
――――――――――◇――――――――――
「……静かに寝るんだね~」
瑠奈はハンカチを外し、寝息をたてて眠る智和の寝顔を眺めながら前髪を指で弄っていた。
智和と接する度に、瑠奈は心が満たされていく感覚を抱いていた。
他の者達と接することも心が満たされるが、智和だけはどこか違う。あやふやで説明できないのだが、もしかすると異性として捉えているのかもしれない。
実際、智和と瑠奈は毎日隣にいる。平日だけでなく、訓練を共にし、任務を共にし、休日でさえ共にいる。二人が一緒ではないのが珍しいぐらいと思われるほど、隣にいる時間が長過ぎたのだ。
故に、智和が何か隠し事をしていることも、瑠奈はなんとなくわかっていた。
疾しいことではない。おそらく、瑠奈の活動を制限されたことと関連する“何か”だろうと大雑把に考えていた。
「相変わらず、トモ君はなにも言ってくれないよね~……」
瑠奈はIMIの人間に拾われ、拾った人間が日本人だったということで日本IMIへやって来た。
そこで智和と出会い、彼が異常な人間だと衝撃を受け、惹かれたのだ。
智和の思想は同年代とは違って達観していた。まるで戦場を見て、実際に体験してきたかのような、殺伐としていた思想を。
瑠奈自身、智和の思想や見方に対してはほとんど同意見だ。世界は暴力で満ち溢れ、自分達は暴力を振るう立場にいると。
それでも、いつかは平和な世界が訪れるのではないかと、そんなメルヘンチックな幻想を時々本気に考えながらも、やはり最後は無理だろうと結論が出てしまう。
この世界は優しそうで優しくない。瑠奈も友達を亡くしたから身に染みている。
だから瑠奈は、救いたいのだ。
全てでなくとも、自分の行いによって救うことができるのならば。今救っても後で死んでしまうとわかっていても、救いたい。
たった一つの行いで救えるのならば、例えそれが偽善と言われようとも、自己満足と言われようともかまわない。
その為に身につけた殺しの技術と、医療の技術。対極な二つの存在の技術を学び、ようやく土台に立つことができた。
――もしあの時、相手を殺す技術があったならば。
――もしあの時、相手を治療できる技術があったならば。
――どちらかの技術が少しでもあったなら。
――あの人を、助けられただろうに。
(……もう、そんなことさせないように。だから私は“ここ”に来たんだ)
そんな後悔を繰り返さぬ為に、瑠奈はIMIへとやってきた。
物思いに耽っていると、携帯電話の着信音で正気に戻された。
瑠奈の携帯電話ではない。智和の携帯電話に着信がきている。
結構な音量で鳴っているのだが、智和が起きる気配はない。画面を見れば長谷川からの電話だ。
「…………」
智和の代わりに出ようと、着信ボタンを押そうとした瞬間、止まった。
この電話の内容が、もし自分とそっくりな誰かに関係しているものではと考えると、何故かボタンを押すことに躊躇してしまった。
瑠奈は、正直に言うと知りたい。自分も関わりたいと思っている。
自分の出生を知らないのだ。唯一の手掛かりがあるかもしれない。否、確実にそこにあるのだ。
だから、着信ボタンを押すことにした。
「もしもし~」
『瑠奈? 智和は?』
案の定、長谷川は少し驚いた様子を示した。
「トモ君は私の膝の上で寝てま~す」
『起こせるか?』
「寝顔が可愛いので嫌で~す」
長谷川に反抗するのは珍しい。だが智和の寝顔を初めて目にしたので、もう少し眺めていたかった。勿論、長谷川が何の為に電話してきたのかということも含めてだ。
『……そうか。なら起きた後でいいから智和に伝えてくれ』
「何ですか~?」
『やることができたから四時ぐらいまでかかる。その時間まで私と琴美、強希とは連絡できない、と』
「わかりました~。それだけですか~?」
『ああ、それだけだ。もう少し辛抱しててくれよ』
「わかってますよ~。ちゃんと伝えておきます~」
『頼む』
簡潔に内容を伝えて電話を切ってしまった。考え過ぎだったか、と思いながら携帯電話を閉じ、ポーチへと戻す。
「……あれ?」
ポーチの中に黄色のカードキーが入っているのが目に入り、それが諜報科の施設使用に必要なカードキーだとすぐに理解した。
「レベルⅢ……こんなの、普段渡してくれないのに」
諜報科の施設で情報収集する際、個人で活動する場合は最高でもレベルⅡまでのカードキーで充分だ。IMIが公開する中で、レベルⅡ規格のデータでも有益な情報が沢山ある。個人での活動ならば、それだけで事足りてしまう。
