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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第2章
6/32

狂気は狂喜に変わり、やがて狂奔と化す

目的の為に手段を選ばず。

目的に執着するならば、手段にも執着する可能性はある。

 準進行不可区域とは。

 政府が一般人の立ち入りを禁止し、更にその奥に位置する進行不可区域と完全に隔離させている線引きでもある区域。

 しかし、表向きで禁止と明言されているが警備をしているという訳でなく、ただ明言“しているだけ”であるこの区域は残念ながら不法侵入が絶えず一部が溜まり場となり、その範囲も少しずつ拡大していた。

 いくら進行不可区域が法律から掛け離れた犯罪区域であろうとも、内部の人間と接触する可能性が少なかった。そしてなにより、外部と掛け離れていた為になにをするにも自由だった。

 誰の目にも触れず、誰からも聞かれず、誰とも接触することのないこの区域は、自由奔放な若者達の最高の空間へと変わっていた。

 ――同時にその区域は、犯罪にも多大な手助けを施してしまっていることを政府は理解しなければならなかった。

 現に準進行不可区域の西方面に位置するとある場所では、今まさに血みどろな犯罪現場と化していたのだから――

「ん、あれ切れないなぁ……」

 建物が崩れた跡地。一斗缶の中で火を灯し、少し離れた場所で作業をしている少女らしき姿。顔はちょうど影で覆われて見えない。

 一斗缶のすぐ横に三人の女性が地面に座って――否、座っているというのは少し違った。三人は口枷をくわえられて喋れず、ロープで後ろ手に縛られ、足もきつく縛られて座らされていた。

 表情も三人は一緒だった。ただただ目の前の光景に恐怖し、震えが止まらず、うち一人は何度も悲鳴を上げていた。

 恐怖している理由は少女の作業内容にあった。

「ああチクショウ! この鋸切れねぇじゃねぇかよクソッタレ! やっぱケチらないで高いやつ買っとけば良かったなぁ!」

 がらりと印象が変わり、苛立ち混じりに手にしていた物を力任せに投げ捨てる。

 物が一人の脛に直撃し、瞬間、泣きださんばかりの勢いで声にならない悲鳴を上げた。

 それを聞いた少女は顔を向ける。

「……あぁ……ごめんごめん。刺さっちゃったぁ?」

 女性の脛には、少女が投げ捨てた鋸の刃が深く刺さっていた。

 悪怯れる様子がない少女は歩み寄る。火との距離が近くなるたびに少女の姿が照らされていく。

 黒いシャツに黒と赤のチェック柄ミニスカート。黒のロングブーツやシルバーアクセサリーなど、パンクファッションに身を包んでいた。腰まである黒髪のツインテールに、シャツ一枚の上からはっきりと判別できる胸や、華奢で人形のような腕や脚。幼さが残りながらも切れ長の眼差しは相手に威圧を与える印象を持つ。

 どこにでもいる高圧的で、近寄りがたい少女だろう。

 ――懸念するならば、服と顔についた返り血と、体型や顔がとある少女と酷似していることだった。

 少女は口の両端を吊り上げ、いやらしい笑みを見せながら脛に鋸が刺さった女性を見下ろす。

「すぅんごく痛そうだぁねぇ。泣き叫びたいほどに痛いんだぁねぇ」

 すると少女の次の挙動はブーツの底で鋸を踏みつけ、更に深く刃を差し込ませてきた。

 少女が踏みつける度に刃が肉を裂き、それは骨にまで届く。赤黒い血が溢れ、女性の唸り声のような悲鳴が止むことはない。

「ほらほらぁ。痛い? 痛いよね? 痛いよね!? 痛いよねぇ! 鋸踏んづければ涙流しながら呻くその顔も面白いねぇ! ほら二人も見なよ、踏む度にこんなにも血がいっぱい出てくるなんて凄くない? 面白くない!? あっはは! 超最高っ!」

 無邪気な子供のような純粋な笑顔で、高笑いしながら踏みつける少女に二人の女性はただ黙って見ることしかできなかった。

 もはやこの少女の持ち合わせている感覚と精神は、既に人間として破綻しているのだろう。それは今の行動でも先程の行動でも理解できる。

 踏むことをめた少女は手荒く鋸を引き抜いた。普通に引き抜くのではなく、激痛と出血でショック状態に陥っている女性の悲鳴を聞く為に、わざと押したり引いたりして本来の鋸の役割を果たさせた。

「やっぱ骨切るのは根気要るって訳なんだねぇ。ま、これはもうボロボロだから無理だったけどぉ」

 刃をべっとりと濡らす血を指で掬って口に運び、充分に味や感触、温かさなどを堪能する。

 残さぬよう指を舐め尽くして唾液塗れになったところで指を口から離すと、今度は直接舌で刃の血を舐め取った。

 これもまた充分に堪能し、堪能し尽くす。

「……んふぅ。おいしぃ」

 満足そうに呟き、顎や頬、首や服が汚れるのもかまわず舌で何度も血を舐め回し始めた。

 女性達には少女が人の皮を被った悪魔か化け物かに見えた。血を食らうだけなら吸血鬼という別表現もあるが、残虐極まりない行為とどこか魅惑的なそれはとても生易しいものではない。

「……んはぁ」

 顔と服を真っ赤に濡らし、堪能し尽くしたボロボロで用なしの鋸を適当に投げ捨て、腕で口元を綺麗に拭う。

「……んぅ?」

 女性二人の視線に気付き、蛇のように切れ長で冷淡な眼差しが二人を捉えて竦む感覚を与えた。

「何か言いたそうだねぇ?」

 わざと威圧的に話すと二人の目尻に涙が溜まってきた。今度の標的が自分になるのかもしれないと悟り、恐怖と絶望の表れである。

 しかし少女は二人に何かするということはせず、火がくべられている一斗缶を蹴ってその場に火をばら撒いた。

 照らされている範囲が拡大され、少女の『作業場』も鮮明に確認できる。

 瓦礫を適当に置いて作った作業台の上と横に男性の死体が五つ。作業台に置かれている男性は頭を切り離されて丁寧に分解され、体がバラバラにされている途中で左腕と思わしき腕が地面に垂れていた。

 おそらく鋸で左腕を切断しようとしていたのだろう。それだけならまだしも――この時点で既に狂気の沙汰だが――頭が異質過ぎる。いや、頭と呼べるかわからなかった。

 まず眼球を取り除き、歯を全部抜き、耳や鼻を削ぎ、それらを整理して置いていた。

 残虐極まりなく、惨たらしい光景に女性二人は改めて恐怖し、一人は口枷をされながらも嘔吐した。無数の穴が空けられているSMプレイ用のボールギャグの為、隙間から嘔吐物が糸を引いて垂れる。

「また吐いちゃったねぇ。ボールギャグで良かったねぇまったく。それ昨日のラブホテルから盗ってきたやつ。私は使ってないよぉ? バラした奴が銜えてたけどぉ」

 作業場へと戻り、傍らに置いてある大きなバッグの中を探す。

「鋸は使うごとに曲がるから。金ノコでも持ってくればいいけど今はないからぁ。……あ、あったあったぁ」

 嬉しそうに取り出したのは鉈。少女の顔より少し大きい鉈を片手で振り上げると、勢いに任せ力押しで左腕を切り落とした。

 ぼとりと音をたて、左腕が火の元へと転がっていく。

「アンタらがこんな所で乱交パーティーしそうな勢いぐらいに楽しそうだったから、最初は混ぜてもらおうかなぁってぇ。でもやることやらなきゃいけないからさぁ。じゃないと私が怒られるんだよねぇ」

 甘ったるく語尾を伸ばす口調の少女は鉈を死体に刺し、転がった左腕を拾い上げると薪代わりに火の中へ捨ててしまう。

 肉の焼ける香ばしい臭いが周囲に漂う。

「とりあえず充分な量のサンプルは採取して保管したから後は用済みなんだけどぉ……。その後処理は好きにしていいって言われてるんだよねぇ。首切ろうが腕切ろうが脚切ろうが、目玉刳り貫いたり歯を抜いたり内臓ぶち撒けたり爪剥がしたり指落としたりして“遊んで”いいって言われてるんだよぉ?」

