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烏は群れを成して劈く  作者: TSK
第一部第1章
5/32

烏と少女は戯れる

血と硝煙が舞う死地こそが舞台。

 進行不可区域。

《7.12事件》によって壊滅し、国から修復不能と断定されて放置された元北区・足立区の“正式”な名称である。犯罪地区という名称が広がっているが、本来の名称とは違う。

 その進行不可区域の周囲、《7.12事件》の残骸が残された区域を準進行不可区域と呼ぶ。

 進行不可区域は、決して足を踏み入れてはいけない。

 準進行不可区域は、基本的に足を踏み入れてはいけない。特に罰則はもたらされない。

 この二つの区域に共通する規則。

『この先に進行する場合の安全保障はない。個人の身の安全が侵害されたとして、仮に死亡した場合とて安全保障はない。国は一切の責任を持たない』

 こんな物騒で無責任な規則の看板が、進行不可区域・準進行不可区域の周囲に数多く設置されている。

 その看板の横をなんの気なしに智和と瑠奈とララの三人は進み、目的地の準進行不可区域へと足を踏み入れた。

「……酷い有様ね」

 ララでも思わず呟いてしまうほど、準進行不可区域の現状は酷かった。

 建物の瓦礫の山。剥き出しの鉄骨。

 ララが後ろを振り向く先には繁栄の証である街が存在し。

 そして前を見れば惨たらしい代償が広がっていた。

「事件で爆破された建物の瓦礫などをどうするのか会議が行われた。とりあえず壊滅状態の区に置いて半壊滅状態の区の復興を目指した。同時に、IMIも建設された」

 荒廃した一帯を眺めながら智和は続ける。

「しかし問題が起きた。壊滅状態の区に人が集まりだした」

「人が?」

「最初はホームレスが居住空間としているだけだった。だが事件で住む場所を失い、行き場をなくした放浪者も住み着くようになったんだ。何千、何万もの人間が一ヶ所に」

「それでも国は対策を出さなかったの?」

「出したさ。そして遅過ぎた。警官隊が出動して退去命令を出したが、数で負けた。何万もの人間の中には色んな職の人間がいた。そしてここには瓦礫の山がある。防壁作って耐えてきた」

「そんな時に犯罪者達の家にもなったって訳ね」

「……どうだかな。一線を引いてるから正直言ってわからないが正しい。俺達や一般人は進行不可区域を犯罪地区と呼ぶが、その犯罪者呼ばわりしている奴らは最初、生きる為にここに来ただけだ」

 ゆっくりと歩きだす三人。周囲を警戒しながら、ホルスターに入っている銃をすぐ引き抜けて撃てるよう意識を張り巡らせ、歩いていく。

「国の対策が遅過ぎた。そして中途半端過ぎた」

「どういうこと?」

「国は最初、援助していた。被災者に食糧や生活用品を与えていた」

「当たり前のことね」

「でもね~、ララちゃん」

 後ろから瑠奈が言う。

「その援助をこの地区でもしちゃったんだ~」

「……? ごめんなさい。悪い理由がわからないわ」

 智和が答える。

「ここは単なる瓦礫置場だ。国で決めた場所だ。そんな場所に勝手に住み着き、いつの間にか数が膨大になってしまっても与え続けた。何万もの人間がいる場所で、無防備に」

「……奪略者が出たのね」

「ああ」

「意外ね。日本人は助け合いするって思ってたけど」

「だいたいの日本人は、な」

「それは外国人に対する偏見って受け取っていいのかしら?」

「偏見じゃない。事実だ。日本人も含まれてる。何万もの人間でそんな奴が出なかったら、それはそれで問題だ」

「平和的でいいじゃない」

「かもな。だけど、そうならなかった。数台の車両を奪われたり、強襲された者もいるらしい。瓦礫置場に住んでる方にとっちゃ迷惑極まりないし、助けを求めたかっただろう。だけど助けを求めた国が攻撃してきた。溝ができるのは簡単で、勝手に深く掘られていく。援助が裏目に出て、妬みも出た。隊員達がストレスの捌け口にもされた。自然と隊員達は避けるようになった。そして衝突した。まるでソマリアだ」

 なんとなく、ララは智和が言いたいことがわかった。

「つまり犯罪地区ではなく、無法地帯だと言いたいのね?」

「ああ」

「管理する人間がちゃんといれば街として機能する、と?」

「思わない。だから“ソマリア”だ。だから“無法地帯”だ。区画整理は行われず、生きる術は非合法しかなく、満足な食糧も物もなく。それが“進行不可区域”なんだ」

 智和が立ち止まる。

「……俺は思う。そこにいる奴は俺達を恨んでいる。憎んでいる。妬ましく思っている。殺したいと思っている。例え俺達がIMIだろうと、奴らにとって普通の人間に変わりはない。今でもまだ捌け口を探している。違法で流れる銃や麻薬で更に肥太り、膨張している。それはいつか俺達に向けられて破裂する。“絶対に。絶対にだ”」

 智和の目付きが自然と細く、鋭くなる。

「“それでも俺達は、いつまでも蔑まれなくてはならない”」

 智和の言葉を聞いてララは黙る。

 彼がこの地区に対する考えはおそらく正しい。進行不可区域の住人は外の住人を憎んでいるだろう。

 簡単な理由である。自分達は何故こんなことになってしまっているのだろうか。

 原因もまた単純。《7.12事件》による被害者だからである。

 だがそんな理由で納得できないのだ。テロによって失われた人生を、「テロだから」と受け入れることができず、そのまま深く根付いてしまい、その憎悪はいつの間にか外へと向けられた。

 原因がテロという事柄ではなく、外の世界に住む人間という存在したものへ方向転換してしまっただけである。

 それも自然に。大量の被害者が、自分達と同じである筈の被害者にも関わらずに。

「……その区域に近い準進行不可区域には誰も住んでいないの?」

「準進行不可区域は単純に瓦礫置き場だった。人が住むには環境が悪すぎる。あっちの住人も出てこないだろ」

「あやふやな情報ね」

「なにしろ情報がないからな。IMIもこんな場所の情報を仕入れているのか怪しい。そもそも、する必要がないからな」

「でも、この先に兄がいる可能性はある」

「いない可能性のほうが高いがな」

 素っ気なく返した後、三人は一言も話すことなく準進行不可区域を歩いていく。

 進んでも進んでも瓦礫の山は絶えなかった。最初は悲惨だと呟いたララも見慣れてきたらしく、ただ前を見て歩いている。

「……あ? 何だあれ」

 数分歩き、三人の目に大きな建物が見えた。

 工場のような大きな建物。崩れかけているものの、未だに形を保っていることに智和は静かに驚いた。なんせ瓦礫しか見ていなかったのだから無理もない。

 周囲を見渡せば、それなりに形を残している建物がある。

 瑠奈が地図を広げて確認する。

「ここみたいだね~。というか目印になるようなものがないから不安だけど~……」

「地図自体が古いから仕方がない。が、ここだろうな。川の近く。もし外れてもしらみ潰しに探す」

「そうだね~」

 地図を上着のポケットに片づけ、ホルスターからベレッタを抜いた。智和とララも銃を持つ。

「さて、どこから入る?」

「爆破されたのならどこかに穴があるかもしれないから、そこから入るのが楽でしょう」

「だといいが。お前の兄貴は入口正面の小部屋に監視カメラか警報を仕掛けるほど用心している。そんな奴が簡単に入れるようにしてるとでも?」

「思うわけないじゃない。兄はドイツIMIの首席よ。本当の天才なのは私が一番知っている」

「目星はあるか?」

「ないわ。兄は本当に慎重だしなにも話さない。私達は警戒して進むしかないのよ」

「なんて面倒な……。まぁそれが確実でもあるか。よし、まずは入口を探すぞ」

 智和の言葉の直後、近くで爆発音が響いた。

 耳を痛めるほどの大きさはなかったが、無視できる音でもなかった。

 三人はその場で頭を小さく抱えるような形になり、すぐ音がした方向に振り向いた。

「……どういう状況だと思う?」

「俺が知るか。レオンハルトが自ら引っ掛かるような馬鹿じゃないなら……先客が引っ掛かったか?」

「先客? レオンハルトが第三者に?」

「何か思い当たりはあるか?」

「あるわけないでしょ。あっても、こんな場所まで追ってくる馬鹿なんていないわよ」

「自分で馬鹿だって決めたな」

 智和の発言にララはあからさまに不機嫌な表情をする。

「……とにかく、先客がレオンハルトと接触する前に潰すわよ」

「どっちを?」

「どっちもよ」

 ララが爆発音した方向へ一足先に走りだし、智和と瑠奈は後を追っていく。

 走ってすぐの場所に、外壁の一部が崩された箇所があった。

 どうやら裏口にあたる場所らしく、鉄製の扉が変形し、コンクリートの壁がボロボロになって崩れていた。

 その床には、全身が真っ赤に染まっている死体“らしき”ものが転がっていた。

「うわっ……」

 らしき、というのは、それが人の形をしていなかったからだ。

 手足が千切れたような状態で転がっており、上半身と下半身が別れたり、またどちらかがなくなっていたりと悲惨な光景がそこにある。

 思わず瑠奈は苦言を漏らしたが、智和は顔色一つ変えず死体の横に立ち、爪先で死体の顔部分を上げさせた。

「……クレイモアか? 真正面から受けた奴もいるし、壁も破片になって刺さってやがる」

「先客らしいわね」

 ララも普通に臓器が浮かぶ血の水溜まりの中を歩き、死体を見下ろした後は廊下の先を見る。

「それも結構な数がいる。二手に別れてるけど足跡が多過ぎる。小隊規模かもしれない」

「どこのどいつか知らないが急いだ方が良さそうだ」

「でもさ~……ララちゃんの言う通り小隊規模だったらヤバいよね~?」

「だとしてもやるしかないだろ。長谷川からまだ連絡がない」

 慰めにもならない智和の発言は、瑠奈に更なる不安を与えるだけだった。

(だが瑠奈の言う通りだな……)

 瑠奈の意見。口頭ではどうにもならないと答えた智和だったが、内心では瑠奈と同意見だった。

 ララの言う通り相手は小隊規模の戦力がいると考えて間違いない。二手に別れ、レオンハルトを追っているのも間違いないだろう。

 対してこちらの戦力はIMIの学生三人。拳銃しか装備しておらず、ララはMP7を持っているが火力は劣る。

 更には長谷川からの部隊編成連絡がまだ来ない。援軍の希望などなかった。

 どちらが有利で不利なのか馬鹿でもわかる。

 それなのに智和が愚痴をこぼさない。

 ララが原因だ。

 彼女の目的はレオンハルトただ一人。肉親である彼を追い掛けて追い掛けて、ついにはこんな島国にまでやって来たのだ。

 ララは最早レオンハルトしか眼中にない。智和が茶々を入れて待機や撤退の提案を打ち出したら、きっと彼女は出会った当初のように険悪になるだろう。最悪、殺し合いにまで発展する可能性もあった。

