表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第2章
7/32

私の世界の為に。ワタシのセカイのタメに

欲望のままに。

いつか壊れて動けなくなるまで。

 雨が降っていた。

 酷い雨で、肌に当たれば痛いと思うほどの強い雨。

 誰かが泣いていた。

 腰まであるツインテールの黒髪を持つその少女は、雨雲を見上げ泣いていた。

 何を叫んでいるのかわからない。

 ただ泣いている。ただただ泣いている。

 同じ姿をした少女を、草薙瑠奈は雨に濡れて見ているだけしかできなかった。


――――――――――◇――――――――――


 目覚めの悪い朝だった。

 何故かはわからないが清々しいとは思えないまま、瑠奈はベッドから起き上がって大きく背伸びする。

「あれ……?」

 隣のベッドに目を向け、いる筈のララがいないことに思わず声を出した。

 きちんと整理されているベッドから目覚まし時計を見ると、針はまだ六時を指していない。

 朝食を作る時は起きても良い時間帯だが、部屋を変えたばかりで冷蔵庫には飲み物しか入っておらず、食堂で済ませる予定だったので二度寝しても良かった。

 しかし二度寝する気にはならず、また同居人のララがいないことが気になって仕方がなかった。

 扉が開き、ワイシャツ一枚姿のララがタオルで濡れた髪を拭きながら部屋に入ってきて、少し安堵した。

「ごめんなさい。起こしたかしら?」

「大丈夫~。さっき起きたから~」

「そう。良かった」

 少し微笑んだララは自分のベッドへと歩き、傍らに置いていた小さなキャリーケースの中から替えの制服を取り出した。

 クリーニング仕立てでビニールに覆われている制服を取り出す時、瑠奈の視線が気になって目を向ければ納得できない表情で頬を膨らませていた。

「どうかした?」

「……やっぱり制服しかないんだね~って思ったよ~」

 昨日から話している服の所持についてまだ納得できていないことに、ララは苦笑いするしかできなかった。

「それについては昨日言ったでしょう。休日に付き合うって」

「そうなんだけどね~……改めて思うと本当にがっかりだよ~……」

 残念そうに呟いた瑠奈を尻目にビニールを取り、札を外してから制服を着ていく。

「…………」

 スカートを穿いた時、何か決めたような真剣な面持ちになったララは手を止めた。

「……ねぇ瑠奈」

「ん~?」

 ベッドから出て、寝巻きから制服へと着替えている最中だった瑠奈は手を休めずに返す。

「……私は、卑怯よね」

「卑怯~?」

 ララの言葉に思わずボタンを嵌める手が止まった瑠奈は、ワイシャツ一枚で振り向いた。

「どういうこと~?」

「……私は貴方や智和を逃げ道としていたの。ここで迷惑をかけて、とやかく言われた時の逃げ道として」

 瑠奈に背を向けベッドに腰を下ろしたララは続ける。

「言わないでおこうと思ったわ。でも……言わなきゃいけないとも思った。私は貴方達を頼りたいのと同時に、頼りたくないって意地も張っているようにも思える。迷惑をかけたくないのだけど……逃げ道としている以上、迷惑だと思う。だから私は、ずっと迷惑をかけることしかできない」

 ララというお荷物商品。エリク騒動の時にそう表現した諜報科の生徒がいた。

 それは一時期ではなく、長い時間の日本IMIに深く根付いてしまっている。

 ララの存在が迷惑そのものであり、智和や瑠奈などに頼り、逃げ道とすることは智和達に迷惑をかけることとなる。

 それをララは昨日から考え、今朝シャワーを浴びている時に決断して口にした。例え嫌われようとも。

「そんなことないよ~」

 しかしララが予想した答えとは違った。

 後ろから包み込むように優しく抱き締めた瑠奈は、悩める小羊のようなララに話し続ける。

「むしろ頼ってくれるほうが私は嬉しいな~。多分トモ君もそうだと思うよ~」

「智和……も?」

「うん。ララちゃんはすぐ無茶しちゃうから危なっかしいくて~、いつもハラハラしちゃうんだよ~。だからねっ、素直に私達を頼ってくれたほうが嬉しいな~」

「でも……」

「でもじゃないよ~。迷惑でもないし、私はお人好しのお節介だから~。トモ君もだよ~?」

「だから~」と、ララの顔を覗き込んだ瑠奈は笑顔で言う。

「私達を頼って? ね?」

「……本当に、いいの?」

「うん」

「……ありがとう」

「もうララちゃん可愛いよ~!」

 瑠奈は衝動のままララをベッドに押し倒して頬擦りし始めた。

 当然ながら困惑するララだがなんとか抜け出して引き離した。

「でも~、ララちゃんは本当に無茶しちゃうから心配なんだよ~」

「そうね。よく考えたらそういうことばかりだったわ。本当に……そんなことばかりだった」

「だけど今度からは私やトモ君達も一緒だよ~」

「……ええ。そうね」

 微笑むララの表情が瑠奈は大好きだった。

 まるで子供のような無垢で無邪気な笑顔がとても大好きで、瑠奈は自然と笑顔になっていた。

「早く着替えて食堂で朝食食べよ~」

「ええ。そうね」


――――――――――◇――――――――――


「中華料理店での銃撃事件?」

 長谷川は自室でブラックコーヒーを飲みながら記憶を遡った。

「ああ、わかる。昨夜ニュースで放送されていたし、一応そういう事件があったという情報も伝えられていた。それがどうかしたか?」

『経営していた店長と車一台が行方不明です』

 受話器の向こう側で淡々と琴美が言う。

 使用している電話は外部から傍受されない特別製である。琴美がどこからかけているかはわからないので、意味がないかもしれないが。

 既にスーツを着ており、上着をかけていた椅子に座って溜め息を漏らし、つまらなそうに口を開く。

「それがどうしたと言うんだ? 警察に任せていいだろうに」

『その中華料理店は香港系マフィアが出入りしている店でした。事実、店には香港系マフィア二十一人が死体になっていました』

「抗争。店長は見せしめに攫った」

『香港系マフィアは主に拳銃密輸をしていた組織でしたが、少し前に警察が一斉摘発して一気に弱小組織になりました。今は活動しているかどうかすらわからない状況で、対立している組織はいないです』

 簡単に論破されて気に食わなかったが、事情が見えて少し腑に落ちない箇所も出てきた。

「お前がおかしいと思った理由は?」

『諜報科の協力で警察の事件報告から死体の配置図を自分なりに割り出したのですが』

「待て待て待て。お前今どこにいる?」

 違和感がなさ過ぎて聞き流しそうになってしまったが、琴美の発言に気付いて制止の声を出す。

『諜報科の情報管理室です。盗聴の心配はありませんよ?』

「盗聴以前に諜報科にいることや勝手に警察の事件報告内容を見たことが心配だ」

 諜報科の情報管理室は文字通り情報を管理する場所で、各所から提供された情報をデータとして管理している。

 パソコンを使用していることもあり、“少しやんちゃな生徒”は勝手にハッキング行為やらすることがある。だが、データベースに記録はもちろん残る為、他の場所で管理している者にこっぴどく絞られる。そんな生徒は大概は入学仕立てやハッキング覚えたての馬鹿な中期生だ。

 少しでも頭がキレる生徒はデータベースに記録を残さない細工方法を用いてハッキングしている為、問題解決には全くなっていないのが現状だった。

 果たして琴美はこんな時間にハッキングでもしているのか不安になるが、話題を戻すことにした。

「……で、割り出してどうだったんだ?」

『中華料理店二階は麻雀卓が並べられた大きな部屋で、内から外へと頭が向くように倒れているのが殆どでした』

「犯人はそいつらの中心にいたわけか」

『使用された弾薬は9mmのフルメタルジャケットです。短機関銃ならば問題ないかもしれませんが、落ちていたのはグロック拳銃のマガジンでした』

「ふぅん」

『そしてマフィアが関係しているホテルを捜査したところ、男性と思われる奇形死体が発見されました』

「奇形死体?」

『……報告書ではそうしか記されていなかったので画像をダウンロードしたのですが……あまり口にしたくない姿です』

「どんな奇形死体だ?」

『歯を抜かれ爪を剥がれ針を刺され、口の中に熱したパチンコ玉を入れられており……両目にドライバーを突き刺され、最後は鈍器のようなもので頭部を殴打されています…………うぇ』

「……それは穏やかじゃないな」

 受話器越しに琴美の声で、どれだけ惨たらしい死に様だということは容易に想像できた。

『これは私の推測でしかないのですが、一連の失踪事件と少なからず関係しているのではないでしょうか?』

「根拠は?」

『奇形死体は拷問などではなく明らかな猟奇殺人です。犯人は殺しの“過程”を楽しんでいます。そうなればその玩具を求める為に連れ去った可能性もありますし、マフィアを使って人攫いさせた可能性も考えられます』

「処理はどうする? そんな玩具ならすぐ発見されるだろうし、マフィア共は普通やりたがらない。それだけの対価があれば話は別だがな」

『死体の場所なんですが……誰も立ち寄らなそうな場所なら考えられます』

「どこだ?」

『廃墟や郊外。または準進行不可区域などは?』

「……可能性はあるな。特に準進行不可区域は監視がついてる訳でもないし、看板しか下げていない場所ならどこぞの馬鹿が簡単に入り込める」

『そのどこぞの馬鹿の話なのですが、準進行不可区域へ二台の車が入ったとの報告があり、また男性五名、女性三名が失踪したらしいです。もしかしたら車の持ち主か、犯人の知り合い、同一人物かと』

 呆れて溜め息を漏らす長谷川だったが、客観的に見ることができなくなってきた状況の為、自然と目付きが鋭くなってしまう。

「可能性が確実なものとなったなら、それはそれで大変な問題だ。なんせ二十近くなる人間が死体玩具になっているのだからな」

『しかし……点はいくつかできましたが、それらを結ぶ線がまだありません。それに何か、ただの快楽殺人ではないような気がします。同じ地区で二十近くの人間が惨殺されているのに何一つ手掛かりがないのは、警察や私達の危機管理能力が問われます』

「IMIは無駄なことに首は突っ込まん。それはお前がよく知ってるだろう」

『……“知っていたのですね”』

 声の調子が変わった琴美だが、長谷川はさも当然のように言い放つ。

「諜報保安部が断片的ではあるが情報を掴んでいた。先程、私にも報告書がメールで届いた」

『見過ごした、ということですか』

「諜報保安部は元々そういうものだ。重要情報にランクをつけ、それを基準に諜報活動を行う。諜報機関も本来はそんなものだろうに。諜報科も受講して手伝いもしているお前も知ってる筈だがな」

『ええ、知っています。ですので何も言うことはありません。諜報保安部のやり方も正しい。ですが、こうも好き勝手やられるというのは気に障りませんか?』

「諜報保安部にもやることは沢山ある。今も調査中のものがあるのだから致し方ない。

 ……が、琴美の言う通りこれは気に障る事態だ。IMIが眼中に入れられていないことも腹立たしい」

『その調査中のものに関係するのですが、エリク事件の記者会見……無駄に早く行われましたよね』

「繋がっていたということを言っているようだがそれしかない。疑うしかできない時点ではどうすることもできない。それに今の状況では快楽殺人をどうにかしないといけないらしいな」

『ということは?』

「明日から普通科の課外授業ということで準進行不可区域を捜索させてみよう。目立つことはしたくないから部隊での偵察はできん」

『政府側は何か言ってくるでしょうか?』

「自己責任と言ってしまっているんだ。こちらも完全武装して自己責任と突き返すさ」

『それはそれで進行不可区域を理由に言われそうですが……わかりました。私も独自に調べてみます』

「あまり無茶はするな。表立った調査は諜報保安部が嫌がるぞ」

『心得てますよ。あ、そろそろ朝食を済ませないといけないので切ります』

「……お前の生活サイクルが時々わからなくなるんだが?」


――――――――――◇――――――――――


 食堂は各主要建物に備え付けられており、寮の場合ではすぐ隣に食堂が建てられていた。外に出る必要がある為に寮と食堂は屋根しかない廊下で繋がれている。

 瑠奈とララも廊下を使って食堂へと向かい、だだっ広い場所で人が少ないなか朝食を食べていた。

「どうでもいいことだけれど」

 クロワッサンを一口食べて飲み込んだララが、ふと口を開く。

「朝から色々とメニュー選べるのね」

「そういうものじゃないの~?」

 瑠奈は不思議そうにイチゴジャムをつけたトーストを食べる。

「ドイツIMIじゃあ食堂を使ったことがないのよ。こんなものかしらね?」

「じゃあ食事はどうしてたの~?」

「量より栄養重視で早く済ませることを意識してたわ。外ではジャンクフードで、部屋では主にレーション――戦闘糧食――ね」

「…………え~」

 瑠奈に絶句された。

「ララちゃん……それ絶対お腹空くよ~? メグちゃんだったら泣くよ~?」

「彼女が何故泣くかは知らないけど、案外満たされるものよ? 一応は」

「一応って言ってる時点で嫌だよ~……」

 極貧生活をしているようでなんだかみすぼらしく思える。

「まぁそんな生活をしていたおかげというのもなんだけど、色々な国のレーションを食べることに一時期はまったのよ」

「へぇ~。因みにララちゃんが一番美味しかったって思ったレーションは~?」

「そうね……」

 食べることをやめ、過去に食べてきたレーションを思い出す。

「……私としてはイタリアかしら」

「へぇ~。そういえばマニアの間じゃあ世界一贅沢って言われてるよね~」

「一パックがコンクリートブロックぐらいの大きさだった。あれの外袋、厚いアルミ積層コーティングされて真空パックされてるからナイフ使わなきゃいけないのよ」

「味はどうだった~?」

「イタリアよ? 美味しいに決まってるじゃない。しかも歯ブラシや固形燃料が六袋も付いてるのよ。缶詰めを温めるなら一袋で充分なのに。

 けどまぁ、真空パックする時に外気の圧力で押し潰されて蓋が開いて、漏れて腐敗するだけじゃなく他のも汚染される可能性もあるから、投下補給を考えると自衛隊のレーションも捨てがたいわね」