レベルⅢ以上は部隊隊長、もしくは教師達か諜報保安部の関係者、生徒会長と副会長、学園長と秘書ぐらいしか使用する機会はない。
智和は部隊隊長だが、昼食時は「長谷川からの頼み事」と口にしている。それに瑠奈の活動が禁止されている為、部隊隊長としてではなく、完全に個人としての調査をしている。
ならば何故、智和はレベルⅢのカードキーを持っているのか。
「……長谷川先生から、厄介事……頼まれた……」
厄介事。
“あれ”しかない。
瑠奈と似ている人物の事件しか思いつかなかった。
「…………っ」
無意識に、自分の右手がカードキーを抜き取ろうとしていることに驚き、同時に別の想いを抱いていることにも気付いた。
自分の出生を知りたいということの他にもう一つ、あの子に会ってみたいという思いがあった。
自分と瓜二つの、ドッペルゲンガーのような存在。
あの子は確実に関わっている筈だと、そんな根拠などないのに思ってしまっていた。
まずは、あの子を見つけなくてはいけない。
そして、自分の出生を知りたい。
「…………」
カードキーを取って上着の内ポケットに入れ、智和を起こさぬよう静かに膝の上から退かし、代わりに智和の上着を枕代わりに寝かせる。
そして何事もなかったかのように、瑠奈は諜報科公舎へと歩を進めていった。
諜報科公舎に到着した瑠奈は、自分の学生証を使って情報管理室へと入り、すぐに智和が使用していた席を見つけた。
閉じたノートパソコンがあり、使用した形跡があるのはその一つだけだったので判別は容易だった。
使用したことを気付かれないようにすることは、まったく気にしていなかった。どうせすぐバレると開き直り、痕跡など隠すつもりなく、ただ早く作業を済ませることに集中する。
カードキーを差し込んでパソコンを起動。同時にノートパソコンも開く。
だがノートパソコンは再起動するやいなや、暗証番号入力画面を映し出す。
「やっぱりか~……」
智和のことだからロック機能は当然だろう。ノートパソコンは潔く諦めて閉じる。
だがノートパソコンを使っているということは、誰かとメールを取り合っていたか、情報収集していたかの二つに限られる。
レベルⅢ規格の情報でも面倒ということを考えるあたり、おそらく誰かとメールをしていたのだろう。
次に考えるならば、誰とメールしていたか。
だがIMIで数多くの協力者がいるのは知っており、情報提供者を捜し当てるというのは時間を要する。効率的ではなく、また瑠奈が知らない人物に協力した可能性もある。
「こればっかりは無理だよ~……」
暗証番号を知っていればさっさと片付けられる問題だが、秘密厳守な智和は絶対に教えない。ノートパソコンを持ち去って解析するという方法もあるが、そんなことをしている時間が惜しい。
「メールか~…………メール…………メール?」
そういえば。
ララが瑠奈のノートパソコンを借りていた。
気にすることなく貸した。理由を問えば、「ドイツの友達との為に」と答えた。
「…………私のパソコンに受信したメール」
何か手掛かりがあるかもしれないと思い、起動させたばかりのデスクトップパソコンをシャットダウンさせて部屋を出た。
――結果的にそれが、手掛かりになるのだが。
――――――――――◇――――――――――
「うっは。ヘリ無双キタコレ」
中期生男子寮。この建物にも一人部屋は設けられており、指で数えられる人数の生徒が住んでいる。
高橋新一もその数に加えられており、単位を充分に蓄えている彼は現在、自室でFPSゲームをしていた。
パソコン用のモニターに繋ぎ、ノートパソコンでインターネット電話しながら対戦している。
「B拠点に二人いるッスよー」
『あークソ。ビーコンガン待ちじゃねぇかクソ』
『なのに何故出た? って私もつられて出てしまったうわ!』
『俺が丹精込めて作り上げたC4ジープ食らえオラァ!』
「この分隊まったく意志疎通できてねぇッスね」
とは言うが、敵味方含めての総合ポイントや成績を見ると、新一がプレイしている分隊がダントツでトップではある。
テーブルの上に置いてある携帯電話から、アニメの着信音が流れ出す。
『うわぁ。着信音カオスだわぁ。そんな電波でカオスな音楽をよく着信音で設定できるわね』
「いいじゃないッスか別に。個人の自由ッス。混沌は世界を救います」