 それほどまでにレオンハルト・ローゼンハインは、ララ・ローゼンハインにとって心の中に残っている。心の奥底に刻み付けられている。

 彼が彼女の生き方に影響を及ぼし。

 彼は彼女の意志に深く根付いている。

 ララとレオンハルトは、繋がっている。

 切ろうとも切れず、離れようとも離れられず。それはきっとララも自覚していただろう。

 だから彼女は追い掛けた。

 その為だけに。

 赤の他人に入る隙間はなかった。智和でも例外ではない。

 それ故に心配なのはララの暴走だった。

 レオンハルトの為ならば躊躇なく制圧任務を殲滅任務へと変える彼女である。もし大事な局面で勝手な行動をされた場合、危険が及ぶのは自分達三人なのだ。

「わかってると思うが勝手に突っ走るなよ。援護なんて期待するな」

「――ええ。わかってる」

 マガジンから弾丸を装填してMP7の安全装置を解除したララの言葉は、冷たい感情しか持ち合わせていなかった。

 既にララの意識はレオンハルトに持ってかれていた。こんな状態では共闘もへったくれもなかった。

 瑠奈に顔を近づけて耳打ちをする。

「……今のララはまずい。絶対先走る」

「トモ君もわかる~?」

「第三者と交戦中にレオンハルトを見掛けたら飛び出すだろうな。おそらく止められない。もしそうなったら俺が第三者の注意を引くから、瑠奈はララの援護を頼む」

「行かせちゃっていいの~?」

「行きたいなら鉛の雨を掻い潜って行くんだな」

「……トモく~ん。洒落にならないと思うよ、それ~」

 小声でララの動向に対する打ち合わせを簡単に済ませ、智和と瑠奈もベレッタM92を構える。

「誰が前行く?」

「俺が前に行こう。次にララ、瑠奈。異論は?」

「おっけ~」

「なし」

「それじゃあ行くぞ。時間がないから走る」

 智和が駆け足で、ララと瑠奈の順番で建物の奥へと突き進んでいく。

 時間がないから走ったが、第三者達が血を踏んだ足跡がまだ少し残っており、それを辿れば後ろから強襲できると考えた。

 ブービートラップの可能性を考えたが建物内で爆発などはしていないことを考え、流石に仕掛ける余裕はないらしい。

 第三者達の足跡が消えたところで智和は駆け足をやめ、足音を消して慎重に曲がり角に張りつく。横にララと瑠奈が位置についた。

 左手で制服の上から何かを探す智和の行動にララは首を傾げたが、瑠奈は何を探しているのか理解できたらしく、自分の上着の内ポケットに右手を入れた。

 出した右手には手鏡があった。それを差し出された智和は素直に受け取り、気付かれぬよう少し開いて廊下の様子を見始める。

 鏡に映ったのは人間二人。

 智和が人間としか認識できなかったのは、二人がフェイスマスクで顔を隠していたからだ。

 タクティカルベストに同じ服装。MP5A4短機関銃で統一された装備。

 更に五人その場に増えて七人となる。

「いたか?」

「いや」

「金髪のドイツ人なんてすぐに見つかりそうなんだがな」

「無駄口を叩くな。クライアントからは要注意と念を押されたんだ。わざわざこんな島国にまでやって来てこんなことしているんだ。さっさと見つけだすぞ」

「ドイツ語……?」

 ララが呟く。

 思わず智和は振り向いたが、すぐに鏡へと視線を戻したが完全武装した集団は背中を向けて走り去っていった。

 手鏡を瑠奈に戻し、顔を覗かせて廊下の様子を眺める。

「聞こえてたのか」

「耳はいいほうよ。マスクか何かで顔を覆ってるのかごもってたけど、ドイツ語ってのはわかるわ。自信を持って」

「現地人が言うなら本当だろう」

 警戒を怠らずに廊下へと出て奥に進む。

「だがあの兵隊達は何でレオンハルトを狙うんだ? なんの利益があるんだか……」

「知らないわよ。もしかしたら雇われただけじゃない?」

「雇われただけ、か……。だとしたら、そろそろあの諜報員が怪しくなってきたな」

「エリクが?」

「言うの忘れてたが移動中に長谷川から――」

 刹那。

 何かを感じ取った智和の目が見開き、ララの行く先を右手で封じると同時に握っていた拳銃の引き金を絞った。

 右へ伸びる廊下に二発撃ち込んだ後、廊下の先から短機関銃で反撃された。

「下がれ!」

 急いで様子見をしていた場所まで走って戻る。

 智和が確認しようとするが、撃ち込まれてしまい頭を出すこともできなかった。

「しくじった。まさか残ってたなんて」

「私にしたら反応して撃ち込んだことに驚いてるのだけど」

「だとしてもあり得ない失敗だ。くそ。やっぱりララの言う通り怠け過ぎてたな、ちくしょうが」

 拳銃だけを出し、廊下で敵意剥き出しの兵隊達に撃つ。

 当てるつもりでいるが別に外れてもかまわない。かと言って当たって動けなくなっていれば嬉しいことこの上ない。ララと瑠奈が横切るまで頼りない弾幕を張れればいいのだ。

「行け行け行け行け!」

 ララが先に、次に瑠奈が横切る。

 弾切れとなってマガジンを交換すると、今度はララがMP7で弾幕を張った。

 智和が横切る間は引き金を離さず、四十発マガジンを一本丸ごと使いきってしまった。

 弾幕がなくなれば相手はすぐに追って来る。だが対抗できるほどの火力はない為、この場で迎え撃たず一目散に逃げた。ララもすぐにマガジン交換せずまずは駆け出した。

「マガジン一本使いきるなんて今までのララじゃあ考えられないな」

「誉めるなら後にしなさい! というか何で冷静なのかしら!?」

「これでも焦ってるんだがな。こっちだ」

 曲がり損ねようとしたララを、腕を掴んで無理矢理左へ曲がらせた。

「どうするつもり?」

「殺すしかないだろ」

「さらりと言う言葉ではないけど正論ね。でも勝算は?」

「ララと瑠奈でなんとか正面から止めてくれ。俺が横っ腹か尻を叩く」

「本当に少ししか持たないわよ?」

「かまわない」

「じゃあそこで迎え撃つわ。早くしてちょうだい」

 左右での別れ道に差し掛かり、ララと瑠奈は立ち止まって迎え撃つ態勢へ。智和は左へと曲がった。

 後ろ姿を見送ったララはようやくマガジンを交換する。

 ふと思い出し、手を止めて呟いた。

「……そういえば、智和の様子が少し変わった気がするのは気のせいかしら?」

 問いに瑠奈の表情は素直に驚いていた。

「すごいね~ララちゃん。トモ君の変化が半日でわかるなんて~。私なんか二日ぐらいで気付いたのに~……なんかショックだな~」

「言葉遣いも少し荒いというか……汚なくなってたわね」

「トモ君のスイッチみたいなものだから気にしなくても大丈夫だよ~」

「……瑠奈は本当に信頼してるのね。少し羨ましいって思った」

 瑠奈の満面を笑顔で智和とどれほど深い繋がりなのかすぐにわかり、同時に自分の孤独を思い出して不覚にも感傷に浸ってしまった。

「いたぞ!」

 敵の大声。発砲。

 壁際に被弾して飛び散った破片がララの頬を切り裂き、一筋の血が流れる。

 正気を取り戻したララは、銃口を敵に向け迷うことなく乱射した。


――――――――――◇――――――――――


 ──殺せ。

 言う。

──殺せ。

 囁く。

──殺せ。

 投げ掛ける。

──殺せ。

 いざなう。

 言葉の主の姿はわからない。だが予想はつく。こんなのは気色悪い悪魔みたいな奴だ。

 それは“俺”だ。“俺自身”だ。

 人を殺し、殺しに殺し尽くす為に欠かせない重要な役割を担う“もう一人の自分”だ。

──殺せ。殺せ。殺せ。

 言わなくともわかる。囁かずともわかる。投げ掛けずともわかる。いざなわずともわかる。

 これは俺で、俺はこれで。

 心に巣食うみにくくて恐ろしく、危険な自分。

“これが戦闘本能だ”。

“これが生存本能だ”。

 生きる死ぬの瀬戸際を綱渡りする自分には必要不可欠で、無くしてはならない大切なもので、とてもとても馬鹿馬鹿しい。

──殺せ!