「別に実戦で考えなくても~……。じゃあね~、一番美味しくなかっ――」

「アメリカのスパゲッティ」

 即答し、味を思い出したのか嫌な表情を見せた。

「思い出しただけでもあれはないわ。絶対にない。断言する」

「そ、そんなに酷かったの~……?」

「防腐剤の臭いが味そのものよ。ハズレを引いたってこともあるかもしれないけど、あれだけはないわ。見た目でとやかく言いたくはないけど、あれは酷い」

「そこまで言うなら相当だよね~……」

 アメリカのレーションは効率良く栄養やカロリー接種できるかを優先している。長く保たせる為に防腐剤はかかせないのだが、おかげで味は酷い有様だ。

 現在では改良が施されているようで美味いものもあるようだが、それでも不味いものは不味い。

 苦笑する瑠奈はあることを思い出した。

「でもレーションの中には転売禁止とかもなかったっけ~?」

「一応あるわよ。食べたけど」

「どうやって手に入れたの~?」

「IMIよ? 意外となんでも揃うのよ。野外による長期任務っていう口実があれば仕入れてくれたわ」

 独自機関として機能しながらも各国とも深い繋がりを持つIMIは、もちろん軍事でも深く関わっている。各国の軍隊に使用される武器・弾薬や装備なども、IMI本部を通じて流通される。

 だが瑠奈はそんなことよりも、ララがレーションを食すことに夢中になっていたことや、自分のことをこれほど話してくれることがとても嬉しくて笑顔が絶えなかった。

 話も一区切り終えて朝食を食べ終えようとしていた時、紅茶を飲んでいた瑠奈はふと今日のことが気になって聞いてみた。

「ララちゃん。この後はどうするの~?」

 コーヒーを飲んでいたララは安っぽいプラスチック製のカップを置いて答える。

「朝は教室にいるわ。でもすぐに智和といなくなる」

「転校生じゃなく、編入生~ってことなんだよね~?」

「ドイツIMIで登録抹消されたから、一応そういうことになるのかしら」

「話が戻るけど~、教室出て何をするの~?」

「装備の確認と受け取り……と長谷川から聞いてるわ。智和は知らないけど」

「トモ君は多分、サイドアームの受け取りだと思うよ~。長谷川先生もいることだし~。確認ってことは~、ララちゃんも一通り揃えたんでしょ~?」

「ええ。ドイツIMIにいた頃と同じ装備と、貴方達に合わせた装備の二種類」

「ということは今日一日ララちゃんもトモ君もいないんだよね~……寂しいなぁ~」

「部屋は一緒でしょう」

「そうなんだけどね~」

 朝食を終え、食器を返却棚へと置いた二人は食堂を出て部屋へと戻る。


――――――――――◇――――――――――


 二人が寮へと戻った六時半過ぎの時間帯で、智和は朝食の為に寮を出た直後たった。

「……ん」

 二人とすれ違うことはなかった智和は、代わりと言うのはおかしいが、女子寮を通り過ぎた辺りで、前を歩く見覚えある後ろ姿の女子生徒を見つけた。

「恵」

 呼ばれた女子生徒――恵は振り返り、軽く手を振って智和が隣に来るまで待った。

 眠いのか、いつもの無表情がどこかぼんやりとしている。瞼も半分しか開いておらず、髪もポニーテールではなく下ろしたまま。服装も制服ではなく、スポーツ専門店で購入したジャージ姿だった。

「おはよ……ふぁあぁ……」

 聞こえるか聞こえないか微妙な挨拶。大きなあくびを噛み殺すことなく、軽く手で隠しただけの有様だ。

 恵の寝起きが酷いことは前から知っていた智和ではあるが、何度見ても酷いとしか言い様がなかった。

 まるで夢遊病を見ているかと疑ってしまう。それほど眠そうにしているのだ。

「相変わらず朝は弱いんだな、お前は」

「低血圧なんだから仕方ないでしょ……ふぁあぁ……! あー……眠い」

千夏ちなつには起こしてもらえなかったのか?」

「……あの子は今、諜報保安部の監視任務に出てるからってアンタが言ったでしょ?」

「あ」

 千夏とは諜報科の生徒で、エリク事件の際には拘留所で智和達を案内している同年代の生徒で、智和達とも知り合いだ。恵とは同居人でもある。

 いつもなら千夏に起こしてもらっている恵だが、生憎と同居人は重要任務をしており、諜報保安部の高三期生と共に出ているのだ。

 千夏以外の同居人はいないおかげで、恵はいつもより少し遅く起きてしまったらしい。ジャージ姿で出歩いているのもそれが理由だった。

「千夏が帰ってくる予定は三日後だし……智和。昔みたいにアンタのところで泊まらせてよ」

「馬鹿言うな、一人部屋だ。それに厳罰対象が俺になる」

「中期生の頃はよく遊びに行ってたし、受付のおじさんとも仲良しだから大丈夫よ。それに非常階段使ってまで来る男女がいる時点で、規則なんてないに等しいでしょうに」

「……まぁ否定はしない」

 男子寮に女子生徒、女子寮に男子生徒の立ち入りは基本的に禁止されている。

 IMIの機密漏洩防止の為、家族などの立ち入りは前以て連絡し、必要な書類にサインする必要がある。

 しかしこの規則。意外と緩いところがあった。

 恋人関係を持つ男女は非常階段を使ってどちらかの部屋へ出向き、そのまま夜を明かして朝日が少し出た時にまた非常階段を使って自分の寮に戻る。智和は何度もその場面を目にした。

 恵に至っては、受付にいる管理人達といつの間にか仲良くなっており、正面入口から堂々と入っては管理人達に挨拶までするのだ。

「だから泊めなさいよ」

「……お前、自分の生活している様子を考えたことがあるか?」

「は?」

「シャワー浴びた後に下着すらつけないで歩き回られるのは困る。どうせ今もだろ?」

「千夏も慣れたって言ってる」

 中期生の頃、とある事情にて智和と恵が同じ部屋で生活する期間があった。

 その時の生活を思い出せば、恵はプライバシーを隠そうとしない。と言うよりは無頓着と言ったほうが正しい。

 シャワーを浴びて体を拭いた後、平然と素っ裸で歩き回る。良くてもショーツを穿くだけだ。

 更に夏場だった為、裸のまま寝ているのが日常的だった。

「でも楽しかったじゃん。ベッド一つしかなかったけど」

「やめろ。思い出させるな。惨めな自分を思い出す」

「私の裸見て“抜いた”ってこと?」

「…………」

「あ、図星だ」

 恵しか知らないであろう秘密を言われ、溜め息を漏らすしかできなかった。

「別に落胆することはないでしょ。というか中期生なんてそこいらの中学生と同じだって。当たり前よ」

「その当たり前から“体の関係”まで発展するか?」

 簡単に言えば、智和と恵は恋人同士であった。

 そんな関係になってしまい、部屋や人目のないところでは恵がベタベタとくっついていたり、甘えたりしていた。

 今は「するべきことをする」という先輩の教えを互いに尊重し、恋人関係ではなくなっている。

「隠すことはないでしょ? 全員が知ってるんだし」

「まぁそうだ。というか隠してはいない。ただあの頃の自分は……惨めに思える」

「現実から逃げてセックスするのは悪いことでもないと思うけど。まぁ智和がそんなふうに言うなら、私も現実逃げてセックス三昧ってところね」

 あの頃の二人は逃げていた。

 智和は本当の戦場で見続けた現実から逃げた。

 恵は家族問題の現実から逃げた。

 だが今ならどうだろう。

 智和は戦場を知り、己を知り、それでも彼は進むと決めてリーダーとなって進み続ける。

 恵は自分の夢の為に。死んだ父の為に。例え母を残す結末だとしても、恵は夢の為に進み続ける。

 ――もう、いいだろう。

「――ねぇ智和」

 言い掛けた時、二人は食堂の出入口へと向かう見知った女子生徒を見つけた。

「琴美さん」

 開けようと取っ手を握っていた琴美は振り向き、二人に軽く手を振りながら笑顔を送った。

「おはよう智和君。恵ちゃん」

「今から朝食を食べるんですか?」

「ええ」

「見ろ、恵。お前と琴美さんの服装の違いを」

 ジャージ姿で寝起きの恵に対し、琴美は身なりは完璧だった。髪はいつものように整えられ、制服を着こなしてどこにでも出られる姿だ。

 この完璧さに智和はもちろんのこと、教師達も脱帽させられる。

「恵ちゃんは相変わらず変わらないわね」

「変わらない生活リズムが私の良いところです」

「プライバシーを持ってくれ」

「ふふっ。これから朝食なら一緒に食べない?」

「俺は是非とも。お前は?」

「私も一緒に」

「ありがとう。行きましょうか」

 琴美が食堂に入り、智和が後に続いて入りかけた時、先程のことを思い出して足を止めて恵に振り向いた。

「何か言ってたが何だ?」

「なんにも。別にいい」

 いつものよう無愛想に言い放ち、智和を退けて先に食堂へと入っていった。

 癪に触る言い方だったが、智和はなにも追及することなくそのまま朝食を食べることになった。


――――――――――◇――――――――――


 ララは瑠奈より一足先に寮を出て普通科へと来ていた。

 昨夜に長谷川から早めに職員室に来るよう伝えられており、場所も瑠奈に案内してもらっているので迷うことはなかった。

「失礼します」

 軽くノックして静かに入る。

 普通科の職員室は普通の学校と作りは変わらない。中・高期生の各学年ごとや科目ごとの教師を簡単に分けているだけであり、中には軍事や戦闘方面の経験が浅いまた皆無な教師も混じっている。

 こういった教師は確かに経験はないが、IMIの教師である以上は不測事態に備えての訓練はされているので問題はない。訓練が実戦で活かされれば、の話だが。

 もう一つ特徴なのは武器に関する保管。

 これも不測事態に備える為に教師達は常に武装している。日常は軽武装であり、それが義務づけられているのだ。

 もし不測の事態に陥った場合。例えば周辺で大規模な戦闘が展開された場合、生徒達で手に負えない場合は教師達も出動する可能性がある。

 その為に教師達の机の下には銃や装備が置かれていたり、自前の武器を車などに搭載する。代表的な例を挙げるならば長谷川が最もわかりやすいだろう。

 要は職員室は一番危ない“火薬庫”とも呼べる場所なのだ。

「こっちだ、ララ」

 周囲を見回していると呼ばれ、長谷川だとわかると真っ直ぐ向かっていく。

 まだ七時半を過ぎたばかりだが職員室には教師が全員集合していて、朝から忙しなく仕事をしている教師もいる。

「随分と賑やかね」

「軍事教科担当はいつもさ」

 長谷川は悠長にコーヒーを飲んでいる。

「貴方は忙しくないのかしら?」

「私は軍事教科担当だが中・高期生に教えるような立場じゃない。任務の指揮や各部隊の指導だ。それも要請があった時だけ。受け持った部隊は別だがな」

「表だけ見れば楽そうね」

「表だけはな。おっと、ちょうど来たな。平岡先生!」

 長谷川が呼んだ方向へ顔を向けると、おっとりとした女性教師がコピーした用紙を持って歩いてきた。

「編入生のララ・ローゼンハインです」

「まぁ、そうでしたね。いけない。すっかり忘れてました!」

 長谷川の隣の机に用紙を置いた平岡はララと向き合う。

「お話は長谷川先生から伺ってます。編入されるクラスの担任の平岡雅美ひらおかまさみです。現国を担当しています。宜しくお願いしますね」

「ララ・ローゼンハインです。お世話になります」

「そんなに堅苦しくなくていいですよ?」

「いえ、これが一応の話し方なので」

 ララは見知った者には普通に話し、気に食わない者や敵対する者には喧嘩腰で話す。教師など上の立場には敬語で話している。

 長谷川は敬語で話そうと思っていたが喧嘩腰で話している時期があり、それから敬語に直そうと試みたが結局直せず、敬語ではない普通の話し方で接している。呼び方も「先生」ではなく「長谷川」である。

「そうですか」と納得した平岡は続ける。

「聞いていると思いますがララさんはA組です。授業の仕組みはIMIで共通されているので問題ないでしょう。長谷川先生のご要望で今日一日は授業に出席しなくてもいいですが、部隊要請などの任務以外はちゃんと出席してくださいね」