 悪魔の笑顔を浮かべる少女は、女性達を見て続ける。

「だぁかぁらぁ……セナの“おもちゃ”はいっぱい可愛がってあげるからねぇ」


――――――――――◇――――――――――


 成田空港の第一ターミナル滑走路に、ミュンヘン国際空港から出発したルフトハンザドイツ航空のLH714便が到着した。

 便に乗っていた乗客の一人――ララ・ローゼンハインは、ベルリン・シェーネフェルト空港からミュンヘン国際空港で乗り継ぎ、ほぼ一日をかけてこの島国にやって来た。

 入国審査とセキュリティチェックを通過して預けていた荷物を受け取ったが、果たしてそれが荷物と呼べるのかわからない量の少なさだった。

 小型のキャリーケース一つだけを引き、観光パンフレットに目もくれずにターミナルから外へと出ていった。観光目的で来た訳ではなく、これから住する地なのだからそんなものに関心など覚えなかった。

 本人に関係はないだろうが、擦れ違う人は彼女に視線を向ける者もいた。それは奇妙ではなく羨望に近かった。

 軍服ではないが威圧感のあるIMIの黒い制服を身に纏い、絹のような長髪と端麗な顔立ち。凛とした雰囲気で引き締められている少女に、視線が送られることは当然とも言える。

 しかしながら、視線を送る者がいることにララが気付いていたかどうかの話は別だった。

 彼女とてIMIの学生で“あった”人間である。向けられる視線に気付かない鈍感な人間ではないが、今のララにはそれだけ余裕がないに等しかった。

 新天地となる日本IMI。そこでララは多大な迷惑をかけた。引っ掻き回した挙げ句、自分はドイツIMIから追い出される羽目になってしまった。

 自業自得と言えばそうだろう。しかしララは日本IMIでうまくやっていけるのか、道中は常に不安が拭えなかった。

 今も表情には出さないだけで不安は残り続けている。故郷から離れた土地で、この先大丈夫なのかという途方もない不安で怯えている。

「おい。聞こえているのか? ララ・ローゼンハイン?」

 おかげで声をかけられていることに気付かず、慌てて周囲を見回す愚行を犯してしまった。

 声をかけた人物はすぐ隣にいた。スーツを着用し、ララの慌てている様子を呆れた表情で眺めている女性――長谷川が続ける。

「何してるんだお前は?」

「何も。ただ驚いただけよ」

「さっきの阿呆面を智和に見せたら何て言うだろうな」

 この教師が相変わらず嫌味を振りまいてくることをすっかり忘れており、智和を話に出してきたことに早速苛立ちを覚えた。

 しかし苛立ちを表情に出すこと以前に、ララは他人に表情を見せるなどしていなかった。独りであるが故に誰にも頼らず、誰にも弱味を見せられない彼女があからさまに嫌がる表情を見せたということは、彼女にそのような存在ができたということでもある。

 かといって長谷川の毒を吐き続けられるのは勘弁したい。

「こんな所で立ち話もあれだ。車まで移動しよう。何か飲み物はいるか?」

「そこまで優遇される立場ではないから遠慮しておくわ」

「断り方は立派だな。こっちだ」

 着いていくまま駐車場へと向かう。

 どうやらすぐ近くに駐車していたらしく、ブラックメタルボディのランサーエボリューションを指差して自分の車だと告げた。

 ララが何気なくランサーエボリューションの前を通った時、ふとフロントガラス越しから見えた車内――詳しく言えば助手席に目がいった。

 助手席前に何か機械のような物が置かれて前方が遮られていることに気付くが、何の機械かなど詳細まではわからなかった。

「荷物はどこに置けばいい?」

「悪いが後部座席に置いてくれ。トランクは物が詰まってる」

「詰まってる?」

「私用の銃と装備を収納している。衝撃吸収の為にトランク丸ごとをケースに変えた」

「因みにどんな装備を?」

「MINIMI機関銃とHK416。SIGのP226。ボックスマガジン四つに、HKは八つ。SIGは三つに……ああ、防弾プレート入りのタクティカルベストに手榴弾とスモーク。そうだ。一昨日にダネルも入れてみた」

「聞いた私が馬鹿だったわ」

 車両一つに分隊規模の装備を収納していたことに思わず頭を抱え、智和が率いる部隊の担当も頭がおかしいと理解した。

 ダネルとは南アフリカのアームスコー社が軍用に開発した回転式弾倉式のグレネードランチャーである。グレネードランチャーなど普通なら持ち歩く必要性はない。暴徒鎮圧用のゴム弾か催涙弾ならまだしも、ララの予想するところだと対人擲弾や焼夷弾を積んでいそうで恐ろしい。

「弾は鎮圧用ゴム弾と焼夷弾の二種類ならある」

「やっぱり貴方達は狂ってるわね。もしくは馬鹿よ」

 呆れて溜め息を漏らし、気持ちを切り替えてキャリーケースを後部座席に積み込む。

 奥へと押し込むように自分も乗った時、助手席の“装備”を見て今度こそ唖然とした。

 まず注目すべきは、助手席に座ったなら前方が見えなくなるであろう機械。ララがフロントガラス越しに見ていたのは無線機だったのだ。

 コードなどはお世辞にも綺麗とは言えず適当に纏められているだけ。通信用のインカムやヘッドホンなど予備も充実している。

 更に驚くべきことは、本来は小物の収納スペースであるべき物を無くして新たに取り付けていたのが、十インチほどの薄型ディスプレイとキーボードだった。ディスプレイは首が回せるよう固定され、キーボードに関しては関節を付けたことで助手席から伸ばすことが可能となり、運転席からでも身を乗り出すことなく操作できる環境になっていた。

 ララの様子に気付いた長谷川は訝るが、釘付けの原因が助手席の環境にあると理解してご丁寧にも説明し始める。

「主に私が現場担当に任されることが多くてな。通信手段や情報収集の為に備え付けたんだ」

「だとしても異常と思うべきよ。いや、異常。絶っ、対っ、異常」

 長谷川の説明に危うく納得しかけた自分が馬鹿に思えた。どう思ったら正常と言えるのだろうか。

 無線機はまだ許そう。まだ許せる範疇――だとしてもこの時点でおかしいと思わずにはいられない――である。長谷川の立場が言う通りならばそれはそれで必需品となるのだろう。携帯電話で済ませろと心の底から言いたかったが。

 だがディスプレイとキーボードは別だ。そんな物を助手席に積む必要などまったくない。考えても思いつかない。

 それに狭い。乗った人間は目的地へ到着するまで、石像の如く動けないのを余儀なくされる。

 この女、もしかして車を移動可能な小型基地か何かと勘違いしているのでは、と本気で思い始めた。

「……ねぇ」

「何だ」

「もうパトカー買ったら?」

「智和にも言われた」

 嫌味を言った筈なのに鼻で笑われたせいか、逆に嫌味を言われたような不快感を覚えた。

 もはや溜め息をくこともない。勝ち誇った表情を見せられてもなにも言うことはない。

 窓を眺めながら二度と毒吐き合戦などするものかと心の中で誓い、長谷川が運転するランサーエボリューションに乗って日本IMIに向かうべく駐車場を出た。

 車は新空港自動車道を使って成田空港を出発し、東関東自動車動を利用して真っ直ぐ日本IMI――江東区と江戸川区であった地――へと向かう。

 急を要することでもなく、長谷川は制限速度ギリギリではあるが余裕を持って運転していた。

 後部座席に座るララは特に話すこともなく、時間に任せ呆然と窓ガラスの先に広がる光景を眺めている。

 好んで雑談する性格ではなくどちらかといえば無口。人を寄せ付けないことも災いし、このような場面においてのトークスキルは持ち合わせていなかった。

 しかし、それで困り果てた経験があるかどうか問われればそんなものは皆無である。

 ララがおこなってきた任務は護衛任務などではなく、殲滅任務がほとんどだ。味方や護衛対象と会話する護衛任務とは違い、ただ敵を打ちのめせばそれでその時点で終了の任務ほど、簡単で単純な作業は他にない。

