狂い、喜び、笑い、壊れ、壊れ、壊れ
私の体は誰のモノ?
普通科校舎には大人数用から数人用の少し狭い会議室の二種類が、作戦指揮室と共にいくつも設けられている。教師達の会議にはもちろんのこと、各部隊がブリーフィングを行う際や個人の任務確認などに用いられることが多い。余談だが、男女の発展場でもあることが少なからず事実であった。
そんな中、部隊用の会議室が使用中となっていた。
教室の半分ほどしかない広さの部屋。窓はカーテンで閉じられ外からは見えなくされており、部屋の電気はつけられていなかった。椅子とテーブルしかない。椅子には長谷川が座り、テーブルの横に琴美が立っていた。
テーブルに置いてある琴美持参のノートパソコンは、通信科から拝借してきたプロジェクターとコードで繋がれ、プロジェクターは天井から下ろされたスクリーンにノートパソコンからの映像を映し出している。その映像を見ていた両者の表情は決して穏やかではない。むしろ厳しい面持ちで映像を何度も見ては確認していた。
「……どう思う?」
映像を確認して三度目に、長谷川はようやく重い口を開いた。
「どう思うと言われましても……映像の通りとしか」
困惑した様子の琴美は珍しく曖昧な返答しかできなかった。
琴美が困惑するほどの事態だということだ。
「……だな。正直なところ、私もどうすればいいか決めかねる」
長谷川も困惑していたらしく、背中に体を預けて映像から琴美に目を向ける。
「しかし見逃すことは到底できないだろう」
「わかっています」
「……警察はこの映像を知っているか?」
「諜報科で調べていた時に見つけたので、私の“伝”で機器ごと渡してもらいましたし、この映像を存在しないことにしてもらいました」
「……そこは良しとするか」
果たしてどんな伝を使ったものかと少しばかり興味があったが、今はそんなことを問う場合ではない。
「この映像の問題もあるが別の問題もある。早急に対処する必要が出たな」
「明日の準進行不可区域への探索は、もしかすると課外授業の範疇を越えるかもしれませんよ」
「わかっている。だが無駄に事を大きくすることはできない。とにかく警察に知られたらまずい。終わったら機器ごと処分しろ」
「了解です」
「本人を呼ばなきゃならんな。……ったく、面倒な」
「せっかく揃ったのに残念ですね……」
「呼んでくる。少し待っていろ」
落胆した様子で呟く琴美の横を長谷川は通り、放送室に行く為に会議室を出た。
――――――――――◇――――――――――
O区の片隅にある野球グラウンドにて行われていた男子チーム対女子チームの試合は0対4。なんと女子チームが四点リードして最終回を迎えていた。
初回の智和による2ランホームラン。六回にはララと千里のタイムリーヒットで二点をもぎ取っている。
「……よく考えたらアレだよな。女子が野球すれば大概は守備でもたついたり打てなかったりするが、ここってIMIだから身体能力は抜群だよな」
「しかも特殊作戦部隊や諜報保安部に生徒会だぜ? IMIの平均能力を越えてるっつうの」
今更な状況分析は溜め息しか生まれなかった。しかも男子チームは既に1アウトを取られてしまっている絶望的な状況だ。
「だけどまだ同点あるぞー!」
「満塁だ、満塁! 逆転もいける!」
しかし男子チームは諦めるどころか、むしろアドレナリンが上昇していた。
その理由は言葉の中にもある通り、1アウトの状況で満塁になっているのだ。
ようやく千里の重いストレートや少し沈む変化球に対応できてきた。ヒット二本を重ね、制球が乱れたりして満塁まで持ち越した。
「……四点差でよくやる気が出るな」
ショートを守備する智和はグローブで口元を隠し、ぼそりと聞こえないように呟いた。
だが満塁だとしても1アウトだ。ゴロになってしまえばゲッツーで試合終了にも成りかねない。
「おい千里。打たせろ。もしくは上げさせろ」
打たせれば堅い内野の守備でゲッツーが取れ、最悪フライを上げさせれば2アウトだ。四点差もあるのだから確実に勝てる内容である。
しかし千里は。
「何を言うか。あと三振一つで二桁三振だぞ」
疲れてきてる筈なのに何故か意気揚々と右腕を回してそう言ってきた。
今思えば、千里は初回からいつも以上にやる気が出ていた。キャッチャーの希美も珍しく張り切っていることを、智和は心の隅でずっと疑問に感じていた。
「……なぁ。何でお前や白井さんはそんなにやる気が満ち溢れてるんだ? 性欲溜まってるのか?」
「仮に私はそうだとしても希美を変態扱いするな」
「自分で変態って決めたぞ」
「賭けだよ、賭け。負けたチームリーダーが勝ったチームに奢る」
「何を?」
「アイツらは焼き肉だ。私達は希美の強い希望で、先週オープンしたアイスクリーム店だ」
「釣り合ってないんじゃないか?」
「いやいや。そのアイスクリーム店は中々の高級店でな。商品一個がそれなりに高い。食い放題の全額一万八千円と多数女子勢では意外と釣り合うさ」
「お前はどれだけの女子勢を連れていく気だ」
「それに三振一個で千円のボーナスだ。私を慕う可愛い後輩達に振る舞うさ」
後輩想いなことは結構だが、あと千円札一枚に欲が出過ぎて試合に負けてしまえば意味がない。
打席には強希が立っている。初回こそサードゴロだったが次の打席からはヒットや長打を出していた。
手強いバッターだが千里は自信満々に第一球を投げる。
「ッ!」
ボールが少し沈み、芯を外してしまいゴロかと思ったがファウルに。
第二球。
「だあぁッ!」
これもまた沈んだが上手くバットに当てた。しかしボール球に手を出す結果でまたファウル。
早くも追い込まれてしまった。
第三球。
「ああクソッ!」
また沈むボールを投げてくると予想したがストレートだった。その為、振り遅れただけでなくボールの少し下を振り抜いたせいで打ち上げてしまった。
小さなフライはショートの智和がほとんど動かない位置だ。ボールは吸い込まれるようにグローブへと入っていく。
2アウト。勝利はもう目の前。
最後となる可能性の男子が打席へと入る。この男子も千里のボールに慣れてヒットを一本出していた。
「同点ホームラン!」
「やらせるか馬鹿が!」
千里は渾身の第一球を投げる。
「待ってたストレートぉ!」
男子はストレート一本に絞っていた。それも空振り三振を目指しているのかと勘違いするほどのフルスイングで振り抜く。
ボールは軽々と外野へ上がる。
「あーあ……」
しかし男子チームの勢いは一気に落ちた。
ボールの勢いが落ちてホームランボールではなく、単なるレフトのフライだったからだ。
「よーし! 九千円とアイス代!」
「アイスクリームっ、アイスクリームっ!」
ボールの行く末を眺めながら勝利の咆哮をする千里と、要望したアイスクリームが食べられることで上機嫌な希美。
「ちょっと眩しいな~……」
レフトの瑠奈は目を細めながらボールを見続けて落下地点に入るが、見えないほどではないので平気だった。
グローブを上げて難なくフライを捕る。
その時。
『高一期生普通科A組の草薙瑠奈。並びに同部隊生徒は至急、第一部隊用会議室に来るように』
「およ?」
放送に気を取られてスピーカーに目を向けた瞬間。
グローブからボールがポロリ。
「あ」
落ちた。
「…………」
グラウンドにいた全員の動きが止まってしまった。何が起こったのかまだ理解できていない。
瑠奈もスピーカーから転がるボールをただ呆然と見ていただけ。
しかし沈黙はいずれ破られる。
「走れぇぇぇぇっ!」
「回れ回れ回れぇぇっ!」
割れんばかりの絶叫が男子チームから響くと同時に、塁上で止まっていた四人は全力でホームへと駆け始めた。
「よっしゃ二点入ったぁ!」
三塁にいた男子は瑠奈が捕球する前にホームを踏んでおり、二塁にいた男子もセンターを守る俊足の持ち主で既にホームを踏んでいた。
あとの二人もホームを目指して全力疾走。打った男子は二塁を回っていた。
「瑠奈、ボール!」
「……あ、あ~っ!」
ララの一声でようやく我に返った瑠奈だが、慌ててしまいボールを掴み損ねる。
「三点目!」
「三塁も回れ!」
「ごめんトモ君っ!」
投げた時には三点目が入り、バッターは三塁を踏んでホームを目指して疾走していた。
「そこを退け希美!」
「先輩!?」
半ば無理矢理に希美を離れさせた千里が、何故かホームで返球を待ち構えた。
「何でホーム入ったンだ?」
「かまわねぇ! 焼き肉食い放題の為だ突き飛ばせ!」
強希の素朴な疑問に誰も反応せず、三塁を回った男子も体当たりするつもりか腕を交差させて顔を守るように走る。
だが千里の性格を知っていた智和は、瑠奈の返球を受けた時には彼女の行動の真意を理解した。
「どうなっても知らねぇぞっ!」
千里のグローブ目がけ全力で返球する。
見事なストライク返球はグローブに吸い込まれ、千里は走者に対して身構える。
「体当たりが千里なのは不満だが……ここは遠慮なくぶつかってやらぁ!」
本当なら希美との接触を期待していたがこれも焼き肉食い放題の為、ボールをこぼさせてホームインする為に突っ込む。
「おりゃああああっ!」
「…………其処っ!」
体当たりされる直前。千里は急に右足を引いて構えを解いた。
体当たりを躱すと左手を相手の襟元へ即座に運ばせ、体当たりの勢いを殺さぬよう気を付けながら――