「当たり前だ!」

 ナイフで前にいた人間の首を掻き切った。

 噴水のように溢れ、散らかされる血が綺麗に舞う。

 また人を殺したと、実感できる瞬間だった。


――――――――――◇――――――――――


 背後から隙を突かれた兵士達八名の連携は、簡単に脆く崩れ去っていった。

「何だコイツは!? いつの間に!」

 ナイフ一本で襲い掛かる智和に照準を合わせるが、それはララと瑠奈に背後を見せるということである。次々と銃弾の餌食になっていく。

「クソッ!」

 かといって今度は智和がナイフで首を掻き切ってくる。腹や胸、脇腹や足ならともかく、首や眼球を狙ってくるのだ。

「くはは」

 笑っている。

 兵士達を殺すこの青年は笑っている。

 平然とえげつない殺し方をしては笑っている。

 だがそれは殺しや奪うことを楽しむということではなく、己のわざを振るっているに過ぎなかった。

 智和は戦闘を目的とした狂奔きょうほんそのものであり、そこにこそ意味がある。

 故に彼は戦闘に意味を見出だす。

“それこそ智和の象徴である”。

 智和は二人。注意を引き付けた時にララと瑠奈が三人殺した。

「このクソガキがッ!」

 ナイフの一撃をなんとか避けた兵士は智和の腕を掴み、腹に膝蹴りを食らわせた。

 自分が築き上げた死体に倒れ込み、背中を見せる形になってしまった。

「調子乗りやがって!」

 怒りの目で睨み、銃口を向けるが引き金は引けなかった。代わりに血飛沫が舞っていた。

「ああああああっ!!」

 ララが大声を上げ、MP7を乱射しながら走ってくる。

「この、ガキめ!」

 二人が倒れながらも、一人の兵士は撃たれてもまだ倒れずに銃を構えるが、目前までせまっていたララは飛び蹴りをお見舞いさせた。

 どちらも受け身を取れずに背中から倒れ、ララに関しては強打した。息が詰まってすぐに動けなかった。

「ララちゃん!」

 そこにすぐ瑠奈が駆け付け、死に物狂いで体を起こそうとしていた兵士の頭に二発撃ち込んだ。

「ちくしょう……このクソッタレめ」

 悪態つきながら四つん這いになった智和を見た瑠奈は大丈夫だと察し、背中を打ったララを心配した。

「大丈夫?」

「まぁ、ね……智和との模擬戦よりマシだからいいけど」

 出会った頃の険悪で屈辱的な経験を冗談として使えるぐらい大丈夫だった。

 それでもララの体を気遣い、支えながら上半身を起こさせた。

「本当に鈍ってるなクソが……。ララには助けられるな。ドイツの奴らは本当に損してるよ。こんな奴を部隊に誘わないなんて」

「熱心に誘ってくるのはいるけど」

「色男?」

「煩い」

「だろうな」

 空笑いして床に腰を下ろした智和は天井を見上げる。

 彼の“左手”に握られている“拳銃”を見てララは呆れた。

「……ねぇ智和。私の見間違いじゃなければ、貴方の左手のそれはベレッタよね?」

「ああ。そうだ」

「信じられない……自分で撃てたのにわざと私にらせたでしょ!? 貴方の位置なら兵士の奥が見れるし、私が走りだしたのも全部わかったでしょ!?」

「ああ」

「ふざけないでよ! 素っ気なく言うのも大概にしなさいよね!」

 結論から言ってしまえば兵士に蹴られて床に伏せた時、智和は無防備かと思えたが実は左手に拳銃を握っていたのだ。

 更には、撃てたのにも関わらず、智和の目線だと奥の廊下の様子も丸見えだったのだ。ということはララが走りだし、MP7を乱射することも全て見ていたのだ。

「いいじゃないか別に。生きてるんだからな」

「生きてる? 生きてるですって? 確かに生きてるけど生死を賭けた場面でそんなことする? 撃てるなら撃ちなさいよ馬鹿! 本当に狂ってるわねアンタは!」

「元がこれだから“仕様がない”」

「仕様がないなんてレベルじゃないのよ! 撃つなら撃ちなさいよ! 生きるか死ぬかの場面でそんな賭けするんじゃないわよ馬鹿!」

「……お前は怒ると言葉が単調になるんだな」

「そういうのが馬鹿だって言うのよ!」

 言葉が荒くなるのも仕方ない。ただ単純に智和の行動が気に食わないのだ。

「智和が仲間意識を大切にしてるのはよくわかるわ。瑠奈やあの教師や先輩や輜重科の奴を見てればよくわかるわ! 余所者の私を簡単に信用してくれるのは嬉しいけど貴方のやり方には慣れてないのよ! そんなことに私を“巻き込まないで”! “ずっと独りだった私を巻き込まないでよ”!」

 ドイツIMIでは独りで活動していたララ。それは孤独ながら一人で自由気ままに行動できたのは確実である。

 だが智和は違った。彼はララを特別扱いしなかった。

 最初は敵対し合っていた。だがそれでも彼女を“仲間”として扱い、生きるか死ぬかの瀬戸際でララに任せた。

“それがララには許せない”。

 ララはずっと独りで、仲間意識を持っていなかった。ずっと兄の面影を追い掛けていた。

 そんな一人勝手で我が儘な西洋人に智和は命を預けたのだ。

 普通なら命を預けるなんてできない。一日しか話をしていない者に自由な行動を許さない。我が儘な女に好き勝手なんてさせない。

 なのに、なのに智和はそれを許容した。

 それがララには、許せなかった。

 自分が智和と同じ立場だとしたら絶対に許せないのに、智和は許した。だから許せず、言葉が乱れる。

「お願いだから……そんな期待しないで……。我が儘な私を、簡単に信用しないでよ……!」

 独りが故にララは仲間に対する期待を知らない。絶対的な信頼を寄せられることに慣れてなく、それに応えられなかった時の恐怖が恐ろしくて堪らない。

 この世界では、生きるか死ぬかの二つしかないのだから。

「……泣きながらそんなに訴えることでもないだろうに」

「……泣いてなんかいないわ」

「お前の実力を承知した上で任せたことで、成功すると確信していた。だからやらせた。もし失敗してもそれは俺のせいだ。“それで終わりだ”」

「だから怖いのよ」

 こんな言葉を平然と言ってしまう智和をララは恐怖する。

 彼は躊躇なく実行できる。例え何百人を殺すことになろうとも、無関係な人間を殺さなければならないことになろうとも、この男は必要とあらば躊躇なく引き金を引くだろう。

 機械のように、冷酷に、平和を保つ為に犠牲を増やしていく。

 最早どこぞのテロリストとなんら変わりないほどの恐怖と暴力。

 神原・L・智和は暴力の象徴。

 故にララは恐怖し、危惧する。

 こんな状態を続けていれば間違いなく智和は壊れてしまう。それも自らではなく、他人が酷使して破壊されてしまう。

 だとしても「仕方ない」と済ませてしまうのだと考えれば、いかに智和が自分の身を考えているようで考えていないのかがよくわかる。

 智和は本当の馬鹿で、狂ってる。

「……瑠奈。よくこんな奴についていけるわね。感心するわ」

「えへへ~。よく言われるよ~」

「言われちゃ駄目でしょ。あと笑顔で言うことじゃないから」

 もはや呆れ果てたララは溜め息を漏らした後、思わず笑顔がこぼれた。

 初めて彼女が笑った瞬間だった。

 しかしその表情がふっ、と消えた。

 無表情に近いララの表情を見た二人も笑みが消え、智和ではないずっと奥を見続けていたので彼女の目線を追った。

 その先にいたのは。

 智和よりも遥かに長身で、尚且つ細身でしなやかな体格。碧眼で、ショートカットの金髪。顔立ちは綺麗に整えられている美男子で、それはララにも似ていると思うことができた。