「何か珍しいものでもあるか?」

「なにも。初めてだけど新鮮なものなんてないわ」

 話題を提供されて正直な感想を告げた。率直な意見に苦笑いされることはなかった。

「それにしてもわざわざ成田空港じゃなく羽田空港でも良かったんじゃないか?」

「色々と面倒だったことで成田空港に向かう便にしたのよ。それにあっちでゴタゴタしてたから、ベルリンから発つ方が楽だった」

 ベルリン・シェーネフェルト空港から発った主な理由がそれだった。ララのドイツIMI登録の抹消や荷物整理の他にも、家族について済まさなければならなかった。

 エリクによって入院する羽目になった両親と、親戚の世話になっている弟妹に日本IMIへ行くこと。そして兄――レオンハルトに一時の別れを告げた。

 入院中の両親に代わって見送りに来た弟妹達のことを思い、遠い地の空港ではなくベルリン・シェーネフェルト空港を選択した。

「まぁどっちでもいいんだがな。今頃、羽田空港に智和達が行ってるだろう」

「智和が? 何で空港なんかに?」

「部隊にいる二人が遠征しててな。今日戻ってくる予定だから迎えに行っている」

 二人が抜けていることを聞いていたような気がしたララは軽い返事で流す。

「それにしてもララ。ドイツから飛行機の中までその服装だったのか」

「制服のこと?」

「別に関係ないからかまわないが……お前、仮にもドイツIMIから登録抹消した直後だというのに、IMIの制服で移動したら変な奴に目をつけられるぞ?それにすぐ日本IMIの所属になる訳でもない。短期間だが、お前はIMIの人間ではない。面倒に巻き込まれても知らんぞ」

 IMIの活動内容は様々である。民間や企業、国からそれ相応の報酬を支払ってもらい、仕事を請け負うことも内容に含まれている。中には殲滅内容の仕事さえある。

 そんなことをしていれば当然、様々な方面から恨みを向けられる。IMIに壊滅させられた組織など幾つもあるのだから、IMIを憎悪の対象にする人物など数多く存在する。

 そしてララの今はIMIの人間ではない。なのにIMIの制服を身につけ、もしものことがあった場合はどう対処するつもりだったのだろうか。

 命の危機と立場の危機。ララは二つの危機に瀕していながらも堂々とIMIの制服を着ていたのだ。

「別に。それもただ楽なだけよ。服なんて持っていないし、制服が普段着のようなもの。何着も揃えてたし、制服は統一されているから問題ないもの。

 それに問題が起こった時は……なんとかなるから大丈夫でしょう」

 果たしてそんな答えで長谷川が納得できるか疑問だったが、ララは嘘偽りなく正直に打ち明けた。

 案の定、長谷川は呆れていた。制服を何着も所持していることや普段着として使用していることに関しては、日本IMIにも少なからずそうしている生徒がいるから納得はできた。

 しかし問題が起こってなんとかなるなど、そんな後回し思考でいいのかと疑問に思わずにはいられない。これも智和の影響かと本気で考えてしまった。

 ようやくララの荷物の少なさも理解できた。小さなキャリーケースには替え用の制服と下着ぐらいしか入っていないのだろう。

 聞いてみようかと思ってはみたものの、ララの話から簡単に推測できたので聞く必要もなかった。それに彼女は化粧品などに目を奪われるような人間でもないとわかっていた。

『こちら北原。聞こえますか?』

 和やかな雰囲気の中。ノイズ混じりの音声が無線機から聞こえてきた。

 例えノイズが混じろうとも、凛々しい声の持ち主である北原琴美の通信は聞きやすい。

 ララは目線を変えることなく耳だけを傾ける。長谷川は右手でハンドルを握り続け、左手で無線機の横に置いてあった小型マイクを持って口元に近付けた。

「聞こえている」

『諜報科からの報告です。今朝早くに女子高生が失踪した、と』

「またか。家出の線は?」

『家族関係は特に問題はなかったらしいです。それに今回は警察から調査報告が時浦先生へ渡されたらしいです。失踪したということもそこからわかりました』

「とうとう痺れを切らしたか……。了解。報告ご苦労」

『それでは』

 変わらぬ口調で通信を終え、マイクを置いたタイミングを見計らってララが口を開く。

「今のは?」

「私は常にIMIにいるとは限らない。それ故の情報共有手段だ。何かあったら通信科の誰かから連絡してもらうことになっている」

 長谷川は日本IMIにおいて重要なポストにいる。それは《特殊作戦部隊》などという部隊の指揮を任され、更に部隊担当以外にも担っている仕事も多い。

 彼女がIMIにいなくとも情報を得る為には、移動中でも情報共有をできる越したことはない。それが車両に通信機能を設けた最大の理由だ。

 それでもキーボードとディスプレイは不必要ではないかと思っていることは口に出さない。

 無線機を積む理由がなんとなくわかったララだが、注目すべき点はそこではなく話を続けさせた。

「『また』っていうことは最近続いてるの?」

「ああ。お前が来る前にも失踪は度々あった。人数も増えていくばかりで警察も手に負えなくなってきたのだろうな。それで諜報科に頼んだと思う」

「何人が失踪を?」

「十二人」

 一桁ならまだ驚くこともなかったが――だとしても数日ならば見逃すことのできない数字――二桁まで昇っていたのなら心中穏やかではない。表情は冷静を装ったまま、顔を運転席へと向けた。

「で……見つかったのかしら?」

 問いに長谷川は静かに首を横に振る。

「手掛かりすらないような状況らしい。集団失踪の犯人が単独なのか複数なのかさえわかっていない」

「ということは犯人像も?」

「ああ。せめて共通して攫ってくれればいいもの……。こう幼女や、女子中学生とか……変質的な感じに」

「それはもう変質者って判明してるわよ」

 根本的な解決になっていないだろうと付け足したかったが、長谷川に毒を吐かれそうなのでやめておいた。

 長谷川は続ける。

「しかしまぁ、これは諜報科の仕事だ。私達には縁のないことと言ってしまってかまわない」

「でしょうね」

 すんなり同意したのは、ララも普通科と諜報科の違いについて熟知していた為である。

 戦闘を主とする普通科に情報を取り扱う諜報科。専門分野がまず違う。普通科に人探しの能力があるか問われれば多少はあるだろうが、それよりならば諜報科の方が断然に優れている。

 各科にも向き不向きがあるのだ。競争しながらも、互いにカバーし合う役目も担っている。

 それをララはエリクの事件にてまざまざと見せ付けられた。

「さて話は変わるが」

 声の調子を変えてきた長谷川に、ララは何故か妙な不安を覚えた。

 危機感とは違うが何か楽しむ為に企んでいるような、どうでもいい悪戯を考えているようにも思えた。

「ララの日本IMIの登録は急を要してな。寮やクラスの苦言は受け付けないぞ」

「そんなことなら別にいいわ。私だってわかっていることだし、寧ろ感謝してるのだから」

「ほぉ。それは良かった。それに……お前も外なり内なり変わるかもしれないからな」

「は?」

「独り言だ。気にするな」

 気にするなと言われても笑いを必死に堪えて――堪え切れず漏れている長谷川の姿に訝るララだが聞き返すことはせず、また窓の外を眺めた。

 新天地となる日本IMIは、もう少し先だった。


――――――――――◇――――――――――


 羽田空港の滑走路に札幌から出発した便が到着した。第一旅客ターミナルの一階到着ロビーは人でごった返し、一瞬で人の海ができてしまった。

 そんな様子をカフェ店内で寛いでいた二人の青年は、「ようやく来たか」といった感じに眺めていた。

 十代半ばの二人は軍服のような黒い制服を着用していることから、IMIの生徒だと周囲は簡単にわかる。しかし、一人は金髪にピアスに着崩している格好がなんとも不良を思わせる。