『破滅に導いてるわよ、それ』
「電話出るッスから、一旦抜けるッスねー」
マイク機能をミュートにし、着信が鳴り続けている携帯電話に手を伸ばす。
「もしもしー」
『シー君、今いいかな~?』
「瑠奈さん?」
着信相手を確認しておらず、いつものゲーム仲間かと思っていたが、珍しい人物からの連絡に疑問系になってしまった。
「どうしたンスか?」
『ん~。ちょっとパソコンメールの修復して欲しいんだよね~』
「修復? そのぐらいなら瑠奈さんでも簡単にできてたッスよね?」
瑠奈は一通りの技術を習得しており、ファイアウォール突破も覚えたての生徒より遥かに上手くできる。決して瑠奈が機械に乏しいわけではない。寧ろレベルは高い。それにメール修復ならば、ネットで検索すればいくらでも出てくる。
『ん~。やったにはやったんだけど~……』
言葉を濁し、本題を伝える。
『なんだか修復できないようにセキュリティかかってるみたいで~、どうも私じゃ無理っぽいんだよね~』
「セキュリティ?」
『今から見てもらいたいんだけどいいかな~? 駄目なら別にいいんだけど~』
「別にいいッスよ。ノートパソコン持って裏口に来て下さい」
『ありがと~』
ゲームを途中で切り上げ、インターネット電話も止めた新一は寮の裏口で瑠奈を待った。
基本的に女子が男子寮に入るのは禁止だが、このルールはなにかと緩いので見付かっても問題はない。それでも真正面から入れると、上級生からとやかく言われるので裏口から、である。
数分後にやって来た瑠奈を案内して部屋に入れる。案内と言っても、こういった頼みで何度か訪ねてきたことがある。
そして今、新一はメール修復へと取り掛かっており、瑠奈は貰ったコーラを飲みながらベッドに座り、作業を眺めながら、時折部屋を見回している。
「相変わらずシー君の部屋は凄いね~」
「アニメグッズッスか? それ来てる度に言ってるッスよ」
壁一面に設置された棚には、アニメキャラのフィギュアのみならず、DVDやCD、マンガで埋まっていた。隅には特典で付属してきたであろうポスターが、貼られないまま収納箱に入れられている。
またある棚はPCソフトの箱が重ねられている。R18指定のエロゲーが多数を占めており、一部はFPSゲームのPC版だった。
この様からわかるように、新一はアニメ・ゲームオタクだ。
「未成年じゃ買えないゲームとかって、どこで買ってくるの~?」
「近くのゲームショップにエロゲー置いてるんで、普段そこッスね」
「秋葉原も~?」
「そうなンスけど、テレビとかで変な風に取り上げて以来、変な輩とか多くなったッスからねー。金持ってる自分みたいなオタク狙うチンピラが多くて」
「でもしー君なら楽勝でしょ~」
「当たり前ッス」
身長が伸び悩んでいる新一でも、一通り格闘術は会得している。そんじょそこらのチンピラ相手ならばなんの問題はない。
瑠奈は数多くのコレクションを一通り眺め終え。
次に、新一の隣にある“作業場”に目を向ける。
寝室に入って左にすぐある半分は、改造に改造を重ねて丹精に組み上げた自作パソコンの作業場。もう半分は、銃の整備・分解の作業場である。
このパソコン。ただ改造されただけではない。新一が“自作した”ウイルスやハッキングのプログラムがあり、また高度な解析プログラムなどを取り揃えた、大変危険なパソコンである。
そんなパソコンで新一は、瑠奈のノートパソコンを流れるようなキーボード操作で解析中だ。
智和が最悪の手段で新一にハッキングやらを頼もうとしていた。それほどの実力を新一は持っている。
「そういえば、リビングにもパソコンあったよね~」
「あれは趣味用で、こっちは任務用ッス」
つまり新一は、ゲームなどの為の高性能パソコンと、任務の為の超高性能パソコンを用意している。更にはノートパソコンやら備品やらも揃えており、最近は通信科にも興味が出たらしく、数個の携帯電話やら無線機もある。
それでも、彼の本業は狙撃だ。それは新一自身、一番良く理解している。
「……っと。まぁこんなもんッスかねー」
解析し終えたらしく、瑠奈はコーラを飲みながら新一の隣から覗き込む。
「消去したら修復できないようにしてるなんて、手が込んでるッスねー。スゲェ細かい」
「どんな内容~?」
「えーとスね、宛先は……智和さんのノートパソコンッスね、このアドレス」
(トモ君の……やっぱりララちゃんが?)