「あ……あ……」

 言葉にならない声のララの中には一体何があっただろう。

 それは驚きでもなく、感動でもない。

 この時は、単なる怒りが生まれていた。

「レオン……ハルト」

 エリクから見せられた写真。偶然見つけた家族写真。二枚の写真に写っていたその男。

 ララが追い続けた男であり兄でもある、レオンハルト・ローゼンハインが目を丸くしてこちらを見ていた。

「……っ!?」

 智和が気付いて振り向くが、既にララは走りだしていた。

 すぐに気付かなければいけなかった。ララはレオンハルトに執着し過ぎていた。建物の捜索直前、彼女はレオンハルトにしか興味を示していない動作や口調を智和は察していた。

 だからわかりきったことだった。レオンハルトを見れば、ララは一人で走りだすと。

 レオンハルトは走ってすぐに消えた。ララは後を追って廊下を左に曲がる。

「待ってララちゃん!」

 後を追おうとした瑠奈だったが、智和が体全体で壁に押さえ付けるように阻止した。

 何事かと困惑した瑠奈だったが、連続して響く銃声と智和の左腕から線を引くように流れた血を見て、新たな敵の登場だと理解した。

「トモ君!」

「角まで走れ!」

 拳銃による貧弱な弾幕を張りながら、二人は曲がり角まで全力疾走した。

 銃撃されながらも曲がり角まで後退した二人。智和はララとレオンハルトが消えた方向に目をやるが、そこには誰もいなかった。

「クソッタレだな本当に。散々な一日だ。馬鹿にされるわ首絞められるわ粉塗れになるわで、神様が鈍りきった俺に天罰でもプレゼントしてくれたのか?」

「……ごめんね、トモ君。ララちゃんを追えって言ったのに、助けられる羽目になっちゃって~」

「緩んだ俺にも責任があるし、あんだけ撃たれちゃ仕方ない。気にするな」

「撃たれたとこは大丈夫~?」

「擦っただけだ。それより問題なのは……!」

 マガジンチェンジした拳銃を出し、近づこうとしていた兵士達に威嚇射撃した。

 狙いを定めていないのだから弾幕を張るとは意味合いが違う。ただ相手に、撃たれている、狙われている、という感覚を与えられればいい。

 そんな虚仮威こけおどしが通用するほど軟弱な相手ではないと理解していたが、しないよりはマシという判断だ。

 そして、虚仮威しが続けられるほど弾薬が足りているかと聞かれれば、答えはノーだった。

「これで弾がなくなる。お前は?」

「銃に装填してるのと予備合わせて二本と~、さっきの銃撃戦で結構使っちゃったから~……」

「命令しといて悪いが仕方ないな。だがまぁ……追い詰められてるのは確実か……」

「敵の数はわかる~?」

「三人。偵察して合流しようとしてたんだろうな。殺れる人数だが距離がある」

「MP5で弾幕張る~?」

「拾う前に蜂の巣だろ」

「大人しく逃げる~?」

「プライドが許さねぇ」

「プライドって~……」

「逃げても俺達に不利が重なるだけだ。第三者にはまだ数があるし俺達は荷物が多過ぎる。叩けるなら、叩き潰す」

「何か思いついたの~?」

「質問していいか?」

 質問を質問で返されて、「いいよ~?」と答えながらも疑問系の返事になってしまい首を傾げた。

 こんな事態でも可愛らしく見える仕草の瑠奈を、智和は至って真面目な表情で見た。

「ベレッタでの射撃訓練やったことあるか?」

「……ん~? まぁ、うん、入学当時はぐらいだげど~。というかやらされたよね~。それっきりで私はグロックに変えちゃったけど~。何で~?」

「二十から三十メートルにおける集弾率。成績何位だった?」

「え~……ちょっとわかんない。ねぇトモく」

「スピードリロードの練習。俺が付きっきりでやったよな?」

「……え。ちょっとトモ君。もしかして~……」

 ようやく瑠奈は智和が何をしようとしているのか気付き、共に任務をまっとうしてきた仲間でも思わず言葉を失った。


――――――――――◇――――――――――


 静かな空間で兵士達は立ち往生していた。距離のある廊下を渡りきる前に、二人が銃撃してくることは明白だった。

「静かだ」

「おかげで動けない。クソ、何でガキ相手に手間取ってんだ俺達!? 第一、IMIのガキと殺り合うなんて仕事に含まれてねぇぞ!」

「だとしても日本だぞ、日本。平和ボケした島国のIMIなんてたかが知れる」

「IMIは本物の戦闘集団育成所だ。別物と考えろ。ベル、マーケンヤー、制圧射撃だ。顔を出させるなよ」

「了解」

「グレネード持ってくりゃ良かったぜ」

 兵士達の準備が整い、一気に飛び出して勝負を決めにかかる。

 しかし真横に位置していた壁の一部が砕け、破片が飛び散ると反射的に後ろに下がった。

 その後も一発ずつだが連続的に銃撃され、釘付けのままだ。

「クソ! ガキが顔を狙ってくんなよ!」

「当たらないだけマシだろ」

「もう応援呼んじまおうぜ。というかまだ撃ってきてやがる」

「レオンハルトとか言うドイツ人に使ってる。呼ぶことはできない」

「だったら撃ち返せよ。Ⅲ規格のボディアーマーだ。当たっても死にやしねぇ」

「衝撃が半端なく痛ぇんだよ」

「そりゃお前だけ――」

 ――言い終わる直前、三人の目の前に何か飛び出してきた。

 上半身を沈めて態勢を低くし、手にナイフを持っている男――智和が薄笑いを浮かべていた。

 先頭の兵士は智和の動きに反応できず、喉元にナイフを突き刺される。

 引き抜くと血が溢れ、兵士は喉元を押さえ声を出せず床に崩れ落ちた。

「……クソッ!?」

 二人目の兵士が短機関銃を構えるが智和の右手によって弾かれる。

 そして向けられたのは左手に持つベレッタM92拳銃。

 一時の迷いもなく引き金が絞られ、マガジン内に残っていた五発の9mmパラベラム弾が兵士の喉や頬、目やひたいを撃ち抜いた。

 兵士が倒れていくその奥で、最後の兵士が照準を合わせて構えているのが見えた。五メートルあるかないかの至近距離では、流石の智和も銃弾を躱すことはできないだろう。

 だが軌道を僅かに逸らすことは可能である。

 振り抜いていた右手を真上へ向けるように振り上げ、ナイフが真っ直ぐ兵士へと飛んでいく。

 動作を見た兵士はほんの僅かだが動揺し、咄嗟に避ける仕草をしている最中に引き金を引いた。

 ナイフと銃弾がすれ違う。

「チィ……!」

「ぐっ!」

 銃弾の数発は智和の頬と髪の毛に擦り、ナイフは兵士の左肩に切っ先だけ突き刺さり、弧を描くように抜けていった。

 痛みに負けてはならない。隙を突かれると理解していた兵士だが、ほんの僅かな時間でも智和に与えてはいけなかった。

 智和は手刀で短機関銃を弾き落とし、左手に持っていた拳銃を離し、即座にグリップから銃身へと握り直すと、台尻で兵士のこめかみを叩きつけた。

 あまりの衝撃に世界が揺れるような感覚を覚えた兵士は、壁にもたれかかるように倒れる。

 智和は追い打ちを続ける。グリップ全体が歪み、へこむほど兵士のこめかみを殴り続けた。

 殴り過ぎて兵士の肉が裂け、頭蓋骨が赤黒く染まっているのが見えても手が止まることはなかった。

「も……もう、やめろッ!?」

 兵士が叫ぶが智和の手は止まらず殴り続け、最後は足下に転がっていたナイフを踵で蹴り上げて宙へと浮かばせると、右手で掴んでそのまま兵士の喉元に突き刺した。

「ドイツ語知らねぇよ。悪く思うな」

 日本語で呟いた後、再度ナイフをねじ込んでから引き抜いた。兵士は見開いたまま俯き、ぴくりとも動かなくなった。

 べっとりと血で塗れたナイフを見てから使い物にならなくなった拳銃に目をやった智和は、兵士に言った言葉を思い出すと鼻で笑った。

「何が悪く思うな、だ。馬鹿馬鹿しい」

 師の言葉であり、自分の信条でもあり、本来あるべきIMIの姿でもあると想い続けていた言葉も思い出し、何を言っているのかと自虐した。

「トモくっ……ん……」

 走ってきた瑠奈は現場の惨状を見るや否や深い溜め息を吐いた。

「派手にやったね~……最後はさすがの私でも……うぇってなるや~」

「いつものことさ」

「壊れちゃったね~。ベレッタ」

 指摘通り、ベレッタは使い物にならなかった。しかしマガジンもなかったので投げ捨てた。持っていても意味がなかった。

「は~い」

「あ?」

 瑠奈がハンカチを差し出してきたが、意味がわからずに声をあげた。

 次に取り出したのは様子見にも使われた手鏡。鏡を向けられて己の姿を確認した時にようやく理解した。

 顔が真っ赤になっていた。敵を蹂躙して浴びた返り血だった。

 自分の姿を確認するまで臭わなかった血生臭い鉄の臭いがしてきた。

 瑠奈の好意に甘え、ハンカチで血を拭き取った。

 中々拭うことができなかったものの、少し強めに力を入れたことで拭き取ることができた。

「これからどうするの~?」

「どうするって、ララを追わなきゃいけないだろうが」

「だよね~」

「あんなタイミング良くレオンハルトと出くわすなんて思いもしなかった。にしても……」

 赤く濡れたハンカチを戻し、周囲の惨状を目にした智和は呟く。

「こいつら一体何者だ?」

「傭兵とかじゃないの~?」

「レオンハルト殺す為にわざわざこんな場所までご苦労なことだな。それほど報酬が魅力的なのか?」

「にしては装備が整い過ぎてるよね~」

「どっかで見たことあるんだがな……どこだったか」

 頭の中を探って記憶をさ迷っている最中、智和の携帯電話が鳴り響いた。


――――――――――◇――――――――――


 どのくらい追いかけたのかわからなかった。

 ただがむしゃらにレオンハルトの背中を目指して走っていた。

 ララはふと、自分は銃を持っているという初歩的なことを思い出し、MP7に最後のマガジンを差し込んで銃口を前に向けた。

 引き金を絞るが、いくらララといえど走りながらの銃撃は当たらなかった。第一銃を持っていることを忘れるほど我を忘れている状態では、当たるものも当たらなかった。

 マガジンを使い果たしたMP7を放り投げ、一先ずレオンハルトに追いつくことを先決として全力で廊下を駆け抜ける。

 あの背中へ。短いながらも長く追い求めた兄の背中を掴む為に。

 駆ける。駆ける。駆ける。

「レオンハルトぉぉぉぉ!」

 少女とは思えぬ叫び声が響き、彼と、彼女の足がピタリと止まった。

 二人はいつの間にか外に出ていた。広い駐車場を囲うように周囲には古い建物がある。

 呼吸を整えながらレオンハルトの背中を睨むララ。

「……やっと、やっと捉えた。やっと、私の目の前に立たせてやった」

 持っていたもう一つの銃ワルサーP99を向けたとほぼ同時、レオンハルトも正面を向くと同時にSIGザウアーP226を向けてきた。

 二人の間に緊張が走る。

 ララは睨みつけて怒りを表し、対照的にレオンハルトは何かを隠しているかのように無表情だ。

「――ララ」

 拮抗した状態で、レオンハルトは口を開いた。

「父さんと母さんは無事だったかい? ローラとアダムはいなかったんだろう?」

「……何をふざけたこと抜かしてるのっ!?」

 レオンハルトの口振りが癪に触り、必死に我慢していた感情が一気に表へと流出する。

「あなたじゃない! 全部あなたがやったじゃないの!? 父さんと母さんが入院して、ローラとアダムがどれだけ悲しい思いをしてるかわかってる!?」

「……ああ。わかってる」

 瞼を下ろしたレオンハルトの表情に一瞬だけ曇りが生じた。

 だが再びララを見つめることで曇りは消え、何か吹っ切れた様子のレオンハルトは強い口調で続ける。

「そんなことになってしまったからこそ、僕は僕のやるべきことを果たさなければならない。これは僕の“使命”だ」

「家族を犠牲にしてまでも?」

「それがルールだ。覚悟はできていたよ」

「……もう無理ね。もう、我慢できない」

 唇を強く噛みながら、少女は引き金を絞り続けた。

 銃声が、空しく轟く。


――――――――――◇――――――――――


「エリクに雇われた傭兵だと?」

 長谷川からの電話を受けた智和は、拡声機能を入れて瑠奈にも聞こえるよう携帯電話を持っていた。

 若干ノイズが混じる中、長谷川は説明を続ける。

『そいつが言うにはエリクから多額の報酬で雇われ、エリクと共に捜査団体と偽って入国したらしい。それ相応の準備も持って、な』

「待て待て。いくらエリクでもチェックは受けるだろ? ただでさえ穏便に調査を進めたいと思ってる本人が、わざわざ問題は起こさないだろうに」

『それが面白いことにエリクとララ、その傭兵集団のチェックを見過ごすよう促した奴がいる』

「そんなことする奴なんて――おいまさか」

『そうだ。私達の国のお偉方にエリクと通じている奴が確実に存在している。諜報保安部――IMIの諜報活動専門部隊――からの情報で何らかのコンタクトを取っていたのが判明した。

 更にそのチェックを行う予定の警備員を問いただそうと生徒を向かわせたが、警備員の名簿リストにそんな人物はいなかった。幽霊のように消えてしまった。胸くそ悪い話だろう?』

 諜報科の生徒で選抜されて組織される『諜報保安部』。諜報活動を生業とするそこの情報なら確実と言って間違いなかった。

「じゃあ俺達とララが制圧した奴らも?」

『ああ。しかも見え見えの囮だった。それにお前と瑠奈と中期生合同の任務の際も、エリクは囮として傭兵を動かしていた。私達は完全に踊らされていた』

「思い出した。こいつらの装備や風貌をどこかで見たと思ってたが……その時だ。中期生合同任務の際に殲滅した兵士達と重なる」

『エリクが用意させた銃と装備だとしたら話は繋がる。あと問題は……お前達が見つけたリストとレオンハルトだな』

「何かわかったか?」

『琴美と諜報科の生徒数名による特別チームに調査させたところ、お前達が見つけたリストは報告通り銀行口座だ。エリク本人の口座もあれば、身元不明人物の口座もある』

「身元不明人物?」

『この世に存在しない人間が口座に多額の金を持っていた記録だ。そういった口座が数多く存在していて、現在だとその全てがなくなっている』

「どういうことだ?」

『わからん。これはIMIの捜査容量を大幅に超えている。おそらくIMI本部に伝達した後、FBIやらCIAに提供されるだろうな』

「レオンハルトの正体はわかったのか?」

『それも判明した。レオンハルト・ローゼンハイン。二十二歳。ドイツIMIを二年飛び級かつ首席で卒業した後、IMIの援助を受け情報解析を主とする個人企業を設立。“表向き”がこれだ』