「因みに私はA組の副担だ」

「やたら毒の吐く副担ね」

「まぁまぁ」と平岡が間に入って軽く宥める。

「ホームルームまではまだ時間があります。ホームルームの開始時刻は八時二十分ですから、それまでは自由で結構……なのですが、残念ながら長谷川先生からお願いがあるようです」

「お願い?」

 今度は平岡から長谷川が説明する。

 コーヒーを飲みきった長谷川はマグカップを置き、引き出しから一枚の茶封筒を取り出してララに差し出した。

「これは?」

「日本IMIの生徒として正式に認められた証拠だ」

 茶封筒の真ん中には『生徒に関する重要書類』とボールペンで書かれている。

 持ってみる限りでは小さなカードのような物と、影で薄ら書類のような物と判別できるが詳細はわからなかった。

「何が入っているの?」

「学生証と部隊配属の正式申請書だ。学生証を持つことでお前は正真正銘、日本IMIの生徒として認められた」

「……確認しても?」

「ああ」

 ハサミを手渡されて茶封筒を切り、学生証と書類を取り出した。

 学生証には名前と学籍番号、所属科などが記され、ララの顔写真も貼られている。

 部隊配属申請書は《特殊作戦部隊》に所属する生徒が隊長を務める部隊への配属申請の書類。部隊に配属された時、その者は部隊の一員となるだけではなく『特殊作戦部隊』の一員にもなる仕組みとされている。

 書類は三分の二を占める細かい説明文。残りは配属する部隊の隊長と部隊担当の教師。特殊作戦部隊チーム1担当責任教師の順で名前が書かれ、名前の横に判子が押されている。

 隊長の名前は『神原・Leonald・智和』。担当教師には『長谷川浩美ひろみ』と書かれていた。

 その下には配属される生徒。つまりララの為のスペースが空けられている。

 ここにララ・ローゼンハインと書いて判子を押して提出すれば、その瞬間にララは智和の部隊の一員となるだけではなく、日本IMIで一番の部隊の一員と認められるのだ。

 恐怖と不安もあった。

 しかし今はようやく一員として認められ、智和達と共に任務を全うできる満足感と嬉しさが高揚し、少し目尻が熱くなった。

 こんな気持ちは初めてだ。ドイツIMIに入学した時とは比べ物にならないほど、嬉しかった。

(やっと……やっと一緒に……)

「涙溜めてるところ悪いが」

 長谷川が口を開き、ララは涙を指で拭って書類から顔を上げる。

「まだ渡すものがある。時間を無駄にしたくはないし規則に基づくことだから着いてこい」

「どこへ?」

「第一武器保管所」

 立ち上がった長谷川が歩きだし、急いで書類と学生証を茶封筒へと入れて後を追った。

 二人が職員室から去るまで平岡は笑顔で小さく手を降り続けたが、いなくなった後に何故か肩を落としていた。

「私には敬語なのに……長谷川先生とは普通の話し方……嗚呼、私ってやっぱり生徒達には越えられない壁があるのかしら……? それとも私、もしかして……避けられてる? 嗚呼っ! 私は教師失格だわ!」

「朝からいつも通りですけど平岡先生、もう少し自分に自信持ってください」

 向かいの席に座る男性教師が指摘するものの、平岡は聞く耳持たずしくしくと泣いていた。


――――――――――◇――――――――――


 第一武器保管所は普通科に近い位置に建設され、保管所としては一番大きい面積を持つ。

 保管所としてだけではなく、銃や装備などの購入や受け渡しまたは整備などによる場所として機能しているからだ――整備に関しては生徒全般ができるが、整備を任せるのは中一期生や任せられる整備係を持っているかに限られる――。

 ララは長谷川の後ろを着いていき、第一武器保管所へとやって来た。

 出入口付近は殺風景な光景だが奥のカウンターまで行けば違ってくる。防弾硝子で固めた受付の奥には担当の教師が新聞を読み、日替わりの生徒がリストに書き込んでいる。

 教師が気付いて新聞から二人に目を向けた。

「おはよう長谷川。朝っぱらから何の用事だ?」

「朝から事務仕事ご苦労様。コイツの銃を受け取りに来た」

「学生証を出しな」

「ララ、学生証を出せ」

 急かされて茶封筒から学生証を取り出して受付の教師に出した。

 学生証を受け取った教師はまじまじと見つめながら、「ふぅん」などと頷いていた。

「お前が噂のララ・ローゼンハインか。聞いてるよ、嫌われ者らしいな」

 あからさまな嫌みに表情を歪ませるが教師は気にしない。それどころか表情すら見ていなかった。

「八島。Kの45を持って来い」

 男子生徒の八島はリストを見て中身を確認する。

「Kの45……45? 畑先生。Kの45は装備が二人分もありますよ?」

「あぁ? 二人分?」

「個人用と部隊用に預けている筈だ。個人用の装備だけでいい」

 長谷川が追及し、畑と言う教師は少し悩んでから生徒に言う。

「一気に貰ってくれたほうが有り難いだが……仕方ないか。個人と部隊の識別は?」

「AとBに分けている。Aが個人用だ」

「だ、そうだ八島。Kの45からAを持って来い」

「はいはい」

 明らかに面倒臭そうな態度を見せる八島は奥の部屋へと行き、壁に掛けられている沢山の鍵の中から一つを取り出し、それからまた一つの鍵を見つけて棚のような箱に差し込んだ。

 金庫のような保管庫は貴重品を預けるもの小さな箱ではなく、大きな物を預けられるような箱である。まるで駅に置かれているコインロッカーの為、鍵を差し込む前は「Kの45……Kの45……」などと呟いていていた。

 すんなり見つけて箱を開け中身を少し物色すると、ビニールに包まれた手荷物を持って受付に戻り教師に渡した。手荷物には小さな『A』と書かれた小さな張り紙が貼られている。

「これで間違いないか?」

「ああ。間違いない」

「書類にサインを」

 教師はララに学生証を返し、長谷川には一枚の書類とボールペンを手渡した。

 書類は武器の受け取りに関する書類である。事務上の簡単な流れ作業だ。

 素早く書き終えた長谷川は書類を渡し、教師は軽く書類に目を通して許可の証明である判子を押す。

「ほらよ」

 僅かな隙間から手荷物がララへと渡された。

 しかしララは手荷物の内容を知らないが、ここが武器保管庫ということでだいたいの予想はついていたので迷うことなくビニールを剥がした。

 真新しい箱を開くと、同じように真新しい銃とマガジンと装備が収められていた。

 ララがドイツIMIにて使用していたワルサーP99とMP7。マガジンは三本ずつ。

 IMIの生徒は軽装備を常に携帯することが義務づけられる――ナイフや拳銃など――。突撃銃などの重装備は学業生活中には認められていない。

 ララはドイツ製の銃を好む。H&K(ヘッケラー&コッホまたはコック)社製の銃は性能が高いと評判であるが、別に愛国心や自国に対する感情でもない。ただ兄であるレオンハルトが使っていた中で選んだだけである。

 その中でも特にMP7はララのお気に入りだった。室内戦闘の際では四十発入りマガジンを使うことで僅かながらも弾幕が張れるし、口径が4.6mm×30の専用弾薬で貫通力もある。手負いを負わせればララの勝利へ容易に持ち込める。

 レオンハルトが使用しているSIGザウアーP226は性能が優秀で良いと考えたが、重量や装弾数を考慮した結果、ワルサーP99を選択した。

 二丁の銃の他に装備もある。ララが長谷川に頼んだ専用のレッグホルスターは、マガジンポーチも装備できて右左どちらにも装着可能な特別製である。

 まずワルサーP99用のホルスターを、右太股に装着して銃本体を入れる。三本のマガジンは、左太股に装着したホルスターベルトのポーチに入れた。

 ホルスターに入れられたMP7とマガジンは、小包に入れられたまま教師に返した。

「これは今は必要ないわ。後で取りに行くからそのまま保管しておいて」

「だろうな。八島、同じ場所に片付けろ」

 教師は開けられた小包を机の下から取り出したガムテープで荒々しく貼り、生徒に渡して保管させた。

「ドイツにいた頃と同じだが義務だから説明する。銃や装備の保管または借り出しは学生証を提示、銃や装備なんかの必要品に関する購入は教師のサイン入りの書類と学生証を持って来い。いいな?」

「ええ。心得ているわ」

「なら良し」

 これでララ・ローゼンハインはIMIの生徒として義務を果たし、問題なくIMI生徒としての生活を送ることができる。


――――――――――◇――――――――――


 IMIの生徒は軍事行動などが主だが、かといって十三から十八の歳の子供達に殺しの技術だけは教えない。軍事教育と言われているがちゃんと中学・高校の教養も学ぶ。

 そうなれば、IMIの教育過程はかなりの過密日程となる。午前は普通の学校教育と変わらない教養を学び、午後は軍事科目を学ぶ。時間割が変更されることが多々あるが、だいたいはそのような日程である。

 だから朝のホームルームもちゃんとある。生徒が拳銃やナイフを常備している意外は、普通の日常なのだ。

 八時過ぎに智和が教室に入った頃には、高期一年A組も変わらぬ調子で賑やかだった。

「ねぇねぇ。昨日の歌番組見た?」

「終わったらゲーセン行こうぜ。格ゲーがバージョンアップしたんだ」

「最近調子悪いのよね。二百メートルからの射撃がイマイチ良くないの」

 最後の物騒な発言も日常だ。だから誰も気にしない。智和も気にしない。

「おっはよ~トモく~ん」

 後ろの席に着いた時、先に来ていた瑠奈が智和に挨拶をしに来た。因みに恵はD組。新一は中期D組である。

「荷物ないね~」

「今日は一日抜けるからな。ララから聞いてるんだろ」

 智和はホームルームを終えたら授業を抜ける。注文していた拳銃を受け取り、射撃訓練を一日予定で行うのだ。

 卒業するには決められた単位数が必要となる。それは普通に授業を受けていれば問題なく卒業できるが、民間依頼や部隊などによる任務で単位を得ることも可能である。智和や瑠奈は既に卒業できる単位を得ている。

「でもナイフは持ち歩くようにしたんだね~」

「まぁな」

 腰の備えているナイフを見抜くのは流石とも言える。

 エリク事件の後、智和は自分の怠けっぷりを痛感した――別に怠けていた訳ではない――為に、常にナイフを常備することに決めた。

 異常な程に手放さないものだから諜報科の千夏などには、「ちょっと怖過ぎる」や衛生科で精神病などに精通する生徒を紹介されて傷ついたのだが、やはり手放すことは無理だとエリク事件で理解した。

 話しているとホームルームを告げるチャイムが鳴り、生徒達が自分の席へと着く。

「おはようございます皆さん。ホームルームを始めますよー、席に着いてくださーい」

 担任の平岡がにこやかな表情で教室へと入ってきた。

 が、生徒達の大半は呆然とした表情を見せながら席に戻っている。

 平岡に続いて教室に入ってきた少女は、何食わぬ顔で教壇の隣に立つ。

 生徒達が騒めく中で平岡が黒板に少女の名前を書き終える。

「今日新しくこのクラスの一人になるララ・ローゼンハインさんです。ではララさん、自己紹介を」

「ララ・ローゼンハインです。ドイツIMIに登録していましたが退学し、日本IMIに編入しました。よろしくお願いします」

 丁寧な挨拶をした後に軽く礼をしたララを見て、普段とは明らかに違う素振りだということに智和は思わず少し笑ってしまった。

「ララさんは後ろの空いている席です」

 自分の席へとララが歩いていく時、生徒達の目線が集中していることを感じていたが気付かぬ素振りで席に着いた。


――――――――――◇――――――――――


「これでホームルームは終わります。任務などで抜ける生徒は気を付けて頑張ってくださいね」

「行くぞ、ララ」

「ええ」

 ホームルームの終了と同時に智和とララはさっさと教室を後にして、長谷川との打ち合わせ通りに第一武器保管所へと向かった。

「クラスの感想を聞こうか」

「悪い意味で注目されてるのがよくわかるわ」

 クラスでの視線を思い出すと溜め息を漏らした。

「卑屈過ぎるような気がする。確かにあの騒動はお前の名前を一気に広めたが、目の敵にしてるのはほんの一部だぞ?」

「だとしても注目を浴びているのは事実なんでしょう? それに今、廊下を歩いているこの瞬間、物珍しい目で見られてるのは何故か言ってみなさいよ」

「まぁ当たっているには当たっているんだが……」

 すれ違う生徒達が振り返ったり見続けることをララは軽蔑と思っているらしいが、智和の考えは少し違っていた。

(俺には羨望なんかの注目に思えるんだが……本人が自覚していないことはある意味で面倒だな)