「送り主も調べます?」
「それより内容は?」
「えーと、誰かの資料とかそんな感じッスね」
「……ありがとねしー君。資料の内容を印刷して、メール消去してくれないかな?」
「え? いいンスか?」
「うん。大丈夫」
拒む理由はなく、瑠奈の指示通りにメール内容を全て印刷してから、メールを消去する。
だが新一は、僅かな瑠奈の変化に気付いていた。思い悩むような表情を見たことはなく、いつも聞いていた口調もどこか凛としている。
「できたッス」
「ありがとう。邪魔しちゃって、ごめんね」
「いえいえ」
資料とノートパソコンを持って部屋を出ようとした時、何か思い出したのか「あ」と声を漏らして新一に振り向く。
「総合格闘技でセルゲイって知ってる?」
「セルゲイ? セルゲイ・ハリトーノフッスか?」
「トモ君がシー君DVD持ってるって言ってたから。ただ、それを聞きたかっただけ。それじゃあね」
部屋を出ていき、残された新一には違和感しか残らなかった。
「……殴り合いなんて、瑠奈さん好きじゃないような気がしたッスけど」
口調と表情の変化がいつも瑠奈のように思えず、新一の心を不安にさせていた。
――――――――――◇――――――――――
瑠奈は足早に諜報科校舎へと向かっていた。
「あ。瑠奈さん、こっちです」
セミロングで、大人しそうな諜報科の中期生が校舎前で待っていた。
「ごめんね~香奈ちゃん。急に電話しちゃって~」
「いいえ。瑠奈さんには沢山お世話になっているので、お役に立てるならいつでもいいですよ。それじゃ、早速行きますね」
「お願いね~」
藤井香奈は背を向ける。
しかし校舎へと入るのではなく、少し離れた建物へと足を踏み入れた。
諜報科より少し小さな三階建ての建物の入口は、学生証を必要とするカードロックを備えている。
ロックを解除し、藤井に案内されるがまま廊下を進む瑠奈は、生徒の姿がないことに少し疑問を抱いた。
「人いないんだね~」
「諜報保安部に所属している生徒の数自体が少ないんです。中・高期生関係なく、交代制で毎日いますよ。でも部屋に籠もりっきりなので、いないのは当然ですね」
瑠奈が踏み入れた建物は、日本IMI諜報保安部の施設だ。
諜報保安部の建物に出入り可能な人間は、諜報保安部に所属している生徒と担当教師、学園長とその書記である。あとは許可を得たりすれば、同伴ならば出入り可能となる。
だが瑠奈は許可を得ていない。過去に貸しを作ったその借りを藤井から返してもらうということで、数分の間ながら建物に入ったということである。
諜報保安部の建物に入ったことはない。おそらく、智和もないだろうと考えながら、案内されるがまま無機質な廊下を歩いていく。
藤井が足を止めて、入った部屋は教室半分程の広さで、デスクトップパソコンが並べられている。他の生徒はいない。
「今はほとんど監視任務で出てしまって、残っているのは今日は非番の私と、上の階の先輩三人だけです」
入口にロックをかけ、適当な席で電源を入れる。
「既に、瑠奈さんのメールから頂いた資料の顔写真や内容を元に、関連する情報や監視カメラの映像を収集しました」
「ほえ~。やっぱり諜報保安部は仕事早いねー」
「情報の鮮度はすぐ落ちますから速度重視です。あと言うのもなんですけど……やっぱり諜報保安部の設備利用の頼みは、今回だけにしてください。先輩達にバレないよう“街中のカメラ映像”を収集するのはちょっと……」
「あ~。うん、安心して~。今回だけだから~」
苦笑する藤井とは対照的に、瑠奈は満面の笑顔を見せていた。やり過ぎたかと思っていたが、重要なことなので引き下がる訳にはいかなかった。
諜報保安部は『情報収集』と言う名目で、警察などを通して監視カメラの映像を取り寄せることがある。
しかし、これには人数と時間、数多くある書類に目を通す必要がある。『情報収集』としか名目されていない活動は、一般市民のプライベートを侵害されかねないと思われているのだ。
それも理由の一つだが、警視庁の本音を言うと、十代に満たない子供に警察官を従えさせること、自分が従うことが許せないらしい。
事実、IMIと警視庁の仲は悪い。長谷川に至っては「公安と一部の人間以外は、ゴマすりと天狗馬鹿」などと言ってしまっている。
反対に、地元警察とは案外仲が良い。日本IMIは『課外活動』と称して、中期生にボランティアをさせている。特に衛生科の生徒は積極的に課外活動を行っている。
IMIがするべきではない普通の仕事だが、こうすることで関係を持つのが主な理由だ。
長年の苦労が実ったのか、日本IMIと地元警察の関係は今のところ良好である。最初は警戒していたが、実際に接するのはやはり十代の子供なのだ。IMIということを除けば、普通の学生である。