「表向き?」

『本業が面白いぞ、聞いて驚け。レオンハルトもBNDに所属する諜報員だ』

「ああっ!?」

「ええっ!?」

 話がややこしい時に思わぬ事実を聞いた二人は同時に声を上げた。

『表向きの職業は全てカモフラージュだ。情報解析とか言いながら結構えげつないことをしている。情報工作、爆破などによる破壊活動、テロリストや犯罪者の拷問まがいの尋問や暗殺、エトセトラエトセトラ……危険な部類の人間だ』

「ガチガチの諜報員だな。相手にしたくない。だが何でエリクはレオンハルトを殺したがっている? 危険だからか?」

『ある意味危険だな。自分の身を暴いたから殺したがっている』

「自分の身?」

『エリクは《7.12事件》に関与している疑いがある』

 長谷川の言葉に二人は息を呑んだ。

『この事実を確認する為にBNDと連絡したところ、あちらも二人の行方を探していた。最初はレオンハルトに注目していたらしいがエリクの行動記録が怪し過ぎることと、例の口座記録や入国状況を報告した。レオンハルトとエリクの立場は逆転した』

「そのことをエリクは承知済みだろうな」

『仮にも諜報員。さっさと逃げてるだろうな』

「……いや、まだここにいるぞ。兵隊がその“証”だ」

 エリクがIMIの捜査能力を甘く見ていることはまずない。例え独自の機関であるIMIだとしても常に情報は絶やさず交換し続けている。すぐ自分の正体が見破られてしまう。そうなってしまう前に姿を消さなければならなくなる為、長居はできなくなる。

 だがそんな危険を冒してまでエリクはまだここにいる可能性が高い。ここに転がっている兵士の死体が証拠である。

『まだいる可能性を信じ、私達IMIは最高の準備を整えた』

「ほう」

『日本政府にも意地はあるだろう。内通者がいる可能性をほのめかしたら笑えるほど協力してきた。全指揮をこちらに任せ、弾代はあちら持ちだそうだ。更に《7.12事件》の解決、という大義名分もある。最高の部隊を編成し、今そっちに向かわせた』

「今か……ぎりぎり間に合うか間に合わないかだな」

『そこが悩みの種だ。出来る限り時間を稼げ。奴を引き止めろ』

「引き止めろとはまた難しい問題を……」

『いいから稼ぐんだ。一つ間違えば全てが終わる大事な曲面だ。互いに“チェック”している』

「……それじゃ後攻が負けるぞ」

『こちらが先攻になればいいだけの話だ。ララにレオンハルトを殺させるつもりか?』

「忘れかけてた情報どうもありがとう。チェックメイトできるんだろうな?」

『貴様次第だ。一手で全て終わらせる』

「了解」

『それと部隊の指揮はお前がしろ。部隊コードはクロウ。頑張れよ』

 期待されているのかよくわからない素っ気ない言葉を聞き流し、電話を切って携帯電話をポケットに片付けた。

「さて、と……長谷川の期待に頑張って応える為にもう一頑張りするか」

「ララちゃんのことも気になるもんね~」

「『もんね~』っておい。俺がララのことを気にかけてるような言い方だな」

「だってそうでしょ~? じゃなきゃララちゃんに協力してないだろうし~」

「お人好しって言いたいのか?」

「え? そうじゃないの~?」

 あの瑠奈に至って真面目に問われた。

 深い溜め息を漏らすが落胆している暇はない。兵士が使っていた短機関銃とマガジン数本を拾い上げた。瑠奈も一緒に拾う。

「しかしまぁ……ララを止めるべきだよな。止まるかどうか知らないが」

「……もしかして、止まらなかったら無理矢理止める~?」

「当たり前だ。今度は殺すつもりで止めるしかない」

「……だよね~。うん」

 表情が曇った瑠奈だが状況を考えれば当たり前である。渋々納得するしかない。

 二人は急いでレオンハルトを追い掛けたララを探し始めた。


――――――――――◇――――――――――


 装弾数十六発を撃ち切り、スライドオープンした状態の拳銃を構えたままララは動かなかった。

 否、“動けなかった”が正しい。

 全弾撃ったものの、レオンハルトには一発も擦ることなく外れてしまっていた。

 そしてレオンハルトは、引き金を引かなかった。

「……どうして」

 声が震え、体も震えていた。

「どうして、撃たないの?」

「撃てる筈がない。妹だから」

 平然と言ってみせて、苦笑いを浮かべた。

「……やっぱり、違う。あんな……父さんや母さんを傷つけるなんてしない。絶対にしないって……知ってたのに……」

 少し涙を浮かべていたララは血が出るほど唇を噛み、実の兄に発砲したことを強く後悔した。

 結局ララは、レオンハルトを殺すことはできなかった。

 ララはレオンハルトのことを犯罪者とは完全に思い込めなかった。

 今まで接してきたレオンハルトは優しく、目指すべき存在で、家族であり兄である。

 完全に私情を捨てきれなかったのだ。

 瑠奈から兄を追うことについて問われ、そんなことは関係ないとララは言った。しかし実はレオンハルトに対する想いを排除しきれていないことを、ララは気付いていなかった。

 だからララはレオンハルトを殺せなかった。

 憎悪よりも家族の絆というものを選んでしまった。

「……甘いよララ。それじゃ駄目だ」

 しかし、厳しい言葉を投げるレオンハルトの言う通りである。

 いかなる理由があろうとも、例え家族だとしても、疑いのある人間を前にしてララのような発言をしてしまうのは間違いである。

 それが全世界を恐怖に陥れた《7.12事件》の関係者という疑いであれば、尚更レオンハルトを捕まえなければならない。

「IMIの成績を知っている。ララの立場上それは絶対に許されない。ララが善で僕が悪だ。早く僕を逮捕するか日本IMIに連絡するんだ」

「……できない」

「ララ!」

「だってなにも教えてくれないじゃない! 私は兄さんの仕事を詳しく知らないし、卒業後なんてほとんど顔も合わせていない!」

「ララ……」

「教えて兄さん……。兄さんは何をしているの? いったい何が起こっているの……?」

(限界か……)

 頬を伝って涙が落ちるララを見て、レオンハルトは駄目だと切り捨てた。

 ララの言うことはごもっともだが、レオンハルトにはレオンハルトなりの考えもある。その為にはIMIか諜報機関に身柄を置かれる必要があった。

 だが今のララの状況では役に立ちそうにない。辛辣かもしれないが《7.12事件》の情報と、自分の命が脅かされているとしたら仕方がない。

 それでも迷っている暇はない。

「ララ。君が成すべき仕事を――」

「伏せろ!」

 第三者の怒号とも思える掛け声とほぼ同時に、いくつもの銃声がこだまして響いた。

 突然のことにララは一瞬戸惑ったが、レオンハルトは怯む事なくララに駆け寄ると覆い被さるように倒れる。

 レオンハルトの右肩部分から赤い染みが広がっていき、すぐに撃たれたのだとララは悟った。

「兄さん!?」

「心配ない……!」

「無理矢理だが移動するぞ!」

 怒号の主は智和だった。瑠奈もちゃんといる。

 二人は急いでレオンハルトとララを連れ出すと、遮蔽物代わりに壁の陰へ身を隠した。

「クソッタレ! 四人に対してどんだけ撃ち込むつもりだ!?」

 舌打ちして弾数を確認した直後、ピタリと銃撃が止んだ。

 嵐が過ぎ去ったような静けさが不気味を漂わせている。

「まったく動けねぇ」

 呟きにレオンハルトの応急措置を施していた瑠奈が反応する。

「ほら~。無闇に出るからだよ~」

「いやいや、窓から銃身出した馬鹿を見つけりゃとりあえず叫ぶだろ」

「結果として釘付けだよね~」

「煩い。それより傷は?」

「弾は抜けてたから大丈夫だと思うけど、ちゃんとした治療受けることをオススメするよ~」

「ならここから抜け出す案を教えてくれ」

『日本IMIの学生、聞こえるかな?』

 拡声器で聞こえてきたのはエリクの声だった。

『任務完了だ。レオンハルトをこちらに渡して欲しい』

「完了? 完了だとクソ野郎? 勝手に言ってろ!」

『拒むのか? 君は罪人を庇う気か?』

「棚に上げてよく言うな」

 エリクに対して憐れみを覚えたと同時に、国外逃亡せずまだレオンハルトに執着していることがわかった。

 これは好機でもあるが、圧倒的に不利な状況でもある。

「ね、ねぇ智和。これっていったい……」

 端にいたララが弱々しく聞いてきた。智和が振り返った時、ララはまだ泣いていた為に一瞬別人だと思ってしまった。

「レオンハルトは白だとよ。調べはついたしBNDにも確認とれた。今やエリクが追われる身だ。お前を利用してレオンハルトと衝突させた」

「……そんな」

「それでだ、レオンハルト・ローゼンハイン。俺の考えじゃアンタまだ何か隠してるだろ? エリクが逃げない理由がそこにある。本人がいなければいけない理由を、アンタは握ってる筈だろ?」

「……確かにある。だがこれは話せない。ドイツの機密情報だ。IMIだとしても話すことはできない」

「諜報員の鏡だな、本当に」

「それが仕事だ」

「格好良くて感動しそうだ」

 無駄口を叩く智和だが、ララは二人の会話に納得することができなかった。

「諜報員……? 諜報員って?」

「レオンハルト・ローゼンハインはBNDの諜報員だ。相手側からも確認できた」

「……彼の言う通りだ。僕の本当の仕事は父さんと母さんを含め一部しか知らない。ごめんな」

「……兄さん、が?」

「悪いが兄妹話は全部片付いてからやってくれ。この場をどう切り抜けるか考えろ」

 とてもシビアな状況で智和も余裕がなくなってきている。

 まず相手の数が把握しきれていない。真正面に位置していた建物から撃っているのは確かだったが、そこにいるのが全員とは限らない。もしかすれば別動隊が既に回り込んできているかもしれない。

 そしてこちらの戦力。まずレオンハルトは除外してたったの三名。装備もない。

 チェックメイトされたに等しかった。

『私のことを知っているのだろう? だったら早く渡して欲しい。私は一刻も早く逃げなければならない』

「簡単に逃げられると思ってるのか……ってうおい!?」

「トモ君!」

 智和の頭上を擦るように一発の銃弾が過ぎ去り、壁の破片を頭に被ることになってしまった。

『逃げられるさ。私達がすんなり入った時と同様に、すんなりと出ていく。何事も準備は怠らないのでね』

「クソが」

 考えられる事態ではあった。

 協力者がいたのなら簡単にできることでもある。いくらIMIが圧力をかけようが時間はかかる。ただでさえIMIは独立した機関の為、そういった国の対処にはまだ充分ではない。