 自分に無頓着なことを知った智和とその相手ララは普通科の校舎を出て、すぐ隣の第一武器保管所へとやってきた。ララにとっては数十分ぶりである。

「こっちだ」

 受付で教師と話していた長谷川は二人を見付け手招きした。

「何だ。こいつらのことだったのか」

「ああ。午前中二人には射撃訓練をしてもらう」

「射撃訓練? 今更?」

「別に心配している訳じゃないさ。だが聞けばお前、H&K社製の銃しか使ってないらしいな」

「まぁ、自国社製というより性能云々で選んだから」

「個人用なら別にかまわないんだが、部隊用となればさすがに共通させなくてはいけないからな。決まりはないが共通させたほうがなにかと都合がいい」

「ほらよ」

 受付から渡されたのは光学装置などが装着されていない標準装備のM4A1コルトカービン銃だ。

「なんのカスタムもされていないM4だ。後で必要な装備をリストに纏めて私に提出すればすぐに揃えよう」

「必要ないわ。注文の仕方は教わっているし、それに優遇される立場ではないことを空港で言った筈よ」

「流石ララ・ローゼンハイン。飲み込みが早い生徒は大好きだ」

 ララは優秀だ。それはドイツIMIにて証明されていることであり、智和や長谷川も既に把握している。ドイツIMIは惜しい人材を手放したと長谷川はつくづく心の中で呟いていた。

「で、智和はサイドアームの注文受け取りだな」

「ああ」

「ようやく揃えたことで銃の破損リストに空白ができるな」

「うるせぇ」

 悪態つきながら書き終えた書類を差し出し、教師は同じように軽く見たら判子を押してビニールに包まれた小包を渡した。

 手荒にビニールを破り、中から取り出したのはブラックカラーの新品拳銃。

 FN5-7拳銃。ベルギーのFNファブリック・ナショナル社が製造した5.7mm口径の拳銃は、従来の角張ったような拳銃とは少し外見が変わって丸みを帯びているデザイン。SF映画に登場する未来兵器のようにも見えた。

 中には拳銃以外にもマガジンやホルスターが入っている。

「おっと。あとはこれだな」

 教師が下から取り出したのは拳銃用の黒いガンケースだった。

 ガンケースの中に拳銃とマガジンを入れ、ホルスターはそのまま持っていくことにした。

「二人共、用意はできたな」

「ああ」

「ええ」

「これから射撃場に行く訳だが……生憎と私はやるべきことがある為に一緒にはいない。だから好きな時間に終わってもかまわない」

「そうか。じゃあ好きな時にやめさせてもらう」

「そうしてくれてかまわない。まぁ午前は大人しくしていればいいさ」

「ここからなら屋内の第一射撃場が近いな。そこにしよう」

「着いていくわ」

 智和とララは一先ず長谷川と別れて第一武器保管所を出て、比較的近い屋内第一射撃場へと向かった。

 普通科に一番近い屋内第一射撃場は数分歩いた位置にあり、また屋内射撃場としては最大の大きさだ。

 射撃場に向かうには別にかまわない。智和も別に問題はない。だがララがM4A1を剥き出しのまま持ち歩くというところには、些か問題があるような気がしないでもない。

「あ」

 歩いている途中に智和がふと何かに気付いて声を出した。

「射撃訓練なら屋外射撃場の方がいいのか?」

「別に問題ないわ。ただの射撃訓練だし、試射程度の感覚だと思って撃つわ」

「それならいいか」

「ええ。撃てればいい」

「ごもっともだ」

「そうでしょ?」

 当たり前の意見に思わず笑ってしまった智和とララは、舗装された道を進んで屋内第一射撃場へ真っ直ぐ入っていった。

 第一射撃場は広々としたロビーがあり、ソファや薄型テレビ、自動販売機などが充実している。射撃休憩として生徒達の憩いの場となること間違いなしだが、今は誰もいなかった。

「おお智和か。待っていたよ!」

 受付にいた少し細身の老人が智和を見つけるや否や、満面の笑みで嬉しそうに声をかけた。

 二人が受付に来たと同時に書類とペンを渡す。

「で、こちらが噂のララ・ローゼンハインか。なかなか綺麗で上品なお嬢ちゃんじゃあないか」

「お、お嬢ちゃん……?」

「気にするな。いつもこうだ」

「何を言うか。年寄りは大事に扱わんか! そう思うだろう?」

「ま、まぁ……そうなるかしら」

「本気で無視しろ。老人相手に一時間は死ぬぞ」

 珍しく押され負けしているところに智和が助言し、急いで自分の名前を書いて老人に手渡した。

「まったく、最近の生徒は冷たいのぉ」

「無駄話が長いからだ」

 老人はあからさまにつまらない表情を見せながら書類に判子を押していく。

「まぁ、長谷川先生から話は聞いとるよ。M4と5-7の射撃とな」

「ああ。在庫は充分か?」

「どちらも充分さ。午前中だけじゃなく夜まで撃てるよ」

「誰かいるか?」

「いるわけないさ。……よし、今持ってくる」

 老人は書き記したメモ帳を手にすると奥の部屋へと歩きだした。

「何番使えばいいんだ爺さん!?」

「誰もいないんだから好きに使ってかまわんよ!」

「……だ、そうだ。中で待っていよう」

「適当過ぎる管理ね」

「これが意外と評価高いから驚きだ」

 老人がマガジンと弾薬を準備して持ってくる間、二人は移動して準備を済ませることにした。

 しかし準備と言ってもどちらも新品で既に撃てる状態だ。到着してしまえばやることはなにもなかった。

「広いわね」

 広い射撃空間は二十五人で撃てるレンジを備え、その空間が二階にも備え付けられている。最大80メートルの射撃も可能だが、そこまでいけば拳銃で狙えることは狙えるだろうが実戦的ではない。突撃銃を使おうにも、だったら屋外射撃場で撃つということになってしまう。ララは試射程度としか捉えていないので屋内で良かったが。

「屋内射撃場なら一番の大きさだし、普通科から最も近い射撃場だ。午前にこうでもしないとなかなか使えない。まぁ、老人の無駄話に付き合うリスクを考えると、第二射撃場に行くことが効率的とも思えるがな」

「その老人がマガジンと弾薬を持ってきてやったぞぉい」

 老人が大きな段ボールを台車に積んでやってきた。

 荷物の中身はM4と5-7のマガジンがぎっしりと収められ、既に弾薬が入れられていた。

「すげぇな。これ全部爺さんがやったのか」

「長谷川先生からの頼みだ。断るにも断れんよ。標的に使う紙は台の下にあるし距離はえーと……そうだ! 台の手元のボタンで操作できる」

「とうとうボケたか」

「煩い! まぁ邪魔はせんよ。終わるんだったらその荷物を持って受付まで来るように」

 そう言って老人は出ていった。

 二人は早速――智和は一番レンジで30メートル、ララは二番レンジで50メートルで――標的をセットし、距離を設定した。

「イヤーマフとサングラス」

「ありがとう」

 智和が順に投げ、難なく掴んで二つをつけた。

「にしても、M4使うなんて思わなかったわ」

「H&K社製がいいか?」

「気遣い無用って言ったでしょう」

「それはどうも」

 ララは台に五個ずつ積んだマガジンを五つ並べ、一つを取ってM4A1に入れる。

「智和」

「何だ」

「ここからは真剣に集中したいから無言になると思う。用事があるなら撃ち終わってから肩を叩いて」

「了解。俺もそんな感じで頼む」

「わかった。始めるわよ」

「やってやれ」

 あまり使ったことがない銃だが、手慣れた様子でストックを肩にあて、ストレスのない最適な構えの中で引き金を絞った。

 響く銃声。

 漂う硝煙。

“これがいるべき世界なのだと感じる瞬間だった”。


――――――――――◇――――――――――


 とあるビジネスホテルの一室。ベッドの上でセナは絶頂を迎え果てていた。

 カーテンの隙間から射し込む太陽の光に思わず目を細め、少し慣れると外の光景を眺める。

 外は既に人と車で満ち溢れていた。既に一日は始まっている。

 セナはまずシャワーを浴びた。一晩中“遊び続け”、自分を弄び続けた体に降り注ぐお湯はとても気持ちの良いものだった。バスタオルで体を拭いて黒の下着をつけ、ゴスロリファッションを身に纏う。

 テーブルに置いていた携帯電話に着信がきて、相手が自分の愛する人だとわかると子供のような笑顔になって電話に出る。

「もしもしパパぁ?」

『今どこで何をしている?』

 平淡な声だった。怒る様子も感じられないが、セナの身を心配する優しさもない。

 興味がなく、面白味がなく、とらえ所のない声だ。

 そんな声が愛する人の声だからかセナは気にすることはない。

「今ホテルだよぉ。アイツらが用意したホテルぅ」

『奴らは殺したのか?』

「うん殺したよぉ。すっごく弱かったぁ。その後は一人拉致って車でホテルまで来てぇ、午後は“遊んで”夜はいっぱいオナニーしてたぁ!」

『また“バラした”のか』

「うんっ!」

 本当に子供のようで無邪気な笑顔の先には、椅子に固定されていた人間の体“らしき”赤黒い肉片が転がり、安物のカーペットは充分に血を吸って赤染めになっている。その周辺には、同じく赤黒い肉片が散らばっていた。

『もう奴らが提供したホテルは使わず用意していた拠点を使え。そしてもうバラすな』

「えーっ!?」

『ホテルでバラしたのがこれで二体目。香港系マフィアの壊滅。警察にはマフィア抗争の線で動いているかもしれないが、IMIに感付かれるのだけは駄目だ。これ以上この地域ではバラすな』

「うぅ……」

『日本人のサンプルはまず充分だ。東の拠点で待機しろ』

「……はぁい」

 的確に言われ、セナのテンションは一気に下がってしまった。確かにホテルで死体を拵えてしまったのは悪いような気がしたが、楽しみを削がれたようで堪らなくやる気を失った。

『死体は片付けなくてもいいが早くその場を去れ。警察が香港系マフィアが関係していた場所を手当たり次第に捜査している筈だ』

「わかったよぉ。警察にもIMIにも気をつけるぅ」

『先週か先々週に日本IMIの部隊がエリク・ダブロフスキーというテロ関係者を拘束している。仲間の傭兵は二人を除いて始末されている。

 警察とは比べ物にならない。容赦なく引き金を引く連中だ。IMIは手強い』

「ふぅん。……ねぇパパぁ?」

『何だ?』

 セナに変化があったことを相手は声だけで読み取った。

 事実、セナの表情は恍惚ではなかった。

「そのIMIとセナ、どっち強いのかな?」

 携帯電話と一緒にテーブルに置いていたグロック拳銃を持ち、銃身を額にあてて笑っていた。

「どっちが強いのかなぁ……? そんなに強いんだったら撃ち合いたいなぁ……殺したいなぁ……。男だったらバラしながら殺したり、セックスもしてみたいしぃ……女だったら……やっぱりバラしたりセックスしたりしてから殺したいなぁっ! あは、あははははっ! あっはははははははははぁっ!」

 躊躇なく人を殺す集団と撃ち合い、殺し合い、そんな者達を充分にセックスしてバラして満足し堪能し貪り尽くし、最後の最後に殺す。

 考えただけで興奮して、欲情してきたセナの笑いが、部屋中を埋め尽くした。


――――――――――◇――――――――――


 受話器から聞こえるセナの笑い声を男はただじっと聞いていた。

 男にとってなんらおかしいことではない。最初からこのような人間として“操作”したのだ。

 彼にとってセナとは人生であり、研究であり、証明だ。男が望む結果だ。だからなにもおかしくなどない。これが“正常”なのだ。

 しかし人間がバラされたのは些か心外だった。

 セナの本能として象徴されるのが奇形死体だ。彼女の行動が本能となり、本能の結果が奇形死体へと結ばれる。

 故に処理が面倒だ。バラバラに解体し、ズタボロにされた死体の処理を誰が好んで引き受けようものか。

 その為に準進行不可区域で犯行に及んだのだ。誰も近寄らない格別の場所で。

 だがセナは二つも奇形死体を拵えてしまった。これはもう表沙汰になってしまう。

「移動しろ、セナ。指示を待て」

『わかったぁ』

 電話を切り、携帯電話を机に置いて小さく溜め息を漏らす。

「制御が利かなくなっている。やはり連続で殺させたことが問題か」

 簡単に結論を出すと手元の書類を鞄に片付けた。

「潮時か」


――――――――――◇――――――――――


 とある喫茶店の片隅で男がコーヒーを飲みながら、新聞の見出しに記載されているエリク事件について読んでいた。

「いらっしゃいませ」

 柔らかい鈴の音と店員の挨拶の次に、杖をつく独特の高い音が店内に響く。

 杖の音は男に近づいていき、持ち主が男の向かい側の席に腰を下ろした。

「エリク事件がそんなに気になるかな? 内藤局長」

「いつもながら悪寒を感じる手回しだな。如月学園長」

「相も変わらず手厳しい言い方だな“拓也”。それがお前でもあるのだが」

「変わったな“隆峰”。昔のお前は酷く辛辣だったというのに」

 互いはようやく顔を見合わせ、如月は少し笑みを、内藤拓也ないとうたくやは感情を見せず少し細い目を向けた。

 テーブルに店員が静かに水が入ったコップを如月の前に置いてメニューを差し出したが、如月は左手で優しく押し返した。

「すまない。話をしに来ただけだ。水で充分だ」

「かしこまりました」

 軽く会釈して店員はテーブルを離れる。内藤はまた新聞を読んでいた。

 水を少量だけ口に運んだ如月は問う。

「いつもの秘書はどうした?」

「駐車場で待たせている。それこそお前の護衛はどこにいる?」

「彼女は護衛ではなく秘書だよ。それに拓也とは自衛隊時代から続く縁だ。こうでもしないと話したいことが話せない」

「正論だな」

 新聞を折り畳んでテーブルの隅に置き、コーヒーを一口飲んでから続ける。

「だが愚策だ。日本IMI学園長と日本IMI連盟局局長が護衛もつけずに、真っ昼間から高級喫茶店で眺めの良い席で対話する。暗殺には最高だ。狙撃、もしくは店ごと爆破すればそれで終わりだ」