 向かい合って座る学生は派手な身なりはしていない。指摘するならば、淡褐色ヘーゼルの瞳ぐらいだ。

 この淡褐色の瞳を持つ学生が、まさか日本IMIで『殺しの天才』などと密かに呼ばれ、日本IMIが誇る最強部隊の一員だとは誰も思わないだろう。

「着いたな」

「ああ」

 不良のような身なりである神崎強希の言葉を素っ気なく受け流した生徒――神原・L・智和はコーヒーを一口飲んだ。

「にしてもよ、別に制服じゃなくとも良かったンじゃねぇか?」

「色々と楽だからいいだろ」

 IMIの生徒ということで優遇されることがある。もし近場で事件が発生した場合、IMIの学生ということで問題なく対処できるのだ。これは学生証をいちいち提示する無駄を省く役割も担っている。

 それを含めて武器所持も可能だ。今だって智和はベルトの腰辺りにナイフを、強希はコルトガバメントを装備していた。

「楽だけどよ」

 だが強希の気分はあまり優れない。寧ろ鬱陶しさを感じている表情を見せた。

「目線が気になる」

 黒い制服に金髪などという風格ならば注目を集めることは避けられないだろう。ましてやロビーのカフェ店内、一角の席を陣取っているならば当然の結果である。

 ただでさえ、少年少女を人殺しに育てるという巷で噂のIMIは、良い意味でも悪い意味でも目立つのだ。

 だがそれは畏怖ではない。

 度々向けられる目線が強希だけでなく智和にも向けられ、その整った容姿や年齢にそぐわない大人びた雰囲気に、どこかのドイツ人と同じ羨望の眼差しを女性達から向けられていたなど、果たして二人は気付いているのか知らないが。

 視線の鬱陶しさを感じながら、強希はガラス越しのロビーを眺めながら口を開く。

「二人には電話したンだよな?」

「ああ。ここにいることも連絡済みだ」

「どうせアレだぜ。めぐみはここで昼飯済ませる気だぞ」

「だろうな」

 ふと智和もロビーに目を向けると、目当ての二人は荷物を持って迷うことなく二人が居座るカフェへと歩いてきた。

 身長の低い眼鏡をかけた少年と、身長の高いポニーテールの少女。

「噂をすれば、だな」

 わざわざ出迎えることもなくコーヒーを飲み続ける。

 二人のIMI生徒は店員が案内する前に店内を進み、智和と強希が座っている席へと行く。

「研修お疲れ、と言っておこうか。恵、新一しんいち

「研修ってほどでもなかったけど」

 一言発した恵は智和の隣に座ってキャリーケースを置き、新一は強希の隣に腰を下ろしてボストンバックを床に置いた。

 艶とは無縁の、端麗美人な新井恵あらいめぐみは常に怠そうな目をしている。しかしその眼差しを言い換えれば、周囲を警戒する狼のような眼光とも見える。

「すいません。サンドイッチとコーヒー」

 店員に注文を告げながらセミロングの黒髪をポニーテールに束ね直した。

「機内でも食ったじゃないッスか」

 横槍を入れた高橋新一たかはししんいちはあどけない無邪気な笑顔を見せている。長い黒髪の一部――正確に説明すると左側の額に近い髪の一束――を紫色に染めていた。童顔で目が猫のような印象を与えており、化粧して女性物の服を着させれば女子になれるような顔立ちをしている。

「足りない」

「いやサンドイッチ三人前を平らげた台詞じゃないッス」

「……ほら見ろ。昼食になった」

「昼食というよりは間食だな。もうここで済ませよう」

 揃ったこともあり、早めの昼食として改めて注文を告げる。

「それじゃあハヤシライス追加で」

「お前は控えてくれ」

 四つのハヤシライスと二つのサンドイッチと二つのコーヒーがテーブルに広げられ、IMI生徒の昼食は静かに幕を開いた。因みに恵はサンドイッチをもう一つ追加した。

「すげぇどうでもいいンだけどよ」

 ハヤシライスを食するより先、開口一番に強希が出た。

「恵は平然と智和の隣に座ったな」

「ん?」

 既にサンドイッチを一つ食べ終えてハヤシライスに手をつけていた恵は、スプーンを持つ手を休めずさも当然のように答える。

「アンタ油臭い」

「アアァッ!? ンだとお前!」

「それよりさ」

「流すなよ!」

 油臭いと言われたことに怒りを覚えたがどうでもいい話題のような扱われ方に、テーブルを叩くほどつい感情が露わになった。

 その瞬間に店内の雰囲気がガラリと変貌したことは言うまでもないが、四人はまったく気にも止めずに会話を続けた。

 証拠に、強希以外の三人は平然とハヤシライスを食している。IMI生徒にとって挑発と馬鹿にする会話は、喧嘩でもないただの雑談なのだ。

 やるせない強希の怒りを感じ取った恵はハヤシライスを口に運び、空になったスプーンで指しながら口を開いた。

「まぁ臭いなんてどうでもいいのよ。嫌ってる訳でもないし。反射的に座った感じ」

「にしては平然過ぎるだろ」

「知らないわよ。私の脳みそに聞いて」

 無理矢理に話を終わらせた恵は食べることを再開する。

 会話よりハヤシライスに負けたことが悔しかった強希だが、この話題を広げても意味はないと悟り、仕方なく感情を抑えてスプーンを持った。

「でさ智和、アンタまた壊したんだって?」

 恵が聞いてきた話題は先日のエリク事件において、一人の傭兵の顔をベレッタM92拳銃の台尻で殴りに殴り続けた結果、見事使い物にならなくしてしまった。

 この話題は長谷川が恵に連絡した際に告げていた。

「相っ、変わらずアンタは物壊すね。もうトンファーでも持ったら?」

「黙っとけ。好きでやってる訳じゃない」

 智和の気質と言うべきか、借りてきた拳銃をことごとく破損または破壊してしまう。

「でもさ、そろそろ自重しないと保管所の係人とかにブラックリスト入りされて借りられなくなるんじゃない?」

「それはないと思うが、サイドアームを持てと長谷川にも言われた。数日前に手続きは済ませた」

「あっそ」

 どうやら何を申請したのかまでは興味を持たなかったらしく、意識はハヤシライスへと注がれて黙々とスプーンを口へ運び続けた。

「で、お前達はどうだったんだ?」

「たくさん殴れた」

「たくさん撃てたッス」

「物騒過ぎる」

 苦言を漏らす強希だったが、自分もそんな集団に属しているという自覚があるかどうか定かではない。

「そういえば智和さん。新しい人を入れたって聞いたッスけど、どんな人なんスか?」

 新一から問われ、智和は思わず手を止めて考える。

 簡潔にララを説明しようとしたが、意外と纏めることができなかった。

 実際は半日ほどしか関わっていないのだから仕方ないのだが、共に行動した濃密な内容は決して簡潔に纏められるものではない。

 しばらく俯いて考えた結果、丁度良い言い表わしを思いついた。

「まるでゲシュタポみたいな奴だ」

 第一印象を決めるには充分過ぎる言葉だった。


――――――――――◇――――――――――


 車内に小さいくしゃみが響いた。

「見かけによらず可愛いな」

 ララは長谷川の言葉に頬を赤く染め、恥じらいを感じながら目線を外に向ける。何故くしゃみをしたのか理由を考えたが、結局わからなかった。

 長谷川が操るランサーエボリューションは既に街中へと降りており、日本IMIを目指して駆けている。そんな車内の中でララは過ぎ行く街並みをぼんやりと眺めていた。

 その時――僅かな時間だが、ララの注目は一人の少女に注がれる。

 腰まである長い黒髪をツインテールに纏めている少女の後ろ姿に、ララは信頼する少女の面影を浮かべた。

「……ねぇ先生」

「まだ先生と呼ばれる筋合いはないが、何だ?」

「瑠奈って今日何してるのかしら?」

「瑠奈はお前の案内として午後を休ませている。充分な単位があるから大丈夫だ。今はもう寮にいるだろうな」

「そう」

 あの後ろ姿は瑠奈そのものだった。ならばもう授業を切り上げ、私服に着替えて時間を持て余しているのだろう。

 ララはすぐに瑠奈と会う訳ではないと長谷川から聞いている。まずは学園長に挨拶をして、日本IMIへの所属登録申請を完了させる必要があった。

 日本IMIの正面出入口は大きな円を描く設計にされている。これは敵が正面出入口を突破しようとした際、直進させず減速させるのが目的である。

 例え道を無視して直進しようとも円の内側は池であり、円の外側を減速しながら進行したならばこちらのもの。ゲートには侵入防止用の設備として、突進してきた二トントラックさえ粉砕できる鉄の柱がボタン一つで地面から十二本も等間隔で出現する。