「ふんっ!」
「――――は?」
背負い投げの要領で男子を“投げ飛ばして”しまった。
投げ飛ばされた男子は空中で半回転し、三メートルほど離れた地面に大の字で寝転がった。
またもや沈黙が周囲を包み込み、呆然と千里と男子を交互に眺めていた。
投げ飛ばされた本人は何をされたのか理解できず、それほどの痛みもなく空を見上げ寝ているまま。
唯一、智和は呆れて溜め息を漏らし、千里は転がっていたボールを拾って男子に触れる。
そして男子チームにボールを突き付け、堂々と宣言した。
「私のチームの勝ちだ!」
「いやいやいやいやいやいや!? 待て待ておかしい! それはおかしいぞオイ!?」
男子チームから一斉に抗議の声が上がり、思わず全員がホームへと向かう。
「今のは明らかな走塁妨害だろ千里!」
「何を言うか。逆に走塁を促してやったようなものだぞ。護身術の応用だ!」
「護身術を野球の接触プレーで使うなよ!」
千里は相手のスピードを利用して投げ飛ばした。
これの元は相手がナイフなどで突きをしてきた時、咄嗟に体を横にして躱した後、突き出した相手の手首を掴んで制圧する護身術の一つだ。
護身術は体の使い用と工夫次第で、自分が小柄で相手が大柄でも簡単に御することができる。逆に相手が大柄なら下半身の膝や股間などの急所が狙いやすい。
特殊作戦部隊なら護身術どころではなく暗殺術まで使うが、とにかく千里は男子のスピードを利用して簡単に投げ飛ばした。
「言わせてもらうが、お前達も守備妨害まがいなことをしようとしたじゃないか。しかもどさくさに紛れて希美の体を狙っていたんだろうに」
「だとしても投げ飛ばすなよ!」
「予想しろ」
「アホか!」
「ならば感じろ」
「コイツ正真正銘の馬鹿だ!」
「お前のチームメンバーの表情見ろよ! 希美なんかドン引きしてるぞ!」
「勝って嬉しいよな? 希美」
「…………いや、そこまでは」
「“嬉しいよな”?」
「う、うれしいなー……アハハ、ハハ……」
「酷い横暴を見た」
「トラウマものね」
千里の独壇場に誰も勝てる筈がなく、一番慕っている希美は手荒過ぎる先輩にドン引きしていた。
智和とララは呆れながらベンチに戻り、移動の準備を始めた。
千里がまだ男子達と勝ち負けを論議している中、守備にいた女子チーム達はベンチに戻っていた。
「そういえば」
ポカリスエットを飲み終え、智和はふと気になって口を開く。
「千夏と彩夏さんは諜報保安部の任務中だったんじゃないか?」
密かに諜報保安部で“あること”を調査している情報を長谷川から聞いており、千夏の同居人でもある恵が本人から聞いている筈だ。
「午前は監視をしていたの。午後は時浦先生に報告する為に一時的に戻ってきただけ」
智和の問いに千夏ではなく彩夏が答えた。
「千里が荷物を運んだ時に『野球出て』って頼まれちゃったから、息抜きにはいいかなって」
「任務中に無理言ってるな相変わらず……」
千里の無茶苦茶な性格は先ほどの接触プレーの通りで、中々凶暴で我が儘である。独裁政治を表しているかのような性格だ。それでも千里が慕われているということは説明のしようがなかったが。
「それよりも智和君。部隊で長谷川先生に呼ばれたんだから早く行かなくちゃいけないんじゃない?」
「ああ。遅れたら面倒臭そうだ」
「瑠奈、何かしたの?」
ララの問いにレフトから戻っていた瑠奈は首を傾げ、「う~ん」と唸りながら考える。
「……何もしてないんだけどな~。だって部隊活動も任務もしてないよ~?」
「瑠奈関連、ってことかしら? 千夏、何か心当たりある?」
「いえ。私は何も聞いていません」
諜報保安部に所属している二人は何も知らないらしい。情報収集に長けている二人が知らないのだから、瑠奈本人は別として智和が知っている筈がない。
忘れているだけかとぼけているだけという可能性もあるが、瑠奈に限ってそんなことはないと断言できる。
「とりあえず行こう。わざわざ長谷川が放送室まで出向いたってことは、何かしら問題事が起こったってことだ。ララも来いよ。お前も同じ部隊だからな」
「わかってるわ」
素っ気なく返事をしたララだが、智和に部隊の一員・仲間として認められたことに内心嬉しく思い、智和と瑠奈の後ろを着いていく時に一瞬だけ綻んだ。
――――――――――◇――――――――――
O区の片隅にある野球グラウンドから普通科校舎までかなり遠く、結構な時間を消費して第一部隊用会議室に到着した。
因みに疑惑の判定で猛抗議していた強希も部隊の一員の為、抜け出して智和達と同行している。
「来たか」
智和が扉を開けると長谷川の第一声を聞き、椅子に座っている長谷川と召集された恵と新一。それとテーブルの横に立っている琴美が視界に入る。
「部隊召集して何事だ?」
「部隊での問題事ではない。……が、瑠奈に対する問題事だ。影響が及ぶ可能性があるから召集した」
「本当に何もやってない?」
「何もしてないよ~」
「見ればすぐわかる。これがお前ならな。琴美、映像を見せろ」
指示された琴美は部屋の電気を消し、テーブルに置いてあるノートパソコンを操作し始めた。
後に来た四人は椅子を出して座ることはなく、壁に凭れかかってスクリーンを眺める。
スクリーンに映し出されたのはとある店内だった。
「ある中華料理店のカウンターに隠されていた監視カメラの映像だ。琴美の伝でこの映像の存在自体をなくしてもらっている」
「あ?」
モノクロで画質の悪い映像。
カウンターを誰かが通り過ぎた。
「巻き戻します」
琴美が映像を巻き戻し、何者かが通り過ぎる瞬間に映像を停止した。
「……あ?」
全員の口から疑問を抱く声が漏れたのは、映像に映る人物が原因だった。
腰以上に長いツインテール。ゴスロリチックな服装。似過ぎている体型――否、似過ぎているというものではなく本人そのものが映っている。
瑠奈の姿が、そこにいた。
「この中華料理店には香港系マフィアが集まっていた。そして昨日、香港系マフィアは全員殺された。店番をしていた店長とその車は行方不明だ。
瑠奈、お前は何か知っているか?」
「…………え、私?」
明らかな動揺をしていた瑠奈は長谷川の質問にたじろいでいた。
なんせ自分が殺害現場に姿を現しているのだ。更に荘厳な長谷川の態度で迫られれば、大抵の生徒はたじろいでしまうのは当たり前だった。
「ねぇ」
しかしここで異議を唱える者がいた。
ララだ。
「その襲撃時間は?」
「映像で確認する限り十二時四十七分だ。その隅にもはっきり証明している」
「なら白よ。その時間は私と瑠奈は一緒にIMIの敷地内を回って歩いていたわ。野外の第二射撃場辺りにいた筈。係員にも聞いてみれば?」
「とっくに琴美が確認している。確かに瑠奈はララと一緒にIMIにいた。瑠奈、そうだな?」
「……えっと。はい。ララちゃんと一緒にいました~」
「そうか。充分だ、琴美。電気を点けてくれ」
映像を消した琴美は部屋の電気をつける。
「新一、瑠奈と席を変われ」
長谷川は椅子を智和達へと向きを直し、新一と瑠奈は入れ替わって座る。
背筋を伸ばして両手を膝元に置いている瑠奈に対し、相変わらず長谷川は背もたれに体を預けたままだ。
長谷川が口を開く。
「私は別にお前を疑っていない。ララの案内を任せたのは私であり、私は瑠奈を信頼している。こんな“馬鹿馬鹿しい”ことを草薙瑠奈という人間がする筈ない。
だがな、瑠奈。この映像を見る限りでは、どうしてもこの人物はお前なんだ」
「ちょっと! さっき確認したって」
「黙れララ。私はお前に話していない。瑠奈と話している」
抗議をあっさりはねのけた長谷川はララと目を合わせることはなく、ただじっと瑠奈を見ていた。
その態度に苛立ちを覚えたララだが、こうも相手にされないとなると何を言っても意味がないので、ただ黙って見守るしかできない。
だが瑠奈も言われたままではなかった。
「私じゃありませんよ~」
「ああ。しかし瑠奈、私の立場としてはあれがお前ではないという証拠がなければどうにもできないんだ。それは知っているだろう?」
「はい」
体を前に倒すようにした長谷川は小さく溜め息を漏らし、“命令”した。
「瑠奈。しばらくの間、個人任務及び部隊任務の活動を禁止する。IMIでの活動は制限しないがIMI敷地内からは出るな。良いな?」
「……はい」
――――――――――◇――――――――――
会議室に智和、長谷川、琴美の三人を残してあとのメンバーは解散した。
智和は長谷川から話があるとのことで残っている。
「それじゃ。瑠奈、あまり気落ちしないようにね」
「わかってるよ~。ありがとねメグちゃん~」
会議室を出てすぐに恵が離れていった。
「俺も戻る。後輩達の整備を見に行かなきゃならねぇ」
後に続いて強希も抜けた。
「薄情なものね」
「そんなものなンスよ。あの二人は」
ララの呟きに新一が答える。
「姉さんと強希さんは自分を優先する人ですから。まぁ他人は後回しというか、薄情というか……」
「自分勝手、みたいなことかしら? チビ」
「うっわー、きっつー……。そういうことで俺も退散ッス……」
ララの気質に対する発言を未だに根に持っているらしく、手厳しい一言に打ち負けてさっさと帰ることにした。
早くも瑠奈とララだけの二人になってしまった。