(引き延ばす時間も限界に近い。この場をララと瑠奈に任せて一人でいっそのこと――)

 智和が思考が止まった。

 ポケットに入れていた携帯電話が小刻みに震えている。

 ゆっくりと取り出して連絡先が『琴美』と確認し、着信ボタンを押して耳へと近付ける。

「もしもし」

『近くまで来ています。航空支援を行うので目標を決定してください』

「了解」

 思わず口元が笑みで緩んだ。

 撃たれる可能性を考えていないのかその場で立ち上がる。

 今ならはっきりとわかる。駐車場の奥にある建物にいるエリク達の姿が。

『渡す気になったか?』

「攻撃目標は工場のような崩れ掛けた建物の駐車場の奥にある四階建ての建物。屋上に貯水タンクが三つある」

『了解。攻撃目標は工場の駐車場奥にある四階建て建物。屋上に貯水タンクが三つ。間違いない?』

 近づいて来るヘリコプター。エリクが逃げる態勢をとらなかったのは、手配したヘリコプターだと思っていたのか、はたまたただ単に動けなかっただけなのかは知らない。

「間違いない。全火力を集中させろ」

『了解。伝達完了』

 そこへ颯爽と現れたのは、正式な手続きをしてIMI本部から譲り受けた一台の攻撃ヘリコプターのアパッチと、二台のブラックホークだった。

 アパッチは有無を言わさず、智和の指示通りにエリク達がいる建物へ、チェインガンと呼ばれる三〇ミリ機関砲を発射した。

 先程の銃声とは比べ物にならない轟音が空間を覆い、隠れていた三人は耳を塞いでいたがただ一人――智和だけは悠然と立ち、蹂躙されていく建物を眺めていた。

 その間に二台のブラックホークからロープが垂れると、IMI指定であるカーキ色の戦闘服を身につけ、ヘルメットやタクティカルベストなどを完全武装したIMIの生徒が次々にラベリングしてきた。

「智和!」

 一人が大声で叫ぶ。顔をバラクラバで隠してシューティンググラスをつけていてわかりづらいが、女子生徒の声だった。

「お望み通りに最高の部隊で来てやったぞ!」

「特殊作戦部隊――日本IMIにおける最上級部隊――か! マジでスゲェな! 残党は任せていいか!?」

「いいだろう! ヘリは撤退して展開部隊を乗せた車が十五分後ここに来る! 今ヘリに乗せる奴はいるか!?」

「レオンハルト・ローゼンハインを乗せろ! あと瑠奈! お前も乗ってレオンハルトの様子を診ろ! IMIに着いたら長谷川に状況説明するんだ!」

「わかった~!」

 瑠奈に支えられる形でレオンハルトは移動し、担架で吊り上げてもらい瑠奈と一緒に乗り込んだ。

 そして智和はララに問う。

「エリクを追うがお前はどうする!?」

「…………いく」

「聞こえない!」

「私も貴方と行く!」

 腕で涙を拭い、いつもの表情で叫んだ。

「わかった! 何か装備はないか!?」

「持っていけ! それと通信用!」

 渡されたM4A1コルトカービン小銃をララにも渡し、他にも渡されたヘッドホン型の通信機を装着した。

 そしてアパッチの蹂躙は終わり、三台のヘリコプターはIMIの方向へと戻っていった。

 ヘリコプターの轟音は消えたが、今度は銃声が絶え間なく続いていた。

「現在状況を確認する。各チーム説明を」

『クロウ2。六名にて目標した建物内で交戦中』

『こちらクロウ3。同じく六名で交戦。外にいる』

「私達がクロウ4。六名だ」

 隣にいた女子生徒が報告し、後ろには五名いることも確認した。

『クロウ5は工場内を探索中』

『クロウ6も六名。こっちも工場内で、交戦中だ』

「こちらクロウ1。二名だ。各自残党を排除し、エリク・ダブロフスキーを拘束しろ」

『了解』

「私達はどうすればいい? 余計なお世話かもしれないが二人で追うのは厳しいぞ」

「わかってる。クロウ4は着いてこい。ララ、前をやるぞ」

「わかった」

「クロウ1よりクロウ3へ。今から建物を突っ切るから制圧射撃」

『クロウ3よりクロウ1へ。了解した』

「よし行くぞ」

 クロウ1とクロウ4は全速力で駐車場を抜け、クロウ3が建物へ制圧射撃をおこなっている間に通り過ぎて路地裏へと入っていった。

 路地裏は完全武装した学生が二人並んでも充分な余裕がある道幅だが、太陽の光が遮られて視界は少し悪かった。

『アパッチからクロウ1へ。聞こえてるか智和』

「強希か」

 移動中に通信がきたが足を止めずに話す。

「短時間でこれだけ戦力が整えられたことに感謝する」

『だったら北原さんに言っとけよ。全部あの人のおかげだ。諜報保安部に掛け合ったり特殊作戦部隊の特別チームを編成したり整備したり、北原さん尽くしだぜ』

「……スゲェなそれ。何でもできるな」

『とりあえず一旦戻って出直してくる。いい報告待ってるぞ』

一方的に通信を切られたがまったく悪い気はしなかった。むしろ少し笑ったほど愉快だった。

「面白いな」

「私はまったく面白くないわ」

「そう言うな」

「智和の意見に賛成できない」

「そりゃ残念だな!」

 真っ直ぐ行くか左曲がる道で左を選択した時、智和はララの腰に手を回すように引き込みながら通路を戻って身を隠した。

 すると案の定待ち伏せしていた兵士が撃ってきた。二人の次にいた女子生徒が反撃する。

「やっぱりいやがったな」

「この調子だと他にもいるぞ」

「時間が惜しい。俺とララは先に行く。クロウ5は左の道を進め」

「了解。死ぬなよ、智和」

「誰が死ぬか」

「……ちょ、ちょっと智和?」

「ん」

 顔を向けたらララは少し頬を赤らめて智和を見上げていた。

「いつまで腰に手を回してるつもり……?」

「あ。悪い」

 言われるまで気付かず、ようやく解放されたララは少し大人しくなっていた。顔も俯いているような気がする。

「どうした?」

「な、なんでもないわ……」

「イチャイチャしないでさっさと行け二人共。殺すぞ」

「わかってる。行くぞ」

「え、ええ」

 動揺しながらも智和の後を追うララ。

 それを見ていた学生が呟く。

「あれが恋か」

「気色悪いことを言う暇があるならお前らも撃て。なんだったら“肉盾”にしてやるぞ」

「おー怖っ。やることがおぞましいおぞましい。後輩のモテてる姿がそんなに悔しいのか」

「…………」

「え、いや冗談ですよ? ちょ、襟を掴んで……うわマジで勘弁! 撃ってきてる場所に出すなマジで頼むから! っつうか力強過ぎだ!」

「さっさと撃て。雑魚を殺すぞ」

「…………先輩怖いです」

 一番後ろにいた女子生徒がぽつりと呟いた。


――――――――――◇――――――――――


 真っ直ぐ進んだ智和とララだったが、中々エリク達に追いつくことはできなかった。

「ねぇ智和。この先はどこに繋がってるか知ってる?」

「知らない。おかげで回り込もうにもできないし、第一エリク達がどこに向かおうとしてるのかすら疑問だ」

「やっぱり馬鹿正直に進むしかないのね」

「さっきみたいに手回されたぐらいで照れるなよ」

「あれは不意討ちと腰だったからよ!」

「どうだか」

「煩いわね!」

 先程のことを笑いの種にされて口調が荒くなっていたララだが、視界や冷静さを失っているわけでもなかった。

 その証拠として、曲がり角を曲がった直後に敵と鉢合わせしたが、銃のストックで顎を殴ると喉を突き、倒れたところをすかさず頭に二発撃ち込んだ。

「どう?」

 お返しとばかりに勝ち誇った笑みを見せる。

「まだ甘いぞ」

 しかし智和は悔しがることはおろか未熟であることを指摘した。

 ララが不満を示そうとしたが智和は銃を構えて引き金を絞っていた。その先には数名の部下を引き連れたエリクがいた。

「見つけたぁっ!」

 感情が露わになったララもすかさず銃を構え直して引き金を絞る。連続する銃声の中、二人は止まることなく進み続ける。

 その勢いはまさしく鬼人の如く殺伐としながらも、的確に敵の体に5.56mm弾を撃ち込む繊細さを維持していた。これが日々続けてきた鍛練の結果でもあるが、二人の呼吸がワルツを奏でるように見事な程に合い重なっていた。

 智和がマガジンチェンジを終えた時、ララは小銃を放り投げて拳銃に持ち変えていた。予備のマガジンを渡すのを忘れていたのだが、そんなことすらも智和は忘れていた。

「全力で走れ!」

 智和の言葉にララは疑いを持つことはなかった。前方に敵がいようともなんの不安はなく、彼ならばきっと道を切り開くだろうと信じていた。

 その通りだった。智和が敵の排除をすることにより、ララが態勢を低くして風のように駆け抜けることができた。

 敵の胸に二発撃ち込まれ、ついに道は開かれた。もうなにも拒むものはない。態勢を低くすることも、両手で拳銃を握る必要もなく、腕を振り、ただ眼前で背中を見せるあの男だけを目指して。