 IMIの教師とて正面出入口では停車させて身分証を提示させる。

 警備員は事前に長谷川からララのことを告げていたらしく、身分証の提示はされずすんなりと通過させた。

 日本IMIの敷地内を進み、車は教師用の宿舎に隣接している駐車場へと入る。小さいながらも三階建ての駐車場は教師達に重宝されているのだ。

 二階の指定されている駐車スペースに駐車させ、二人は建物から出て学園長の下へと向かう。

 普通科校舎の一部は部隊の指揮室や会議室などで占められている。おかげで騒がしい場所とは無縁で、常に緊張が張り詰めて沈黙が漂う空間。

 普通科校舎の東側に位置する棟の最上階に、学園長室が存在している。

 無機質なものとは違うけがれを知らない純白の廊下を進み、二人は学園長室への入口前に並んだ。

「キャリーケース持ったままでいいのかしら?」

「すぐに連れてくるよう言われた。まぁ置いてくるという手もあったがな」

 長谷川は大きな焦げ茶色の扉をノックし、礼儀正しく――当たり前だが――中へと入る。ララも表面だけを取り繕って続く。

 広大な部屋、というのが第一印象だった。広大な部屋の中央には来訪者に用意された黒革のソファーが向かい合い、間には黒光りするテーブルが置かれている。

 その奥には職人が丹精込めて作り上げて磨かれた机がある。大きな机の上は整理され、デスクトップパソコンが一隅に設置されている。

 そしてこの部屋の主である男はガラス張りから見える風景を眺めることをやめ、訪ねてきた二人に振り返って微笑みを投げた。

 初老の学園長は背が高く体格が良かった。筋肉質ではないが無駄な肉がなく、しなやかな印象を与える。白髪を後ろへ流すような髪型と、鷹のような目付きも印象的だった。

「ララ・ローゼンハインを連れてきました」

「ありがとう長谷川先生。彼女と少し話したい」

 学園長は杖をついていた。左手で杖をつきながらも優雅に歩く佇まいはまるで紳士である。

 初めて対面した日本IMIの学園長に、ララは思わず生唾を飲んだ。近くで感じ取った静かな威圧感は殺気と間違ってしまうかもしれない。

「はじめまして、ララ・ローゼンハイン。私が日本IMI学園長の如月隆峰きさらぎたかみねだ。パンフレットに記載されているが見たことあるかね?」

「一度拝見させてもらったので名前はわかります」

 ララが礼儀を弁えて振る舞う姿が新鮮であり、どこか滑稽でもあって長谷川は思わず鼻で笑ってしまった。

「君の活躍は素晴らしいものだ。ドイツIMIでは嫌われ者のようだったが、私は高く評価している。こちらでの活躍を期待しているよ」

 遠回しに嫌味を言われたような気がしないでもなかったララは、差し出された如月の右手を握った瞬間――全身が強張った感覚に襲われ、ようやく如月の“古傷”に気付いて顔を上げた。

「貴方、右手が……」

「右肘から下、右太股から下、左手の薬指と小指、左足の親指は作り物だ。右目は赤と青が見えない色覚障害。二十一の銃創に、体の中は鉄だらけでね。ボルトや残った銃弾の数はもう忘れたよ」

 ララは手を離し、微笑みを絶やさず告げた如月は机に腰を下ろした。

「……パンフレットに載っていなかったので、宜しければ経歴を教えていただけますか?」

 対峙しただけで圧倒される威圧感に余裕を見せながらも隙のない佇まい。悟られぬ古傷に、獲物を狙うかのように物事を見定める眼光の鋭さ。この男は正に“地獄を渡り歩いた男”だと見抜いた。

「大したことない。自衛隊に入隊したが面白くなくて数年で除隊した後、十年ほど傭兵として活動していたら偶然にも企業にスカウトされてね。企業の専属戦闘員として働いていたのだよ。まぁこんな体になった理由は地雷に引っ掛かってしまってね。それを機会に引退したんだが……IMI創設と同時に、私は日本IMIの学園長に落ち着いたのだよ」

 企業――IMI創設を考案し、実行したとある軍事大企業。武器を扱い、行く先には常に戦火が灯っていた。

 如月隆峰というこの男は人生の半分を戦場に身を置き、体の隅々を殺戮機械の歯車と化して、数え切れぬ命を刈り取り、企業と共に国々を武器と戦火によって蹂躙してきたのだ。目に見えぬ者達をも破壊し尽くした“死神”そのものである。

 いったいこの男は何百、何千、何万もの人間を不幸に陥れてきたのだろう。ララの頭の中にふとそんな疑問が浮かんだ。

「私は見掛けよりずっと若い。動けなくなって身を引いたら急に老けてしまってね。まだ五十半ばだよ」

 戦争を生き甲斐としてきたのなら有り得ぬ話ではない。自分の生きてきた故郷から去った時、如月はどう思ったのだろうか。

 死にたいほど後悔したのか。はたまた引退して安堵したのか。

「長谷川先生。この書類をララへ渡してください」

 如月は再び杖をついて立ち上がり、机に置いていた書類を渡すよう告げる。

 指示に従って長谷川からララに手渡された書類は、日本IMIの所属認定証だった。

「本来なら筆記と体力試験が必要だが君ならば問題ない。長谷川先生が一押しする優秀な人材だと」

「それは……買い被りです」

「そんなことはないさ。君の活躍は“全て”見させてもらった。君が目指すものやその誇り。私は高く評価している。君の向上心はドイツ人の気質ではない。君自身の性質だ」

「……」

「君は好きなように行動し、君の目指すものへ直向ひたむきに進めばいい。少なくとも私はそうしたよ。故に後悔はない。手や足が吹き飛ぼうとも、私は私の行いに後悔はない。数え切れぬ命を殺したとして責め立てられようとも、私は私が進んだ道を誇りに思っている。“死んでも仕方がない屑だがね”」

 最後の一言を聞いたララは表情を変えなかったが、内心では呆れた感想を抱いていた。

(……ああ。この男も智和と“同類”か)


――――――――――◇――――――――――


「学園長の感想はどうだった?」

「真正面に立ちたくない」

 学園長室を後にし、学生寮へと向かう道中でララは言い切った。

 殺気とも思える異様な威圧感を二度と味わいたくないことは長谷川にも充分に伝わっていたらしく、苦笑いしていた。

 学生の居住区域である学生寮は街寄りに属している。マンションのような寮は規則正しく建築され、中期生と高期生、男子と女子の四つに分類されている。

「部屋は二人の相部屋だ。生活するに至って狭いということはない」

「知ってるわよ。寮のシステムや部屋なんてIMIの共通でしょうに」

「そうだったな。ドイツではどんな奴と相部屋だったんだ?」

「色々と事件調査のデータや書類、情報などを扱ってたおかげで一人部屋よ。物置と休憩所の機能としか働いてなかったわ」

「その情報や物品はどうした?」

「装備はドイツIMIに返却した。物品も全て保管している筈よ」

「荷物の少なさはそれも関係あるか。で、その情報をみすみす手放したのか?」

「そんな訳ないでしょう。USBメモリにしっかりコピーさせて肌身離さず持っているわ」

「上出来だ」

 抜け目ないララはやはり簡単に追い出される訳がなかった。

 彼女の上着の内ポケットに入れられている三本のUSBメモリには、中期生から収集していた膨大な情報が保存されている。違う地とはいえ、この情報を手放すことなどできやしない。