「仕方ないわね。瑠奈、この後はどうする? ……瑠奈?」
「え?」
物思いに耽ていた瑠奈はララの問いかけが聞こず、名前を呼ばれ少し慌てていた。
「瑠奈。そんな気にしなくて良いわ。貴方は私と一緒だったのだから」
「……う~ん」
ララの言うとおり、瑠奈は案内役としてIMI敷地内にいた。二人と話をした人物もおり、IMIから外への出入口には監視カメラもあるので確認は容易だ。
だが出入口以外から抜け出した可能性もあり、話をした人物達の証言はそれほどあてにならないかもしれない。
そして瑠奈は別のことで悩んでいた。
(……夢に出てた子と一緒だったな~)
後味の悪い夢。
刺すようなほどの豪雨の中、何か叫んでいた少女と同じ。
自分と同じ姿の少女と。
映像の中にいたあの少女と夢の中の少女。
とても悲しい目をしていた。
――――――――――◇――――――――――
会議室に残った三人。智和は椅子に座って長谷川と向き合っていた。
「で、何で俺は残されたんだ?」
「リーダーだからだ。それに少しばかり複雑な状況だ。琴美、次の映像を」
また電気を消し、パソコンを操作し始めた。
スクリーンに映し出されたのは先ほどの店内ではなく、どこかのロビーらしき部分を映し出していた。
「先々週辺りになるか。成田空港ロビーの監視カメラ映像だ」
長谷川の簡単な説明を聞きながら、人でごった返しているロビーに目を向け続ける。
「ここよ。出入口に向かう二人組」
映像を停止させて拡大する。ぼやけていた部分を処理して、誰が誰なのかと簡単に見分けがつく。
琴美が示した場所には瑠奈と類似している少女の姿。
そして少女の隣を歩く痩せ細っている男性。
スーツの上からでも痩せ細っているのがはっきりと見え、削げ落ちたような頬をして短い茶髪である。
死んだ魚のような目をしている男性は、ただ前を見据えていた。
「誰だ?」
智和の問いかけに応じるかのように琴美が茶封筒を差し出した。
少し厚く、受け取って開けてみるとクリップで束ねられた書類が入っていた。
「ロイ・シュタイナー。遺伝子医学専門の研究者だ」
「四十五歳……随分と若く見えるな」
「健康的とは言えないがな」
書類を確認する智和に長谷川が茶々を入れた。
「……二十代でアメリカでのiPS細胞研究チームの一員になっていたり、ノーベル賞候補だったりとかなりのエリートじゃないか」
「ノーベル賞候補者だったロイ・シュタイナーはその後、とある実験で医学界から追放された。資料に書いてある」
数々の栄光を示した資料の最後には、たった一度の実験によって栄光を剥奪された事柄が事細かに記載されていた。
「……人工授精における遺伝子操作。ならびに容姿・性格・能力への干渉実験」
なんとも想像しがたい実験内容に顔をしかめ、資料に目を通し続ける。
「ロバート・グラハムは知っているか?」
「ノーベル賞受賞者の精子バンクで天才を作ろうとした“石器時代主義者”ってだけだ」
「クロマニョン人時代主義者だ。詳しくはジーニアス・ファクトリーでも読め」
ロバート・グラハムはノーベル賞受賞者の遺伝子を使って人工授精させ、天才を作り出した。精子バンクで“作られた天才”が現実に存在する。
文明進化を人類の危険と感じ、純粋な合理的思考を持ち、猛反発を受けながら実行させ、中止された。
一応名前を知っていた智和だが興味は薄く、文明進化の危険を気にするほど感性豊かではない。
智和にとって関係ない。己は己でしかないと決めていたのだから。
「で、そんな変人を出してきたってことはロイ・シュタイナーも同じ変人ってことか」
「少し違うな。同じ研究はしていたがロバート・グラハムの思想とは違っている。ロイ・シュタイナーは純粋な研究者で、探求者だった。“故に追放された”」
長谷川は足を組み直して続ける。
「人工授精によって望んだ通りの容姿・性格・能力が作れるのか、という研究をしていた。もちろん世論からの反発が強く、非人道的とされ研究は凍結され、彼自身も姿を消した。二十七歳の時だ」
「それが十年以上経って今更姿を見せた。……瑠奈に似た人物を連れて」
嫌な考えが智和の頭に浮かぶ。
「瑠奈の出生はわかるな?」
「赤子で捨てられていたのをIMI所属の日本人が拾って本部で幼少を過ごした後、日本IMI中期生普通科に入学と聞いている」
瑠奈からは両親はいないと聞いていた。
海外でとある孤児院前に捨てられていたところを日本人が拾い、IMI本部で育った。その時に本部所属の日本人と共に生活した
“彼”の死後は彼が生まれた日本へと一人出向き、日本IMIへと入学した。
「ロイ・シュタイナーが姿を決して十八年……。瑠奈が今は十六歳。誕生日は瑠奈と後見人が出会った五月十二日。臍の緒がついていたから誕生日は間違いないだろう。たった二年か……。
智和、“最悪の可能性”があるぞ」
「……瑠奈が、作られた可能性……か」
瑠奈が作られた存在、という可能性に対して智和は表情を変えなかった。
変える筈がない。智和は瑠奈の本質を知っており、例え作られた存在だとしても受け止められる自信がある。
それに瑠奈は“瑠奈”だ。
草薙瑠奈が自分を草薙瑠奈と認識し続ければ、例え研究の一部だろうとしてもそれを凌駕して“人間”となる。自己を確立する。
だが智和がそう思っているだけで、瑠奈本人がどう思うかまではわからない。
瑠奈が過去を調べて作られた存在だと知ってしまった時、果たして彼女はどうなってしまうのだろうか。
長谷川が小さく溜め息を吐いて口を開く。
「……瑠奈が研究の一部かはまだわからない。そこはまず置いておこう。
問題はこの二人だ。そして特に問題視するのは……」
「ロイ・シュタイナーの隣を歩く瑠奈に似た少女、か」
「先ほどの中華料理店の襲撃犯はコイツで間違いないだろう。問題視する理由は雑魚共を簡単に殺し、店長を連れたまま行方が知れない。ロイ・シュタイナーが指示してるかはわからんが、こうも足跡を見せないとなれば話は別だ」
いくら弱小の香港系マフィアと言えど、裏世界を渡り歩く端くれ組織ならば荒事にも慣れているだろう。銃の密輸に関わっていたのなら尚更だ。
警察も出し抜いている。昨日の出来事ではあるが既に姿をくらましている辺り、おそらくはマフィア抗争の件として捜査されていく可能性が高い。
こうも容易くマフィアを壊滅させ、警察の目を欺いているのが一人の少女など冗談のような話だが、笑い話にできるほど穏やかな状況ではない。
「マフィアが関係していたホテルには死体があった。その少女がマフィアと関係を持ち、何らかの理由で関係が破綻して殺した場合……コイツは殺人過程を楽しむ鬼畜野郎という可能性もある」
「ということは連れ去れた店長がバラバラ死体になる可能性もあるのか」
「バラバラで済めばな」
「……うぇ」
意味あり気に口にした長谷川は琴美に目をやり、その本人は調査したデータを思い出すと苦い表情になった。
「……琴美さんでもキツいのか?」
「後で見ればいい」
いったいどれほど酷いものか少しだけ興味が出たが、生憎のところ智和は殺人過程に快楽を覚える人間ではない。
「で、俺に何をしろと?」
「まずは瑠奈とそいつを会わせるな。色々と面倒になる。まぁこれはIMI敷地内に縛り付けておけばいいだけだ。
やるべきことはコイツとロイ・シュタイナーの情報。そして……瑠奈の素性の情報が欲しい」
「諜報保安部に頼めよ」
「できるだけ広めたくない。それに諜報保安部は別件で忙しい」
「何でだ」
「エリク事件の黒幕探しととある不明集団の監視だそうだ」
「へぇ……」
まさか聞けばすんなり答えてくれるとは思っていなかった。
試しに少しだけ深く聞いてみる。
「エリク事件の黒幕について進展したか?」
「もしかすれば黒幕は“身内”の可能性がある」
「……IMIにか?」
「可能性としてある。どうも国が仕向けるにはリスクが大き過ぎるらしい。まぁそこは諜報保安部の仕事だ」
IMI――もしくは企業が絡んでいるのだとしたら他人事とはならなくなる。身内の潰し合いなど絶対にしたくない。
だが、何故IMIがエリク事件に関係しているのかが智和の頭の中で引っ掛かった。
IMIは《7.12事件》の為に創立されたようなものであり、いくら軍事企業の経営で成り立っているからと言っても根底はテロ対策の為の強化だ。
逆にエリクのような人物に協力するどころか、見逃すこともしないだろう。
《7.12事件》の首謀者すら掴めていないのだ。関係者ならばその存在だけで有益である。
戦場が仕事場である企業としては可能性はあるにはあるが、IMIに関しては協力するなどは到底考えられなかった。
「智和」
長谷川に話し掛けられて一旦考えることをやめた。
「瑠奈に注意しながら調べるんだ。時浦には私から話をつけておく。お前個人の任務だ」
「……仕方ないか。まぁやってはみるさ。期待はするな」
資料を茶封筒に片付け椅子から立ち上がる。
「間違ってもハッキングなんぞはするなよ。諜報保安部か生徒会かに追われるからな」
「しねぇよ。新一じゃあるまいし」
物騒な警告を受けた智和は会議室を出る。
「……本当に面倒なことだな。クソ」
茶化した表情は既に消え、吐き捨てるように廊下を歩きだす。
こうも気乗りしない任務は久々だった。
しかし任務となれば話は別だ。個人の理由でやらない訳にもいかないので素直に実行するだけである。