話は戻り、時には警視庁の協力を得られずに情報収集ができないことが多々ある。
その場合、諜報保安部は“独自”で活動する。
方法は様々だ。諜報活動に長け、更に技術を磨き、才能溢れる“犯罪者集団”は、街中に設置されている監視カメラの映像を収集するのは容易い。
これがタチの悪い者にやらせれば、警視庁のデータベースは勿論、本気で取り掛かれば各国の軍事施設のファイアウォールも簡単に突破できる。
――余談だが、琴美は“自分の手”でハッキングし、問題の映像を見つけた。
藤井は瑠奈から渡された資料の人物と、「自分と酷似している人物」を探すように言われ、ハッキングした。
自分より技術も経験もある先輩にバレないよう、ハッキングして情報収集をするのはかなりキツかったらしく、苦笑いしたあとは深い溜め息を漏らした。それを見て、少し無茶をさせてしましたと反省した。
「……それで、瑠奈さんから渡された資料で探したら、見事に合致する映像がありました」
「どこで~?」
「ロイ・シュタイナーという男性は成田空港ロビーの監視カメラに映っていましたが、それだけです。それで、瑠奈さんが言っていた酷似している人物ですが……」
「どうしたの~?」
「…………いえ。すみません」
出すべきかどうか迷うが、嘘をついても仕方ないので画像を出した。
「瑠奈さんに酷似した人物も発見しました。ロイ・シュタイナーと同じ成田空港ロビー、その他各駅などで映っています」
「いつ頃かな~?」
「先々週です。そして『少女X』はつい数日前に姿を現しました」
知っている。
長谷川の召集で、中華料理店を襲撃した映像を見た。
「一度姿を消してますが、その後は頻繁に監視カメラに映っています。荷物を持って、暴力団事務所や港付近へ向かう姿を捉えています」
「暴力団……?」
「……ここだけの話で、瑠奈さんだから言うんですが、多発している暴力団襲撃に関わっていることを諜報保安部は掴んでいます。それと死体の数が足りないと報告もあり、連れ去った可能性が高いです。
あと、失踪事件にも関係している可能性があります。失踪した人物と話してラブホテルに入る映像もあります」
「…………」
「あの、大丈夫ですか……?」
今まで見たことのない瑠奈の表情を見た藤井は、思わずそんな言葉を口にした。
思い詰め、責任を抱え込みながらも、何かを決意した表情。
「……映った場所は?」
「え?」
「映ってた場所。全部教えて」
「全部……ですか?」
「うん。それで出入りした建物とか割り出せる?」
「ちょっと待ってください」
今までの瑠奈とは違う雰囲気に圧倒されたのか、疑問に感じながらも作業をする。
映像に映っていた場所を元に、地図に印をつけていく。その印は一部分に密集していた。
「この辺りです。確認した限り、出入りした建物もリストアップしました」
「ありがとう。無理言ってごめんね」
「え……?」
作業した直後、瑠奈は立ち上がって部屋を出ようとした。藤井は思わず声を上げる。
「印刷とかしなくていいんですか?」
「大丈夫。“覚えた”から」
そんなまさか、とは思うものの、日本IMI自慢の特殊作戦部隊に所属しているのだ。もしかしたら本当に覚えたかもしれない。
ドアノブに手を掛けた瑠奈は動きを止め、振り返らずに口を開く。
「トモ君に内緒ね」
「……えと、まぁ言ったら私も立場が危ないので言いませんが」
「全部消去して。あと……本当にごめんね」
「……瑠奈さん?」
「それじゃあね」
異変を問う前に瑠奈は部屋を出て、早足で入口へと歩いていく。
飛び出した藤井は、何故か瑠奈の後を追うことはできなかった。
決意を固めた彼女を、自分では止めることなどできないと悟ったのだ。
――――――――――◇――――――――――
諜報保安部の建物から出た瑠奈は、智和が寝ているベンチに戻った。
一時間足らずの時間を要したが、まだ寝ているところを見ると恵のパンチが余程効いたらしい。静かに寝息をたてている。
カードキーをポーチに戻し、しゃがんで智和の寝顔を覗く。
「…………可愛いな~」
ふと、智和の唇に目が移る。
智和がこれほど無防備にしているのが珍しいからか、それとも瑠奈が意識しているのかわからないが、悪戯をしてみたくなった。
ゆっくりと顔を近づかせ、髪が触れないよう手で押さえながら、ゆっくりと。
あと数センチで止まってしまった。
自分が何故こんなことをしているのだろうと正気を取り戻し、こんな不意討ちで唇を奪うことは卑怯だと思ってしまったのだ。
「…………何考えてるんだろ」
真面目に考えて、馬鹿らしくなってしまった。