「そうだろう。私達は嫌われ者の立場だ。しかしそれでIMIは終わらん。逆に彼らは暴走する」

 また水を飲む。

「話は変わるが仕事の調子はどうかね?」

「変わらん。なにも変わらん。この国のトップは事の重大さがわかっていない。いや、戦いということすら理解しているか問題だ。《7.12事件》にしろ、エリク事件にしろ、奴らはなにも変わらん。理解しようともしない」

 少し苛立ちを見せたことに如月は鼻で笑う。

「理解させるのが局長である拓也の役割だろう。連盟局がIMIと国を繋ぐ唯一の組織だろう」

 IMIは独立機関として機能している。各国のIMIが本部と繋がって連携しているが、それはIMI同士の連携に過ぎない。

 そんな独立機関が国に介入し、公共機関や政府と意志疎通することはかなりの時間と労力が必要となる。

 国とIMIが志すもの自体が違うのだから仕方ない。そこで設立されたのが《連盟局》だ。

 連盟局は国と政府を結ぶ為に両者と接触し、互いが互いを連携できるように協力体制を築き上げていくことが目標となる。

 如月と知り合いである内藤拓也という男は、日本IMI連盟局のトップに座っているのだ。

「繋げる、か。ふん。馬鹿馬鹿しい」

 明らかな苛立ちを見せた内藤は残りのコーヒーを飲み干し、如月を睨み付けて口を開く。

「思想が違う。この国の思想とIMIの思想は決定的に違う。平和を望む国と戦禍を望むIMIでは水と油以上に相性が悪過ぎる」

「お前はどちらを望んでいる?」

「“戦禍を望む”」

 即答だった。

「私は日本IMI連盟局局長だがIMIの人間だ。そしてIMIの思想は企業の思想でもある。それもそうだ、戦場が仕事場である企業は戦禍を好んでいる。だから私は戦禍を好み、望んでいる」

「成る程」

 言い分はその通りだった。

 連盟局もIMIも軍事大企業が作り上げたのだ。企業の思想はIMIと連盟局の思想であり、企業が望むものはIMIと連盟局も望む。

 内藤の意見は正に企業の人間を表すものだ。如月と共に自衛隊を除隊して戦場を歩き、企業の一員としても戦場を歩き渡った。身も心も企業に染まっている。

 だが如月は違和感を抱いていた。

「それは企業の本音かな?」

「ああ。お前もよく知っている企業の本音だ」

 如月は静かに小さく頷く。

「確かに私が長年共にしてきた組織の思想であり本音だ。しかしだな拓也、私にはお前の本音が隠れているようにも聞こえるのだよ。正確に言えばお前は企業の思想を利用し、お前自身の“願望”を水面下で実行しているように思えるよ」

「何が言いたい?」

「拓也。エリク事件の黒幕はお前だろう?」

 表情を変えずに二人は顔を向け続けた。

「仮に、だ」

 数秒か十数秒の沈黙を内藤が破る。

「私が黒幕だとしたらどうする?」

「どうすることもない。証拠もない状態で私達はなにもできない。だがな拓也、私にはわかるよ。昔からの古い付き合いで全て手に取るようにわかってしまう」

「ならば私の“願望”とやらを当ててみろ」

「“妻と娘のことはもう忘れろ”」

「“私はッ”!」

 内藤の本音が剥き出しになった瞬間だった。

 怒号に近い内藤の声が静寂な店内を掻き回し、店員と数名の客が二人に視線を送った。

「失敬」

 如月が簡単に謝罪し、内藤に顔を向ける。

 一瞬だけ取り乱した内藤は何度も両手を組み直し、落ち着いたのか肘をついて如月を睨み返した。

「私は……隆峰。自衛隊からの腐れ縁のお前だから話そう。京子とさやかを知っているお前だから話そう。私はこの国を許すことがなければ、進行不可区域に住む人間も許すこともない」

「あれは《7.12事件》によって生まれた最悪の出来事だった。だがもう忘れろ。二人は返ってこない。死んだんだ」

「《7.12事件》に対処できなかった国は二人をゴミ置場に追いやり、閉じ込められた挙げ句に京子とさやかはゴミ置場で無惨に死んだのだ」

「確かに痛ましいことだ。私も深い付き合いだ。京子さんは誰にでも優しく、さやかちゃんは無邪気だった。お前が愛していたのもよくわかる。

 だが駄目だ。私は許さない」

「お前が許そうが許すまいが関係ない。これは私の“願望”だ。私が願い、望むのだ」

「復讐のつもりか」

「ああ」

 一切退くことのない問答に答える内藤は冷静を装っているものの、仮面の下には煮えたぎる憎悪が渦巻いている。

 そして内藤が自分を責め続けていることも如月にはわかっていた。

「拓也。もう良いだろう? お前の咎はなにもない」

「私がついていながら二人はゴミ置場で死んだ。あの薄汚いッ、ソマリアのような無法地帯で死んだのだッ……!」

 感情を押し殺し、懐から取り出した財布から千円札をテーブルに置き、新聞を持って席を立った。

「進行不可区域に住む連中など登録されていない。人間ではないのだ。国のお荷物なら潰してもいいだろう」

「進行不可区域を攻撃し、壊滅させたとして、なんになる?」

「私の願望が果たされる。それに隆峰、対象者は知らんだろうがそれを監視するIMI生徒は既に耳にしている。邪魔をするなら対象者に知らせて容赦なく殺すぞ」

 そう言い残すと内藤は早い足取りで店を去った。

 残された如月は小さく溜め息を吐き、千円札を杖と共に握る。

「確かにあの二人には程遠い残酷な最後だ。京子さんとさやかちゃんは本当の被害者であり、お前もまた被害者だ。

 だがな拓也。私はそれでも許さんよ。古き友人として許さん。それはお前の仕事ではなく、私達の仕事だ」


――――――――――◇――――――――――


 どれほど引き金を引いたのだろう。

 どれほど標的を張り替えたのだろう。

 どれほどマガジンチェンジをして撃ち続けていたのか、ララ本人もわからなくなっていた。

 標的がボロボロになるまで撃ち続け、台に置いていたマガジンの束がなくなればまた台に置いて撃ち続ける。

 何百発撃っただろうかわからない。もしかすると千発を超えているのかもしれない。

 それほどララは硝煙が体にこびり付くほどに、足下に空薬莢が散らばっても気にすることがないほどに集中していたのだ。

 最後のマガジンを撃ち追え、目線と銃口は標的に向けたまま空マガジンを外して左側に寄せた後、右手でマガジンの束へと手を伸ばす。

「ララ」

 左肩に手を置かれて集中が途切れた。正気に戻ったような感覚を覚えていた。

 振り返るとイヤーマフとサングラスを外していた智和だった。

「早めに昼飯を済ませる為に切り上げよう。空薬莢と銃の掃除もある」

 智和が指差した時計の針は十一時二十七分。四時間目の授業終了は十二時半でまだ一時間あるが、片付けやクリーニングに必要な時間も考えたならば、早めの昼休みにはちょうど良い時間帯だ。

「そうね。そうしましょう」

「因みにお前が伸ばしてる場所にマガジンはないぞ」

「えっ?」

 言われて台を確認すると確かにマガジンの束は撃ちきっていたらしく、右手はある筈のないマガジンを求めて彷徨っていた。

「…………っ」

「大丈夫。集中の証だ」

「煩いわね! さっさと済ませるわよ!」

「恥ずかしがるなよ」

「恥ずかしがってない!」

 声を荒くして顔を背けるララの表情が一瞬だけ見え、林檎のように顔を真っ赤にしていた。

「相変わらず素直じゃないな」

 智和は小さく溜め息を漏らし、台に置いていた拳銃をそのままにしてとりあえず空薬莢の掃除を始めた。

 掃除と言っても、手で一つずつ拾い集める訳ではない。台の下に空薬莢を溜める“穴”のようなスペースがあり、受付の管理人や係の生徒が時間毎に回収して選別する。選別作業は中期生の仕事となっている為、足で空薬莢を落とすだけでいい。

「そうすればいいの?」

「ああ。回収して選別といった面倒な作業は全部中期生がするし、雑用も全部だ」

「そういうのは変わらないわね」

 小銃を後ろの席に置き、見様見真似ながらも器用に足で空薬莢を落としていく。

 二人は言葉を交わさずに黙々と空薬莢を蹴り続け、金属同士がぶつかりあう高い音だけが鳴り響いていた。

 空薬莢を片付けて今度は銃のクリーニングへと取り掛かる。

「道具もちゃんとあるな」

 掃除道具はマガジンが詰まった箱の中に入っていた。道具を取り出すと二人は隣同士で席に座り、銃を分解してクリーニングを始めた。

 二人の手際は実に素早く、手慣れている。

「手慣れてるな。本当に初めてか?」

「全ての銃器を扱えるように訓練はするでしょう? 使ってなくとも扱い方は心得てるわ。クリーニングの仕方も、分解も」

「そりゃまぁそうだな」

「さすがに重火器や乗り物までは扱い慣れてはいないけどそこまで必要ではなかったから。それに単独行動していたから、なるべく軽くしようと心掛けていたし」

「バイクなんか運転できないのか?」

「ええ。智和はできるの?」

「一応な。……よし、まずはこんなところか」

 一通りのクリーニング作業を終えた智和は拳銃を組み立て、ガンケースの中へと片付けた。

 ララもクリーニングを終えて問題なく片付ける。

「これ返して手を洗ったら、まず寮に行きましょう」

「何で寮に行く?」

「銃が剥き出しのまま食堂に行って、私と一緒にゲシュタポみたいと思われていいのかしら?」

「あ」

 先程の“借り”を返してやったララは得意気に笑顔を見せた。

 寮に戻って銃を置いてきた智和とララは、隣接している食堂で昼食をとることにした。

 まだ十二時過ぎなので生徒達はおらず、生徒寮の隣ということもあり教師達もいない。

 ちゃんと厨房には給仕係の人――生徒でも教師でもないがIMIの人間――が忙しくなる昼休みに向けて準備を進めているが、昼休みを迎えたのはまだ二人だけだった。

「誰もいないわね」

「だろうな。食堂はいくつかあるし、午前に任務で出てる奴は外食だ」

 雑談しながら食券機でメニューを選ぶ。

 IMI関係者は食事が無料である。食券を購入する必要がない代わり学生ならば学生証、教師ならば教員証を使用する。

 カードタイプの学生証・教員証には個人情報が記録されたICチップが組み込まれており、証明写真を機械の確認スペースにかざすと情報を読み取ると選んだ食券を出してくれる。各場所に設置されている飲み物なども同じ仕組みだ。

 自動販売機での買う際の携帯電話の財布機能、または煙草購入に必要なカードのような物だと言える。

 金銭がまったく必要ない代わりに学生証・教員証は個人情報の宝庫だ。情報漏洩や悪用の可能もある。更にはIMIでの活動全てにおいて必須とされている為、学生証・教員証の所持は義務付けている。

 入学したての中一期生はまず学生証を紛失しないよう耳にたこができるほど言われ、紛失してしまった際にはこっぴどく言い責められる。

 だがそれは管理ができていない証拠でもあり、情報が漏洩し悪用される事の重大さをわかっていないことにも繋がる。

 事実、IMIの生徒が学生証を街中で紛失すると拾った人間が情報を利用し、IMI経由で銃の密輸計画事件があった。

 IMIに紛失を報告して諜報科の生徒により発見したことで計画実行の前に阻止し、銃も発送されず犯人を拘束して警察に引き渡したことでことなきを得た。

 が、これはIMIの地位や誇りを落とす事件でもあり、教訓として厳しく指導をし始めた。

 厳しい指導の成果か、ここ数年間は学生証を紛失したということがない。

 手に入れた食券を給仕係に渡し、いつもより早い時間で作られた昼食を持ち、窓際の席で向かい合うように座って食べ始めた。

 因みに食事のメニューは種類が多く、単品や日替わりメニューもあるので大学の食堂と同じような感覚で食べられる。足りなければ給仕係に頼んで追加も可能で、時にはバイキングのような形で提供される。