諜報科の施設使用の許可は時浦という男性教師から得なければならない。
諜報保安部の責任者でもある彼は多忙の為、余裕を持って使用許可を求めなければなかなか返事が来ない。だが長谷川が直々に使用許可を求めるならば時間は掛からないだろう。
「……ララに聞いてみるか」
長谷川の助力があっても施設を使用するのは明日になるだろうと考えた智和は、少しだけララに聞いてみることにした。
ララならばドイツIMIに所属していた時の調査データや情報を持っていると思い、そこからロイ・シュタイナーの情報を探り出そうと考えていた。
何十年も姿を消していた人物の情報など、簡単に見つかる訳がないと腹を括っての選択だ。
なるべく広めないようにと念を押されてはいたが、同じ場所で聞いていたララならば問題ない。それに瑠奈にも余計な口出しはしない筈だと信用している。
だとすれば早速聞いてみようと携帯電話を取り出した。
が、電話帳機能を使う前にあることに気付いて手を止める。
「……そういえば番号知らないな」
ララの連絡先がわからない。番号もアドレスも知らず連絡の仕様がなかった。
よくよく考えてみれば、ララが携帯電話を持っているかすら不安に思えてきた。エリク事件の際にララは携帯電話などを使った場面を、少なくとも智和は見たことがない。
「クソ。直接聞いてみるのが早いか……」
そんなことを呟くが、敷地の広いIMIで人を探すのは面倒。どこにいるのかという場所の予測さえ一苦労する。
「……というか、ララは瑠奈といるだろうな」
瑠奈の連絡先は当然に登録してある。瑠奈に連絡してララと代わってもらうのが手っ取り早く、一番確実な方法だろうが、それでは瑠奈に気付かれてしまう恐れがあるので却下。
結局、自分で探すしかない。
「……はぁ。授業欠席の書類、書いとくか」
溜め息混じりに携帯電話をズボンのポケットに片付け、ララ探しは後にしてまずはクラス担任の平岡に提出する書類作成の為、自室へと戻ることにした。
――――――――――◇――――――――――
地図を頼りにセナはとある倉庫にやって来た。
住宅街や繁華街など密集した地域の外れに位置するこの倉庫は、潰した香港系マフィアの情報通りならば別のマフィアの拠点らしい。
「……ふふんっ」
倉庫を見上げながら鼻を鳴らし、肩から下げていた大きなバッグを地面に置く。
チャックを開ければ銃や装備がぎっしり入れられていた。
グロック拳銃が入れられている二つのホルスターを両太股に着け、ロングマガジンが三本入れられた特注マガジンベルトを、ホルスターの下に着ける。
次に取り出したのはスリングを着けたMP5短機関銃。ポーチはまたも特注品のベルトポーチで、マガジンが十本も装備できるようにされている。
最後に取り出すのはソードオフされたM500ショットガン。
ベルトを腰に巻き、スリングを掛けた短機関銃を右手に、ショッドガンを左手に持ち、バッグは入口の隅に置いておいた。どうせマフィア系の建物になど誰も来ない。
「フフッ……!」
今から始まる“楽しい出来事”に興奮しっ放しのセナは笑みがこぼれ、硬いブーツの靴底で安っぽい作りの扉を蹴り破った。
留め金が脆くなっていたのか、薄いアルミ製の扉は簡単に吹っ飛んだ。
「いたぁっ!?」
蹴られてへこんだ扉は近くにいた――もしくは出ようとしていた――男の鼻に直撃し、中にいた男達の度肝を抜かせた。
全員、日本人だ。マフィアというよりヤクザ集団だ。
「いきなり何してッ――」
言葉を遮った銃声と同時に、男の顔と鼻を押さえていた右手が“消し飛んだ”。
セナが持つショットガンがほぼ零距離で発射され、ショットシェル弾の鉛玉全てが撃ち込まれたのだ。
「がああっ!?」
更に貫通した鉛玉は後ろにいた男達数名に当たっていた。
頭と右手をなくした体――もとい死体はすぐに倒れることはなく、一瞬だけ噴水のように血を撒き散らして、数歩よろよろと下がってから膝をついて倒れた。
「フフ、フフハッ、アハハハハハハッ!」
セナは笑う。
歌うように人を殺す。
――――――――――◇――――――――――
部屋に戻っていた智和は野球でかいた汗をシャワーで流し、制服から部屋着へと着替えていた。
授業以外は基本的に私服で行動してもかまわない規則であり、また任務においても私服での行動を許可している。
ジーンズにTシャツ。濡れた髪を乾かしてからパーカーを着てリビングへと出た。
智和の住む一人部屋は専用部屋とされている。部隊リーダーやIMIで重要な存在、また膨大な情報管理などを任されている生徒が住むこととなっている。
中期生から特殊作戦部隊に所属し、数多くの任務を遂行して膨大な情報を得た智和ならば当然と言える。
1LDKの部屋は多人数用の部屋に比べて少しばかり狭い。それでも一人が住むには充分な広さである。
冷蔵庫からコーラの缶を取り出し、蓋を開けて一口だけ口にした。
シャワーで火照た体内を冷たいコーラを流し込むとまさに爽快だった。炭酸が刺激し、甘さも加わって智和の体を満たしていく。
リビングで寛ぐことはせず、コーラを飲みながら隣の部屋へと向かう。
リビングほどの広さの部屋は寝室と作業室を兼ね合わせている。隅にベッドを置き、壁と向き合うよう置かれた机が二つ。すぐ隣には愛用しているM4のカスタム銃がガンラックに立てられている。
一つの机にはデスクトップパソコンを置いてもまだ余裕があり、智和はその席に座った。隣の机は銃の整備・分解用のスペースだ。
一番上の引き出しから授業欠席許可の申請書を取り出す。
コーラを口にした時、充電していた携帯電話に着信が入った。
相手は長谷川だ。
「もしもし」
『時浦に言っておいたぞ。諜報科の施設ならびに設備は自由に使ってかまわない。カードキーを渡す。いつ来れる?』
「今からでもいいが制服に着替え直すのが面倒だ。明日、職員室に取りに行く」
『寮か。別に私服でもかまわないさ。既に私も帰っている』
「あ? まだ夕方だぞ?」
『明日は少しばかり早めに出る予定なんだ。中期生の課外授業、といったところか』
「だから早めに上がって自分の準備って訳か」
『そうだ』
(サボりって言わなくて良かった)
どうやら仕事怠慢ではなかったらしい。口にすれば嫌味を吐かれるところだった。
「話はわかった。今からそっちの寮に出向く」
『済まないな。今は銃の整備中で手が離せない』
「……じゃあどうやって電話してるんだよ?」
『肩と頬でケータイを挟みながら作業している』
「スゲェ器用だなおい」
銃を分解して整備をしながら電話するとなると、とてもじゃないが集中できない為に智和はしない。
長谷川が気にもしていない様子を考えれば、長年そうやってきたのだとわかる。
「……で、何で課外授業するんだ?」
智和が把握している中では、明日に中期生の課外授業をするという情報はなかった。
教師や係員と頻繁に接しても課外授業を耳にしなかったということは、先ほど決まったのかもしれない。
『失踪事件は知っているだろう?』
「ああ。そろそろ二十人に達するって噂されてるぞ」
ニュースでも放送されている失踪事件は都内に大きな不安を抱えさせていた。二週間で十人以上の人間が謎の失踪を遂げている。
『そろそろじゃない。二十人に達した。今し方ニュースでも放送しているし、諜報保安部も確認している』
「相変わらず諜報保安部は余計な事件には手を出さないな」
『合理的且つ理論的な連中だ。それ故に手出しはしない。警察に任せられることは任せる』
「その警察がお手上げだから、中期生の課外授業で調査するって訳か」
『ああ。お前も来るか?』
「阿呆が。仕事を任せたのはお前だろうに。それにガキのお守りは面倒だ」
『中期生と比べればそうなるだろうが、まぁ私からすればお前もまだ充分にガキだよ』
「担当は厳しいな相変わらず」
『それが仕事だ。お前もさっさと取りに来い』
「ああ。そうする」
電話を切り、コーラを置いたまま椅子を離れ、携帯電話と部屋の鍵だけを持って出た。
――――――――――◇――――――――――
ほぼ同時刻。ララは寮の浴室で風呂に浸かっていた。
絹のようなきめ細かで長い栗色の髪は纏めることはなく、湯船の中で自由に漂っている。
「……湯船なんて久々ね」
ララはいつもシャワーで済ませていた。お湯を溜めることなどせず手短に済ませていた。
実家に帰った時は湯船に浸かっているが、そう何度も帰っている訳ではない。
昨日もシャワーで済ませたが、時差ぼけで朝にもう一度シャワーを浴びていた。
「なんだかゆっくりしてるわね……私」
ドイツIMIでは寮にいても少なからず緊張感があった。物置として使っていた部屋では仕方ないかもしれないが、充分に休息をとることはおろか寛ぐことさえなかった。
それでも常に緊張感を持っていたので、ドイツIMIではいつも感覚が研ぎ澄まされていた。
それが日本IMIに所属したことにより、研ぎ澄まされた感覚が鈍っているような不安を抱いている。
「……はぁ」
このままでいいのかと考えてしまう。膝を曲げて抱え込んで思い耽る。
「ララちゃ~ん」
脱衣室で瑠奈が扉越しに呼ぶ。
「湯加減は大丈夫~?」
「ええ。ちょうどいいわ」
「そっか~。じゃあ私も入るね~」
「は?」