静かに立ち上がり、儚い笑顔を――死別する覚悟を持って、告げる。
「さようなら。トモ君」
――――――――――◇――――――――――
部屋へと戻り、ララがいないことを確認し、戻って来る前に準備を整えておく。
クローゼットの中から小さいリュックを取り出して、中から装備を出す。まずはグロック17拳銃。だがこれは常備している拳銃とは違う予備の拳銃であり、必要ないと判断して片付ける。
次に上着を脱いで、マガジンポーチが着けられているベルトを装着。全部で八本。その上からまた上着を着る。これで大衆の目からマガジンを隠せる。
靴も普段履いているものから、任務時に履く軍用ブーツへと履き換える。ローファーや普通のブーツでも別に良かったが、任務などの時は必ず軍用ブーツを履く。気を引き締める瞬間のようなものだ。
何事もなかったかのように片付け、準備を終えた瑠奈は玄関を開ける。一度振り返り、周囲を見回し、静かに部屋を出ていった。
残されたのは沈黙と、テーブルに置かれた学生証だけだった。
――――――――――◇――――――――――
セナは、この国に到着してすぐ、前以て用意していた拠点にいた。そもそもマフィアから提供された拠点など、一騒ぎすればすぐ警察に押さえられる。更に壊滅までしてしまえば、警察は総動員で動く。
となれば、拠点放棄は選択せざる得ない。拠点も用意しなければならない。その拠点も、足がつかないよう数回限りの使用だ。
残した二つの拠点のうちの一つ。駅から少し離れ、繁華街の路地裏に設けられた小さな雑居ビルのホテル。
店主は“おもちゃ”を持ってきた時に殺した。目障りで、どうせ用済みになるのだから殺した。ただそれだけだ。
客を殺した。旅行者二人。その二人はセックスをしていて、音が漏れて気に障った。ただそれだけの理由で殺した。
“一人”になったホテルで、“おもちゃ”を使って遊ぶ。
下着一枚で、うつ伏せに寝かせて大の字の形で台に固定させる。撃った傷痕は既に治療しているので、ショック状態や出血多量の心配はない。
――そんな心配など、遊ぶ段階になってしまえば全く意味はないのだが、セナにとってはどうでも良かった。
まず数十個の釣り針を、摘み上げた皮膚に通す。背中を中心に通す。
次に釣り針に紐を通し、その紐を天井に打ち込んでおいた輪っかに通す。釣り針の数だけ輪っかがあり、一本の紐が力なく垂れる。
その紐の先に重りを繋げる。最初は軽い物を吊り下げていたが、面倒になったのでビニール袋を繋げてマガジンなどを入れてみた。
そうすると、今まで小さな呻き声が悲鳴へと変わった。重りを足していくと、皮膚が耐え切れずブチブチと引き千切れていく。
そんな遊びをしていたが、楽しく感じなくなってしまった。
自分が歓喜し、興奮することはこの瞬間だとセナ自身は思っていた。
だがマフィアとの戦闘で変わった。体を痛め付けるのではなく、生と死を賭けた命のやり取り。殺人。虐殺。殺戮。破壊――そんなモノに興奮を覚え、欲情し、歓喜した。
「…………ああ。そうか」
ようやく理解し、腹を抱えるほど大笑いしていた。
これを願っていた。
これを望んでいた。
これを求めていた。
これを、これこそが、彼女の存在理由を追及し、導き出した『答え』だ。
本能による殺人。
戦闘狂。
殺人を求め、殺戮を求め、虐殺を求め、破壊を求め。
「“セナはこれだ。これこそがセナなんだ”」
理解した。理解した。理解した。
――これがセナだ。
ベッドに置いていたグロック拳銃を持つと、虫の息である“おもちゃ”の頭を吹き飛ばす。
荷物を纏め、こんな場所にまでやってきた者――もしくは連中の為に拠点の場所を記したメモを残し、何食わぬ顔でホテルを去っていった。
彼女の目は、変わり果てていた。
――――――――――◇――――――――――
瑠奈は、陽が傾き始めた時間帯の繁華街を歩いていた。元々人通りの多い場所ではあるが、夜が近づくにつれて増えてきているように感じる。
早足で、しかし人波を掻き分けることはなく、流れに乗じて歩いていく。
ここを通る前に、数件の建物に“侵入”した。だが空振りで、既にもぬけの殻だった。
今向かっているのは路地裏にある小さなホテルだ。マフィアが関係している噂が絶えないホテルで、自分と似た人物が出入りしている可能性がある場所。
藤井から提供された情報は全て頭に入っている。迷うことはなかった。難しいことはなにもない。
難しいと言うならば、IMIの敷地から出る瞬間だった。生徒用の出入口で、「ちょっとコンビニに」と言って学生証を提示する瞬間。警備員と親しくしていたおかげで、学生証なしで通れた。
欠かさず挨拶して親交を深めた結果でもあるが、警備員を騙したことは少しばかり罪悪感を抱いている。