 走る。走る。走る。

 走り、駆け、目指す。

 憎悪の対象である男の背中を。

「エェェリィィク!」

 叫び、追う。

 その時エリクが正面を向けたが、右手はスーツから取り出していたグロック17拳銃が握られており、引き金には既に指が掛かっていた。

 ララも咄嗟に拳銃を構え、二人はほぼ同時に引き金を引いた。

 発砲された9mmパラベラム弾は、ララが右側へと踏み込んで体重移動させていた為に髪を擦る程度。

 対して発砲した9mmパラベラム弾は、エリクの右肩を撃ち抜いた。

 平然と“躱した”のだが、これは拳銃弾であったこと、ララの身体能力と反射神経、目で見てから考える素早い状況分析能力など、様々な条件が重なってできたことである。

 拳銃弾はライフル弾とは勿論違う。躱せる速度ではあると言われているが、それでも弾丸は弾丸。目で追うことなど普通の人間はできない。

 となれば相手の挙動を観察・予測し、それに合わせたこちらの行動をすると同時に、反射神経もフルに使って初めて拳銃弾を躱すことができる。

 銃弾を躱すなど馬鹿げたことでもあり、無理な注文であることに間違いはない。

 それをララはやってのけたということは、彼女はそれほど優秀な人材だということである。

 撃ち抜かれた衝撃で拳銃を落としたエリクの腹部に、ララの肘打ちが見事に決まった。それだけでは飽き足らず、胸ぐらを掴んで背負い投げのような形で地面に倒した。

 極めつけは肘打ちした腹部を力の限り踏み付けた。エリクが血を吐き、内臓が傷つき肋骨が折れていることがわかる。駆け付けた智和もさすがに苦笑するしかなかった。

 だが次のララの行動は見逃せなかった。拳銃をエリクの額に押し付け、引き金に指をかけたままだった。

「おいララ。殺すな」

「煩い!」

 あえて冷淡に言ったのだが無意味で、ララは感情が高ぶった状態を抑えきれなかった。

 当然と言えば当然だ。なんせ家族が巻き込まれ、自分は利用されたのだから。大切な人である兄――レオンハルトを殺させそうとしていたのだから。

「アンタは……アンタはっ!」

 怒りがエリクに向けられ、本人もそれが伝わっている。だがララがまだ引き金を引いていなかったのは、まだ心のどこかで「殺してはいけない」という思念があったからだ。

 それを知っていたエリクは、わざわざ煽り、揺さ振る。

「そうだ撃て。いつものように撃て。邪魔なものを蹴散らした時のように撃てばいい。お前の専売特許だろう。撃てばいい。そうやって同じところをぐるぐる回ってろ」

「言うわね。だったらお望み通り――」

「ララ。それでいいのか?」

 智和の言葉にララの動きが止まる。

 限界だと悟った智和は言葉で止めに入った。行動で示せば簡単に制止できただろうが、行動では止めに入らなかった。

 何故ならこれはララの問題だからだ。ララが選択し、ララが解決しなければいけないのだ。

 だから智和は言葉でしか止めに入らない。その言葉も一種の助言でしかない。

「今ここでそいつを殺すのは簡単だ。殺したいなら殺せばいい。任務遂行中による反撃ならエリクが死んでも“仕方ない”」

 智和の意見はごもっともだが、真意としては三人しかいないこの場でエリクを殺しても、殺害した理由は後でいくらでも口実可能ということである。

「でもな、それでいいのか?」

「……何が、言いたいの?」

「そいつを殺して気が済むか? 頭にぶち込んで脳みそをばら撒けば気が済むか? それで気が済むのなら、お前は所詮その程度の人間ってことだろう。同時に、お前が持ち続けたレオンハルトに対する誇りも、その程度だ」

 もう一度問う。

「お前はそれで気が済むか?」

 智和の言葉の真意を問われ、ララは激しく揺さ振られた。

 エリクを殺したその瞬間、彼女が持つレオンハルトの誇りを失うことに等しい。

 逆の解釈として、エリク程度など殺す価値もないと言っているような内容だった。

「――ッ!」

 ララは選択する。

 引き金を引くことはなく、代わりに銃身を握り直して台尻でエリクのこみかみを力一杯殴り付けてやった。鈍い音が響き、エリクは気絶して動かなくなった。

 沸き上がる怒りの感情をなんとか抑えつけていたらしく、かなり呼吸が乱れていたララは智和に顔を向ける。

「……これで充分かしら?」

「それでいい」

 満足そうに笑みを見せながらそう言った智和に、ララは表情を変えることなく拳銃をホルスターに入れた。余程殺したかったというのは見ただけでわかる。

 それでも殺さなかったというのは、ララの心境になんらかの変化が生まれたからだろうと智和は信じていた。

 通信機のマイクを口元に寄せ、変わらぬ口調で智和は告げる。

「全部隊及びこれを聞いているであろう作戦本部に告げる。エリク・ダブロフスキーを拘束した。至急、応援を要請する。告げる。エリク・ダブロフスキーを拘束した」

『こちら作戦本部の長谷川。今そちらに展開部隊とヘリを向かわせている。目印をつけておけ』

「了解。ちょうど部隊も追い付いた。スモークでも目印になるだろう」

『了解。応援が到着するまで待機しろ。智和、ララ、よくやった』


――――――――――◇――――――――――


「で、エリク・ダブロフスキーは拘束されたのか?」

『はい。現在はIMI敷地内にて身柄を拘束されている模様です』

「いっそのこと死んでくれれば良かったものを。それで、IMIはどうすると思うかね?」

『日本IMIは他国のIMIと違って諜報機関との繋がりを持っていません。日本の諜報機関は警察などの影響が大きいので役に立たないですから、おそらくはエリク・ダブロフスキーを餌にして食い付いてきた諜報機関との交渉材料にするつもりでしょう。望むはCIAかFBIが妥当かと。BNDはレオンハルトによって繋がったにも等しいですから』

「だろうな。おかげで脱出用に手配していた海路と空路は無駄になってしまった」

『しかし良かったのですか? みすみすIMIに持っていかれたとしたら、我々の身の安全は保証できません』

「それを含めてのエリクだ。第一、奴がさっさと逃げれば良かっただけのこと。それでも最低限の準備は整っている。で、彼らは?」

『待機させています。しかし、早くもIMIの監視がつけられています』

「流石、と言ったところか」

『でしょうね。そして今報告が来ましたよ。エリク・ダブロフスキーの身柄を拘束した、と』

「丁度良いじゃないか。日本IMIの学園長に連絡を。記者会見諸々の打ち合わせをしたいと言ってくれ」

『わかりました』


――――――――――◇――――――――――


 黒のベンツが列を成し、IMI正面入口から去っていく姿はとても奇妙な光景で、しかしどこか威圧的な光景でもあった。少なくともベランダから眺める瑠奈はそう思った。

「行っちゃいましたね~」

「だな」

 横でどうでもいい瑠奈の言葉に応えた長谷川は満足そうにベンツの列を眺め、コーヒーが淹れられたマグカップを口元に近付けた。

 今日はエリク・ダブロフスキーを“とある諜報機関”に引き渡す日である。長谷川が機嫌を良くしているのはその“とある諜報機関”とのパイプを持つことができ、尚且ついくつかの情報も提供させてもらった。これほどない満足感に満ちていた。

「いいんですか~? 時浦先生に任せちゃって~」

「拘束中はあいつの責任に任されていた。直々に尋問したらしいがそこは諜報員、中々口は割らなかったようだ。だから次は現役に任せるということで、見送りもしたいんだとさ」

「CIAに行ったエリクはどうなるんでしょうかね~?」

「さぁな。とりあえず尋問と言う名の拷問を受けるんじゃないか? 私もそこのところは専門ではないから詳しく知らん」

 コーヒーを一口飲み、ベンツの群れが見えなくなったことを確認すると長谷川は中へと戻った。後に続く瑠奈は振り返り、ベンツの中にいるエリクはさぞかし悔しいんだろうなぁと考え、すぐに中へと入った。

 普通科校舎四階に設けられた職員室には、休日というのに教師達が仕事に励んでいた。

 長谷川は自分のデスクに腰掛ける。

「レオンハルトも無事に本国へと帰国した。BNDとも繋がりを持つことができ、最高の結果だな。瑠奈も良くやった。衛生科が役に立ったな」

「えへへ~。ありがとうございますっ」

 隠すことなく眩しい笑顔を見せて深々と頭を下げた。

 頭を上げた時、長谷川が瑠奈へクリップで綴じられた書類を差し出していた。

「今回の事件の報告書だ。智和に渡してくれ。あとこれはお前の単位追加の書類だ。明日中に出してくれ」

「わかりました~」

「それにしても智和の馬鹿が。あれほど保管所の武器は壊すなと言ってた筈なのに……」

「あはは~……まぁあれは仕方ないですよ~」

 長谷川が頭を悩ませるのは、智和がエリクが雇った傭兵をベレッタM92で殴り殺した際、破損させてしまったことだ。破損というか使い物にならなくしたのだ。瑠奈は苦笑するしかできない。

「……まぁ大目に見てやる。なんせ今回はIMI総動員の事態だったからな。保管所も煩く言ってこまい。しかし前回も壊したからどうだろうか……?」

「それと今回はトモ君持ちだったから、その分の費用は~……」

「それは智和も心得ているだろう。しかしこう保管所の銃を壊されると私まで煩く言われる。瑠奈、それを智和に届けた時にさっさと所持申請するよう言ってくれ」

「わかりました~」

 所持申請とは学生が銃を所持する際、または新しく銃を購入する際に行うことである。学生はメインアーム・サイドアームを持つことを義務づけられ、別の銃を購入して所持したい場合に申請する。

 智和はなにかと壊し癖がある。在学中は五挺も使い物にならなくし、倍の数を破損させている。今は自分用のサイドアームは持ち合わせておらず、長谷川はとうとう痺れを切らした。

「……あの~」

 だが瑠奈は智和より気懸かりなことがあった。それは表情を不安に変えるほど深刻な状況ではないかと心配していた。

「どうした?」

「……ララちゃんはどうなるんですか~?」

「ああ……ララか」

 予想していた質問らしく、コーヒーを一口にしてから椅子の背もたれに体を預け腕を組んだ。先に瑠奈が口を開く。

「ララちゃんはエリクの権限で行動してたんですよね~?」

「そうだ」

「無茶をしても揉み消してはいたんですよね~?」

「そうだ」

「じゃあエリクが拘束されて真実が全部出たってことは~……」

「……お前の考えてる通りだろうな」

「……」

 長谷川は隅にあったファイルから一枚を取り出し、前日ドイツIMIから寄越されたララに関する書類を眺めた。


――――――――――◇――――――――――


 普通科校舎屋上の入口から智和、続いてララが姿を現した。ララの手には一枚の書類が握られている。

「こんな場所でいいのか」

「ええ。充分よ」

 智和の問いかけを気さくなに応えたララは金網の前まで歩き、微かに見えるベンツの群れを眺めた。

 あのベンツの一台のうちのどれかにエリクが乗せられている。拘束されたままジェット機で成田空港を出発し、アメリカへと降り立てば地獄のような日々が待っていることを考えたら体が震え上がった。同時に、ざまぁみろと心の奥で呟いてほくそ笑んだ。

 消えたベンツの次に目を移したのは左手に持つ書類。しばらくして金網に背を向けると体を預け、腰を抜かしたようにその場に座り込んでしまう。

 スカートの中身を遮る思考はあるようだが、表情からは言いもしれぬ落胆が智和にも伝わっていた。ここまで来るのに一言も話さなかったのが証拠でもある。

「まぁ、当たり前の結果よね」

「そうだな」

 何気ない会話でもララの気持ちがひしひしと伝わってくる。それほどまでにララは追い詰められた様子だった。



 ――ララ・ローゼンハインに関する調査報告。

 非合法なる任務時におこなった殺傷行為並びに拷問に近い尋問行為。ドイツIMIが指定した敷地範囲外での無断行動並びに非合法任務の執行。

《7.12事件》の重要参考人エリク・ダブロフスキーの拘束に協力したという日本IMIの情報により、ドイツIMIからララ・ローゼンハインに下す処分は、ドイツIMIからの登録抹消を命ずる。ドイツIMIからの支給物を返却した上、一週間以内に寮から私物を全て撤収し、速やかにドイツIMIにて登録抹消に関する消去作業を完了することを命ずる――