「で、私の同居人は瑠奈でいいのね?」

「察しがいいな」

「当然でしょ。案内役が瑠奈ってことで大方想像できるわよ」

「瑠奈自らが申し出てくれた。彼女を別の部屋に移し、そこでお前と一緒に生活してもらう」

「ええ」

 話していると高期生女子寮に到着した。

 入口をくぐると最初にロビーのような空間へと出る。一角には小さなソファーやテーブルが幾つも置かれ、壁には大型のワイドテレビが掛けられていた。

「あ、ララちゃ~ん!」

 ララが周囲を見渡していた時に呼び掛けられ、振り向く前に横から不意に抱きつかれた。

「久しぶり~! 元気だった~?」

「ええ。瑠奈も元気そうね」

 頬擦りしながら抱きつく少女――草薙瑠奈に軽く挨拶した。

 相変わらず語尾を伸ばすゆっくりとした口調や、香水でもつけているのかと勘違いしてしまう甘い匂いは、間違いなく瑠奈本人だと言える材料だ。

 これだけならどこにでもいる可愛いらしい女子高生だが、染み付いた硝煙の匂いがそれを拒む。

 だが彼女の服装を目にした時、ララは自分の記憶を疑って問わずにはいられない。

「ねぇ瑠奈。私服で街に出ていなかった?」

 瑠奈の服装はIMIの制服を着用していた。

 街で見掛けた時は確か赤と黒のチェック柄ミニスカートに黒のシャツを身についていた。身長や特徴的な髪型も彼女そのものだった筈。

「早いけど食堂で昼食済ませてたよ~? それにララちゃんの案内もするんだから街に出る余裕なんてないよ~」

 当の本人はあっさり否定した。瑠奈の言うことなら間違いなく食堂で昼食を済ませていたのだろう。

 ならば街で見掛けたあの少女は何者だったのだろうか。見間違いにしてはあまりにも似過ぎていた。

 本物の草薙瑠奈のように。

 少し考えていると長谷川に呼ばれた。

「では私はここで仕事に戻る。この後は瑠奈に案内してもらって建物の配置を覚えておけ。明日のことは改めて連絡するがかまわないか?」

「ええ」

 用件を済ませた長谷川は寮から出ていき、ロビーに二人が残って静寂が漂う。

「それじゃ行こっか~」

「ええ」

 瑠奈の案内で部屋へと向かう。

 移動手段は階段とエレベーター、建物の外に設けられている非常階段は三つ。エレベーターは荷物の運搬としても学生の移動手段としても使用できる。

 エレベーターで五階へと上がり、部屋へと移動するまでの周囲の光景は街中のマンションのものと変わらない。ここがIMIの寮だとは初見ではわからないだろう。

「ここだよ~」

 瑠奈が『553』と印されている部屋を指差し、二つある鍵を解錠してララを招き入れた。

 中もマンションと変わらなかった。2LDKの間取りの部屋は綺麗に片付けられている。リビングも広く、数人で生活するには申し分ない広さだった。

「何かドイツと違う所はある~?」

「違うというか、ドイツでは一人部屋だったから違いがわからないの。リビングも狭かった。台所なんて使わない」

「そうなんだ~」

「荷物はどこにおけばいいかしら?」

「こっちだよ~」

 リビングの隣にある部屋へと移動。

 二人分のベッドやクローゼットがある寝室でもあった。机と椅子が二つあるが、それでも充分なスペースを確保している部屋でもある。

 そして、奥のベッドの隣にあるガンラックに立てられた瑠奈愛用のM4カービン銃とグロック17拳銃を見て、ようやく普通のマンションではなくIMIの寮だという自覚を思い出させた。

 クローゼットの中には服や荷物の他に装備も収納されていると予想しながら、数歩進んで部屋を見回した。

「他にも同じ部屋があるけどそっちにする~?」

「もう一つあるの? 長谷川からは二人の相部屋って聞いたから、てっきり二人用かと思ってたのだけど」

「四人まで生活できるように部屋は二つあるよ~。だからもしかしたらこの後増えるかもね~」

 今後、IMIへ来る者がいるとは思えなかったが可能性としては考えられることでもある。様々な事情で中途半端な時期に入学してくる者が、ドイツには少なからず存在していた。

「部屋はどうする~? 空いてる部屋使ってもいいよ~」

 ララは首を横に振る。

「いいえ。私は瑠奈と同じ部屋が落ち着くわ。もし同居人が増えて同じ部屋で寝るとしたら、多分気になって私は眠れない。瑠奈の隣が安心する」

「ララちゃんからそんなこと言われると照れちゃうな~」

 この日本IMIにてララは、数日ばかりは智和や瑠奈と行動を共にしなければならなくなるだろう。

 エリク事件の際に多大な迷惑をかけたことを覚えているだろうし、一人で行動していれば色々と厄介事を吹っかけられるのでは、という心配もあった。

 一人で解決できるだろうがまた智和達に迷惑をかけることになる為、しばらくは控え目に行動するしか選択肢はなかった。

 故に同じ部屋にしたことも、多少の安心感を得る為や今後の逃げ道を確保するのが目的である。

 そんなことを瑠奈に言える筈がない。ララの逃げ道の拠り所であるなど、笑顔で接してくれている彼女に言える筈がなかった。

「どうしたの~?」

「……いいえ。なんでもないわ」

「そういえばララちゃんの手荷物少ないね~。送ってきたの~?」

「これだけよ。長谷川にも言ったけど、替えの下着と数着の制服があれば事足りるの。装備はこっちで揃えればいいし、ちゃんと資金もあるから大丈夫」

 納得できるほどの回答を述べた筈なのに、瑠奈の表情は納得していないことを表していた。

「寝る時も制服~?」

「まぁ、そうなるわね」

「そんなの駄目だよ~」

 思わぬ反論に今度はララが納得できなかった。

「確かに制服は楽だけどララちゃんもちゃんとした女の子なんだから~、服はいくつか持つべきだよ~」

「別に必要な――」

「必要だよ~! ララちゃんにもお洒落は絶対に必要だよ~!」

 力説する瑠奈に淑やかな印象を持っていたララは気圧けおされた。

 詰め寄ってくる瑠奈に思わず後退りするが、更に詰め寄ってくる為に威圧感が増してくる。

「ララちゃんは綺麗なんだからちゃんとした服を着れば凄く良くなるよ~!」

「ちゃんとした服って……服が買えないみたいに言ってるけど、別に買えない訳じゃなくて買う必要がないと思ってるだけだから」

「だからそんな気持ちじゃ駄目だって~!」

 何が駄目なのかまったく理解できなかった。

「今度の休日にララちゃんの服を買いに行こ~! それといっつも行ってる喫茶店があるからそこにも連れて行ってあげるから~!」

「わ、わかったわ瑠奈。とりあえずわかった」

 このまま喋り続けられると聞く側のこちらが疲れる。無理にも話を終わらせた。

「その話は考えておくから、次は施設の案内をしてくれれば助かるのだけど……?」

「あ~、そうだね~。じゃあ荷物置いて行こっか~」

「ええ」

「歩きながらさっきの話の続きをしようね~」

「疲れるから後でね」

 今度はきっぱりと断った。


――――――――――◇――――――――――


 繁華街から路地裏を通ると表の活気は途端になくなってしまう。陰湿で黴臭さを漂わせるそこは一般人なら絶対に通らない。過ぎれば次の通りに移るだけだが、それだけの為に使用する気持ちは浮かばない。