「……ここ」
目的のホテルに到着。裏口が簡単に見つかり、何食わぬ顔で入る。
不思議なことに、鍵はかけられていなかった。
「……」
手摺りを握ったまま動きを止め、左手にグロック拳銃を持ち、安全装置を解除してから扉をゆっくり開ける。
左手から右手に拳銃を持ち変え、足音をたてずに狭い通路を進む。
変わった様子は今のところない。
人の気配がしないこと以外は。
「…………っ」
受付らしき場所に出て、頭を撃ち抜かれた死体を見つけた。
調べるだけ無駄なのは目に見えている。警戒を強め、上の階へ進む。
二階に上がっても人の気配はない。だが半分ほど通路を進んだところで、扉を蹴り破った跡を見つけた。銃弾を撃ち込んでから蹴り破ったらしく、ドアノブは粉々になっている。
軽く押しただけで扉は自然に開く。中に入ると、また死体があった。今度は二人。どうやら性行為でもしていたらしく、全裸のまま撃たれている。ベッドのすぐ横に大きなリュックサックが二つ。バックパッカーらしい。
このホテルで何かあったことは確かであり、手掛かりもここに残されていることを確信した瑠奈は、虱潰しに部屋を確認することにした。
試しに隣の――通路の一番奥にある部屋を見れば“当たり”だった。
「っ!?」
台にうつ伏せで固定されて死に絶えている死体を見て、思わず目を背けてしまった。すぐに目線を戻すが、その死体は調べたくはなかった。
男性とわかる背中や肩など皮膚が千切れている。天井から釣り下げられていた釣り針にその残骸があった。
これは尋問ではない。拷問ですらない。最初から問いただすことなど眼中になく、ただ遊ぶ為だけの行為だ。そもそも聞く理由などないのだ。
「……ん」
拳銃を下ろして部屋を見回すと、小さなテーブルの上に紙切れを見つけた。紙切れには住所らしきものが書かれている。
「…………」
罠という可能性が考えられる。こんな見え透いたものを、馬鹿正直に行く人間など間抜けに等しい。
だが、瑠奈は行かねばならない。
例え馬鹿正直だろうが間抜けだろうが、そこに自分の過去を見つける手立てがあるのならば。
そこに、“自分”がいるのならば。
迷う必要などない。瑠奈の覚悟は決まっていた。
拳銃をホルスターに片付け、無意識のうちに走り出していた。
――――――――――◇――――――――――
最後の拠点としてセナが選んだ場所は、準進行不可区域に近い廃ビルだった。ビルの損傷はなかったものの、準進行不可区域に近いという理由で顧客が離れて倒産し、誰も近づかない場所となってしまっている。
もちろんガスや水道、電気は通っていないが、手を加えればそれなりに快適な環境へと変わる。それでも居住スペースとしている場所にはベッドしかないが。
準備は既に整っている。隠していた武器を取り出し、あとはこんな場所にやってくる馬鹿を相手にする。
連絡の義務も、行動の義務ももはやどうでもいい。
今はただ、殺したい。
殺して殺して殺したい。殺し尽くしたい。
早く。早く来い。
早く、早く、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く!
セナに呼応するかのように、入口の扉は勢い良く開かれた。
瞬間。携えていたM500ショットガンを構え、引き金を絞った。
――――――――――◇――――――――――
瑠奈がやって来たのは、準進行不可区域に近い空きビルだ。四階建てのビルで、周囲にも人気はない。準進行不可区域に近いという理由だけで廃れ、今ではゴーストタウンのような静けさが漂っている。
残されていたメモの住所のビルに近付き、取っ手を握ってゆっくりと正面玄関を開けた。
「っ!?」
開けた瞬間、危険を感じて前に踏み出すのではなく横に飛び込んだ。
瑠奈の本能は正しかったらしく、扉にはショットシェル弾が撃ち込まれて鉛玉の餌食となってしまった。
(ポンプアクションのショットガン。それに……“私”がいた!)
回避行動する前に、敵の姿と武器を確認できた。ショットガンだけしか持っていないが、他にも装備している可能性はある。
それよりも重要なのは――“自分”。あの“自分”がいた。
拳銃を持って安全装置を解除。撃ち尽くした隙を突き、一発でも弾を装填させる時間は与えさせない。
(今っ!)
弾切れになった瞬間、瑠奈は拳銃で真正面から突っ込んだ。
「あはははぁっ!」
「っ!?」
瑠奈の様子に反し、相手――セナはショットシェルを装填する訳でなく、ショットガンを放り投げ、両太股に装備していたホルスターからグロック拳銃を抜き、両手に持って瑠奈と真正面からぶつかり合った。
(わざと……!? まずい、距離を詰められた!)