「そういえば」

 食べ始めた時、智和が何かを思い出して話し掛けてきた。

「何かしら?」

 ララは聞き返してからスープを一口飲み、そのままスプーンでマッシュポテトを更に潰し始めた。

「エリク事件の生き残り二名はわかるだろ?」

「私が撃って重傷になった奴と顔面を叩き潰した奴のこと? ええ、覚えてる」

「顔面潰した奴もCIAに引き取られて刑務所送りだ。重傷の奴は情報提供ということで司法取引が成立して、今頃は本国に帰っただろうな」

「動けるようになったの?」

「一応な。空港まで衛生科の生徒が付き添いで送り、後はわからない」

「そう」

 素っ気なく返すと潰したポテトを口に運んだ。

 購入していたコーラを飲んでいた智和は少し意外に思っていた。

「お前は意外と気にするタイプかと長谷川が言っていたが、違うようだな」

「当たり前でしょう。任務でいちいちそんなことを気にしていたらキリがないし、私にしてみれば別にどうということでもないわ」

「かと言って倒れた奴に撃つ奴もいないだろうがな」

「関係ないわね」

 またも素っ気なく言ったララは潰しに潰したポテトを口に運ぶ。

 彼女は任務に対する姿勢が極端なのだろうと智和は思った。

 レオンハルトに対してもそうだったのだろうが、ドイツでも必要か不必要かその場で即座に判断していたのだろう。

 こんな国ならば人道無視などと批判されるかもしれない。だが実際、自分達の生死が問われる瞬間になれば必須となる。

 人道無視だろうが使えるものは存分に使い、使えなくなったら捨てる覚悟も必要だ。

 たまに暴走するがララにはそれが備わっている。しかも自覚していないところを見れば、一種の才能だとも思えたほどだ。

「話は変わるが、ララはドイツのどこに住んでるんだ?」

「ベルリン。ドイツIMIとは比較的近い距離だったから、定期的に家族とは顔を会わせていたわ。父さんはKSKの仕事で家を空けることが多いし、母さんも働いていたから妹と弟の世話ってところね。

 まぁ、兄さんはまったく会わないし私も毎日家に行ける訳ないから、妹達は自分達で世話できるようになった」

「今はどうなんだ?」

「まだベルリンの病院に入院してる。どうしても三ヶ月はかかるから妹達は親戚に預けて、そこから学校に通ってる」

「レオンハルトとの連絡は?」

「連絡はできるわ。どこで何をしてるのか予想できないけど」

「諜報活動真っ最中か。恐ろしいな」

「諜報員はこれっきりにしたいわね」

「正論だな」

「で、私の家族のことを聞いたのだから、智和の家族のことも聞かせてもらえないかしら? デルタフォースにいるっていうお父さんについても興味あるわね」

「それを教えたのは長谷川だな?」

 小さく舌打ちしてコーラを飲む智和に対し、少し意地悪い笑みをしていたララはわざと智和に見せていた。

「さぞかし自分より面白い話をしてくれるのだろう」という期待を押しつけている。楽しんでいるのは明らかだ。

「……まぁ生まれはノースカロライナ州のフォートブラッグにある陸軍基地の近くだ。NBAのボブキャッツやNFLのバンサーズに、NHLのハリケーンズなんかの試合を友達とその父親とでよく見に行っていた」

「アメリカIMIにはいつ所属を? どこの地区に?」

「ジョージア地区だ。あそこはガキでも受け入れてたから……八歳だな」

「八歳? また随分と早いわね。私は小学校卒業してドイツIMIへ所属したから十三歳よ」

「手当たり次第に許可してたんだ。それに座学ばっかでつまんねぇよ。本当は犯罪率の高い地区にしようと考えた。実戦には最適だと思ったんだ」

「智和の考えが最低と思えるわよ」

 当たり前だがアメリカは“広い”。一つのIMIを創設したところでアメリカ全土で機能できることがない為、主要都市や犯罪率の高い各都市にIMIを幾つか設立した。

 智和が所属したアメリカIMIジョージア地区は、陸軍歩兵連隊第75レンジャー連隊の本部が置いてあり、運が良ければ基地へと行って訓練することができる。

 残念ながら智和は行く機会はなかったものの、ジョージア地区のIMIは他地区より本格的な戦闘訓練に力を入れていた。智和が所属した最大の理由である。

「父さん母さんに姉一人、祖父母もいる。父さんはほとんどフォートブラッグの基地にいた。……いや、アメリカにいたかすらわからないな。でもまぁ、軍での仕事をしているのが誇りだと知ってたからまったく気にしなかったが」

「どんな人?」

「寡黙だ。常に冷静に周囲を見てる。父さんの知り合いも『監視カメラみたいな男』と言っていたし、親戚もそんな感じに言っている」

「……酷いこと言うけど、よく監視カメラみたいな男が父親になれたわね。それ以前によく結婚できたわね」

「二人以外は全員そう思ってる。なのに二人は『そう?』って聞き返す。母さんはよく十八歳で結婚したとつくづく思うし、父さんは十九歳だ。明らかにヤッてるだろうが」

「それがお姉さん?」

「ああ。今年で二十歳だ。頭が良くてハーバードにも行けたらしいが、姉さんはスタンフォード大学の工学部に入学した」

「何でスタンフォード大学に?」

「スティーブ・ジョブスのファンだということと、IT業界なんかに興味を持ってたからだとさ。だからサンノゼに引っ越したらしい。よく行ったよ」

「へぇ」

 智和のプライベートを聞き、なんだかとても新鮮に思えて楽しかった。

 スポーツ会場に足を運んだことや家族のことなど、“戦い以外の智和”の内面を垣間見たような充実感が満ちて、自然と笑顔になっている自分に気付いていた。

「楽しそうだな」

「ええ、楽しいわ」

「そりゃ良かった」

 和やかな雰囲気の中で二人は少し笑い、手を休めることなく昼食を続ける。

「……なぁ」

「なに?」

 ある程度のところで智和が手を止めて話し掛けてきたのでララも手を止めた。

「突然だがドイツの国民性について聞いていいか?」

「……はい? まぁ、いいけれども……」

 先程とはかなり関係のない話題を出されて呆気にとられたララだが、聞かれて困るようなことでもなさそうだった。

「突然どうしたの?」

「いや、まぁどうでもいいんだが……」

 智和は少し口籠もらせながら、何故か困ったような表情をしていた。

「何よ?」

「本当にどうでもいいだがな……ララ、ジャガイモ潰し過ぎじゃないか?」

 ララが食べているメニューでマッシュポテトがあるのだが、話している最中にスプーンで潰していることが気になっていた。

「これ?」

 本人は気にすることなくスプーンで潰し続けるマッシュポテトを指差す。

「他は知らないけど……普通しないの?」

「いやいやいや。マッシュポテトはもう潰さないだろさすがに。お前のはもう何かの生地だ。途中から潰すのに飽きてスプーンで押しつけてたろ?」

「失礼ね。飽きてなんかいないわよ。食べやすいように形を整えて練っていたの」

「生地じゃねぇか」

「本当にしないの?」

「やらねぇよ」

「そう……?」

 残念に溜め息を漏らしたララは潰しまくったポテトを食べ、残ったスープを飲み始める。

「あと気になることがある」

「どんなの?」

「少し下品な質問」

「問題ないわよ。虫みたいな汚いものでもなんとも思わない」

「じゃあ聞くが、ドイツ人は親から子にコンドーム渡すことって実際あるのか?」

「ぶっ!?」

「おい!」

 スプーンでスープを口に運んだ時に質問され、内容を聞いて驚いて詰まりそうになってしまった。

「げほっ、げほっ……!」

 吹き出しかけたが容器に顔を近づかせていたことが幸いしたが、むせてテーブルの隅に置いてあったちり紙を数枚とって口元を隠した。

「智和っ、貴方ちょっと……下品って下ネタのこと!?」

「下品な部類だろ?」

「『だろ?』じゃないわよ! 冷静に言うのがムカつくわね!」

 平然と言われて腹立たしく思いながら、新しいちり紙で口の周りを拭いていく。

「今聞かなくてもいいでしょ!? もっとこう……夜とか別の機会に聞きなさいよ!」

「どうでもいいことだから聞いたんだろうが。で、実際そういうことはあるのか?」

「何言ってるの。そんなのある訳――」

 呆れながら拭き終えたちり紙を丸めた時、何故かララの動きが止まってしまった。

 何かを考えているらしいがまったくわからず、智和は声をかけようにもかけれない。

「――――あっ」

 ララは思い出してぼんやりと声を出し。

「――――っ!」

 何故か急に顔を真っ赤にして智和から顔を背けた。

「…………は?」

 いったい何がなんだかよくわからない智和も声を出し、理解できない状況を冷静に考える為にとりあえずコーラを飲んでみた。

 まずララは何かを思い出したのだろう。それはわかる。

 ということは思い出した内容が顔を背けたくなるものだったということだ。

「…………あ。あー、ああ」

 どんな話をしてきたのか思い出せば、ある程度の予想は簡単についた。

「ララ、お前まさか」

「そ、それ以上先を言ったらスプーンで目玉を刳り貫いて食べさせられるかっ、フォークで耳の穴から脳ミソまで突き刺すわよ……っ!」

「極端過ぎるなおい!」

「煩いわねっ! ええそうよ、私は母さんから貰ったわよ! 貰ったものは仕方ないでしょうっ!」

 どうやら智和の予想は的中したらしく、どうでもいい質問もララは該当したらしい。

「……まぁ家族の前でもイチャつくからわかるが、何でお前貰ったんだよ?」

「コーラ貰うわ」

「おい」

 まだ赤い表情のまま水を一気飲みし、飲み物がなくなって智和のコーラを奪って飲んだ。

「……このぐらいの年になると性に関することをオープンに話す家族は珍しくないわ。それに家族がいても気にしないし、普通に泊まらせることもある。だから性行為もするんでしょうね」

「スゲェなドイツ人」

「子供が出来ることの苦労とか後悔をしない為に避妊具を常備したり、ピル服用なんかは恋人同士で聞きに行くのもよく見る。ドイツIMIにもいたわよ。

 母さんも出来て結婚したから苦労したし、なにより私は話す機会が少なかった」

 それでも智和は怪訝な表情になりながら奪われたコーラを奪い返した。

「……だとしても、言っちゃ悪いがそれだけ没頭してたらお前の周辺に男なんて近寄らないだろ」

 するとララは俯き、遊ばさせる指先をずっと見ながら呟いた。

「……貴方のこと、話した」

「あ?」

「出発する前に母さんに色々話した……。日本に行く理由を貴方に誘われたからって言ったら……その…………渡された、の……」

「…………」

 予想以上に気まずくなって何を言えばいいのか智和にもわからなくなってしまった。

「……因みに、日本製の」

「日本製はやっぱりいいんだな。そっち方面でも」

 何故日本製のコンドームを所持していたのかわからないが、ドイツ人の性に関する注意は深いということで自己完結したかった。

「二人で仲良く食事か」

 今までの話は一先ず終了し、二人は話し掛けてきた生徒に顔を向けた。

 背の高い女子生徒だった。ララよりも高く、もしかすれば智和と同じくらいかもしれない。肩に触れる長さの金髪と切れ目が印象的だ。

 ララは初めて見たが、どこかで聞いた声だった。

「授業を抜け出してきたのか?」

「一時間目だけ受けて任務をしていた。なに、物を運ぶだけの楽な任務さ」

 女子生徒は腰に手を置いてララに顔を向ける。

「久しぶりだなララ・ローゼンハイン。エリク事件で一緒の部隊だった波川千里なみかわちさとだ。覚えているか?」

「……あ。智和と話していた女性?」

「そうだ」

 ララは求められた握手に応じる。

「あの時は制服じゃなく戦闘服だったしバラクラバで顔を覆っていたからわからなかったけど、中身はこんなに美人だったなんて」

「そんな誉め言葉は要らない。言い寄ってくる見ず知らずの男を叩きのめすのが好きなんだからな」

 鼻で笑った千里は椅子を引っ張ってきて二人と向かい合うように座った。

「お前達は何をしていたんだ?」

「注文した銃の射撃訓練」

「朝から?」

「ああ」

「ふぅん」

「昼食は?」

「手っ取り早く済ませたよ。……そうだ」

「どうした?」

 二人は昼食を済ませて片付けようとした時、千里は何かを思い出したらしく智和は手を止めた。

「二人共、午後は暇か?」

「俺は暇だ。ララは?」

「そうね……」

 午後も射撃訓練しようかと考えてみたが、午前中にあれほど撃ったことで感覚も掴んでいた。

「私も暇よ」

「だ、そうだ」

「ちょうど良かった。ララは智和の部隊に入るのだろう? ということは特殊作戦部隊の一員とも言うわけだ」

「……まぁ、そうなるのかしら」

 何が言いたいのかよくわからない表情のララに、千里は笑顔を見せながら続ける。

「入隊歓迎、とまではいかないんだが部隊の顔合わせみたいな感じで午後に付き合わないか? ついでに瑠奈も誘って欲しい」

「何に付き合えば?」

「野球」

「は?」

 ララの表情は疑問に溢れ、千里は得意気に説明を始める。智和は呆れながらも説明に耳を傾けていた。


――――――――――◇――――――――――


 ビジネスホテルが立ち並ぶ区域にて、格安で提供されている部屋でセナは息を潜めていた。

「ラーララーラー……ラララー……」

 ――潜むには潜んでいるが大人しくしている訳ではなく、ベッドに大の字で寝転がりながら鼻歌を歌っていた。

 こんな少女が安っぽいビジネスホテルで何日も泊まっていることを、ホテルで働く人間は少しばかり疑問に思うが、それ相応の金額は貰っている為に沈黙を続けている。

「ラララー……ラ、ララ、ララ……ラ、ラ……」

 壊れたオルゴールのように途切れながら、天井をぼんやりと眺めるセナの目は虚ろだった。

 理由は簡単。楽しくない。

 つまり、ただ暇なだけだ。

「…………殺したいなぁ」

 自慰をしても良かったが気が乗らなく、興奮もまったく沸いてこない。胸を揉んでも、乳首を弄ったり陰部に触れても性欲が高まらない。

 そもそもセナの興奮・性欲が満ち溢れてくるきっかけが“殺しの過程”である。興奮・性欲だけでなく、セナの行動意欲を掻き立てる役割も担っていた“それ”を失い、彼女は魂が抜けた人形のように脱力しきっていた。