 そんな路地裏を通り抜けて出てきた少女は、何食わぬ顔で群衆に紛れ込んで目的地へと目指す。

 彼女はゴスロリファッションに似合わない大きなリュックサックを背負い、アルミケースを片手ににこやかに鼻歌混じりで歩いていく。

 ツインテールの少女は閉店中の中華料理店に、入口から堂々と入って行った。鍵がかけられていないことは前々から知り得ており、ここに誰がいるのかも知ってる。

 店内の脇にカウンターがあり、そこには店主らしき男性が訝しげに目線を移す。少女とわかると奥にある階段を昇るよう首で促し、少女は二階へと向かう。

 二階へ上がるとスーツを着た二人の男に制止させられたが、少女の顔を見て後退った。

 少女がアルミケースをわざとらしく見せると、一人が慌てて部屋へと入っていく。

 すぐに出てくると扉を開けたままなにも言わずに下がり、少女は何食わぬ顔で中へと入った。

 中は麻雀卓が並べられ、麻雀をしていた男達の視線が一斉に注がれる。

 少女は気にもせず堂々と歩いていき、中央の麻雀卓で麻雀をしている男の目の前にアルミケースを投げ捨てた。

 ばら撒かれた牌に苛立ちを見せる者もいたが、男はそんな素振りを見せずにアルミケースを開ける。

「……あ?」

 怪訝な声を出したのは、中身が空っぽだったからだ。

 場の雰囲気が凍り付いたことを少女はすぐ理解したが、なにも恐れるものがなく、逆に笑みさえ見せていた。

「俺はてっきり金が詰まってると思ったんだが。何の悪戯だ?」

「いやいやぁ、悪戯のつもりでもなければ本気と書いてマジなんだけどなぁ」

 背負っていたリュックサックを下ろし、持ちながらもう片方の手でチャックを開けて中に入れ、何かを探しながら話す。

「セナはこうしろって言われたからこうしただけだしぃ。不満ならパパに言って欲しいなぁ。あ、ケータイあるから貸してあげよっかぁ?」

「ふざけんじゃねぇ」

 差し出した左手が払い除けられ、携帯電話が宙を舞って床へと落ちた。

「ガキの使いじゃないってことぐらい知ってるだろうが。それとも本当のガキか?」

「きゃ、怖い怖いぃ。セナ怖くて見られたまま漏らしちゃいそぉうだよぉ」

 台詞の内容とは正反対に、とても楽しそうな表情を見せながら体を縮こませる。

 ふざけた態度に怒りが沸き立つが、なんとか抑えて苦労と要求を説明することにした。

「いいか? 鋸やら鉈やらガキのお前の為に道具諸々と貸してやってる場所、それとパパとやらの為に情報屋の元闇医者も紹介してやった。工具用品は良いとしよう。だがな、場所代やら紹介料は貰わなきゃならねぇ。じゃないと取引は成立しないし、こちとら厳しいんだよ」

「だからお金が欲しいんだねぇ」

「そうだよ」

 今にも爆発しそうな張り詰めた空気の中、ただ一人――少女セナだけは笑みを消さない。

「……聞いていいか?」

「話せるものだけねぇ」

「何の為に工具用品なんか買わせた?」

 男の質問にセナは「あれねぇ」と納得してから答える。

「“趣味”なんだよねぇ」

「図工の宿題でもやってんのか?」

 周囲から小さく嘲笑されたセナは楽しそうに話す。

「そんなところだよぉ。“人間の分解”ってとぉぉっても楽しいんだよぉ?」

「…………あ?」

 セナの言葉に困惑を隠せない男と周囲だったが、彼女は興奮を抑えられず口調が早くなりながらも、自分の“趣味”を語る。

「だってだって楽しいんだよ。人間の眼球をドライバーで刺したり、ペンチで爪剥がしたり、鋸で切ったり引いたりして血が出るのも凄く面白いんだよっ!

 そうそう! 漫画でねっ、死んでても頭に釘刺すと脊髄反射で動くって書いてたのやってみたんだけど本当に動いたの! あっはは、凄く面白くて買ってきた釘全部刺しちゃった!

 昨日もね、昨日もねっ、殺したの! 男五人はすぐ殺してから遊んだけど女三人はたっぷり遊んだよ! 火で目を焼いたり、他にも口の中とか×××とかに真っ赤な炭突っ込んだりもしたよっ!

 凄くてね、ホンッッッットに凄く楽しかったよっ!」

 理解はできるが、理解したくなかった。

 目の前にいる少女は何を楽しそうに語っているのかは理解できる。しかしその内容を理解し、認めたくないというのが男達の気持ちだった。

 どうやらこの少女は“人間で遊ぶ悪い癖”があるらしい。男はそう解釈して無理矢理受け流すこととした。

「そうそう!」

 興奮冷め止まぬセナはステップを踏みながら携帯電話を拾い、なにやら操作し始めた。

「この男も面白かったよ! 歯を全部抜いて爪剥いで、針で刺したり熱したパチンコ玉口に入れたり、最後はつまんないから両目にドライバーぶっ刺して金槌で殴って殺したけどぉ。これ殺した時の写メぇ」

 画面を男に見せた。

「……あ? あ……あぁっ……?」

 無表情を装っていた男の顔はみるみるうちに青ざめていき、恐怖と怒りに満ちた表情で叫ぶ。

 画面に写っていたその男。椅子に拘束され、目にはドライバー二本が突き刺さり、全身の至るところにはセナが“遊んだ”形跡があり、足下に広がる血の水溜まりが凄惨な光景を作り上げていた。

 左腕全体に彫られた龍の入れ墨によって、セナに紹介した元闇医者の情報屋だと判別できた。

「テメェ、ウォンを殺したのかっ!?」

 慌てて思わず椅子から転げ落ちた男の言葉で、ようやく周りも動かされた。麻雀卓に置いていたトカレフ拳銃を握り、銃口をセナへと向けていた。

 それでも動じることのないセナは携帯電話を閉じ、リュックサックの中へと投げ捨てた後、両手を突っ込んだ。

「パパがねぇ、用は済んだから殺していいって言ったからさぁ。セナは言う通りにしただけだもん」

「言う通りにしたとかの問題じゃなく、テメェは事の重大さがわかってやってんのか!? そんな奇形死体をホテル一室に置いておけば安心も糞もねぇ! 下手したら警察だけじゃなくIMIまで出てくる可能性だってある! そこまで考えてやってん」

「……“いちいちウルセェなぁクズ野郎がよぉ”!」

 突然、セナの口調が変わった。ゆったりとした語尾を伸ばす口調から、感情が剥き出しとなって少しだけ早口となっている。

 同時にリュックサックから引き抜いた両手には、ロングマガジンを装着していたグロック17拳銃が握られており、銃口は男の額に突き付けられた。

「セナはアンタらの言うことを聞いてるんじゃなく“パパ”の言うこと聞いてるんだよっ! その意味理解できるよねぇ? ねぇ!?」

 何かが決定的に違う。

 男が今前にしている少女は、先程とは別人のような違いを見せていた。

 もしかすれば、これが彼女の姿かもしれない。

「……今ここで取引を終えたら、それこそ俺達は終わりだ。テメェも、そのパパも終わりだろうが……! わかってんのか!?」

「……どうやら理解してないみたいだねぇ。セナは、パパの言うことしか聞かないって言ってるんだよ? だったらさぁ……」

 引き金を絞ると男の頭が爆ぜた。銃弾は骨を砕き脳を掻き混ぜただけでなく、後ろにいた人間に血肉をぶち撒けた結果をもたらす。

「“パパがこうしろって言ったからするんだよぉ”」

 あまりに突発的過ぎた出来事に周囲の人間は状況を飲み込むことができず、トカレフを撃つことはおろかリーダー格の男が死んだことに疑問を持つ者さえいた。

「ねぇ」

 セナは問う。

「ゲームでさぁ、『悪魔と踊ろう』って言うキャッチコピーみたいなのあってさぁ、どんな気持ちで踊るのかなぁって思ってぇ……」

「ねぇ?」と“悪魔”は問う。

「どんな気持ちなのか教えてよぉ?」

 直後、絶え間ない銃声が部屋中に轟いた。


――――――――――◇――――――――――


 新井恵、高橋新一の二人を迎えに行った智和と強希の計四人はIMIへと戻っていた。

 車は一時的に借りている為に輜重・航空科が管理する倉庫へと返却しなければならない。強希が返却し、そのまま車の整備に取り掛かることを告げられた為、三人は寮の少し手前で降ろされた。