ララが顔を向けたとほぼ同時に扉が開き、特に隠しもせず瑠奈がタオル一枚を持って風呂場に入ってきた。
ツインテールの黒髪は下ろされ、引き締まっている体や、制服の上からでもわかる胸が露わになって更に印象を強くさせた。
「…………チッ」
数回、瑠奈と自分の胸を見比べたララは聞こえないように舌打ちした。
椅子に座ってシャワーで体と髪を濡らし、最初に髪を丁寧に洗い始めた。
「……チッ」
その間にララは何度か瑠奈の体に目をやり、その度に自分の体と見比べては聞こえないように舌打ちしていた。
――――――――――◇――――――――――
薄暗い研究部屋で、ロイ・シュタイナーは静かに受話器を置いた。
セナが待機している筈の拠点に用意した電話が繋がらない。呼び出しているので回線トラブルが生じたという訳ではなく、ただ単純にその部屋にはいないということだ。
「……早いな。もう少し制御できると思ってはいたのだが」
天才ロイ・シュタイナーもセナの行動は些か予想外だったらしいが、その声に焦りや不安はなかった。淡々と吐き捨てるように呟く。
「思考が本能に劣ってきているのか? しかし身を隠しているということはまだそれはない。思考と本能はまだ互いに共存している。維持している。だが壊れかけている。
“素晴らしい。素晴らしい”」
平淡な言葉を終えた時、ロイの右手が不気味に大きく震え始めた。
「早い。早過ぎる。予想外に早過ぎる。いけない。いけない。いけない。早くしなければ。早くしなければ……。
だがまだ捨てられない。ここはまだ捨てられない。捨てるには惜しい。捨てるには惜し過ぎる」
大きい震えが止まるまでずっと眺め、いつもと変わらぬ様子で椅子から立ち上がって部屋を見回した。
「飛躍しなければ。飛躍しなければ」
壁一面にメモ用紙や書類が重なり合いながら貼られている部屋。作業用テーブルに広げられている研究器具の数々。セナに採取させた“サンプル”を保管しているボックスが無造作に置かれている。
床に散らばっている書類や捨てられた“サンプル”の残骸を気にすることなく踏み付け、テーブルに手をついて研究途中の有様を見つめる。
「程遠い」
感情のない声で呟く。
「飛躍には程遠い。飛躍には尚遠い」
成果は目に見えていた。セナという固体を作り出し、数々の成果を存分に出してきた。
それなのにまだ達成できないこのもどかしさとこの苦悩とこの劣等感。
まだ遠い。己が目指すものはまだ遠い。
果てしなく望み、彼は挑む。
「全ては人の飛躍の為に。全ては可能性の飛躍の為に。全ては飛躍の為に」
――――――――――◇――――――――――
太陽が顔を出したばかりの時間帯で、第一車庫に生徒達が集まっていた。
制服の上からサポーターにヘルメットを着けている生徒達は、任務経験の浅い中期生で編成されている。運転を任されている輜重科の生徒も経験はそれほどない。
だが、これから出向くのは準進行不可区域だ。もしもの為と理由付けの為に、中には数十回の任務経験を行っている生徒もいた。
スーツ姿の長谷川や気怠そうにしている強希や、一つの乱れもない琴美がサポート役でいた。かといって完全武装している訳ではない。あくまでも課外授業で、中期生達のサポートだ。
「ふぁあぁあぁ……」
故に強希はつまらなそうに大きな欠伸をし、首を鳴らしながら中期生達を眺めていた。
見兼ねて長谷川が尋ねる。
「面倒臭いか?」
「面倒臭ぇ。眠ぃ」
教師に対しても強希は遠慮なく吐き捨てた。
制服は着ているもののワイシャツはズボンに入れずネクタイは緩いまま。ワックスをつけていないので、髪がだらしなく下がっている。
「ふぁあぁ……!」
もう一度、大きな欠伸をする。
「まぁ後輩がサポートしてくれって直々に頼みに来たンだ。断る理由もねぇよ」
「後輩思いで泣けてくるな」
「おはよう強希君。コーヒーでも」
そこに琴美が加わり、右手に持っていたコーヒー入りの紙コップを差し出した。
「どうも」
無愛想に礼を言って紙コップを受け取って口にする。
「先生もどうぞ」
「すまないな」
琴美の左手に持つ紙コップを受け取る。
「……でよ。結局あンな場所に行ってどうすンだよ?」
「証拠を探すのさ。下手したらバラバラの証拠をな」
素朴な疑問に長谷川は簡潔に答えてからコーヒーを口にした。
が、強希は素直に納得できず難しい顔のままだ。
「今のタイミングで瓦礫置場に行かなくてもいいと思うンだがな」
「ほう?」
「ただでさえ入るなっつってる場所に完全武装で入るンだぞ? エリク事件じゃドンパチやらかしたしな。後で揉めても知らねぇぞ」
「国が放置してただ注意しているだけだ。私達は“注意しながら入る”」
「解決してねぇぞ、それ」
強引な辻褄合わせに呆れ、口直しにコーヒーを流し込む。
「別にいいさ。どうせ面倒事は智和が持ってくるから慣れてる。さっさと出ようぜ」
「そうだな。早く出ないと目立ちすぎる。全員集合!」
長谷川の掛け声で散らばっていた中期生達は駆け寄り、三人を囲むように整列する。
「昨日話したように準進行不可区域へ課外授業と称して探索に出る。昼には戻る予定だが、予定は予定だ。それと打ち合わせ通りにすれば問題ない。
全員乗れ。朝食を食べていない馬鹿は移動中に食え」
中期生達は用意していた人員運搬用トラックの荷台に乗車し、三人もそれぞれの車へと足を運んだ。
強希はトラックには乗らなかった。トラックの運転席と助手席には既に生徒が乗っており、その前に停められているハンヴィーの助手席に乗った。
ハンヴィーは何も改造が施されておらず、市民に威圧感を与えないようにと準進行不可区域に到着するまで機銃も外されている。
そのハンヴィーの後部座席には完全武装した輜重科の中期生三人が座っており、運転席に座るのは同じように完全武装している中期生だが茶髪の女子生徒だ。
「準備いいか加藤?」
「はい。大丈夫です」
加藤と呼ばれた女子生徒はもちろん輜重科の生徒だ。女子率が圧倒的に少ない中で貴重な存在である。
輜重科は運転技術も然る事ながら整備も主な役割として担っている。
汗まみれになり、オイルの臭いが体につき、爪の中や手の皺にまで染み込むほどの重労働を毛嫌いしてしまう。余程の車好きなどでなければやらない。
その点から言って強希にしてみれば、加藤は余程の車好き――と言うよりは乗り物好きだと思えた。
見た目は強希のように少し派手ではあるが授業にも真面目に取り組み、整備の時も顔にオイルがついてもなんとも思わず、男子に混じって重い荷物を運んでいる。
わざわざ強希が早起きしたのも、前から色々と手伝っていた加藤にサポートしてくれと頼まれたからだった。
「先頭のハンヴィーからトラックと長谷川へ。準備できた。いつでも行ける」
『トラックよりハンヴィーへ。全員乗り込んだ。こちらも行ける』
『長谷川よりハンヴィーへ。ルート通りに準進行不可区域へと進行しろ。しっかりサポートしろよ、先輩』
「了解。あと長谷川ウゼェ」
無線機を置き、琴美から貰ったコーヒーを飲みきる。
「よし行け加藤。ゆっくりでいい」
「はい」
授業で習っているとはいえ市街地を走るのは初めてであり、緊張した面持ちでハンヴィーを発進させる。
続いて中期生を乗せたトラック。琴美を乗せ、長谷川が運転するランサーエボリューションが街へと出ていった。
――――――――――◇――――――――――
「大丈夫でしょうか?」
ランサーエボリューションの改造されて身動きが取れない助手席で、シートを目一杯下げて座っていた琴美がふと口を開いた。
「何が心配だ?」
「瑠奈ちゃんのことです。本人は昨日の映像を見て少なからずショックを受けていると思います」
「心配は要らんさ。智和達がいるし、同居人はララだ」
「それでも彼女は優秀です。自力で監視カメラの少女に辿り着いてしまうかもしれません。もしそうなれば、いったい何が起こるのか……」
瑠奈が出生に疑問を持って調査して、もしロイ・シュタイナーに作られた存在だとしたのなら、彼女はいったい何を思うのだろうか。
絶望するのか、悲哀を抱くのか、はたまた憎悪が渦巻くのか誰にもわからない。瑠奈本人にしかわからず、その時にならなければわからない。
「……ふん」
だが長谷川は琴美の心配を余所に笑う。
「“瑠奈は瑠奈”だ。智和の言う通り草薙瑠奈はただ一人だけだ。瑠奈がそう思い続ける限りな」
「…………そう、ですね。そうですよね。失礼しました」
「気にするな」
――――――――――◇――――――――――
七時半を過ぎた頃。制服に着替えていた智和は早めに職員室へと出向いた。
クラス担任の平岡に授業欠席の申請書を提出する為だ。
職員室は相変わらず教師達が忙しそうに歩き回っており、ぶつからないように平岡の席へと歩いていく。
「おはようございます平岡先生」
「あら神原君。おはようございます」
作業していた手を止めて智和に体を向ける。
「早い時間ですけど、どうかしましたか?」
「欠席の申請書を提出に来ました」
珍しく敬語で話しながら申請書を差し出し、平岡は両手で受け取る。
不備がないか内容に目を通し、智和と長谷川のサインが記入されていることを確認すると微笑みながら顔を上げた。
「長谷川先生から聞いています。期間は二日と聞いてますか?」
「ええ、そう聞いてます」
「わかりました。頑張ってくださいね」
「失礼します」