言葉よりも行動に移す。
ぶつかり合って押さえ込まれた手を振り払って撃つ。だがセナは容易く躱すと右手で弾き、左の拳銃を構え、引き金を絞る。
同じように躱した瑠奈はセナの横に回り込んで構える。しかしセナは瑠奈のスピードに追い付いており、二つの拳銃を構え直す。
互いが拳銃を弾いては撃つ。躱しては弾いて撃つという形で進んでいく。セナの二丁拳銃などという不可思議で、非効率な戦闘方法だというのに、まるでダンスをしているかのようなステップを踏んでいる。
銃弾が当たらない。当たらないどころか擦りもしない。互いの出方を見切っている。計算し尽くされた台本のような銃撃戦。
“双子”のように呼吸がピッタリの銃撃戦が続く。
先に瑠奈の拳銃が弾切れとなった。スライドオープンされた拳銃は捨てることなく、その場でマガジンを捨てる。距離を広げたいが、これでは詰められてしまう。
ベルトに装備してあるマガジンに拳銃を差し込む。ロングマガジンを持ってきており、弾数には困りはしない。
だがセナは、その僅かな時間をも見逃さなかった。瑠奈の拳銃を弾くと自分の拳銃を構えず、右膝を腹部へと叩き込んだ。
「がはぁっ……!」
これに瑠奈は耐え切れなかった。拳銃を手放してしまう。セナは簡単に拳銃を捨てて格闘戦に移る。
ふらつきながらも構えて左右のパンチを繰り出すが、簡単に躱され、今度はセナの掌庭を顎に食らってしまった。
完全に態勢を崩され、為す術もなくセナの重い打撃が打ち込まれていく。
頭への打撃を入れられ、壁に叩きつけられた衝撃で瑠奈は気を失ってしまう。
「…………」
気絶する瑠奈を見下ろすセナは、呼吸が乱れている様子はない。
だが、眠っている“自分”を見て、久々に感情が高ぶってきた。
「…………ふふんっ」
“自分”がそこに眠っている。無防備な姿で。
――“自分”を犯すということはどういう気分だろう。だが楽しいに違いない。
久しぶりに感じた性欲は止まることを知らず、今すぐにでも唇を奪ってやりたいところだが、我慢してベッドと拘束の準備を始めた。
ラブホテルから持ってきたSM道具があったことを思い出し、一気に興奮と性欲が高まって息が荒くなった。
――――――――――◇――――――――――
目を覚ました瑠奈は、まず腹部と頭に鈍痛を感じた。セナに殴られたからとすぐ理解して体を起こす。
だが、何故か起こせなかった。
「…………ふぇ?」
空気が漏れるような音が言葉に混じっていた。
顔は少し動かせるようで、なんとか自分の状態を把握する。
両手が上に伸ばされて拘束されていた。足も枷を嵌められた上、閉じられないよう鉄棒でM字に拘束されている。口にはボールギャグが銜えられ、上手く言葉が発せない。
上着は脱がされていた。ベルトも外され、もちろん二丁の拳銃も奪われていた。
「起きたぁ?」
「っ……!」
突然ベッドに飛び込み、瑠奈の腹に跨ってきたのはセナだ。
その表情は笑顔に包まれ、ほんのり紅潮している。
「……本当に似てる。そっくり」
見れば見るほど、瑠奈とセナは同一人物のように感じる。瓜二つの、双子のように。目付きはまったく違うのだが。
セナの両手が瑠奈の頬に優しく触れる。振り払ってもよかったが、なにをされるかわからないのでされるがままに。この状態でされることなど、考える限り一つしかないのだが。
「パパから聞いたの。セナにはお姉ちゃんがいるって。遠い遠い場所にお姉ちゃんがいるって。“ずっと”そう言われてきたの」
(お姉……ちゃん? 私が?)
初耳だ。過去を探しに来たのだが、信じられる証拠などどこにもない。
だがセナの妄言とも思えなかった。なんせ瑠奈には過去がないのだから。それもまた真実であり、セナの言葉に耳を傾け続ける。
「セナと同じ。あなたはだぁれ? お姉ちゃん? 私と瓜二つのワタシはいったいドコのダレ?」
(……瞳孔が開いてる。やばっ)
「…………でも“もういいの”。セナはもういいの。ようやく理解したから。セナはようやくセナを理解できたからぁ」
口端が吊り上がった笑みは、瑠奈の背筋に悪寒を感じさせた。
「そうだぁ。一応確認してはおくけどぉ……」
(……やばい。やばい。これはやばい……!)
今更暴れたところで拘束は解ける筈がない。解くどころか、セナに押さえ込まれてまったく力が入らない。
「お尻の穴は、したことある?」
悪魔の少女はニンマリと笑みを見せ、取り敢えず近くに置いていたローションを手に取った。