 とはいえ、セナは最初から“殺しの過程”をしなければいけないということはなかった。本人が自覚しているかどうか、定かではないが――

「ああもうッ! 嫌ッ! 暇過ぎるッ!」

 感情が露わになって叫んだセナはベッドから飛び上がるように体を起こした。

 この時点でセナは自分自身を制御できていない。子供のように感情の制御ができていない。

「殺したい。殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したいコロシタイ殺したい殺したいコロシタイコロシタイコロシタイ殺したいコロシたイ殺したい殺したいコロシタイコロシタイ殺したいコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイコロシタイ……!」

 本能のままに求めながら呟き続けるセナは、部屋の片隅に置いてある一際大きい黒のキャリーケース二つを床に置いて開く。

 中には分解された銃と弾薬、光学機器などが収納されていた。片方のキャリーケースにはソードオフ――銃身と銃床を切り詰めたもの――されたモスバーグM500ショットガンなどもある。

「……ふふんっ」

 にやりと片方の口端を吊り上げたセナは、今度は陽気に鼻歌を歌いながら銃を組み立てていく。

 部屋の中は少女の無邪気な鼻歌と、部品が組み合わさっていく音で満ちていた。


――――――――――◇――――――――――


 午後の授業開始チャイムがIMI全体に鳴り響く。

 午後は各個人や各部隊の任務、また呼び出しや各科の必修軍事授業などに費やされている。チャイムは午後開始しか鳴らず、休憩や終了などは生徒や教師が自由にしているのだ。

 ということは、充分な単位を持って任務などの予定がなく、教師や部隊の呼び出しがない生徒にとって午後は正に自由時間となる。

 そんな暇を持て余す集団がO区の隅に設けられた野球グラウンドに集まっていた。

「ララちゃんいくよ~!」

「……私、何してるんだろ」

 自分にも周囲にも呆れながら、二十メートルほど離れた瑠奈が投げた野球ボールを見据える。

 手加減して投げているのは明らかで、山なりの軌道を描くボールを難なくグラブで捕った。

「ララちゃん上手だね~。本当に初めて~?」

「これぐらい捕れるのは当たり前だと思うわよ。もっと本気で投げて、いいっ!」

「っと……!」

 下がって距離を広げ、ララが本気で投げたボールを瑠奈は難なく捕る。乾いた音が響く。

「そう~? じゃあ手加減しないでいっくよ~!」

 そう言うと瑠奈は構えを直し、肩で投げる女子特有の投げ方ではなく、体全体を大きく使う構え方でボールを投げた。

「っと!」

 男子にも引けを取らない勢いのボールだが、ララは難なく捕ることができた。そして彼女も、手加減などせず瑠奈のように大きなフォームで投げ返した。

 可憐と言っていいのか少し疑問だが、そんな少女二人による本気のキャッチボールを、智和は離れた位置で眺めていた。

「なんだかんだ言ってもできるってスゲェな」

「そつなくこなせるがララ・ローゼンハインなんだろうな。羨ましいよ」

 智和の隣で片手で金属バットを担いで眺めていた千里が言う。千里の隣にはもう一人の女子生徒がいた。

「おい千里!」

 反対側のベンチにいた男子生徒が叫ぶ。

「人数も揃ったから始めるぞ。いいか?」

「ああ、いいぞ」

「というかそっちに女子固まり過ぎだろ。一人ぐらい女子成分くれよ。瑠奈とか希美のぞみとか、なんならローゼンハインでもいい」

「私の名前が何故ない?」

「お前に女子成分なんてないだろうが」

「いい度胸だ。バットで殴り殺してやる!」

「せめて試合で白黒つけろ! とにかく始めるぞ。というか後攻なのにバットを持つな、マジで怖ぇから!」

 対戦相手は男子しかいないことに不服らしいが、千里の純粋な暴力表現に手を引くことしかない。しかもよく見れば強希の姿もあった。

 だが智和はそれ以前に問題があるとしていた。

「人数足りてないだろ。俺とお前と白井さんに、瑠奈とララの五人しかいない」

 当たり前だが野球には九人必要だ。あと四人足りない。

「私は一応先輩だと言いたいが……そこは安心しろ。ちょうど今来た」

 千里が指差した方向に目をやると四人がこちらに向かって歩いてくる。

 男子一人に女子三人。男子は両手に何かが入っているビニール袋を持っている。智和は四人全員を知っていた。

「千夏に彩夏さんに久瀬さんと……夏樹じゃないか」

 ベンチに来たララが四人に気付いて智和に尋ねる。

「誰?」

「安心しろ、知り合いだ。よく知ってる」

 四人のうち一人はララも見たことのある阿部千夏だとわかる。あと三人はわからなかった。

「やぁ智和」

「久しぶり智和君」

「久しぶりです彩夏さんに久瀬さん。相変わらず仲が良さそうで」

 ショートカットで柔らかい笑顔を送る佐々木彩夏あやかと、細身で落ち着いた佇まいの久瀬大輔の二人に挨拶をした。

「貴方がララ・ローゼンハイン?」

 彩夏がララに気付く。

「佐々木彩夏。諜報科の三年よ」

「久瀬大輔だ。憲兵科の三年」

「憲兵科……ねぇ」

 大輔が所属する科を聞いて、ララは自然と表情を強ばらせた。

 憲兵科は他の科とは違い生徒の数は極端に少なく、IMI内で活動する。そして“嫌われることが多い”科だ。

 憲兵科が担う役割はIMI内の統制ならびに秩序保持。

 IMIの学生が任務または生活内で起こした事故・事件を調査する《生徒会》が存在する。生徒会は各科の生徒が所属しているものの、圧倒的に憲兵科が多い。

 それだけなら嫌われないのだが執拗に調査していくのが憲兵科の性分らしく、調査された生徒達は同じように苛立ちを抑えきれなくなる。強希は何回調査されたか考えただけで頭が痛くなるらしい。

 ララが警戒するのも同じ理由だ。憲兵科などに目をつけられたくないのだ。

 ドイツIMIにいた頃は思い出したくないもない。ララのやり方が何度も調査対象になったのだから。

「大丈夫だ、ララ」

 察してか智和が言う。

「久瀬さんは他の奴とは違って仲が良い。こんなお人好し、憲兵科じゃなかなかいない」

「どうだか……」

 納得しないところを見ると、どうやらドイツIMIで散々なことをされたらしい。

「まぁ気長に慣れろ。こっちは千夏。わかるだろ?」

「ええ」

「よろしくね」

「で……こっちも憲兵科の」

「山本夏樹です。同じ一年。はじめまして」

 ロングの黒髪が印象的な女子生徒はララに握手を求めるが、どうも憲兵科を相手にすると嫌々になってしまう。

「…………よろしく」

 求められたものは仕方ない為、適当に挨拶をして握手した。

「全員揃ったな」

 千里が全員を見回す。

「そうだな……。私がピッチャーで希美がキャッチャー、ファーストは彩夏、セカンド大輔、ショート智和でサードは……ララにしよう。レフト瑠奈にセンター千夏にライト夏樹だな。

 よし、行こうか」

「……何でそんなに張り切ってるのかがわからない」

 千里の張り切り様に少し疑問を抱く智和だが、自分とは無関係なので気にせず上着を脱いだ。

「お前も物好きだな」

「私はほとんど巻き込まれたような感じだけども?」

 脱いだ上着を丁寧に折り畳んでベンチに置いたララは、溜め息混じりに守備位置へとつく。智和は隣のショートについた。

「いつもこんなことしてるの?」

「暇な時は、な。特殊作戦部隊の奴らは単位をほとんど取ってるし、それにやる時はちゃんとやる」

「でしょうね」

 全員が守備につき、相手チームの一番打者がバッターボックスに立った。

 強希だった。

「何だよ、このメンバー。女子ばっかりだな。羨まし過ぎるぞ。智和、俺とトレードしねぇか?」

「もう始まってるぞ」

「チッ。ハーレムめ」

 智和に明確な敵意を示してバットを構える。

「強希、ライトとセカンドは狙うなよー。生徒会が追い掛け回してくるぞー!」

「追い掛け回されるのは慣れてンだよクソがッ!」

「違いねぇ!」

「彩夏もやめとけ。諜報保安部と大輔に殺される」

「引っ張れよ! どうせサードはド素人だ!」

「なんなら智和狙え。あのハーレム野郎に当ててやれ!」

「……酷い言われようだな、おい」

「私は今凄くあの連中を殺したくなったわ。クレイモアとかC4なんかその辺にないかしら?」

「手軽にあってたまるか。どうせだったら来たボールをファーストに投げ付けろ」

 ララの機嫌を気にすることもなく静かに試合が始まった。

「初球から内側高めとかやめろよ」

「それは先輩に言ってもらわないと」

 強希と希美が少し雑談していると千里は左足を少し引いて腕を大きく振りかぶり、体を右側へ向けると左膝を曲げて腰の位置まで上げる。両手も膝まで下げた。

 そして左足は前へ大きく踏み込み、後ろへと回していた右腕が前へ伸ばされるように回され、ボールが希美のグローブ目がけて勢い良く放たれる。

「あ」

 男子にも勝るスピードとキレのあるストレートは、希美が構えていた外側のコースではなく、強希が危惧していた内側高めより更に内側。バッターに直撃しそうな危険なボール球だった。

「ギャハハハハハハッ!」

「ダセェ! 初球にビビってやんの!」

 後ろに反る形でボールを避けた強希は思わず声をあげてよろめき、男子チーム側は爆笑の嵐に包まれていた。

 千里チームの面々も苦笑を浮かべているが、やられた本人にとってはたまったものではない。

「テメェざけンなよコラァ! 先輩だからっていきなり危険球見舞わすなんて退場もンだぞ!」

「先輩に対しての口答えとは思えないが、今のは素直に謝ろう。手が滑った」

「ンな理由つけて俺への恨みを晴らすつもりじゃないだろうな?」

「晴らしていいのか?」

「死ね。テメェマジで死ね。ピッチャー返ししてやる」

 両者は改めて構え直し、千里は同じように投げる。

「オラァ絶好球ッ!」

 投げたストレートは真ん中高めの甘いコース。強希は力任せにバットを振ると、金属バット特有の甲高い音が鳴り響いた。

 打った本人は見事なピッチャー返しをお見舞いしたつもりだが、しかしボールは千里ではなく三塁線ギリギリのゴロだった。

「クソ重てぇ!」

「うわっ、マジでダセェ!」

 力負けしたことを嘲笑する男子チームだが、強希は気にせず一塁へ走る。

「…………ねぇ智和」

「何だよ、さっさと投げろ」

 ボールを取ったララは少し考えると大きく振りかぶった。

「初回だから少し“遊んで”もいいわよね?」

「あ? 何言って――」

「ふんっ!」

 智和が答えることなく、ララは全力でボールを投げた。

 ボールが向かった先はファーストで構える彩夏のグローブ――ではない。

 ベンチで笑い続けていた男子チームへと投げられたのだ。

「だあっ!?」

 間一髪のところで気付いた男子はなんとか躱し、ボールはベンチの後ろの金網ネットに食い込むようにして止まり、ぽとりと落ちて少し転がった。

 その場にいた者全員が目を丸くし、ボールからララへと目線を移す。

「次は鉛玉飛ばすから」

 この時のララほど、腰に手を置いて無表情でグローブを突き付ける勇敢で恐ろしい姿はなかった。

 表情は笑っているが目は据わり、少しでも罵声すれば銃を出しそうなほどである。

「……千里第二号だな」

 呟いた強希は何をされるか考えたくもなかった為、大人しく一塁に留まり続けていた。

「ララ!」

 千里が笑顔で叫ぶ。

「狙うなら頭じゃなく胴体を狙え!」

「助長するなよ!」

「マジで怖ぇよあのチーム! チョッキ持ってこようぜ!」

「……誰もエラーには触れないんだな」

 ぼそりと呟いた智和は一度ベンチに行き、予備のボールを千里へと投げた。

 とりあえず一段落し、ララの送球エラーとして処理した。

「うぉい、マジで怖ぇよ」

 一塁に強希を置いた状態で二番の男子がバッターボックスへと入る。

 千里は一塁に“睨み”で牽制し、バッターと向き合ってストレートを投げ込む。

 これも内側より少し真ん中コースに入ってしまい、バッターは容赦なくフルスイングした。

「いっ……てぇなぁクソが!」

 が、千里が投げたボールは予想以上に重たく、そのおかげで金属バットの芯で捕えたにも関わらず、ショートへのゴロとなってしまった。

 しかしスピードのないぼてぼてのゴロは、運良ければ内野安打となる微妙なものでもあった。強希と男子は全力で駆けていく。

「智和!」

「わかってる! 久瀬さん!」

 前へと出た智和はボールを拾うと体の向きは変えないまま、グローブで捕ったボールをそのまま二塁へと入る大輔へ投げた。

「了解、っと!」

「やらせるかゴラァ!」

 既に二塁へと入られてしまい1アウトとなってしまったが、せめて送球させまいと制服にも関わらず派手にスライディングした。

「危ないなぁ!」

 だが大輔はジャンプして華麗に躱すと空中で一塁へと送球。ボールが彩夏のグローブに収まり、男子の全力疾走は無駄になった。

 見事な6・4・3のダブルプレーで一気に2アウトとさせた。

「あークソ! 堅い守備だな相変わらず」

 見事に詰まらされた男子は肩を落とし、スライディングした強希は土を払いながらベンチへと下がる。

「よーし。いいぞ智和」

「褒めるより先にマシなコースへと投げてくれ」

 前へと倒れるように守備をした為に智和はその場で膝をついていた。

 投げるだけで一苦労な守備をさせる千里に軽い文句を言い、元の守備位置へと戻る。

「お疲れ様」

 ララが他人事のようにねぎらいの言葉を言った。

「素直に一塁へ投げてたらもっと楽なんだがな」

「2アウトにしたんだから結果オーライでしょう?」

「そう言われると何も言えねぇよ」

 呆れ顔のままバッターに目を向ける。

「ハッハー! あの時の肉盾にされそうになった仕返ししてやらぁ!」

 エリク事件の銃撃戦にて、盾にされそうになった男子が打席へと入る。

「……ふぅん」

 何故かいやらしい笑みを浮かべた千里はボールを投げる。

「……ああっ!?」

 男子がバットを振るう瞬間にボールが少しだけ沈んで芯を外し、少し手前に転がって勢いが殺された。希美が拾って一塁へと投げるが、もはや男子は走ることもしなかった。これで3アウトとなって攻守チェンジである。