会釈して職員室を出ていく智和を見送った平岡は、少しの間を開けて肩を落とした。
「長谷川先生には普通に話すのに私には敬語……? やっぱり私って越えられない壁があるの……!?」
「平岡先生。そろそろ立ち直りましょうよ……」
向かい側に座る男性教師の言葉は平岡の耳には入らず、昨日のようにしくしくと泣いていた。
――――――――――◇――――――――――
申請書を提出した智和は調査にとりかかるべく諜報科の校舎へと足を向けた。
「あら、智和じゃない」
外に出ると偶然にもララと遭遇した。
ララは右手に中型サイズのガンケースを持っている。
「保管所から何か持ってきたのか?」
「貰っていなかった個人装備を受け取りに行って、今は寮の部屋に置いて来る最中よ」
「銃だけか?」
「中身はそれだけ。弾薬や注文した装備は一人で運ぶには重過ぎるから、届いたら寮の受付に運ぶよう頼んだ」
「部屋を物置小屋にするなよ」
「大きなお世話ね。で、智和はこんな時間に何をしてるの? ホームルームには早いわよ」
話が変わり、智和は少し周囲を気にする素振りを見せた。
「瑠奈は?」
「部屋にいる。どうして?」
「昨日の件について少し話す。時間いいか?」
その言葉にララは険しい表情をする。
「……ええ。いいわ」
「こっちだ」
素直に了承したララを人目のない場所へと案内する。
普通科校舎から歩いてすぐの場所には、規則正しく並べられたベンチが設置されている。このような場所が他の建物の近くにも幾つか設置され、屋根がついた休憩所のようなものまである。
二人はベンチに座ることはなく、ベンチに日陰を作っている木に寄りかかった。
「で、どんな話?」
着くや否や、険しい表情を変えず智和に問う。
「お前達が出た後に別の映像を見た。それには瑠奈と同じ風貌の人間と、ロイ・シュタイナーって言う科学者が映っていた」
「ロイ・シュタイナー?」
「遺伝子医学の専門家。人工受精や遺伝子操作の研究していたらしい」
それを聞いたララは小さく溜め息を漏らし、腕組みして頭を木に傾けた。
「それを私に言ってどうしたいのかしら?」
どうやら期待外れの話題だったらしく、険しい表情も緩んで少し呆れていた。
「言ってみただけだ」
「……あのね智和。別に私はなんでも知ってる訳じゃないわよ? 科学者なんて専門外」
「俺と同じこと言ってるな。別にお前本人じゃなくてもいい。何か資料や情報でも持っていれば、と話しただけだ」
「どういう意味?」
「ドイツIMIでの捜査資料や集めた情報はないか? もしかしたら何かあるかもしれない」
「ふぅん」と頷くララは智和から一度目線を外して数秒黙考し、再び智和と目を合わせて口を開く。
「捜査資料や情報はドイツIMIに渡したけど、データを残してる。でも、それがどうしてロイ・シュタイナーの手掛かりになるかもしれないって思ったの?」
「十年余りの月日に目撃情報がない。どこかに閉じこもっていた可能性があるし、各地を転々としていた可能性も僅かだが考えられる。もしかしたら触れてると思って声を掛けただけだ」
「そういうこと」
ようやく智和の意志を理解できたララは仄かな笑みを見せた。
「ごめんなさい智和。いくら貴方の頼みでも情報は渡せない」
優しい口調で智和の頼みを断った。
智和は返答に表情を変えることはなく、ララは口調を変えずに続ける。
「データには三年掛けて収集した情報が詰め込まれてる。ドイツ以外の国まで手を伸ばしていたから、もしかしたらロイ・シュタイナーに関する情報もあるかもしれない。
言ってしまえば情報が“有り過ぎる”。知ってしまえば危険な犯罪データもあるし、マフィアや一部の政治家に関する情報も入ってしまっている。事実、私はそういった連中に目をつけられていたし、マフィアからは何度か殺されそうにもなっていたわ。まぁドイツIMIがことごとく潰したから、マフィア関連は片付いてるわね」
知識を得ることに問題はないが、ララは知る必要のないことまでに首どころか全身を突っ込んでいた。
命を狙われたことも当然あった。家族に対しての脅迫もあった。
そういったことにもララは暴力で対抗していった。容赦せず、徹底的に。
――しかし、これにはちょっとした裏話がある。
本人は知らないが、家族への危険を脅かす存在を、諜報員であった兄のレオンハルトが悟られぬよう排除していたり、ララへ違和感を感じさせぬよう情報を流していたのだ。
掌で遊ばれていたララは言う。
「情報を簡単に渡すことはできるわ。でも私の情報には代わりない。私の情報で智和を危険に曝したくないし、私の情報は私だけのものだから。智和でもこの頼みは無理なのよ。ごめんなさい」
ララが持っている情報はララだけのものだ。誰の為でもなく、自分の為だけに危険を冒して手に入れた傑作品でもある。
加えて、とても危険な傑作品を簡単に手渡すことはできないのだ。
「……ふふっ」
ララの言葉を聞いた智和は微笑し、腕組みして笑みを見せた。
「謝ることはないさ。ララの言い分は正しい。三年掛けたお前だけのモノを簡単に明け渡すことなんて絶対にしない。お前はやはり優秀だよララ。俺と長谷川が見込んだ通りだ」
呆気にとられて目を丸くしたララだが、安堵したように優しく微笑む。
「……ありがとう。そこまで言ってもらえると嬉しいわ」
「そろそろ行ったほうがいい。授業に間に合わなくなる」
「そうね。それじゃまた後に」
「ああ、そうだ」
「ん?」
背中を向けたが振り返って踏み出した足を止めた。
「携帯電話はあるか?」
「携帯電話……」
少し考えて「ああ」と声を出した。
「あっちを出る時に処分したわ。連絡用やダミー用に妨害電波を遮断する携帯電話など……ええと、計八台を処分した」
「通信科生徒並の台数だなおい」
一人で活動するには仕方ない台数かもしれないが、それにしては通信科か諜報科の生徒並に所持している台数に、半ば呆れ果てていた。
「今はないわ」
「そうか」
智和はズボンのベルトにつけていた小さな黒いポーチに手を伸ばす。
このポーチは智和が少し手を加えた特別だ。携帯電話がすっぽり入る小さなサイズだが、その両サイドにはペンホルダーが装備されて赤と黒のボールペンが入れられていた。
携帯電話が入れられているスペースから折り畳まれたメモ用紙とボールペンを取り出し、掌を下敷き代わりにして何か書き始めた。
こういった小物は様々な場面で意外と役立つ。部隊リーダーなどといった智和の立場では、教師や生徒への連絡などでとても重宝される一品である。
「ほら」
差し出されたメモ帳には番号が書かれていた。
「俺のケータイの番号。何かあったら連絡しろ」
「ありがとう。受け取っておくわ」
受け取ったメモ帳を胸ポケットに片付け、部屋に戻る為に「それじゃあ」と智和に背中を向けて歩きだす。
ララを見送り、智和も諜報科校舎へと向かっていった。
時計は七時四十八分を示していた。
――――――――――◇――――――――――
同時刻。コンテナ倉庫にて慌ただしい動きがあった。
否。あったではなく、今も現在進行形で『行われていた』という表現が正しい。
いくつかのコンテナ倉庫は主に大麻などの密輸、時には中国製のトカレフ拳銃を保管するヤクザの所有地だ。
取引以外に人は来ない。本日は中華系マフィアとの取引が早朝から予定されており、物々しい雰囲気を周囲にまで漂わせていた。
――“その筈だった”。
「チクショウ! 撃ち返せ!」
「車は!? 車の準備はどうした!?」
「クソ! 何なんだ!? 何なんだあの“小娘”はッ!?」
「あはははっ、きゃははははははははぁっ!」
コンテナ倉庫内は怒号と悲鳴と銃声が飛び交い、それらに負けず劣らず響くは少女――セナの高笑い。
短機関銃を右手に、左手にショッドガンを持って優雅に踊るよう殺戮を披露していた。
「どうなってやがる!?」
ヤクザとマフィアにとって予想していない状況だ。武器を携えた少女など頭にすら入れていない。
第三者による横槍の目的は最初、取引される商品の横取りかと考えた。しかし相手はたった一人。更には商品にかまうことなく銃弾をばら撒き、手榴弾でぶち壊しているあたりを見ると商品が目当てでないことは明白。
残された可能性はただ一つ。
潰しに来た。ただそれだけだ。
「おい! 外の連中は何をしてる!? さっさと応援に来させろ!」
ヤクザのリーダー格らしき男が身を隠しながら叫ぶ。右手に持つ商品の一つであるトカレフ拳銃でマガジン二つ分を浪費したが、セナにはまったく当たることはなかった。
「クソ!」
銃弾が当たらない苛立ちと初めて明確に味わう死の恐怖で動揺しているのか、装填しようとしたマガジンを落としてしまう。
他の組員も同じだった。いくら裏稼業に精通する彼らとて、これほどまでの銃撃戦は初体験だ。それに相手はたった一人、しかも少女。半ばパニック状態に陥ってしまっている者もいる。
「小林ぃ! 連絡ついたかぁ!?」
「ひぃっ!」
怒鳴りつけられた小林という若者は連絡係を任された一人で、外で待機している組員達との通信用にトランシーバーを持っている。
「そ、それが……繋がりません」
「ああっ!?」
「誰も出ないんですよ! 外にいる連絡係の全員、誰も出ません! ぜ……全員っ、皆あの女に殺されたんですよぉ!」
頭が真っ白になった。
何故こうなった?