 ドイツIMIからの通達はララの処分に関する決定事項だった。登録消去は退学処分と同じ意味合いであり、今この時より――正確には三日前の午後十五時二十分に決定された事項――ララはドイツIMIから身を引くことを余儀なくされた。

 IMIに未練などない。ただレオンハルトが築き上げた功績に泥を塗り、誇りを傷つけたことがララにとって一番堪えた。それは彼女が彼に対して尊敬し、目標として目指していた人物であり、彼の妹だった為である。

 しかしこの処分、普通に考えてみればかなりの寛大処分で済まされていることに気付かされる。

 まずはIMIが指定した敷地範囲内からの勝手な行動及び許可なしの国外移動。運が悪ければこれだけで半年から一年分の単位を失うなどの重罰が与えられる。

 非合法な任務の遂行。これは「非合法」という観点で処分が決められる。そして非合法任務遂行中による殺傷行為並びに拷問に近い尋問行為。「非合法」の観点から見ても上位レベルの処分となり、殺傷した人数や拷問さながらの尋問という点から考えても、IMI本部に身柄を拘束されて審議会が行われた後、IMI指定の刑務所行きになることは間違いない。殺傷した時点で更に長い懲役生活、最悪の場合は出られずに死ぬかその刑務所の地下で死ぬか、の二択である。

 そこから考えてみれば、ララの処罰がドイツIMIの登録抹消だけで済まされたのは奇跡的な措置としか言い様がない。IMI本部に拘束されることも審議会にかけられることもなく、ただドイツIMIで決定された処分で事が終わったのは、それほど《7.12事件》関係者のエリク拘束は大きな成果であり、彼女の功績から配慮された結果である。

 彼女のIMI学生としての人生は終結した。

「後悔してるか?」

「全然。むしろ清々しい気分」

 先程とは違う表情で告げたララの言葉に嘘はない。レオンハルトを傷つけたこと以外、だが。

 それでもララは少しだけ笑みを見せたのは、彼女なりの答えを見つけだして納得したのだと智和は信じている。

「この後はどうするつもりだ?」

「明日には抹消手続きをしにドイツの戻ろうかと思ってる。寮にある私物を片付けて、受け取っていた銃や装備品を返却したら……両親と、妹と弟にも会わなきゃ……心配をかけてしまったから、ね……」

「……もう銃を握ることはしないのか?」

「……わからない。私がこのまま普通の日常を送ろうとしても、それは無理な気がする。銃を握り、人を殺した私が普通の日常を送るなんてことをして良いのかわからないし、どうして良いのかもわからない」

「それと」とララは続ける。

「……あの時、私はエリクを殺したかった。ざまぁみろと思った。今でも奴を殺したい。家族を傷つけた奴を殺したくてたまらない。なのに……」

「なのに……何だ?」

「……貴方に言われた時、何故かその考えが和らいだ。多分、貴方が言ったからだと思う」

「何でそうなったのかこっちが知りたいんだが」

「私だって知らないわよ。でも、何故か貴方にはそう思ってしまう。初めて信じられる人だと思った。だからかもしれない」

 言い終えたララは鼻で笑い、立ち上がってスカートを手で軽く叩いて埃を落とす。

「何言ってるのかしらね、私。変なこと言ったわ」

「確かに変なこと言ったな」

「そうね」

「そこで一ついいか?」

「何かしら?」

「日本IMIに登録し直して俺の部隊に入らないか?」

 入口に向かっていたララの足が、止まる。

 背中を向けたまま、智和と顔を見合わせることはない。

 ララとしては智和の誘いは素直に嬉しかった。事実、彼女は彼を信頼し、瑠奈も信頼のおける人物であると確信していた。任務中に暴走してしまっても二人のカバーによって助けられた。自分が今ここにいられるのは二人のおかげだと胸を張って言える。

 だがその反面、不安もあった。今まで独りだった自分に。

 全てを独りでこなしてきたララが突然、智和達に加わって乱してしまわないのかと不安に感じている。彼女は自分がしてきたことは決して忘れていない。これまでドイツIMIでの振る舞いと日本IMIでの振る舞い。他人を振り回す我が儘で協調性のない動きだった。

 そんな自分が部隊などに加わっていいのかわからない。

「悩んでるのか」

 相変わらずこの男は考えを当ててくると思った。

 自分のことをこうまでも考えてくれる智和は本当に良い人物だと思う度、何故か自分の気持ちが乱されてくるような感覚を覚える。

「当たり前よ」

 この言葉も冷静に言おうとしたら少し強めに言ってしまった。落ち着かせて続ける。

「こんな私が入ったところで、結局掻き乱すことしかできない。それだったら入らないほうがいいわ」

「そんなものいくらでもカバーすればいい。初任務であれだけできたんだ。ララにも助けられたしな。瑠奈も気に掛けてる。お前は我が儘じゃない。逆に気を配れる。ドイツじゃその相手がいなかっただけだと俺は思う……ん? いやお前を誘ってきた奴はいたって聞いたから相手はいたのか」

 そんな優しい言葉は投げ掛けて欲しくなかった。智和がどれだけ気に掛けてくれているのか再び理解して、目尻が熱くなる感触を覚えた。

 嗚咽しそうになり、悟られぬよう口元を押さえて必死に耐えた。それでも目尻は熱くなるばかりで、両頬を涙が流れていることをその時知った。

 しかし智和は気付いていた。返事のないララを不思議そうに見て、微かに肩が震えている背中姿がとても弱々しかった。

 あえてララにはなにも言わず、智和はそのまま続けた。

「――俺の部隊は『クロウ』って言う。日本語で『烏』」

 そんなことを言ってララに背を向け、青い空を見上げた。

「中期生の頃、高期生の先輩が作った。烏――クロウ――部隊。何でその名前にしたのか聞いたことがある。その理由が『蔑まされる存在である為に』だそうだ」

「……蔑まされる……為に?」

 ようやく涙が止まった時に聞き返すことができたララは、智和が準進行不可区域で口にした「いつまで蔑まされなければならない」という言葉を思い出した。

「烏は人々に忌まれ、蔑まされる。それでも集団で行動し、頭の回転が早く、統率されている。先輩はこれとIMIは似た存在でなければならないと言った。いや、こうでなければならないと断言した。

 社会奉仕や請け負いをしているIMIだが、結局は人殺しを生業とした傭兵集団のようなものに過ぎない。どれだけ子供を笑顔にしても自分達は人殺しを学ぶ人でなしだ。そんなもので作り上げた幸福なんて紛い物以外の何でもない。ただのゴミでしかない。血で汚れた手で子供を笑顔にできる訳がない。

 それが蔑まされる烏であるが如く、自分達は普通の日常ではない日常を飛び交う。蔑まされることで、忌み嫌われることで、IMIはIMIとして存在する。軍事はそういう位置でなければならず、同時になければいけない位置でもあり、絶対になくならない位置――これが、俺の先輩の解釈で、部隊名の由縁だ」

 人殺しは所詮人殺しでしかない。常識として人殺しは罪だ。

 それなのにIMIだから、任務だから、戦争だからという理由で人を殺して良いという根拠もまた存在しない。テロリストだろうと殺せば、正当化されてしまった人殺しである。

 先輩――智和が尊敬する“榎本誠二”は悩み続けた。人殺ししかできない自分を唯一表現できる方法に。在り方に。この世界に。

 故に彼は蔑まされる存在でなければならないと辿り着いた。同時にそれは、彼に対する人殺しの増加にも繋がってしまったが。

「あの人は自分なりに考えた。それを烏という言葉で表した」

「……それならレイブンでも良かったんじゃない? 漢字なら難しい鴉で、見栄えもいいと思うけど」

「俺も言ったよ。けどまぁ納得した。『牙のある鳥はもはや鳥でなく、もし牙を生やしたなら、鳥の群れから離れ、孤独になりその牙で己を刺す』。人を殺し続けた末路でもあるらしい」

「嫌な末路」

「まったくだ」

 在学中の誠二に言われたことを思い出して鼻で笑った智和は振り向き、ララにもう一度問う。否、懇願する。

「部隊に入ってくれララ。俺はお前を信じる。だからお前も俺を信じてほしい。言ったように今のお前はレイブンみたいだ。もし不安だったら、牙を抜いて群れに戻す」

 なんとも荒々しい所業である。そんなことすれば一溜まりもない。

 ――しかし、彼女の答えは決められていた。

 表情がまた歪む。先程ようやく押さえ込んだ嬉しさと涙がまた流れ込んでくるように現れた。

「……せっかく……我慢してたのに……」

 むせび泣き始める前に、もう一度彼女は問う。

「信じていい……? 私……貴方を信じていい……?」

 そんな少女の問いを、目の前の少年は微笑んで返す。

「当たり前だ。俺はお前を信じてる」

「……ありがとう…………本当に……本当にありがとう……」

 泣きじゃくるララに歩み寄り、少し膝を曲げて目線を同じにした。

「意外と泣き虫だな」

「……煩い」

 強がったことに自然と笑いが零れた時、入口の扉が勢い良く開かれた。

 そこには左手に書類を握り締めたまま、今にも倒れそうな勢いで息を切らしていた瑠奈がいた。

「み、見つけた~……って、あれ? 泣いてる?」

 泣いているララと少し呆れている智和を交互に見比べ、そこから導き出された結果。

「トモ君がララちゃんを泣かした~?」

「何でそうなる」

 光景だけ見ればそのような思考になる可能性もあるが、決して違うと智和が断言する。

「それより瑠奈、朗報だ。ララがドイツから日本に登録変更して部隊に入ることにしたぞ」

「……え?」

「長谷川になんとかできないか今から聞きにいく。ララも着いてきてくれ」

「え? えっ!? 本当なの、ララちゃん!?」

 珍しく語尾がまったく伸びない瑠奈はララに詰め寄る。

 そしてララは、初めて見せたとびきりの笑顔で答えた。

「ええ。そう決めたわ。よろしくね、瑠奈」

 今の彼女の笑顔が、家族写真に写っていた笑顔に負けず劣らずの笑顔だと、本人は気付いていなかった。



――斯くして鳥籠に閉じこもっていた鳥は自ら抜け出し、蔑まされる黒い鳥達と共に空へと羽ばたいた。


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