「どうする? 長谷川に報告しに行くんだったら着いていくぞ」

「後でいい」

 恵は空へと両手を伸ばし、うんと背伸びをしてから続ける。

「荷物を寮に置きに行ってからで大丈夫でしょ」

「まぁな」

「それに、部隊に入ったっていう奴の顔も見てみたいし。北原さん経由で渡された書類見ただけだと立派よね。部隊行動の経験ないのは不安だけど」

「その辺に関しては多少問題はあるが直に慣れる。バックアップも兼ねて幅広くいけるだろうな」

「スポッター(観測手)もいけるッスか?」

「お前はどっちも大丈夫だろうが」

「いやいや」と、新一は首を横に振る。

「自分でできるからと言っても、スポッターがいることに越したことはないッスよ」

「知ってる。だから当分は恵がスポッターってことになる」

 すると恵は至って普通に言う。

「私そろそろチビのおりが面倒になった」

「チビはいいッスけどお守りとか面倒ってなンスか!? 酷いッスよ姉さん!」

「悪いな、恵」

「そこは姉さんの名前じゃなく俺の名前なんじゃないッスかねぇ!?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ新一を適当にあしらいながらも、智和はスポッターについて考えていた。

(確かに早急に解決するべきだ。二人が戻り、ララも加わった。四人一組で行動する為にも変わりのスポッター……もしくは新一と同等のスナイパーを探す必要がある)

 簡単に結論を出してはみたが、そう簡単なものでもない。

 新一の狙撃技術は智和でもそう簡単に養えるものではなく、中期生でありながらも狙撃に関しては全学年トップクラスを誇る人材の補給など無理に近い注文だ。そのような人材は既に他の部隊に所属している筈である。

 かといって適当な人材をスポッターとして採用することも簡単ではない。スナイパー同様に『環境を読む』能力が必要となる。風速や距離は勿論のこと気温や湿度、更には状況によって重力も頭の中に入れて計算する必要が生じる可能性も出てくるのだ。

 スナイパーは優秀かつ完璧でなければならない。その“相棒役”に求める条件は高く、実力のある新一と比べてしまえば自ずと高望みしてしまうことは仕方がなかった。

 しばらくは恵と新一のコンビを続けることに決めた智和は、騒ぎ立てている新一と冷たくあしらう恵に声をかける。

「ほら行くぞ。俺だって用事がない訳じゃないからな」

「用事って、その新しく入った人のことッスか?」

「ああ」

「ララ・ローゼンハイン……だったっけ? どんなの?」

「どんなのって……だから言ったろう。ゲシュタポみたいだと」

「組織名言われてもわからない。野蛮ってのしか伝わらないし」

「まぁ会った当初は野蛮で捻くれてたな」

「面倒臭そうな人みたいッスね。ドイツ人の気質そのものみたいッス」

「面倒臭そうで悪かったわね」

「うぉい!?」

 予想しない返答に一瞬だけ肩が強ばった新一が振り返ると、そこには噂のドイツ人と瑠奈がいた。

 瑠奈は相変わらず笑顔だったが、隣のドイツ人は呆れながら智和へと顔を向ける。

「ねぇ智和。そろそろ私のことをゲシュタポで表現するのやめて欲しいんだけど」

「簡単に表現するとしたらそうだろう?」

「間違ってはいないけど大間違いよ。あの時は切羽詰まった状況だったし」

 面倒臭そうで野蛮なドイツ人――ララ・ローゼンハインは言い立てた。

「それとドイツ人の気質とか言ってるチビがいるけど、別にドイツ人全てがそんな“面倒臭そうな”性格してる訳ないでしょう。まぁ私は気にはしないけど」

「こ、心得ておきますッス……」

 新一には横目で見るララの静かな怒気が伝わり、初対面でチビと言われても反論できず萎縮したままだった。

「タイミングがいい。場所が場所だがここで軽く挨拶しといたほうがいいだろう。ララ、この二人が前に軽く話した二人だ」

「新井恵。宜しく」

 簡単な自己紹介をした恵は無表情で右手を差し出した。

「ララ・ローゼンハイン。こちらこそ宜しく」

 改めて名前を名乗ったララは恵と握手する。

 次の瞬間、ララの体が前へ“崩れた”。

「――っ!?」

 何の力も感じられずに前へ態勢を崩されたララだが、本能で危険を感じ取ると右足で踏ん張ってなんとか耐えた。

 そして左手の掌で、顔面に向けられて放たれた恵の掌底を防御した。

「ちょっと……っ!」

 間髪入れずに今度は右膝蹴りされるが、こちらも右足を出して防御し、そのまま足を絡めさせて封じ込めた。

「初対面に向かって良い度胸して――」

「“まだ甘い”」

 聞く耳持たず、受け止められていた左手を滑らせるようにララの襟元へ運ぶと掴み、更に手前へ引き寄せる。

 そして握手したままの右手をようやく離し、ララの首に巻き付けるように回して――

「“そっちこそまだ甘い”!」

 回される直前、離された右手で恵の手首を掴んだだけでなく、左手は恵の襟元を掴んで拮抗状態へと持ち込んでいた。

 ララの険相に比べ、恵はまだ無表情のままだった。しかし何かに感動でもしたのか、口笛を吹いた。

「そのぐらいでいいだろ、恵」

 智和に促され、恵は頷いてからララを離す。

「納得できる説明が欲しいのだけれども?」

 襟元を直し、落ち着きのある態度だったが怒気は含まれていることは明白だった。

「悪いなララ。恵からどれだけできるのか確かめたいって頼まれたんだ」

「確かめる?」

「うん」

 事の原因である恵が智和に代わって話し始めた。

「智和が長谷川先生にまで手を回すっていうことなかったから。それに智和はそんな簡単に人を部隊へ入れようとしないし、珍しく絶賛してたから気になったの。書類だけの成績は簡単に信用できないから、無理言ってそうしてもらった。気分を悪くしたなら謝る。ごめんなさい」

「……そういうこと。だから智和も瑠奈も介入してこなかった訳ね」

 突然の白兵戦が始まっておかしいとは思っていたが、恵の説明で理解できた。

 智和はおろか瑠奈までなにもせず、ただ黙って見守っていたのだ。瑠奈ならば血相を変えて止めに入る性格だとララは知っていた。

 それなのに当の本人は笑顔で観戦していたのだから、これは初めから全て教えられていたとしか思えない。

「ごめんね~。トモ君に黙ってろって言われちゃって~。ずっと秘密にしてたんだよ~」

「恵なら深追いしないからな。そんな心配もなかった」

「だからって突拍子もなく白兵戦することもなかったでしょうに……。まあいいわ。貴方の気が晴れたのならそれでいい」

「悪かったわね」

「もういいわ」

 恵はまた右手を差し出した。

「改めまして新井恵。歓迎する」

「こちらこそ改めまして、ララ・ローゼンハインよ。宜しく」

 一瞬だけ躊躇いを見せたララだったが、恵の右手を固く握った。

 再び白兵戦を仕掛けられることはなかった。代わりに無表情だった恵の口元が笑顔で少し緩み、つられてララも笑顔を見せた。

「で、そこのチビは誰?」

「俺の扱いは変わってないんッスね。泣きそうッス」


――――――――――◇――――――――――


 拵えた死体を眺めて少女は嗤う。

 新しい玩具を手に入れて少女は興奮している。

 玩具は既に足を撃たれ、後頭部を殴られて気絶している。そのままトランクの中に放り込まれていた。

「あはははっ、あっははははははははぁ。あはははは」

 少女は嗤う。血と死体を舞台に舞い踊り、抑え切れぬ興奮と性欲に身を任せている。

 楽しい。

 楽しい。

 楽しい。

 気持ち良い。

「あっははははははははぁあはははあははははっあはははははぁっ。パパ、パパぁ」

 少女の表情は恍惚に満ちていた。頬をほんのりと赤くし、常に想い続ける人を頭に思い浮べながらステップを踏み、回る。回る。

「セナはとっっっっても楽しいよぉ。嬉しいよぉ……。パパの為に、セナの為に、いっぱいいっっっっぱぁぁぁぁい、殺して壊してるよぉ。

 パパが言ってくれたもんねぇ。セナの存在はその為に、パパの為にあるってぇ……。あははははっ。セナは今パパの為に生きてるって実感できるぅ。意味を理解できてるよぉ……。

 だからもっとセナを想って。セナを愛して。セナを慰めて。セナもパパのことを愛してるからぁ……!」

 少女の欲望はまさしく狂い、歓喜し、壊れていた。

 それでも嗤う。

 彼女は自身が壊れているとは知らず、想い人の為に今日もまた狂い笑いながら、一つの玩具を壊していく。


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