いつものように細心の注意を払って見張りをつけ、得意先の中華系マフィアに下手で対応すれば絶対に上手くいく筈だったのに!
どうしてこうなってしまった!?
「……クソッ」
既に組員は殆ど死んでいる。中華系マフィアの組員五名もショットシェル弾で全身が穴だらけになっていた。
長年掛けて生きてきた組は終わりを告げようとしている。
盃を交わした兄弟も部下も死んでいた。
「クソがぁぁぁぁっ!」
障害物から身を乗り出してやけくそに引き金を引くが、セナは鉄柱を盾として易々と銃撃を躱す。
「もうマガジンもショットシェルもなくなっちゃったなぁ」
惜しむ言葉を呟くと、未練もなく弾切れの短機関銃とショッドガンを投げ捨てた。
だが彼女にはまだ武装がある。両太股に備え付けた二挺のグロック拳銃がまだ火を噴いていない。
「愉しいよぉ……愉し過ぎるよぉ!」
銃撃が飛び交う嵐。立ち込める硝煙。周囲に散らばる血と死体。
セナの表情は、初めて快楽の味を知った処女の表情だった。
妖艶とは程遠い表情だが、頬を赤く染め、何度も絶頂し、果てているほどの快楽を感じていた。
“これだ。これこそ求めていたものである”。
人間を人間とも思わぬ冷酷になるだけの行為。ただ照準を合わせて引き金を引くだけの行為。刃物を突き立てるだけの行為。鈍器で殴るだけの行為。首を絞めるだけの行為。
殺人行為。戦闘行為。
殺人過程行為。
繰り返すその行為にセナは絶頂しては果て、絶頂しては果て、絶頂しては果て――快楽を貪り尽くしていた。
「あぁっ……ふぁあぁ……!」
撃たれているというのに手はショーツの中を弄び、指に絡み付いた愛液を舌で存分に舐めて堪能していた。
セナは感じる。自分の存在が確立されていることに。
“セナはここにいる。ここに立っている。ここに存在している”。
銃撃が止んだ。
レッグホルスターからグロックを抜き、壁から出て振り向き様に銃口を向け――。
「ああああああ!」
乱射していたリーダー格の男がセナに飛び掛かっていた。
手にしているのはトカレフではない。ナイフだ。
「ぷふっ……!」
玉砕覚悟で突っ込んできた男に思わず笑いをこぼしてしまったセナは、完全に銃口を向けていないグロックを咄嗟に手放した。
近距離では銃よりも刃物など近接武器が有利だ。セナは、引き金を引く前にナイフが自分に突き刺さると判断した。
左手が腰に装備していたナックルナイフ――メリケンサックとナイフが一体化した物――へと伸びる。
二挺のグロックが地面に落ちたのとほぼ同じ。
突き出されたナイフを、片足を引いてその場で回転するように躱したセナは、右手で男の肘を掴む。
「“もーらいっとぉ”」
左手に持つ刃渡り二十センチほどのナックルナイフは、振り抜き様に男の右手首を見事に一刀両断。
宙を舞う右手とナイフ。傷口から咲き乱れるように溢れたソレに、男は目を疑った。まるで人形の手が飛んでいると、簡単に飲み込むことはできなかった。
振り抜いたナックルナイフの勢いは衰えることはなく、悲鳴を上げる男の喉元に最後の一突き。
深く突き刺したナイフをゆっくりと引き抜けば赤黒い血を噴き出し、男は力なく膝から崩れ落ちた。
「……ふふんっ」
ナイフを回して手元で少し遊ばせた後は腰にある鞘へと戻し、落とした二挺のグロックを拾うと片方は右手に持ち、左手に持ったグロックはホルスターに入れた。
「ふふっ。うふふふふっ。あはは」
漏れる声。手元でグロック拳銃を遊ばせながら入口へと歩いていく。
右手がグリップを握ると、引き金に指を掛け、絞る。
逃げようとしていた連絡係の左膝を撃ち抜いた。這ってでも逃げようとしていたので、右膝を狙ってまた撃った。
「ねぇ。セナの“オモチャ”になってよ」
化け物を見るかのように恐怖し、戦慄する男に微笑を投げ、告げる。
「セナに遊ばれてよ」
午前七時五十五分の出来事であった。
――――――――――◇――――――――――
そろそろ朝のホームルームが始まる時間に迫ってきた頃。智和は諜報科の校舎に足を踏み入れていた。
普通科と比べて所属生徒人数は少ないが、情報収集や諜報活動の拠点として機能している諜報科校舎は設備が充実している。通信科とも共同で使用されることがある校舎だ。
三階建ての校舎が六つ建てられ、その間を二つずつの中廊下が間に設けられていて、各棟を行き来できるようになっている。
何故六つも棟がある理由については、先程も述べたように器材や設備が充実している為だ。諜報科の中・高期の教室があるのは二つの棟だけであり、残り四つは特別棟として使用している。
かなりの金額を注ぎ込んでいるのは目に見えており、智和は特別棟の近くを通り過ぎる度に眺めながら予算について愚痴をこぼしていた。
「相変わらず金掛かってんなオイ」
恒例の愚痴を呟いたところで校舎へと入る。
「あれって普通科の生徒?」
「ねぇ。あの人ってアレじゃない? 特殊作戦部隊の……」
「黒のネクタイピンしてるし。……というかさ、“あの”神原先輩じゃね?」
(もう少し時間ズラせば良かったな……)
まだホームルーム前の時間帯ということと、生徒用出入口が教室棟にあるということもあり、廊下にはチラホラと諜報科の生徒達の姿がある。
エリク事件での活躍により、ララと共に智和の知名度も飛躍的に日本IMIに知れ渡った。ゲシュタポと称した破天荒娘と行動していれば知名度が上がるということは、自然であったということも考えられる。
おかげで智和は良い意味でも悪い意味でも知られてしまった。
それでもヒソヒソと小声で話していることなど眼中になかった。
一年も在席すれば他の科が訪れることに慣れており、気にする素振りすらしないのだ。気にするのは入学仕立ての学生だけである。
そんな新人諸君に目を向けることなく、智和は特別棟へと歩を進めていく。
特別棟は窓が少ない。
部屋に取り付けられている窓にせよ、扉に取り付けられている窓にせよ、窓の数は極端に少ない。
これは外部からの監視や盗撮などといったことを防ぐ為であり、教室の中を覗くこともできない。
かつてララが取り調べした撮影可能な防音尋問室など特殊な部屋が数多く存在し、情報を扱う諜報科故の方法なのだろう。その証拠が設備の充実さや金に糸目をつけていないことである。
施設の使用については長谷川が管理し担当している時浦から直々に許可を得ている為、智和が諜報科職員室に出向く必要はなかった。昨日のうちに長谷川の寮部屋へと出向いてカードキーを受け取っている。
(にしても……玄関出る時ぐらい何か着るだろ。普通……)
溜め息を漏らす理由は長谷川の服装だった。
いや、服装などと言えない。智和が訪れた時、あろうことか下着姿のまま出てきたのだ。
声を上げそうになった智和だが、ここで声を上げてしまえば色々と語弊と面倒が生まれてしまうのは目に見えており、なんとか飲み込んで黙り込んだ。
それでも、瑠奈より豊満な胸や引き締まった腰などを見てしまえば、どう足掻いても男子の目線は釘付けにされてしまうのは当然だった。
最終的に酒盛りしようなどと誘われたが丁重に断り、カードキーを貰ってさっさと寮に退散した。
特別棟のB棟の三階。教室棟とは掛け離れた静寂が廊下を包んでいたが、智和の足音によって消されていた。
智和は『第二情報管理室』と掲げられた教室の扉の前で立ち止まり、上着の内ポケットから学生証を取り出すと、扉に設けられているカードキーロックの隙間をスライドさせてロックを解除する。
特別棟の施設に限らず、IMIにある施設使用に対して学生証は必須だ。これがなければ射撃場の使用はおろか、任務を受けることさえできない。肌身離さず持つようにと強く言われる理由の一つでもある。
それでもロック機能があるのは諜報科の施設ぐらいだ。情報を扱うということを考えれば当然の設計と言えるだろう。
足を踏み入れた第二情報管理室はネットカフェのように仕切りがあり、個人の使用を考慮した設計となっている。基本的に飲食は許可されているが、いちいちロックを解除する手間は些か面倒なものだ。