「沈んだのかしら?」

「沈んだな。さっさとそれ投げとけばいいものを……」

 要らぬ苦労に智和は溜め息を漏らしながらベンチに戻る。

「一番誰だ?」

「瑠奈でいいだろ。かまわないよな?」

「大丈夫で~す」

 レフトから駆け足でベンチに戻った瑠奈は、グローブからバットに持ち変えて打席へと向かう。

「その次はララだな」

「初心者なんだから最後が良いと思うわよ?」

「空振りでも見逃しでもかまわん。それに」

 千里の言葉を掻き消す金属音が鳴り響いて生徒達が一気に沸く。

 沸かせたのは瑠奈だった。

 ボールを迷いなく振り抜いたバットの芯で捉え、ショートの頭上を超えて外野へと落ちる。

「瑠奈って速いわね」

 ララは瑠奈が初球でヒットにさせたことではなく、予想以上の脚力を持っていることに驚いた。

 日常や語尾が伸びているからのんびりしていそうという勝手なイメージだったが、エリク事件にて素早い行動をしていたことを思い出せば当然のようにも思えた。

「初球打たれてんじゃねぇよ!」

 センターの男子が捕球して二塁へと投げる。

 しかし深く守り過ぎていたことと予想以上の脚力によって、瑠奈は悠々と二塁に到達していた。

「もう出番だ」

「……わかったわ。期待しないでよね」

 少し呆れながら差し出されたバットを受け取り、地面に引き摺らせながら打席へと入った。

「ララちゃん頑張れ~!」

「……やっぱり呑気よね」

 大きく手を振って声援を送る瑠奈にまた溜め息を漏らし、とりあえずバットを構える。

「また初球打たれンなよー」

「黙ってろ強希! 打たれてたまるかっつーの!」

 サードの強希に茶々を入れられたピッチャーの男子は怒鳴り、少し力みながらボールを投げた。

 浮き気味のストレートだったがララは振らず、キャッチャーのグローブに収まる。

「入ってるからな」

「わかってるわ」

「あっそ」

 素っ気ない返事をしてピッチャーにボールを返す。

「振らなきゃ当たらねぇぞ!」

 外野からわざとらしい挑発が飛ばされるが、ララはじっとピッチャーを見て投げるのを待っている。

「振らなきゃ当たらないのは、当たり前よね」

「あ?」

 何を呟いたのかよく聞こえなかった男子は聞き返すが、既にピッチャーは投げる構えになっていたので特に気にせずグローブを構える。

「空振りでもいいのなら……!」

 バットを長く持って足を大きく開き、ピッチャーが投げたストレートにタイミングを合わせて振った。

「力任せでも良いのよ……ねぇっ!?」

 カキンと。

 力任せに振ったバットはボールを捉え、ララが振り抜くとボールは高く飛んでいった。

「ん?」

「お?」

 ベンチで飲み物を飲んでいた智和や千里は間抜けな声を出し、全員がボールの行き先に釘付けとされていた。

 ボールはレフトより高く飛んで特大の当たりを見せたが、線を越えてしまい残念ながらファウルとなってしまう。

「……危ねぇ」

 キャッチャーは後ろに置いていた予備のボールをピッチャーに投げる。冷静に振る舞っているがあんな特大ファウルを見せられて内心焦っており、冷や汗をかいていた。

「…………うん。なんか良い感覚」

 対してララは感覚を掴んだらしく、足を広くする構えで迎え撃つ。

 構えを見たキャッチャーは外側にグローブを構えた。大振りの初心者なら見送って見逃し三振か、遠めのボールに手を出して詰まると予想したのだ。ピッチャーは気が乗らないのか表情を曇らせるが、あの特大ファウルの後では警戒するのも無理はない。

 仕方なく外側を狙って投げた。ボールになってもいいような際どいストレートを。

 が。

「ふんっ!」

「なっ……!?」

 予想通り踏み込んでフルスイングしてきたが、それすらも芯に当てられてしまい、線ギリギリにライト方向へ流し打ちされてしまった。ファーストが飛び付くが間を抜ける。それでもまた線を越えてファウルになり、危うく先制点を奪われるところだった。

「……ちょっとまずくねぇかオイ」

 強希だけでなく、男子チーム全員がひしひしと危機感を感じていた。

 だが追い込んでいるのだ。キャッチャーは内側高めボールコースに構えた。しかしララは振らなかった。ボール球には手を出さない。

「……チッ」

 小さく舌打ちしたキャッチャーは低めに構え、変化球であるカーブをサイン要求する。

 こんな素人に変化球を使うなど手加減なしの卑怯極まりないことだが、どういう訳かフルスイングで芯に当ててくるのだから仕様がない。ボール球には手を出さないとなれば、奥の手である変化球しかなかった。

 なのにまた“カキン”と小さく響く。

「またかよクソ……」

 キャッチャーはファウルになって足下に転がるボールを拾い、苛立ち混じりにピッチャーへと投げた。

 変化球でタイミングを外した筈なのに、ララは無理矢理合わせてくる。タイミングを狂わせて振らせたはいいが三振にはならず、挙げ句の果てにボール球を当ててくるなんて初心者がするできることではない。

「やりづらいったらありゃしねぇなクソ……」

 キャッチャーの小言が耳に入らないほど、今のララは集中してボールだけを見つめていた。

「…………あ。そうだ、ララ。ララ!」

「何よっ」

 強希が話し掛けてきたのでララは返し、投げられた変化球をまたファウルにした。

「今集中してるんだから邪魔しないでくれる? 結構手一杯なの……よっ!」

「……へぇ」

 野球“ごとき”の遊びでララが集中するとは思っていなかった智和は目を丸くした。

 今思えば守備もそうだ。顔を合わせたばかりの男子チームに言われたらやり返すなど、一つ間違えば反感される為に中々できることではない。

「何だかんだ言って楽しそうだな」

 素直なララの後ろ姿を眺め、これほど嬉しいと思うことはない。

 日本IMIに来てからララは遠慮がちだった。エリク事件で迷惑をかけてしまったのだから仕方ないと言えば仕方ないが、教師にも生徒にも、ましてや同じ仲間の智和や瑠奈にも遠慮しているように見えた。

 だが今のララはどうだろうか。

 暇を持て余す遊びではあるが、ララはあんなにも懸命にボールを狙っている。遠慮もなく、本気で。

 遠慮など要らない。“ここ”はそんな場所だ。だからララも遠慮などすることはない。素直になればいい。

 少しだけかもしれないが、こんな遊びで熱くなるほど素直になっている。智和にとって嬉しい以外になにもなかった。

 果たして素直になったララがどれほど美しいものかと考えてみたくなったことを、智和はそっと胸に閉まっておくことにした。

「いやちょっと思い出してよ」

「……なに?」

 話を止めない強希に少しうんざりしながらも、耳を傾けながらバットを構える。

 本当ならタイムをとってから聞けばいいのだがそれほど野球に詳しくないララにとって、タイムがあることを知っているかは聞くまでもない。同時にピッチャーが構え、今度こそ前に飛ばすと奮起する。

「車の中で瑠奈に色々とされてた動画なンだが、売っていいか?」

「はぁっ!?」

 力が抜けて変化球を空振り。男子チームは勝利したかと思うほど歓喜していた。

「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!」

 空振りしたのは言い訳できないし認める他ない。

 だが強希の発言は到底見逃せるものではなかった。

「あの時!? 準進行不可区域の途中まで送った時のっ!?」

「ああ。売ってい――」

「いつの間に撮ってたのよ!? というか売るって何よ!?」

「どっちが受けなんだよ強希ー!?」

「アンタは黙ってなさい! 鉛玉ぶち込むわよっ!」

「怖ぇ!」

 もはや野次を飛ばせば確実に殺されるであろう。そんなララにも怯むことなく――ただ気付いていないかもしれないが――、強希は事のいきさつを説明する。

「いや、俺は運転中だしビデオカメラとかねぇからよ。智和に頼んでケータイで動画撮ってmicroSDに保存してもらった」

「はぁ!? 智和どういうことよ!?」

「……あ?」

 急に話を振られてしまった智和はすぐに言葉を出せず、重めのバットを振って動きが止まっていた。

「いや、俺が撮れって頼んでねぇよ。強希が撮ってくれって言ったから撮っただけだ」

「貴方ねぇ……!」

 他人事のように済ませる智和に拳が震える。

「…………待て、ララ」

 さすがの智和も身の危険を感じた。

「microSDに保存したならそれ貰っとけ。解決する」

「…………はぁ」

 正論を言われてはなにも言えなくなってしまい、深い溜め息を吐くしかできなかった。

 ララは強希に歩み寄り、右の掌を上に向けて差し出す。

「microSD」

「あぁ?」

「渡しとけ強希。後で面倒だぞ」

「……へいへい」

 渋々とズボンのポケットから携帯電話を出して、microSDを取るとララに渡した。というか携帯電話を入れたまま派手にスライディングしたらしい。

「ふんっ!」

 microSDを受け取るとポケットに入れる訳でなく、地面に叩きつけて粉々に踏み潰し始めた。

「テメェ何しやがる!?」

「処分」

 ララが履いている靴はコンバットブーツである。踵で何度も踏み潰してしまえば、跡形もなく潰れしまって欠片だけとなってしまった。目の前で容赦なく踏み潰されるのを見せられると、例え自分で渡したと言えども叫びたくなる。

「もう……!」

 最後に持っていたバットで欠片も残すことなく磨り潰し、瑠奈にこねくり回されたあの時を思い出して頬を赤らめながらベンチに下がる。

「さて……瑠奈を返すか」

 そして三番バッターの智和がララと入れ替わるように打席へと入り、瑠奈をホームに返すべくバットを構えた。

「散々だな」

「どっちの意味かしら?」

 三振か動画どちらかのことを千里は聞いているのだが、顔があからさまににやけているのでおそらく後者だろう。

「はい」

「……ありがとう」

 ベンチに腰を下ろして夏樹から渡されたポカリスエットを飲んで一息つく。

「にしても、智和も楽しそうだな」

「それって私のことを言ってる?」

「他に誰が?」

 図星なので反論できない。野球などという遊びで夢中になるなど、前までのララだったら考えもしないだろう。

「しかし本当に楽しそうだよ智和は。歌いながら打席に立つなんて」

「歌いながら?」

「ああ。瑠奈もかなり楽しんでると思うぞ。お前のおかげだな」

「智和が歌いながら、ねぇ……」

 あの智和が歌うなど想像がつかなかったが、いったい何を歌っているのか少しだけ気になった。

 話題になっている本人はというと。

「――When Johnny comes marching home again,Hurrah.Hurrah.(ジョニーが再び凱旋するとき万歳。万歳)」

 流暢な英語で『ジョニーが凱旋するとき』を口ずさみながらボールを見極めていた。

「We'll gire him a hearty welcome then Hurrah.Hurrah.(我々は彼に心からの歓迎与えよう万歳。万歳)」

 久しぶりに楽しい野球だった。

 何故なのかはわからない。

「The men will cheer and the boys will shoat.The ladies they will all turn out――(男達は歓呼し少年達ははやすだろう。女性達は皆集まり――)」

 だがララでさえ楽しんでいるのだ。自分も楽しまなければ損をしてしまう。

 好きな曲を口ずさみながら楽しもう。

「And we'll all feel gay――(そして我々は陽気になるだろう――)」

 智和が振るったバットはボールを力で押し返し、レフトより遥か頭上を高く――それは高く飛んでいった。

「When Johnny comes marching home!(ジョニーが凱旋するときに!)」

 まだ楽しい時間は始まったばかりだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