席は特に指定されていない。智和は部屋の奥、更に隅の席に座る。ここは入口からは死角となるが、この席から少し頭を出せば周囲を見渡せることができる。
パソコンを起動させ、ここで長谷川から受け取ったカードキーを使う。
備え付けのカードリーダーをUSBコードで繋げてカードキーを差し込む。
このカードキーは認証承認の過程を省く為や、ある程度のIMIデータベースに眠る秘匿情報を探ることが可能となる重要な物だ。
秘匿情報はレベルⅠからレベルⅤと分別され、数字が上がると秘匿レベルが上昇する。カードキーは白、緑、黄、赤、黒の五色でレベルを示し、白がレベルⅠ、黒がレベルⅤである。
智和が手渡されたカードキーは黄色。つまりレベルⅢまでのIMIデータベースで眠っている秘匿情報にアクセス可能だ。
勿論、アクセスした証拠は管理者には筒抜けであり、ロック解除の際に学生証を使用するのは誰が使用したのは明確にする為である。
「さてと、ロイ・シュタイナーともう一人の瑠奈について始めるか」
カードキーを差し込み、早速IMIデータベースへとアクセスして調査を開始した。
――――――――――◇――――――――――
完全武装した中期生十八名に加え、少し遅れてやってきた中期生と高期生の十四名。運転を努める輜重科の生徒六名。強希、琴美と指揮官の長谷川を合わせ、計四十一名が準進行不可区域で探索調査を行っていた。
ハンヴィーが先頭となって先導。二台のトラックが続き、最後尾は長谷川と琴美が乗車するランサーエボリューションである。
市街走行では威圧感を与えぬよう装備は外していたが、今走っているのは準進行不可区域。何が起こっても自己責任とされる場所だ。その為にM2重機関銃が取り付けられ、銃座には輜重科の生徒が着いている。
ハンヴィーには運転手の加藤にサポート役の強希と銃座に着く男子学生。トラックには二名ずつ輜重科の生徒が乗車していた。
残りの三十二名の中・高期生達は一定の距離を広げて散開している。それも四人一組を八チーム編成し、ハンヴィーがサポートできる範囲内に収まりながら探索していた。
全て長谷川の指示だ。到着した時、準進行不可区域は予想以上に広く、哀れな光景だった。更に見通しも悪い。急遽IMIに連絡し、十四名の普通科生徒を呼び寄せたのだ。
それでも探索は難航していた。
見通しが悪く、広範囲での探索ができない。準進行不可区域という危険区域で慎重な探索が強いられている。時間が掛かるのは当然だった。
「……十時過ぎたぜ、オイ。暇になってきた」
左手の腕時計で時間を確認し、白人の中期生は愚痴をこぼした。
「どう思うよ? 龍」
短い地毛のブロンドに碧眼の白人は隣を歩く少年に話し掛ける。
少年はバラクラバを着けている。更には完全武装の上に手榴弾とスモークを装備していた。
「どう思うって、何が?」
智和と任務を共にした男子生徒――水下龍が白人――ベン・ウォーカーに問い返す。
「だだっ広い荒れ地を探して何か出るかってこと」
「出るんじゃないか。まだ入って距離はないから、死体の一つや二つぐらい」
「絶世の美女が出てこねぇかな」
「ベン、お前アホだな。出てくるか。相変わらず本能で生きてるな変態白人。というか出てきたら怖ぇよ」
「そういや今日の夜は女子高生と合コンあるんだぜ。来ねぇか?」
「行かねぇよ。明日の任務の準備しなきゃならない」
素っ気ない返答にベンはつまらなそうに溜め息を漏らす。
「なぁ龍。いくら去年に任務が出来なかったって言ってもペース考えろよ。というか、夏休みの戦闘展開部隊の試験。マジでやる気か?」
「当たり前だ。その為に任務やって稼いでるんだろうが」
日本IMIにいくつかあるうちの部隊の一つ『戦闘展開部隊』。毎年、夏休みの期間を使用して試験を行っている。参加条件があり、その中にはあるランク以上による任務出動数と成功数が定められている。
「もう五月も終わるんだぜ? 規定以上の任務数こなすだけでギリギリだぞ」
「だから毎週やってるだろ。それに体力も鍛えられる」
「……いや、それでも解決には至ってないと思う」
呆れて二度目の溜め息を漏らした時、ふと足下に転がっていた物を踏んでしまった。
真っ黒に焼け焦げた何か。それ意外にどう言えばいいかわからなかった。
「……What? 龍。何だと思……う」
「どうした? …………あ?」
ベンが一つの開けたスペースを眺めながら言葉が詰まり、隣に立った龍もスペースを見て絶句した。
“丁寧に両手両足と首を切断され、皮を剥がれ歯を抜かれた頭が転がっていた”。
「…………マジか」
「……とにかく連絡しよう。それと……少し離れようぜ。見た目が最悪だ」
「ゲテモノAVより酷ぇ」
「比べんな変態白人」
――――――――――◇――――――――――
Bチームからの交信を受けた長谷川は部隊に停止を指示し、周囲警戒させながら“バラバラ死体”の下へと駆け付けた。
「またご丁寧にバラしてくれたなこれは」
腰に手を置き、顔色一つ変えずに死体を眺める。
対して中期生達の反応は、なんとか正常を保ってはいたものの、バラされた挙げ句の果てに顔も全て分解されているとなれば、吐き気を催してしまうのも無理はない。
目を背ける者がほとんどだが、中には積み重なった瓦礫の裏で嘔吐してしまう生徒もいた。
逆に平然を装っていたのは長谷川の他に琴美と、連れてきた高期生達だ。高期生になればそれなりの体験をすることになり、バラバラ死体などなんとも思わなくなるのだ。惨たらしいことに代わりはないが。
「おー。こりゃまた珍しい丁寧な死体だな」
強希が運転手を努めた加藤を連れて現場へとやってきた。
「まったくだ。というか強希、ハンヴィーはどうした?」
「運転手と銃座は任せてる。後輩の現場慣れだ。気にすンな」
凄惨な現場に顔色一つ変えない強希に対し、加藤は見るからに気持ち悪そうな表情をしている。彼女にとっては初めての死体を目にする現場なのだ。
「あの切断面を見れば鉈みたいなやつで切り落とされってわかる。後は……ノコギリか? 無理矢理切り落としたって感じだな。切断面が荒過ぎる。眼球は……どうやって抉り取ったンだ?」
「…………うっ」
「吐くなら離れて吐け。嘔吐物が現場検証の邪魔になる」
我慢しきれず、小走りで積み重なった瓦礫の裏に回って嘔吐する。
「酷い先輩だな」
「うっせぇ」
長谷川の小言を簡単に受け流した強希は死体の周囲を見回す。
あるのは赤黒く固まっている大きな血の水溜まりと、バラバラの死体。
“それだけ”だ。
「道具がねぇな」
「痕跡をなくす為に持ち帰ったんだろう。……が、この状況まで追い込むにはどれだけの準備がいるのか、お前にはわかるだろうな?」
「ああ。一人の仕業には見えねぇ」
いくら一人と言えど、準進行不可区域に連れ込むことは中々できることではない。拉致してくるなら問題ないが、移動方法の確保も問題となる。
「琴美。IMIに連絡。戦闘展開部隊を分隊八名編成として八分隊召集させろ。完全武装だ。移動車も銃座を装備してかまわん」
「完全武装で八分隊もですか!? それはさすがにまずいのでは……」
立入禁止としている“だけ”とはいえ、完全武装させたチームを六十名以上も召集させることは政府側も見逃すことはない筈だ。
「言いたいことはわかる。だが立入禁止エリアでバラバラ死体を発見し、“向こう側”に対する警戒も必要となる。当然の判断だ」
長谷川の言い分は適切だった。今立っている場所は安全地帯ではない。理解している琴美は反論を言わなかった。
「……わかりました。十五分以内に召集させます」
「ああ。あとな」
「はい?」
「現場検証できる医療部隊を二チーム寄越してもらえ。死体袋も二十は用意させろ。身内に返せるよう、体を繋ぎ合わせてもらわなきゃならん……。くそったれめ」
死体を見つめ、真っ先に思い浮べた“少女”に向けて悪態を呟いた。